第伍部-和信伝-

 第三十六回-和信伝-

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

一月二十八日巳の下刻(北京西洋歴18052271110分頃)、関元(グァンユアン)と信(シィン)は通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲で船を降りていた。

十九人のうち十三人は此処に残り、十人は界峰興(ヂィエファンシィン)の手代を手伝い荷を運ぶことになっている。
船の番に三人が船を守って残る。

豊紳府への荷は先に届けてもらい、宿も界峰興(ヂィエファンシィン)が手配して用が済めば自由に都見物だ。

懐は関元が十分遊べる金を渡してある、皆関元の船の水夫だ荷運びも慣れたものだ。

 

六人は歩いて幹繁老(ガァンファンラォ)へ向かった。

前門(チェンメン)の周りは喧騒に包まれている。

「宿に入る前に界峰興(ヂィエファンシィン)へ顔を出しましょう」

「そうだね。イオンさんの顔を売るいい機会だ」

日本刀を腰に差さずに歩くさまもようやく慣れたが、用心棒の振りで棒を持っているのが似合うようになってきた。

大柵欄を下り、蔡家胡同で三人が店の前で待ち、三人が中へ入った。

孜漢(ズハァン)が驚いた顔で「幹繁老(ガァンファンラォ)へはまだですか」と聞いてきた。

「これから」

関元の言葉を聞いたかのように甫箭(フージァン)も戻って来た。

「大人達は昨日公主にお会いして、今日は首領(ショォリィン)の屋敷へ行きましたよ。それから康演(クアンイェン)さんは先程顔を出されました」

「なんだ、一族の集まりになったか」

庸(イォン)の紹介に寄ったと言って和人だと明かした。

「海賊退治の助っ人いう人ですね」

「話が早いな」

「さっき聞いたばかり」

康演(クアンイェン)が話していったようだ。

「甫箭の方も二十軒の仕切りも上手くやっていましてね。ついでだから小間物店五軒も配下に入れました」

「すごい信頼だな。いつ婚姻を」

「実は十二月に済ませました」

「そりゃめでたい」

「信(シィン)様、あきれやすぜ、富富(フゥフゥ)がつわりで親父が驚いて急がせました」

客の三人のほうが驚いた。

甫箭(フージァン)が照れて真っ赤になっている。

「哥哥に娘娘は驚いたろう」

「王李香さんがね見抜いて公主に報告したところへ、こちらから婚姻をさせると報告が重なりました」

娘娘は「親父が許したなかだし、少しくらい早まっても若い二人だから」と笑って祝ってくれましたと孜漢(ズハァン)も笑っている。

二月六日に豊紳府で別れの宴を南京(ナンジン)の人たちで開くについて富富が仕切るという報告も関元(グァンユアン)にしている。

「生まれるのは、王李香さんの話だと八月の十日から二十日の間だろうと言います」

もうそんなことまで解るのかと信(シィン)は驚いている、まだ十二歳ではそこまでは理解はしていない。

もう三月は過ぎて富富(フゥフゥ)が包み隠さず産婆に話したので計算が立ったという。

二十二日から遅くも三十五日くらいでつわりが来るものが多いという。

王李香は三十五日から逆算し、富富(フゥフゥ)の話しで絞り込んだ。

王李香は富富と興藍行(イーラァンシィン)で二十六日に出会ったとき感づいたが、頼まれた出産の手伝いへ行く途中で、二十九日に豊紳府に戻った。

十一月の二十八日、つわりでもしかしてと二人で親父に報告し、翌日漢(ハァン)が三十日の食事会の開催と妊娠の報告に甫箭と富富を連れて行った。

娘娘の部屋には王李香が来ていた。

富富(フゥフゥ)は初めてで、つわりが来るまで気にもしていなかったようだが、月のものが遅れたのも忘れていたようだ。

 

信(シィン)の一行は廊房頭条胡同幹繁老(ガァンファンラォ)へ向かい個室の小食堂で面条を啜った。

「京城(みやこ)の面条は格別です」

供の一人鄭四恩(チョンスーエン)は初めての都入りだ。

ここまでも蘇州(スーヂョウ)では五匹も蟹をむさぼり早々と脱皮した蟹のから揚げも三匹食べ、趙(ジャオ)哥哥など「いくら驕りで食べ放題と言われても食い過ぎだ」とあきれていた。

景延(チンイェン)は「残ってはこちらも残念ですから。足りないと声を上げてくれれば追加を買いに行かせます」とあおっていた。

 

大人達はまだ戻らないが関元の義理の奶奶(ナイナイ)に姑媽(グゥマァ・姑姑)は残されていると云うので、隣の新館へ三人で出向き、供の三人はそれぞれの部屋で待機させた。

仲居に小食堂へ春苑(チュンユアン)と娘の春麗(チュンリー)を呼んでもらい信(シィン)と庸(イォン)を紹介し改めて奶奶(ナイナイ)と姑媽(グゥマァ・姑姑)だと言って名乗らせた。

残っていた顔なじみの供二人も呉(ウー)と余(ユゥ)と紹介しておいた。

呉(ン)ではなく呉(ウー)というなら蘇州(スーヂョウ)辺りの人だろうかと信(シィン)が聞くと「本当は父親が広州(グアンヂョウ)の出で呉(ン)ですが母親が蘇州(スーヂョウ)の呉(ウー)家の姻戚でウーばかりでそうなりました」と涼やかな声で話した。

呉(ウー)の小父さんと言っていた関元も初耳の様だ。

乳母など居ない関元や其の弟弟(ディーディ)二人をいつも世話してきたので家の主(ぬし)のような存在ですと関元は信(シィン)に伝えた。

「へへ、もう三十年も大人(ダァレェン)のお世話になっておりやす。息子二人は今大人のお供で首領(ショォリィン)様のお邸で」

余(ユゥ)は呉(ウー)のチィズ(妻子・つま)の弟弟だと自分で名のった。

康演(クアンイェン)の家というより平(ピィン)の家全般を世話してきたのだろうと信(シィン)は思ったようだ。

平(ピィン)の一族は京城(みやこ)、南京(ナンジン)、蘇州(スーヂョウ)と駆け回って忙しく働くので、このような家族が裏を支えているのだろうとも思った。

 

宣武門大街~正陽門(前門)の間の街(地図は光緒341908年の物を使用)
 外城-00-03-02-1908

 

平文炳(ピィンウェンピン)は康演(クアンイェン)から内緒の話があるというので、京城(みやこ)連絡員の費樂生(フェイユエシァン)を呼ぶことにして、六人を先に帰して話を聞いた。

「信(シィン)様が承知しているなら明日哥哥にも納得してもらおう。関元(グァンユアン)だってそれなら心強いだろうが、肝心の庸(イォン)さんが納得してくれるかだな」

「ですから。明後日あたりが好い機会と」

「お前も中々の策士だな。娘娘と哥哥から頼まれれば心意気に打たれる可能性は大きい」

「十年こちらにいて海賊退治に協力をしてくだされば十分可能かと」

「護衛の二隻の策はいい考えで、海賊が絶えるのは難しいから、婚姻でもさせて取り込むのがいいかもな」

「さぁ、そこが問題で。和国に許嫁でも居ると呼び寄せるか、戻りたいというか心配で」

「ハッハッハハ。いかにもお前らしい心配だ。そのくらいの用心深さが関元に加わればいいのだが無理な話だ。それから水会(シィウフェイ)のことだが」

「揉めています」

「同仁堂は賛成だろ」

「火事の時に皇城優先で駆け付けろと言ってきたそうです」

「目の前が燃えてりゃ知らん顔出来ないだろ」

「それもそうか。出来ちまえばこっちのもんだ」

二人は消防組織を江戸の街を参考にして考えて公主には根回しもお願いしてある。

 

阮絃(ルゥァンシィェン)の伝(つて)で相公(シヤンコン)たちもならず者を手なずけて小遣い稼ぎにどうだと話を広げたそうだ。

冠婚葬祭は丐頭(ガォトウ・ガァイトウ)が抑えて半端もんでは食い扶持が足りない。

水害の後、街に増えてきている彼等を手なずけるには水会(シィウフェイ)が好いだろうと「結」の商店は運動を始めている。

 

「頭分に普段の手当てを弾んでおくようだぜ。歩軍統領衙門が金を出すはずないさ」

「八旗の消防は和国の物より水の出が悪いそうですぜ」

「哥哥は和国の本にフランスの絵があるというから、参考に貸し出してもらえよ。馬車は大げさだが台車で運ぶか脚夫(ヂィアフゥ)に担がせるんだとよ」

「此処の親父に任せてもいいですか」

「いいだろうぜ。前門(チェンメン)大柵欄付近に四か所、草廠周りで四か所。西側を受けてもらえば東と東四牌楼付近に二か所」

「月百両維持費が出ると踏んでいます」

「設備に千両で二十台水龍(シゥイロォン・手押しポンプ)が作れるかよ」

「そいつは難しい。最初の十台に相当ふんだくられる」

「三十台作って経費に十台売ると言ってくれ。聞いてるだろ」

店の親父が出てきて「聞こえていますよ。委細承知。ですがすぐに銀(かね)千両出てきますか。この付近じゃ火事は怖いが銀(かね)はもっと怖い奴ばかりで」

姚淵明(ヤオユァンミィン)は思い付いたように娘を呼んできた。

「宋太医の方でも町医者と組んで水会(シィウフェイ)を興藍行(イーラァンシィン)で纏めさせるかと言っていましたよ」

「與仁(イーレン)に暇があるのか」

「蘭園茶舗(ラァンユェンチァプゥ)の権孜(グォンヅゥ)の哥哥が適任だと」

親父が首をかしげてる。

「料理人の権兮(グォンシィ)の事かよ」

「老大(ラァォダァ)でなくてその下の権廉(グォンリィェン)のほう」

「二番目か」

「あそこ市場で顔も効くから人も集まるでしょ」

おいおい、そいつ家は何処だと康演(クアンイェン)知らないようだ。

「興藍行の目の前、小豆腐巷(シァオドォフゥハァン)、興藍行で働きだした」

親父もあきれている。

「まったくお前ときたら破睨みで向こうまで出しゃばってるのか。腹も目立ってきて遠出はするな

「胥幡閔(シューファンミィン)さんが見てくれるんだ。ここまで来てくれはあたしでも言えない」

媽媽(マァーマァー)は二人の幼子で手一杯、私が動かなきゃ誰が一族をまとめるんだと凄まれ(すごまれ)ている。

親父も形無しだ、腹の子供は康演の子だが口出しすればとばっちりが来る。

四月の初めには産まれるはずだが、名は翠鳳が決める約束で「姚」を苗字だと宣言している。

“尻に敷かれる”とはこのことだ。

「穆寶泉(ムウパァォチュァン)」

「穆(ムウ)の娘がどうした」

「権廉の継妻になってる」

「ありゃお前の従姉妹か」

「また間違えてる。同じ穆(ムウ)でも筋違い。紫蘭様の使女の潘玲(パァンリィン)が私の従姉妹でその従姉妹」

姚翠鳳(ヤオツゥイファン)の母親潘翠鈴(パァンツゥイリィン)が穆(ムウ)家の一族で、この周りに百人ではきかない、女たちの情報網は際限もなく広い。

元は噶哈里和羅舍林村から来た六人、そのうちの二人が北城草廠胡同の青物問屋へ嫁入りしたことから始まった家系だ。

姚、穆、潘などが西城、北城に一族を構成している。

一族でも誰がどの家の者か把握できないくらい複雑に絡み合っている。

「フゥチンは心配しなくても来月からお弟子さんが、交代で見に来てくれるよ」

ちゃんと手配はしてきたようだ。

権廉(グォンリィェン)には俺があおうと康演(クアンイェン)が言って話が収まった。

 

潘玲が豊紳府へきて「蜂蜜(ファンミィ)の上等品が手に入る」というので紹介させた採取業者が、豊紳府に納品している。

和羅舍林村の蜜糖(ミィタァン)業者は広大な地方を回るので「結」の仲間も増えてきている。

元は「御秘官(イミグァン)」が康熙帝玄燁の頼みで(インミィ・隠密)として動かした組織だがすでに御用の人間は存在も忘れられた

平文炳(ピィンウェンピン)と平儀藩(ピィンイーファン)も聞いて驚いたくらいで、五十年前には資金関係しか繋がりは無くなってしまっていた。

御用は「仕事が有れば引き継がせます」と正黄旗富察の一族の中に残されているが、鑲黄旗李栄保(フチャ・リーロンバオ)富察傅恒(フチャ・フーヘン)親子などの沙濟地方の富察との交流は少ない。

首領と意気投合している哈豐阿(ハフンガ)は沙濟富察氏のはぐれ者だ。

母親が和羅舍林村の正黄旗富察候園(フチャ・ホォゥユァン)の娘だという。

子供に豊伸布と名付けたら後で一族に同じ名がいるという、大分経ってからだが道光帝が徳恩(デゥエン)という名を与えている。

その「豊伸布は断罪されている」というので道光帝が気にしたという。

六品藍翎侍衛に「罪人と同じ名では困るだろう」が理由だ。

殷徳(インデ)が密かに連絡を取りたいと思っていた家族の一人だった。

母親が潘玲(パァンリィン)とは、四代前が同じ村の出とは本人たちは気づいていない。

哥哥の手に入れた反古同然の中に宣教師が蜂蜜(ファンミィ)を好んだという記述から姐姐(チェチェ)が思いつき、たどって行きついた家系だ。

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り

 鑲白旗-白地に赤い縁取り 

なぜ今頃水会(シィウフェイ)の話しを結が取り上げるかと言えば、大水で新しくなった街でも火事が起こる。

そうするとわらわらと丐頭(ガァイトウ)たちが集まり、乞丐たちが水を運んだり家を壊したりと活躍をするが、町筋に「大分お役に立ちましてありがとうござい」と可笑しな挨拶で、五両ほども大きな店が無事だと強請(ねだ)られる。

出しそうも無いとみれば店を壊しっぱなしで知らん顔をして立ち去ってしまう。

奇麗に壊してくれれば何とか再建できるが銀(かね)払いの悪い店は酷いしっぺ返しを受けてしまう。

何処の丐頭(ガァイトウ)の支配下なのか、解らずじまいでは苦情の行き場もない。

 

乾隆帝の時代、福隆安、馮英廉が切り離そうと努力し、代々の直隷総督もいまだに官員の丐頭(ガァイトウ)には手を焼いている。

阮絃(ルゥァンシィェン)が老梁(ラァォリィァン)の時代や、その前は英廉から頼まれ劉全行で銀(かね)を撒いて乞丐(チィガァイ)が荒れないように抑えていたという。

和珅(ヘシェン)断罪のあと改革が進んだはずが、内城の妓楼撤去に反対した歩軍統領定親王綿恩(ミェンエン)を解任、歩軍統領の下に左(円明園)、右(正陽門)の総兵をおいて効率化を図ったが、反対に収賄簒奪の横行で歩軍統領衙門の明安が嘉慶七年にイリへ流罪となる体たらくだ。

皇族まで罷免して作った組織が機能しなくなっていくのは、加速していくばかりだ。

特に八旗人の賄賂の収奪が激しいと皇帝の耳にも届きだした。

朝陽門外には貧民宿もあり救済はされるが、行き届いた手当てが有るわけでも無く、乞丐(チィガァイ)のほうがましという者までが出る始末だ。

劉全が面倒見ていた貧民と乞丐(チィガァイ・乞食)は頭が幾人にも分裂して昔の様に丐頭(ガァイトウ)と勝手に名乗りだしている。

丐頭だって手下を養うには富商の懐だよりだ。

幾つの組織が言う事を聞いてくれるか誰にも分からないのが現状だ、

それなら水会(シィウフェイ)を作って普段から動静を探らせるという順天府の閻泰和の方針が結へ伝わり、その後任に章煦(ヂァンシィ・浙江銭塘)を順天府府尹(フィエン)へ押し上げる手伝いをした。

どうやら話が歩軍統領まで了解にこぎつげたが、章煦(ヂァンシィ)を湖北布政使へ送ろうとのうわさが出だした。

「任期途中ではあるまい」

本人は言うが一年を延長している今では七月まで任期を全うできるか不安定だ。

せっかく関元(グァンユアン)が阮元に手をまわし、呼ぶことに成功した人材を京城(みやこ)周辺から遠くへの赴任では、連絡もままならない。

此の男、嘉慶二十一年には七十二歳という老年で軍機大臣まで上り詰めた。

そののちも兵部尚書、順天府府尹を務め八十歳の長寿を保った。

 

「いま大理寺少卿の嵇承志が運動してるそうです」

「無錫(ウーシー)の出か」

「その男です。確か病気と聞いて居るのですが」

「とりあえず哥哥の耳に入れておくか」

「そうしましょう。今から行きますか」

平大人は控えていた費樂生(フェイユエシァン)に耳打ちして三人で西河沿いの道を東へたどり、途中費に合図して別れた。

「単牌楼までには追い付きやす」

「四牌楼で十分だ、無茶するな」

追いついてきたので興藍行(イーラァンシィン)で「哥哥のところへ来てくれと連絡してくれ」と伝えて先へ進んだが、角を曲がったら出くわした。

「なんだ、なんだ。今連絡とってくれと店で伝えたばかりだ」

「娘娘に届け物した帰りです」

「哥哥は居たかよ」

南の風に乗せて凧揚げに夢中だという。

「じゃご一緒に。廉(リィェン)さん、家に伝えておいてくれ」

「なんだい、権孜(グォンヅゥ)の哥哥の権廉(グォンリィェン)さんかい」

「左様で今どきは興藍行(イーラァンシィン)で手代を見習い中で」

「なんだ見習いとはよ。まぁいいや、一緒に来てくれ。うちの費に連絡させる」

「あっしに御用で」

「楊閤(イァンフゥ)と姻戚になったそうだと聞いて頼みごとが出来たんだ」

費は戻って連絡を付けてきた。

 

「なんだ水会(シィウフェイ)の事か」

「簡単に言いますが捨て金が出ますぜ」

右翼総兵は賛成に回ったと報告した。

海賊退治に火事場の面倒事かと哥哥ならずともぼやきたくなるが、何かといえば先帝の娘婿(皇帝の妹婿)は頼りにされる。

皇城を守るのも大事なら、公主、親王の府第も大事、民の家を火事から守らねば皇室関連の家にも被害は及ぶ。

上から行くか、下から行くかの違いで動きに変化が出る。

「皇城が大事と言っても入るに手間取れば役に立たんな」

「頭分には普段からお出入り勝手の腰牌がでなきゃ話になりませんぜ」

與仁(イーレン)達のいう事が本当だ。

火事の場合九門どこの門でも入れるのは難しくはない、問題は地安門、天安門。

そこを抜けても神武門、午門は警備が強(きつ)い。

西華門・東華門はまず無理だろう。

「今十箇所の予定を地安門外に二ヵ所組めそうか、神武門へ入れるのはその二組とすれば内務府で賛成するだろう」

娘娘も「それなら内務府の懐が痛まないので豐紳濟倫(フェンシェンジィルン)も反対しないでしょう」と言った。

権廉(グォンリィェン)が好い知り合いがいると大舅子(ダァーヂォウヅゥ・妻の兄)範文環(ファンウェンファウン)と踊っているかのような、浮いた名前の男を紹介するという。

鴨兒胡同(ィアルフートン)に簪兒胡同(ツァンアルフートン)の街に三軒の飯店を経営しているという。

二つの胡同は間に十一阿哥永瑆の邸がある。

前門大街に瑠璃廠西街とで五軒飯店をフゥチンが仕切り、自分はこっちへ暖簾分けして店を増やしたという。

権廉(グォンリィェン)は老大(ラァォダァ)や父親とは腕が落ちるというので修行に出たが上手くいかないという。

「こいつはね自信はないというより、味に凝り過ぎて経費倒れしたんですよ。老大(ラァォダァ)は自信を持てば街一番だというのですがね」

範文環に認められ妹妹を嫁に取らせて店を任せたがチィズ(妻子・つま)に死なれて落ち込んで店を範文環の娘婿に継がせたという。

弟弟(ディーディ)の権孜(グォンヅゥ)が心配して與仁に頼んだという事らしい。

老大(ラァォダァ)は権榮(グォンロォン)が名だが通称の兮(シィ)のほうがとおりがいい。

次男が権廉(グォンリィェン)。

三男に権洪(グォンホォン)。

間に大女儿(ダァヌーアル・長女)、二女儿(アルヌーアル・次女)。

四男に権孜(グォンヅゥ)。

哥哥は話を聞いて「親が付けた名前だが俺と娘娘でいい字をやるから、親に言って変えてごらん」

「どういう事で」

「廉の字だが親は安くていいものと付けたのだろうが。仕事を変える機会に鎌にしたらどうだ」

そいつは良い「武器にもなる鎌(リィェン)は火消しでも使っている。おまけに同じ音だから気にする奴は少なかろう」と平大人が中に入ってそういった。

明日ではどうかというので辰の刻に興藍行(イーラァンシィン)で待ち合わせすることにした。

「此処で待ち合わせすりゃいいじゃねえか」

「哥哥はそういいますがね。街の者には敷居が高い」

「與仁(イーレン)は最初から動じていなかったわよ」

娘娘は與仁がいきなり這いつくばって挨拶したのを忘れたようだ。

「娘娘はそうおっしゃいますが、そりゃお邸へ参上したのは旅の後だからですぜ。そんでも死ぬかと思ったくらい心臓がバクバク音を出しました」

「権廉(グォンリィェン)もそうなの」

今日来て半刻は生きた心地は無かったという。

「じゃここにいた間中そうだったみたいじゃないの」

其のとおりで今でも動悸がするというので哥哥に笑われている。

「興藍行(イーラァンシィン)で初めて会った時からへらへら笑いは與仁譲りだったぜ」

哥哥には大丈夫でもさすがに娘娘は気後れがしますと康演(クアンイェン)までが言い出した。

「哥哥は人たらしですから」

昂(アン)先生が「男、女に子供も警戒心を持ちませんから」と言った。

「聞き捨て為らないわ。私に人望がないみたいじゃないの」

「そこが認識の違いなんですよ。娘娘は自分では陽気で気が好い娘と思われていたんでしょうが、馬と違って人間の方は身分が先に浮かぶんですよう」

そういえば馬はすぐに娘娘に懐いて(なついて)しまう、馬丁が呆れるほど簡単だそうだ。

「哥哥だって身分が有ったわよ」

「そこが達人の凄いところでね。弱そうに見えて中身が出来ている」

ワイワイとやっていると申の鐘(午後四時三分頃)が聞こえてきた。

陽の有るうちにと今日は参会して範文環(ファンウェンファウン)にやる気が有れば権廉(グォンリィェン)も引き受けるという事になった。

「廉(リィェン)、お前さんが引き受ければ向うともという事に出来ないのか」

「前のチィズ(妻子・つま)の哥哥でね。昔から頭が上がりませんや」

康演はそんな二人で大丈夫かと不安だったが平大人は男を気に入っているようだ。

「一度家に戻ってすぐに話に行ってまいりやす」

動きはいい様だと康演も任せても良いかという気になってきた。

鴨兒胡同(ィアルフートン)に簪兒胡同(ツァンアルフートン)は菓子市が立つ繁華な場所で、徳勝門から鼓楼へ続く賑やかな道筋だ。

興藍行(イーラァンシィン)の前の小豆腐巷(シァオドォフゥハァン)から男の足で四半刻もあれば十分行き着く。

 

二人と別れて三人で崇文門を出て幹繁老(ガァンファンラォ)まで来たら陽が落ちかけている。

「信(シィン)様に挨拶して別れよう。お前の方はいいのか」

「戻り路だ。夕飯は親父と食べると伝えてくれ」

費に行かせて食事は先に済ませるように伝えさせた。

「おい、しまった。軍師を忘れた」

「明日の約束もあるじゃないですか。人払いで四人で相談しましょうぜ」

「其れでいいか」

二人で笑いながら入り口を入ると、関元がそこにいたので信(シィン)へ取次ぎを頼んだ。

降りてきて信(シィン)はいきなり仲居に「二部屋取れるかい」と聞いた。

うなづいたので平大人に「夕飯は」と聞いた。

「親子で食うつもりで隣には先に済ませるように言いつけました」

「ちょうどこちらも始める所ですから久しぶりに四人で食べましょう」

信(シィン)は降りてきた趙(ジャオ)哥哥こと趙延石(ジャオイェンダァン)に「二部屋に分かれるよ。四恩には庸(イォン)さんが言うようにいくらでも好きなもの頼んでいいと伝えなよ。こちらは康演さんに任せるから」と頼んで二部屋に分かれた。

一部屋でと、さっきまで思っていたが二部屋のほうが四恩が遠慮しないと見たようだがそれでも念を押す気配りはあるのだ。

庸(イォン)に四恩と降りてきた湯晨榮(タンチェンロン)のチィズ(妻子・つま)は趙(ジャオ)哥哥の大女儿(ダァヌーアル・長女)で、中々の強面(こわもて)だ。

その男が四恩の大食いを自分の事のように喜ぶので、趙も煩く(うるさく)は言わない。

部屋を分かれて注文も手早く済ませた康演は「四恩というのは何者です」と興味がわいたようだ。

「母親は鹽問屋の曾驍霖(ツォンシィアリィン)の妹妹ですよ。勉強嫌いで奉公人の方が好いとやってきました」

蘇州で景延(チンイェン)の驕りで陽澄湖(ヤンチェンフー・イァンチェンフゥ)の蟹をむさぼったと信(シィン)は身振り手振りで親子に話した。

「蒸した蟹を五杯もむさぼり、早々と脱皮した蟹のから揚げも三杯食べた」

関元から数を聞いてあきれている。

「関元さん。あのあとで阮繁老(ルァンファンラォ)で残ったと料理人から聞いて景延さんが呼びに来たんだ。仕事終わりに繫絃(ファンシェン)飯店で芳(ファン)と映鷺(インルゥ)の親子のご相伴で唐揚げを五杯食べたのさ」

「知りませんでした。蟹を合計十三杯ですか」

大食いは喜んで食べさせる人と嫌がる人がいてつり合いが取れている。

「おい、関元そのくらいで驚いちゃ笑われるぞ。寶燕(パオイァン)の話じゃ去年の十一月に百十杯食べて見せたやつがいたそうだ」

「媽媽(マァーマァー)がですか、老爺(ラォイエ)の方ですかね」

「そうだ。呆れていたぜ。賭けをして百で支払いのほかに銀五十銭貰う約束だったそうだ」

「百とくりゃ老爺(ラォイエ)の店でも銀で十両はとられる」

甫寶燕(フゥイパオイァン)は関元の媽媽(マァーマァー)で実家は飯店を営んでいる。

卓に料理が並んで大いに食べて話は弾んだ。

関元は四恩について「フゥチンが雇った高(ガオ)の後釜ですよ。ついに目が見えなくなったというので医者を紹介したら高麗の人参(インサム)を勧められてね、高いのを手に入れて飲ませたら三日で目が見えるようになりました。野菜をもっと食えと医者が言うので嫌いな胡夢卜(フールオボ・人参)の湯を娘に届けさせて、毎日飲まさせてます」と高の近況も伝えた。

「お酒はどうします」

康演は頼んでいないので信(シィン)は気にしている。

「たまには抜くのも医者が勧めます」

親子は王神医(ゥアンシェンイィ)に大分脅かされているようだ。

普段は鱶鰭(ユイチー)も干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)も頼まない信(シィン)に合わせて注文している。

 

正月二十九日朝も暗いうちに康演(クアンイェン)が新館へやってきた。

親子で粥を食べ終わると身づくろいをして豊紳府へ向かった。

哥哥は庭で今日も凧揚げをしていた。

「なんだ、こんなに早くどうかしたのか」

「いえね、昨日は人が多くて話が中途半端でしてね」

「信(シィン)のことかい」

「こりゃ察しが好い」

二人は哥哥だけのことは有ると思った。

「今降ろすから娘娘のところで待っていてくれ」

感が良過ぎるのが欠点だなと親子で眼を見かわした。

娘娘のところで朝の挨拶をかわしているとさっそうと戻ってきて椅子に座るのを待ちかねて康演(クアンイェン)が口を切った。

「お人払いを」

娘娘は表と裏で人が来ないようにねと立ち番を言いつけた。

「信(シィン)様は自分も海賊退治に出たいというのですが。手の内の水夫も軍師もいない今は無理だと申し上げておきました」

「若いから人の活躍が羨ましいのね」

「其れとは違い役に早く立ちたい気持ちの様です。それでご承知おきして頂きたいことが出来ましたでこうして親子で参りました」

二人の神妙な態度は観たことがないので哥哥も娘娘も緊張した。

「軍師に推薦するのは和人、叶庸介で庸(イォン)という名が通りなの叶庸(イエイォン)と申します」

何を言い出すかと思えば海賊退治に銭五が送り込んだ男のことだという。

「今はまだ関元と行動を共にしている若者ですが、落ち着きと云い剣の腕は一流です。これで船戦の機微を学んでくれれば信(シィン)様の軍師に最強と思っております」

「今どこにいるの」

「信様たちと京城(みやこ)へ来ております。明日お供に来ますので適任の男か見て頂きたいのです」

二人の説明を聞いて公主は「関元以上の素質があると思えるのですか」と身を乗り出した。

「フゥチンも私も理財を関元に学ばせている最中です。理性は関元以上と思いますしただの忠誠心だけで信(シィン)様の周りにつかれても困ります」

「どういうことか分からないわ。時間頂戴」

公主は思案顔で椅子の周りを歩いている。

哥哥が抱き寄せて「時間が必要だという事だよ」そう優しく耳へささやいた。

「軍略に財務を二人に勉強させるという事でいいな」

「其の通りです。時間が必要で、時期が来たら哥哥に附いた昂(アン)先生のように、信(シィン)様に付いてもらいます」

「話の様子だと庸(イォン)さんは生真面目らしく聞こえるわよ」

昂(アン)先生とは違うと娘娘は言いたいようだ。

「まず会ってみて、話してみて、其れで根性があるか試すしかないようだ」

「明日根性を試すんですか」

「娘娘に挨拶しておどおどしなけりゃ及第だ」

「意地悪な人」

その言葉で場が和んで「今日は水会(シィウフェイ)も落着すれば胸のつかえもなくなります」そう言って二人は興藍行(イーラァンシィン)へ向かった。

 

第三十六回-和信伝-伍 ・ 2023-01-21

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   

 

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

     
     
     

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  





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