三月二十一日(1814年5月10日)・五十四日目
船宿から見ると奉行所方向が明るく為りだしてきた。
卯の刻の鐘(四時十五分頃)で起きて顔を洗った。
女中が三人来て顔の髭をあたってくれた。
四郎が三人へお捻りを渡した。
「四郎殿も拵えたのかね」
「兄いに頼んで持ち分を包んでもらったよ」
船宿の澤田喜助の朝は宿屋飯とは思えぬまともな一汁二菜が出た。
三人でだいぶ飲んだが銀八匁だという。
「四両あれば三人でひと月居座っても大丈夫だ」
四郎は支払うと主に居座りたい位だと言っている。
次郎丸は“さわや”が懐かしいかとからかった。
次郎丸の時計で六時に宿を出た。
三軒屋まで来ると雲が広がってきた。
「雨に為らなきゃいいが」
「白いから大丈夫ですよ」
新兵衛は天候も読めるのだろうかそんなことを言う。
橋姫で時計を見ると八時十分「路に為れたか大分早く戻れたようだ」とつぶやいた。
“ きくや ”では未雨(みゆう)が廊下で本を広げている。
「三人は飽きずに出て行きましたよ」
「商売に為りそうなのか」
「宇治ではここ数年二万三千斤あまりの碾茶生産だそうで。宇治郷全体の半分が碾茶だと言っていましたよ」
「ここらは大目だろ三万五千貫に届かないのか」
「高級品ばかり作りたがるそうでね。幸八や藤五郎の手に余るそうですぜ」
今朝早くに迎えが来て小倉村へ向かったという。
「なにかい太吉さんよ。煎茶を銀二匁で半斤袋(ふくろ)四袋(たい)ひと包み、そいつが五百有るというのかい」
「売りそこなったそうだ。代官の手代の話では相手が素人で、山目取引したつもりというんだ」
太吉は昨日知り合ったばかりだが幸八が見世の名を記憶していた。
宇治茶に紀州鰹節や摂津の海苔を扱う店で“
正 五
郎 ”へ荷が来るという。
「耳よりの話が有ったら教えてくれ」
昨日そのように頼んだばかりだ。
宇治茶は大和目より多い大目の一斤二百匁だ、山目だと二百五十匁、二割も違えば話はかみ合わない、おまけに茶は季節で重量に変化が出る。
「この時期は袋ごとで大和目に見てくれと言ったら、結局喧嘩別れだ。お代官も手におえない相手で引きさがるしか無いのだ」
小倉村木下吉右衛門はやせ形の眼光の鋭い老人だった。
「大野屋さん、その人達かい」
「そうだよ。酒田の人たちで向こうへ送れるものを探しに来たんだ」
「こっちのいい値で買うというんだね」
昨年の袋詰めなら最悪大和目迄我慢すると藤五郎と幸八が請け合った。
「今持っているのは一分金二十五両の封金だが、銀に両替してくるか六十匁で良いからそれで受け取るかだけだ」
銀千匁は金十六両と銀四十匁だが、堺から酒田へこっちで手配するか請け負うかも決めてほしいとこれは兄いが大野屋太吉に相談した。
二十五袋(たい)茶箱入り二十箱を見せた。
渋紙包みじゃないんだと聞くと、箱入り注文だったという。
おお秤で新兵衛が指名した箱を量り、茶を取り出して箱の重さをはかった。
この家が村の茶師の元締めの様だ、釣秤も三種置いてあった。
「袋も入れて十貫六百五十匁だ、中身五十斤、大目で十貫匁だから十分だな。大和目勘定袋込みだと言えば大負けで済む量だ」
茶箱が八斤、茶が五十斤の五十八斤が二十箱に為る。
「茶より送料がかかるな」
藤五郎と幸八はそっちの心配だ。
大野屋太吉が幸八藤五郎と三人で、残りの十九箱を次々秤にかけて「ふり幅が百二十匁だ」と満足したようだ。
藤五郎が符丁を書いて中へ入れ、太吉がすべての箱、四面に封印をした。
「ひと箱二両で送れるが、俺の見世まではそちら持ちで運んでくれるかい」
吉右衛門が今日中に持っていくというので、兄いが藤五郎と幸八に茶代を支払わせた。
送料の二両は安いと兄いは思っているようだ、四箱ひと梱で船へ積むという。
「送料は太吉さんの見世で渡すよ。それともここで渡そうか」
「受け取りを書くから見世の方がいい、百六十枚も一分金持たされたら歩くのも嫌になる」
吉右衛門は「十斤五匁の安茶を持ってるのが居るんだが、買って貰っても送料で偉く高い茶に為りそうだな」と大笑いだ。
茶代の受け取りを貰って平等院南門傍の大野屋太吉の見世へ向かった。
途中代官屋敷で新兵衛に受け取りを出させて取引の報告を出した。
これで新茶抜け買とは誰にも言われない。
「明後日には伏見で積み替えて、難波は四月一日の船だ」
「おいおい、荷送りが大分あるようだな」
太吉は船の予約の荷に隙間が有るんだという。
藤五郎が荷受人“ 酒 田 湊 正 五 郎
内 庄 五 郎 ”荷出人“ 酒 田 加 藤 藤 五
郎 駒 井 幸 八 ”と書いて渡した。
「町中は活気がないな」
「茶師でも有名どころは顧客が付いてるが、俺たちの様な店が少なくなった」
「人が少ない気がする」
「百年前は今の倍は居たそうだ。宇治以外でも茶の畑が増えたからな」
「手を広げる気が有るなら伏見、大津へ連絡所出して、茶の取り扱い始める人を紹介するぜ」
「噂は出ているが大丈夫なのか」
「加賀の高田屋嘉兵衛に銭屋五兵衛が乗り出すそうだ。金主元は大坂の茨木屋」
「大分おお掛りの様だ」
「これから木を植える分で一万斤、後摘みを売る茶商からは二万斤が目途だそうだ」
三万斤を売る相手が居るのかと不審げだ。
「加賀を真ん中に出雲から蝦夷地までの大きな湊ごとに下話は進んでいるそうだ」
「酒田もか」
「五千斤までなら引き受けると十軒の茶商も乗り気だそうだ。明日には江戸へ向かうのでやる気が有るなら伏見の連絡場所を教えるから聞いてごらんよ。もう人が来ているころだ」
茨木屋は大津、伏見、淀へ連絡所を開く場所を確保してある。
銭五の方は小浜、熊川、今津、大津だがまだ場所の確保が出来ていない。
懐紙に“ 茨木屋伏見店せいきち様へ 宇治大野屋太吉さまを紹介いたします 酒田湊正五郎と取引も有りわたくし新兵衛とも取引が有りますのでご紹介します 甲戌三月二十一日 駒井新兵衛拝 ”と書いて渡すと手控えから所書きを別紙に写した。
“ 伏見中油町 茨木屋出店 ”
宿へ戻る途中幸八は「兄貴、簡単に紹介して良いのかよ」と聞いてきた。
「あれわな。噂を広げておけば銭五さんたちの仲間へ入りたい。家の茶を扱ってくれと言う人を呼び込む誘い水だ」
「そうか、それでさっき話しに出た安茶の行先が出来るかもという事か」
「“ 待てば海路の日和あり ”さ。買いたたけば恨みも残る、言い値で買って儲けを出す。信様がそう言っていたよ。俺や若さんまだそこまで錬れていないやとつくづく思ったね」
「若さんですか、誰が見ても非の打ちどころが有りませんぜ」
「あれで、四郎さんより気が短いぜ」
二人は信じられんという顔だ。
「優しいだけで俺や猪四郎が信奉するわきゃないさ。欠点が有るから付き合えるんだ。味方どころか敵(あだ)まで友達だ、度胸が良すぎるのが一番の欠点だな」
“ きくや ”へ戻ると新兵衛は廊下で正座して本を読んでいるが、次郎丸と四郎は陽の当たる所で寝そべって本を読んでいた。
「買えたのかよ」
「なんで知ってるんで」
「藤五郎の顔に書いてある」
三人で顔を見つめあって噴出した。
「銀千匁で煎茶千斤、茶箱二十箱分買いましたぜ」
「酒田送りは高いだろう」
「ひと箱にすれば二両の送料でした」
「大分安いな」
「四箱ひと梱だそうでね。八両は宇治からなら安いですね。酒田の正五郎とも取引が有るんで安く受けたんでしょう」
「若さん両替しないで一両六十匁でと言うのが効くようでした」
「じゃ、湯浅とほぼ同じで送れたという事か」
コンプラひと梱百二十本で銀五百匁の送料だった。
両替屋は一両を銀六十匁から六十四匁で両替するが土地によって手数料が違うし、相場も違う。
未雨(みゆう)が本を抱えてきた。
「大分昔の俳諧本も有りましたよ」
此処の先代が集めた本だという。
「こりゃ今日中にゃ無理だ」
雍州府志の十巻本も有るが次郎丸は脇へのけた。
幸八は都名所図會五巻本を見ている。
「兄い橋姫はどの巻だい」
「五巻に宇治近辺が載せてあるよ」
すぐに宇治橋の画を見つけた。
「通ったのは住吉に、離宮の神、だけど橋姫は嫉妬に狂った妻で、どの神かこれじゃ解らないと為っていますぜ」
「だから読み本が氾濫するんだ。渡辺の綱にひっかけたりいろいろ作れるからな」
頼光四天王はかっこうの英雄譚だ。
大江山酒呑童子討伐から始まる物語は何百年たっても色あせない。
渡辺綱(わたなべのつな)一条戻橋の上で茨木童子の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした。
この話と橋姫を繋げる絵も多い(宇治の橋姫-渡辺之つな-奥村政信画など)
坂田金時(さかたのきんとき)金太郎伝説・歌舞伎などでは息子の金平が大活躍する。
碓井貞光(うすいさだみつ)碓氷峠に巨大な毒蛇が住み着き大鎌をふるって退治。
卜部季武(うらべのすえたけ)今昔物語集“
頼光の郎等平季武、産女にあひし話 ”
他に豪傑譚には藤原秀郷(俵藤太)の百足退治なども有る。
時々娘が菓子や茶を運んでくる。
新兵衛も本好きの様で飽きは来ない様だ。
「幸八殿、今読んでいる“
洛陽名所集 ”巻六に出ているからそこから都名所図會は写したようだよ。
本のその分を差し出した。
「此の社は、橋の西のつめ也。姫の大神は宇治玉姫とも云。離宮神、夜橋姫にかよへる時、暁ごとに波に声きこゆるとぞ、また一説に住吉明神宇治の橋守神と通いたまふとなり。どっちが通ったではなく二つの説が有ると出てますね。万治元年て何時ごろですかね」
「百五十年ほど前だな。昔の宇治橋は十三重塔石塔の場所に掛かっていたと東海道名所記に出ていた」
幸八にその本も寄越した、丁寧に付箋が挟まれている。
「万治三年と。ここの爺様はずいぶんと古い本も集めたようですね。若さん見ましたか」
「いや、その本は見たこと無いな」
四郎が「幸八っあん。ここにも出てたがおんなじだ」と“
出来斎京土産 ”巻七をわたした。
「延宝五年と、これは万治のまえですか、後ですか」
「順を言えば明暦、万治、寛文、延宝だな」
天和(てんな)、貞享(じょうきょう)、元禄と新兵衛が続けた。
「元禄より前ですかそりゃ古い」
元禄は十七年まで続き、百十年前に為る。
「若さんは雍州府志を好みませんが橋姫は出ていましたか」
「覚えがない」
“ 山城名勝志 ”を読みながら「瀬織津比咩が祭神と云うのが見当たらない。どこで見たのだろうかな。聞いただけなのか思い出せんのだ」と不満足の顔だ。
「この巻十七には号姫大明神だと出ていて住吉明神の事は隆縁伯耆と言う人の歌だと出ている。顕昭の袖仲抄ではこの住吉明神説は否定していたように思う、隆縁伯耆の歌と言うがこの人に覚えがない」
橋姫の物語は古く宇治十帖から混同しているからとあきらめ顔だ。
“ 橋姫の 心を汲みて 高瀬さす
棹のしづくに 袖ぞ濡れぬる ”
「それが源氏物語に出てくる歌ですか」
「薫から大君への贈歌とされているよ。返し歌も有るよ」
“ さしかへる 宇治の河長
朝夕の しづくや袖を 朽たし果つらむ ”
「船で聞いた和歌と関連でも」
「古人いわく、古今の詠み人知らずの“
さむしろに ころもかたしき こよひもや われをまつらむ うぢのはしひめ ”を基に紫式部か誰かが此処へ入れたようだ」
「紫式部が書いたんでしょ」
「写本しかないからな。俺ならもう少しいい話に出来ると思った暇人が居たと思うんだがね」
「若さん素直じゃないですね」
「新兵衛殿、俺が猜疑心深くなったのは兄いの新兵衛のおかげさ」
「またおれのせいにして、この手で本探しをもう十年もやらされているんだ」
皆で大笑いだ。
「源氏の歌の元に為るのはほかにもありそうですね」
「あるあると言いたいがね。後ひとつしか知らないのだ。後追いなら数知れずというくらい出ていた」
“ わすらるる みをうぢばしの なかたえて ひともかよはぬ としぞへにける ”
「これも詠み人しらずとされている。古今は源氏より百年は古いし、伝説が多すぎて混乱するばかりだ。平家物語の橋姫なんざぁ能の金輪にそのまま取り入れてある」
「牛の刻参りですね。本気でお参りする人もいるそうですね。貴船の神様も困るでしょうね」
「伝説と伝承、昔話と読み本。区別は難しい」
“ これをくわしく尋ぬれば、嵯峨天皇の御宇に、或る公卿の娘、余りに嫉妬深うして、貴船の社に詣でて七日籠りて申す様、「帰命頂礼貴船大明神、願はくは七日籠もりたる験には、我を生きながら鬼神に成してたび給へ。妬しと思ひつる女取り殺さんとぞ祈りける。明神、哀れとや覚しけん、「誠に申す所不便なり。実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬れと示現あり。 ”
次郎丸は一節を読み上げるようにすらりと吟じた。
「この後が渡辺綱の髭切へつながるんですね」
「そうだよ安倍の晴明迄曳きづり出す騒ぎだ。だが鬼女の誕生は嵯峨天皇の御世と百年以上前だとされている。不思議だろ」
「そうか平家物語読んだとき連続した時代と思いましたよ。百年以上潜伏していたんですね」
兄いは「此の調子だから読み本読むたびに時代考証の本探しだ。酒田のおやっつぁんの分とで息つく暇もねえ。平家物語だって異本ばかりで取り留めもねえ」と嘆いてみせた。
「髭切は良いが膝切の行くえも有ったですよね」
“ 相模国曾我十郎祐成、同五郎時宗が、親の敵祐経を討ちける時、箱根の別当行実が手より兵庫鎖の太刀を得たりければ、思ふ様に敵をぞ討ちたりける。
この太刀は、九郎判官の権現に進らせたりし薄緑といふ剣、昔の膝丸これなり。親の敵心のままに討ちおほせて、日本五畿七道に名を揚げ、上下万人に讃られけるも、この剣の用なりとぞ聞えし。その後彼の膝丸、鎌倉殿に召されけり。鬚切・膝丸一具にて、多田満仲八幡大菩薩より賜りて、源氏重代の剣なれば、暫く中絶すといへども、終には一所に経廻りて、鎌倉殿に参りけるこそ目出たかりける様なりけれ。 ”
「判官殿が手放したせいで運が逃げたという話に仕立てられているよ」
「二振りは鎌倉殿が持った後どうなりました」
「新兵衛殿なんと江戸に髭切が有ると伝わっている」
「本当ですか」
驚いたようでにじり寄ってきた。
「最上家と言う寄合旗本の家に伝わるそうだがね。髭切、鬼丸と言われている」
「本物ではないとお考えで」
「鎌倉北条氏に伝わり、新田義貞公鎌倉攻めの時手に入れ、最上氏へ伝わったと聞いた。膝切は鎌倉崩壊の時に燃えたらしいのだが、箱根権現は此処にあるのが本物の“
薄緑 ”で膝切、膝丸であると言っている。有徳院様が調べをしていないのは信じていなかった様だ」
「御調べになさっておられない」
「“ 享保名物帳 ”や大殿の“ 集古十種 ”に鬼丸別名鬼切丸が有って、北条得宗家から新田、足利と伝わり権現様の手に入ったというが国綱の銘が有り時代が違うようだ。本阿弥家がお預かりしているとあった」
「その刀も鬼を退治したのですか」
「いや伝承では得宗家で夢のお告げがあり、抜き身で置いた刀が火鉢の細工物の鬼の首を切り落としたという少し怪しい話だ」
「なぜ本阿弥家へ預けっぱなしですか」
「得宗家、新田、足利、太閤と持ち主が没落しているので台徳院様が嫌ったと伝わっている」
得宗家は北条氏執権、台徳院は徳川秀忠。
「読まれたのですか」
「特別に監視付きで拝観した。三人選ばれ午前二刻、午後二刻それも自ら頁を繰るのは許されなかった」
「覚えたのですか」
「飛ばし読みだ。十本だけ興味を持った。その中に鬼丸が有っただけの事だ」
“ 刃長二尺五寸八分五厘物打ちに一つ刃こぼれあり ”
新兵衛は何ゆへ藩公迄もがこの人を特別に扱うかの一端を見た思いがした。
「おいおい、橋姫からとんだ刀詮議だ」
菓子ばかりで腹が膨れて昼も食いそびれたと笑い出した。
「本はあきらめて饂飩へ行きますか」
そうしようと七人でうどん屋へ出て遅い昼とした。
「最近鱧に穴子で鰻を食わないな」
「巨椋池では三年物など大きいのも取れるそうですぜ」
珍しく藤五郎が食い物に食いついた。
「今晩に間に合うか頼んで見るかい」
「庭の池で泥を吐かせていますぜ。三か所で二百は居ましたぜ。蓮池は鯉でした、下は石畳で蓮は壺に植わっているそうでね。近くの料亭に卸すんだそうですぜ」
藤五郎何時の間にやら聞き出していた。
「料理旅籠と言うだけのことはあるようだな。藤五郎はなんで食べたいと云わなかったんだね」
「あっしゃ鰻は好きな方じゃないんで。付き合いで食うくらいです」
「穴子や鱧はだいぶ喜んでいたが」
「特に穴子がいいですね」
“ きくや ”の女将に言うと「江戸風に蒸しますか、上方風に焼きますか」と言うではないか。
「どんぶりは上方風、皿に江戸風」
四郎が口を出した。
「そんなにお好きなら京(みやこ)風のいかだで白やきもさせましょうかいな」
「そいつも行こう」
“ いしまろに われものもうす
なつやせに よしというものぞ むなぎとりめせ ”
次郎丸が歌を詠むと、女将がぷっと吹き出してしまった。
「ほんまいけずやわ。痩せるには川で鰻でも追いかけるようでっせ」
“ やすやすと いけらばあらむを
はたやはた むなぎをとると かわにながるな ”
「若さんのいけずは年季もんだすえ」
聞いていた娘が口を挟んできた。
その晩は瀬田蜆の味噌汁に鰻が幾種類も出てきた。
川海老の素揚げに茄子の煮物、小蕪の蒸し物。
「この山葵と醤油で白焼きをおたべ」
娘が藤五郎に すりたてを出した。
「うーむ、紀州様がこれを見たら怒るな」
「どうしました」
「昨晩は、ご相伴したが、豆腐の吸い物、瓜の漬物、鮎の塩焼き、茄子と小芋の煮物。それだけだった。鱧寿司でも付くかと思ったが出なかったぜ」
「若さんだって江戸にもどりゃ鮎が鰯に化けますぜ」
「だからぶらぶら出歩きたくなるんだ」
そうそう、鰻だが途中であった老人がと話が横にそれた。
「その男が言うには俺らの生まれる少し前、天明の終わるころに鰻のかば焼きが開いて蒸しをかけるようになったと言っていたぜ」
未雨(みゆう)は「わっしが江戸へ出たのが天明四年、確かに鰻を裂いてる屋台は見なかったですぜ。人足たちと十二文で二本つつっぽうを食いながら酒を飲んで三十六文、稼ぎの半分消える日もありやしたね」と懐かしそうに語った。
「六文ひと串は安いな」
「だって醤油どころか塩焼きでしたよ。稼げるようになって嫁と大国へ行けるようになったときは二百文の大串食っても安いもんだと思えてね」
「今でも二百文出せば大店でもいいものが出てくる」
両国も川向こうなら、二百文あれば小座敷で酒を飲んで上の鰻丼が食べられると兄いが身を乗り出した。
「猪四郎は最近旅鰻が増えたとぼやいていましたぜ」
娘が「鰻が旅するんですのん」と驚いている。
「そうだぜ、浦安、牛久から船に乗ってやってくるんだ」
鰻の旅姿でも想像したようで娘は笑ってしまった。
「京(みやこ)の鯖だっておぶさってくるだろうに」
「よその土地で取れた物という事ね。鯖は京(みやこ)じゃ取れないから全部旅の物に成るのね。鱧に穴子も同じ旅の物。鰻くらいね土地の物は」
「おりょうさんは分かりが早い、良い女将さんに為るだろう」
すかさず藤五郎は褒めている。
「鰻は高い店が増えたが鰌は相変わらず安いな」
「兄貴と入ったのはだいぶ前だ」
「鯉金ぶん投げた時が最後だ。あの後は猪四郎に鰻をご馳に為った」
「十二人が鰌鍋で酒を飲んでも二両で釣りが来た」
「それって随分高いわ」
「飲んだ酒の量がすごかったのさ、あいつら底なしだ。おまけに勝手に普段食えないいいもの頼みやがった」
「卵焼きに、店へ言っていつの間にか鮓まで並んでいたのには驚いたよ」
幸八が「若さんのどこが気が短いんで。普通ならおこる話ですぜ」と振ってきた。
「お前今の話よく聞いていないな。鯉金ぶん投げたのは若さんだ。喧嘩相手でも気を許せば勝手を仕手も笑ってくれるのが若さんだ」
新兵衛は「幸八さんに昨日付いてきてもらえばいい芝居が見せられた」と大笑いだ。
「何かもめごとでも」
「お小姓の一人がな約束前に訪れたのに遅いとごねたんだ」
「身分の高い一族ですか」
「親は五百石取りの用人だから、いい家には違いない。若さんさっさと帰ろうぜと草鞋を履いた」
「四郎さんもですか」
「そういゃ四郎さんはもう式台にいたな」
「どうなりました」
「わしが襟元引きずって謝らせた」
「新兵衛さんも気が荒いじゃないですか」
「殿さまが扇子で手招くので仕方ないから部屋へ通ってもらった」
無事に済んだのと女将とおりょうや女中は不安げだ。
「殿さまが三郎を叱る前に若さんが許して下さいと頼んでくだされたので、殿もご機嫌で夕食の相伴をと、お二人で別間へ」
皆一様に驚いている、先ほど次郎丸が「ご相伴」と言ったのは御家来方一緒と思っていたようだ。
鰻はいまいちなど言っていた藤五郎さえ、皿も丼も綺麗に片づけた。
「紀州から来た小夏という水菓子です」
五個を盆に乗せてきた。
「宇治まで来ているのか」
新兵衛が驚いている。
「伏見へ二籠入った中から二十買い入れました」
「湯浅で二房食べて以来だ」
「七人と四人で十一人、三個しか有りませんでしたからね」
新兵衛も実が成ってる畑を見たが食べろとは言ってくれ無かったと笑わせた。
未雨(みゆう)の咽喉がごくりと鳴った。
「まぁ、師匠」
「いやはや歳を食っても食い意地はなおらぬ様だ」
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