第伍部-和信伝-壱拾壱

 第四十二回-和信伝-壱拾壱

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

京城(みやこ)では相変わらず徐頲(シュティン)はのらりくらりと日を過ごしていた。

旅費は公費でまかなってくれたし(実はただ乗り)、泊る宿は只の可能性濃厚。

嘉慶六年辛酉、嘉慶七年壬戌は会試覆試で振るわれた。

体調不良で上手くしゃべれない、試験のせいではない。

今回挙人覆試は一等の仲間入りだが、三月二十日からの会試は前の経験から体力勝負と思っていた。

学力はそれほどの差はなく何が試験に出るのか運しだいだ。

明日は会試の三月十九日の朝、京城(みやこ)は大雪になった気がする徐頲(シュティン)だ。

穀雨が近いのに何事だと仲居が騒いでいる。

「勘弁してくれ」

江南の温暖な地で育った徐頲(シュティン)は寒さが苦手だ、前二回も貢院の寒さが響て体調を壊しての会試覆試だった。

江南の地の穀雨は汗ばむ日もある。

火の気の少ない貢院で、前にも寒さに負けそうになった経験がある徐頲(シュティン)は、試験より天候の方が気になる。

「辣椒(ラァーヂィアォ・唐辛子)が好い」

江南より南の地から来たものには服に粉を挟んで臨んだものも居た。

「一番は耐えること、余分なものは持ち込まない。たとえ紙一枚でも」

経験値だ。

徐頲(シュティン)の大雪は大げさだと激励にやってきた高信(ガオシィン)は大笑いだ。

有難いことに午の刻には陽が出て雪は跡形もなく消えた。

「何かの前兆」

ヌゥーヂゥーレェン(女主人)は心配そうだ。

高信(ガオシィン)は「こいつが状元にでもなる前知らせだ」とにやにやしている。

徐頲(シュティン)は前の二回なぜ会試覆試で三等に入らなかったのかを考え、京城(みやこ)へきて服装を改めることから始めた、華美ではなく落ち着きのあるものを選んだ。

そういう服は高くついた、それで銀(かね)が大分出て行って懐は寂しい。

幹繁老(ガァンファンラォ)へ、昼飯をたかりにくるものも十人ではきかない。

同じような家族を故郷に残して出てきた者たちだ。

いよいよ二泊三日の貢院会試で泊まり込みが始まる。

布団に板など持ち込んであるものすべては使う前に検査する、ここに賄賂が発生して今では厳重になった。

厠所(ツゥースゥオ)へ行くとき帰るとき、ここまで調べるかというほど厳しい、小水は小桶が持ち込めるが壺には許可は出ない。

前に試験官(知貢挙)が厠所(ツゥースゥオ)へ行く男の答案に印をし、提出時に読まないことが発覚し、遠方へ追いやられた事すらもあった。

 

食事が大変だ、湯を沸かして暖を取らないと体がもたない。

前の時は一回目の三日間で体力を消耗し、二回目はフラフラで貢院に出てきたものも多く見ている。

其の時見た男は二甲に選ばれたが、その年の夏に過労で亡くなったと聞いた。

そういうやつに限って試験問題は簡単なようだ。

五経など本を見なくとも暗記した文章をすらすら書く奴は大勢みてきた。

 

二十五日寅の刻、薄暗い中(午前四時頃)、汕頭(シャントウ)を出帆。

韓江(ハァンジャン)の河口沖で下って来る船を待つため、船団は速度を落としていた。

龍莞幡(ロンウァンファン)の三艘に続いて四艘の五百石くらいの商船が続いて出てきて並走してきた。

莞幡(ウァンファン)が話筒(フゥアトォン)で「福州(フーヂョウ)まで同行させろと潮澄商船から言われた船だ」と同行許可を求めてきた。

「潮澄商船」は広東省潮州府所属の商船だ。

南京船十艘が莞幡の指揮下に有る、先頭が護送船の新船で船主は関元、船長は段寛彦(ドォアンクァンイァン)三十二歳。

陳聯壟(チェンリィェンロォン)水夫長は四十過ぎの武骨な男で新造船の船長の指南役だ。

陳は船長の指示で信号旗を上げて六番船の次へ、七艘を順次入れさせた。

護送船の前に入れる判断は訓練の賜(たまもの)だ。

指示を受けるのが莞幡なので手慣れた様子で速度を調整させて一列になった。

なまじ二列にするには二十丈以上横に膨らむ必要がある。

海賊と遭遇した時、沿岸近くだと浅瀬に乗り上げる危険もある。

縦なら十丈で済むし、二列になるには取り決めで偶数艦が右へ出る決まりだ。

二十六隻に増えた隊列は長いが、後ろから襲われた時の為に弩(ヌゥ)装備の充実した南京船五艘が護送船の前に置かれている。

七番船は護送船だったが順次数字が変更され十四の旗印に替えた。

仕組みは莞幡と莞絃(ウァンシィェン)が考えた。

言わばお客様を護送船の前に入れることは、遠目にも見える片舷三門の砲は信頼関係が生まれる。

 

康演(クアンイェン)は前の新造護衛船を指さして江淹(ジァンイェン)に愚痴っている。

砲片舷六門装備で計画したが許可は全部で六門と減ってしまった。弩(ヌゥ)は六台と云うので、それ以上は予備ですと倉庫に入れておくしかないのだ

「この船は表に弩(ヌゥ)四台だぜ。なぜだ」

「使い方も知らないくせに」

「教えりゃおぼえる」

「上海(シャンハイ)から天津行きの船が出るから指南役を送り込んでやるよ」

「その前に海賊出たらどうするよ」

「そんときゃ俺を見習えばいいんだ」

「いまは駄目か」

「矢の数が少ないんだ、海の上で補充しろというのか。八十本やっと都合したんだぞ」

「けちくせぇ」

「ひと矢千二百文(銭)演習で一台十本銀(イン)十二両、銀(イン)を出したきゃ百でもいいぞ」

「江洪(ジァンフォン)に出させる」

「ケチくせぇ親父だ」

「もっと安く作れねえのかよ」

「へなちょこで戦えるか。飛びゃ良いというわけじゃねぇ。舟板ぶち抜くようでなきゃ無駄矢になるだけだ」

「結はいいよな。銀(かね)が豊富にあふれてる」

「お前も入りゃいい」

一瞬眼が見開いたが「おれがか」と言って天を仰いだ。

「そいうことか」

「理解できたか」

「老大(ラァォダァ)とお前か」

「あと天津(ティェンジン)で紀経芯(ヂジンシィン)達もいるぞ」

「おりゃ、年食ってる」

「俺とひとつ違いじゃねえか。六十五で参加した人もいるぞ」

「其れまでどうして入れなかった」

「身内が結に居ないからさ」

「なぜ入れた」

今日は執拗に聞きたがりを発揮している。

「お前と同じさ。ただ向こうは孫が先さ」

頭をひねっていたが「よけい、わかんねえぇ」と投げ出した。

孫が結の男と一緒になって父親に参加を勧め、ならば祖父もとつながったんだ。

もう一つは長が認めた男を入れて、そいつの親父も参加したと話した。

「長には許されるのか」

「俺は上から三番目で上には八人いる。その人たちが認めれば一族でなくとも大丈夫だ」

「長が天辺だろ」

「長は二番目の手印しか許されてないぜ。俺と同じだ」

「一番目は」

「本当に知りたいのか」

ぶるっと体を震わせて「やめておこうなんか怖くなった」と本当に震えだした。

「入る気に為ったらいつでもいいぜ。そうしたら教えてやる。手印は四段階だが新入りは使えないはずだが例外もある」

「おれ、会ってるのか」

「口ぐらい聞いてるさ。三人、五人、で俺と同格は十人いる」

やはり知りたい気持ちが勝ったようだ。

「お前のフゥチンは」

「前は一番目だったが今は隠居のご意見番だ」

「あの親父と同格がまだ三人もいるのか」

「驚いたか」

「ああ、すげえ組織だと思うよ」

 

三月二十八日辰の下刻、福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)へ前十艘が錨を投錨した。

後ろの十二艘は福州閩江南港(ミンジァンナンガァン)での荷降ろしだ。

潮澄商船は河口の石井港へ投錨している。

此処の海運業者の取り決めは福州閩江南港(ミンジァンナンガァン)もしくは北港から杭州(ハンヂョウ)赭山港(ジゥシァンガァン)千九百里、杭州赭山港から上海(シャンハイ)五百里とされている。

行きにインドゥにどこが違うかを改めて調べてもらった。

今までは康演(クアンイェン)も土地の習慣に従っていたが阮元(ルゥァンユァン)との話し合いで統一を図ろうとし始めた。

海賊蔡牽の本居地は此処と温州の間と言われていた。

それが最近台湾へ眼を付けた。

 

三日滞在と決まり、康演はインドゥに会いに與仁(イーレン)達に付いて歓繁(ファンファン)酒店へ行った。

「絡繰りは、ほぼ判明した」

「わかったんですか。もう何十年も前からの事ですぜ。フゥチンも誰の指示か解らなかったそうですぜ」

「羅虎丹(ルオフゥダァン)のおかげだ」

呑んべの医者ですってと不審げだ。

「王神医(ゥアンシェンイィ)の弟子の解(シエ)先生というのが此処にいるんだ。丁(ディン)が案内して兄弟子に先生の手紙を渡して俺たちが街を離れるまで預かってもらった」

話しは長くなりそうだ、宜綿も緊張している。

「五日後だ手紙が来て昂(アン)先生が会いに出かけた」

その時の聞き書きがこれだと宜綿に渡した。

「老水夫が死に際に酒が飲みたいとうわごとのように云うので、末後の水ならぬ酒を虎丹に飲ませてやれと言ったそうだ」

その老水夫は華(フォァ)と名乗った。

興泉兵備の慶(チィンラァイ)と蔡牽の取り持ちをしたそうだ。

頭がしゃんとしたと言って羅虎丹(ルオフゥダァン)に遺言の様に話し出したという。

虎丹が慌てて書き写したので字が乱れているが、と言うところで康演に回ってきた。

ご丁寧に爪印もある

「虎丹も気が利くじゃねえか。白紙(しろがみ)三枚に爪印押させておいた。それでこちらで清書して、一通は結の手で京城(みやこ)へ送った」

六日前の范(ファン)の船だという。

 

(チィンラァイ)は玉徳(ユデ)の命で李長庚の率いる浙江省水軍の入港を止めたとされているが、実は前段階では話し合いで賄賂が受け取られたという。

霞浦県三沙鎮に慶が来てが銀(イン)一万、玉徳(ユデ)に銀(イン)十万と袖の下が産まれたが華(フォァ)には酒代程度で追い払われたそうだ。

嘉慶七年の暮れの事だという。

この男航路の上乗せには爺爺(セーセー)が絡んでいると自慢気に喋った。

「懐に入れるのは海賊と総督府、半々と決めたのは丙辰の年だ、一回り前だぜ」

なんと七十年も前の話だそうだ。

玉徳(ユデ)は、半分京城(みやこ)へ送ったとその華(フォァ)がいう、裏には別の人脈が存在していそうだ。

「これが表ざたになれば玉徳(ユデ)は終わりですかね」

「先のフォンシャン(皇上)と違い満州(マンジュ)の者がさせないだろう。皇族まで左遷の対象にされているのは何かの力関係が有るのだろうぜ」

御秘官(イミグァン)ではわかりませんかと言うが、現フォンシャンは粘竿処(チャンガンチュ)も信じておられない。

「玉徳(ユデ)は命までとはいかないだろうが、要職にとどまるのは無理だろう」

「しかし、海賊から銀(かね)をもらうとは馬鹿にしてやがる」

浙江巡撫の阮元(ルゥァンユァン)では満州(マンジュ)の玉徳(ユデ)には力関係で負けてしまう。

福建巡撫の李殿圖(リーディェントゥ)に江蘇巡撫汪志伊(ゥアンヂィイー)も頭が上がらない。

頼りになりそうな両江総督陳大文は一月に左都御史に異動し、後釜が鉄保(ティエボー・佟佳氏トゥンギャ)という字は冶亭、号に梅庵という書家を気取った五十二歳の狒々親父だ。

満州正黄旗でも若い時からの鼻つまみだが、舒明阿と交流があるという。

佟佳氏の力は侮れないし、まして玉徳(ユデ・)の瓜爾佳(グァルギャ)氏の一族は鈕祜祿(ニオフル)氏一族に近づき、虎視眈々と政権を担う役職を狙っている。

「やつら賄賂で肥やした懐で猟官運動に忙しい。銀(かね)になるのは総督が一番だからな」

「両広総督吉慶(ギキン・覚羅氏)の処分も効き目無しですかね」

「見せしめに和珅(ヘシェン)老爺(ヘシェンのあだ名)に富察の福長安を処分したが、実は本当の賄賂に塗(まみ)れていたのは、フォンシャンの信任している満州(マンジュ)の名家だ」 

「巡撫、総兵が海賊退治で総督が海賊から賄賂じゃたまりゃしない」

康演(クアンイェン)も憤るのが当たり前だ。

「玉徳(ユデ)の奴、海賊退治に台湾へ金門島の兵を送ったそうだ」

この辺り大商人は蔡牽(ツァイヂィェン)と手を組んでいるいう地域だ。

「どうなってるんでしょうね。銀(イン)は貰って、くれた相手を退治とはね」

裏を調べられていると情報が耳に入ったとしか思えない行動だ。

李長庚を「福建省水軍提督へ異動させよ」と阮元(ルゥァンユァン)が動き出した、蔡牽が台湾へ手を伸ばすなら、水軍の総力を挙げて殲滅しようと準備に入っている。

両広総督に赴任した那彦成(ナヤンチェン)はフォンシャン(皇上)の懐刀だ。

嘉慶九年十一月二十三日(18041224日)着任。

それに合わせるかのように広東巡撫に百齡(ベリィン)が起用された。

巡撫の横の連絡網は繋がり始めた。

だが浙江巡撫の後任は満人に決まってしまった。

インドゥに宜綿も聞かされた時は不審にも思わなかったが、フォンシャン(皇上)が、わざと耳に入れたのだと思いついた。

すでに満人の守りが始まっていると教えたフォンシャンだ。

 

江蘇巡撫・汪志伊(ゥアンヂィイー)安徽桐城人、乾隆三十六年挙人。

嘉慶八年五月十七日(180375日)着任。

 

浙江巡撫・阮元(ルゥァンユァン)江蘇儀徵人、乾隆五十四年第二甲進士。

嘉慶五年正月八日(180021日)着任。

転任-福建巡撫・嘉慶十一年十月十四日(18061123日)着任

浙江巡撫後任-清安泰(チィンアンタァイ・費莫氏フォィモ)満州鑲黄旗。

嘉慶十年閏六月廿四日(1805818日)着任。

 

福建巡撫・李殿圖(リーディェントゥ)直隸高陽人、乾隆三十一年第二甲進士。

嘉慶六年十二月廿六日(1802129日)着任。

 

広東巡撫・百齡(ベリィン)漢軍正黄旗、乾隆三十七年第二甲進士。

嘉慶九年十一月廿九日(18041230日)着任。

後任-孫玉庭(スゥンイティン)山東濟寧州人、乾隆四十年第三甲進士。

嘉慶十年六月八日(180574日)着任。

 

どれだけ漢人官僚が満州(マンジュ)の家系と対立できるかは、フォンシャン(皇上)の采配次第だ。

 

「阮元の後釜が怪しくなってきた」

「費莫氏に有力な後ろ盾でも着いたようだ」

「李長庚を誰が讒言するかに、かかってきそうだ」

「俺たちが富察と対立している間に潜みこんできたと云う事かな」

「哥哥、銀(イン)を持ってるのは馬佳氏の一族ですぜ。費莫氏と元は同じで御秘官(イミグァン)の銀(イン)を貧乏皇族に貸し付けて、老爺(ヘシェンのあだ名)の騒動の時取り込みやがったんで」

「帳消しの時、隆福に三万もの貸し付けを無しにしたあれか。先祖は散秩大臣を手に入れるのに借り入れたままだった」

「本人たちも劉全興から大分借金していた様ですぜ。帳面が出てこなくてほっとしたようです」

 

「まず玉徳(ユデ)と息のかかった役人ですかね」

「フォンシャンも直に言うと勘ぐりを入れるし、困ったぞ」

「まず阮元様を再任しないとまずいですぜ」

付き合いの長い康演(クアンイェン)から見れば、阮元の足元がぐらつけば李長庚の身も危うくなると読んだようだ。

「広州は大丈夫かな」

「百齡(ベリィン)様は出世頭ですからすぐどこかに転任でしょう」

「後任にいいのが来ないと那彦成(ナヤンチャン)が困るだろう」

宜綿も心配そうだ。

「張保仔(チョンポーチャ)は手ごわいですからね」

「うまく手なずける方法でも考えるか」

「降伏させますか」

「百齡(ベリィン)をうまく使うしかないな」

「大分ごひいきのようで」

黙っていたインドゥが驚く事を言い出した。

「那彦成はどうせ長くないぜ」

「どうしてです哥哥」

「調子乗るとすぐ浮かれるからだよ。前科もあるしな。浮かれ調子で張保仔を取り込めればいいのだが」

関元が庸(イォン)と飛び込んできた。

「どうしたそんなに慌てて」

「張保仔が降伏したいと申し入れてきたと」

「おい、本当か」

「条件が、官員取り立て、部下の免責。一人たりとも罪に問わない」

「でどこは」

「チィェンウー(銭五)」

「哥哥、どうにかなりますかね」

「まず噂を流してフォンシャン(皇上)に担当を誰にするか決めさせないとな」

「時間がかかりますね」

「一人なら免責もあり得るが、五千は居るんだろ」

「さっきの話」

宜綿が皆の顔を見回した。

「なんです」

「那彦成の耳に入れば自分の手柄にすぐに飛びつきそうだ」

インドゥも頷いている。

「今回のは那彦成の追い落とし臭いぜ」

関元もそうか、その手もありかと落ち着いて考えだした

「百齡も巻き込まれるかな」

「いやあいつは切り抜けて時間をかけて本気で官員取り立て、部下の免責。一人たりとも罪に問わないをやるだろう」

皆で人物評論をしていた。

 

「其れよりお前よくここだと分かったな」

「広州あたりだと思ってガリオンと行ってきた」

関元の千石船四艘は結一番の高速船で、ガリオン二隻は智利(ヂィリィ・チリ)の国旗を掲げていたそうだ。

何処で手を組んだかジョーは知らん顔だ。

銭五も口は堅い、広州(グアンヂョウ)はそれで押し通したという。

そのチィェンウー(銭五)が聞き込んだ話だ。

「相手は根回しを申し込んできたというんだ。大分俺たちの事知っていたそうだ」

張保仔(チョンポーチャ)たちは海賊家業に見切りをつけたが、大勢食わせるには簡単にいかない、日に百両、年に三万六千は必要だという。

「そんなに海賊で稼ぎ出せるはずもない。それが幹部の言い分だそうだ」

「それで」

結に繋(つながり)が欲しいと言ってきたそうだが、広州でやれば共倒れだ。

庸(イォン)が首を傾げながら話に加わってきた。

「この五日ほど色々事情を聞きましたが。やはり追い落としに利用しているようですね」

「どうしてそう思う」

インドゥも軍師の役に立つ男か見極め時と思っている。

「まず、なんでチィェンウー(銭五)さんでしょう。関元さん、少し前なら康演さん。広州(グアンヂョウ)にいたのは知られています。二人でないのは怪しいですね」

「いい読みだがそれだけかい」

「結の先には信(シィン)様、殷徳(インデ)様。食いつかせるエサはチィェンウー(銭五)となると思い当たるのは京城(みやこ)の運河の先の人」

宜綿も頷いている。

「暫く知らん顔すれば食い扶持を出せば降参。そこまでくれば年一万位で食いつなぐと言ってきそうです」

結の銀(イン)なら年一万は俺たちお買い得、値を下げずに五千を食わせてくれなら本物でしょう。

庸(イォン)は、海賊と手を結んでいる官員が筋書きを書いたのでしょうが穴が多いという。

「でも、五日掛ってこれでは心もとない結論で申し訳ない」

頭を深々と下げた。

「ただ海賊連中びくとも動かぬ統制は取れているようです。漁船に扮した見張りは何艘かいました」

「どこが違ったんだい」

「だって釣り人が遊びに出たように、ピクリとも動かない漁師等、見たのは初めてでした」

見る所がやはり常人とは違う、糸を揺らして魚を誘うのが漁師の手管だ。

「いい幸いだ。勝手に情報を向こうから流してくれる。半分は本当の事じゃなきゃ誰も信じないからな」

食い扶持稼ぎに阿片には手は出していないというのが皆の意見だ。

「阿片で食うなら降参はないだろう。酒の時のうわさ話で降参でもしてみるかくらいが今のところだろう」

「ぼちぼち焦らずに官に取り込んでいくのが最良さ」

「こちらからは動きは無しでいこう」

関元も納得がいったようだが。

「もし本当の話が混じってたら」

「百に一つ、いや千に一つかな。本当に食えなくなっても阿片に手を出さなきゃ助舟でも誰かが送るさ。今は結が海賊と手を結んでいるなど噂にも上げちゃならねぇ」

康演(クアンイェン)はさすが平大人の後継者、こういう時の凄みは効いている。

 

「ところでチィェンウー(銭五)とどこらへんで分かれた」

ここの沖百五十里に居るというには一同驚いた。

「なぁに、前に茶が欲しいと云うので白芽茶(パイィアチャ)の話をしたんだ。そしたら白毫銀針一芯二葉二十擔六百両でいいからほしいと頼まれたのさ」

「やたらと高いじゃねえか」

「元値は四百両だと言ってあるぜ」

大分高く吹っ掛けたら上乗せでいいと言ってきた、贈答品なのだろう。

「いつ届けるんだ」

「莞幡(ウァンファン)がもう届けてるよ」

「あいつの船には砲が積んで無いぜ」

「おいらの一番艦で出て行ったよ」

「呆れたやつらだ。六百でそこまでやるか」

さっきの凄みは何処へやら笑っている。

莞幡がいないと受け渡しの手順に困るのと、関元が行くのを止めて性能が知りたいと乗り込んだそうだ。

運用するのは龍(ロン)兄弟の役目だ。

「水先に二人乗り込ませた」

「其れでお前はどうする。付いてくるか」

「フゥチンは何時までここに。俺の方は四艘だ」

護衛代わりにガリオンと広州まで行ったと笑っている。

「今日を入れて三日滞在、四日目の四月二日だ。卯の下刻(午前七時)」

「北港に泊めてあるが順はどうする」

「潮州(チァォヂョウ)から四艘ここまで着いてきた、十番から十三番、そこへ入れ」

卯の下刻は遅いが当日回転させるにはそのくらい見る必要がある。

「連絡をつけて牌双行(パイシュァンシィン)へ行くよ」

「孫の顔が見たいから一緒に行こう」

親子で出て行った。

 

徐(シュ)と曽(ツォン)は昂(アン)先生に「親方は船じゃ笑って冗談ばかりでしたが今日はすごみがありました」そう言っている。

昂(アン)先生は丁(ディン)と妻、そして羅虎丹に船が付いたから明後日旅立ちだと告げに出て行った。

「哥哥鳳凰鎮(フェンファンチェン)の茶は送り出しの手配をしてきました。例のここでの売り立て分は向こうで仕分けして別にしてくださるそうで、頼んできました」

「茶の名を書くのはいいのか」

「抜かりはないぜ。全部書いて置いてきた包みに貼るだけだ」

「孜(ヅゥ)に何が当たるかめっけもんだな」

「二人で押しかけて飲ませてもらうさ」

「首領(ショォリィン)、そいつはいただけません」

「なぜだ」

「あっしにこの二人、のけもんはいけやせん」

二人の若者まで出されては冗談にも出来ない。

「手土産でも持って押しかけるか。違う茶は娘娘に強請ればいいか」

「望園」の庄(チョアン)が二人の仲間とやってきた。

押し出しのいい男と背の高いのが「今年の鳳凰はどうでした」と情報交換と売り立ての話を煮詰めた。

牌双行(パイシュァンシィン)へ四月二十二日に到着予定。

漕幇(ツァォパァ)の船は、広州四月十三日に十二艘の船団が出て、汕頭で積んでくれる。

汕頭に共同で支店を開設したので取引が楽になったと教えた。

 

資金は司景蘭(スーヂィンラァン)が船を降り、結の仲間入りをした銀(かね)で行った。

何年も前から一族の長という司峰完(スーファンウァン)から勧められていた茶商の男と昨年八月に婚姻した。

婚姻するとの報せを蔡英敏(ツァイインミィン)と司景鈴(スーヂィンリィン)からもらった宜綿(イーミェン)は與仁(イーレン)と相談し、支店開設の手続きを開始した。

インドゥは事情も聞かずに証書を書いてくれた。

茶商たちも鳳凰鎮(フェンファンチェン)、鳳凰山(フェンファンシャン)との縁がつながると、先を急いで証書の中間入りに応じた。

婿は于椴弦(ユゥドァンシィエン)といういかつい男だった。

一番胸を撫でおろしたのは老大(ラァォダァ)蔡英元を出産したばかりの景鈴だった。

三月十三日與仁(イーレン)達四人が汕頭(シャントウ)に着き、司(スー)のおっかさんに聞いて、新しい于仁(シェンレン)という店に入ると腹が膨れた景蘭(ヂィンラァン)が出てきて、普段驚かない宜綿(イーミェン)さえ驚かした。

于椴弦は潮州(チァォヂョウ)に店を持っていたが、結の勧めで汕頭(シャントウ・スワトウ)へ店を移したばかりだ。

元の店は手代を責任者にして手取りを増やした。

「スーのおっかさんめ、教えなかったぜ。脅かしやがる」

「五か月に入りました」

「初産だろ気をつけるんだぜ」

優しい宜綿の言葉に母親の優しい微笑みを浮かべる景蘭だった。

于椴弦は今年三十歳、司景蘭は二十八歳だという、ともに再婚の似合いの夫婦だ。

 

孟紅花(モンホンファ)が必要な分は三人に分ける。

もっと欲しい時は紅花に言えば出してもいいと伝えてあると教えた。

「今年は三倍買える予定だ。駄目なときはお互いに泣くようだ」

鳳凰鎮付近も普及茶の生産が軌道に乗ってきた。

普段に比べ一月早いので手元に品物がない仲買が多い。

白毫銀針一芯二葉は二百擔積み込んだが寿眉(ショウメイ)はこれからが最盛期になる。

寿眉(ショウメイ)は鄭興(チョンシィン)だけで二千擔、常秉文(チァンピンウェン)が、八月一日京城(みやこ)渡しで三千擔引き取りに来る予定だ。

常秉文の手代は幾らでも買い受けると主が申しますという、広安門(グァンウェンメン)と西便門(シィビィエンメン)の間、大平街南詰めに支店が出来て連絡も楽になった。

與仁(イーレン)、取引を増やしたくても限度がある。

京城(みやこ)の住人が増え、薪炭の需要が増えて門外の連絡所が手狭になって、常秉文は地元山西楡次県から五人の手代を送り込んできた。

「駱駝の世話係から一息つかせていただけました」

日焼けした手代たちはすぐに京城(みやこ)の風に染まっている。

寿眉(ショウメイ)は福州(フーヂョウ)から広州(グアンヂョウ)へは河口鎮(フゥーコォゥヂェン)経由で二万擔が送られる。

半分は南京(ナンジン)経由で庄(チョアン)達が仕切り大儲けだ。

武夷に下梅はこれから取引が始まる。

今年は集める手伝いが増えて與仁(イーレン)の方はこの仕入旅で一万八千擔は堅いと踏んでいる。

孜(ヅゥ)は與仁(イーレン)と相談して南京(ナンジン)周りは人に任せることにした。

武夷も五千擔が大周りで河口鎮へ送られる、京城(みやこ)へも千八百擔が福州経由。ちょうどその分が脚夫(ヂィアフゥ)不足を補えるのだ。

下梅はまだかたくなに脚夫(ヂィアフゥ)の力で送り出している。

董(ドン)茶商の鉄観音は集まり次第、他の荷と船が出る手はずだが、四種二百擔ずつの計八百擔が可能になった。

 

四月一日にインドゥ達は武夷を目指して河を登っていった。

福州を案内しろと江淹(ジァンイェン)が歓繁(ファンファン)酒店に押しかけてきたのは午が近くなったころだ。

康演(クアンイェン)は最近出され、人気の高い会試を受けた時の「紀程」を読んでいた。

明るい食堂ならいつでも茶が飲める、客が来ても応談に手ごろな歓繁は長逗留の足場に出来る。

爸爸(バァバ・パパ)、いや爺爺(セーセー)も利用した酒店だ。

あとから三人入ってきたが、一人は「用事を思い出した」そう言ってそそくさと出て行った。

「全部積んだのか、江洪(ジァンフォン)は」

「銀(かね)の番に船で寝ている」

二人でとりあえず、腹に何か入れてから飲み行こうというので面条を二人で頼んだ。

「せっかく名物の魚料理が嫌いじゃ、食べるものもなかろう」

店の娘がくすくす笑っている。

「な、こいつ毎日何を食っていたんだ」

「貝は食べておられましたよ。昨晩は鶏湯海蚌(ジータンハイバン)に仏跳壁(フッティエウピィ)で糟醉香鶏(フォンツァオヅゥイシャンチィ)、あ、其れと油淋鶏(ユーリンチー)

「なんだと、鶏ばかりじゃねえか」

「あら、ほんとですわね。うちじゃ佛跳牆(フッティエウツォン)だと鶏は入れてないんですよ」

料理はインドゥが決めているので康演(クアンイェン)を揶揄う自模りで頼んだのだろう。

「道理で哥哥はもう決めてあるから、食べ終わって足りなきゃ頼めよと丁(ディン)の神さんに言ってたのか」

娘(二十八位に見える)が離れると隣の卓の声が聞こえてきた。

「温州と広州の海賊が喧嘩別れだと」

江淹(ジァンイェン)が口を挟みそうなので船乗りの符牒で黙らせた。

「広州の海賊は漕幇(ツァォパァ)達に仲介を頼んで帰順を申し出たとよ」

そこで声を潜めて話し合って勘定を済ませて店を出た。

また言いたそうなので再度黙らせて「天后廟へ行ってくるぜ。夜は遅くても戻るぜ」と先に立った。

天后廟の人込みを抜けると奥に結の秘密の連絡所がある。

奥の部屋で二人になった、こういう時の張り番は、部屋を遠くから見守る決まりだ。

「あいつらわざと聞かせやがった。機会を狙っていたようだ」

「やっぱりそうかい、老大(ラァォダァ)も近い話を聞き込んできた」

「哥哥達にはわざと聞かせず、外から耳に届くように仕組んだようだ。今頃船の船頭たちにも同じような話を吹き込んでるさ」

「漕幇(ツァォパァ)の連中怒り出さないか」

「その辺は主だったもので話してみるか」

寧波(ニンポー)ならいいだろうとそこで会議をすることにした。

早々と呼び込みをしていた店が有った、二人で二十両出して「にぎやかしてくれ」と二階へ上がった。

二人は船へ「寅の下刻には乗る」と使いをだして歓繁(ファンファン)酒店には「寅に出たい」というと「わたいがその時刻にゃ起きてるよ」と云うので「降りてこなきゃ扉をガンガン叩いて起こしてくれ」と冗談を言って宿代を払い、用意されていた部屋へ江淹(ジァンイェン)を送り込んで早寝した。

夜中に起こしに行くと扉の向こうから「宿の勘定」なんて寝言が聞こえてきた。


茶食胡同(チァシィフートン)楊閤(イァンフゥ)、大女儿(ダァヌーアル・長女)の姚翠鳳(ヤオツゥイファン)乾隆四十九年生まれ、嘉慶十年二十二歳。

康演は留守だが四月四日に男子が産まれた。

名は翠鳳が決める約束で「姚頼鵬(ヤオライパァン)」と名を付けた。

蘇州の東源興(ドォンユァンシィン)甫寶燕(フゥイパオイァン)へ宛てて色白で父親似だと書き送っている。

四月五日寧波鎮海(ヂェンハイ)へ錨を降ろした。

荷降ろしが済んだら船長会議だ。

新しい一番艦に集まった。

関元が広州(グアンヂョウ)で聞き込んだ話に康演(クアンイェン)が福州(フーヂョウ)で聞いた話。

ほかにも八人ほどが聞き込んだという。

漕幇(ツァォパァ)の権(グォン)という親父は「俺が聞いたのは結と朱濆が手を組んで、張保仔(チョンポーチャ)をやっつけるという威勢の話だ」と言って「おかしいな聞いた奴によってみな違うぜ」と首をかしげた。

結には漕幇(ツァォパァ)が、漕幇(ツァォパァ)には結がと聞かせたようだ。

江淹(ジァンイェン)は「俺の老大(ラァォダァ)は関元と同じ張保仔(チョンポーチャ)が降参というやつだ」というと「四通りあるぜ」と南京船の朱(ジュ)という三十代の男が言い出した。

龍(ロン)兄弟の片腕だ。

「結と漕幇(ツァォパァ)を離反させようとしているやつがいるようだ」

おう、と皆が声をそろえた。

「馬鹿にしやがって」

憤る奴もいる。

「この話俺たちの護衛船を相当嫌がっているやつの仕業だな」

龍莞幡(ロンウァンファン)は冷静に言って莞絃(ウァンシィェン)の哥哥にも言って通達を出してもらうとの賛同を得た。

康演(クアンイェン)は結論が出たところで徐(おもむろ)に口を開いた。

「離反させて利が有るのは蔡牽(ツァイヂィェン)だろうが、実は裏で閩浙総督玉徳(ユデ)が、賄賂で水軍から逃がしたというのが聞こえてきた」

「じゃ、総督と朱濆が手を組んで水軍から逃がしたというのか」

「手を組んだのは蔡牽の方だ。それを隠そうと蔡牽が荒らしている台湾へ兵を送るそうだ。犠牲が大きく出そうだ」

「話しが滅茶苦茶じゃねえか」

康演(クアンイェン)に迫る奴も出た。

こういう時の為に渡されていた口書きを回した。

見たやつは次々に唖然としている。

一回りして字の読めない奴に莞幡が大きな声で読み上げた。

老水夫は泉州の華(フォァ)で、耳の後ろに親指ほどの瘤がある奴だ、というと知っているやつがいた。

「まだ生きて居やがったか。俺の爸爸(バァバ・パパ)の手元から逃げ出して海賊の手下になったと聞いたことがある」

おお、という声が上がった。

「大酒のみでほら吹きだが。貰いが少ないというなら本当だろうな。死ぬ前にホラは無いだろう」

之には一同声を上げて笑い出した。

 

四月五日、京城(みやこ)の徐頲(シュティン)は無事三回の会試を乗り切った。

幹繁老(ガァンファンラォ)へ戻って風呂で奇麗さっぱりして大食堂へ降りてきた。

同じようにいつも来る十人が顔をそろえている、八人は江蘇の男だ。

皆、江南貢院のお仲間だ。

「お前ら俺より金持のくせに」

「いやいやお前さんは挙人なのにまだ飽き足らずに孝廉などと言って試験を受けに来る。結構なご身分じゃないか」

会試覆試を受けなくても貢子には違いない、此処を落ちる方が珍しいのだ。

今年の挙人覆試は一万八千人との噂だ、半分に絞られて、会試でほぼ四百人に絞られる。

徐頲(シュティン)は受かれば三回目だ。

「噂じゃ会試覆試で二百五十人に絞るそうだ」

「前回もそのくらいだ」

「前の時殿試で費蘭墀は一甲確実と言われたが、二甲第十三名で荒れていたぞ、徐頲(シュティン)は体調さえよければ費(フェイ)より上は取れたはずだ」

「驕りだと口が軽いな。費(フェイ)など軽く言うな。俺たちより十は上だぞ。孫(スン)哥哥と同じ年だ」

「どこにいるのかしらんか」

「翰林院で本に埋められてるだろうぜ」

言い方がおかしいと笑いつつも箸が進んでいる。

前に会試で落ちたやつも今年は受かりそうだと自己採点している。

最年長の孫原湘はすでに不惑(四十歳)を超えている。

「前々回、前回は江蘇のものが状元(顧皐グゥガァォ廷琛ウーティンチェン)だった、今回は徐頲(シュティン)の番だ。呉(ウー)と家も近い」

二十里は離れているが問題はない。

(中国の里・400 m一里、後に576 mさらに500 mとされた)

(日本の里・大宝律令(701年)「里=5町=300歩」300歩約533m・豊臣秀吉36町、ほぼ3627m
和信伝では主に一里
400メートル換算と、500メートル換算を併用にしてわかりにくくしています。

裁衣尺:1=35.5cm

量地尺:1=34.5cm

営造尺:1=32.1cm

「そんなに煽てるには魂胆でもあるのか」

「田舎もんで前門(チェンメン)の繁華な妓楼をしらん」

「俺だって知るか」

「こんな真近(まじか)にいて、しらんは可笑し(おかし)かろう。十人でとりあえず三十両出す。有名どころへ行こう」

「前祝のつもりかよ。全員受かると思うのか」

「そんなもん知ったこっちゃない。これ以上本を開いたら反吐が出る」

勉強漬けでうっぷんが溜まっている。

前の時は遊ぶことさえ考える余裕はなかった。

甫杏梨(フゥイシィンリィ)がおかし気に笑っている。

「此処の娘ほどでなくても十分だ」

「こらこら、可笑しな引き合いに使うな」

唐燦(タァンツァン)が出てきて「娘なんざぁ及びもつかねえ奇麗どころは二百人はたっぷりいますぜ。でもお床入りしなくても、十一人じゃ銀(イン)三十両ぶったくられますぜ」と脅している。

「飲んで騒ぐだけで十分だ。女が奇麗でも、抱く元気などどこにも残っちゃいない」

朱家胡同(ジュジャ)、百順胡同(バイシュン)、陝西巷(シャンシーハァン)などが遊ばせて、騒いで、寝なくても歓待してくれる店が多いと教えてくれた。

「朱家臨春楼、陝西巷上林仙館、高級どころで百順蘭香」

三人で食事をしていた老人が「遊んで面白かったのはこの三軒だ」と朱(ジュ)に教えてきた。

「蘭香には洪(ホン)という売れっ子がいて二胡は京城(みやこ)、蘇州と弾きわける名手だ。ただ銀(かね)がかかる」

蝉陽(チァンイァン)という繁牌老にいた女が月琴(ユエチン)の名手で蘭香を買い取っている。

蝉環(チァンフゥアン)が音曲を教えるので、妓女が教わりに来るくらいだが如何せん四十を過ぎ、昔の様には客が付かんよという、椅子(イーヅゥ)を寄せて盛んに蘭香(ラァンシィアン)を褒めて来る。

酔っているようで、調子にのって歌いだした。

蘭でなく茉莉花には笑わせる。

 

好朶茉莉花、好朶茉莉花、満園百花開賽不過了它、

我本当採一枝、想採心又怕、想採心又怕。

こんなに美しい茉莉花(モォリィフゥア)、

こんなに美しい茉莉花(モォリィフゥア)、

園に咲くすべての花はそれに適わない(かなわない)、

一枝を採って飾りたい、拾いたくても怖くて、拾いたくても怖くて。

 

八月桂花香、九月菊花黄、張生遇鶯鶯越過了彩墻、

小姐来相会、相会在西廂、相会在西廂。

八月の桂花の香(グイファシャン)、九月に黄菊(フォァンジィ)、

張生は彩の壁越しに鶯鶯(インイン)と出会う、

小姐(シャオジエ=お嬢様)会いに来て、

西の廂で会いたい、西の廂で会いたい。

 

胡蝶双双飛、大地百花香、我的姐姐喲愛上了情郎

情郎情郎、何日来成双、何日来成双

胡蝶は番で(二匹)で飛び、大地に百花が香る、

姐姐(チェチェ)に恋をしている

恋しい人、恋しい人、

何時一緒に為れるの、何時一緒になれるの。

 

題は鮮花調(シァンフゥディアォ)という、江蘇(ヂァンスゥ)の者にはお馴染みで皆が次々後を追うように歌いだした。

元は崔鶯鶯待月西廂記、元の支配下の時代に王実甫の雑劇と言われる。

其れの元になった話と云うのも伝わる。

唐の時代、元稹の伝奇小説太平広記に「鶯鶯伝」とある。

張生はみごとに状元となるので会試を受けた者にとって有難い曲だ。

紅娘(フォンニャン)の活躍で結局、張生(ヂァンシァン)と鶯鶯(インイン)は結婚出来た。

紅娘(フォンニャン)は様々な話に、恋の取り持ちの役どころで登場するがこの話が元とも言われている。

ハラハラドキドキ、大団円の図式は今でも通用する。

 

(茉莉花-モォリィフゥア。マツリカ。ジャスミン)

(八月桂花香-黄の花をつける金桂の事だろうか、金木犀。白花の銀桂、銀木犀も捨てられない・理由は九月の菊花黄との対比)

The-West-Eaves


 

「老翁は蘇州(スーヂョウ)からですか」

「いやいや、もう三十年は戻っておらん。お国言葉が懐かしかったんじゃよ」

泊り客ではないようで、若いものが勘定をすますとそろって出て行った。

「あれだけほめられりゃ行くしかあるまい」

口をそろえていうので「銀(イン)が足りないと恥をかくから待ってくれ」と店に預けた包みから紅包を袖に入れた。

「子の刻には戸を閉めますからね」

杏梨(イシィンリィ)に言われて「我想回去,但我不能(戻りたいけど戻れない)」と表へ出た、まだ酉の鐘は鳴ってもいない。

午に終わって後片付けに時間がかかり、宿でひと眠りもする間もない。

やってきた連中は、夜にならないと出られない不幸な奴も出る混雑を抜けられたようだ。

 

徐頲(シュティン)が迷わず陝西巷(シャンシーハァン)を抜けて百順胡同(バイシュン)へ入り、蘭香(ラァンシィアン)の前まで一同を案内した。

中の嬌声が聞こえて来る。

「なんだ、知ってる店だったか」

「いやこの前、高信(ガオシィン)に道案内されたときこの付近を歩いた」

「店まで覚えたのか」

「詩経より簡単だ」

徐頲(シュティン)は地理も得意の様だ。

店は大勢の酔客で賑わっている、二階の廊下は行きかう男衆で溢れている。

「大勢さまで有難いのですが卓がいっぱいで」

貧乏書生と思われたようだ、この十日余で疲れ切っている。

「紹介されたんだ」                     

胡散臭そうに見ていたが「どなたから」と聞いてくれた。

一歩前に出たのは徐頲(シュティン)だったが。

朱(ジュ)が代表して幹繁老で蘇州あがりの老人で茉莉花(モォリィフゥア)をうたって女主人が月琴(ユエチン)の名手だと教えてくれたと早口でまくし立てた。

隅の卓から烟管(イァン・キセル)を手で持って、昔は美人と思える女が「呼んだかい」と男衆に声をかけた。

「こちらさんがどうやら樊(ファン)さんのご紹介で」

「なら三番へご案内しなさいな」

「あそこ一晩三十両」

最後まで言わさずによく通る声で男衆に伝えた。

「こら馬鹿おおいな、あたしが好いというんだ」

後ろの方で誰かが傍の女に「誰」と聞いている。

「ヌゥーヂゥーレェン(女主人)」

前までは聞こえなかったが雰囲気はがらりと変わって、女たちが五人ほど部屋を開けに小走りで先に立った。

二十人は座れそうだと徐頲(シュティン)は見て取った。

「女、飯、音曲」

男衆はぞんざいに聞いてきた、祝儀は当てにできないと踏んだようだ。

徐頲(シュティン)は两両の銀票をたたんで手渡すと途端に顔が愛想で溢れた。

「楽しいのを呼んでくれ、話し好きなら容姿は問わないから、来たい奴は来てくれ」

この男、お大臣と踏んだか奇麗どころが連れを呼んで八人ほどやってきた。

「おい、徐(シュ)よいいのか」

「足りなきゃ借りるまでだ」

女主人が三十お出しよ、それで亥の下刻まで借り切りだ。

「ただあたいが気のすむまで唄うがよいかい」

自分が遊び相手に十一人を選んだようだ、ヌゥーヂゥーレェン(女主人)ともなると簡単には羽目は外せない。

徐頲(シュティン)は紅包から銀十両の銀票を三枚手渡した。

宋慧鶯(ソンフゥイン)は百両も入れてくれたのだ。

仲間も紅包にはまだ残りが有るのをみて驚いている。

「合格の前祝でも貰ったか」

「そうさ、お前たちのような悪友が来る用意に貰えた」

朱(ジュ)はどうせならと八人に一両の銀票を渡して歩いた。

女主人手を出して待っている、一瞬迷ったが差し出した。

ニコと笑った女主人は先ほどと違って色気があふれ出している。

これが妓女の修練の賜だなと一同は感心しきりだ。

卓に果物、酒が運ばれてきた。

「どうやら会試終わりの人たちだ。先祝いに香槟酒(シャンビンジュウ)おだしな」

仲居が瑠璃杯の籠を持ってくる、後から妖艶な女が手提げの籠に香槟酒を三本持ってきた。

酒の値打ちを知っているやつがギクッと震えた。

「あんしんおしよ、全部店持ちだ。洪妹妹(ホンメィメィ)空いてりゃ二胡で接待たのむよ。誰かにあたしの月琴(ユエチン)持って寄こしてよ」

楽器がそろうと「忘れてた、そこの良い人この娘にも一枚だしてな」と手招いた。

 

「幹繁老でここに居るはずと云うので追ってきた」

王鋆(ンワンユァン)というひょうきんもんが二人連れて押しかけてきた。

皆で九連環を賑やかに始めた。

八人の妓女も楽しそうに歌っている。

月琴(ユエチン)は蝉陽(チァンイァン)、洪妹妹(ホンメィメィ)の二胡で部屋は大騒ぎだ。

盛り上がっておられるところなど言って男衆が来て女主人に耳打ちした。

「お客じゃしょうがない。妹妹行って頂戴。代わりに蝉環(チァンフゥアン)妹妹に自分の楽器をもって助けに来させとくれ」

八人の妓女も呼ばれた順に代わりと入れ替わった。

そのたびに朱(ジュ)は一枚ずつ手渡す羽目に陥った。

徐(シュ)はこれが妓楼の手口かと「これも勉強、あれも勉強」と口ずさんだ。

現れた蝉環(チァンフゥアン)に一同は愕然とした。

樊(ファン)という老爺は「客が付かん」と云ったが、震えが来るほど美人で声も徐頲(シュティン)の好みだ。

二胡の蝉環(チァンフゥアン)と言われた腕は一同を夢の世界へ誘った。

 

鮮花調(シィエンファディア)が奏でられると一斉に声をそろえて歌うのだった。

「やはり二胡が入ると違いがわかる」

そんなうがったこと言う彭(ペン)は名うての二胡の奏者だ。

腕がうずうずしているのが女主人に伝わったか「あたいの蘇州二胡を此方の旦那に持ってきておくれ」仲居に言いつけた。

京二胡と蘇州二胡で次々に曲名を言うと合わせてすぐに合奏になる。

妓女に「よおく聞いておくんだ。あんたたちもこのくらいは無理でも腕はいいんだから」女主人らしい言い分だ。

彭(ペン)と蝉環(チァンフゥアン)は「なんでも言っとくれ」と意気投合して二人の世界に入っている。

女主人は十人に増えた妓女と、残りの男たちで京城(みやこ)のうわさ話で持ち上がった。

二刻ほども遊んで「さぁ終いにしよう」と表に送られた。

酔いが回っている朱陛鏘(ジュピィチィアン)は徐(シュ)におぶさる様にし、孫爾準(スンウァールヂゥン)と孫原湘(スンユァンシィァン)は、ぶらぶら幹繁老へやってきた。

「この三人、寝る布団を貸してくれ」

仲居が三人の布団を徐(シュ)の部屋へ運んでくれた。

徐(シュ)は“静”の札を掛けておいた、薄縁りの床に寝るのも貢院を思えば極楽だ。

 

翌朝、卯の下刻頃に目覚めた四人は下へ降りて「何か食わせてくれ」と頼んだ。

熱々の粥が配られた。

朱(ジュ)は「おい、銀票が五枚残った。こいつは徐(シュ)のものだ」そういって差し出した。

「いいよ。それで皆で食う昼飯代に支払ってくれ」

甫唐燦(フゥイタァンツァン)が出てきて「そいつは家の店でなく、近くの店で使ってくれ。徐(シュ)の掛(かかり)は俺の侄子(ヂィヅゥ)に請求するのだ」と大きな声で言い放った。

年長の孫(スン)は「ありがたい、奢られてばかりで気が引けていたんだ。十五、六人で入れる店が有るだろうか」と図々しく聞いている。

「裏側の取灯(チィーダァン)胡同に阮品菜店と云うのが有って近く親戚になる。そこへ行って使って呉れりゃ有難い」

「仰せのとおり」

朱(ジュ)と二人の孫(スン)は礼をしてまた粥を所望した。

「今日は寝るから明日ここで集まる奴らで阮品菜店だ」

 

その翌日十二日、どこで聞き込んだか二十三人もやってきた、初めて見る男もいる。

孫原湘(スンユァンシィァン)は呆れている。

「仕方ない。不足分俺が持つ」

朱(ジュ)に「十両は持っているぞ」そう耳打ちした。

「足りるかな」

不安そうだ。

「そん時ゃ徐頲(シュティン)に出させりゃいいさ」

呆れた友人だ。

その頃阮品菜店では、早めに羅箏瓶が甫杏梨から聞き込んでいて、いつでも出せる準備をしていた。

店は三十人で一杯になる、常連客は表で待つ羽目になった。

上海紅焼菜(シャンハイホンシャオツァイ・野菜の旨煮)が六つの卓へ次々置かれ、料理は注文を聞かずにどんどと出てきて一同は唖然としていたが、がつがつと食べだした。

五香脱骨扒鶏(ウーシアントウオグーパーチー)

叫化鶏(ジアオホワジー)

油淋鶏(ユーリンチー)

東坡肉(ドンポーロウ)

紅焼肉(ホンシャオロウ)

無錫排骨(ウーシーパイグ)

蛋花湯(タンファータン・卵のスープ)

調理室では、三人が注文など無視し、勝手に材料に合わせて腕を振るっている。

食べている方も銀(かね)の心配などする暇もない。

箏瓶(ヂァンピィン)が「面条を食べたきゃ手を挙げて」と叫んでいる。

助っ人に近くの娘が七人来てくれて下がってきた皿を洗っている。

常連客がようやく飯にありついて、いなくなってもまだ終わらぬ奴もいる。

「まだお腹に入る人はこっちへ移って」

助っ人に現れた富富(フゥフゥ)が呼びかけたら、五人が凳子(ダァンヅゥ)に掛けた。

「麻婆豆腐が食べたい」

「焼いた面条が好い」

「餃子は」

「家の流儀は料理人が決める」

富富(フゥフゥ)に言われて項垂れていたが、注文は聞こえたようでお望みのものが出てきた。

ほかの卓では食後の茶で菓子をつまんでいる。

「すごいな。よく入るなぁ」

貢院でまともに食べていなかった者がほとんどだ。

「足りるのか」

徐(シュ)は朱(ジュ)に聞いている。

「孫哥哥は十両出すと言ってる。十五両に俺が两両持ってる」

「こんだけ食や危なそうだ。一昨日の紅包の残りが有るから安心しろ」

羅箏瓶(ルオヂァンピィン)が二人のいる卓へきて紙を出した。

固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)の手紙だ。

勘定は公主持ちだと書いてある、酒は自腹で飲みなさいと有った。

「お酒どうします。うちには紹興酒(シァォシィンヂウ)に杭州黄酒(ハンヂョウホアンチュウ)の二種類だけなの。高いのは近くで都合しますよ」

富富(フゥフゥ)は「お酒が欲しい人いるの」と勝手に聞いている。

手を挙げた二十人に、瓶を持った二人の姑娘が柄杓で好みを聞いては注いで回った。

四人残ったものは茶で菓子を食べ続けている。

「酒飲みには適わん」

など言うが酒豪の者ばかりで、昨晩飲み過ぎたようだ。

 

実は箏瓶(ヂァンピィン)の母親が前の日、早朝に来たとき「面白い話が有るの」と教えたのを、午の前に娘娘は聞き込んで手紙をその日のうちに届け差せていた。

鄧麗麗(ダンリィリィ)は箏瓶を心配している公主に「会試に及格(ヂィグゥ)しそうだと浮かれています」と半分怒って報告したのだ。 
公主はその日のうちに
会試受験者を接待したいのでお許しをしてくださいと届けを出した。
 

範文環(ファンウェンファウン)は面白そうに眺めながら、水餃子で酒を飲んでいる。

常連客が出払ったのを見計らって入ってきたのだ。

娘娘に呼び出されて十両銀票五枚、五十両の支払いを頼まれたのだ。

「昂(アン)先生がいれば頼んだのだけど」

「お役に立ててうれしうございます。でも十五人くらいでこんなに食べますかね」

「余ったら徐頲(シュティン)に、次も有ると甫唐燦(フゥイタァンツァン)から言うように伝えて頂戴」

笑いながら府第を後に取灯(チィーダァン)胡同まで来たのだ。

顔を知られていないので店でも不思議そうに扱っている。

「料理は」

富富(フゥフゥ)に言われて「酒のあて」というと「八寶菜(パパウツァイ・八宝菜)」と云うので頷いた。

範(ファン)は「店主を呼んでくれ」と箏瓶(ヂァンピィン)に言って残りの酒を呷った。

「勘定」

富富(フゥフゥ)は「三百文」と云うので銀(イン)で払った。

阮永徳(ルァンイォンドゥ)は不審げに見ている、勘定をして俺に用事は変だと思っている。

銀(かね)を持っていないのかと思っていたようだ。

袖から公主の手紙と託を伝えた。

「あいつら今度はもっと大勢で来ますぜ」

「足りなくなれば、そん時ゃがっぽり請求してやんなよ」

「ところでお見かけしたことないのですが」

「娘娘のところへ最近お出入りし始めた、範文環(ファンウェンファウン)というかけだしでさぁ」

「確か水会(シィウフェイ)の御用を」

「ええ、鴨兒胡同(ィアルフートン)に簪兒胡同(ツァンアルフートン)のとおりに三軒の飯店を開いておりやす。料理は人任せでフラフラしておりやす。此処のは美味い餃子で感心しやした」

富富(フゥフゥ)は遠慮がない「八寶菜(パパウツァイ・八宝菜)のほうは」ときいた。

「ありゃ、火の勢いがたりませんや」

「おい、阮永戴(ルァンイォンダァイ)まだまだだと言われてるぞ。確りしろい」

でてきたのみりゃまだ若い。

「見本をこいつに見せてくれませんか」

酔った勢いで「応」と一つ返事で厨房へ入った。

阮永凜(ルァンイォンリィン)が材料を揃えている。

「蘿蔔(ルゥオポォー・大根)が古い」

慌てて選び出した。

店で徐頲(シュティン)達が勘定だと言っている。

一刻以上食べて飲んで上機嫌で別れを告げた。

徐(シュ)と朱(ジュ)に孫(スン)の三人が残り、もう一度娘娘の手紙を見て勘定を頼むと六両だという。

孫(スン)が一両足して勘定して幹繁老へ向かった。

鍋で火加減を見ながら油を注いで切ると、手早く炒めて永凜が出した紹興酒(シァォシィンヂウ)を熱してから注いだ、匂いが違う永凜と永戴は息を詰めている。

餡を最後に絡めて温かい皿へ盛った。

「前に金華火腿(ヂンホアフオトェイ)を手に入れて使ったら、上手くできたが高いものにつきやした

店で小皿を手に試食が始まった。

「小皿に移すのが勿体ない」

富富(フゥフゥ)は味の決め手は何だと聞いている。

紹興酒(シァォシィンヂウ)を熱してからくわえるんだ。親父に教わった。そうでないと温度が下がる。食べて呉れるまでが勝負だ、今日の客の様にがつがつ食う客の方が有難い

娘娘も街の料理はそう食べるのが美味しいと言ってくれていた。

上品な公主府より阮品菜店の方が好いと孜漢(ズハァン)に言ってくれる。

「二儿子(アルウーズゥ・次男)は婿に行くのが決まりましてね。相手の親が応じたらひと月でいいので、預かってくれませんか」

「相手も料理を」

「幹繁老(ガァンファンラォ)と言ってすぐ近くで」

「蘇州と聞いてますが。向こうさんに合わせなくてよろしいので」

「急ぎでなきゃさっきの話のついでに聞き合わせを」

「いいでしょ」

二人で後を置いてきぼりで出て行った。

幹繁老(ガァンファンラォ)も一息ついたところで範文環(ファンウェンファウン)の名を聞いて「瑠璃廠西街の範文盧(ファンウェンルゥ)さんと関係でも」と聞いてきた。

「おっ、そういやそうか。大勢の調理で頭が混乱していた」

「あっしの爸爸(バァバ・パパ)でござんす。今は徳勝門(ドゥシァンメン)近くで飯店をやらせてもらっておりやす」

「ぜひお願いしたい。永徳(イォンドゥ)さんにゃ悪いが婿入りが遅れても仕込んでいただきたい。そのうえであっしが鍛えて一流にします」

「水会(シィウフェイ)が本格的に動くまででよろしいですか、早まったら権鎌(グォンリィェン)に仕込ませます」

「其れって細米巷東権飯店の」

「二儿子(アルウーズゥ・次男)ですよ。今度隆福寺街(ロォンフゥスゥヂェ)の南へ店を持ちました」

「親以上の腕だと聞きました。いや、すごいことに成りそうだ。ぜひお願いしたい」

ヌゥーヂゥーレェン(女主人)があわてて「期限を切っておくれ」と騒いでいる。

「婿入りして、向こうに家を持ったって好いやな。腕が有れば食いっぱぐれはしない」

甫杏梨(フゥイシィンリィ)が心配そうに覗きこんでいた。

範文環(ファンウェンファウン)は「基本は有るんだ。ひと月と限りやしょう。修行にゃ限りがありませんから」と切り出した。

二人の料理人も納得して今日連れていくことに成った。

驚いたのは阮永戴(ルァンイォンダァイ)だが、料理人として腕を磨きたい気持ちが勝つた。

帰り道豊紳府により、二人で報告し、店で住み込ませた。

 

第四十二回-和信伝-壱拾壱 ・ 23-02-05

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

     
     
     
     
     
     

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