花音伝説
第四部-豊紳殷徳外伝 和信外伝 参
 第二十九回- 和信外伝- 阿井一矢   
 


 此のぺージには性的描写が含まれています、
18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
公主館00-3-01-gurunigungju 

 

嘉慶六年七月一日(180189日)

蘭玲は公主府(元の和第)で男子を無事出産した。

宜綿(イーミェン)の男なら福祥と云い置いてありその名が披露された。

嘉慶六年八月一日(180198日)

天津(ティェンジン)の街は災害の後は見えないほど綺麗になっていた。

結の仲間たちと会合を持ち不足分の聞きとりもして対策を練った。

食料は街中には十分あるという、通州付近は農民が政府の給付だけでは足りないと悲鳴が上がっている村もあるそうだがすべてが満足できる金は天津(ティェンジン)の富裕層でも賄いきれない。

于廷璽に蔡永清などを中心に質庫,抵当庫からも集めた古着の無償提供を申し出たという。

 

六日に一行は京城(みやこ)へ入りフォンシャン(皇上)へ旅から戻った報告をした。

嘉慶帝はインドゥたちの食糧支援をほめて「報いることは少ないが良くやった」と褒めた。

豊紳府はすっかり洗い出されて出かけた時より庭も整備されていた。

公主が十歳は若返ったかと思うほど溌溂としてインドゥ達を出迎えた。

王神医と丁(ディン)の妻子(つま、チィズ)達へも「これからも時々は顔を見せるのですよ」と家へ送りだした。

「詳しい話は追々と聞かせてもらうよ。いくら何でも一日で済む話でもないだろう」

與仁(イーレン)と宜綿(イーミェン)に英敏(インミィン)も家に戻り昂(アン)先生と姐姐を労って公主と二人に為った。

 

「よく皆を守ってくれた礼を言わせてもらうよ」

「哥哥こそ、結に漕幇(ツァォパァ)の人々をあそこ迄動かすには苦労も多かったことでしょうに」

二人は香槟酒(シャンビンジュウ)で伊太利菓子から届いたバーチ・ディ・ダーマ(女士之吻)を摘まんで話も弾んだ。

「このチョコレートの味はいいね」

「本当に腕がいいですわ。周徳海(チョウダハァイ)の所に女の子が生まれたんですよ」

「知らなかったぜ練燕(リェンイェン)も母親か、姐姐は喜んだろ

「姥姥(ラァォラァォ)と言って上げたら笑っていました。このお菓子を今日届けに来て聞いたばかりなんですよ。一日に産まれたばかりだそうです。水が出る前にお腹が出て来て公主府で預かっていたんですの」

和練燕(ハーリェンイェン)は孤児で、姐姐が格格に為るとき韓泰飯店(ハァンタァイ)から屋敷へ呼び寄せた。

婚姻も自ら母親として世話を焼いている。

和はフェンシェンインデたちの和(へ)とは違いハーというと聞いて、故郷を聞いたが京城(みやこ)へ来たとき四歳に成ったばかりで、両親も亡くなっていて分からないそうだ。

掛詞も楽しく出てくる、屋敷から結婚させた使女、奴婢は多くいて子供を連れてくるのが公主の楽しみの一つだ。

お祝いをどうするか話しながら二人は椅子を寄せ、肩を抱き寄せ楽しく時が過ぎていく。

膝へ載せて腰を抱くと公主の顔が期待で頬に血の気が増してきた。

榻(寝台)へ抱き上げて運んで服を脱がせ、抱き合って「どうすりゃこんなに若返ることが出来るんだ」と嬉しがらせた。

尻の丸みも昔のように硬さが有るのがインドゥには好ましい手触りだ。

路が悪く牧場へ行くにも馬で通ったそうだ、雲嵐(ユンラァン)など屋敷内で乗馬が出来るものに加えてフォンシャン(皇上)から差し使わせられてきた護衛の六騎が香山村の菜園、北側の宿舎と乳牛牧場と水源、東の紅門村の牧場と高台の水源へ五日に一度は往復したそうだ。

二人でイチャイチャしながら口づけを何度も交わし、胸を揉んで公主の高まりを誘った。

「シィア、とても素敵な鼻だよ」

「シィア、好きだよ」

「哥哥、私も貴方が大好きよ」

二人は昔を思い出しながら幾度も到達して満足し、インドゥがいつもの様に身体を拭くと肌艶が増した女ざかりの公主にまた惚れ直したインドゥだ。

抱き合ってふたりは眠りに落ちた。

 

 

十日に急がせた福州(フーヂョウ)の茶葉が與仁(イーレン)の元に届いて豊紳府の隣の倉庫へ入れられた。

寿眉(ショウメイ)二千擔六千四百両

運送費-三千六百両

孜(ヅゥ)の倉庫には鳳凰水仙一芯一葉六擔、一芯二葉六擔、一芯三葉六擔、鳳凰山十六擔の三十四擔。

都送り擔当たり送料千七百七十銭・一両七百七十銭

孜(ヅゥ)は與仁(イーレン)と相談の上で寿眉(ショウメイ)三両二百銭に口銭二人分二両、運糟費として一両八百銭上乗せすると七両なので店を五百銭にして七両五百銭で鄭興(チョンシィン)へ卸ろしたいと相談した。

「俺も孜(ヅゥ)も口銭が取れたんだ、お前さんの店も倉庫代以上に為れば困ることも無いはずだ」

賛成してくれた。

年契約で四蔵借りているので百二十両、負担にはならない。

鄭興(チョンシィン)へ連絡を入れると番頭が銀票で七千五百両持参して倉庫へひと月預かってほしいと相談されて了承した。

 

 

定親王府から奕紹(イーシァオ)が遣ってきたのは八月十五日の午を過ぎたあたりだ。

名目は茶の礼だ。

父親の綿恩(ミェンエン)の八月十四日誕辰の祝いに公主が届いたばかりの鳳凰の中から五十五歳にちなんで一芯一葉五包、一芯二葉五包を届けて置いた。

もちろん兄の嘉慶帝へ献上したとき根回しをしてある。

「七月三日の事だ」

「どうした唐突に」

「まぁ、聞けよ哥哥」

イーシァオはいつの間にやらそう言うのが習いになっている。

「フゥチンの夢に久しぶりに皇貴妃娘娘が現れたそうだ」

「大阿哥の額娘(ウーニャン)か」

「そうだ、フゥチンはお会いしていないが何度か夢に出て来たそうだ。先の定親王綿徳(ミェンドゥ)の遺品で未整理の物に大阿哥の物が多くあり、自分が刺繍した物が五十枚箱に仕舞われたままで気にかかっているという」

公主も刺繍と聞いて身を乗り出して聞いている。

「フォンリ(紅茘・ライチ-茘枝・レイシ)の物が多いというのだ。それを半分は固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)娘娘へ形見に届けてくれと云うのだ。心当たりは有るか」

二人は悩んでいたが「哥哥の巡遊の時フゥチンにおねだりした物と容妃娘娘の形見にフォンリの物と芙蓉(フゥロォンが有りましたわよ」と言う。

「俺が汚したものか」

「あれは容妃娘娘が婉貴妃娘娘に強請って手に入れた物ですわ

自分で箱を持ち出してきた。

「李」と「杏」が刺繍されたものと同じ図柄で名前の無いものがある。

「私が婉貴妃娘娘から聞いたのは春杏(チゥンシィン)・春李(チゥンリ)という使女が年季明けの後、頼まれて自分が刺繍したものならと、街の者にも下げ渡したというお話で、その時頂いたお金で娘娘の所へ来るたびにお酒を持って来てくれたというお話」

「誰の使女か聞かなかったのですか」

「だってご自分の所の使女のように話されていましたよ。此の名前の入っているのが容妃娘娘の形見で、無いのはフゥチンから頂いたもの。宝箱に十枚もあるのに二枚だけでしたわよ。もっとと言うのを同じ図柄が無いと断るんですもの」

奕紹(イーシァオ)が焦れている。

「それで夢の続きだが。フゥチンが公主へ贈っていいかフォンシャン(皇上)へお伺いを立てたので時が掛かってしまった。それでまた夢に出られたそうです。構わぬとフォンシャン(皇上)のお許しもありフゥチンの言いつけですべて持参したという訳です」

「全部頂けるの。半分じゃ無くても良いのね」

「茶のお礼と言う名目もあります」

提げ盆を従者から受け取り、和国渡りの加賀蒔絵の箱を二つ卓へ載せて中を見せた。

「まぁ、これ最近の物のように鮮やかですわ」

「親王府に他の物のと手つかずで置かれていて、フゥチンも包みをほどいて驚いていました。折りたたんだのを一枚広げたら間に刺繍された日付が小さな布に縫い取りされています」

「大阿哥が形見に受けてそのまま納めておいたようだね」

公主が次を話してと催促した。

「フゥチンの夢では仕舞うだけでなく使ってほしいと言われたそうです、霊魂に成って日の立つのが良く分かっていないというのですよ。公主娘娘の大婚は覚えているそうです、思い出を語られたと教えてくれました。おれには出てこないんですよ」

芙蓉(フゥロォン)と木槿(ムーチン)を出すと紫羅蘭-ヅゥルゥオラァン(スミレ)の香が漂った。

「あれこの香り、フゥチンから受け取ったときはしなかったけど」

公主もどこから香るのだろうと日付の縫い取りの小切れを嗅いだがそこからではない様だ。

インドゥは「そういえば大婚の日の晩」と言うと「あの夜この香りが」と眼を見合わせた。

イーシァオは二人が濃厚なのは見飽きているが、従者に使女は目のやりどころに困っている。

三枚目は積雪草(金銭草・連銭草)とわざわざ小切れに縫い取りがある「丁未六月二十九日」とある。

「前の丁未だと七十年以上前ね。珍しい花ですこと」

「それ父の話だと西二所と言われた当時の華印に使われた花だそうです」

西二所は重華宮(ヂォンフゥアゴン)だが三人は知らない。

昂(アン)先生が「健康哥哥と洪弟弟の夫人がおいでです。鄭紫蘭(チョンシラァン)の親子も来ています」とやってきた。

昂(アン)先生は普段通用門で非番の門番と碁を闘っている。

今日は鄭興(チョンシィン)の親子が晾谷廠胡同へ茶の売れ行きの相談をしてから豊紳府へ立ち寄ったそうだ。

どっちが目的だろうと昂(アン)先生は思っているので娘の名を告げた。

その話をすると「呼んでもいいかしら。四人に見せびらかしてあげましょ。イーシァオ弟弟も付き合ってね」

 

椋殻廠(乾隆15年)-晾谷廠(京城八旗図)-亮國廠(1914年)-晾果廠胡同(グーグルマップ)

毎年以松花(ピータン.≒皮蛋,蛋,松花蛋)、黄(黄連)、茶、核桃(胡桃)、榛栗(ヘーゼルナッツ)等の店が遠くから集まって来る。

 

 

四人が来て卓が華やかなので驚いている。

三枚は折れ目に合わせると花柄を見える様に並べた。

「こっちは容妃娘娘からのおさがりとフゥチンから頂いたもの。その三枚と箱の中は今頂いたの」

芙蓉を広げて見せびらかした。

健康(ヂィェンカァン)哥哥の夫人が「私の実家にこの李と杏の縫い取りの手巾が三十枚ほども大事にしまってありますわ。媽媽(マァーマァー)が嫁ぐ前に老爺(ラォイエ)に強請(ねだ)って買い集めたそうです」と懐かしそうに芙蓉(フゥロォン)の手巾を見ている。

「この名前のないのがお手本でしょうかしら。二人は何枚くらい頂けたのかしら」

公主も婉貴妃娘娘から聞いたのは子供の頃で詳しくはない、改めて聞くにも娘娘は八十五を過ぎた老齢で思い出してくれるだろうか。

フォンリ(紅茘・ライチ-茘枝・レイシ)の手巾を公主が広げて「フゥチンが私に下さるときとても残念そうでしたの、哥哥を半年旅に出すというのを私が嫌がったとき、気を引こうと持ち出した宝箱から見つけたんですのよ」と打ち明けた。

「箱にある椿は見事ですよ」

三人の女客は見たいと強請ったので公主は一枚ずつ出しては日付の縫い取りの有る小切れを上に乗せ乍ら花の図柄を見て感嘆している。

チァーフゥア(茶花・椿)は五枚あり桃色に白色、紅色、斑入り、黄色と並べると女性陣はうっとりと見ている、公主は昂(アン)先生に蘇花琳(スーファリン)も呼びなさいと言うと女性たちが続々とやってきた。

インドゥはイーシァオに「お役目は終わりだろ」と連れて逃げ出した。

公主はファリンに手伝わせて日付順に卓へ並べて皆で鑑賞した。

茶も菓子もなくとも眼の保養と女性たちは時の経つのも気にしていない。

夢華(モンハァ)が遊びに来ていてうっとりしている。

陳健康(ヂィェンカァン)のチィズ(妻子・つま)林蓬香(リンパァンシャン)も「ウーニャンに強請って分けて貰いたくなったわ」と白蓮蓬(パイリァンパァン)と話して居る。

鄭紫蘭(チョンシラァン)もファリンが来てようやく落ち着いたようだ。

イーシァオとインドゥは昂(アン)先生と鄭紫釉(チョンシユ)四人で宋太医の所で茶を出してもらってほっとしている。

「フゥチンはやはり賢明だ。こういう事態を予想しない俺が気楽に引き受けたりして、ばかだったよ」

「女の趣味に立ち行っちゃ駄目だと額娘(ウーニャン)に子供の頃教えられたよ。しかしイーシァオのフゥチンは慎重だな」

「お互い様だ。脚を引っ張る奴は些細な事でも眼の色を変える。哥哥以上に娘娘の方が慎重だぜ」

乾隆帝、嘉慶帝は親王、貝勒、貝子などの皇族と言えど私的友好、交流を望んでいない。

仮令手巾の贈与と言えど「企み」と勘ぐられると後が怖い。

イーシァオはしばらく話をしてから公主に暇を告げると「お茶葉は同じ樹で一芯三葉もあるから持ち帰ってね」と五包受け取らせた。

イーシァオは従者に渡して提げ盆の中へ入れて帰っていった。

鄭紫蘭(チョンシラァン)がまだ居残りたそうなのをフゥチンが急かして陳家の二人へ挨拶して辞去した。

 

 

常氏事、常秉文(チァンピンウェン)は九月一日朝日が昇ると直ぐに隆福寺街(ロォンフゥスゥヂェ)與仁(イーレン)の興藍行(イーラァンシィン)へ顔を出した。

大烟簡胡同の妓楼に泊まったという、興藍行迄一里もない。

「三官廟の前ですか」

「そうそう、妓楼は延聘老(イェンピィンラオ)で威勢の良い女将が仕切ってた」

三官廟は大慈延福宮、三十年ほど前に大修復がなされて壮麗な建物で高名だ。

門前から続く妓楼は新興で水の騒ぎで五城が営業できないうちに、六軒がいち早く態勢を整える事に成功した。

三人で蘭園茶舗(ラァンユェンチァプゥ)へ向かい商談を始めた。

「値上げかとびくついたぜ」

値を下げて売り渡すという話で付いてきた手代と笑い合っている。

直ぐ七千五百両の銀票で支払いをし、明日倉庫で受け取るという。

「送る手立てが付くんですか」

「京城(みやこ)へ荷馬車六十三台で薪と炭に石炭を運んで来た。西便門外二里になじみの薪炭商巷があるんだ。明日の朝、十台ごとに順に入れるから倉庫の地図を書いてくれ」

「これから書いたうえでお連れします」

「頼むよ」

図面を二人で同じものを書いて渡した、商巷は三十軒ほどの薪炭商人に農産物の卸問屋が多いという。

紫禁城内専用の薪炭は東の東直門から毎日運び込まれている、玉泉山の水は西直門と決まっていた。

「宣武門へ入って正陽門の後ろを通り抜けるか、回り道でも崇文門まで回り込むかだな」

水路に沿って下り、親王府の南側の倉庫へ着いた。

番人に札と鍵を見せ、敷地へ入ると十一番倉庫と十二番倉庫の千擔の荷を見せた。

「明日辰には此処で鍵を持ってお待ちします」

與仁(イーレン)が伝えて隣の豊紳府の通用門で面会の都合を聞いた。

丁度昂(アン)先生が詰所に居て四人を呼び入れた。

公主に面会して常氏と手代はどぎまぎしていたが、人当たりの良い扱いで直ぐ心やすげに張家口から先へ、ラクダの行列に付いて行った時の話を始めた。

昔は城内迄ラクダの隊商が荷を運んでいたことなど公主にとって初めて聞く話も有り興奮している。

出された茶に手代が「これは好い茶ですね」など場所を忘れた言葉まで出るので孜(ヅゥ)は可笑しくてたまらない。

伊太利菓子との取り合わせが口に合うようで手代も口が軽くなっている。

四人で正陽門まで出て昼を食べる事にした。

與仁(イーレン)が前門の牌楼をくぐって路地を抜け、取灯胡同の菜店へ案内した、孜漢(ズハァン)の直営の何でも屋だ。

倉庫は大取灯胡同でこっちは普通の取灯胡同だというが街の案内は大など書いてないと笑わせた。

「じゃ聴くときはどうすりゃ」

いまだにわからないんだと與仁(イーレン)はとぼけている。

與仁(イーレン)の顔を見て勝手に茶に続いて蒸籠から料理が出てくる。

「注文は」

「そんなのはじめての客だけさ。気まぐれ店主にゃ通じない。哥哥に昂(アン)先生と付き合うにはこういう偏屈もんの料理人が一番だ」

「また悪口言ってるな。四川の辛い豆腐料理でも出すか」

「良いな其れ。ついでに白蘭地(ブランデー)でも出すかよ」

「フン、そんな高いの予約じゃ無きゃ無理だ。飲みたきゃ小僧に買いに行かせるぜ」

軽口の応酬をしているうちに麻婆豆腐がでんと卓へ置かれて常氏は驚いている。

可愛い小娘が取り皿を出して「残さず食べてね」と引っ込んだ。

「あんな娘いたっけ」

「何言ってる。家の富富(フゥフゥ)忘れたか」

「えっ、去年こんなにちっちゃかった。美人に為るとは思いもしなかった」

「女一年観ないと成長するね」

親父、娘を美人と言われて嬉しそうだ。

常氏は辛い物が好きなようでどんどんお代わりしている。

その間にもハーカオが出て来た。

手代も「媽媽(マァーマァー)の手料理を思い出す」と手が出ている。

「あと何食べる」

「もう十分だ」

常氏が言って「いくら」と聞くと「與仁(イーレン)の付けだからと亭主に留められた。

瑠璃廠東の廊房頭条胡同(ラァンファントォゥティアォフートン)幹繁老(ガァンファンラォ)の前で常氏達と別れて東城下へ戻った。

 

 

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から孜(ヅゥ)の所へ薛(シュェ)家から壺入りの武夷肉桂の水簾洞の壺入りが三十五口送られてきた。

公主は人をかき集めて三十口を持たせ、直ぐフォンシャン(皇上)にフォンホウ(皇后)と額娘(ウーニャン)に届けに出た。

嘉慶帝は十口の中から軍機処へ五口を下げ渡した。

戻った公主は重陽の節句に菊見に行こうと誘った。

「どこまで行くんだい菊花酒を飲むなら山へでも」

「兄からお誘いを受けましたの」

菊花(ジィファ)を見て菊花酒を飲もうという。

「円明園かね」

「いいえ、什刹海(シィチァハィ-后海・ホウハイ)の御花園」

「成親王府の事」

「そうなんですわよ。今日フォンシャンへお茶壺を届けたら十一阿哥(シュアグゥ)が菊見を御誘いに来られていて、私と貴方を誘っていいかと許可を取って下さったんです」

「そういえばあの庭に何年も入っていない」

「私も五年前にやはり梅見に入っただけですの」

「そういえば綿聰(ミェンツォン)や綿偲(ミェンスー)にもこのところ会っていないな」

十一阿哥は成親王永瑆(ヨンシン)で和珅(ヘシェン)の花園を拝領して親王府として整備している。

「お土産に茶壺を二口持っていくと約束したんですよ」

二人は花園を思い出してどの様に管理されているのか楽しみにして、その日を待って朝早くに船で出向いた。

船を降りて小川を渡ると門は開いていて侍衛たちが番をしている。

辰を過ぎたばかりだフォンシャン(皇上)のお帰りはまだないだろう。

綿懿(ミェンイー)がインドゥと公主を案内してくれた。

成親王はフォンシャン(皇上)にフォンホウ(皇后)と一緒に池のほとりの亭で朝から菊花酒を飲んでいる。

「フォンシャン(皇上)は円明園へ向かわれるから、ご挨拶して一回りしておいでなさい」

成親王に言われ、フォンシャン(皇上)にフォンホウ(皇后)に挨拶して見送った。

池を右回りに案内されると菊の道とその後ろに薔薇の棚がある。

黄色で揃えたようだ。

橋からは柏の樹が目立ちその脇に春に咲く海棠がわびし気にある。

橋を渡り切ると大きく育った菊畑がある、右と左は種類が違う。

綿懿(ミェンイー)は「円明園の半分も種類が有りません」と謙遜している。

「十一阿哥(シュアグゥ)はフォンシャン(皇上)に遠慮して増やさないのよ」

ミェンイーの方が年上だが姑媽(グゥマァ・姑姑ググ)の公主は遠慮がない。

綿聰(ミェンツォン)と綿偲(ミェンスー)が向こうからやってきた。

二人共に夫人に子供たちを連れた大行列だ。

夫人たちを先に行かせて亭へ向かった。

成親王と息子たちが公主にも勧め、酒を酌み交わしていると富察夫人が来て「お土産に茶壷を頂きました」と報告し、自分も菊花酒を下さいと強請った。

昔この夫婦への悪口で「夫人は家で粗末な衣服しか着せてもらえない」など言われて困ったことがあった。

と母親の他塔喇氏(タタラ)が額を持って来た。

「俺の字じゃ不足だろうが」

そう言って「真人不露相」と書いてあるのを公主へ渡した。

公主は連れて来ていた雲嵐(ユンラァン)に渡した。

「朝書いた物をフォンシャン(皇上)に見られて妹妹にあげろと言われてしまったので額へ入れたよ。抜山蓋世もあったがそっちは向かないと言われた」

礼を言っていたらインドゥが口をはさんできた。

婉貴妃娘娘の宮女に春李(チゥンリ)と春杏(チゥンシィン)と言う人が居たか覚えておりませんか」

「フゥーディエウーニャンの所じゃないよ。刺繍が上手でうちの妻子(つま、チィズ)も頂いたよ」

「とっても素敵ですわよ、岳母(ュエムゥ)のも頂いたけどどれも今じゃ真似をするのも難しそうですわ」

実はイーシァオがと刺繡入り手巾を貰えた話をした。

「二人ともその大阿哥(ダァァガ)の額娘(ウーニャン)、皇貴妃娘娘の掌事宮女だよ」

花音(ファーイン)は富察花音、追封されて哲憫皇貴妃(ジゥーミィン)娘娘の呼称で人に伝わっている。

「儂が逢ったときにウーニャンより一つ上だと言っていたから、二人とも八十八にはなっているはずだ。大水の時にウーニャンが心配するので人を遣ったらまだまだ元気だった。春李(チゥンリ)の所では曾孫までが見舞いに来ていて、子供が出来たと言っていたそうだ」

孫に孫が生まれたという事のようだ。

十一阿哥(シュアグゥ)は岳母(ュエムゥー)ではなく額娘(ウーニャン)を普段から使う。

聞き合わせに出た馬丁によれば春李の隠居所は阜成門外二里の街道北側だという。

春杏は此処から西直門外、西北へ五里のラマの真覚寺西側という、二人の間も五里ほどと言う。

昼前にインドゥと公主は辞去して対岸の公主府(元の和第)へ入った。

雲嵐(ユンラァン)に持たせた額を大騒ぎで居間に飾りインドゥと二人が残って豊紳府へ戻らせた。

薔薇を見て回り庭番の丹精をほめて庭を回った。

和国から来た茶梅花(チャメエィファ・山茶花)はもう三十年ほどの樹齢だという。

桃色の花びらがそこかしこに落ちて道が彩られている。

公主が好きなのでおいでの日は掃除を控えている。

菊の道は庭師の意見で蜂や虫たちに花粉を運ばせ、好き勝手に交配が進んで色取り取りの花が咲き乱れている。

菊好きを呼んだら怒られるのは必至だ。

庭師は「チュイファ」と普段は菊の事を発音するし「クゥ」とも言うと教えてくれた。

 

 

康演(クアンイェン)が珍しく平大人と十六.七の若い女を連れてやってきた。

公主が「どちらのお子さんなの」と聞いた。

「それがね息子の妾なんですよ」

「また作ったの」

公主が知っているのは五人だ。

「最近の話ですがね。此の翠鳳(ツゥイファン)と言うんですが。父親がちょいと名の知れた料理人ですが、大水で店が潰れたんですよ」

「まぁ、それは苦労が絶えないわね」

「孜漢(ズハァン)の安聘(アンピン)菜館の料理人の峰(フェン)が仲立ちで会ったらこいつが一目でほれて、親子共々面倒見るというんですよ」

公主も平大人の話が長引きそうで康演(クアンイェン)の方へ話を振った。

「私で済む話なの」

「いえ、哥哥にお願いなんですが。菓子を買いに出たというので時間稼ぎで」

「なら、戻ったらもう一度聞くよりそれから聞くわ」

インドゥが戻って話を聞いてみると姚翠鳳(ヤオツゥイファン)は十七歳フゥチンは三十六歳と云う。

姚翠鳳(ヤオツゥイファン)を結へ推薦しその銀(かね)で料理旅館を遣らせたいという。

康演(クアンイェン)はだいぶこの色黒の娘が気に入って居る様だ。

色白雀斑を好む男は多いが、康演(クアンイェン)は何処か気に入ったところが有って銀(かね)を出したのだろう。

京城(みやこ)では色黒雀斑では嫁を紹介する老媼(ラォオウ)も手が出にくい。

七月末に知り合って三月で性根を見際めたと云う事だろうか。

女もすっかり康演(クアンイェン)を頼りにしているようだ。

水が引いて平親子共に京城(みやこ)へ来る機会も増え、康演(クアンイェン)に出会いがあったという事のようだ。

 

平文炳(ピィンウェンピン)が乾隆十年生まれの五十七歳。

老大(ラァォダァ)平康演(クアンイェン)は乾隆二十七年生まれで四十歳。

其の老大が平関元(グァンユアン)、乾隆四十五年生まれの二十二歳。

代々若い時から子供に恵まれている。

関元も四人の子持ちだ、紅花(ホンファ)と最初の子は八歳に為る。
孟康瑛(モンクアンイン)乾隆五十九年生れ。
孟紅蘭(モンホンラァン)嘉慶三年生まれ。

杭州の妻子(つま、チィズ)舒慧蓮(シュフゥィリィェン)との間に男二人。
平峰征(ピィンファンジァン)嘉慶三年生まれ。

平峰源(ピィンファンユァン)嘉慶五年生まれ。

「ところで目当ての場所は有るのか」

「ツゥイファンのフゥチンの飯店の場所に周辺がそのまま空いていますので建て直します」

「どのくらいの規模に為る」

「平大人の幹繁老(ガァンファンラォ)より大きくなります」

公主が驚いている「あんなに大きいのにそれより大きくするの」と念を押している。

「店が開けるというのでこいつのフゥチンが気合を入れて人集めを始めました」

店が潰れたということは外城でも西側のようだ。

茶食胡同(チァーシィフートン)だという、宣武門の近くのはずだ。

「北城の一番北側です」

京城(みやこ)に詳しくないと、聞いても一番わかりにくいが宣武門と言えばすぐ通じる場所だ。

「桂園茶舗分店でも五尺位で引いたというが」

「水嵩より西河からの水の勢いで店が使い物にならなくて、日銭が入らなくなったんです」
菜市口方面が高く水は行き場がなかったようで西河の溢れた水がいつまでも残ったと言う。

「そうか太液池(南海)の排水路が近いせいか内城の水の落ち口だ。瑠璃廠の大廈の壁に当たって渦を巻いたと聞いた」

娘が屋根へ逃げるのが精一杯でしたと言う「六月三日に家族が屋根で過ごした怖さは身震いするくらい怖い事でした」と思い出して震えている。

楊閤(イァンフゥ)と言う名の菜館の名をそのまま使うという。

「うちの幹繁老(ガァンファンラォ)と同じ大工が同じような作りにすると材料を集めています。調理人五人、女中十人は最低集めるとこいつらが張り切っています」

修理は無許可でも改築は新築と同じで許可がいる、持ち主が娘に為るなら煩い事もないだろう。

 

 

嘉慶帝は嘉慶六年分の銭糧(税金)全額免除六十四州県、半額免除三十四州県を軍機処に命じた。

十月二十二日冬が来る前に順天府大興(ダーシン)県貧民九千二百六十二名、宛平県(現大興区)貧民九千九十二名に一万八千八件の棉衣を票に基づき散給した。

五城内の極貧の男女九千五百六十二名に給付証が出され、給付資格を確認した後に棉衣が散給された。

 

この時代正確な数字は不明だが二十万人以上の人が外城に住んで居た。

これに他地域に戸籍がある者を加えれば倍に増えるはずだ。

内城、外城全体で六十四万人だという資料まである。

百年を経ずして人口は倍に増えたという。

 

五城

東城-至外城東城垣,北至内城南城垣,南至外城南城垣,西至崇文門外大街。

西城-自宣武門外大街西至外城西城垣,北至内城南城垣,南至外城南城垣。

南城-自崇文門外大街西至三里河街,北至内城南垣,南至天壇。

北城-自宣武門外大街東至石頭胡同,北至内城南城垣,南至外城南城垣。

中城-自正陽門外南至永定門、東至三里河,西至石頭胡同。

(現今大柵欄西街西口)。

 

外城-00-03-03-1750

外城1908-west-01

外城1908-east-01

外城-00-03-02-1908


捐献(献納)、蔡永清等は銀六千七百両の捐献で棉衣二万件。

江蘇巡撫岳起(ュエチィー)は黄河の堤防の強化と浚渫を上奏した。

遡れば六月には麺食を給付し、七月に給粥を行っている。

六月十八日の報告。

永定門外・右安門外・城外八十村荘の被災男女は一万八千~一万九千人。

多くの運糟船が荷を積んで被害に遭った中での食料調達は容易ではなかった。

稜米の使用量は約二千六百石、制銭約五千二百六十六串が費やされた。

京倉稜米二千四百石を賞給し、長新店と盧溝橋に粥廠を増設された。

展賑は八月一日から八月三十日まで、右安門外の増寿寺に粥廠を設け、官方が一日米三石を給付した。

八月上旬における一日の平均領賑者数は千五百七十人に上った。

直隷各州県の大賑に必要な資金は百五十万両であったが、百四十五万両が準備され、その内訳は両淮解京商銀百万両・浙商捐備賑銀三十万両・他捐銀十五万両と、九割は商人からの捐献であった。

急賑実施時に截留した漕糧六十万石が皇帝から賞給されたが、これでは大賑に不足した。

そこで、署理直隷総督陳大文は嘉慶帝の許可を得て、山東で十万石、奉天で十五万石、河南で五万石の米麦粟を採買し、大賑の賑糧とした。

 

 

嘉慶六年十二月五日(180218日)

フォンシャン(皇上)は豊紳殷徳(フェンシェンインデ)を呼び出した。

平儀藩(ピィンイーファン)が呼ばれ和信(ヘシィン)の事が話し合われた。

年一度ないし二度は親子の対面を許す事、改めて家は継がせない事が告げられた。

 

嘉慶六年十二月十五日(1802118日)

豊紳府で女たちの集まりがあった。

固倫和孝公主に寶絃姐姐と産婆の王李香が呼びかけた。

龍蘭玲(ロンラァンリィン)と蘇花琳(スーファリン)に胥幡閔(シューファンミィン)が集まった。

胥幡閔(シューファンミィン)龍蘭玲(ロンラァンリィン)の二人子供達を乳母に預けて王李香(リーシャン)の家に控えさせている。

「京城(みやこ)も落ち着いてきてこれからの事を相談しましょう」

福恩福祥と宜綿(イーミェン)の家の事、銀(かね)の管理、豊紳府に公主府(元の和第)の庭の管理、屋敷の管理と進んでフェンシェンインデの格格を置くかどうかの話になった。

「哥哥は奴婢や使女たちに手は付けないし、一人心当たりがあるので李香(リーシャン)の手を煩わせていただいたの」

ラァンリィンは「妹妹(メィメィ)の事でしょうか」と察したようだ。

雲嵐(ユンラァン)は王李香(ワンリーシャン)の元で産婆の勉強中だ。

「そうなの、あの娘ももう直に十八歳、半年たって嫌なことは忘れて良い頃よ」

「でも」

「わかるわよ。でも穴無しなんて信じない。無毛は幾らでも例が有ると王さんもおっしゃっているわ。今のままでは嫁に出しようもないのは分かるでしょ」

王の老媼(ラォオウ)も「無毛は二百人に一人くらいですが居られました。和毛と違い産毛程度の人、疎らな人は世間には大勢いる筈です」と話した。

「本人が恥じて応じないときは」

「根気よく言い聞かせることが大事だと思うわ」

寶絃(パォイェン)が「いま私たちの周りで奴婢に使女を除けば十代の娘はあの娘だけ。茶問屋の鄭紫釉(チョンシユ)は娘の鄭紫蘭(チョンシラァン)を此処へ勤めさせようと狙っているけど、十二歳じゃませて居ても使女ならともかく格格では困ります」と今は無理という。

本当に「穴無し」なんてあり得るのかと花琳(ファリン)が心配そうに聞いている。

胥幡閔(シューファンミィン)は「話は聞きますが、媽媽(マァーマァー)と私の相談経験では、膜の厚みが有るのと隙間が狭い人が居ましたが、身体が成長して年と共に広がるようです。雲嵐(ユンラァン)だって年齢と共に広がるはずです」と媽媽(マァーマァー)の王を見た。

「そう、十五以下の娘で月の物が来始めた頃はまだ広がる状態ではない人が多く痛い思いはするでしょう。何事も男次第です、穏やかに女を扱う人なら大丈夫ですわよ」

公主が真っ赤になって頷いている、集まっているのは全員出産経験がある女たちだ。

龍雲嵐(ロンユンラァン)の気持ちを寶絃(パォイェン)が聞きだすことになった。

 

 

姐姐に「格格が増えてもいいのか」と聞いた。

「だって哥哥にいつまでもこんなお婆さんが格格だと思われたくないわ」

「そんな事思ったことないよ。寶絃(パォイェン)は俺の大事な女だ」

子供は乳母が連れて行ったので久しぶりの二人の夜だ。

船に乗っていた時ほどの腹筋は無いが、街の四十女に比べたら格段に力は有る。

大水の時に率先して動いていて、力こぶが凄いことに成っていたと宋太医夫妻が教えてくれた。

久しぶりに胸に顔をうずめると子供をあやす様に背を撫でる仕草が愛おしい。

「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」

昔ほど派手ではないが房事を楽しむように色々な体位をさせても答えてくれる。

行きそうになると「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になって)」と正常な形で行こうとする。

「ハイヤオ、ハイヤオ、ハイヤオ(要もっと、もっと)」

そうインドゥにせがんで我慢の限界か仰け反ってきた。

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)。姐姐と出来て最高に幸せだ」

眼を瞑ってにっこりとほほ笑んで抱きしめて来た。

 

 

嘉慶七年一月一日(180223日)壬戌

四日

龍雲嵐(ロンユンラァン)は豊紳殷徳(フェンシェンインデ)の格格として王老媼(ラォオウ)の家が正式に住居とされた。

王李香(ワンリーシャン)は姐姐(チェチェ)の所が住居のようなものだ、奴婢は雲嵐(ユンラァン)に今でも仕えているのと同じで、一人か二人の使女を増やせば済む。

この日まで家の手入れを入念に行ったのと、インドゥがなぜかあやふやな事を云うから遅れた。

決め手は平大人と兄の龍莞絃(ロンウァンシィェン)が暮れに来たからだ。

「また嫁ぎ先を探して無理やり婚姻はさせたくありません」

「哥哥、あなたの読んだ本にそんな事書いてありますか。男として屋敷の奴婢、使女に手を付けないのは立派なお考えだと思いますが、雲嵐(ユンラァン)は何方(どちら)でも有りません。困っている女を助けてください。このまま一生産婆の儘、屋敷での飼い殺しにされるのは哥哥も気が進まないはずです」

雲嵐(ユンラァン)はやはり渋ったが王李香(ワンリーシャン)と胥幡閔(シューファンミィン)母娘の診察を受ける条件で納得した。

 

床入りの夜インドゥは「半月は辛抱しなさい。恥ずかしいときはそう言いなさい。話は聞いたけど痛いときは時間と日にちを掛ける様に言われている。雲嵐(ユンラァン)が嫌いだから手を抜いている何て思っちゃだめだよ」と二人に為ると抱き寄せて言い聞かせた。

手順は知っているはずと遠慮しないことにした。

綺麗な首筋から肩口、胸と背中を見てインドゥは興奮している「冷静でいられるかな」そう心が訴えて来る。

手触りの良い柔らかな胸を揉みしだき、乳首を唇に咥えていると雲嵐(ユンラァン)の呼吸が早くなってきた。

口付けをして心を落ち着かせた。
言われていた通りの産毛のような手触りだ。

臍から順に舌を這わせていく、肌から湯あみの百合の香りがした。

膝を広げると恥ずかしそうに手で顔を覆ったが、嫌がる素振りは見せない。

もっと子供なのかと思ったが年相応の発達はしているようだ。

雲嵐(ユンラァン)は「いえいきなり押し入れて来られて、痛いと飛び上がって逃げ出しました」という。

「女を知らない男だったのかい」

そう言いながらもう一度胸を揉み上げたら声が潤んで来ている。

「いえ、床入り前に妓女を泣かせたなどと、自慢話を四半刻も喋って、お酒を飲んで居ました。肩の辺りをいやらしく撫でまわすばかりでした」

最低の奴だとインドゥは怒りさえ覚えている、新婦に聞かせる自慢ではない。

「王老媼(ラォオウ)が言っていたけど、刻さえ掛ければ痛くないとは大げさだが、我慢はしておくれ」

「はい、哥哥の言う通りにいたします」

どうやらここまでの手順で期待も膨らんでいるようだ、發硎新試(あらだめし)で自分が女なのか女のなりをしただけの者かがそれで分かるはずだ。

「痛くはないか」

雲嵐(ユンラァン)は「ハァッ」と息を吐いて仰け反っている。

「我慢できますわ」

「こんないい気持は初めてだよ。とてもいいよ雲嵐(ユンラァン)」

「アアッああっ。哥哥。哥哥」

「今日は初めてだから強く動かずにもう少しこうして居ような。痛いときは抜くからそう言うんだよ」

「まだ我慢できます」

尻を持ちあげると雲嵐(ユンラァン)が喘いでいる。

「落ちます。落ちます」

手を出すので尻の手を離して指を組みあって身体を引き起こして口づけをした。

手を尻から離したので雲嵐(ユンラァン)の腰が揺らいでいる。

「行くぞ、行くぞ」

「大丈夫か。我慢しすぎだぞ」

「嬉しいです。でもどうしてあの男は逃げ出したんでしょう」

可愛い顔で考えている、痛みは其れほどでもないのだろうか。

どうやら酒の飲み過ぎで半立ちの儘で処女の膜へ激突したようだ。

「余分な心配させて。おかげで雲嵐(ユンラァン)の人生台無しになるところだ」

「でも」

「なんだい」

「おかげで哥哥とこうしていられます。礼を言いたいくらいです」

「先ほどより百倍もいい気持ちです。哥哥が大好きです」

「今日は初めてだから無理なことはしないよ。気持ちが良くないときは正直に言いなさい」

「ファンシィ、ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜、嬉しい)」

雲嵐(ユンラァン)の声が高まってきた。

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」

インドゥは抑えていると言った言葉と裏腹に腰の動きが強くなったようだ。

インドゥが精を送り込んだ。

「ああっ~~」

雲嵐(ユンラァン)が遅れて到達したようで体が反り返って腰を押し付けて気が飛んだ。

抱きしめて首筋を爪でなぜると気が戻って口づけをせがんで悶えた。

「好きです哥哥。こんなに幸せな気持ちに為れて嬉しい」

「こんなに好い女に為って俺の所へ送ってくれた神様に感謝だな」

「もう哥哥は、娘娘に姐姐のおかげですよ」

「そうだ我が家の女たちを大事にしないと罰が当たる」

王李香に胥幡閔も遅くまで公主と蘇花琳、姐姐たちと語らっていたが、どうやら問題はないようだと散会した。


一月五日朝

公主の居間に屋敷の女性たちが集まってきた。

産婆の李香(リーシャン)が雲嵐(ユンラァン)を連れて来た。

「無事に破瓜はお済に為りました」

「良かったこと。昨日は心配でしたよ」

雲嵐(ユンラァン)は恥ずかし気に俯いている。

「旦那様に優しくして頂き、無事に格格の務めが果たせました」

「あんな話信じなくて良かったわ。貴方の家族もこれで安心だわね」

使女、奴婢たちにまで祝いで香槟酒(シャンビンジュウ)が振舞われ、公主から記念の品が配られた。

 

十五日

雲嵐(ユンラァン)は部屋へ来たインドゥに口づけされたが、恨み言をいうのだった。

「私のは良くなかったのでしょうか」

「そういう事ではないよ、付き合いで忙しかっただけだ」

雲嵐(ユンラァン)はインドゥが妓楼へでも通っているのかと邪推するほど毎日出て行くので、泣いて姐姐に相談して笑われたばかりだ。

「感度が良すぎるので心配だ」

口付けして舌を吸われると雲嵐(ユンラァン)は期待で胸が張るのが分かった。

「ああっ、あう、ああっ、あう」

横抱きにされ乳房を揉まれるとユンラァンの声に艶が出て来た。

ユンラァンは自分が動けないので「プゥーシィン(不行・駄目)」と涙声で頼んだ。

インドゥが止めないので「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になって)」と懇願した。

恥ずかしさが増すユンラァンの顔がインドゥには悩ましく思える様だ。

脚が降ろされ腰を引きよされると蜜着してインドゥの動きが止まった。

眼を開けると「シュゥフゥマァ(気持ちいい)」と聞かれ「シュゥフゥマァ(気持ちいい)」と答えると小刻みに揺すりたてられて気が遠くなるほど気持ちが良くなるユンラァンだ。

「ウォージェンダアイニー(本当に愛しているよ)」

その声で気を取り戻して動きに合わせた。

「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

落ちる様にユンラァンの気が飛び、インドゥは座位に為ると引き寄せて抱きしめた。

繋がったままで抱きしめられていたことにユンラァンは気が付き「ウォーアイスニーラ(我愛死你了・死ぬほど愛しています)」と首筋にしがみ付いた。

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)」

インドゥは「気持ちが良くて我慢するのが大変だ」と耳へ囁いた。

「そんな我慢されずに一緒に行ってください」

「男は何度も精を送ると疲れがたまるのさ」

「そんなぁ、私はどうすればいいのです」

「何度でも行ってくれるとその度に快感が来るんだ」

「一緒に味わいたい」

尻を上下にゆすられユンラァンは夢心地に為った。

「これねこれね。とてもいいです」

「良いぞ良いぞ。ユンラァンは上手だ」

又快感が押し寄せ「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」とインドゥに願った。

「行くぞ行くぞ」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

インドゥに遅れまいと「アアッ、アアッ」と落ちて行った。

ユンラァンは気が付くとインドゥが湯で体を拭いて呉れている。

 

月末

龍雲嵐(ロンユンラァン)は日に日に女らしさが増し、異国風な妖艶な女に為っていく。

姐姐(チェチェ)の蘭玲(ラァンリィン)が「一族一番の美人だ」というと寶絃(パォイェン)も「春鈴(チュンリィン)が見たらどういうかしら。見せてあげたいわね」と見とれるほどの女っぷりだ。

男の精を受けて子供から大人へ脱皮していく。

花琳(ファリン)と昂(アン)先生の夫婦が「公主娘娘が嫁いできた当時と似て来た」と騒いでいる。

公主は昔の服を花琳(ファリン)と取り出し、雲嵐(ユンラァン)に着せ替えては喜んでいる。

インドゥと宜綿(イーミェン)に自分とお揃いで着替えて見せてくる。

「まるで姉妹だ」の声に公主も嬉しそうだ。

おさがりで蘭玲(ラァンリィン)まで十着以上も貰え「春鈴(ロンチュンリィン)の分も欲しいです」などと甘えて公主を喜ばせた。

インドゥは雲嵐(ユンラァン)を格格にしたら寶絃姐姐が焼餅を焼く心配が、噓のようで、姉妹よりも母娘のように親密なのに安心した。

雲嵐(ユンラァン)は一族の中に溶け込んで皆に好かれている。

公主は雲嵐(ユンラァン)の案内で災害の中で産まれた子供たちへの支援に率先して飛び込んでいく。


日が経つと雲嵐(ユンラァン)は寝屋の仕草も格段の進歩がある。

榻(寝台)へ上げて服を脱がせると乳房も膨らみが大きくなったようだ。

薄桃色の乳首はもまれて紅く色ずき、インドゥの気持ちを高ぶらせてくれる。

雲嵐(ユンラァン)の気も高ぶって喘いでいる。

感度が良すぎる様だ、引くときに切なそうな声が出る。

脚を降ろして押し引きすると腰の動きを合わせられるようになった。

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」

指をかみ耐えながら出る声は切なげでインドゥの気を高ぶらせてくれる。

「シュゥフゥマァ(気持ちいい)」と声を掛けると「シュゥフゥマァ(気持ちいい)」と返してきた。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

そう言って身体が反り返りインドゥの高みを求めて来た。

「グオライ、グオライ、グオライ(来・来て)」

顔が引き締まり異国風の顔立ちが一段と際立って雲嵐(ユンラァン)も到達して、身体の力が抜けた。

上のインドゥは弾みを付けて横へ転がり雲嵐(ユンラァン)を上にして抱きしめて「ウォージェンダアイニー(本当に愛しているよ)」と囁いた。

インドゥの胸に手を突いて顔を覗き込むように「ウォーアイスニーラ(我愛死你了・死ぬほど愛しています)」というともたれこんで胸を押しつけた。

 

 

香鴛

(シャンユァン)

乾隆五十八年三月六日

誕生-南京

檀飛燕

(タァンフェイイェン)

香燕

(シィァンイェン)

乾隆五十九年一月七日

誕生-無錫

潘燕燕

(パァンイェンイェン)

(シィン)

乾隆五十九年十二月十九日

誕生
-「京城(みやこ)」・余姚(ユィヤオ)

固倫和孝公主

(グルニヘシィアォグンジョ)

莱玲

(ラァイリ)

嘉慶四年九月二十九日

誕生-京城(みやこ)

潘寶絃

(パァンパォイェン)

佳鈴

(ジィアリン)

嘉慶六年一月三〇日

誕生-河口鎮

鄧鈴凛

(ダンリィンリィン)


 

二月一日

和信(ヘシィン)が寧波(ニンポー)から都へ遣ってきた。

住んで居る屋敷は余姚(ユィヤオ)にある。

王陽明(本名:王守仁)の故居で有名で、その地から西の北城の西門を出て十五里ほど。
三十軒ほどの農家に囲まれた邸がある。

浙江省紹興府余姚県、塩業の人たちの隠居屋敷と余姚の人たちは思っている。

康熙帝から許されたと代々の浙江巡撫は引継ぎを受けるという。

嘉慶四年(1799年)からは阮元という学者が任に着いている。

泊まるのは前に泊まった廊房頭条胡同(ラァンファントォゥティアォフートン)幹繁老(ガァンファンラォ)だ。

平儀藩(ピィンイーファン)と平文炳(ピィンウェンピン)が案内に付いて正陽門の前を東へ出ると翰林院を北へ運河に沿って歩いた。

途中左手に建物の間から見える紫禁城の説明をされながら半刻ほどで豊紳府の船着きの裏門へ出た。

出迎えたのは平康演(クアンイェン)と檀公遜(ゴォンシィン)の二人だ。

奥に見える大きな家を左からぐるっと回ると閉められているが大きな門の前に出た。

二重に為った門の庭側は開かれていて其処を通って、鉢植えの花の道を抜けると幾人もの女の人に迎えられて家に導かれた。

媽媽(マァマ)が拝礼して信(シィン)にフゥチンの豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様とウーニャンの固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)娘娘ですと教えたので、拝礼すると公主が立ち上がって抱きしめてくれた。

「良くここまで育ってくれました。嬉しいですよ。これからは毎年一度ですが会えますから逞しく育ってくださいね」

「はい、有難うございます」

他人行儀なのは信(シィン)には一度しか記憶がないのだから仕方ない。

供に連れて来た男たちが楊梅(ヤンメイ)の白酒漬の瑠璃の瓶を土産に三十本受け取ってもらった。

前年の五月に家人総出で百二十本の樹から摘み取って三百本の瓶と百口の壺に漬け込んだものだ。

「今日はあなたの姉と妹も紹介するわね」

檀飛燕(タァンイェンヤン)に連れられて檀香鴛(シャンユァン)が部屋へ来た。

「前に逢いましたね」

「ごめんね。あの時はまだ言ってはいけないと言われていたの」

檀香鴛(シャンユァン)はこの時十歳、和信(ヘシィン)が九歳だ。

潘寶絃(パァンパォイェン)が莱玲(ラァイリ)を連れて来た。

「この子が妹妹の和莱玲(ヘラァイリ)で四歳よ」

姐姐に昔あったと信(シィン)が覚えていた。

「一度、それも四年前くらいかしら」

「はい、銭塘江(チェンタァンジァン)の海嘯を見ると平大人が案内してくださったときです。戊午の年の八月十八日でした」

戊午の年は嘉慶三年。

一同が記憶力に驚く中、公主が一番喜んでいる。

「あと一人妹がいるけど遠くて呼べなかったの。名前は鄧佳鈴(ダンジィアリン)でまだ二歳なのよ」

信(シィン)はよく覚えておこうと頭の中で反復した。

翌二日の龍抬頭の祭りの船行列は五龍亭から見た、傍には姐姐(チェチェ)と紹介された香鴛(シャンユァン)もいる。

飾られた船で通るその日の公主が、いつもより若返って見えるのは、息子が立派な男の子に育っている嬉しさがそうさせている。

夕刻から信(シィン)の宴席が開かれ、五十人近い人たちの顔もにこやかだ。

四日に天津(ティェンジン)へ出て六日には信(シィン)は外洋回りではなく運河の旅に為った、杭州(ハンヂョウ)から一度銭塘江を超え、西興に始まり紹興を経て寧波市に至る運河は浙東運河あるいは西興運河と時代によって呼び名が変化した。


三月三日

雲嵐(ユンラァン)はインドゥに心配して聞いた。

「こう続けては御身体が心配です」

此処七日続いている。

「あれが嫌いになったか」

「そうではありません。していただくのは良いのですが姐姐(チェチェ)の方へお渡りが無いのと公主娘娘へも御出でではないのが気になります」

「聞いて居なかったか」

「何をです」

「二人とも月の物が四日前に来てしまったのだよ」

呆れた顔で「本当なんですか。使女たちに聞けばわかりますよ」

「嘘は言わないよ。それと昔な」

「はい」

「若い女の蜜液を呑むと若返ると読んだことがある」

「まさか。本当なら毎日飲んでください」

「困ったことがある。本には男を知らない娘だとある。小さい子では蜜液を出せる体ではないそうだし」

「わたしじゃ駄目なんですね」

少し悲しそうな声に為った、インドゥも意地悪くそうするのが好きだ。

「その本には女の精気を吸えば不老不死だと書いてあったが、修業して会得するのは大変らしい」

「どのあたりから冗談なのですか」

どうやら揶揄ってると気が付いたようだ。

「毎日が心配なら月に一度にするか。公主が来る前に格格が二人いたが月一度で我慢してもらった」

「そんな、嫌です」

「じゃ、半年は月二度」

「三か月は月三度にしてください、その後なら二度で我慢します」

インドゥ上手く言わせた、これで当分楽が出来る、まだあれが生きがいの女に為らないうちならこの手が効く。

インドゥ、自分は房事が好きなのか、付き合いと思っているのか自分でも判断できない様だ。

「湯あみに百合の花でも」

「いえ今日は薔薇のシィァンヅァォなのでなにも入れませんでした」

脇を嗅ぐと確かに薔薇の香りだ。

雲嵐(ユンラァン)の普段はムーチン(木槿)に似た淡い香りに包まれている。

控え目な香りは雲嵐(ユンラァン)らしいとつい抱きしめてしまう。

その蜜液を飲み込んで「これで三年は寿命が延びる」と言うと笑い出した。

「さっきと違いますわ」

「それなら若さを吸い上げてやる」

「出来るようになるまで私、若いままでいるこつを覚えますわ」

インドゥ分が悪いので「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になってくれ)」と上に乗せた。

腰をゆらゆらさせるのは公主に似ている。

顔が近づくと公主にさらに似てくる、仰け反ると雲嵐(ユンラァン)に戻る。

まるで二人が上に居るような錯覚に襲われた。

手を出すと指を絡ませ、昔から公主が好きな乗馬のように前後に身体を揺すりだした。

「ハオピィアオリャンダションヤ(好漂亮的胸呀・胸が綺麗だよ)」

そう言うと指を離して乳房を押し付けて来た「まだ見えますか」完全に主導権は雲嵐(ユンラァン)の方が握っている。

若い乳房は昔の公主のような弾力に飛んで押し付けられると気持ちがいい。

上下が入れ替わり脚を肩に載せ奥まで突くと「プゥーシィン、プゥーシィン、プゥーシィン(不行・駄目)」と脚をバタバタさせて「降ろしてください」と強請る。

脚を降ろすと腰を動かして高まりを求めてくる。

「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」

身体をそらして耐えるその顔に見とれて気が行き、放出した。

雲嵐(ユンラァン)はわずかに遅れて「アアッ好いですぅ」と体を震わせて到達した。

 

 

三月四日

早朝、公主府(元の和第)から使いが来て「温室の百合が五つ咲きました」と云うので公主に姐姐(チェチェ)と雲嵐(ユンラァン)を連れて見に出かけた。

小さな温室で山百合が一つ増えて六っの花弁を開いて茶色の斑点が浮かび上がっている。

「白い百合はまだ蕾が堅いです」

温室は小さいのが五つあり百合が二つと薔薇が三か所、種別に分けてある。

古い名は忘れ去られたが月季花は庚申薔薇、長春花とも言われるらしい。

薔薇は乾隆帝が和珅(ヘシェン)へ下さったものだ。

隣では黄色の仏蘭西薔薇がまだ堅い蕾の儘で庭番は「あと五日」と言っている。

裏手の温室は白の雲南から来た薔薇と白百合で、表が山百合と黄色の薔薇だ。

もう一つ池の向こうは紅色月季花で他の薔薇と混ざらない様に庭師も慎重に管理をしている。

豊紳府には温室はないが庭の東に赤色香月季と西の端に桃色香月季がある。

公主の居間の前庭は東南に茉莉花(ジャスミン)、裏庭へ続く船着きからの小道はイー ヂィンシィァン(郁金香・チューリップ)が咲く。 

インドゥは数が多くて覚えていない花の咲く樹は二十本ほどある。

李香(リーシャン)と姐姐(チェチェ)が庭師と相談して数が増えてきたが、すべてを同じように丹精して育てている。

公主は咲くまで朝晩ここで観たいので残るという。

姐姐(チェチェ)と雲嵐(ユンラァン)を昼前に豊紳府へ戻して二人は亭でお茶にした。

「久しぶりですわ」

「去年は忙しかったからな。フォンシャン(皇上)のお呼び出しが無ければ君とこうしている時間が多く取れるのだが」

年が明けても寝屋へ行くことは三度ほどしかない、公主は昼間から大胆に膝に乗って口づけをせがんだ。

インドゥは公主の部屋へ連れ込んで服を脱がせて榻(寝台)へ上げて胸を揉んだ。

「シィア。ハオピィアオリャンダションヤ(好漂亮的胸呀・胸が綺麗だよ)」

「もっと褒めて」

「シィア、ズィバフェンシンガン(嘴巴很性感・口は色っぽい)」

昔見た容妃娘娘に似て色っぽいのだ。

それにこたえる様にシーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」と腰をインドゥに合わせて押送している。

「いつまでも昔の儘だ、シィア、子供を産んでさらに好くなったよ」

「こんなおばあさんにお世辞ばかりね」

そう言いながら顔が笑いかけてくる。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

公主の顔が仰け反ってインドゥの高まりを求めている。

「行ってもいいのか」

「グオライ、グオライ、グオライ(来・来て)

「行くぞシィア」

二人の高まりは限界を超えた、二人は抱き合って到達した。

 

 

夕方豊紳府へインドゥは戻って姐姐と莱玲(ラァイリ)の三人で久しぶりに夕食をとった。

娘は四歳にしては食事の時静かに食べるので反対に心配だ。

「いつもこんなにおしとやかなのかい」

「爸爸(バァバ・パパ)が居るときだけですわ、普段は我儘で困るくらいです。娘娘が甘やかすので云うことを聞きませんの」

ラァイリはしらん顔している。

久しぶりに娘と遊んで姐姐を抱きしめたら口づけをして「まだ我慢して」と言われ部屋を出て、自分の書斎で聊斎志異の長亭(ヂァンティン)の巻を読んだ。

阿繡(アーシォウ)の話が気になって本を探して読みふけった。

雲嵐(ユンラァン)が書斎へ茶を持って遣ってきた。

「まだお寝(やすみ)に為さらないのですか」

茶が旨い、鳳凰の隗蓮(クイリィェン)という樹の葉だそうだ。

雲嵐(ユンラァン)が脇に立って居たので、尻を撫でて「尾は無いみたいだ」と引き寄せた。

「また、旦那様は御弄りになって。京城(みやこ)に狐の美女が出る何て聞いた事ありませんわよ」

「自分で美女何て言うのは怪しい。榻(寝台)で試してやる」

書斎の隣の榻(寝台)へ連れ込んで服を脱がせた。

「もう、旦那様今月は三回終わったはずでは」

「今日から肆の付く日にすることに決めた」

「ずるがしこい。狐は旦那様でしょ」

今日嗅いだ百合と同じだと確認した。

「やはり雲嵐(ユンラァン)の匂いだ」

「もう、旦那様いやらしい」

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」

毎夜の交わりで行き癖が付いたか、軽く行ったようで自分から「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になって)」と一息入れて来た。

「下ろしてください」と云うので手を離して胸を揉んだ。

顔が喜びにあふれて昼間の公主と重なって見えた。

「ハイヤオ、ハイヤオ、ハイヤオ(要もっと、もっと)」

「段々と大人になる様だ」インドゥの気が高ぶっている。

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

その声で二人が到達した。

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)」

それに「ウォーアイスニーラ我愛死你了・死ぬほど愛しています)」と雲嵐(ユンラァン)が返して脚を絡げて来た。

脚は絡げたが腕や顔は弛緩している、インドゥは顔に見とれていると気が付いたようで足に力が入って抱きしめて「喜歡(シーファン)、哥哥」と久しぶりに旦那様ではない呼びかけをした。

「月に三度の約束をして良かった」

「増やしますか」

「無理言うな。雲嵐(ユンラァン)を一年中愛し続けたら、二人そろって追い出される」

「二人一緒なら私は好いですけど。姐姐は私だけを追い出すのじゃないかと心配です。追い出されない様に月三度、いえ一度でもいいので、百迄ここに仕えさせてください」

出会った頃の子供らしさが顔に現れ、おもわず抱きしめた手に力が入って雲嵐(ユンラァン)が「ああっ」と声を上げた。

 

 

平大人が苑芳(ユエンファン)と阮映鷺(ルァンインルゥー)に乳母を連れてやって来たのは三月二十五日だった。

「久しぶりね芳(ファン)、良い女になった事。男が見逃してくれるのはどうしてかしら。インルゥーに久しぶりと云っても無理よね。貴方が生まれた朝は快晴で鶏の鳴き声は聞こえなかったけどあなたの産声で起きた人多かったわよ」

インルゥーは乾隆五十六年四月二十八日の誕生だ。

挨拶で忙しい処をインドゥが聞きつけてやって来た。

「隣へ人が集まっていて聞いてやって来たんだ。都見物かい」

のんびりしたものだ飯店、菜店は宿も兼ねていて暇などない。

「格格に押しかけて来たのよ」

公主の軽口に平大人が大笑いだ「どっちだと思います」なんて火に油を注いでいる。

「加油(ジアヨウ)していると本気にされるわ」

「なんだ芳(ファン)が来る気に為ったかと思った」

私とは思わなかったのかと阮映鷺(ルァンインルゥー)が口を尖らせた。

十二歳の格格はちと早いとインドゥに言われてしまった。

乳母で蘇州迄付いて行った胡香凛(フーシァンリィン)がにこにこしている。

「インルゥーが格格に為ると言ったらあなたも来るの」

「勿論ですとも」

平大人がこの辺りが潮時と「実は康演(クアンイェン)の東源興(ドォンユァンシィン)の二軒先から火が出て道の南北町内がまる焼けでね。東源興(ドォンユァンシィン)も繁絃(ファンシェン)飯店も柱だけに成りました。土蔵が五軒無事だったくらいで一面焼け野原です」

「じゃ宿は」

「再建できるまで骨休みで都見物。康演(クアンイェン)は路の両側の人たちの再建で手が離せないので、五家族と十八人であっしの船で逃げてきました」

「お金の手当ては協力するわよ」

「実はインルゥーなんですがね。結へこの際推薦と七人集まったので後は都でと二人には得心させてきました」

増築したばかりの宿が無くなり、困るのは小商人だが燃え残っていた裏手の家を買い取って十四の部屋と掘立小屋の菜店が五日で出来上がった。

「うまい具合に前々から買い取る相談が進んで居ましてね。どこに運があるかと評判です」

「フゥチンのお仲間が直ぐに建ててくださいました。康演(クアンイェン)の小父様が都に建てたばかりだから俺に任せろと大雑把に決めて、居ると邪魔だと大工さんたちと追い出すんです」

火事見舞いよりインルゥーの言い方が可笑しくて楽しくなった公主だ。

康演(クアンイェン)と大工たちが簡単に書いた見取り図を真ん中に置いて今更のように「これじゃ三千で出来上がるかしら」と心配している。

「建物三千、調度二千の五千両の予定でその為の結への加入です」

「勿論ニィン(您・貴方)も一筆書いて下さるでしょ」

「勿論だ、この家で産まれたインルゥーの為に書かせてもらうよ」

三人とも芳(ファン)の事などそっちのけだ。

「私の意見は誰も聞いて下さりませんの」

「う、俺の格格に為るんじゃないのか」

インドゥまた軽口の続きを始めた。

「媽媽(マァーマァー)の意見で連絡通路がつながったわよ」

インルゥーがファンの顔をたてている。

昂(アン)先生も聞きつけて火事見舞いに来たら、其れどころではない新築の報告に驚いている。

「火事の損害は大事(おおごと)ですが蘇州の組合は査定の上で二千出してくださいました」

「あらあら組合も大損害ね」

「月の支払いは十五両ですが、もらい火じゃしょうがないと出てくる前の日に出してくださいました」

乳母さんは部屋の隅へ下がって皆を見える場所を探し当てた。

「大人が康演(クアンイェン)小父様の楊閤(イァンフゥ)へ案内してくださって十五人がそこへ泊まっています」

十一月末に許可が出て二月二十日に茶食胡同(チァーシィフートン)の楊閤(イァンフゥ)は開店した。

酒店は十二月から営業を始めたが、宿は訓練された人が揃っての開店だ。

「十八人で都では」

平大人が其れはワッチの妻子(つま、チィズ)と末娘だという。

「おいおい、お前さんの妻は三年も前に亡くなったはずだ」

「その後で子供が産まれてましてね。康演(クアンイェン)に話をした上で他の女たちの了解も取れたので正式に婚姻しました」

「なんで黙っていた」

「だって無理ですよ。火事騒ぎの後で喪が明けてから妻にしたんですから」

「どこの女だよ。噂にも上ってないぜ」

「上海生まれで、上海育ちでして」

「私は前から知っているわよ。前によく似た人とお酒を売りに来たのよ。哥哥はその話聞いた事あるでしょ」

「そうその娘たちです。上海で酒の卸しと小売りをさせています」

「四年ほど前の事か」

芳(ファン)もその話に乗ってきた。

「そうですよ。あの少し前にその二人の姉妹どちらかが妾になって呉れと亡くなった奥様がお頼みしたんだそうです。あとで聞いたらその承諾の御返事に」

妻子(つま、チィズ)の又従妹だという年子二人への条件は妻が「店を二人へ持たせるが妾に為るか成らないかは二人共に強制しない」と話をして置いたら妹妹が申し出てくれたという。

姉は好きな男がいてその後婚姻したという。

「ねえ、この絵図面だと胡さんの部屋ずいぶん大きくない」

蘇州-繁絃(ファンシェン)飯店-4-8-01-1802

「それ隣の部屋は住まいの料理人富母さんの部屋で、一番広いのが応接用の部屋。その角が乳母さんの部屋、私たち親子よりちょっぴり広くなったのは大工さんによると出入り口の都合だそうなんです。食堂はもっぱら乳母さんのお友達の社交場で、調理室はやっぱり近くの妻子(つま、チィズ)のたまり場です。今まで狭いと文句を言われていたんで大工さんが気を効かせました」

「真ん中は番頭さんたちとしてもこの東側は何かしら」

芳(ファン)が「康演(クアンイェン)さんが料理人のために特別に作らせるんです」と笑いながら思わせぶりに言っている。

「あら、哥哥は知っている人」

「康演(クアンイェン)のチィズ(妻子・つま)の妹妹なんだよ。早く丈夫(ヂァンフゥー・夫)を見つけろと催促さ。腕はいいし料理人を育てるのも上手だ」

公主に平大人が経緯やなぜ行き遅れたかを説明して、納得はしたが不思議に思っているようだ。

 

 

嘉慶七年四月

余姚(ユィヤオ)の和信(ヘシィン)の屋敷へ平関元(グァンユアン)は自分の妻子(つま、チィズ)と五歳と三歳の息子を預けた。

交易で杭州(ハンヂョウ)にほとんどいないので、和信の先生に教育を頼むためだ。

拳の先生は書も教えるので屋敷内に家がある。

馬術は北城に郷紳の子供達へ教える馬場が有り、五歳から教えてくれる。

同じ時期に「結」の仲間からの要請もあって五歳から七歳の男の子が六人同居してきた。

科挙の郷試には向かない活きた学問が主体で地理、天文、気象と学ぶことは多い。

天文の先生は数理も教える、星の運行も数理が基本だという。


嘉慶七年五月に永定河治水工程の決算がなされ、土石堤の修築・壩の修理・浚渫・土堤の高増しで、銀九十七万千三百二十両。

永定河治水に工部庫より銀五十万両と内務府広儲司庫より銀五十万両を計上。

嘉慶帝は乾隆三十八年から嘉慶六年六月までの歴任の直隷総督と永定河河道等の管理怠慢の責任を追及し、出費額の四割を賠償させる「銷六賠四」を用い、総工費は「銷銀(朝廷の実質出費)」が五十八万二千七百九十二両、「賠銀(官僚の賠償金)」が三十八万八千五百二十八両であった。

参照-堀地明氏、嘉慶61801)年北京の水害と嘉慶帝の救荒政策

 

直隷総督と云うことで調べると祖父英廉が乾隆四十六年(1781年)と乾隆四十七年(1782年)につなぎ役として務めている。

インドゥはほかの総督の子孫たちと協議し売れる資産として個人資産から十万両を工面した。

もちろん買い上げたのは結の資金から借り入れた孜漢(ズハァン)、買范(マァイファン)、周徳海(チョウダハァイ)、はじめ京城(みやこ)、蘇州、天津、南京などに店を持つ二十五人だ。

これで名実ともインドゥとは資金関係は無くなったことになった。

嘉慶七年十二月二日(18021226日)、インドゥは散秩大臣上行走を拝命。 

嘉慶八年五月十七日(180375日)留京の儘、署禮部右侍郎で岳起(ュエチィー)が亡くなった。
 

 

嘉慶八年(1803年)十一月一日(18031214日)インドゥが散秩大臣上行走、伯爵を解任される。

公主府長史奎福訐豐紳殷德演習武藝、謀為不軌,欲害公主。

廷臣會鞫,得誣告狀。 

詔以豐紳殷德與公主素和睦,所作青蠅賦,憂讒畏譏,無怨望違悖;惟坐國服侍妾生女罪,褫公銜,罷職在家圈禁。

 

「豊紳殷徳(フェンシェンインデ)が武芸は子供の頃から収斂している。奎福が教わったとしてもすでに七十余の老爺(ラォイエ)に何が出来る」

嘉慶帝は誣告と言うが既に上申により裁定は下されていた。

 

嘉慶八年十一月二日(18031215日)

固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)が慌てて養心殿へ出ると廷臣が慌てている。

「奎福と図って私を害したとはどういう事ですか。説明できるものを呼んでください」

フォンシャン(皇上)は信じておられませんが、というばかりで円明園へ早馬が出て行った。

返事の来る間、寿安宮で時間潰していると八日に御戻りと云うので出直すことにした。

 

詔をもって豊紳殷徳(フェンシェンインデ)と公主が和睦したという世間体で落ち着いた。

嘉慶帝はインドゥと宜綿(イーミェン)にまた御秘御用の旅をさせようとしていた。

太監の「御秘官」を解散させたのだからその分働けとでも言いたいようだ。

散秩大臣上行走の身分で地方回りは語弊がある、偽物騒動は後が面倒になるとでも思う様だ。

   第二十九回- 和信外伝-参 ・ 2021-10-17
   
自主規制をかけています。
筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   
   
     
     
     


第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  




カズパパの測定日記