第伍部-和信伝-弐拾壱

 第五十二回-和信伝-弐拾

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

嘉慶十二年丁卯正月初一日(陽暦千八百零七年一月二十六日)

 

正月十八日

豊紳殷徳(フェンシェンインデ)に正白旗蒙古副都統が命じられた、

続いて伯爵への復位の沙汰が降りた、頭等侍衛はそのままだ。

豊紳宜綿(イーミェン)への復位はなかった。

何が起きているんだ」

「弟弟、俺たちの後ろに満州(マンジュ)、蒙古(マァングゥ)の味方は少ない。用心が肝心だ。海賊も力が強いから、結に御秘官(イミグァン)の銀(かね)を吐き出させる作為を感じるんだ」

朱濆(ヂゥフェン)もまだ逃げ回っている、三年前の力はなくとも侮れない勢力だ。

実弟の朱渥(ヂゥゥオ)が力をつけてきたとの話も伝わってくる。

蔡牽(ツァイヂィェン)は相変わらず行動範囲が広く、壊滅させることができない。

張保仔(チョンポーチャ)はまだ投降を決意するまでに至っていない。

李長庚の設計した軍艦は連戦連勝と聞くが、親玉を捕獲できない歯がゆさが伝わる。

船はティン(霆)という名で海賊に脅威を与えているが、阮元(ルゥァンユァン)達の目標は大船四十隻という大兵力だ。

郷勇の兵も当初の二百名から八百名を越す勇者が参加してきた。

結の銀(かね)にもつぎ込む限界はある。

インドゥにイーミェンは銀(かね)の相談をするときの笑い話だ。

「老爺(ヘシェンのあだ名)が、講釈師が言うほど賄賂を取り込んでいて、その銀(かね)があればガリオンや亜米利加の新式ダァチュアン(大船)など千隻造っても釣りがくる」

国家予算十年から、はては十五年とまで野史には出てくる。

 

清国税収・徴税を行った省で支出、それ以外が中央の戸部銀庫(光緒以後-度支部金銀庫)に納められた。

清朝初期

戸部銀庫予銀

康煕

雍正

乾隆

塩税-推定九十五万両。

 

八百万両。

六千万両。

八千万両。

乾隆三十一年

土地税 [地丁=田賦] - 二千九百九十二万両

屯田土地税 [屯賦銀]  -七十八万両

塩税[鹽課]      -五百七十五万両

関税        -五百四十二万両

付加税[耗羨]    -三百万両

寄付金[常例捐輸]   -三百万両

雑税[雜賦]      -百万両

税収小計・銀両[税收銀]-四千九百三十二万両

税収小計・穀物[田賦征糧] -千二百九十八万両 

[八百三十一万七千七百石]

税収総額        -六千二百三十万両

嘉慶元年(1796年)頃

塩税-推測八百万両。

総税収(推測)八千万両。

光緒二十七年(1901年)

塩税-一千二百万両。

総税収不詳。

宣統三年(1911年)

 

塩税、茶税-四千六百八十一万両。

総収入-二億九千六百九十六万両。

 

このような時にも外患の阿片は徐々に経済を蝕んできている。

嘉慶四年の「外禁」に続き嘉慶十二年の「外禁」が命じられた。

阿片貿易禁止は号令が出ても抜け道はすぐ作られている。

海賊で稼げないなら次は阿片だ、教徒の残党は反清復明も言い始め天地会との連携を強めている。

 

アヘン禁令

嘉慶四年(1799年)の「外禁」

嘉慶十二年(1807年)の「外禁」

嘉慶十四年(1809年)の「外禁」

嘉慶十八年(1813年)の「アヘン刑罰実施」内禁・外禁

アヘン輸入量

1700年代-年間1000箱~1500箱(1箱約60Kg)。

1800年〜10-年間約4600箱(1箱約60Kg)。

183031-2万箱~約3万箱。

183839-4万箱。

1830-1両、銅銭1200文。

1830年代末-1両、最大銅銭2000文。

 

二月二日申の上刻(午後二時四十五分頃)姐姐(チェチェ)の元へ二つの知らせが届いた。

春杏(チゥンシィン)春李(チゥンリ)が二月二日の朝、女中が起こしに行くと亡くなっていたという。

二人は九十四歳、ほぼ同じ時刻だという、幸せそうな顔で旅立ったという。

二日後、十一阿哥から婉貴妃が二月二日の辰の刻に九十二歳で亡くなったと知らせが来た。

嘉慶十二年二月二日(1807310日)婉貴妃九十二歳死去。

嘉慶帝尊封婉貴太妃として裕陵へ葬られるという。

 

乾隆帝の残した妃嬪はあと三人。

晋妃-富察氏(フチャ)・生年不詳。

寿貴人-氏不詳・生年不詳。

鄂貴人-西林覚羅氏(シリンギョロ)七十三歳。

 

二月五日あれだけ敵対していた豊紳済倫(フェンシェンジィルン・丰绅济伦)が亡くなった。

父親-福隆安

母親-和碩和嘉公主(母親・純恵皇貴妃・純妃-蘇氏スー)

妻は博爾濟吉特氏,固倫和敬公主第四女という名家の出だ。

盛京兵部侍郎に任じられていたが嘉慶十二年二月五日(1807213日)任期中に亡くなったと云う。

総管内務府大臣も兼任していたとも言われている。

家は一等忠勇公として富勒琿凝珠が継ぐことになった。

富勒琿凝珠に散秩大臣が命じられた。

 

「先生、先生」

曲がり家の中から呼ばれた。

馬から目を眇めてみると孜漢の笑い顔がのぞいている。

「休んで行きなさいよ。好い茶が飲めますぜ」

程(チェン)と馬を降りて柵につないだ、

與仁(イーレン)という茶の仲買という男が紹介された。

「はて、この付近には茶畑は見ないが」

「孜漢の旦那のお供に駆り出されたんですよ。前は旦那の店で働いて居たもんで断ると後が怖い」

「断りゃいいじゃねえか。昨日の昼に出て途中男二人で泊って酒を飲んでも面白くもねえ。朝卯の刻に出てからやれ寒いだ、のどが渇いたここで三軒目の休み處だ」

昨晩は李橋鎮で泊って李遂鎮から南彩村を回ってきたという。

孜漢、酒はそれほど好きじゃないが、飲ませりゃ徹夜酒も付き合う酒豪だ。

「なんだ主従というより兄弟分だな」

「確かにね。インドゥ哥哥が甘やかすもんだから、いつの間にか飲みわけの兄弟だ」

確かに旨い茶だ。

「この店の普段の茶より数段旨い」

壺を指さして親父に話しかけた。

「この店の水がいいのに茶が不味いと思って、自分用を置いてもらっているんですよ。なぁ、親父さんよ、今度から先生主従もこの茶を出して呉れ」

大分世話に為ったか親父が嬉しそうに「これで六人」という。

「ああ、興延(シィンイェン)と礼雄(リィシィォン)にもここで休んでいいと言ってあるんですよ」

「それにしても、親父がいやに嬉しそうだ」

「茶代は興延(シィンイェン)が来た時の清算でね。たっぷりとれるんですよ」

その小壺一つが目安で月に銀(イン)五銭出しているという。

「贅沢なことをするね」

「水代だけでもいいんですがね。それじゃ儲からないだろうとね。おかげで月にならせば茶を銀(イン)百五十銭も買ってくれる」

「この茶かい」

「普段先生が飲む茶ですぜ」

「あれで銀(かね)を取るのは酷いものと思っていたぜ」

出してあげてくれと言われ娘が二人出てきた。

「あれ、大分あか抜けた。好い男でもできたか」

姉娘は明日嫁に出るという。

普段より茶が旨い。

首をかしげる程(チェン)に孜漢が種明かしだ。

「な、安い茶でも入れ方次第だ。俺用を置いてもらうについて、その砂時計をいくつか置かせて淹れ方を教えたらこの通りだ」

買い入れが二倍に増えたと親父が嬉しそうに話した。

姉娘は其の茶の行商の所へ嫁に行くのだという。

「そこへも手をまわしたようだ」

「ご明察、診断がうまい。この與仁(イーレン)と同じように家の店で働いていた権洪(グォンホォン)という男の知り合いでね。店を出す手伝いも洪(ホォン)がしました。茶の入れ方もその男に洪(ホォン)が特訓してから売れ行きが倍に増えました。おかげで洪(ホォン)の店も儲かる、男も嫁が来るほど商売繁盛」

しばらく話して「今日は村に何かあるのか」と聞いた。

「例の騒動の始末ですよ」

「礼雄(リィシィォン)の事かい」

「いい女に惚れられて困るなんて、こっちが困りますよ」

噂は近在に広がっている。

李杏(リィシィン)は今年十八歳で降るほどある縁談を片端から断り「親の言いつけを守って嫁に行け」と李宇(リィユゥ)が怒鳴ると「曽礼雄(ツォンリィシィォン)が好きだ」と打ち明けた。

礼雄(リィシィォン)にいうと事もあろうに「李春(リィチゥン)が好きだ」と言って「婚姻させてくれ」と言われて李宇(リィユゥ)が頭を抱えて寝込んでしまったのが十日前の一月三十日。

礼雄(リィシィォン)から聞いてその後始末に出てきたという。

「こじれてるぜ」

「先生の方にいい手立てはありませんかね」

「村の男たちは喜んでみているよ」

そりゃ、自分に番が回る可能性もあるからでしょうと程(チェン)はうがったことを言う。

「しかし礼雄(リィシィォン)は見る目があるな」

「先生もそう見ますか」

「姉娘は自惚れが強いし、打算的だ。良い家から縁談が来れば乗り換えるさ」

「それでね。この男の出番なんです。こいつの興藍行(イーラァンシィン)という店の手代が天津で店を開いいるんで、嫁を迎えるについて頼まれましてね。ここで待ち合わせているんですよ」

「いい男なのか」

「曽双信(ツォンシァンシィン)は與仁のかみさんの言うには苦み走ったいい男。だそうですがね男から見るとちょと弱い」

「そりゃ女にもてそうだ」

「身持ちは堅いと評判でね。見た目より商売上手だ」

與仁(イーレン)もそこを見込んで出店を預けたという。

先生が街道を見ていると旅支度の男がさっそうとやってきた。

與仁(イーレン)の懐中時計は一時を指している。

「孜漢(ズハァン)の旦那、お久しぶりで。手紙じゃ今日の未にここまで来いというので慌てましたぜ。旦那がたも用件くらい書いてくださいよ」

ひどい話で、手紙一つで呼び出したようだが、予定より大分早く着いたようだ。

「お前の嫁の首実検だ」

「與仁の旦那の目に適う人でいいんだと前に話しましたぜ」

「美人で打算的だ」

「なんです。いいのか悪いのかわかりませんや」

「男に惚れたが相手は妹が好きだ」

「そりゃかわいそうだ」

「姐姐か、妹妹か」

「姐姐の方ですよ。惚れた男が振り向いてくれない。器量よしほど自尊心は強い。心はグダグダに壊れていますぜ」

「それでお前の出番だ」

「あっしが口説くんですか」

茶屋の娘たちは可笑しくなって逃げだした。

店の親父が雰囲気を変えようと先生に疑問があると言い出した。

「なんのことだ。馬か牛か女か」

「新娘(シィンニャァン)の事ですよ」

「お前の娘がどうした」

「そうでなくてあすこ」

「龍神様がどうした」

「今朝も朝参りしたら、縄張りしていて、聞くと小作を置くというのですが」

「三家の分家が入るのだよ。土地は黍に適していると于睿(ユゥルゥイ)の息子が太鼓判だ」

「なんでその先の荒れ地をほおっておくんで」

「人の土地だむやみに手は出せん」

「家のバァ(爸)の代に一緒に売ってここを買いましたぜ。持ち主が別けたんですか」

「そんな話聞いて居ない。なぁ孜漢さんは聞いたか」

聞いて居ないし証書は新娘二百ムゥ(畝)に為っていたと孜漢が言うと不思議そうだ。

売った時新娘は二枚の証書で一枚は二百ムゥ(畝)、一枚は“添地”としてあったという。

街道付け替えで土地は繋がり休み處は開けなくなり、丘の付近に水のあてもなく、この休み處の土地を買うために爺爺(セーセー)と爸爸(バァバ・パパ)が相談のうえで売ったという。

爺爺は味にうるさくここの水に惚れ、半里奥の水源の井戸付近の山林八百ムゥ(畝)も買ったと自慢した。

「セーセーにバァ(爸)は茶にもうるさくてね。あっしはだめでしたがね」

その昔は大興荘への入り口、街道の抜け道(近道)で荒れ邸の隣にやはりさびれた休み處もあったという。

「爺爺(セーセー)は縣の公署で一つに纏めれば道の分も移動されて地続きだと教えたんですぜ。二千二百ムゥ(畝)あるはずですぜ。全部大興荘になったんですよ。小川の合流からこちら側全部ですぜ」

東からくる流れと、北から來る流れが合わさるところと地面に線を引いた。

「このあたりよく水で池が出来て街道が寸断されるんですぜ。百年以上も前頃に劉知事が昔の街道を復活したと聞きました」

孜漢も仰天したが柴信先生も驚いている。

だが休み處一つでよくそこまで銀(かね)をかける気になったものだ。

荒れ邸の住人と同じような風流人が好む土地なのだろうか、荒れ地も手入れをしての荒れ地だが、確かに手入れをしていないのは別人の物と思っているようだ。

「そりゃ知らなかった。爺爺(セーセー)もそんな話しはしなかった」

「売ったのはヂァン(湛)大先生の亡くなった後ですから」

「誰が買ったのか知っているのかい」

「荒れ邸ですよ。今の旦那が若いころ、代人が来て手に入れてますぜ」

「まず荒れ邸へ行こう」

 

五人はあわただしく曲がり家を出て、荒れ邸で舒豪烈(シュハァォリィエ)に要件を話した。

「確かに二枚付いていてそのまま渡したよ。嫁荷の箱にあるはずだ」

「なんで纏めなかったんで」

「二百ムゥ(畝)と添地とあるのでそんなに広いとは聞いて居ない」

二千二百ムゥ(畝)のうち二百ムゥ(畝)と書いてあるほうしか気にしなかったようだ。

「代人め、役所へ行くのをさぼったようだ」

笑って言うところは老舗のお坊ちゃん育ちの鷹揚さだろう。

添地とあれば普通は十ムゥ(畝)以下と思うのが普通だろうと柴信先生も笑い出した。

「思い出した。街道を挟んでここらあたり全部で三百吊(串、銀(かね)三百両)で買えたというので手間代の上乗せに五十両余分に代人に渡したよ。波止場から十里と聞いたが来てみたら二十里あってね、文句を言おうとしたら早手回しに馬に蹴られて死んでいた。すまんが孜漢さんの方で孫に云うて証書を合わせて下され」

「分かりました。人の婚姻と土地の婚姻だ」

なんの事だというので簡単に「家の手代の縁談がこじれているので話し合いに来ました」と説明して辞去した。

表で程(チェン)と待つ双信を連れて、村の李宇(リィユゥ)の家に向かった。

「なんだ、寝込んだというからに、来てみたら病気じゃなさそうだ」

柴信先生に言われて「娘の我がままで頭が痛い」と起き上がった。

「頭痛なら指圧か針が一番ですよ」

曽双信(ツォンシァンシィン)はそういって後ろへ回り、額を柔らかくもんだ。

「おいおい、その人は未来の干爹(ガァンディエ)だぜ」

「俺の女婿(ヌゥシュィ)ですと。初めて会う人ですぜ」

双信も「えっ、そんな話いつできたんです」と驚いている。

「さっき姐姐がかわいそうだと言っていたじゃねえか。その爸爸(バァバ・パパ)だ」

頭をもみほぐされて気持ちが良いようだ、可笑しくなって笑い出した。

婚約もしない内から孝行されるとは前代未聞だと言っている。

二人の娘が茶を運んできた。

「杏(シィン)、お前を嫁に欲しいそうだ」

「だって断ってと頼みましたよ。直談判でもお断り」

ちらちら双信を見ながら出ていきそうもない。

爸爸(バァバ・パパ)の頭の壺を探す様子に見とれているのは自分と釣り合うか値踏みしているようだ。

「仕事は何をしているんだ」

孜漢が替わって「茶の仲買。各地の産物の仲介、天津で五人雇って店を任されている」と答えた。

「言い方だと雇い人かい」

「今はこの與仁さんの下で支店を任されているが、嫁が来れば独立させるそうだ」

興藍行支店からの独立は與仁も考えていなかったが、旦那が言うならと「そのために嫁になる人と話し合うため、本人にも越させた」と覚悟を決めた。

「旦那、あっしが独立ですって。聞いちゃいませんぜ」

「孜漢の旦那の後押しだ。嫁が来りゃいつでも自分の店に格上げだ」

聞いて居る娘の気持ちは大きく傾いてきている。

もう一押しだと孜漢は切り出した。

「天津の去年の取引額はどのくらいになった」

おおよそは把握しての駄目押しだ。

「昨年は一昨年の二割増しで四千四百両、そのほかの売買手数料に八百両の、合わせて五千二百両になります」

「双信の給与は」

「今年の約束は月十六両と諸経費五両に手数料の一割」

「なら三百位を見込んでいるのか」

「独立したら四百は堅いでしょうな。手数料の二割が懐に入ることに為ります」

與仁(イーレン)も後押しの仲間入りだ。

南京の店を独立させるときは“本店一割、南京二割、七割を店舗経費”と契約した。

双信も銀(かね)で動く方が妻にしても騒がないと見たようだ。

「ぜひ娘さんを嫁に下さい」

前に回ってゴォンシォゥ(拱手)して頼み込んだ。

李宇(リィユゥ)も稼げる男に嫁がせれば、苦労なく生活できると思ってきた。

「俺は承知だが娘の気持ち次第だ」

娘は真っ赤になっている、見た目も礼雄(リィシィォン)よりいい男の上、稼ぎも数倍は見込める、こんないい話が舞い込むのも私が器量よしだと自信がわいた。

噂のほとんどは“曽という京城(みやこ)の男”で広がっている。

曽礼雄(ツォンリィシィォン)と言われても勘違いだと言い抜けられる。

村内は爸爸の顔を見て口をつぐむだろうと素早く計算した。

「爸爸(バァバ・パパ)、が良ければ」

そういって部屋を出て媽媽(マァーマァー)に伝えた。

段仙蓬(タンシィエンパァン)は急いで部屋に行き、婿の候補を見てなるほどこれなら心変わりもするはずと「娘を貰いたいとはこのお方ですか」と孜漢に尋ねた。

「曽双信(ツォンシァンシィン)と言って今は」

先ほどの話しの繰り返しだ。

マァーマァー(媽媽)は「手数料は独立しても全部は手に入らないのですか」とすこし不満だ。

「そうしたら仕事仲間から追い出されてしまうよ。税も店の維持費も掛るしね」

李宇(リィユゥ)はさすがに仕組みを理解できる様だ。

「年は、父母(フゥムゥ)は」

「年は二十五、壬寅のうまれ。父母(フゥムゥ)は京城(みやこ)で乾物の卸問屋で三男坊。天津へ腰を落ち着けると決めている」

替わって與仁(イーレン)が答えているが実は二十六歳になっている。

姑とは遠くに住むいい男の稼ぎ人“こんないい縁談にがしてなるものか”と親も打算に傾いた。

「貴方、うんと言ってくださいな」

「娘が承知なら嫁に出そう」

與仁(イーレン)は「支度金に銀(かね)百両持参しました。受け取っていただけますか」と最後の一押しだ。

双信のかせいでくれる銀(かね)から見ればはした金だ、独立しても本店の與仁(イーレン)へ利益の一割が来るのだ。

もう一度李杏(リィシィン)が呼ばれ婚姻が成立した。

「京城(みやこ)の方へはいいのですか」

やはり母親だ、今更のように気にかけてきた。

「双信の縁談はすべて任されています。ご安心ください。まとまってよかったぜ。昨日は見栄を張って父母(フゥムゥ)に任せてくれと言って出てきました」

與仁(イーレン)もほっとしたようだ。

村で昨年は二十二組の婚姻、嫁に出たのが三人。

今年嫁に出たのは五人いる、これで六組目だ。

娘娘は村から嫁に出る娘にも晴れ着を贈ると伝えている。

曽双信(ツォンシァンシィン)は李杏(リィシィン)なら損な取引には敏感に動くだろうと、こちらもいい嫁に当たったと喜びが顔に出た。

李杏(リィシィン)はもう双信に夢中の様に見える。

「こんな貧乏村でまともな嫁荷も持たせられない」

母親は娘を抱いて泣いて見せた。

孜漢が「双信は何度も府第へお出入りして、インドゥ哥哥にも気に入られている。きっと規定以上に晴れ着は任せろと娘娘に口添えをしてくださりますよ」と後押しをした。

一度京城(みやこ)の父母に報告し、天津で迎える家の支度をすると約束して家を出た。

礼雄(リィシィォン)と双信(シァンシィン)は同じ曽(ツォン)だが縁戚には五代前迄繋がりはないと分かった。

東城の曽礼雄(ツォンリィシィォン)の家は六百年以上前に大都(北京)へ来たと族譜に書いてあり、中城の曽双信(ツォンシァンシィン)の方は百年ほど前に山東柏林鎮から出てきたという。

孜漢の時計は五時二十分、そろそろ日暮れも近く風も冷たくなってきた。

村を回ってきた先生と集会場で落ち合い東へ馬をまわした。

 

六人ほどが農作業の帰りか、賑やかに喋りながら関帝廟で拝礼をしてこっちへ来た。

水路、池の整備が始まり、鈴仙(リィンシィェン)もすっかり村人に溶け込んでいる。

仕事の前に無事をロンシェン(龍神)廟の東海龍王敖広に願い、仕事の帰りに関帝廟で無事だったことを報告する。

一緒の女たちは荒れ地の整理に雇われた女達の纏め役だという。

「先生方今日は何か話でもおありとか」

「もう聞いたのか」

曲がり家で悪だくみでもしていたようだと聞きましたと鈴仙が答えた。

「すまんが鈴仙を借りるよ」

「皆さん先に岳母(ュエムゥ)の所へどうぞ」

女たちが去ると「私に御用でも」と察しがいい。

「実は李杏(リィシィン)の縁談を纏めてきた。この男が婿だ」

「あれ、嫌がっていたのが決まりましたか」

「近いうちに天津へ嫁入りだ」

鈴仙は「李杏(リィシィン)も諦めが早い」と嘆息した。

「そっちは片がついたが。鈴仙の嫁荷の新娘の土地の事なんだ」

「分家させろという方が多くて。中には十二の息子迄候補に挙げるんですよ。淡寶(ダァンパァオ)も困り果てています」

「嫁荷に添地と云う紙はなかったか」

「新娘添地とありましたよ。龍神様の丘とは違うんですか」

「二千ムゥ(畝)ほどあるようだ。県の公署で確認した方がいい」

「嘘でしょ。添地の方が大きいなんてありえませんよ」

笑っている。

「そりゃ誰が聞いても笑い話だ、段(タン)の家で落ち着いて話そう。もうじき陽も落ちる」

東端の段の家へ行くと隣へ一声かけて家に入った。

段(タン)が何か書類を読んでいる。

「忙しそうだな」

「葉タバコの苗行の一覧ですよ。もう売り込みが盛んに来ます。今年は豆類の苗を植えると言っても聞きません。葉タバコは少し遅れても収穫は変わらないなんて言い出します。指導の差配人も決まっていませんよ」

大豆は三月、小豆は五月が苗の植え替えだ、そのころにはかさ上げも終わる。

すでに池の周りの石組み、小川の土手の整備は完了が近い。

鈴仙は雪がもう降らないとみて、二刻五十文で女人を集めたら村内で二百人も応募があるので、午前と午後に分けて区割りをつけて仕事をさせている。

子供、老媼(ラォオウ)迄「働かせてほしい」という、その中で牛を扱える者がいたので体力に見合った仕事を増やした。

皆協力的で、子供にやさしく接している。

男の子達は羨ましそうに見ていたので高榔(ガオラァン)がリゥユァン(栗園)とシィンユァン(杏園)の雑草取りに使ってほしいと頼みに来た。

段(タン)は差配会議で七歳から十三歳の三十人を組分けし街道、村道(むらみち)、龍神廟、関帝廟、などの清掃を子供たちにさせ月銀二銭だが基金から支給させることに為った。

同年代の娘には五月から畑地の雑草整理をさせると決まった、女なら雲雀の巣に悪戯はしないだろうと高榔が言っている。

もちろんの事、娘娘の許可で高榔(ガオラァン)に采配を振らせた。

将来高榔(ガオラァン)が村を担うとき、その子供達が村の働き手だと段(タン)は思っている。

葉タバコも最初の段(タン)の計画では三年後が二年後で済みそうだという。

三年食わせるより安上がりだと柴信先生も思い切りの良い鈴仙に驚いている。

「一日百銭、三十日。三百両は大きいな」

「でも冬場に使える銭は村も潤いますし、炭の割り当てが少ない分も補えます。水路に川筋さえできれば小作でも自分の土地は大事にしますわ」

鈴仙はさっきの五人はその仕切の人たちで今日は上乗せ分の支払日という。

「四日でて銀二銭渡します。あの人たちには八日に銀一銭上乗せしています」

最初の四日で動きにそつがないので決めたそうだ。

鈴仙は支払日には岳母(ュエムゥ)の手から出してもらう。

そして岳母(ュエムゥ)の嫂子(サァォズゥ・姉さん)と侄女(ヂィヌゥ)に厨房で軽い食事の支度をしてもらい接待する。

村では「淡寶の家では段渢蓮(タンファンリィエン)が財布と厨房を仕切っている」と信じている。

段(タン)は高さを土手上一尺に決め、目視をできる丸太を八本埋め込んだ。

それ以上は土を削ると言ってある。

誰でも低いのは水出の時困るので高く盛りたいのだ。

炭は月一人あたり、村で造らせた箱一つを配給できたが、不足分は自分で補うしかない。

嫁荷の箱が出され証書が卓へ置かれた。

順義縣 南彩鎮 大興荘 新娘添地

確かにそれだけだ、だれが見ても大きな土地とは信じられない。

縣公署もいい加減なものだ、税の対象の家もない荒れ地で、厄介払いでもしたようだ。

「何時頃と言いました」

孜漢が周りを見て誰へとなく聞いた。

「爺爺(セーセー)が死んだのは癸丑だ。十六年前だな」

「荒れ邸を手に入れたのは老爺(ラォイエ)の話しでは丙辰の代替わりの年よ。その前に秋に下見に来たのに爸爸(バァバ・パパ)とついてきたの。桃娘が来る前よ。池で石を投げたのはそのときよ」

邸はさびれていたが住んでいた老夫婦は身なりもよかったという。

段(タン)も何度か顔は見たという。

「暖かい杭州(ハンヂョウ)へ移ると言っていたのよ。祖父は安くて希望通りだと言って京城(みやこ)へ戻るとすぐに買い入れたわ。後で天津へ出る波止場から離れすぎていると、何度も愚痴を聞かされたわ。天津へ来たこともないのになんでだろうと不思議だったわ」

父母(フゥムゥ)が夫婦養子で天津へ親子四人でその年に移り、桃娘が小間使いにきてからは毎年遊びに来てもよいと許可が出たのだという。

関帝廟の祭りに来たが、妹妹に弟弟は一度で行きたくないと駄々をこねた。

京城(みやこ)の大爷(ダァィエ)や従兄弟はここへは来たがらないという。

京城(みやこ)と天津から月に一度ずつは必要な品は届くので、生活には苦労がない。

六十で隠居は早いが、世捨て人の生活に若いころからあこがれていたようだ。

古街道の時代の休み處はとうに廃業し、周り二里に住人がいないというさびれた邸はおあつらえ向きのものだったようだ。

画をかいては一人で悦に入っているという、連れ合いをなくし商売に嫌気がさしたのだと鈴仙の父母(フゥムゥ)が話していたという。

庭番の夫婦に奴婢三人で荒れ邸を管理している、村に頼めば人手は足りる。

門前をさびれたままにするのは、インドゥの様に読み本の虜で、狐邸でも気取ったのだろうか。

孜漢と與仁(イーレン)が証書を預かり、明日縣の公署で書き替えをして来ることに為った。

「岳母(ュエムゥ)が食事にどうぞと言ってきました」

皆で隣へ行って夕食を食べてから五人は集会所へ向かった。

柴信先生が馬のこぼれ話を面白く語り、與仁(イーレン)は鳳凰鎮(フェンファンチェン)まで出向いた時の話をして場を盛り上げた。

 

朝、双信のために馬を借り、五人は街道を南へ向かい県の公署で手続きを済ませた。

縣知事は、面倒くさそうな顔でにらむので孜漢が袖の下に銀錠を二つ忍ばせたらにんまりと土地証書を書き上げた。

順義縣南彩鎮大興荘新娘”地域の欄に“大興荘街道西蓬河北霊河東と言われるままに書き入れた。

川を河と御大層に書いている、他人が買ったら怒るだろうと與仁(イーレン)は吹き出しそうになって表へ出て行った。

「土地の合計はいくらあった」

「二千二百ムゥ(畝)と記録があります」

あまり増やすとあとで面倒だが小川を河と書くくらいだからと、あと銀(イン)十銭をばらばら左袖に忍ばせたら二千五百ムゥ(畝)と書き出した。

後で小役人にも行渡るなら良いがと孜漢は思っている。

公署は税を取る口実にするつもりだが、そのくらいは捻出出来ると有難く受け取った。

旧い証文は小役人を呼んで壺に焼べた(くべた)。

二月十一日(陽暦三月十九日)、村へ戻り鈴仙に「勝手に知事は三百ムゥ(畝)も多く書きやがった」と笑って証書を渡した。

本来厳正に審査するはずが形骸化し、懐を豊かにしたい役人が増えている。

税収が増えれば出世の糸口だ。

「二十家の畑地に二十三の家を建てても半分で済みますわ。五年たったらまた募集してもいいですわね」

豊かな土地なら十五ムゥ(畝)で中農、三十ムゥ(畝)で十人は養えるが、此処は収穫が乏しい村で、淡寶と鈴仙は四十ムゥ(畝)を基礎に考えている。

淡寶がそのそばで何時に増して笑顔で「娘娘へ鈴仙(リィンシィェン)が孕んだと報告していただけますか」と頼んだ。

柴信先生が驚いて二人を見ている。

「牛馬と違って人の妊娠は俺には難しすぎる」

そうは言うが切羽詰まった農民は駆け込んできて立ち会わせることも多い。

嘉慶十一年十月一日の婚姻から四月が過ぎた。

「マァーマァー(媽媽)はまだ四十日くらいだと言っています。姥姥(ラァォラァォ)は十月位が産み月になるだろうと鈴仙の顔を見て宣言しました」

産婆を仕事にするものは村に居ないが、お産の経験者は代々互いに助け合って産ませてきた。

一人馬に乗れる若者を借り、馬に乗せて李橋鎮へ向かった。

そこで双信の馬を買って柴信先生達と別れた、若者は孜漢から銀(かね)三銭と、渡し賃にも銀(イン)三銭(一頭一銭だった)もらって空馬を隣へ並べて戻っていった。

穏やかな午後は大分陽も伸び、酉の鐘をきいたのは六時二十分頃だった。

安定門(アンディンメン)外の料理屋に戌の太鼓の前に入り、三人で宴会を始めた。

「この色男め、完全に娘はお前のとりこだ」

「ああいう女の方が商売人には向いていますからね。かわいい嫁は礼雄(リィシィォン)に任せますよ」

「だがどこでそんな知恵付けた」

「汪美麗(ワンメェィリィー)さんのおかげですよ」

二人は怪訝そうだ。

「様子が良くて、気が強くて頼りになる。一番ですぜ」

「美麗は美人には入らんよ」

「そりゃかわいそうですぜ。俺たちから見りゃいい女で仕事も子育ても、きっちりこなしなさるし、手代にも優しいですぜ」

「美麗がかぁ」

與仁(イーレン)の方が不思議そうに双信を見ている。

「わからん」

留守がちな與仁に代わって店を仕切っているのは美麗だ。

「かみさんにしたら李杏(リィシィン)もそんな風に見えること請け合いですぜ。旦那は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)でも女に惚れられたとか」

丁(ディン)など「俺が最初に気が付いた」など口が軽い。

「ありや確かに色っぽい美人で、気が強い。そのうえ商売上手だ」

「そうかそっちも見習ったか。双信をほめるようだぜ與仁。パァングゥァンゼチィン(傍観者清・傍目八目)たぁこのことだ」

三人は此処へ泊り、翌朝に護城河を渡り卯の刻に瓮城の東へ回り、卯の刻開門で安定門は馬を引いて通り抜けようとした。

 

「これっ、そこの馬に引かれた三人、怪しいやつだこっちへ来い」

孜漢はあきれながら「お役人様、公主娘娘の御使いで大興荘の帰りで御座います」と態とへりくだって答えた。

もう一人が「これ、だれぞここを守れ。二人で尋問する」と部下を呼び、三人を箭楼(ヂィェンロォゥ)下の真武廟(ヂェンウーミャオ)前に連れて行った。

双信は不安そうだ、門衛の顔を知らなさそうだ。

與仁(イーレン)は膨れている。

「もう、なんですよ。揶揄うのにはまいりますぜ。馬に引かれたは何ですよ。寝不足ですかい」

陳洪(チェンホォン)はからからと笑った。

「孜漢はどうせ府第の門牌を持っていないだろうからな」

退屈で揶揄うつもりだ。

「大丈夫ですか、あの人達、袖の下でも取るのかと疑われますぜ」

「いい、いい。今日の門番には孜漢の顔はお馴染みなのだ。皆陳(チェン)ばかりだ」

陳健康(チェンヂィェンカァン)も仲間入りしてきた。

「最近大興荘まいりで界峰興(ヂィエファンシィン)は大忙しの様だ」

「連絡係にされちまいました」

「噂じゃいい遊び場で、たいそう仲人口で忙しそうだと聞いた」

此方は與仁が答えている。

「たしかにね、昨日もこの男に嫁を世話してもらいました。これから娘娘へご報告に参上します」

わざと大声で「公主府とあらば早々に通れ」と二人で笑って見送った。

東四牌楼の馬宿へ三頭を預けた。

「一頭増えるが何時ものように頼んだぜ」

「いいんですか、こいつ預かり賃で買えてしまいますぜ」

「今、売らずに置くのは御情けさ。馬車の時に使って大興荘へおいてくるつもりだ」

孜漢も花婿を乗せた馬に情が移ったようだ。

興藍行(イーラァンシィン)で孜漢は帰着の連絡を出した。

汪美麗(ワンメェィリィー)も交えて曽双信(ツォンシァンシィン)の独立の話しと婚姻について話し合った。

「案外うちの亭主はケチだ」

「なんだと。どこがケチだ」

「独立する男の嫁へ百しか贈らないなんてだよ」

「おまえなぁ。状況を考えるんだ。双信はいいさ、それだけ働きはあるんだ。だが他の手代、番頭に言い訳が出来ないだろうが」

「だって十三の時から面倒見たんだ。息子みたいなもんだろうに」

界峰興(ヂィエファンシィン)にいたときから双信の姐姐代わりに面倒見て、興藍行(イーラァンシィン)が立ち上げたときに手代に連れてきた。

夫婦の子飼い同然の男だ。

「メェィリィー、頼みがある」

「なんです旦那」

「あまり贈り物攻勢をされると俺も困る」

「なんでです」

「詳しく聞いてないのか」

「礼雄(リィシィォン)の事ですか」

「近いうちにあいつの方も婚姻になるだろう。姐姐と妹妹、差をつけてはかわいそうだ。双信の方で嫁に迎えて贅沢させようがそいつは構わない。支度は同じにしなきゃ妹妹が可哀そうだ」

理詰めに来られてはメェィリィーも納得するしかない。

「晴れ着は、村の娘は一着と聞いたよ。少なすぎるよ」

「前に段(タン)の嫁を迎えるに娘娘の方から晴れ着四着、髪飾りが贈られた。それでな差配の娘だ五着にして下さいとお願いに行くのだ。見栄っ張りな親子だがそれで納得するはずだ。メェィリィーの方で増やすなら天津(ティェンジン)の方へ嫁入りしてからの独立記念の名目にしておくれ」

「なんだよ双信はそんな娘でいいのか」

「それですがね。見栄っ張り大歓迎で」

「何言ってんだ。天津の風はそんなものが吹いているのかい」

「そうじゃありませんよ。見栄っ張りで打算的なら。商売も派手にやるでしょう。うちらは仲介だから限度があるのはすぐわかるでしょう。そう知りゃそれなりに落ち着くと見ましたぜ」

孜漢は笑いながら「メェィリィーにも似ているそうだ」とすっぱ抜いた。

「あたいのどこが見栄っ張りで打算的だよ。双信許さないよ」

「さっき、婚姻の祝い金が百じゃ少ないと見栄を張っただろうが」

孜漢に言われて悔しそうだ。

「打算的とはどこがですよ」

「そうじゃなきゃ。家の費用をもっと出せは人の前で言わんだろう。與仁が断れないように俺の前で言ったじゃないか」

孜漢にもすっかり見透かされていた。

双信も「だから見込み通りなら商売繁盛間違いなしでね」と笑い出した。

與仁(イーレン)も贅沢する銀(かね)じゃないので最近は、メェィリィーにはほぼ言いなりだ。

頃合いを見て三人は府第へ向かった。

「双信もついに嫁迎えか。じゃじゃ馬をうまく乗りこなせよ」

「哥哥、そんなにじゃじゃ馬なの、それにあっさり乗り換えたりして。気移りの激しい娘でいいの」

「あっしにゃそういう女の方が性に合いそうでね。どうにも旦那とおかみさんのような家族にあこがれていましたんで」

三人で晴れ着の事を願うと「これからは差配の娘の嫁入りはそうしましょう」と快諾した。

最近は奴婢たちが縫い上げる晴れ着は“出来がいい”と頂くものに評判が高くなっている。

 

固倫公主    

固倫公主でも居京師俸銀四百兩、祿米四百斛,下嫁外藩俸銀千兩、俸緞三十匹。

豊紳府と公主府、香山村、紅門村で三百人近い人数を支える遣り繰りをするにはこれでは足りない。

インドゥ

一等(頭等)侍衛・正三品-年二百四十三両。

(俸銀百三十両・禄米百三十斛=六十五石)

三等伯-年四百六十両。 

家職-三等輕車都尉従三品-年百六十両。

 

裏で商売にしているのかと探りも入ったとうわさがあったが“銀(かね)のやり取りは見つからない”と探りは消えたようだ。

「それで礼雄(リィシィォン)の方はどうするの」

「姉娘の後三月は間を置きましょう」

「そうね。姉娘が実家へ挨拶に出るときに合わせましょうね。家はどうなるの」

「あいつの実家の持ち家や土地が東城下にいくつもありますから、親に任せます。空きがなけりゃその間に建てさせます」

「何よ、出番がないじゃないの」

ほぼ府第の改築も終わり手を出す機会を狙っているようだ。

「ほかに差配に婚姻間近の娘は売り切れたの」

「十三歳になる蓮花(リィェンファ)という于鴻(ユゥホォン)の娘位です」

それはだいぶ先になるわねと話が弾んだ。

「それで、別口のいい話がいくつかあります」

「なに」

「鈴仙が孕みました」

「いつ生まれるの。早馬出しても知らせるいい話じゃないの」

「戻る日の午(ひる)に判ったんで、閉門時刻に間に合うには、替え馬なしじゃ無理ですぜ。段(タン)の姥姥(ラァォラァォ)が言うには十月が産み月だとか」

良い話のほかはと言うので新娘の添地の話しと畑地の工事、男の子の雑用などで盛り上がった。

「村で前は古着を買うにも銀(イン)一銭以下の話しが二銭、三銭、四銭と出すようになり、古着屋の権利争い迄起きました」

「解決したの」

「話を聞くと新しい方も元は出入りししていたそうでね、五年前に先代が利権の額で負けたそうです」

「そんなものまで袖の下を要求していたの」

相当あくどいやり方で村を絞っていたようだ。

「娘娘への代替わりで村へもう一度入れさせてくれと于睿(ユゥルゥイ)へ話が来たそうで。会合で鈴仙がね。古手に自分の小作と淡寶の小作への出入り、後口には三人の差配人の差配する小作と差配邸への出入りと話したら、後口のものは大喜びで応じました。昔の家数とそれほど変わりません」

「前の古着屋はよく承知したわね」

「鈴仙の方はすべて分家ですから、実家に贈ることも可能なはずでね。それと自営十一家は段(タン)の小作の届けになっています。表向きは差配だけが自営です、銭払いは良いと分かったんでしょう。それと欲張らずに他の村でも協力すると約束させました。その方が得ですから」

「でもなぜ差配頭で無く于睿(ユゥルゥイ)へ」

「于睿(ユゥルゥイ)の外甥(ゥアィシァン)なんですよ、それで従兄弟の于鴻(ユゥホォン)も口を控えたようでね、差配頭の李宇(リィユゥ)も双方の親類というので自分では決められないと逃げましてね」

複雑に縁戚が絡み合っているようだが、鈴仙の事を新しい方の古着屋は良く調べていなかった様だ。

孜漢は他村への連絡、薬の買い付け、小間物の売り込みも古着屋が請け負うので二軒あるいは三軒、村出入りがある方が切れ目もないと段(タン)へ教えた。

新しい方もニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)に応じた十六家が出入りできるので「損はないと見たんだろう」と鈴仙、淡寶夫婦に話している。

三人は府第を辞去して前門(チェンメン)へ出た。

前門(チェンメン)粮食道、通称粮食胡同は小さな穀物問屋がひしめき合っている。

双信の実家は乾物の卸小売りを父母(フゥムゥ)と兄の一家で商う小さな店だ。

界峰興(ヂィエファンシィン)とは五十歩と離れていない。

汪美麗(ワンメェィリィー)の実家も煤市街で絹布の端切れを扱っている。

煤市街は昔此処に石炭を掘りだして積み上げた場所と云う。

嫁が決まったことを話し、婚姻は大興荘で行い、京城(みやこ)へ出てから天津へと相談はまとまった。

嫁の実家に京城(みやこ)で買い入れた贈り物に、嫁への贈り物は孜漢の方から届けることにした。

礼雄(リィシィォン)の実家にはそれだけの支度が無理なら孜漢が同程度に穴埋めをするつもりだ。

大げさにやりたいときは娘娘の許しがいると断れば済む。

孜漢は妻が死んで妾を家に入れてから、娘たちも滅多に寄り付かない。

妓楼遊びも飽きていて最近は水会(シィウフェイ)も軌道に乗り、大興荘の管理を命じられたのを機会に、子や孫たち家族のように世話を焼くことに楽しみを覚えている。

三人はそこで分かれて孜漢は店へ戻った。


甫箭(フージァン)は出ているという、小僧二人が供で、出先は阮品菜店(ルァンピィンツァイディン)から安聘(アンピン)菜館へ回るという。

留守は番頭の鄭玄(ヂァンシァン)がいれば甫箭も安心できる。

嫁を貰えば独立をと考えてもいる。

甫箭(フージァン)に店はほぼ任せている、お飾りに近いと自分では思うようだ。

店の将来は甫箭に任せ、楽隠居でもとふと思うのだが、そうすると次々仕事が持ち込まれてしまう。

“哥哥に見込まれてから、ずいぶんひやひやもしたが十分楽しんだ”

荘園の管理が決まると、まだまだ楽しみはあると活力がわいた。

権洪(グォンホォン)の夫婦に「爸爸(バァバ・パパ)は一つ仕事を減らすと二つ引き寄せる」と言われてしまう。

孜漢(ズハァン)は五十三歳枯れるにはまだ早い。

荒れ邸の老頭(ラオトウ)のようにはいかない様だとつくづく思いながら茶を飲んでいるさまは“ご隠居”と呼んでも良いありさまだ。

誰かに前門(チェンメン)の水会(シィウフェイ)を任せようと人材を思い出しては消していった。

条件は大店の主連と気が合う事、官吏の懐柔が出来る事。

何より腰が軽いことが大事だ。

孜漢は最初は結へ入らずとも好いだろと思っていたが、康演から推挙人になる都合もあるからと参加した。

案の定店から独立させた男たちの推挙人に必要になった。

妾は賽梅花(サァイメイファ)二十三になった、百順胡同(バイシュンフートン)東院妓楼(ドンユァンヂィロォゥ)の売れっ子を買い取った。

客を振るので孜漢(ズハァン)のような変わり者しか寄り付かない。

三百か五百かと思っていたら妓楼は銀票五十両で引き取ってくれという。

本名は周麗華(チョウリィファ)三年前に家に入れて月三十両で始末を任せたら一年後に「五十両残りました」と出してきた。

それで証文を買わせるつもりになった。

「どうするか自分で考えろ。商売するなり嫁に行くなりしたらどうだ。支度はしてやる」

そのように言うと怒って銀(かね)を投げつけた。

「自儘になるくらいの銀(かね)くらい持ってる。旦那に惚れたから来たんだ。売るなりたたき出すなり好きにしな」

これには孜漢(ズハァン)も謝って「俺の面倒を生涯見てくれ」と頼み込んだ。

それ以来家で頭が上がらない。

最近知ったのは、後ろ盾に元太監の隠居がついて自儘にさせていたと相公(シヤンコン)の陶延命(タオイェンミィン)から聞き出した。

陶の話しでは外城には十人ではきかないくらいの隠居太監がいて、十軒は妓楼の株を持っているという。

「どこがそうなんだ」

陶は口をとがらせて口笛を吹きだした、教える気は無いようだ。

安聘(アンピン)菜館裏手の孜漢の家から富富(フゥフゥ)が王李香(リーシャン)の弟子の梁(リャン)と出てきた。

「家に用事だったのかい」

「そう、大事な用事、麗華姐姐にね」

二人はそれだけ言うと「あとはよろしく」と去っていった。

家では潘(パン)が出迎えて「奥様がお待ちです」という。

料理番の潘(パン)は麗華を奥様と呼ぶ只一人の女だ。

女中二人と小間使いは「麗華(リィファ)様と呼べ」いう言いつけを守っている。

部屋では青白い顔をして麗華が待っていた。

「具合でも悪いのか、医者を呼ばなくていいのか」

「梁(リャン)さんに会いませんでしたか」

「富富(フゥフゥ)と二人であとはよろしくだとか言ってさっさと家の方へ行ったきりだ」

「実は子が出来ました」

孜漢は「よくやった。もう出来ないかと諦めていたんだ」と満面の笑みで抱き寄せた。

「ただ生まれる子が可哀そうで」

「なんでだ」

「だって奥様のお娘(おこ)や孫に邪魔者にされてはかわいそう」

「気にするな。俺には財産はない。すべて哥哥と娘娘からの預かり物だ。もとは黄河の氾濫で乞丐(チィガァイ)同然で京城(みやこ)付近をうろついていたのを劉全(リゥチィアン)の旦那に拾われた孤児だ。一緒に家をなくした人たちの情けでやっと生きていられたくらいだ。娘たちには媽媽(マァーマァー)が死んだときに財産分けして言い聞かせてある。それ以外に係累もない

孜漢は間を端折って乾隆二十六年十月黄河決壊の時に懐慶府で一家離散したと話した。

 

懐慶府は洛陽の北東黄河を挟んで百八十里にある、京城(みやこ)まで千五百里の街道を幾日さまよったか定かではないという。

離合集散も多く、乞丐同然のものにも盗賊が襲う時もあったという。

農人の情け、丐頭の情け、漕幇(ツァォパァ)達の情けにすがってひたすら歩いたという。

漕幇の船頭達に、運河脇の河原で恵まれた粥の旨さは今でも思い出すという。

生まれた年と村の名、父母(フゥムゥ)の名は守り袋の油紙に包まれていた。

父母(フゥムゥ)の安否もわからぬまま、冬を越し春も過ぎ、漸く京城(みやこ)まで百里の所まで来た。

丐頭の情けでその付近の集団に加わっていたという、農家の手伝いは飢えをしのぐ手立てだった。

集団の長は子供たちに字を教えた、字が読み書き出来れば仕事も増える。

白髭の老頭(ラオトウ)から棍と拳も教えられた。

この時の集団は結と御秘官(イミグァン)の庇護下にあったとあとで知った。

だから農家にも給付が出て、それで雇ってくれたと劉全が教えてくれた。

今は袁洪玄の住まう拱極城(宛平城)南の飯店には、代々の宦官内の「御秘官(イミグァン)」が隠居後に住んでいてその下の組織だった。

目的は各地の被災民の暴発を防いで京城(みやこ)を守っていたが、嘉慶帝は粘竿処(チャンガンチュ)の報告を全面的には信じていない。

康熙帝玄燁のもくろんだ、皇城を民に盾となって守らせる、それは嘉慶帝になって崩れだしている。

孜漢が二十歳の時、劉全(リゥチィアン)が自分の店へ勤めさせ、乾隆五十三年三十四歳の時にインドゥの金庫番に推薦されて十九年になる。

金庫番は與仁(イーレン)が引継ぎ、店は周甫箭(チョウフージァン)へ譲ると決めている。

亡くなった妻は十八の時、北城の酒店の出戻り娘安孝甜(アンシィアォティエン)二十五歳と出会って婚姻し、すぐに娘孜景園(ズジンユァン)が生まれた。

このころは街の使い走りをしていて苦しい時代だった。

娘三人が授かったが嘉慶五年一月に流行風邪がこじれ五十四歳で亡くなった。

この時は蔡英敏や宋輩江は前月(師走)から皇城内から出られず、街の医者は手を尽くしたが原因のわからぬまま亡くなってしまった。

太医達はふた月六十日の間禁足状態で街とは完全に隔離されてしまったのだ。

師走、正月と猛威を振るい二月には医者も暇になるほど急速に終息した。

 

「だから麗華(リィファ)はこの家を守り、生まれる子を大事に育てる。それ以外は俺に任せりゃいいんだ」

店に戻り、戻って来た甫箭と豊紳府へ向かった。

途中興藍行(イーラァンシィン)で子ができると話して夫婦を驚かせた。

娘娘はたいそう喜んでくれ麗華(リィファ)への「お土産」と言って髪飾りの箱を呉れた。

非番のインドゥにもさんざん揶揄われ、ようやく府第を後にした。

道々礼雄(リィシィォン)の婚姻について式は双信の三月後で、日時はまだこれからだが規模は同じに孜漢の銀(かね)と店で出すように頼んだ。

「いい機会だから興延に礼雄二人を番頭にして給与も月十両、付き合いは五両と〇〇の方は銀(かね)三十両にします」

「〇〇はどこで遣うかわからないから銀(イン)百銭は常に持たせておけよ」

「村の方へ使わせてもいいのですか」

「いいともよ、それから安定門(アンディンメン)の店は俺から甫箭に名義を替えておけよ」

そうしますと甫箭は請け合った、これで甫箭の接待できる場所が北側にもできた。

「その際小僧を三人手代にします。もし鄭玄が独立すれば二人くらいは付けるようですし、蘇州の担当を育てるつもりです」

良い読みだと安心して頷いた。

場外四里はさびれた風情だが、結へ参加が認められた甫箭には必要な場所だ。

商人の多い結の集まりには好都合だ、季節によって名目はいくらでもある。

年に五百を超える給付を受ける興延に礼雄の二人は、店の中核へ上るということだ。

 

大興荘へはしばらく興延のみを行かせておいた。

近在の村や鎮の大体の場所を記した図を描いてきた。

徐興延画大興荘近在図

双信の婚礼には與仁(イーレン)も出た、孜漢(ズハァン)は興延(シィンイェン)を出しておいた。

新婚の二人が京城(みやこ)へ向かった日に孜漢(ズハァン)は礼雄(リィシィォン)を連れて大興荘へ出た。

すれ違わぬように縣公署、田家営村を抜けて行った。

李宇(リィユゥ)は続いての婚礼に難色を示したが、手代から番頭になり給与は月十両に増えたことも伝えた。

家は五男坊なので舅、姑とは別だと説明し、実家の持ち家や土地が東城下にあるので婚姻までに家を建てると親が請け負ったと伝えた。

李春(リィチゥン)が乗り気なのは疑うまでもなく、ただ母親が早く手放したくないだけが問題だ。

「月十両じゃ娘は半分家に使うのがせいぜいじゃないか」

今の暮らしに比べて大違いなのに欲が出てきたようだ。

「なぁ、礼雄。給与は全部家に入れても大丈夫だろ」

ははんと礼雄は思い「稼ぎはすべて家に入れましょう」と切り出した。

贈り物に表に止めた荷馬車には、姉の李杏(リィシィン)と同程度のものが用意されているはずと今朝のうちに秘密めかして與仁(イーレン)があらかじめ媽媽(マァーマァー)の段仙蓬の耳に吹き込んである。

李宇(リィユゥ)には興延が同じように吹き込んだ。

祝い金の百両は孜漢(ズハァン)が用意した。

遠いので李杏(リィシィン)の里帰りは三月後とあらかじめ取り決めてある。それに合わせるというのもいいことだと夫婦は婚姻を承知した。

その晩は村で泊って婚礼の様子を于鴻(ユゥホォン)、段(タン)、高榔(ガオラァン)から聞いて、祝いの続きをした。

 

双信の一行は安定門(アンディンメン)外の料理屋へ着いた。

此処で一泊し明日は公主府の馬車で娘娘へお目見え、嫁荷は船へもっていって積み込んで置くと聞かされている。

昨晩、婚姻後の新婚夫婦は差配邸の離れに泊まった。

「お目見えの衣装はどれにしましょう。貴方のも用意しないと」

「そいつは與仁(イーレン)の奥様の汪美麗(ワンメェィリィー)様が宿へ届けてあるそうだ。それから俺が時々奥様の事を話題にしても焼きもちは焼くなよ」

「そんなにいい人なのかい」

焼きもちしそうになっている、まだ新婚の晩に早かったかと反省した。

「俺たちが七つ、八のガキ時分に十一くらいで近所の姉貴分だったのさ。頭が上がらねえ上に孜漢(ズハァン)の旦那の所へ勤めていたら與仁(イーレン)の旦那も居て可愛がってくれた。気がつきゃその嫁になっていた。おまけに與仁の旦那が独立するとき店から三人選んでくれた。ここまで縁があるお人だ実の姐姐がいてもここまで世話をしてはくれねえ」

そういって抱き寄せたらいやいやをしていたが初夜の大仕事は無事に済んだ。

料理屋では宜綿(イーミェン)が汪美麗(ワンメェィリィー)と双信の父母(フゥムゥ)を連れて来ていて、此処でも婚姻の式を挙げた。

離れで二人になると「さぞ疲れただろう」と李杏の足をさすってくれた。

李杏(リィシィン)は昨晩から双信の優しさにすっかり参って、男としての魅力に加え夫としても申し分ないと思うようだ。

妻としての女の喜びにも芽生えが感じられた李杏(リィシィン)だった。

汪美麗(ワンメェィリィー)の魅力は李杏(リィシィン)にはひしひしと感じられ、夫が大事に思うのも理解できた。

翌朝、公主府の馬車へ二人で乗せられていかめしい番兵の中を城内へ入った。

豊紳府ではインドゥの帰る時刻に合わせ、甫箭が予定を立てていた。

通用門で邸内へ入り、公主の居間で夫妻へ紹介され、改めて婚姻の報告を汪美麗(ワンメェィリィー)が代表して申し上げた。

双信の父母(フゥムゥ)にも言葉が掛けられ、二人は感激し「これも息子と嫁のおかげだ」と新婚の夫婦を拝礼した。

哥哥の噂話は大げさに街に広まっているが、頭等侍衛、伯爵復位は豊紳殷徳(フェンシェンインデ)がフォンシャンに信頼され信じられている証拠だ。

公主の差し回した馬車で父母(フゥムゥ)も府第を辞去し、前門(チェンメン)で馬車から降り、父母(フゥムゥ)を粮食夹道の店まで送り、興延の案内で幹繁老(ガァンファンラォ)へ泊った。

上気した顔の李杏(リィシィン)は部屋へ入って、ようやく落ち着きを見せた。

その晩は双信の友人、同僚に兄二人が祝ってくれた。

「あと一回、天津で祝いの席がある」

興延は李杏(リィシィン)を脅かそうとそういってにゃっと笑った。

厳つい顔がその時は頼もしい知り人に見えた李杏(リィシィン)だ。

李杏(リィシィン)の顔見知りのいない天津へも、付いて来てくれるという。

その晩の二人の会話に興延のことが話題に上った。

この近くに汪美麗(ワンメェィリィー)の実家があり、その隣の絹の端切れ問屋の番頭が父親で、昔からの顔なじみと教えた。

「村と同じように皆さん顔なじみが多いのですね」

「大店の若旦那と違って俺たちは路地を駆け回って遊んだ仲間さ、甫箭さんの妻になった富富(フゥフゥ)さんもこのあたりじゃ人気者だ」

日ごとに権高な様子も消えてゆく李杏(リィシィン)は、誰が見ても申し分ない花嫁だ。

「天津へは今日與仁(イーレン)の旦那が夜船で奥様と先回りで、式の仕切りをされることに為った」

「まぁ、いつの間に聞きました」

いつも傍にいたはずと不審げだ。

「十日ほど前に孜漢の旦那と決めたそうだ。聞いたのは今朝の事だ、それも馬車へ李杏(リィシィン)が乗った隙に言われたよ。俺は隠し事が出来ないから直前まで言わないつもりだったようだ」

「あたしにも隠し事はいやですよ」

「心配無用だ。俺のような商売はお前が頼りだ。ぜひとも手代、小僧の姐姐になってくれ」

頼りにされて頭に乗るかと思ったが、どうやら孜漢(ズハァン)達の読み通りに従順な嫁の気配が見えてきた。

 

翌朝、二人で界峰興(ヂィエファンシィン)で挨拶をかわし粮食夹道の父母(フゥムゥ)の店で旅立ちの挨拶をかわした。

二哥が付いて小市街を抜け、三里河街から崇文門(チョンウェンメン)外大街に出た、小荷物はアグゥ(二哥)と店の小僧が担いでくれた。

花児市街を東に進み、北小市を東河へ抜け、東便門(ドォンビィエンメン)から通惠河(トォンフゥィフゥ)へ出た。

大通橋の向こうに興延が待っていて東船着きから三人で船へ乗った。

二哥の雙龍(シァンロォン)が手を振って見送る中、船は流れに乗って通州へ下って行った。

天津へは夜船を楽しみながら運河を下る旅を選んだ。

双信は「俺と李杏(リィシィン)は肌が合うようだ」というので真っ赤になった。

興延があわてて「フゥドゥラァィ(合得来・馬が合う)ということで、商売人の符牒のようなものだ」と助け船を出した。

「すまねえ、ついつい商売仲間の言葉が出てしまう」

「いえ、私がもの知らずなものでご迷惑をかけて仕舞うか心配です」

村の時より従順な李杏(リィシィン)に興延も目を見張っている。

「だんだんなれるさ。店の連中の良い姐さんを心がけてくれ。それと住まいだが五人いる。小間使い一人と掃除の掛りを一人増やしたのだ。街育ちだから話はかみ合わねぇかもしれねえが徐々に慣れるさ。甘やかしちゃいけねえが剣突を食わせていてはリィシィンが困ることに為る」

「難しいねぇ」

「リィシィンなら出来るさ。俺以上に店でも家でも締まりをつけてくれなきゃいけない立場になるんだ。頼りにしてるぜ」

李杏(リィシィン)は不安な顔をしだした。

「リィンシィン姐姐、脅かされてますね。まぁ、街場の奴らはすれっからしが多いですが、心を開きゃ腹は奇麗なものばかりですよ」

「おいおい、興延弟弟。俺が強(きつ)く言うのをほどくんじゃねぇよ」

男二人で言葉遊びをしている。

興延は思いつくままにこんなことも言った。

「一番は料理番。こいつはどこの家でも抜け目がない。ュエムゥ(岳母・姑)と付き合うつもりで下手に出るのも一つの手でね。雇い人を味方につけるのが一番ですぜ」

「まいるなぁ、俺が言う言葉だぜ」

「商売も含めて長く付き合うんだ、双信哥哥と同じように李杏姐姐も懐柔しておくのがこっちの得でね」

李杏(リィシィン)は村出入りの融通の利かない男と見ていたが、改めて出来る男だったとみなおしている。

「興延哥哥のいう通り家の始末が出来るように心がけますわ」

双信の方もこの際に話しておこうと決めた。

「街では何事にも金が要る。小間使いには常に銀(イン)五銭とバラで百文くらい持たせて出るんだ。一両、两両、十両の銀票は袖に隠して持って出てくれ。どこで仕事先のものに出会うかしれない。仕事をしろと云うんじゃない、どこかで茶でも飲んでくださいという必要もある用心だ」

「哥哥は家の始末に銀(イン)をどのくらいかける気なんです。一人もんにゃ無縁ですがね」

「雇人の給与は店と奥で分ける。料理番は店の手代、小僧たちの食事も出すので店で出すのだが客を呼ぶとき、余分なものを買う時は奥の銀(かね)を出して頼んでくれ。安い高いは言わないでくれ。料理番が懐に入れて仕舞うかなぞ心配していたら人が雇えない、全部自分でやるなら別の話しだ。村で銀(イン)一銭のものが五銭しても驚くことはない。子供のころ聞いた話で鶏卵を一つ五文で仕入れて十文で売っている店があった。ある料理番は十を百二十文で仕入れて懐に十文入れ、店の手代も十文懐に入れていた」

「あくどいねぇ」

「だが、そいつの料理は絶品だった。殴打されて追い出されたが、そのあとその家では旨いものが食えなくて手代、小僧も居なくなった。さぁ、どっちが得かとよく爸爸(バァバ・パパ)に聞かされた」

「目をつむっていい位の判断をしろという事ね。料理番が材料を吝らぬように鷹揚にという事ね」

「そういうことだ。手代、小僧が手数料を安くしろと懐柔されないためには、厳しくて優しい姐姐(チェチェ)が必要だ」

「俺がその手を使えないように早手回しに聞かせたな」

「弟弟も察しがいい」

聞き耳を立てていた周りの客も大笑いだ。

双信は二人を手招いて小声で「銀(かね)五十両を足りないときの懐銀(かね)。月に銀(イン)三百銭で、まず遣り繰りできるか三月見よう。余りゃ実家に土産が買える」とにやりと二人を見た。

「始末をつければ実家が喜ぶけど、やりすぎりゃニィン(您・貴方)が困る」

「お手並み拝見といこうか」

興延は哥哥がもうすっかり李杏を手玉に取っていると感じていた。

こうでなくっちゃ“店を任される訳もないのだ”と心に刻んだ(きざんだ)。

翌日の午に李公楼橋川上の波止場に停まった。

船を降りるとき城壁の角楼が見えた。

「東南角楼だよ」

双信が教えた。

船を降りて茶屋で身なりを改め、北へ向かうと獅子林大街の問屋街に出た。

「その右手の絹問屋が鈴仙の実家だ」

立ち並ぶ大きな店舗に驚く李杏に興延が教えた。

「この街じゃ中くらいの規模の絹問屋だ。綿問屋も十軒じゃきかないくらい大店がある」

此方は双信の言葉だ。

大街を西へ行くと北浮橋に出る、橋を渡りながら「この付近に客船は止められないので京城(みやこ)から來ると大分と歩くようだ」と話した。

東門外の玉皇閣と天后廟の間に興藍行(イーラァンシィン)の天津(ティェンジン)店がある。

取引の仲介が主な業務で倉庫はない、店内は大きな机と卓が二つ、十人も入ればいっぱいになる。

店の名は変えず主が曽双信(ツォンシァンシィン)になったと近所に触れただけだ。

店に與仁が手代たちと茶を飲んでいたが奥から美麗が出てきた。

汪美麗(ワンメェィリィー)が付いて裏手の新居へ案内した。

裏を買い入れて食堂、厨房などを建て直したと教えている。

厨房は王という三十代くらいの女が十五くらいの娘と任されていた。

王は「王美理(ワンメェイリィ)で四十三です」と名乗り娘は「王佳鈴(ワンジィアリン)で二十三歳です」と告げた。

二人とも大分若く見えた。

隣の部屋で奥様の小間使いですという十三くらいの敏捷(はしこ)そうな娘が紹介された。

「名前は王壽麗(ワンシォゥリィ)ですが厨房の王さんとは親戚ではありません」

掃除係りの老婆と中年の女が続いて紹介された。

掃除の受け持ち区分は決まっているようだ。

婚姻の祝いの席は料亭で、取引先を二十人ほど招待してあるという。

留守の家には今晩料亭からの料理が配達されるので気にせずともいいと教えられた。

用意してきた銀票で銀(イン)十銭(千文)分を五人に渡し「これからは何事も私に相談して決めてください。互いによく話し合って仲良く暮らしましょう」と教えた。

小間使いには「触っていいものには赤い札。駄目なものには青い札が張ってあるから覚えるのよ」と念を押した。

宴席には鈴仙の父母(フゥムゥ)も来ていた。

「私とあなたは遠いとはいえ縁戚となったと娘が手紙を寄こしたわ。困ったことが出来たら遠慮なく相談しなさいね」

鈴仙は大興荘の段(タン)一族のうち李杏と淡寶の曽祖父が同じ人だとマァーマァー(媽媽)へ手紙を送って来ていた。

同じ名前が数多くいて整理も大変なようだ。

鈴仙が妊娠したので血のつながりも出来た。

段寶寿(タンパァオシォウ)のひ孫が淡寶と李杏などで、村に二十三家六十八人の段寶寿の子孫がいると調べていた。

他にも段(タン)を名乗る二十一家百十二人がいるが、もっと古い記録を見ても繋がりは出てこないという。

此方の家系からは嫁に出た十六家に三十三人の子供もいてさらに調べればまだいそうに思えると淡寶へ話した。

四人に一人は段(タン)と縁があるようだと言われて驚く淡寶だった。

大興荘が公主娘娘の支配になった時が全村で八百三十九人、この時は出稼ぎに二十人、奴婢に二十人出ていたとあとでわかった。

婚姻で村を出たもの、入ったもの、死亡したもの、生まれたもの、出稼ぎに出てはいるが村のものとして数えるもの。

高烈(ガオリィエ)は丁寧に帳簿をつけていた、淡寶は高烈にできるだけ早く“村の記憶”の整理を高榔に任せたいと話した。

昨年末での村人の合計は八百九十二人で出稼ぎはそのうちの十一人となった。

鈴仙は淡寶が馬、牛、鶏が近親にならないように柴信先生からの指導で系図を作るのを見て、村の姻戚関係を調べだして夢中になって居る。

 

興延(シィンイェン)は天津の宴席の後、與仁(イーレン)と相談して朝船で大興荘へ向かった。

急ぎではなく蘇州棉布(ミェンプゥ)の船に便乗した。

二百七十里ある河筋を十刻で遡るというのを試してみたかったが、一人でそこまでやる勇気はない。

今回懐には銀票十両二十枚と背に銀(イン)三十銭(三千文)と銭が小出しできるように二百文(銭)、これでは借り切るのは到底足りない。

三日目の巳の刻に李遂鎮で船を降りて馬方を雇って大興荘へ向かった。

曲がり家の休み處で馬方を帰し、一休みして妹娘から村の噂話を聞きながら茶を楽しんだ。

まだ十一だという娘は饒舌だ。

興延の顔を見つめて“かじりがいがあるいい顔だ”と喜んでいる。

意味がよくわからないが“からかいがい”と勘違いしているようだ。

差配人頭の李宇(リィユゥ)の家へ向かい、李杏(リィシィン)の父母(フゥムゥ)に報告した。

婚姻後の安定門外の料亭で双信の父母との宴席、府第でのお目見え、京城(みやこ)での宴席、天津での宴席までを詳しく話した。

李春(リィチゥン)の婚姻は六月十日だと教えられた。

天津へは孜漢の方から、その前日九日には「里帰りするように知らせる」と興延に教えてくれと言われたという。

関帝の誕生を祝う村の祭りは六月二十四日、その後の村は予定が詰まっている。

ガァォリャン(高粱)の刈り入れは七月五日立秋から始まる予定だ。

今年から刈り入れ日の最終決定は李宇(リィユゥ)が行うのだ。

十月のホォンドォウ(紅豆・小豆)迄、村は大忙しに明け暮れる。

新しい耕地の大豆の苗の植え替えは順調に進んでいる。

ガァォリャン(高粱)の苗付けは二月二十九日清明から始まり、一歩四方で六十株が昨年から取り入れられ、収穫量が一段と増えた。

前に輪作が止められ収穫が落ちていたが、去年から輪作に切り替えるため六割に耕地を減らした、今年はその成果が問われる大事な年だ。

輪作分(四割)と連作分(二割)の差がどれだけ出るかも新差配人の技量が試される。

シゥ(黍)、ュイミィー(玉米)も苗の準備は出来ている。

三月十四日穀雨がュイミィー(玉米)苗付けと李宇(リィユゥ)は通達している。

三月二十九日立夏はシゥ(黍)の苗付けだ。

そのあとはホォンドォウ(紅豆・小豆)の苗の植え替えとなる。

于鴻(ユゥホォン)は李宇(リィユゥ)の右腕としていわば村の軍師だ。

自営八家に香山村乳牛が各家二頭、十六家に牡牛と牝牛が行渡り、年内に二十六家のニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)を増やすと発表した。

但し書きは新娘、葉たばこの分家を持たない家族とし、差配人小作各二家の十家とその他の十六家を募集した。

鈴仙の方には該当者は居ないので村の話し合いでリゥユァン(栗園)二家、シィンユァン(杏園)二家と振り分けが了承された。

村は耕作のニォウグゥァンや大工仕事で入ってくる人々で大賑わいだ。

鈴仙が荒れ邸の爺爺(セーセー)を訪ねると、さすがに奥が深い邸に騒音は届いていないのでほっとした。

今日は京城(みやこ)から孫(スン)が来て菓子を摘まもうと誘いが来たのだ。

ひと時を過ごし岳母(ュエムゥ)と段(タン)への土産を包んで村へ戻った。

荒れ地のかさ上げ開墾も済んで、半分の大豆の苗は植え終わっている。

インチュエ(雲雀)が空高くさえずっていた。

この間劉柳蓮(リゥリィオリィェン)が、さえずる五羽の聞き分けをして鈴仙を驚かせた。

巣作りの場所を幾つか想定し、子供たちに「この辺りなので脅かしてはだめよ」といいきかせていた。

堆肥置き場の土手下はシァンアンチゥン(山鹌鹑山鶉)の番がいるから近寄らないでとも教えていた。

淡寶は新娘の新規分配は雲雀の巣作りが終わる小暑近く、六月にしたいと鈴仙に相談し差配人会議で五月三十日地番抽選とふれた。

于鴻(ユゥホォン)が縄張りはシゥ(黍)収穫後と提案し、差配全員が受け入れた。

段(タン)に高榔(ガオラァン)が集会広場で若者たちと議論している。

丸太に座って聞いて居ると、分家しない家は不利だという若者たちだ。

「ニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)に選ばれなければ苦しいのは昔のままだ」

「新娘へ移らしてくれ。今の小作地は何軒かへ別ければそれだけ助かるものも出る」

高榔(ガオラァン)は何かを書きながら見ている。

「なんだよ。誰が何を言ったか書いてでもいるのか」

若い高榔(ガオラァン)に声高に言うものもいる。

「段臨寶(タンリィンパァオ)、貴方の家は二十五ムゥ(畝)が代々耕作地だ。周り十三家も同じでこの村では差配に次ぐ農家だ。今荒れ地の開墾へ応募して慣れ親しんだ地を離れてもいいのか」

「俺は応募したい。ここにいる男たちは皆そう思っている」

「提案だが抽選で当たれば外れた家に分けると誓約書をかけるのか。できるなら次回の会議で提案する」

「自由に作物を作らせてくれればすぐに書く」

鈴仙は“ああ、これが良くなればなったで不満がつのる”という人たちだわと悲しくなった。

「ピュルッ」

雲雀が飛び立った、近くの畔から龍神の方へ向かって、空高く駆け上がりながら俺は此処に居るぞと宣言している。

「新娘は土地が落ち着くまでシゥ(黍)だけだ。柴信先生は村のシゥ(黍)耕作地全体が刈り入れ後にガゥンシュ(甘藷)を試してほしいと言っている。年二回の作物が収穫できる。ほかは村総意ならばともかく危険を冒せない」

「俺は今の土地でもミィ(米)が作りたい」

「昔の資料にこの村では無理だと出ている。寒さに強い稲を作り出すことが出来なきゃ家族が飢えるぞ。おまけに大量の水が必要だ、ため池を作る必要もある」

「小川に、龍神池がある」

「今果樹園を作り入会地を整備しているのは土地の保水力のためだ。米農家幾軒かにすべての水を回せるはずもない」

「なぜ淡寶は何も言わん。お前の嫁の土地だろうが」

「村で借りて、村の掟に従う。差配人会議で決まれば従う。他に言うことなどない」

「嫁は自分で開墾の指揮を執るんじゃないのか。そういう噂もある」

「噂だけだ。聞きたきゃそこにいるから聞くんだな」

一斉に振り向いた。

「何時からそこに」

「雲雀が飛び立つ前」

鳴き声も耳に入らないほどで、余裕はなかったようだ、顔を見回している。

「鈴仙はどう思うんだ」

臨寶は段(タン)一族の長をいつも気取っている。

「小作地の割り振りは私には難しすぎます。手を加えても水はけが悪く収穫の上がらない土地。普通に管理すればそこそこに収穫できる土地。高烈(ガオリィエ)様の作られた土地の優劣台帳を見れば人の力では改良が難しいとありました。やせ地の人、子だくさんの家族からと考えたのは私です。でも村人全員に四十ムゥ(畝)の土地の小作は三倍以上の土地か、三分の一の人で分けるかしかありません。娘娘の御手助けで徐々に生活が楽になって来た筈です。無理を言えば一番困るのは娘娘です。領地替えにでもなれば村全体、皆さま経験したあの当時に戻るかもしれません」

「俺たち小作がもう少し早く豊かには慣れないのか」

「村で今は牛の飼育に月銀(イン)五銭負担しています。乳の販売益から新しい牝牛を飼うにも限度があります。急激に増やせば乳の売値が下がります。そうすれば村も牛飼いもともに困るのです」

「村で乳を売ればいい」

「誰がですか。小作では遣らせてもらえないですよ。差配の三家でもやらないでしょう。それは買ってくださる人たちが縣の各所に分散しておられるからです。仕組みを作っても大家(たいか)の人たちに潰されてしまいます」

「娘娘に頼めばつぶされないだろう」

「まだわからないのですか。娘娘は他人の商売の邪魔をしてまで村を助けてはくれませんよ」

「なぜだ」

「周りの村を見てください。皆で近在と協力してこそ繁栄があります。ひどい噂の村でも周りの親類が助けます。でも周りの仕事を奪えばだれも助けてはくれません。この村の小川でもすべての水を下流に流さず、独占すれば下流の村が飢饉になります。代々大切にしてきた小川は村だけのものじゃありません。同じように耕作地も自分の物だけを大切にしていたら一族が、そして村全体が困ります」

臨寶が今日は散会だと言ってぶつぶつ文句を言いながら戻っていった。

「じゃまた」

高榔(ガオラァン)が言って降りてくる雲雀を追いかけるように家に戻っていった。

「何かいいにおいがする」

鈴仙から漂う茶と胡椒の風味が段(タン)に判ったようだ。

「京城(みやこ)の菓子を孫(スン)が届けに来たんです。お裾分けをしてもらいました。岳母(ュエムゥ)とお茶にしましょ」

   

新差配人-五人。

-李宇(リィユゥ)

高榔(ガオラァン)

于鴻(ユゥホォン)

段淡寶(タンダァンパァオ)

舒鈴仙(シュリィンシィェン)

差配の家族-二十三人。

小作+自営=三百六十三家(四百零四家)

差配小作-五十家

(予定・ニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)十家) 

自営-十一家

(香山村乳牛-八家・馬、山羊-二家・肥料-一家)

葉タバコ-三十家

シゥ(黍)-二家

(一家+四十家)

小作三組-二百七十家

(ニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)十六家)

(予定・ニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)十六家

 

第五十二回-和信伝-弐拾壱 ・ 23-03-31

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った
。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     



カズパパの測定日記

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