お初が手ぬぐいに懐紙を挟んで忍んできた。
寅の鐘が聞こえてもお初は愚図っていたが漸く部屋へ戻った。
早立ちの者は居ない様で、表が賑やかになって、漸く女中が「朝の支度をお持ちしますよ」と声をかけて回りだした。
次郎丸が洗面をし、旅支度を整へて、番頭の部屋へ行くと既に皆が集まっている。
すぐに食事の支度が出てきた。
朝献立も壱汁三菜、量が少なめに盛られている。
汁・皿に塩焼き鰆・香のもの
平には石やきとうふに練り味噌、別の皿に焼き竹輪の煮物だった。
飯は盛り切りだった。
「お忘れ物はござんせんか」
お初め、旅支度も済んで化粧も決めている。
「厠に洗面も済んだが、髭がもう出てきた」
顎をさすって見せた。
「髪結いは斜め目の前にありますぜ」
番頭が笑いながら教えてきた。
四つ辻、神社の常夜燈まで送って辰の下刻近くに東西に分かれた。
“秋葉大権現 富士浅間宮”
そっけない常夜燈だ、裏へ廻ればこまごま刻してあるのだろう。
境川の境川橋は箱根へ向かう人や下田街道、甲州街道へ行く人か、多くの旅姿の男女が越えてきた。
此処までが伊豆、先が駿河になる。
その上流先が世に言う千貫樋。
「別れの愁嘆場はなかったな兄貴」
「向こうも大人さ」
此れなら江戸へ戻っても大騒ぎには成るまいと半分ほっとしている。
二十九里の伏見一里塚。
喜瀬川は細身の橋が架けられていて其処から富士が見えた。
暫く街道の近くを流れ幾筋もの小川を集めて水量を増していった。
三十里の一里塚は日枝山王の門近くにあった。
沼津城が見えた、水野氏が移封されて三枚橋城跡に城つくりが始まった。
三枚橋町を城の南側を回りこむように先へ進むと城下町が広がっている。
道中記には本陣三軒、ほん町・あげつち町・さんまいばし町とある。
「ずいぶん説明が雑だな」
三島で聞いた話では大きな旅籠は十八軒、中小四十軒はあるはずだ。
喜瀬川はこの辺り狩野川と名が変わり湊には五十石程度の五大力が五艘停泊していた。
川べりに水神の社がある、川廓町だと老婆が教えてくれ先が上土町で本町はその先鉤手に曲がるのだという。
対岸にも街は市場と八幡があり、船は休みなく往復していた。
上本町の近くにも八幡があるというので街道へ戻った。
いきなり四郎が傘を深くかぶって次郎丸の後ろへ下がって身を潜めた。
「卒爾ながら、今後ろへ隠れたもの、ご存じよりのものであろうか」
「然様でござる、わが弟同然の者でござる」
「拙者紀伊家の下条荷月と申す。これ四郎なぜ隠れる」
「いやはや、此処で先生に見つかるとは」
「いまだ家に戻らぬのか」
「昨年戻りましたが、熱田まで父の迎えに出ております」
知り合いで頭の上がらぬ人のようだ。
「どこかで話を聞こう。わしたちは三島泊まりの予定だ、一刻くらい遅れても申の下刻には入れ様、そのうなぎ屋で御馳走しよう」
もう直に午の刻だろう、見世は幸い二階が空いていて中間は平土間で同じものを出させた。
下戸だと断って四郎たちにも「茶で我慢しろ」と言った。
「某、白川藩本川次郎太夫と申し、京、大阪へ参るのですが四郎の兄上が丁度いいので同道されたらと勧められました」
「ほう、白川様の」
「はい、昨年は房総警備の視察のお手伝い、本年は大坂蔵屋敷と摂津を中心に海岸線を見て参れと殿から命じられました」
「何か目的でも」
「自分で見て、将来何処へ砲台を築くのがよいかを学べとの仰せでした」
「房総を見廻れたとな」
「はぁ、わが藩の用人大野様の御供で回らせて戴きました」
「景晋殿は解役されたのか」
今度は四郎が答えた。
「いえ、年度替わりの交替で江戸へ戻ります」
「裏がありそうだが聞かんでおこう」
丁度鰻がどんぶりで来てアツアツを三人で食べた。
下条は「紀伊まで行くなら、息子へ手紙を書くから道案内でもさせてくれ」と一通認(したた)めた。
京橋御門三の丸下条新兵衛と別紙を挟んでくれた。
下条が勘定を持ってくれた、四人で四百八十文だという。
表へ出て東西に別れた。
町を巡ってみた。
「如何やら紐を付けられたな。紀伊へ入って知らん顔は出来なくなった」
「大寄合といやぁ、重臣だ。良い繋がりが出来たと思いましょうぜ」
もしかしてと四郎が言うには道場の噂で、藩は金の工面を幕閣へ持ち掛けていてそれが決まるのでは無いかと言う。
あり得る話だが、子だくさんの方の御養子を受け入れる事も有るだろと次郎丸が教えた。
「父の友人で道場の先輩と来ては頭が上がりません。つい後ろへ隠れたのがいけなかった様だ。気おくれしたせいか鰻の味が中途半端でしたぜ」
「そいつは舌が正直だ、蒸しが効きすぎていたんだ」
「店のせいでしたか。あっちの懐だ文句はほどほどにしときやす」
横町に続く道が本町通りで北側は上本町、南側が下本町。
上に高田本陣、中村脇本陣、下に清水本陣、間宮本陣。
道中記も分間延絵図も此処では役に立たない。
「見てもだめだな、聞く方が速い」
「そういや、戸塚以外は人任せだったぜ」
「明日は由比か悪くも蒲原だ、軽く呑んで早寝と行こう」
二人は八幡の茶見世で飯盛りの居ない料理自慢の旅籠を知っているか聞いてみた。
「ほれ、そこさいく人んちが料理旅籠で有名だらぁ。お参りの帰りに聞くらねぇ」
五十近くに見えるのは半白髪のせいだろうか、小女が風呂敷包みを抱えてついている。
中町“ さのや ”の女将さんだという。
茶を飲んで待っていると四半刻ほどで戻って来た。
茶見世の老婆に呼び止められ、怪訝な顔で見世へ来た。
「おばあさん今日も陽気がよくて結構なことですわね。何か用事でも」
「うんや、このおきゃくじんがなぁ、今夜良い料理の出せる宿へ泊まりたい言んだら」
「うちな、飯盛りは居ないずらでよ。そんでもいいだら」
「そういう宿を探していたんだ。二部屋泊まれれば一番だが」
「われがお引き受けいたしますだら。道解りますら」
「初めての土地で不案内(ぶあんない)だよ」
「では、後から追いなんせ」
八幡を出て上本町へ入っていった、高田本陣は大きく掃除も行き届いている。
何処から下本町へ入ったか分からないが、さのやの女将たちは左手へ折れた。
道の先に四つ辻があり右前方の小綺麗な沼津垣から手入れの良い松がのぞく家へはいって行った。
小女が二人を待ち受けて隣の門へ案内した。
女将は式台へ出てきて出迎えてくれた。
先程の松の見える部屋へ通され「此処は食事の間ですが泊りは離れと二階が御座いますがどうなされます」と訛らずに言うではないか。
「お好きなもの、お嫌いなものはございますか」
「地の物で揃えられれば頼むよ」
畏まりましたと言って部屋へ案内した。
廊下を挟んで奥が四郎で階段脇を次郎丸が選んだ。
この棟は四部屋で庭に見える離れと贅沢な造りだ。
「食事は何刻が宜しいでしょうか、風呂は申から亥の刻までご利用出来ますが何刻がよろしいですか」と細かく聞いた。
「申から四半刻、酉から飯にしたい、酒は一人二合でいい」
「飯は鯛めしか白飯どちらが」
ああ、こりゃ後でいちゃもん付けないようにしていると思った。
「鯛めしが良いな。鰆があれば幽庵焼き、金目があれば煮つけ、鯵なら塩焼き、刺身は任せる」
「板前と相談して献立を持って参ります」
慌てて出て行った。
「兄貴だいぶ豪勢だが、懐は大丈夫かな」
「江戸でも吉原あたりで一人二両、山谷八百善で一両、柳橋万八楼で三分が良いところだ」
女将が書付を持って戻ってきた。
「鰆は脂乗りが悪いが我慢為されますかと言っております」
「よろしい」
「金目は夕河岸へ人をやるので市場次第だそうです」
「わかった」
「鯵は漁師が届けてきました」
次郎丸はつい笑ってしまった。
「悪い悪い、昨春にな、房総の地を回って覚えたのを言ったまでだ。丁寧な応対で気持ちが良い。板前にお任せすると頼んでくれ。大食いでは無いので適度に頼む」
女将はほっとした顔で戻っていった。
「なぁ、兄貴あの女将白髪のせいで五十位と思ったが声が若い」
「四郎もそう見たか。実は俺もだ。四十前後のようだな」
「おりゃもう少し若いと見た。三十五.六だな」
「良し、後で女中に確かめよう。俺が勝ったら明日は蒲原」
「じゃ俺が勝ったら吉原」
三つ以上狂えば由比と決め、四十と三十五に決めた。
余談
柳橋は広重も画いている、浮世絵“美人料理通 両国柳橋万八楼”。
安政元年に亀屋清兵衛が万八楼を買い取り“亀清楼”と名付けたと云う。
柳橋芸者-大田南畝は“俗に薬研堀の芸者と呼ばれていたが、人数は僅か十四~十五人”と書いているそうだ。
元柳橋が柳橋だった頃の話だろう、神田川の柳橋は元の名を川口出口之橋。
大田南畝(寛延二年~文政六年没)の没後の天保期に深川芸者の流入で栄えだしたと言われる。
広重“美人料理通”は天保期に描かれたと思われている。
女中が「風呂の用意が出来ました。貴重品は持参するか帳場へお預け願いますご案内いたしますので浴衣をお持ちください」と告げてきた。
次郎丸が手早く豆板銀を握らせ「女将は声が若いな」と何気に聞いた。
「ありゃお客様皆そうおっしやるら。若白髪でまだ三十一になったばかりら。お可哀想でな、十四年前に旦那様が新婚十日で馬の野郎に蹴殺されただら。百か日目には今のようになられただら」
二人は浴衣に着替え残りは風呂敷で包んで女中について帳場で預けてから風呂へ向かった。
「兄貴、明日は由比だな」
「朝は卯の刻過ぎて陽が出たら発つとするか」
交互に湯につかり背を代わる代わる洗った。
「四郎の思うより若いとは驚いたぜ」
帳場で荷を受け取り「食事はお呼びに行きますので荷は持って降りてください」と告げられた。
料理が進んで鯛めしが出てきたが、板前がとっときのだと極々小さな土鍋を出してきた。
小さな海老が豆腐の廻りで三匹桜色に煮立っている。
「こいつが噂で聞いた桜海老か」
ひとつ置いた向こうの席の老人が驚きの声を上げた。
「あまりにも少ないので店の奢りにさせていただきます」
女将が「どんぶり一杯分しか上がらずにわたいの兄が届けてくれました。私達も同じだけ頂けますので、どうぞご賞味を」と告げて回った。
老人は「気持ちだけだ」と豆板銀を女中に「板前さんへ」と渡した。
四郎がそばの板前に豆板銀を渡して「帰りの時もぜひ此処で食べたいものだ」と世辞まで言い出した。
「いゃ、房総の魚以上に此処のは旨いものが揃っている」
次郎丸が褒め上げた。
鯛めしも旨く、桜海老は邪魔をしていない。
老人はひょこひょこ徳利を持ってきて「失礼だが地元を褒めてくれた礼ですので是非注がせてくだされ」と勧めた。
有難く「一杯だけ頂きましょう」と杯を出した。
「お流れくだされ」
次郎丸が自分の盃を杯洗ですすいで差し出し、注ぐと嬉しそうに飲み干し、洗って返した。
「江戸のお方で」
「然様、京見物と大阪へまいる所存でござる」
「公用旅でもなさそうで」
「さよう、隠密旅でござるよ」
此れには部屋中で笑いが起こった。
宿帳に藩名まで書いて、隠密はないと女将も女中も笑いが止まらない。
「隠密がこのような散財は不謹慎ですな」
「どうぞ内密にお願い申す」
葵の紋入り鑑札は水に濡れぬよう渋紙で包んで風呂まで持参している。
隠密ならそんなものは持ち歩かないのが普通だ。
「兄貴も言う事欠いて隠密は笑わせる」
「四郎も町人姿で来るなら、付き人くらいの世辞でも言えよ」
「おりゃ用心棒の自摸だぜ。兄貴のやっとこ免許とわけが違う」
「いくら中西先生から十四歳でもらった駆け出し免許でも、免許にゃ違いないだろう」
女将の目がキラと一瞬光ったが四郎の後ろだったので気づいていない。
「片付きましたら部屋へお茶をお持ちします」
四郎の方へ声をかけた。
戌の刻(午後八時頃)女将が女中と各部屋へ茶とあられを小鉢へ入れて持ってきた、二階は四郎と反対の部屋に先程の老人夫婦、離れは四人の親子連れが入ったと聞いた。
一部屋空いたようだ。
「此処は同じ講中の人が泊まる宿で料理だけでも受けて居りますからおかえりにもぜひお立ち寄りを」
四郎は必ず寄ると約束している、女主人の手先が微妙に動いた。
「義父が昨年亡くなり、まだ行き届かぬことも多い駆け出しですが、ごひいきにお願いいたします」
ああ、それで目が光ったのかと次郎丸が指印を返して免許で気になったのだねと尋ねた。
「もしかして新しいお頭ですか。噂で二十三くらいで剣の達人としか聴いておりませんでした。お会いできるなぞ運が向いてきました」
「達人は恐れ入るが、前の方から引き継ぐのは決まったようだね。まだ広まって居ないと思ったが早いものだ」
「奥の部屋のご老人が伊豆へ湯治に行くときに教えて頂きました。今日はその帰りで明日は原へお帰りになられます。ご挨拶に呼んでもよろしいでしょうか」
「結の仲間なら遠慮はいらない」
女将が呼びに行くと夫婦で遣ってきて涙ぐんでいる。
香貫屋重郎右衛門とゆきと名を告げた。
「知らぬとはいえお流れまで頂戴出来て果報者です。隠居して息子夫婦に跡を継がせましたがあってやって下さいませぬか」
「それはいいが二人は馬へ乗れるならいいが歩きでは同道もし難い」
「来るときも馬でした。戻りも其のつもりで卯の下刻の出と予約してあります」
「では断ることもない。同道しよう。名前は教えられたかね」
「次郎丸さまとだけ」
「松平次郎丸定栄と申す、部屋住みゆえいずれどこかへ養子と成るるだろう。ただこの名は忘れてくれ、道中は藩の支給品の鑑札にある本川次郎太夫でとうしているのだ」
四郎を金四郎景元で兄弟の付き合いをしていると伝えた。
二人は明日の約束を繰り返して部屋へ戻った。
遠く火の用心の声が聞こえると階段を忍び足で誰か上ってくる。
緊張し刃物を防ぐように、布団事立ち上がるように気をひきしめた。
「もうし」
女将の声がして障子が開けられ素早く中へ入って来た。
行燈の薄明りの中、双方の緊張が極限に達し帯を解く音が聞こえた。
「女将か」
「お頭」
布団へ滑り込んできた。
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