二十七日にフフホトを発った。
次の目的地は三百四十里先のパイリンミヤオ(百霊廟)になる。
内務府会計司の道程では四百里。
三百四十里の道を、十日後二月七日パイリンミヤオ(百霊廟)にたどり着いた。
九竜口とも言われ古来通商路の要として栄えてきた。
大同、包頭、西安、蘭州からもやってくる。
百霊廟(広福寺)は内モンゴル四大寺院(百霊廟・貝子廟・五当召・普会寺)の一つだ。
料理人は替え馬十一頭にメェイタァン(煤炭・石炭)とリィェンヂィアォ(炼焦・コークス)、ムウゥタァン(木炭)を積む許可を参領の宜箭に貰った。
馬車の薪、炭の燃料が空けば移す約束だ。
此処から先燃料の補給は難しくなる。
二月十八日、パイリンミヤオ(百霊廟)の北北西、マンドラヂェン(満都拉鎮・満都拉鎮口岸)へ出た。
二百三十里ここまで五十五日掛った。
国境の町カンギ(ハンギ)まで二里。
クーロン(庫倫・ウランバートル)へ行くにはサイルオス(賽爾烏蘇)へでて帰庫駝路で北上する。
サイルオス(賽爾烏蘇)の北に戈壁和尼奇(ゴビ博恩寺)があるという。
ウリヤスタイ(烏里雅蘇台)までの駅站は二十六駅二千八百里と内務府会計司資料に出ている。
隊商たちの持つ資料はカンギまで千六百零二里、内務府会計司-千八百七十里。
北へ進めばサイルオス(賽爾烏蘇)、道は二手に分かれ北上すれば庫倫(クーロン)、西北がウリヤスタイへ至る通商路だ。
パイリンミヤオ(百霊廟)から内務府会計司資料も隊商資料も三百四十里だ。
西へ行けば二百里でハンボグドの街がある、此処の山羊の毛皮とカシミヤは広州(グアンヂョウ)では高値で売れる。
庫倫(クーロン)へ向かう隊商が多く、道は混雑している。
二月二十六日カンギ野営地には様々な物売りが来る、ハンブグドと聞こえるが毛皮商人たちで嘘のように安い値で交渉をして来る。
インドゥが見ていると馬丁たちが買い入れていた。
漕運と手間代が高いのだなと劉榮慶も安値に驚いている。
生乾きらしく、酷い位臭いものだが、竿に干して旗のように風になびかせて歩けば匂いも消えるという。
参領の宜箭が匂いに怒って隊列の後を離れて歩かせろと怒鳴っている。
インドゥは駱駝の匂いと変わらぬと思って見ているだけだ。
馬乳酒売りが来たので革袋入りを二つ買い入れてフゥイミィンへ渡した。
ロバを連れた親子が雇ってくれという、大分と草臥れた格好だ。
慧敏が「糞を集める仕事なら雇える。ウリヤスタイ迄だが、帰りも雇われたいならそう言いな」と言っている。
「飯と酒が附いて二人とロバで一日二銭出すけど。やったことあるの」
「干して燃料にするのかい」
「そうだよ。全部拾わずによく燃えそうなものだけにするんだ」
「分かったよ」
子供に一銭出すのかとインドゥは驚いたが“ロバの分”と気が付いた。
范聨剛(ファンリィェンガァン)は二人にお仕着せを与えた。
隊商の最後を歩いて拾い集めて籠に入れる、乾いたら駱駝引きが受け取って焚火の燃料にする。
無駄には出来ない仕事だ、駱駝引きの方も順番に遣る仕事に、替わりが出ればそれだけ楽が出来る。
慧敏が二頭ロバを買い足し、蓋つきの振り分け籠も買い入れて親子に渡した。
駱駝引きが柄杓の柄の長いものを親子に持たせた。
二月三十日この旅で初めて雨が降った、雪道がぬかるんだが、翌日凍って歩くのが困難になった。
三月五日ハンボグドの街の手前で野営した。
真っ先に来たのは馬乳酒売り達だ、劉榮慶が買い切りにして一同へ振舞った。
二人遅れてきたものは戻っていくものに揶揄われていた。
劉榮慶が革袋を見て「いくつある」と聞いて十一の革袋入りを銀(イン)百六十六銭で買い入れた。
酒売りは銀を天秤でいくつにも分けて測ってからにんまりした。
「ずいぶん安いな。中身は水で薄めたか」
「飲んでくださいよ。うちのは上等品だ。駱駝でも喜んで飲んでくれますぜ」
二人で交互に言い募る、たとえが変だが自慢しているようだ。
「駱駝が本当に飲むなら全部買うぞ」
インドゥも面白いと話に加わった。
駱駝隊へ連れて行くと慧敏も面白がって支度をさせた。
桶に入れて嗅がせると本当に旨そうに飲んでいる。
十頭試して酒の値は銀(イン)二百八十銭だというので銀(かね)番植(チィ)に板へ並べさせた。
やっぱり天秤で百を乗せて量っている、あとは二十ごとに量った。
聞いてみた。
「八十の重さはしらない」
十までと、二十、百を覚えているそうだ、植(チィ)は「それで用が足りるんだ」と呆れている。
呑兵衛の駱駝が多いみたいで寄こせと騒いでうるさい。
普段水を飲まない駱駝だが飲ませれば一石の水を飲み干すという。
「まさか、駱駝の乳なのか」
駱駝のはホルモグというそうだ。
「この辺じゃそれだけの駱駝がいませんよ。ダルンザルガドには駱駝の繁殖所が在って造っていますぜ」
ダルンは七十という意味の言葉だという。
国境の町カンギ(ハンギ)からハンボグド二百里、そこから三百四十里でタバントルゴイ。
さらに二百二十里でダルンザルガドに着く、内務府会計司資料と隊商資料は同じ数字だ。
貰って来た地図はいい加減だが、山間の温泉地へ馬車が抜けられる道が赤い線で示してある。
内務府は、もったいぶってインドゥと劉榮慶に寄こしたものだ。
「あいつら太監より質が悪い」
「総監聞こえますぜ。あいつら地獄耳だ」
騎馬校の潭絃(タァンシィェン)に言われている。
慧敏と四人でこれからの道程を話し合った。
翁金河と土拉河をどこで越えられるかは道順に大きく影響する。
「これが五人や十人なら馬を引いても二月で行けるが。京城(みやこ)を出て七十四日目だ。一体あと幾日かかるやら」
「雪解け水が河への影響がないうちに越えてしまいましょ。馬車がバヤンホンゴルまで壊れなければあと二月でウリヤスタイへ着けますよ」
「壊れた馬車が出たら荷を積みかえるさ。燃料になる」
三月七日ハンボグドの街を迂回して北西へ、ゴビの真っただ中へと踏み込んだ。
三月十二日、羊の大きな牧場で前の隊商が三十頭買い入れた。
屠宰(トゥーヅァィ)の上手なものが多く、これまでも同行の隊商へ捌いて売ってくれた。
三月十三日早朝、小川の傍で屠宰(トゥーヅァィ)して呉れたのを分けてもらった。
他の隊も今晩は串焼きのご馳走に有りつける。
タバントルゴイが遠くに見えた。
日没まで三時間はありそうだ、インドゥの時計は三時三十分になっている。
京城(みやこ)を出た時は五時には陽が暮れていた。
前の隊商が街の西方へ野営の支度を二組している。
東側には石炭掘りの集落が点在している。
「大量に運び出せれば大もうけできますよ。駱駝ではそれほどの儲けになりません」
それもそうだ京城(みやこ)は石炭の上に建てたと評判だ、近くで必要量の半分は賄える。
全部で隊商五組が並んで野営したが物売りが来るほど繁栄はしていない様だ。
七時を過ぎてもまだ日は沈まない。
食事の支度が出来、火の回りで鍋から肉入りのスープ(湯)が配られた。
料理人は「野菜はあと少しで無くなる」と言っていたので饅頭の中身は無い。
串刺し肉は勝手に食べろとばかりに火の回りに突き刺してある。
“生焼けは食うな”が京城(みやこ)を出るときに言い渡されている。
朝暗いうちから出発の支度が始まり、饅頭と水が支給され、頭巾が全員に渡された。
六時に明るくなり騎馬と馬車が先に出た、二百二十里でダルンザルガドに着く。
十八日の昼にダルンザルガド(達蘭扎德嘎德)が見えた。
日中は暑いくらいで軽装でも夜はまだ寒い日が続いている。
雪は見えなくなり砂嵐の季節が来た、目の前の街が巻き込まれていく。
慌てて野営の支度をしてやり過ごすことにした。
砂漠に慣れた馬と慣れていない馬では騒ぎ方に差が出た。
馬に頭巾をかぶせてようやく騒ぎが静まり、人も薄い布で顔を覆って耐えた。
駱駝は砂嵐を避けるというより休息しているかのように座っている。
嵐が通り過ぎると追いかけるように馬乳酒売りが隊商のゲルへ向かってくる。
最後の二台がこっちの方へやってくる。
「残り物に福があればいいが」
一台はアイラグ(馬乳酒)売りで、もう一台はホルモグ(駱駝乳酒)売りだった。
馬車の女たちが駱駝の乳酒を買い取った。
参領の宜箭が気張って銀(イン)二百銭で馬乳酒を買い切り慧敏の革袋を二つ満たして寄こした。
酒壷を十持ちだし移し替え、残りを皆が飲んで饅頭を食べている。
酒売りが見ているので料理人が熱々を二つずつ板へ乗せて渡した。
街へは入らず翌早朝に右の道を回って西北へ向かった。
小さな集落で右の道へ入り北上し、翁金河に沿って北上し、アルバイヘール(阿爾拜赫雷)を目指した。
紫蘭が呼ぶので馬を近づけると「熱いと思ったら二十五まで温度が上がっています。また砂嵐でも来ませんか」と聞いてきた。
「ここからバヤンホンゴルの間は大丈夫だが、谷あいでは雪が降るらしいぞ」
「こんなに暑いのにですか」
窓から見える紫蘭は薄着だ。
嘉慶十三年四月一日、アルバイヘール(阿爾拜赫雷)へ入った。
内務府会計司資料では九百二十里、隊商資料には千零二十里、ずいぶんと違っていた。
二日に街を後に西へ、谷あいを行くと分かれてきたオンギフゥ(翁金河)の上流に渡し場がある。
シャルガルジュートへ入り、温泉の管理の家族に贈り物に砂時計や簪にカシミヤの膝当てを贈った。
人数を聞いて一人銀(イン)一銭で五日分だという。
サイン・ノヤン部(三音諾顔部)の王族の収入になるそうだ。
遠くから遣ってくるものもいるという、この日も三十家族ほど小さなゲルで療養していた。
来ていたものの中には、兵の口譯(クォイィー)が役に立たず、駱駝引きが呼ばれてようやく話が通じた。
料理人が持ってきたガゥンシュ(甘藷)にマァーリィンシゥー(馬鈴薯)を蒸かして一緒に食べた。
味付けは鹽にラァオ(酪)が好まれた。
持ってきた蒸篭では足りず温泉の蒸気の上に簀の子を引いてその上に並べ板でふさいだ。
「この際だ、全部食べ切ってもいいさ」
インドゥの言葉で全員に行渡った、此処でも料理人の饅頭は人気だ。
ゲルから出てきた老婆など歯がない口でふかふかの饅頭にかぶりついている。
潘玲(パァンリィン)など「京城(みやこ)で二十文のものが銀(イン)一銭なら大安売り」など言いながら配っている。
温泉は川の水で薄めないと熱くて這入れない。
宜箭(イィヂィェン)は明日から二日休養と触れた、百十四人の中には顔を洗うのさえ嫌がるものがいるが、この温泉は体にいいと聞いてその男も湯につかっていた。
女たちは馬車で囲って腰まで浸かれる桶に湯を運んでいる。
八日早朝、ゲルを畳んで温泉地を後にした。
百里で谷を抜けると、トゥラァフゥ(土拉河・トゥイン河Tuin river)は湖に為っている、上流の渡し場へ回ると一里ほどの川幅が有る。
翁金河、土拉河の二か所とも馬と駱駝は楽に渡れるが、馬車を渡すのに時間がとられた。
アルバイヘール(阿爾拜赫雷)から四百五十里、河の上流でも三里ほどの川幅がある。
河を渡ればその先がバヤンホンゴル(巴彦洪戈爾)の街だ。
十日に街の手前に野営した。
マオニョオマオ(牦牛毛・ヤクの毛・犛牛)と馬で高名な土地だ。
「黄金のマオニョオ(旄牛・ヤク」は居ないかな」
宜箭(イィヂィェン)が慧敏に聞いて居る。
「野生には居ますよ。でも皆崇めて狩りの獲物にはしませんよ」
宜箭は絵で見たという、慧敏は一度だけ群れが通るのを見たという。
蒙古(マァングゥ)に入って刻の鐘は無い、懐中時計で毎朝調整している。
翌十一日、五台の懐中時計を突き合せると、陽が昇ったのは六時から六時十分だったので五分に合わせた。
街から物売りも来るが、買物に来る女たちも多い。
食事係が来たものに湯気の立つ饅頭を振舞っている、やれやれ朝に昼はまた饅頭だけかと言われぬように何かを頼んでいる。
ロバに布で包んだものを振り分けに積んで持ち帰った。
食事係の四人の奴婢は此処一年半、永徳(イォンドゥ)に仕込まれてきた。
その前の王(ゥアン)にも仕込まれ、大概のものは材料があれば要望に応えられる腕がある。
此処何日か過ごしやすい日が続いていて、温度計は十二時でも十五度近辺から動かない。
昼に下焼きしたヤァンロォウチョアン(羊肉串)が出てきて、焚火で宴会騒ぎだ、朝頼んでいたのはこれの様だ。
最後の薪だそうで「木は無いからといって馬車はやめてくれ」と普段冗談を言わない宜箭(イィヂィェン)に兵たちも大笑いだ。
二尺はある竹の串に薄い肉が巻き付けるようにしてある。
食べ終わった竹串は好い匂いがして良く燃えた。
夕六時に飯を食べた、久しぶりに扇貝(シァンペェィ)にミィ(米)と玉米(ュイミィー)の粥と油条(ヤゥティウ)が出てきた。
「シァンペェィなんて何処に隠していた」
料理人は笑っている、戻すにもいい水を使い時間もかかる。
「たまには塩漬け肉のない湯(タン)もいいものだ」
宜箭は卵の湯を何杯もお替りして腹を擦っている。
慧敏がこの付近ではヤーツ(鴨子・家鴨)の卵が銀(イン)三銭だという。
「ほしくても売るほど持っていない。どこで手に入れたの」
家鴨に鶏連れて旅は笑わせるとふざけて踊った。
うるさい鳴き声が近づいてくる。
「山羊だわ」
カシミヤを求めている隊商は年々増えている。
牧草地を求めてこの付近まで手を伸ばしてきた。
山羊は油断していれば草の根迄食べつくしてしまう。
三人ほど馬で後を付いてきた、山羊は六百くらい居るようだ。
飯が終わってもまだ陽が落ちない、時計を突き合わせると八時を過ぎている。
「ずいぶん陽が伸びましたね」
「ウリヤスタイ(烏里雅蘇台)の夏は九時過ぎだそうです」
劉榮慶は若いころにひと夏過ごしたという。
二人は高台へ登って話をつづけた。
「劉大人(リゥダァレェン)は今回どのくらい滞在されますか」
「それがよく判らんのです。フォンシャンは哥哥の護衛だと言うが、それなら参領の宜箭迄つける必要があるのですかな」
護軍営参領は正三品、その上に置くには理由もあるはずだ、確かに元頭等侍衛、九江鎮(ジョウジァンヂェン)総兵を務めてきた強者だが、よほどフォンシャンをウリヤスタイ(烏里雅蘇台)に目を向けさせる異常事態なのだろうか。
劉家は武人も多い、榮慶は乾隆四十九年、弟弟の國慶は乾隆五十四年の武状元だ。
最近でも一族からは劉勇聞、劉夢超などの武進士が出ている。
今年も劉坤元、劉英彪などが試験を受けるという。
山東の劉(リゥ)氏も武人の多い家だという、劉嘉遇以来進士、武進士が続出した家系だ。
宜箭(イィヂィェン)が大きな地図を片手に高台へやってくる。
岩の上で地図を広げた。
三本のウリヤスタイ(烏里雅蘇台)に向かう道がある。
本当にこの距離で合っているのだろうか。
内務府会計司資料と隊商資料の差が大きすぎる。
北は千二百八十里と千百五十里の山越え。
南は二手に分かれてアルタイ経由だ。
途中で別れる北道と南道はともに内務府会計司資料で千三百二十里、隊商資料千三百九十里。
「やはり馬車の峠越えはきついでしょう」
「南で行こう」
「隊商資料と大きく差が無いのは往来が楽な証拠だ」
バヤンホンゴル(巴彦洪戈爾)からアルタイ(阿爾泰)経由でウリヤスタイ(烏里雅蘇台)へと決め、焚火の見えた駱駝の方へ行くと馬丁たちも集まって拳の試合をしている。
焚火の燃料は隊商の最後を歩く三頭のロバが糞を集めて乾かしたものだ、そこへコークスを幾つかに匂い消しに放り込んだようだ。
腕自慢の林(リン)はやはり強い。
三人抜いて騎馬校の張緒燕(チョンシィイェン)が出たがてこずっている
漸く力が出なくなった林(リン)を張緒燕が弾き飛ばした。
フゥアヂァォ(花招)を見破る力は、林(リン)になかったとインドゥは見ている。
少林拳にしては見せかけが多い、どこか南方で修業したか師匠が南人のようだ。
「哥哥、敵を取ってください」
「だめだめ、頭領がぶちのめされたら格好がつかない」
笑い流そうとしたがフゥイミィンが盛んに煽る。
宜箭まで煽るのでもろ肌を脱いで前に出た。
細い体に赤みが増してきた。
突くと見せて引き足を上げた処へ左手をそっと押し出した。
上手く急所を避けられたが三歩程後退し、回し蹴りから突き手を見せた。
その勢いを使って南拳特有の拳(こぶし)中指が膨らむのを見た。
五手交わして右手をシェンチョン(膻中)へ突き出した。
前に出るところへ宛てられたので二丈ほども後方へ飛んでしまった。
気絶して起き上がれないので活を入れると気持ちよさそうに目覚めた。
「いたくないのか」
宜箭に言われて「不思議と痛みより快感に近い」と答えている。
「これが頭等侍衛の所以(ゆえん)ですか」
フゥイミィンが賛嘆の声を上げた。
「そちらに大先達の劉榮慶大人が居られるよ。武状元で頭等侍衛という大変なお方だ」
宜箭は地図をヂゥオヅゥ(卓子)に広げ「南の道で行くが、上下どちらが馬車に負担が無いのだ」とジャオフゥイミィン(趙慧敏)に聞いた。
「こっち」
上の道だ。
「明日出ますか。明後日にしますか」
「明日だ」
十二日、バヤンホンゴル(巴彦洪戈爾)出発。
十三日、草原と荒れ地が交互に出る街道もバンブガァ(Bumdugur)の集落付近は低い岩山が狭まっている。
幅半里ほどの川が流れていた、浅瀬を隊商が渡っている。
野営地を三つの隊商が止まったので「陽は高いがここにする」と先頭の宜箭がフゥイミィンに相談して決めた。
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