花音伝説 | ||||
第四部-豊紳殷徳外伝 和信外伝 伍 | ||||
第三十一回-和信外伝-伍 |
阿井一矢 | |||
此のぺージには性的描写が含まれています、 18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。 |
富察花音(ファーインHuā yīn)
康熙五十二年十一月十八日(1714年1月4日)癸巳-誕生。 |
豊紳府00-3-01-Fengšenhu |
公主館00-3-01-gurunigungju |
杭州⇒京城(みやこ)1800k・三千六百里 鎮江(チェンジァン)⇒天津(ティェンジン)間急ぎ十二日 北京を起点にして最南端の杭州に至るまでの間に通過する諸都市は、通州、武清、海河 (河川名)、天津、静海、 州、東光、徳州、武城、臨清、魚山、安山、南旺、済宁、庄、 邳州、宿迁、黄河 (河川名)、淮安、宝、 高、邵伯、長江 (河川名)、鎮江、丹阳、無錫、嘉興、杭州である。 総運河距離は1794kmと記される。大よそ1800kmにおよぶ現代運河における水面の高低差は40~50mもある。黄河と海河、黄河と長江との間には それぞれ30mほどの落差が存在することが読み取れる。 海河、黄河、淮河、揚子江、銭塘江という五大水系を閘門なしで通過 蘇州二胡:琴筒が表裏とも六角、裏面に透かし彫り。哀愁ある深い音色。 北京二胡:琴筒の正面が八角形、裏側は円形。一般的には六角のものより音質が硬い。 上海二胡:琴筒が表裏とも六角、裏面の透かし彫りが蘇州より細かい。みやげ用に大量生産されているものが多く、音色に個性がない。 |
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袁夢月(ユァンモンュエ)と姚杏娘(ヤオシィンニャン)のお小屋に奴婢の作業場の工事が完成すると、早速のように公主は莱玲(ラァイリ)と産婆の王李香(リーシャン)の為に寶絃姐姐の家を改造した。 内装が終われば昂(アン)先生の家と門番のお小屋も仕上げとなる。 今年の邸内の改装費は帳簿上特別費千七百両だが建物の費用は元受けの孜漢(ズハァン)が出し、その公主の銀(かね)は和莱玲(ヘラァイリ)の積み立てに仕舞われた。 潘寶絃(パァンパォイェン)-莱玲(ラァイリ)の家の他にも奴婢を引き受けるお小屋の整備も進んでいる。 大水の後に届けを出したとき、この先十年を見込んでの改装許可を取るという念の入れようだ。 三年計画で一応の形は出来て来たが、公主の構想は大きく、まだ七割程度に手が付いた程度だ。 インドゥも屋敷内の改装改築は公主の最大の息抜き、趣味と応援している。 遣ってきた夢月(モンュエ)は前に失敗したので奴婢たちに月はユェではなくュエだと教えている。 子供に間違えられ、よく聞くと人によってまちまちの事に気が及んだそうだ。 胥幡閔(シューファンミィン)と龍雲嵐(ロンユンラァン)は公主の応援で月の物の始末の下穿きと、汚れ物の始末など貧民に給付の予算を改めて多めに付けて貰った。 下穿きは景延(チンイェン)の大爺(ダァィエ)から月二百枚を時計の荷と同送の形で買い入れているので運送費は計算に付かずに済んでいる。 貧民給付に大水の後から豊紳府での必要品以外は回しているので、週一度手の空いている者が綿を詰めた充てものを仕上げて、つけて配ることも始めた。 良く教えないと下穿きを汚したり、一回で捨てたりする者もいるので無駄が出ない様に洗って使うものと捨てるものを教えた。 敏い物は「横流しをしているようだ」と相公(シヤンコン)の陶延命(タオイェンミィン)から景延(チンイェン)を通じ姐姐に話が来たが、公主が笑って「不問にしてあげなさい。始末が良いのに怒る程の事ではないわ」と云うのを聞いた陶延命(タオイェンミィン)は「自分もこの位おおらかに為ろう」と大旦那さん(老相公・ラオシヤンコン)に報告した。 楊鈴(ヤンリン)の婚姻が済むと新しい店との取引で蘇州の物と同じものを追加で毎月二百枚納入させる事にした。 阮絃(ルゥァンシィェン)の引きで掃除業者たちも、月の物の始末の汚物処理を安い費用で引き受けている。 公主が聞くと「通州への街道の二閘村(リャンヂァツェン)に芥の焼き場があるんでさぁ。埋めてはまずいものは廃材と一緒に焼きますのさ」そう教えてくれた。 風向きを見て、犬猫の骨などもそこで焼くという話だ。 此方は骨粉も銀(かね)になるという、近在の百姓の取り合いも起きるという。 此方も元締めは明の時代から太監が作り上げた組織で運営されている。 豊紳府、公主府(元の和第)の貧民救済費は牧場の余分の人員も最近は副業が忙しくなり、いろいろと工作したものが売れるようになり独立していったので回してもらえた。 履物、草鞋も業者が態々仕入れに来てくれるまでのいい出来に為った。 其れも出水で一時的に職を失った職人を食えるようになるまで、臨時に教師に雇ったからできたことだ。 |
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新婚夫婦に十分遊ばせろと言われているので二十六日で着く予定が三十日目の四月十八日通惠河(トォンフゥィフゥ)の大曲で船を降りると信(シィン)と慧鶯(フゥイン)の夫婦は界峰興の鄭玄(ヂァンシァン)の案内で身軽で豊紳府へ向かった。 客用の馬車には豊紳府と公主の提灯が取り付けられている。 「さすが公主様は違いますね。専用馬車をお預けされておられるのですね」 「いえ、その違うんですよ。此処にはお客様の行き先別でお約束の提灯が九か所用意してあります。そこまで専用の馬車は娘娘がお許しなされません。親王家、貝勒家の八人とで四台を此処と右安門外、西直門外に安定門外の宿で共有されておられます」 「贅沢されておられると思っておりましたわ」 「お付き合いはそれなりの格式が必要ですが。無駄はお嫌いですから」 馬車は朝陽門から入ると西へ向かうという。 高信(ガオシィン)は下僕の呉(ウー)や鄭玄と馬車脇を歩き、馭者が公主お出入りの札を見せると番兵が通してくれた。 「高信」後ろから陳健康(チェンヂィェンカァン)が呼び止めた。 「久しぶりだ」 路脇へ寄って立ち話だが陳洪(チェンホォン)もやって来て「豊紳府へ行くのか」と聞いてきた。 「蘇州(スーヂョウ)で哥哥に逢って手紙を預かった。俺達夫婦の仲立ちまでしてくれた」 馬車に乳母と妻が乗っていると話した。 「長引いてもまずいな今夜の宿は」 「まだ決まっていない」 「じゃ俺の家の離れに暫く泊まれ。宿よりましだぞ。俺の勤務はもう明けるから豊紳府へ顔を出して案内する」 二人は門へ戻り馬車はまた動き出した。 洪(ホォン)が豊紳府で案内を乞うて公主の元へ向かうと使女が中へ声を掛けて迎え入れられた。 なんという事か高夫妻が床に跪いている。 「どうしました」 「いい処へ来た哥哥助けて呉れ」 何事か聞くと新妻をこの豊紳府で預かるという。 「何事です」 「宋慧鶯(ソンフゥイン)が妊娠したの」 「そりゃめでたい。ですが二人は私の方で預かろうと思うのですが」 二人は産婆の王が顔色を見て月の物が遅れている日数を聞くと指を折って「おめでたのようだ」というので胥幡閔(シューファンミィン)が診察し、宋輩江(ソンペィヂァン)が「二月目だ」と云うのでひと騒ぎ会ったようだ。 医者の二月目を六十日前と勘違いし、新妻を疑って公主の怒りが爆発したようだ。 「いくら再婚でも三年の喪を守った人を疑うなど許せない」 ファンミィンが「三月十七日から二十四日の八日の間の妊娠ですね。月の物の予定日を日数でまたいだので二月目です」と言われて新婚の二人が安堵しても疑った男に怒っている。 「で、心当たりは」 「何のだ」 ホォンも鈍い奴だと思いながら「妊娠させたのはお前だということにだ。何日かくらい覚えがあるだろう」と苦笑いだ。 「十七日が婚姻式で十九日からの船旅、で二十八日の淮安からフゥインの体の具合が悪くて」 「ちょい待て。其れ迄毎日心当たりが有るのか」 「其の八日のどの日と言われても」 公主も「馴れない船旅の上、毎日では体の具合も悪くなるわよ」と呆れて笑い出した。 白蓮蓬(パイリァンパァン)に預けるということでようやく怒りも治まりかけて来た。 「夏物を宋慧鶯(ソンフゥイン)に別けるから、その間宋太医に御茶を入れて貰いなさい」 使女の温芽衣(ウェンヤーイー)と幡閔(ファンミィン)に宋慧鶯(ソンフゥイン)を引き連れて二階へ上がっていった。 |
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「服選びじゃ半刻は掛かるでしょうから家へ来てください」 隣へ通用門から移動して家で茶を入れて貰った。 「おまえ」 「いや俺が悪かったいつの婚姻かなぞ知らんもんだから」 高信(ガオシィン)の代わりに宋太医が謝ってくれた。 「しかし三十日ほどでも妊娠したと分かるものですか」 「ふつうは月の物が遅れているか不順くらいに思う様だが、岳母(ュエムゥー)の王さんは特別さ、半月遅れているというので頤の影で妊娠判断できたらしい。おれには見ただけでは無理だ。男には聞きにくくいことも多いからな。まだ脈に現れないということは三十五日たっていない証拠だが、妻子(つま、チィズ)や岳母(ュエムゥー)は特別だ」 五十日目からなら脈で確実に分かるんだがと頼りない事を言う。 「十月十日と云うが十月目の十日だとしつこい位教えられた。五か月に入ると産まれる日を前後五日、十日の間で産婆は言い当てなければ一人前じゃないそうだ。ただ女もいい加減なのが居て月の物がどの周期で来るか覚えていない者は多いようだ」 洪(ホォン)はシィンに詳しく話させた。 「都へ戻れと云うので婚姻を急いだが、ずっと断られっぱなしでな。シィア哥哥が蘇州へ来なけりゃ纏まらない儘だったんだ」 「どこかで見たようだが名前は知らん」 「死んだ丈夫(ヂァンフゥー・夫)は九江(ジョウジァン)関の監督官だったが若死にした」 関の監督官は駐防官と同じだ。 「ああ、そうか。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)への赴任途中で出会ったのか」 声を潜めて「あっちの具合が良くて毎日事に及んだのか」と男だけの内緒話だ。 「最初、初めてなのかと思うくらいいいとこづくめだ」 「なら話すが。俺の河口鎮での妾が監督官の妾の従姉妹でな。妻のあそこが洞穴で妾に溺れたと教えてくれた。話じゃそんな風でも無い様だが」 「やっと人並の俺でも強(きつ)くて締りが良い、気持ちいい。最初の日は俺も夢中で見ていないが二日目は切なそうな顔に夢中になった。初めて男に為った時以来のいい巡りに有ったんだぜ」 「うっ、初めての男に為った時だと。何時の事だ、前門で遊んでいたころは何も言わなかったな」 仕舞ったという顔だ、睨みつけられて「俺が仲間内で最後だと言われた。七人で昂(アン)先生に連れられて行って俺が最後の五人目だ」 宋輩江(ソンペィヂァン)が不思議そうに「勘定が可笑しい」と次を促した。 「健康(ヂィェンカァン)哥哥とシィア哥哥はお世話にならなかったから五人だ」 「宋太医は錦鶏(ヂィンヂィ)の話は聞いてないのか」 「誰から」 「英敏(インミィン)からさ」 「いや錦鶏(ヂィンヂィ)がどうかしたか」 「いやさ、前門近くの有名人で娘が慎梨(シェンリィー)と言って初物食いでお世話に為った奴は大勢いた」 「はぁ、じゃ洪(ホォン)哥哥も食われたんだ」 察しがいい。 「ばれちゃしょうがない。丁寧に教わったよ。物は何時でも綺麗にしておくんだと御宣託だ、致す前に風呂場へ送り込まれたよ、ご丁寧に内までついて来やがった。香皂(シィァンヅァォ)ですみから隅まで洗ってくれた。京城(みやこ)へ戻って自分の子供にも風呂で一物の洗い方を教えて置いた」 慎梨(シェンリィー)母娘に剥かれた子供たちも多かったと笑い出した。 つるんでいた子供たちの内で年上が健康哥哥で婚姻の日取りが決まっていて寄り付かなくなり、インドゥはもう格格が居たので二人は見送られ、残りの子供たちは年の順に食べられたという。 話はフゥインに戻った。 「噂は当てに成らんな」 「うすうす俺に忠告したやつもいたが、船出の前に良い具合だと教えて置いた。俺がデカチンと思うんじゃないか」 頭をげんこつで叩かれている。 「御馳走様。妻子(つま、チィズ)に言って厳重に監視するからな」 「そんな、殺生な」 宋太医が大笑いだ。 「ところでどこでシィア哥哥が絡んできたんだね」 婚姻の三か月前にともに三年の喪が明けて申し込んだが三回続けて断られた。 もう一度京城(みやこ)へ発つ前に申し込もうと思ったところにシィア哥哥が蘇州へ来た。 この当時三年の服喪と言われても普通半年守ればいい方だ。 江蘇巡撫の汪志伊の役所で出会って巡撫の自宅へ三人で向かった。 碁の相手にシィア哥哥が誘われ茶の支度をフゥインがしてくれた。 「前に出会った気が」 「十年以前に蘇州で妾(私・わたくし)の婚約が決まった日に宴席で」 「奇豐額(チーフェンウゥ)様の」 「左様です。昼間は庭を案内させて頂きましたわ」 「なぜここに」 経緯を聞きながら碁に打ち勝った汪志伊(ゥアンヂィイ)が良い気持ちで婚姻から死別の経緯など手短に話をした。 「喪が明けてこの高信(ガオシィン)が嫁に欲しい、というのを断わり続けて儂も困っているんだよ。フゥインの爺爺(セーセー)には世話に為ったし遠いが姻戚でな」と云うところで俺は引き上げた。 もう駄目だと思ったが夜に為って急いで来いと使いが来て、出かけたらフゥインが恥ずかしそうに真っ赤になって「高信(ガオシィン)哥哥のお話を受けさせて頂きます」と急展開だ。 翌日婚姻でもいいかと言われ、京城(みやこ)へ戻る役所の手続きも済んでいるので逃げられないうちに「お願いします」と汪志伊様夫妻に仲立ちをお願いしたんだと手早く話した。 |
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明日朝の内に宿へ行くと言いながら、申の刻の太鼓で高信(ガオシィン)が家へ戻ると「三度断られてもまだ未練がある様だ」と言い出した。 「実は三度目の後で話を聞いたが死んだ丈夫(ヂァンフゥー・夫)に洞穴とまで罵られて再婚は出来ぬと決めたというんじゃ。何人試したと言ったら怒られてしもうた」 インドゥもどういえばいいかと考えていたが「趙姫(太后)と嫪毐でも有りますまいし、男の言い分は当てにはできませんよ」と言うしかなかった。 「そうじゃよ。それでな、儂ゃ口が堅くて未練は持たず、女の経験は多い若い男と言ったらな。そんな人がいるならお相手をして洞穴なのか試していただきたいというんじゃ」 「そりゃいいですね。その人が大丈夫と言えば再婚しますか」 「そうじゃ。言質を取った」 「この近くにご存じよりでも」 「京城(みやこ)に住んどる」 「呼び寄せますか」 「もう来とる」 「なら高信(ガオシィン)にいい返事が出来るかもしれませんね」 「試してくれ」 「何をですか」 「今言ったじゃろうが。もう来ていると、な。眼のまえにいる」 インドゥ焦って石を置き違えたのにも気が付かずに呆然としている。 「そんな」 「そんなじゃない。今賛成したろ」 「でも」 「まだ婚姻しても婚約してもいないんだぞ」 「高信(ガオシィン)が知ったら」 「分かりゃせんよ。この三人の誰が口を滑らすというんじゃ」 始末の為の湯桶に小盥を二階に用意して二人で上がり、汪志伊が下で番をした。 そのために庭の離れで碁を挑んだとも思えないが、とインドゥも成り行きに驚いた。 寡婦と云うだけあって年相応の落ち着きもあり、和毛の黒さにくらくらとした。 榻(寝台)へ誘うと諦めの表情の宋慧鶯(ソンフゥイン)だが、重みのある乳房を弄ばれて気が高ぶって来ている。 太ももの肉置き(ししおき)の豊かさは女を知るインドゥでも持ち重りがする。 決して太っている訳でなく肉感的、蠱惑的とでも言うか魅力のある腰から太ももにインドゥの気も逸った。 「締めているのかい」 「いえ、そんなことできませんわ」 「この感触まるで發硎新試(あらだめし)の娘としているようだ」 「初めての時でもこれほど男の物がきついと感じませんでしたし、ぬるぬると気持ちよくありませんでした」 「もしかして何か塗られたのか」 「痛くない様にと何やら割れ目の中へ塗っておられました」 「牛か羊の油でも塗られたのかもしれない。それでゆるいと思ったのかもしれんな。相公(シヤンコン)相手で使うらしい。其れか自分のは太くて逞しいと思い込んでいたかだ」 「そんな」 「それでなきゃこんな狭いのに洞穴は無いよ。でもいい事を二つ教えるから」 経穴を教え志室(ししつ)と臍に壺の中にある三点を締めさせた。 「これで男ならふにゃ魔羅でも立ち上がる」 インドゥは試させながら十分堪能した。 二人で身体を拭いて、湯を捨て始末をし、汪志伊に「大丈夫。どんな男でも虜に為る躰ですよ」と報告した。 汪志伊は母屋で使いを出して高信(ガオシィン)を呼び出した。 妻にも立ち会わせて婚約させると「明日急ぎだが婚姻も済ませたい」というので汪志伊が請け合った。 インドゥが二階で借りだした干宝の捜神記を遅くまで読んでいると宋慧鶯(ソンフゥイン)が忍んで来た。 「どうしたの。忘れ物かい」 「奥様が。明日からは人の物だから機会は今晩だけと送り出されました。もう教えては頂けないのでしょうか」 インドゥも未練が残るので気が付くと抱き寄せて口を吸っていた。
「高信(ガオシィン)め、あまり入れ込まなきゃいいが」。
「言い忘れたが気が乗らない時ほど、顔で相手の気を引いて、行った振りが出来れば卒業だ。大きいです等と言わずに顔で表すんだよ」 二人は十分楽しんで別れた。 |
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朝、フゥインは子種が宿った気がして城外に住む乳母に「京城(みやこ)へ出るが、付いて来てくれるなら婚姻式に間に合うように今日来てほしい」と手紙を届けてもらった。 インドゥは二人にどうせなら知り合いの商売の船が二日後に出るから乗せて貰えと高信(ガオシィン)に「四人にゃ足りないだろうが船代だ」と銀(かね)五十両を出してくれた。 なに船は界峰興(ヂィエファンシィン)の借り切りだ、銀(かね)を取ることも無いはずだ。 フゥインの方は乳母、高信(ガオシィン)は五十過ぎの下僕が一人供に付いて行く。 その晩は自信をもって寝屋へ入るフゥインはシィンの言うまま、される儘に十分善がって見せた。
フゥインは此処だと思い顔で大きいですと表現できればいいなと「はぁん」と押し入れるたびに切なげに喘いだ。 「シィン哥哥、シィン哥哥、グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」 寝不足の疲れが出てもう行ってくださいとばかりに腰を押し付けると高信(ガオシィン)は「良いぞ良いぞ」と叫んで果てた。 抱き締めると抱き返されてフゥインは十分堪能できた喜びで顔が輝いたようだ。 「こんなに美人だとは思ってもいなかった。出会ったときより五倍、いや十倍は美人に為った」 喜ばせようとしてくれていると思うとシィンが愛おしくなり「愛してくださいますか」と尋ねた。 「勿論さ。洞穴(ほらあな)何て俺に吹き込んだ奴はぶっ飛ばしてやる」 「駄目ですよ。貴方がそんな言葉信じず、チィエ(妾・わたし)を貰ってくださっただけで十分です。それに今ので子種が宿ったような気がしてきました」 「良い娘が産まれるさ。君に似て美人のね」 「男の子も欲しいですわ」 「初手から無理を言っては駄目だぜ」 子供っぽい言い様に嬉しさが沸き上がるフゥインは幸せだ。 旅の間、連日続く房事にフゥインは信の体が心配で「そんなにしては身体が疲れます」というが二人に為ると体を求めるので「旅で体が疲れて来た様です」そう言ってさも疲労が激しいふりを装ったので、ようやく乳母と部屋を替えて女だけで休ませてくれた。 雍和宮近くは陳姓の者が多い地域だ。 陳洪(チェンホォン)や陳健康(チェンヂィェンカァン)の先祖は呉三桂の元で山海関を守備していた。 後に呉三桂の元から陳円円(邢太太)の勧めで一族揃って離れ、漢人ながら満州鑲黄旗に所属した。 高信(ガオシィン)の父親高廣厚(高佳氏)も満州鑲黄旗だ。 陳家の家系からは婉貴太妃(蘇州陳氏)に両江総督陳大文(河南陳氏)がいて全土に官員、民間を問わず姻戚は広がっている。 先祖語りを始めたら優にひと月は掛かると誰も言わずに済ませている。 洪(ホォン)の家は王大人胡同の南側、遠地へ家族で赴任の為貸したい屋敷地を六軒ほど借り受けて使っている。 「手入れさえして呉れれば年に二度ほど京城(みやこ)土産程度を送ってくれ」 そう気前のいい話で使わせてもらえるのだ、売れば戻れた時に困ると思う様だ。 親王府、貝勒府と違い下っ端は権利の売買が大目に見てくれるので気楽だ。 蓮蓬(リァンパァン)は東直門外と安定門外から四里程度にそれぞれ二十軒ほどの貸家も持って居る。 農地も借金まみれの貝子あたりから十年契約で借り受け、堆肥作りも順調で五年で土地は収益を上げるまでになっている。 三十六軒の農家に、それぞれ半分は京城(みやこ)で売れる換金作物と果樹に切り替え、半分は自由に取り仕切らせている。 差配は各地の農民で流民と呼ばれた者から選んだ蔡盃(ツァイペイ)と呼ばれる老人だ。 母親に似て理財の方も達者だ、と云っても王大人胡同は全部で豊紳府程度も無い地域だ。 |
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二台の馬車で着いて荷物を運び込んだ、公主は衣服以外にも足りなくなりそうな備品を集めて乗せて行かせた。 従僕に先に話をさせてあるので離れに使っている隣屋敷は綺麗に掃除されている。 船から降ろした二人の荷も先に着いていた。 公主の話を夢月(モンュエ)が付いて来て白蓮蓬(パイリァンパァン)に説明して馬車で戻っていった。 「娘娘の申しつけですから慧鶯(フゥイン)はチィエ(妾・わたし)が預かります。こちらでチィエ(妾・わたし)の出産を手伝って頂きますわ」 「どの部屋だ」 「貴方の部屋しかありませんわね。シィン弟弟と離れで暮らしてください」 とんだとばっちりが来てしまった。 産婆によると早ければ六月十五日、遅くも二十日だという、七月には健康(ヂィェンカァン)哥哥の所で林蓬香(リンパァンシャン)の出産だ。 男二人を夕食時に呼び、食事がすむと離れへ追い払って二人で話をした。 「娘娘は激しすぎて流れるのが心配のようだわ」 「私、それよりもあの人の体が心配で。前の夫は妾に買った女に溺れて早死にしましたから」 「あら、あなたじゃなくてなの」 「チィエ(妾・わたし)をあまり好きではない様でした」 「家の丈夫(ヂァンフゥー・夫)も激しいので心配でしたが、妊娠したら気を置いて下さいますのよ。シィン弟弟も我慢しますわよ」 「妾でも買い入れて置こうかと」 「甘やかしては駄目よ。直ぐに男はつけあがるから。経験済みでしょ」 宋慧鶯(ソンフゥイン)はそれなりに銀(かね)を持ってきたようだ。 婚姻の日に子種が宿ったように思ったというと「私もこの日だなと思う日があるわ」と女の内緒話は長い。 フゥインの乳母が、部屋が片付いたというので二人に屋敷の案内をして回った。 男たちは健康哥哥の所も、直に子が生まれると茶で噂話に興じた。 其の健康哥哥が夜に入り勤務明けで遣ってきた。 誰が決めたか朝陽門は二十刻勤務で一日(十二刻)休みと、変則勤務が昨年から続いている。 十六人の門番(侍衛)は気が抜けないと困っている。 普段は日勤(六刻)、日勤夜勤(十二刻)、明けの三日体制だ。 「八月には人が集まるようだ。俺と洪(ホォン)弟弟(ディーディ)は安定門へ勤務が変わるとよ」 「そうなりゃ三日態勢に戻れるのか」 「そうなるとさ」 離れで話を暫くして大笑いで裏から草廠胡同の自宅へ戻っていった。 「ひでぇ哥哥だ」 「俺が蓮蓬(リァンパァン)を孕ませたときも笑いやがった」 二人とも子供の時から勉強に小遣い迄を面倒見て貰っていて頭が上がらない。 高信(ガオシィン)の父親は那彦成の宴会に出たというので解職されたが、相手の那彦成の名誉回復に伴い復職している。 シィンもそれに伴っての四等侍衛への復職と京城(みやこ)での勤務だ。 給与はたかが知れているがそれでも年四十八両に為った、地方官に出れば役得もあるが京城(みやこ)ではそれも難しい。 祖父は一族の高貴妃の弟の高恒の不正を暴き生き残りを図った、その爺爺(セーセー)高晋は大学士迄進み長子に両江総督書麟(廣厚兄)がいる。 |
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三月 十七日、高信(ガオシィン)、宋慧鶯(ソンフゥイン)婚姻式。 十九日昼、高信(ガオシィン)慧鶯(フゥイン)夫妻、京城(みやこ)へ船出。 二十日-蘇州(スーヂョウ)景延(チンイェン)と映鷺(インルゥ)婚姻。 二十一日-インドゥ一行杭州(ハンヂョウ)へ向かう。 二十四日-関元(グァンユアン)一行蘇州着。 二十七日-関元(グァンユアン)一行蘇州発。 四月 黄河を渡り濟寧(チィニン)十四日着、濟寧(チィニン)は十六日に発った。 聊城(リャオチェン)十八日着 聊城(リャオチェン)二十日発 徳州(ダーヂョウ)着は二十二日。 徳州(ダーヂョウ)発二十四日 天津(ティェンジン)着-二十六日 天津(ティェンジン)発-二十九日 五月一日昼、通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲に到着。 三月二十一日、インドゥ一行杭州(ハンヂョウ)へ向かう。 四月十八日、高信夫妻、通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲到着。 |
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インドゥの一行は福州(フーヂョウ)で二人の婦人を預けて先へ進んだ。 船を降りて呉運宣(ンインシュアン)を訪ねたら出かけているというので燈籠巷の繁苑酒店(ハンユアンヂゥディン)へ向かった。 「部屋がバラバラですが辛抱してくださいね」 「船で嫌というほど顔を突き合わせていたんだ、その方が落ち着く」 弟弟が言ってフェイイーは安心した顔で割り振りを始めた。 昔の食堂付の部屋にインドゥが入り、其の二階へイーレンとフージァンに丁(ディン)と為って、宜綿(イーミェン)達三人は二階の控間が付いた部屋に為った。 與仁(イーレン)はこっちの方が落ち着くと言ってフージァン、丁(ディン)と嬉しそうに案内されていった。 繁絃(ファンシェン)飯店は普段は三種の料理で客をもてなしてくれる。 ジアンスーツァイ(江蘇菜・江蘇料理)と謳っているが実は細かく言えばジンリィンツァイ(金陵菜・南京料理)だという。 ュエツァィ(粤菜・広東料理)の料理長の一人が引き抜かれたので来てもらったという。 ュエツァィ(粤菜・広東料理)のドメーニカ(domenica・日曜)は休みにしてくれと云う料理長は残り、ドメーニカ(domenica・日曜)はスーツァイ(蘇菜・蘇州料理)に為る。 見習い小僧は両方教えて貰えるので、自分の店を持ったり、引き抜かれたりと評判は好いという。 チゥァンツァィ(川菜・四川料理)の評判は高いがュエツァィ(粤菜・広東料理)で売り込んだので客が店を増やせと騒ぐので困ると嬉しい悲鳴だ。 二番目の姉の娘に店の切り回しを仕込んでいるので、西隣の場所へュエツァィ(粤菜・広東料理)を開いて仕切らせようか考えているという。 年季の入った女中を付ければ問題も起きないだろうと考えているようだ。 女中頭を五人選びフェイイーの仕事は顔を見せて回るくらいに為ったという。 其のうちの二人は親の代から此処で働いている。 フェイイーのフゥチンの時代に二人の親が女中に雇われたという、家族同然の二人だ。 新しい住居には両親も共に住むようになり日々の生活は充実していると楽しそうだ。 広い屋敷に住んで見たが「旅籠屋の親父には住みにくいよ」と言うので、三部屋を好きに改造させ、長姐と家を入れ替わりで呼び寄せた。 後には長姐の次男呉儲賢(ンチューシィエン)が家族も増えたので越してきた。 五つの個室に入れば四川料理、江蘇料理、広州料理とごっちゃにして好きに選ぶことが出来る仕組みだ。 四人一部屋、八人二部屋、十二人一部屋、十六人一部屋と在り、二人以上なら個室を仕切ってその仕組みを利用できる。 「内緒ですが一人でも受けて好いのですが、さすがにいませんね」 フェイイーはゥアィシァンヌゥー(外甥女・姉の娘)の江春鈴(ジァンシュンリン)に十五に為ったら結に推薦して店を持たせたいと呉運宣(ンインシュアン)に約束してあるという。 自分は参加していないが結の知り合いは多いという。 「今幾つだ」 「十四です」 「早くなっても良いじゃないか俺と與仁(イーレン)で二人、インシュアンと藺香蝉(リンシィアンチェン)でもう四人は確実だ」 「インシュアンが親族の代表ですから相談して見ます」 「そうしなよ。婚約は決まっているのかい」 「ええ、一つ年下なので十六に為るまであと三年と二姐が言っていました」 「商売人か秀才かどっちだい」 「二姐のいうには菓子の店の次男だそうです」 「菓子の店なら通りの向こうにも二軒あるぜ。そこじゃないのか」 「城内だそうです。仏蘭西の菓子も扱う店だそうです」 「料理屋と菓子屋を両立できれば問題が無い様だが」 「それも弟弟に任せます」 「土地の事は気にしていない様だな」 「二姐の土地の四半分を買い受ければ済みますの。娘だから呉れるというのを買い受けて、後でそのお金を相続させれば済みますから。店が出来れば隣が親の家ですから婚姻するまでそこから通えば二姐も安心です」 面倒な事でも買わせた方が身に染みて働くだろうと思う様だ。 どうやらこの通りは端から端まで梁家の物らしい。 |
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呉運宣(ンインシュアン)が遣ってきた。 「先ほどは留守で申し訳ありません。イー(姨)の所へ行っていまして、知ってれば店へ戻らずに来たのですが」 「二姐の所」 「そうそう。例の図面と絵が出来たので受け取って見せに行ってきたんだ」 持って来た図面を卓へ広げて見せた。 「この図面だと間に路地を入れるの」 「はじめこっちとの間と言ったんだが喧騒が少しでも少なくなるように路地をこっちへ動かして間に入れろと煩いんだ」 「どうせ今の露地も二姐の土地で、お金は出てもシュンリンの婚姻の時にふんだくれるからいいわ」 「イー(姨・母の妹妹)には聞こえないようにね」 「シュンリンと二姐のお金だから私の損はないからどうでもお好きに」 そんな風にインシュアンに押しつけている。 大部屋二十人、個室八人二部屋、二階と店裏に住まいが有る。 「こいつはシュンリンの為か、それとも料理長かい」 「そこんところはシュンリン次第なんですがね。子供が増えれば今の南へ増築できます。料理長が居着いて呉れれば、シュンリンの婚姻後に姨の土地に住まいをつくらせようと目論んでいるんですよ」 「それでやっぱりュエツァィ(粤菜・広東料理)の料理店(りょうりみせ)にするのかい」 「まだ先の事で決めてないんでしょ。姐姐(チェチェ)」 「藺香苑(リンシィアンユァン)の選んだ男がュエツァィの修業をしているから。自分の店の前に暫く働かせてもいいんじゃないかねぇ」 藺香蘭(リンシィアンラァン)の妹妹だ、インシュアンの妻子(つま、チィズ)の妹妹でもある。 「やっぱり目を付けましたか。そんなところから当たってみますか。どうせ哥哥が現れりゃ話に勢いがついて忙しくなる様だし」 料理人は孟劉帆(モンリュウファン)二十一歳だという。 「絃盧菜店(シィェンルゥツァイディン)というのが店の名の予定かね」 「そうなんですよイーフゥ(姨夫)が古い家系の名を入れろというのです。江家は盧家の末裔だというのでね」 「盧員外の方じゃ無いのか」 「あり得ますね」 二人で笑っているとフェイイーが「何の事か分からないわ」と膨れている。 「水滸伝の豪傑さ」 「そっちで説明した方が早そうだわ」 盧員外は盧俊義で渾名は玉麒麟。 インシュアンはシュンリンの婚約者も知っていた。 「侯浩淵(ホウハオユァン)というのですが、早くから菓子の勉強に取り組んでいて仏蘭西の焼き菓子を上手く作ります」 英吉利、仏蘭西、伊太利、西班牙、言葉は混ざって広州言葉に為って来ている。 ビスケット、パパリーヌ、カヌレ、ゴーフル、クイニー・アマンなどを日替わりで出せる様に成ったという。 「おいおい、十三歳は本当かよ」 「間違いないですよ。産まれた日に私は菓子店(かしみせ)で買い物していましたから。私の誕生日と月日は同じなので忘れませんよ」 「そんな良い奴が婿に来るのか」 「決まったのは六年も前で時々会わせていますし、兄貴が店を継ぐので婚姻後は何処かで店を開かせます。実は今年王太太が発起人で結に加わりました」 「夫妻(フゥーチィー・夫婦)で結は珍しい事に為るな」 「ここではすでに何組もいますよ。そうそうシィアンチェンの事聞きましたか」 「いや、また子供でも増えたのか」 「確かに今五か月だそうですがね。あれほど継がないと言っていた骨董屋、引き継ぐことにしたそうです」 「私聞いてない」 「やっぱり姐姐(チェチェ)にも言ってないのですか。シィアンチェンめ、イーロンの店の仕入れに回りながら骨董屋の仕入れの手伝いが面白くなったようでね。自分が後を遣るからいい出物があれば回してほしいと言っているそうですよ」 インドゥはやっぱりそうなったかと思っているようだ。 |
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フェイイーが仕事に戻るとインシュアンが「二十日ほど前ですがね。面白い話が有るんですよ」と思わせぶって話し始めた。 何処かで阿片を買い取った船が四艘の海賊に襲われ三艘の内一艘が命からがら香港へ逃げ帰って来たという。 「それがね、その海賊船、意気揚々と引き上げる途中時化で陸へ寄ってきたところを漕幇(ツァォパァ)の船団を見つけてついでと襲い掛かってきたんですよ」 遂渓(スイシー)から広州への葛布を積んでいた船は完全武装が済んだ船団だ。 結と共同の護送船団から反対に砲を打たれ、船端に据えた弩(ヌゥ・石弓)で応戦され、傍へも寄れずに南東へ逃げるに重い荷を投げ捨てて身軽になって逃げだした。 「浪が荒くて逃げる四艘の内二艘がお互いに舵が効かなくなってね、ぶち当たってバラバラになる騒ぎでね」 それで沈むとは相当の襤褸船だ。 普段は北へ向かう海流のはずが、東への流が早くて味方には見捨てられ、拾い上げられたのは三人、海賊だと首をはねられるが回心すれば匿うと言われて阿片の事をべらべら喋ったそうだ。 「その日の流からすれば和国の東へ阿片の箱は流れていくはずだそうでね。阿片じゃ拾い上げても厄介なだけですからいい幸いでした」 どうやら流れに乗って逃げると追いつかれると思って海流を乗り切るほうを選んだらしいという、台湾に巣食う海賊ではなく南のチャンパ辺りから四艘で遠征してきたようだ。 漕幇(ツァォパァ)も海賊も大民船程度で大差はないが、英吉利、阿蘭陀の最新式の船はガリオンとはけた違いに波を乗り切る力が有ると噂だ。 総督が変わり輸出税に百分の六、輸入税に百分の二に戻り、付加税、船鈔、規礼を入れても百分の二十に落ち着いた。 税に三十、賄賂三十などが続いた後だけに活気も戻っている。 これで賄賂も必要部門以外に出なければ海賊退治の捐款(ヂュァンクゥァン・寄付)も巡撫の所に集り易くなった。 広東以南の結と漕幇(ツァォパァ)から申し出た三十万両分の拠出金もインドゥの賛成が伝わり、すでに六割ほどの銀(かね)が集まりだしたという。 インドゥは早速一報を書いて公主にはインド更紗を惇妃、皇后への贈り物に香水を選んでその中にフォンシャン(皇上)への手紙を添え結の便で送り出してもらう事にし、インシュアンに品物を集めるように頼んだ。 |
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粤海関(ュエハァィグァン・えつかいかん)-粤は広東の事。 康熙二十三年(1684年)-康煕帝は其れ迄の遷界令を廃止した。 康熙二十四年(1685年)-海外貿易の受け容れ港として江海関(江蘇省上海)、浙海関(浙江省寧波)、閩海関(福建省漳州)、粤海関(広東省広州)の四ヶ所に、初めて海関をおいた。 乾隆二十二年(1757年)-外国貿易は広州一港に制限された。 道光十四年(1834年)に至るまでイギリス東インド会社を主たる貿易相手とする粤海関の全盛期を迎えた。 税則は、輸出入税、付加税、船鈔(せんしょう・量船税)、規礼(贈物)の五項目からなり、輸出入品課税率はそれぞれおよそ従価6%と2%であり、重商主義時代のヨーロッパより低かった。 しかし多額の付加税および規礼が恣意的に課せられ、公行商人の負担は増大し、外国商人との摩擦も少なくなかった。 |
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出ていた者たちが次々戻り海賊船の話で盛り上がった。 康演(クアンイェン)の試算では船三十二艘は砲片舷六門装備で二十五万両、水夫や船長の養成費に二十五万両を五年以内に使う予定。 五十万両は人の参加次第で船を増やし、結の陸に残る家族の面倒も見るための予備費だという。 陸に残る最大二千の人間を食わせる仕事を与え、給付もあれば命懸けの船乗りに為ろうという男がすでに五百人いるという。 護送船団へ参加希望は既に二百艘に迄増えているとインシュアンが教えてくれた。 一船団十隻までに護送船二隻で今は稼働している、今はまだ砲搭載は六隻で片絃六門に弩は片舷八張の新造船への期待は大きいという。 砲手の優秀なものが一人雇われて師傅となって教えている。 汪志伊(ゥアンヂィイ)、李殿圖(リーディェントゥ)の元で海賊と戦ってきた猛者だ、片足ひざ下を失ったが威勢は良い男だという。 浙江巡撫阮元の元からも火縄銃の指導に人が送り込まれているという。 三人一組で二人は玉込め要員で打つのは一人、銃が行き渡ればともかく今は銃器を増やす余裕がないし船での火縄銃は危険も大きい。 年内に現行の漕幇(ツァォパァ)の船だけでも十六隻に砲が積めるという、 粤海関も税の賄賂が無くなり、総督は商船にも砲の搭載整備を許可した。 「このまま税の賄賂を言わなきゃいい船が作れるんだが」 宜綿(イーミェン)が言う言葉に皆が賛成だ。 「だが沖で取引される阿片に手が出せるのか」 「英吉利の東インド会社は抜け目がないですからね。持ち込む荷が少ない船は何処かで阿片を降ろして来ているんじゃないですか」 「呂宋(ルソン)の付近は小島が多いからな。調べるだけの船が無いとくりゃいくらでも遣られてしまう」 「茶を買い付ける銀(かね)を持ってくるからには相当な量を売り渡している。そう見るほかないか」 「尻尾を掴んでも戦を仕掛けるほど此方に力は有りません」 「賄賂を言う奴さえ来なきゃ十三行も銀(かね)を出すだろうが。前みたいにやりだされたらあいつら迄阿片に手を出しそうですよ」 「そいつは参ったな。広州(グアンヂョウ)ぐるみでやられりゃ国が破算だぜ」 「本当にそうなっては困ります。茶葉がほしいから阿片を買えなんてこと大っぴらに為ったら手が付けられませんよ。英吉利は印度をほぼ制圧して次は緬甸が狙われそうです」 印度(ムガル帝国)は風前の灯火で緬甸(ビルマ)、阿蘭陀支配の爪哇(ジャワ)がいつまで圧力に耐えられるかが問題だ。 葡萄牙(ポルトガル)に支配された馬来(マレー)の端に阿蘭陀(オランダ)の拠点があるが、海峡付近を英吉利が拠点として狙っていると評判だ、拠点が出来れば次は大清(ダーチン)が標的になる。 阿片は侵略の撒き餌だ。 |
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関元(グァンユアン)達のマニラガレオンが三艘に増え、一艘三十門の砲が積んであるという、和国の乗組員と関元(グァンユアン)の手下が操船を覚えるため乗り組んでいてジャワ、マレーと和国の密貿易に活躍している。 昔五百人乗り組んだというが船長は二百二十人四交代(交代勤務五十人)で操船が出来るという。 緊急時には「総員上へ、操帆作業に. かかれ」と号令がかかる。 面倒だと言葉ははしょられた「総員掛れ」の合図は「オルハン」だと云う。 琉球の東沖の秘密の拠点には普段は守備に砲三十門と老水夫八十人、女子供を入れれば五百人が暮らしているという。 一艘は必ず周辺を訓練、警備で遊弋(ゆうよく)している。 火薬はマニラと薩摩の密輸品に入れて調達できる。 砲弾は自前で作れるようになった。 カリブで鳴らした老人は「ここは天国だ」と砲弾作りの合間に昔話を砂鉄集めの子供たちにして過ごしている。 マレーの南瓜(ナァン)が薩摩で好評だという、運んでいるうちに食べごろに近くなるという。 冬の拠点、隠岐西の島では貴重品扱いだそうだ、薩摩のソイと味醂を含ませて煮ると旨味が増すそうだ。 マレーの清国人に俵物を売り、南瓜に米と生姜を買いこんで来る。 銭五も今は儲けより航路を安全に航行する方が大事だという。 |
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インドゥ達は鳳凰鎮で今年も茶を手に入れて福州(フーヂョウ)で庄(チョアン)に任せて入札を仕切らせた。 毎年恒例になり昨年は與仁(イーレン)が宜綿(イーミェン)と相談の上価格は同じでと決めた。 嘉慶六年からこれで四回目だ。 嘉慶五年に騙された庄(チョアン)を助け、翌年から恒例になり、一番四両十七包み、二番三両二十二包み、三番二両二十二包み、六十一包み百七十五両に設定した。 売り上げから與仁(イーレン)に入札分の元値の七十五両(贈答分を含む)を支払い、経費を抜いて後は半分與仁(イーレン)と庄(チョアン)達と決まった。 二十五本百年樹一斤を三包みの七十五斤、それを一番、二番、三番の三種、二百二十五包み二百二十五斤二百二十五両の特別な価格。 七十五包みがフォンシャン(皇上)、公主が七十五包み。 入札から十四包みを抜いて三種二包みずつの六包みが孜(ヅゥ)の取り分。 三人の茶商が一番茶五包を有力者に配り、三種各一包みを見本としたので売るのは六十一包み。 一人各番一枚の三枚の権利、重なればくじ引き、札のない包みはその番の外れた者から希望者でくじ引き。 皆今までの茶を飲みあっていて、自分の気に云った樹の名前を書き残していた。 今年はどの樹が当たり年か日和見に当てさせようとしたものも出たという。 |
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六月二十三日に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ着いた、其処を二十六日に出て京城(みやこ)へ八月十九日到着と予定がたった。 南京で六月二十日から三十日には河口鎮到着での船を確保しておいたのは與仁(イーレン)の南京店のお陰だ。 積み荷に茶が主役で乗り、人は脇役だと徐王衍(シュアンイェン)が笑っている。 南京で手配したように千擔積んだ船は星星(シィンシィン)の差配で順に出て、この船は五百擔積んで一行を待っていた。 武夷洲茶(ヂォゥチャ)明前茶一芯二葉五百擔は鄭興(チョンシィン)が引き取ることに決まっている。 鄭興(チョンシィン)は武夷洲茶一芯二葉二千五百擔、寿眉(ショウメイ)一芯二葉・三葉混ざりの二千五百擔を前払いで押さえている。 急ぎなら先の荷を権孜(グォンヅゥ)が鄭興(チョンシィン)へ回すだろう。 寿眉(ショウメイ)は福州から天津(ティェンジン)へ三隻が六月五日から順次福州(フーヂョウ)を出て一隻分三千擔は常秉文(チァンピンウェン)が九月一日引き取りに来る予定だ。 |
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四月十八日に京城(みやこ)に高信(ガオシィン)夫妻が着いてふた月が経ち、六月十九日には洪(ホォン)と蓮蓬(リァンパァン)の次男が誕生した。 七月十八日、健康哥哥と蓬香(パァンシャン)の所に女の子が誕生した。 上は男二人で三人目だ。 四人の義兄弟に高信(ガオシィン)が入らないのは約束したとき、父親と江西は贛州へ引き移っていたためだ。 梅嶺関を抜けて広州(グアンヂョウ)への要路の守備だ。 七人の内五人は何時もつるんでいて高信(ガオシィン)が一番年下だった。 「なぁ、そろそろ何てシィア哥哥が説得したか話してくれないか」 「ふふ、気になりますの」 「そりゃそうさ。俺の何を言われたやら」 「錦鶏(ヂィンヂィ)の母娘」 「げっ、それを聞いたのか。それでも一緒になって呉れる気に」 「そうですよ。詳しいことは健康哥哥夫妻に洪哥哥夫妻立会なら話していいそうです。きっとニィンは半年以内に聞きたがると言って居られました」 「なんで他人に」 「宜綿先生を入れて四人は義兄弟、あなたはその弟弟だからですよ。健康哥哥を抜くとシィア哥哥の言うことの裏付けが取れません」 「健康哥哥は大丈夫だが、洪哥哥の方は大丈夫なのか」 「奥様を口説いた時自分のすべてをお話ししたとお聞きしました」 高信は聞きたくて仕方なく四人に離れ迄来てもらった。 乳母と奴婢が茶の支度をして下がっていくと、フゥインは思い出すように話し始めた。 インドゥはフゥインの洞穴(ほらあな)の噂の事を聞くと、汪志伊(ゥアンヂィイ)から頼まれた口利きを引き受けた。 趙姫(太后)と嫪毐の例から話をはじめ、高信(ガオシィン)たちを含め、お役に着く前に前門や胡同の妓楼に酒店で遊んだことなどを話してくれた。 慎梨(シェンリィー)は十九歳の売れっ子で初物食いの話。 シィア哥哥と健康哥哥以外、次々食われて最後は年若の高信で、慎梨(シェンリィー)が高信にのめり込んでいたのをシィア哥哥と健康哥哥は心配した。 二人がシェンリィーに別れて呉れと申し入れに行ったが、シェンリィーに断られた、が高信の一家は遠方へ赴任して事なきを得た。 普通、初物食い一夜の男女の仲を、三度呼び出したという。 高信一家が赴任する前、二人がシェンリィーの親の方へ話を持って行くととんでもないことを打ち明けられた。 錦鶏(ヂィンヂィ)の方も娘の様子で一度騙して連れ込んだという、それで意固地になって別れないとごねたようだ。 妓女の好むヤウティウ(油条魔羅・麩魔羅)で蜜液に逢うと和らかく膨らみ壺に負担がかからず、気持ちよさに病みつきに為るそうだ。 それにシェンリィーは芸妓と云え、後ろ盾に裕福な老人がいて若い女を好きに振舞わして楽しんでいた。 (インドゥとヂィェンカァン哥哥が聞いたヂィンヂィの話-老爺はシェンリィーの済んだばかりの蜜壺が乾かないうちに自分の一物を押し込み、混ざり合う初物の若い男の精液とシェンリィーの蜜液を纏いつかせれば、一物の養分に出来ると信じていた。) 「だから洞穴が本当でも収まる処へ収まるだろうが、こんな話を聞いて嫌気がさしたなら断ってくれ。弟弟には俺が引導を渡す」 「お受けしてもシィン哥哥が私を厄介者扱いしたらどうしてくれるんですか」 「そうなりゃ娘娘へ頼んで豊紳府で身柄を引き取る」 其処まで聞いて洪(ホォン)が「それで娘娘があの時」と言いかけた。 「なんだ、もう飽きが来ていたのか」 「いや、産婆の王さんが妊娠したようだからと宋太医夫妻に診察してもらえと、そうしたら二月目だというのを弟弟が早とちりしたんだ。胥幡閔(シューファンミィン)が三月十七日から二十四日の間の妊娠だというのでようやく得心したようだ」 「だってよ、初めての子だ、女の月の物の計算など知らんぜ」 「このお馬鹿が、前に四年夫妻(フゥーチィー・夫婦)の交わりが有って、知りませんは迂闊すぎる」 健康(ヂィェンカァン)哥哥に怒られている。 フゥインが庇って代わりに謝っている。 蓬香(パァンシャン)と蓮蓬(リァンパァン)はおとなしく聞いていた。 「どう、この夫婦お似合いみたいね」 「こんな話聞いても一緒になって呉れる何て、良い妻子(つま、チィズ)に為るわ」 「私は新婚の街歩きの時に宜綿先生とばったり会って、錦鶏(ヂィンヂィ)は見たけど慎梨(シェンリィー)も同じように色っぽいの」 「ああ、この二人を含めてお仲間五人が世話に為った。」 洪(ホォン)が初物食いのお世話に為ったことは蓮蓬(リァンパァン)は知っていたので平然としている。 「あの時フゥチンが転任しなきゃ前門で溺れていたかも。俺のがそんな良い物だなんて初めて聞いたぜ。」 「そりゃお前が妓女遊びをあれ以来していない証拠だ。隠れて出かけてみろ、ばれたら鞭三十食らって半身不随で半年は寝込むぞ」 「じゃ、いくら良い物でも宝の持ち腐れじゃないか」 「錦鶏(ヂィンヂィ)が俺とシィア哥哥に教えてくれたよ。房事が好きな女はでかいか堅いが好きだとよ。経験の少ない女は柔くて好まないんだそうだ。好きなのは錦鶏(ヂィンヂィ)母娘。シィア弟弟はこの男の為にあの日は銀(かね)三百両持参していたんだ。今遊びがばれたら鞭三十だからな」 脅している。 「いいさ、後一年我慢すればフゥインなら相手をしてもらえる」 「私もシィン哥哥と同じ気持ちですわ。待っていてくださいね」 「遊んだりしないよ」 四人は疲れた顔でそれぞれの部屋や家に戻っていった。 乳母が奴婢と茶の入れ替えをしてくれた。 フゥインはインドゥと打ち合わせておいて良かったと安堵した。 「騙してごめんね。でもあなたを一生愛します」そう心に誓ったが「でもきっとシィア哥哥の子よ」と心に秘めている。 |
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紫蘭(シラァン)は新しい公主使女の二人が付いて五人で刺繍の題材の楼門に楼閣を巡った。 武環梨(ウーファンリィ)二十五歳と夏玲宝(シァリィンパォ)二十五歳は平儀藩(ピィンイーファン)の勧めで豊紳府へ遣って来ての最初の仕事が使女への拳の指導と陽気の良い日に紫蘭(シラァン)のお供で街廻りだ。 二人とも上皇付きから乾隆花園の管理へ移動したが、年季明けを待って公主の元へ遣って来た。 平儀藩(ピィンイーファン)の斡旋もあるが、フォンシャン(皇上)からも護衛を言いつけられている。 「御秘官」の家系の出で公主とともにインドゥの護衛も平儀藩(ピィンイーファン)からの秘命の一つだ。 豊紳府、公主府(元の和第)で二人に仇なすものが送り込まれてこないか監視も必要になっている。 二年で嫁入りの世話をすると婚約も済んで居る。 なぜ二年かと言えば後の人選も決まっているからだ。 二人にとって外城の雑踏は人生最大の幸福感を与えてくれている。 上皇付き奴婢として護衛の役目から花園掌事宮女へ移り、馴れない花卉栽培に苦闘した日に比べれば天国のようなものだ。 「御秘官」の役目は閉ざされ、先行きの不安を二十五に為れば公主の元へ引き取ってもらえると言われ、それを頼りにこの五年辛抱していた。 厳格なフォンシャン(皇上)は自ら掟を破っての年季明け前の豊紳府勤務は避けておられた。 ファンリィは山西(シァンシー)-呂梁(ルーリャン)から、リィンパォは江蘇(ジァンスー)-無錫(ウーシー)から十三歳で京城(みやこ)へ遣って来た。 シラァンが上手に下絵を描き、二人が覚えて来た色を乗せる、公主は絶賛してくれた。 潘玲(パァンリィン)と顔双蓮(シャンリェン)はシラァンが教える刺繍が一段と進歩したが、ファンリィとリィンパォは絵付けほど上手く出来ない。 十日に一度は崇文門外南城石鼓胡同(シィグゥフートン)の絹問屋の隠居の元へ五人で通っている。 「花は好いけど鳥の羽が不自然ね」 シラァンは其れが課題だが四人はまだ色使いも上手く選べない。 ある日は課題が「珠」で三色を好きに選んで大きさも自ら選ばせた。 休みを入れて二刻で終わりにして次回迄の宿題となった。 柿と言われたときは全員が苦しんだが、帰りに「お手本」と言って色とりどりの柿を縫い取った五枚の手巾を配ってくれた。 ファンリィとリィンパォは画も最初から描かせると線が上手く引けないことに気が付いた。 十字や丸が歪(いびつ)に為って公主は手を打って喜んでいる。 老椴盃(ラォダンペィ)、幹繁老(ガァンファンラォ)、楊閤(イァンフゥ)菜館などは公主も「細かいところもよく見ているわ」と絶賛だ。 「だけど幹繁老と楊閤は此処迄同じように建てなくてもいいのに」 花琳(ファリン)は二つ並べて区別できなかった。 「窓の数と見晴らし台の樽が違うんです」 そう言われても画は尺四方なので老眼と云われだした花琳(ファリン)には難しそうだ。 公主が放大鏡(ファンダージィン・天眼鏡)を出すと樽の描かれた数と見晴らし台の違いが分かった。 「よくこんな細かいところまで色を付けたわね」 二人の使女も自慢げだ。 シラァンの刺繍は細かいところが省略され庭の池を俯瞰してあるので、ようやく見分けられる。 鼓楼と鐘楼は二枚並べて見ると遠くから眺めたように大きさを変えるという考えた手業(てわざ)だ。 |
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インドゥたちは京城(みやこ)へ八月十九日帰着した。 海上取引の為阿片の集積所の特定は難しく、呂宋(ルソン)・菲律賓(フィリピン)の小島に昔の基地があるようで、西班牙(スペイン)の支配が及んでいない様だと報告した。 「海賊が絡んでいるのか」 「海賊は西班牙と英吉利に追い払われて近づくことは難しい様です。和国の密輸船も素通りするようで、原住民と手を結んだ者が居るようですが、噂くらいしか聞こえてきませんでした」 「今までの密輸業者とは違う連中だというのか」 「海の密輸とは違い八卦の生き残りと聞き及んでおります」 「白蓮の者たちか」 「天理を名乗る集団だと聞きました」 「各地の巡撫に通達を出して情報を送らせよう。今回は苦労であった」 インドゥ達はこれで暫く落ち着けるとそれぞれの邸へ別れた。 公主は信(シィン)の我儘を嬉しそうに報告した。 我儘と云うよりおねだりに近いとインドゥも嬉しい気持ちになった。 一月前、綿懿(ミェンイー)が貝勒から二等鎮国將軍に降格されたという。 「定めだ」と本人が言うが経緯は誰も知らない。 内務府と軍機大臣が上奏して即日裁可と云う荒業だったそうだ。
和碩淑慎公主が亡くなった後拝領した屋敷だ。 三阿哥(サンアグゥ)の母親は純貴妃(チュングイフェイ)、十一阿哥(シュアグゥ)の母親は嘉貴妃(ジャーグイフェイ)なので嘉慶帝とは異母兄となる。 綿懿の嫡夫人は母親と同じ富察氏、李榮保の孫娘で母親と従姉妹だ。 二人の長子は十四歳になった奕緒だ。 九歳の時輔国將軍品級となり公主が祝いを裏から手を回して盛大に届けている。 嘉慶四年三月とこちらも何かと忙しい時期だったが、裏を返せば資金は潤沢にあった時期だ。 二十軒ほどの名目をつけ、それぞれの祝いを倍に増やすという手の込んだことを指揮したのは綿恩だ。 どうやら裏で嘉慶帝が糸を引いていたようだ。 綿恩の嫡福晋は噶哈里富察氏の出だ、前に手巾を強請ったとき、乾隆帝の話では哲憫皇貴妃の兄の孫だという。 花音(ファーイン)のように刺繍の腕があるかと期待したがそれほどでもないというが、公主が貰ったのはいい出来だった、弘暦(フンリ)の依怙贔屓の様だ。 公主にとって姐姐(チェチェ)のような存在で長く付き合いたかったが、子供にめぐまれず四十八歳で嘉慶二年に亡くなった。 実母のように慕っていた奕紹も当時相当落ち込んでいた。 固山貝子・奉恩鎮国公・奉恩輔国公・不入八分鎮国公・不入八分輔国公をいきなり飛び越しての鎮国將軍迄の降格は尋常ではない。 俸銀二千五百両が一気に百分の十五あまり、俸銀三百八十五両では生活もままならない。 俸米支給は一両一斛換算の支給だ、八十人以上が邸内にいる筈だ。 この当時奴婢年間一人当たり米一斛に面条、饅頭、豆類などを組み合わせて給付するのが普通だ。 固倫公主でも居京師俸銀四百兩、祿米四百斛,下嫁外藩俸銀千兩、俸緞三十匹。 豊紳府と公主府、香山村、紅門村で三百人近い人数を支える遣り繰りをするにはこれでは足りない。 公主と違い貝勒の支給は多いが支出も桁違いのはずだ。 公主、郡主、縣主と位がさがればエフ(額駙)が重用されなければ貯えのない一族は遣り繰りに苦労する。 幸いインドゥはお役に就いていた時の貯えもあり二人を合わせれば支出年四千八百両、表向き収入四千六百両となっている。 支出の内大きいのは屋敷の改築費と人件費だとして届けは出してある。 誰かが不審に思っても内務府を調べれば許可状、確認書は見つけられる。 公主が孜漢(ズハァン)から聞いた噂で、ラマの坊主に乱暴な言葉を吐いたというがそれでの降格にしては大袈裟だ。 シュアグゥから公主に間に入らぬように密書が来たという。 御茶のお礼だとシュアグゥは大袈裟に内務府で話して来てあるという。 読むなり「焼き捨てる様に」と使いに来た実母の音寶が言うと焼き終わった灰を粉にして持ち帰った。 音寶には弟の福長安、ジィルンには叔父の福長安(フチャンガ)をないがしろにするので豊紳済倫と仲は良くない。 長安は端役を転々としているという。 和珅(ヘシェン)の事件から、もう五年経つがまだまともなお役に就いていないのだ。 インドゥは「じっくり調べて哥哥の名誉回復を図ろう」と作戦を練ることにした。 子供の頃からの付き合いだ見捨てる訳にもいかない、弟二人とは剣に弓の相弟子で遊びも一緒だった。 ジィルンの方はインドゥと伊綿先生の方は手ごわいと見て手を引いたようだ。 最も無役になった今では荒立てても損くらいは分かる様だ。 運河に皇城の塀が間にあるがご近所には違いない。 「あり得るが誣告したものは書面を出してその後自尽したことに成っている」 「辿るのは難しそうですか」 「孫は漢軍正紅旗包衣から他塔喇氏(タタラ)の一族の厄介者へ養子に行って漢軍鑲黄旗の佐領に出世だ」 「だって。下三旗からですの」 「そうさあの男の手のうちだ、娘が溢れている家に押し込んだのさ。婚家の親も総監内務府大臣の引きがあれば残りの娘もいい家へ輿入れできる」 「そんなに娘だくさんですの」 「七人すべて女だ。上の娘は婿を取って家を継いでいたのさ、それで次女の婿にして夫婦で佐領の家を継いだ。残りはまだ十歳をかしらに五人もいる」 「其の佐領の家族は」 「死にそうな老人一人だがね。南京(ナンジン)で聞かされたよ。三月ほど前に他塔喇氏(タタラ)の家族ぐるみで平侍衛の一族の「御秘官」が取り込んだそうだ。何時か役に立つだろう」 「そんなにうまく運びますの」 「長女の婿が平侍衛の従姉妹の孫でな。次女の入った向こうの爺様とは知り合いだ。平侍衛との縁まで調べが付かなかったようだ」 満州正白旗人鍾昌の妻の弟だという、永紹という男は出来が良いと噂だそうだ。 内務府満州正白旗人、満州鑲黄旗人の他塔喇氏(タタラ)一族は富察とは事を荒立ててはいないが「御秘官」の一族からの援助を何代も続けて受けている。 帝の信頼も厚い一族だ。 インドゥが仕組みを継いだ時に元からの貸付金は無いことにし、その半額までなら五十年賦として新たに希望すれば借り受けられるとしたので恩に思う家族は多い。 永紹は妹の婿を懐柔したという話だ。 公主が高信夫妻のお目見えの日の出来事を話すと「呆れたやつだ。だがめでたい話だ」と大笑いだ。 こんな小さな訪問でも皇帝へ報告の時、内務府へ届けは出しておいた。 王李香(リーシャン)を連れてでて白蓮蓬(パイリァンパァン)の所で宋慧鶯(ソンフゥイン)の体調も見させた。 陳弟弟は今度の子も一字名で颯(ソン)とつけていた。 二月目乍ら凛々しい顔立ちにインドゥは眼を細めて褒めた。 陳弟弟と高信は勤めで留守だが、陳哥哥は非番だという。 健康哥哥と林蓬香(リンパァンシャン)が一家で遣って来た、やっとひと月たった娘はおくるみの中で公主に笑いかけている。 名前は翠蘭(スイラァン)だという。 宋慧鶯(ソンフゥイン)はつわりも軽く、今はもうおきず体調は良いという。 王李香(リーシャン)の指導で食事も蓮蓬(リァンパァン)がしっかりと管理している。 乳母の程依依(テイイーイー)は年の割に足腰も丈夫で、庭の手入れなども二人で行うそうだ。 下僕の呉天佑(ウーチィンヨウ)の方があたふたするくらいだと蓮蓬(リァンパァン)が報告している。 高信も実家は近くで、母親と留守居くらいのはずが二人であいさつに出向いたら「空き部屋が無い」と言われたので陳洪(チェンホォン)は「どうせなら此処の住人が戻るまで居ろ」とあっさりしたものだ。 蓮蓬(リァンパァン)も此処にいれば経費が出ないから遣り繰りに困らないと勧めた。 友情と実利が一致して高信も安心して任せた、自分の俸禄では実家にも迷惑が掛かるが、ここにいれば母親にも菓子位は届けられる。 王李香(リーシャン)の弟子が十日に一度回って診察していくのも、公主の気配りだ。 |
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鑲黄旗漢軍都統から鑲黄旗護軍統領に横滑りだと奕紹(イーシァオ)が来た。 位階は下がったはずが喜んでいる。 都統-長官、従一品。 護軍統領-正二品。 長子の載銓もすでに十一歳になっている。 陳洪(チェンホォン)の家に土産を届ける際、ユンラァンに載銓への土産を届ける使いに出て貰った礼だ、定親王への茶の礼に十日ほど前も来たばかりだ。 姐姐が来てから公主の本棚は日付順に三通りも付き合いの仕組みが整理されている。 誕生日が細かく記載されて漏れれば継ぎ足してゆくので増えるばかりだ。 花琳(ファリン)は記憶に頼り過ぎだが、帳簿の整理と同じだと姐姐が言い出して少しずつ整理しだしたのが公主の熱が入りだし、最近ではどの家で妾(格格)が増えた等とまで網羅されている。 イーシァオの所など子供が一人なのを心配している。 父親が公主の侄子(ヂィヅゥ)なのを好いことに夫婦でイーシァオを使いまわしている。 乾隆十二年八月十四日生まれの定親王綿恩(ミェンエン)は兄の子供。 乾隆四十一年五月十一日は奕紹(イーシァオ)。 乾隆五十九年八月二十二日が載銓(ズァイチュアン)。 大阿哥永璜(ヨンファン)は若死にで男二人、ミェンエンも四子一女だが成人したのはイーシァオと妹妹の二人だ。 「あまり責めるなよ。真面目にお役を務めるものだから下の者は実入りが少ないとごねるそうだ」 「哥哥は何処で聞いた。在京は良いが哥哥を蒙古へ送ろうと画策している話は聞いたか」 「いや知らんぞ。フォンシャン(皇上)も匂いも香がしてくれていない」 「俺も従弟の奕純(イーチュゥン)から聞いたばかりさ。フォンシャン(皇上)は例のロシアとの茶の取引の話から今度は北へと思いついたとさ」 「なんか出来過ぎた話だ。だが都統は貝子で副都統にする話もないぜ。それでもと云うなら下っ端で送られるかな。正白旗の満州都統は定親王様で福寧様が呼び戻されて蒙古都統だ」 奕純(イーチュゥン)哥哥は二人の剣の面倒も見てくれた。 「最近会わないが哥哥はどうしているんだ」 「孫が生まれたぜ、女だ。去年は男だったが育たなかったので哥哥も心配さ」 「載錫は十五で鎮国将軍だ哥哥より怜悧だと聞いた」 「そつがないと評判だが。切れすぎると脚を引っ張る奴が出そうだ。弟の載銘も出来がいいのでフゥチンも気に入って居る」 「前にフォンシャン(皇上)の許しが出たら親王家を譲りたいと言っていたのを思い出したわ。その子達なの」 公主も親王家の内輪話に興味がわいたようだ。 「フォンシャン(皇上)はフゥチンに今は駄目だと言ったそうです。上皇から何か申し伝えでもありそうですね」 「貴方は家を継がなくても良いの」 「まともな奴ならフゥチンと同じでお許ししだいですね」 「奕紹(イーシァオ)弟弟は自分で切り開く力が有るから」 「子供にゃ申し訳ないが貝子でも働き次第ですよ」 |
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第三十一回- 和信外伝-伍 |
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自主規制をかけています。 筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。 |
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功績を認められないと代替わりに位階がさがった。 ・和碩親王(ホショイチンワン) 世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅郡王(ドロイグイワン) 長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅貝勒(ドロイベイレ) ・固山貝子(グサイベイセ) ・奉恩鎮國公 ・奉恩輔國公 ・不入八分鎮國公 ・不入八分輔國公 ・鎮國將軍 ・輔國將軍 ・奉國將軍 ・奉恩將軍 ・・・・・ 固倫公主(グルニグンジョ) 和碩公主(ホショイグンジョ) 郡主・縣主 郡君・縣君・郷君 ・・・・・ 満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。 ・上三旗・皇帝直属 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ) 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ) 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ) ・下五旗・貝勒(宗室)がトップ 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ) 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ) 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ) 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ) 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ) ・・・・・ |
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第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。 18歳未満の方は入室しないでください。 |
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第一部-富察花音の霊 | |
第二部-九尾狐(天狐)の妖力 | |
第三部-魏桃華の霊 | |
第四部-豊紳殷徳外伝 |