余姚(ユィヤオ)の役所から三人の剣(環首刀)の名手がやってきた。
普段は海賊と戦う防御のための剣伎指導に巡回している人たちだ。
船上での乱戦になった時の心得が有る無しでは「随分と違う」と巡撫の意見で決まった。
一対二での乱舞はいくら型だといっても子供達には脅威に映った。
棍の楊先生と打ち合わせをしてから、子供たちにわかるように動きを遅くして型を見せると次第に早い動きとなり、どうして棍が切れないのだろうと思う位激しい打ち合いが続いた。
止めに傘が投げ入れられようやく動きが止まった。
邸うちでの飲酒は、決まりで出せないので二軒先の家で大人だけで宴席が設けられた。
庸助の噂は広まっているようだが、海賊退治の助っ人と役所で認知されているので違和感は持っていないようだ。
三人の内で一番腕の立つ男は顔を出した信(シィン)の赤ん坊のころからこの屋敷に出入りしている。
生まれは慈渓だという「ようやく知府となって先祖に顔向けができる」顔を出した信(シィン)に向かいにこやかに話しかけた。
「それはおめでとうございます。知らなかったものでお祝いもできませんで失礼しました」
「いやいや。ここはそういう儀礼は後で困ることも起きてはいけませんので」
「細かいことはお気にせずに。大丈夫ですよ。都で頂いてきたしてもいいことの範囲に含まれていました。布政使には伝文書を届けてあります」
差配する老人に耳打ちしてから皆に聞こえる程度で「ご自宅のほうへ頼みますよ」とはっきりと伝えてニコッと微笑んだ。
従四品と云えど府のトップだ、武官から見れば破格の楊連銀が支給される。
「文武両道とは高師傅のために作られて言葉だ」
若い凄みのきいた男がほめると「何を云うか、剣にかける時間を割いて挙人とは言わんが、せめて秀才(生員)の試験を通れば通判に為れるものを」
「いや文字を眺めるだけで頭が痛い。役所仕事は御免です」
もう一人はにこにこ聞いているだけだが「この曹璃薛は槍の名手だが弓に剣も腕は確かだが怠け者でね」とすっぱ抜かれている。
「この笑顔に騙されて甘く見て掛かると容赦なく叩きのめされる」
余姚(ユィヤオ)城は知県が預かるのが普通だがここは二段階上の知府が守備とされている、が長い間赴任してこない時期があったが海賊の跋扈にようやく知府、知州、知県の三役がそろった。
余姚(ユィヤオ)江を南北に挟んで北城と南城があり、県署は北城に置かれている。
総兵は寧波(ニンポー)定海衛(ティンハイウェイ)に常駐し、海賊と聞けば杭州(ハンヂョウ)総兵と軍船を指揮して退治に乗り出してゆく。
余姚江(ユィヤオジァン)を東西南北に兵を動かす要が余姚(ユィヤオ)城の通濟橋の鼓楼の役目だ。
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