花音伝説  
第四部-豊紳殷徳外伝 和信外伝 弐  
第二十八回- 和信外伝-               阿井一矢    
 


 此のぺージには性的描写が含まれています、
18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

豊紳府00-3-01-Fengšenhu
公主館00-3-01-gurunigungju

 

嘉慶五年七月二十九日1800917日)

インドゥ、宜綿(イーミェン)、王神医(ゥアンシェンイィ)、蔡太医の四人で神武門から東筒子、景運門を回って養心殿で帰京の報告をした。

嘉慶五年三月二日(1800326日)に都を出て百七十六日目だ。

 

宜綿(イーミェン)が代表して鳳凰山(フェンファンシャン)連山の中で蔡太医が見つけた蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)は王之政(ゥアンヂィヂァン)が宋太医を通じて言上したが前の太医院で却下されていた事。

鳳凰山連山で摘まれ茶献上されるものは三百年樹と言われ流通せず、献上樹の摘み取りは三年~五年間隔で有り毎年風味が違うものだという事。

「百年樹二十五本からの物を手に入れましたのでご賞味の程お願いします」

「そう言うことか。毎年違う香で当たりまえか」

その茶に巡り合う福州(フーヂョウ)での事件、そしてフォンシャン(皇上)からお預かりした路銀で購入しフォンシャン(皇上)の名で同じものを下賜してきたことを伝えた。

「では此度の物もほとんど民間に流れていないという事か」

「少なくとも本年の茶についてです。後は公主とフォンシャン(皇上)へ同じものを持ち帰りましたので、巷へ出るのは鳳凰水仙の名で出る混ぜたものです」

「ご苦労であった。皇貴妃も喜んでいたぞ。好くインドゥと共に働いてくれた。礼を言うぞ。しかし」

そこで思わせぶりに「良く金が有ったな」と嫌味に聞こえる様に言って、茶膳房の太監に鳳凰の茶について現状を話させ、祖語のない事を確認し、持ち帰った茶の管理を命じた。

インドゥが銀(かね)の出何処を申し述べた。

「申し上げます。実は茶の銀(かね)ですが、同行した茶の取り扱いをさせたものに運糟業者たちが二万二千両もの金を貸し、仕事の絆を強めました。私たちはそこから買い入れた茶を後払いで借り入れました」

フォンシャン(皇上)は何処(どこ)かからの借り入れは聞いているようだ、それ以上は言わずに薬草へ興味が移ったようだ。

 

王之政はフォンシャンに「三年私の配合した煎じ薬を十日に一度続けられるでしょうか。お体の状況により薬酒と交互に捕っていただきます」と言上した。

「それだけ経たぬと効果が分からないというのか」

「性的興奮薬は直ぐ効果が出ます、保健薬は一年で効果が出ます。どちらがお望みでしょう。私の物は体の底に潜む疲労を取る物です」

「ではだれかで試すにも時間がいるではないか。宜綿(イーミェン)お前が飲んで試すか」

「はい、それは御受けしますが、私と豊紳殷徳(フェンシェンインデ)は後五年寿命が持つか分かりません。帰りに話し合いましたが飲んでも十年。どう養生しても十七年の命です。それをご承知の上で御命じください」

「それはおまえが学ぶ算命学でか」

「そうではありません、算命によれば陰陽五行では二人は長命と出ます、天文暦法では十二年周期五年から十七年と出ます。観相手相では病原不明の病と出ますが時期は読み取れません」

「政が申し上げます。今の医学では風邪と言われるものの範囲が広すぎます。おそらく先祖から受け継ぐ血の中に病への対抗する力が常人より弱いと思われます。私の経験からも何時発病するか分からぬ潜在する病の元が誰にでもあります。それがほかの病と重なると命とりの重病に為ると考えています。フォンシャン(皇上)には今その兆候はなく脾臓の疲労による血液の巡りに遅れが出ると判断できます。これは太医院にお尋ねください」

「確かにそう言われている。ここ何年か激しい動きは疲れの取れるのに刻が掛かる様になった。王神医の手でも三年必要というのか」

「これが御役目もなく養生できるなら一年と申し上げますが。常人とは違う激務が続くフォンシャンには気長く続けていただくしかありません」

「特効薬はないか」

「あります」

「ではなぜそれを勧めぬ」

「刻をつめれば、刻に逃げられます。壮健で薬の要らない人が飲んでも害は有りません。病弱な人が飲めばまず胃が壊れ、次に腎が壊れ、そして心が止まります。特効薬はそういうものです。老練な医者程体の疲れているときは処方を避けます」

王神医は英敏(インミィン)に身体の状態で同じ薬が同じ働きをするわけでは無いと教えていた。

「バニラ、カカオを知っているか」

「調べました、猿と人に害は有りません。髪、肌艶は取りすぎなければ効果が有ります。重病人にカカオとバニラを煎じ一日一度茶杯半杯を飲ませたところ病の元は消えて呼吸は楽になりました。私の所へ依頼が来たときは既に起き上がれないものがひと月で起き上れるまでに回復しましたが、天命は尽きていたか半年後に八十での老衰で亡くなりました。決して不老長寿の薬ではありません」

「高いものだがよく手に入ったな」

「私の病人が、歩けるようになれば千両、子供が出来れば千両と言われ三か月で歩け、千両手に入ったので昨年になって広州の者から千両分手に入れました」

「子供は」

「お呼び出しの薬草を服用して三年目で二人懐妊しました。私が福州(フーヂョウ)へ来たのは四年前にその病人の家族に呼ばれたからです」

「二人」

「本妻と妾です」 

「それで千両手に入れたか」

「二千両届けてきました。四十にして初めての子だそうです」

「十日に一度を五日に一度にすれば効果は早まるのか」

「茶が美味いと一日中茶を飲めば体に変調が起きます。それと同じで隠れて薬酒を毎日飲んだものが二人いて鼻血が止まらぬと苦情を言ってきました」

「薬草を独占する気は有るのか」

「広西の奥地なら路ばたにいくらでも生えています。取り入れる時期と成長の度合いは土地の者にしか判断が難しいくらいです。私が福州へ出た後、吉安に二年ほど前に宋太医から問い合わせが有り、返事を出したのですが却下されたと手紙が吉安の方へ来たそうです」

「なぜ福州へ手紙が届かない」

「四年前から福州の弟子の家に居候です、今回は妻子(つま、チィズ)は福州で戻りを待たせております。吉安には娘と娘婿がおります」

けが人まで押し寄せるので逃げ出したと京城(みやこ)へ戻る船中で聞かされた。

「鳳凰山から薬草を届ける男が宜綿(イーミェン)様の元部下だったり、蔡太医が宋太医のお気に入りで、鳳凰山では雑草のような蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)に蛇舌草(シゥーシゥーツァォ)を見つけたり。福州で病人を担ぎこんだのが殷徳(インデ)様となるともう逃げられませんと観念しました」

宜綿(イーミェン)たちと船では暇に任せて語ってくれた。

「鳳凰山にはたくさんあるのか」

「十人くらい五年分に必要なものは手元にありますが百年樹以上の老木の中でも生育が順調な樹の傍で無いと育たないようです。今はそれ以上は鳳凰山で捜し歩く暇が有りません、樹と草、雑木が助け合うようです。昔から余分に刈り取ると樹が弱ると伝わっているそうです」

王神医は土地に伝わる話とした。

「宜綿(イーミェン)、お前が見て儂に余命は後何年だ」

欽天監からは好い事ばかり聞かされているようだ。

「正直に言いますと二十年から三十二年としか言えません。六十一歳から七十三歳と云うのが限界です。医師の投薬に従えばそれ以上の長寿も望めるかと存じます。

「王神医はどう見る」

「私の投薬に従っていただければ二十年は請け合います」

「欽天監はフゥチンの寿命は超えると最近言うてきたが嘘か」

「宜綿(イーミェン)が見る算命と欽天監では見方は違うと申し上げます。今の吉凶判断を出すものは来年の大災害を伝えたでしょうか。一年以内に災害に京城(みやこ)は襲われると私は信じております。遅くも辛酉の年乙未と出ました」
辛酉(嘉慶六年)の年乙未(六月)。

「いや言ってこない。早速問い合わせるが妄言なら許さぬぞ」

結局宜綿(イーミェン)と殷徳(インデ)が薬酒を十日に一度服用して経過を見るということになった。

京城(みやこ)へ送られてきていた薬酒は二人で飲んでも三年分あり、早速その後の分を王神医が与えられた屋敷で漬け込むことにした。

蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)による治療は十人までと決められ、薬酒は後三人と制限された。

フォンシャン(皇上)は何時自分が使うかの判断を先延ばしにした。

チャオクリー(チョコレート)の効果は自分の体の肌艶、妃嬪たちの髪の艶で確認できたが、蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)については信じられないというのが本音だ。

福州へ秘密裏に人が送られ、子を成したという家族を調べる様だ。

欽天監から星は災害を伝えていない、国土は安泰だと報告があった。

 

 

皇貴妃からインドゥ達へ礼物が贈られるとフォンシャン(皇上)から言われて遠回りして御花園を通り抜けて景仁宮(ジンレンゴン)へ向かった。

公主から贈られたのは武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)二十擔二千四百斤を五斤入り壺へ分けたもの。

壺入り献上は皇貴妃二百壺、フォンシャン(皇上)二百壺。

公主の手元の八十壺は陳両家を含め二十人以上の家へ贈られていた。

公主から別に武夷山正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)も贈られた。

十斤入り壺入り献上二十壺は皇貴妃娘娘十壺、惇妃娘娘十壺。

薛(シュェ)家から公主へ五壺が同時に献上されていた。

王神医(ゥアンシェンイィ)は英敏(インミィン)が付いて太医院へ向かい、インドゥと宜綿(イーミェン)は二人で延禧宮の前を抜けて昭華門、蒼震門で東筒子へ出て神武門を出た。

陳健康(ヂィェンカァン)の奥方に連れられて、龍蘭玲(ロンラァンリィン)と薛朱蘭(シュェジュラァン)が公主に挨拶に訪れた。

龍蘭玲(ロンラァンリィン)と薛朱蘭(シュェジュラァン)は陳家で花嫁修業中だ。
インドゥの手紙もあり薛朱蘭(シュェジュラァン)王李香(リーシャン)が婚礼まで預かることにしたがジュラァンの爺爺(セーセー)は老椴盃「ラォダンペィ」へ公主が泊まらせた。
公主は林蓬香(リンパァンシャン)に二人が婚姻後に困らない様に修業を頼んだ。
商家に産まれ、官員の妻となったパァンシャンならと王李香(リーシャン)も賛成した。

茶のお礼に陳哥哥、陳弟弟のチィズ(妻子・つま)が子供たちと花嫁修業の二人を連れて挨拶に来て豊紳府は賑やかだ。

娘娘の卓に何枚もの仙女の絵姿が有りそれを見ていて陳弟弟のチィズの白蓮蓬(パイリァンパァン)が驚いて声を上げた。

「懐かしい画ですわ。此の子供が私なんですよ。家有るのは色のない物と服の色は違いますが同じものですわ」

「天台山仙女図」と題した画は丐頭の老梁(ラァォリィァン)だった阮絃(ルゥァンシィェン)が今朝届けて来たものだ。

「昔、京城(みやこ)の似顔絵師が摺り上げたものを欲しいと言ったら古い版木を探してくれて色を乗せて呉れたのよ。何時ごろの事かしら」

「私と母が乞丐(チィガァイ・乞食)のお方に助けて頂いた年ですから、丙午の年の三月にフォンシャン(皇上)が西巡で天台山へ登られた年ですわ」

「蓮蓬、貴方庚子の五月生まれよね」

「そうですわ姐姐(チェチェ)。媽媽(マァーマァー)と一緒に那恋心(リィエンシィン)娘娘のお手助けで淵(ユァン)家の袁姥姥(ラァォラァォ)へお預けされたんですの」

「その時幾つだったの」

「七歳に成ったばかりでした。呂梁から銀州へ出て其処で行倒れ同然の所を丐頭に助けられました」

「何か災害にでも」

「フゥチンが賄賂を断わって牢屋で亡くなってしまったんです。あとで聞いた話では役人がウーニャンに横恋慕してフゥチンを罪に陥れたそうです。それで家を捨てて西安の老爺(ラォイエ)の元へ逃げる途中で、路銀が尽きて仕舞ったそうです。たまたま五台山へ向かう女の人たちなので、追手の眼を眩ませるには西安へ向かうのは危ないと説得されたんです」

「それなら、この仙女と云うのがウーニャンなのね」

「そうなんです。再婚して三人弟も出来て今は幸せですわ」

 

京城(みやこ)へ戻って孜(ヅゥ)は権洪(グォンホォン)はやはりすごい人だと再確認した。

早くも婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)四百擔(千六百箱)を売りさばいていたことだ。

「悪いことをしたが、仲間にもいい思いをさせてやりたいんだ」

「そんなこと気にしないでください。私も最初は儲けを欲張っていただけです」

送料込み一擔五両九百三十三銭に付くものを七両刺し五本と孜(ヅゥ)が最終的に出した口銭よりわずかに上回っている。

そのやり取りを岳父が聞いていて「さすが兄弟じゃ阿吽の呼吸とは此の事だ」と二人をほめた。

婺源仙枝明前茶一芯二葉は茶商取引京城(みやこ)一擔十三両だという。

七両刺し五本なら小卸に出すのも十分に利益を出せる、喜んで買い入れてくれたという。

「この店も其れで引き取る」

「哥哥、何も上乗せしなくとも」

「いや、今から孜(ヅゥ)は客分だ。独立も時機を見てすればいい。だからここへ自分の荷を卸して口銭を取って資金にするんだ」

インドゥが投資三千五百六十両と言った茶が南京と京城(みやこ)で四千五百両に化けている。

インドゥはそれを聞いて「其の四千五百もお前の資金に繰り入れて置け。家だっていくら掛かるか見当もつかん。福州も来年の資金に留置きにしてもらいな。朱蘭(ジュラァン)が舞い上がらない様に景園(ジンユァン)に教育して貰えよ」と受け取らなかった。

孜景園(ズジンユァン)は六月十日に、與仁(イーレン)の妻子(つま、チィズ)汪美麗(ワンメェィリィー)は七月十日にともに男子が誕生していた。

景園(ジンユァン)は上も男で岳父母に孜漢(ズハァン)は大喜びだ。

 

孜(ヅゥ)は今、桂園茶舗の近くに家を借り、フゥーチィー(夫妻・夫婦)で桂園茶舗へ通っている。

福州の荷も着いた。

白毫銀針十九擔の内一擔はあけて一箱を自家、一箱を客見本、二箱を公主へ届け、総計から抜いて置いた。

福州の便は運送費が天津まで割ると一両、店まで一両掛かった。

桂園茶舗へ出す分はそれで一擔十三両刺し四本となった。

権洪(グォンホォン)は大卸もそれでいい、家と同じでなければ申し訳ないという。

 

 

噂は早い、桂園茶舗へ茶を卸す鄭興(チョンシィン)の主の鄭紫釉(チョンシユ)自らが番頭に娘を連れてやって来た。

鄭紫蘭(チョンシラァン)という十二.三の娘は珍しいお茶に興味が有るとせがんで着いてきたという。

白毫銀針十擔、寿眉(ショウメイ)百擔を買い受けたいという。

言い値で引き取るが儲けに為る良い物を売れと言う。

岳父の指図で、交渉の間に朱蘭(ジュラァン)が鉄観音の最上級を出した。

五十過ぎの番頭は「似たものは鉄観音だ」と見抜いた。

「はい、同じ鉄観音でもこちらの山はまだ明かさないでくれと言われ、福建名産と新しく売出すものです」

「山は秘密だというのか」

「はいそれを承知の上で売り込んでほしいと申し入れられております。安溪から二百里ほど離れた山としか申し上げられません」

娘が「それ面白いわよ。甘くて風味もあるし」と助け船が来た。

鄭紫釉(チョンシユ)が「鉄観音は武夷正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)以上に値が張る。此処のもそうなのか」と顔を上げ、今まで茶の香を嗅ぎ、蓋をしていた茶杯から飲むとおもむろに口を開いた。

「私の卸す明前茶一芯二葉武夷正岩茶肉桂は献上の他に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で買い集めたもので買値に口銭運送費を入れるのですが高い物で一擔二十七両刺し四本、後は色々ありますが見本は二十五両刺し四本で卸す物です」

朱蘭(ジュラァン)は言われる前に「正岩茶肉桂で御座います」と新しい茶杯を三人に勧めた。

娘が「高い方も飲みたい」とわがままを言い出した。

朱蘭(ジュラァン)に擔を持ち出すように言いつけるまでもなく権洪(グォンホォン)が手招きしたので二人で部屋へ持ち込んだ。

インドゥが洪に教えた「ニシチヨン」と和国の字で符牒が書いてある。

イチ、ニ、サンという風にジュウ迄を教わったと洪(ホォン)に教えられたものだ。

一箱だして披露し、朱蘭(ジュラァン)が新しい茶器で新しい茶杯へ注いで配った。

「同じだわ」

「確かに」

「そのとうりです」

三人とも同じだという。

「それでも、仕入れた値段で安い物は安く出すのかね」

「そう致す所存です」

「鉄観音の方は甘味が強い、肉料理でも食べた後の口直し、武夷は菓子のお供、いや武夷のお供に菓子だな。鉄観音の渡し値は」

都取引-一擔四十一両四百銭、二十九両二百銭、二十三両四百銭と書付を出した。

番頭と鄭紫釉(チョンシユ)が話す傍で娘は朱蘭(ジュラァン)と茶について話して居る。

二十両刺し四本一擔、二十三両刺し四本三擔も有ると商売人らしく、ついでの様に挟んでいる。

故郷の薛(シュェ)家から出る時の三倍以上に、京城(みやこ)では為ることも有るというと驚いている。

味と香にはうるさくとも商取引までは聞かされていない様だ。

「武夷の洲茶も来たの」

「二百擔きていますわよ」

「飲んでみたい」

店で見本を受け取って孜(ヅゥ)の分も淹れて皆で味わった、朱蘭(ジュラァン)は後で「残り香を」と言われても困らないように順に壁際に並べて置いた。

「安い茶だと馬鹿にしていたが、入れる人でこうも変わるか」

鄭紫釉(チョンシユ)は番頭に「どのくらいなら商売に為る」と聞いて二人で孜(ヅゥ)の知らない言葉で話し合っている。

「鄭興(チョンシィン)へいくらで売る」

一擔八両刺し七本と言うと即座に「百擔買おう」と即決だ。

番頭と話して居て「来年に寿眉が八両、武夷洲茶は一芯二葉九両を切るならともに五百は引き受ける」と孜(ヅゥ)を喜ばせてくれた。

寿眉が一芯二葉と三葉の混ざりだと心得た言い方をした。

「さて鉄観音だ」

番頭も鄭紫釉(チョンシユ)も真剣な眼ざしだ。

「新しい茶というが、前のフォンシャン(皇上)がご健在の頃に鉄観音と名乗らせたというが、京城(みやこ)の者が知らないのになぜそういう話を広めた」

「それはこのお茶を広めようとしている人とは違う人たちです」

「断言できるのかね。家で売り出したら、そんな話を広めて売りやがってなんぞ言われても困るんだ」

インドゥが店から顔を覗かせて「俺が請け合う、今度のは十年かけて増やし、三番までの完成品年間二万斤まで来て、孜(ヅゥ)に一万八千斤百五十擔を売らせることに為った」と部屋へ来た。

「こりゃ若様、じゃご一緒に回られたんですか」

「若様はもう勘弁してくれ、十年以上やめろというのによ。権洪の代わりに来てくれたんだ。そいつら去年までのは自信がないからと名無しで広州(グアンヂョウ)へ売っていたそうだ」

娘が誰と朱蘭(ジュラァン)に聞いている。

「わぁ、じゃ鳳凰の本物を持ち帰ったという方。味わいたいものね」

遠慮ない娘のようだ。

「女儿(ニィア)かい」

「一番下の跳ねっ返りで」

「爸爸(バァバ・パパ)に連れて来てもらいな。公主が自分で買って来たように自慢するぜ。ただな、毎年の献上品ほどの老樹とは違うぜ」

「いつでもいいの」

「爸爸(バァバ・パパ)は何時でも約束無しで来ているぜ」

「私知らない」

「公主様にお前のような跳ねっ返り連れて行けるかよ」

「でも今度はお許しが有るからお願いね。有難うございます哥哥」

「これ、失礼なこと言うんじゃない」

「だってこの人が哥哥だって言うんだもの」

「あっ、私の妻子(つま、チィズ)の朱蘭(ジュラァン)と言います」

孜(ヅゥ)は取引で頭がそこまで回らず紹介もして居なかった。

話が取引に戻り帳面で孜(ヅゥ)が確認してもう一枚丁寧に書きだした。

鉄観音

春前茶一芯一葉一擔四十一両刺し四

明前茶一芯二葉一擔二十九両刺し二

雨前茶(明後茶)一芯三葉一擔二十三両刺し四本

「今回はその後の四番は取引しておりません」

番頭と数字を見て「もう一度味見したい」と云うので朱蘭(ジュラァン)が新しく用意した。

「これは鉄観音がまだこの淹れ方が最善というものがないので、武夷肉桂と同じ淹れ方です」

朱蘭(ジュラァン)はすべてに回る様に二つの茶器の揃いを用意した。

蓋碗と茶杯は湯を注ぎあたため、湯をきった蓋碗に茶さじ二杯の茶葉をたっぷり入れ、熱湯を注いだ。

蒸らしに小さな砂時計で測り蓋を少しずらし、指で蓋を押さえながら茶杯に三回に分けて注いで配った、一つが終わると同じ事を繰り返して残りの者にも配った。

白い茶杯に注がれた茶は琥珀色をしている、六っの茶杯の色は同じに見えた。

二つの茶器の揃いは自分の脇へ置いてある。

「二番を淹れて呉れ」

又同じ繰り返しが行われた。

番頭は「三番も」と催促して来る。

四番、五番と進んで満足したようだ。

「いけますね」

その後はまた不思議な言葉だ。

「鉄観音三種、十擔ずつ買わせてもらおう、それと武夷正岩茶肉桂(ウーイーイェンチァロォゥグゥィ)の半端だが全部売るなら引取る

「口開けした擔は俺に買わせてくれ。そのくらい外に出ても良いだろ」

インドゥ壺の物との違いが出るか試したいようだ。

「もちろんです。哥哥にはお世話に為るつもりですから」

哥哥という言葉を使って何か目論んだようだとインドゥは思っている。

インドゥが権洪(グォンホォン)と部屋を出て何か指図して戻ってきた。

鉄観音春前茶一芯一葉-擔四百十四両

鉄観音明前茶一芯二葉-十擔二百九十二両

鉄観音雨前茶(明後茶)一芯三葉-十擔二百三十四両

白毫銀針一芯二葉-十擔百三十四両

寿眉(ショウメイ)一芯二葉三葉-百擔六百六十両

武夷洲茶(ヂォゥチャ)一芯二葉-百擔八百七十両。

武夷正岩茶肉桂(ウーイーイェンチァロォゥグゥィ

明前茶一芯二葉-十一擔二百七十四両刺し二

「一擔二十両刺し四本、三擔七十両刺し二本(二十三両刺し四本)、四擔百一両刺し四本(二十五両刺し四本)、三擔八十二両刺し二本(二十七両刺し四本)」

二百五十一擔、二千八百七十八両刺し二本と計算が出て番頭が算盤で確認した。

孜(ヅゥ)は店へ同じものを書いて揃える様に頼んだ。

「鄭興(チョンシィン)へ届けてくれ。戻ったら金を用意する。銀票で好いかね」

「はいよろしくお願いいたします。今日の方がよろしいですか」

「今からだと申には大丈夫そうだな」

「はい、しかと賜りました」

朱蘭(ジュラァン)が鄭紫蘭(チョンシラァン)を暫く預かると連れて出て戻る前に身支度を済ませた。

 

鉄観音の売り先が不安だったが三種それぞれ五十擔がすでに三十擔ずつ捌けた。

三千九百両が二千八百二十両売り上げた。

 

 

その晩孜(ヅゥ)は朱蘭(ジュラァン)の働きをほめてくれた。

「男では気があそこまで回らない。よくお嬢さんを連れていって呉れた礼を言わせてくれ」

「ニィン(您・貴方)、フゥーチィー(夫妻・夫婦)ですもの助け合うのは当たり前です」

二人はお互いを信頼できる丈夫(ヂァンフゥー・夫)、妻子(つま、チィズ)と尊敬し有っている。

寝床で二人は服を脱ぐと堅く抱き合って口付けを交わした。

それだけでもう朱蘭(ジュラァン)は高ぶっている。

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

朱蘭(ジュラァン)の我慢の限界が近く身体をのけぞらして譫言の様に訴えて来る。

「行くよ行くよ」

「きてきてきて(グオライ、グオライ、グオライ)

精を受けて朱蘭(ジュラァン)がシーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」と声を上げ二人は到達した。

 

孜(ヅゥ)は倉庫、店舗、住居の新築願を出して許可を待って三棟の蔵と店舗、住居を内城神武門北側鼓楼の有る地域を選んで建てている。

その鼓楼には乾隆帝の初期に改築された鐘楼が有り、鉄製の大きな鐘が置いてあり吊るされているのは銅鐘だそうだ。

万寧橋を北へ渡り、地安門火神廟を左に見て治安門大街を半里も進まぬうちに東へ入る方甎廠胡同がある。

大街側へ卸売りの応接店舗に二階を倉庫、小売店舗は二階が住み込みの手代の住まい、裏に小ぶりだが高さの有る三棟の蔵がある。

自分たちの住まいは前庭を造り表通りから一段高い蔵で隠れて見えない様にして、小ぎれいな東向きの家を建てた。

甎廠胡同(ファンヂゥアンチャンフートン)は小売店の南側の東西の道だが、孜(ヅゥ)の家を取り巻くように裏手にもその名がついている。

その道を挟んで貸家を八軒建て、配達の常雇いや店員の住まいとした。

最初は二階住まいと思ったがインドゥや宜綿(イーミェン)が二尺も土盛りをして建てればいいと図面も引いてくれた。

鐘楼の鐘の音は桂園茶舗でも大きく聞こえたが、近くによっても音は屋根の上を超えて行くようで、気に為る響きではないのが分かり決めた土地だ。

店舗が西向き、南向きだが奥へ長く作り陽が商品に当たらぬ工夫もした。

地安門火神廟と鼓楼の間の地区は再開発が進んでいる、鼓楼もこの年に改築が終わり刻を知らせる太鼓は辰と申に鐘の後で打ち鳴らされている。

屋敷が多くまだ人は少ないが、公主府(元の和第)にも近く、豊紳府へも桂園茶舗へも四半刻も歩けば行き着く。

外城の小売店は外城瑠璃廠西にある東椿樹街に売り家を買い入れ、今は桂園茶舗の分店として手代三人を置くことにして人探しをしている。

 

 

英敏(インミィン)は戻ってみたら宋太医の南側に盛り土がされて家が建て始められていた。

北側端の東の門から入り、奥で折り返して東側門の上に為る場所が玄関だ、西と南は運河の土手で一段低い、船で来ればそこからも入れる。

脚が丈夫なら東の門の左手に玄関への階段もある、隣の宋太医と同じ高さだ。

旅に出た後ペィヂァンが手に入れて許可願を英敏(インミィン)に代わって出してあった。

「俺の代診もしてもらう都合で傍に縛り付けるつもりだったが、まさか妻子(つま、チィズ)迄連れて帰るとは驚きだ」

そう言って地券など必要書類を景鈴(ヂィンリィン)へ預けた。

景鈴(ヂィンリィン)は胥幡閔(シューファンミィン)から開業医の心得、産婆の手ほどきから家事の手抜き迄教わっている。

留守番代わりに老媼を雇ったら耳が少し遠い、お目見えの時は気が付かなかったが、掃除が上手なのでそのまま雇っている。

景鈴(ヂィンリィン)が朝の火起こし、食事の支度をしている間に、拭き掃除を老媼(ラォオウ)がするのが日課だ。

 

 

インドゥは京城(みやこ)へ戻ると資産の配分を始めた。

劉全の運用していた「結」代々の蓄積された銀(かね)は和国、寧波、広州など幅広く分散しており五千万両分が「結」へ投資してあり、引き上げや纏めることはしないと改めて通達した。

互助組織が十分機能している物をわざわざ手を入れることは無いと判断した。

大きく分けると十の「結」が有り平大人が康演(クアンイェン)の意見を入れて龍莞絃(ロンウァンシィェン)が統率をし、平関元(グァンユアン)は和信(ヘシィン)の参謀にすると主な「結」の指導者に伝えた。

これは豊紳殷徳(フェンシェンインデ)の軍師は昂潘(アンパァン)、後見が平文炳(ピィンウェンピン)、平儀藩(ピィンイーファン)に近い形にする一歩だ。

「御秘官」は平儀藩(ピィンイーファン)と康藩(カンファン)の話し合いで城内の太監組織は解散と決まった。

嘉慶元年から二人が五年かけて漸く解散までこぎつけた、銀(かね)もしくは地位と引き換えだ。

 

劉全から委託された銀(かね)の内、現銀五百万両相当、金塊百万両相当が和国に溜められている。

それは寧波(ニンポー)集団を通じて二十軒の和国、清国の廻漕業者へ投資され儲かった実際に使える金だ。

「御秘官」の方も受け継ぎを平儀藩(ピィンイーファン)から申し出があり「御秘官」の組織が隠匿した銀相当二千万両と和国の金貨にして百万両の金塊を改めて分散することにした。

「御秘官」貸付金が三千万両、これは「結」が引き継ぎだけして返済は求めないと通達させた。

銀二千万両相当、金塊百万両相当は満、蒙、漢に分散秘匿された。

インドゥが急いだのは宜綿(イーミェン)が二人とも早ければ五年遅くも十七年の命というからだ。

インドゥ、宜綿(イーミェン)揃ってと言うからには悪疫もしくは体に潜む遺伝でも有るのだろう。

あの元気だった母がわずか五日寝込んで亡くなったと聞いた時、いつか自分もと覚悟はできている。

インドゥも五十は無理だなと思っていたので信じて行動を起こした。

又宜綿(イーミェン)は遅くも一年以内に直隷省、京城(みやこ)を大災害が襲うという。

その備えにも結に漕幇(ツァォパァ)の力が必要と判断した、自分と切り離すことで自由に行動できるように平大人に頼み込んだ。

 

 

嘉慶六年一月一日(1981213日) 

年が変わると毎日のように客が訪れている。

権洪(グォンホォン)と孜景園(ズジンユァン)は二人の子を連れて来て子供好きの公主は大喜びだ。

権孜(グォンヅゥ)が薛朱蘭(シュェジュラァン)と翌日来ると「嬰児(インアル・ややこ)はまだなの」と不満そうだ。

楊與仁(ヤンイーレン)が汪美麗(ワンメェィリィー)と男孩(ナンハイ・男の子)を連れて来て豊紳府は賑わった。

孜(ヅゥ)が「来月は與仁(イーレン)さんに河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から福州(フーヂョウ)迄回って支払いや仕入れをしていただきます」と報告が有った。

「五か月くらい留守か」

「哥哥、二月三日に出て七月末までには戻るつもりです」

「メェィリィーも子を抱えて大変ね」

「どうせ糸の切れた凧と同じで当てになりませんから」

「あら、哥哥は與仁(イーレン)が旅で頼りになるといつも褒めているわよ」

「哥哥のお供なら勝手は出来ないので安心ですが」

「何か不安なの」

「昂(アン)先生から五月六月は付き合えないというので一人じゃ女あさりで仕事に為るやら」

「まぁ、信用無いのね」

「老椴盃(ラォダンペィ)へ勤めて三日の私を口説くくらい手が早いですから」

「口説かれたの」

「こらこら、そんなこと言いだすな」

與仁(イーレン)が慌てだした。

「聞きたいわ」

「買范(マァイファン)の旦那が茶の入れ方が上手いと引き抜いて下さったばかりなのに手が早いったら」

「口説かれちゃったのね」

「そりゃ」と言って絶句している。

「じゃなぜ一緒になったの」

「孜漢(ズハァン)の旦那と来て、買范(マァイファン)の旦那に嫁に欲しいと直談判ですよ」

「それでも好いとこあると思って一緒になったんでしょ」

真っ赤になって下を向いてしまった。

「與仁(イーレン)白状しなさいよ。手を出したんでしょ」

追及は激しい、二人は子供を抱いて早々に逃げ出した。

 

二月一日、暖かくなるとフォンシャン(皇上)は王之政(ゥアンヂィヂァン)にインドゥ、宜綿(イーミェン)、蔡英敏(ツァイインミィン)の四人を呼び出した。

「半年薬酒を呑んでの変化は報告を受けたが。まだ何もないではわからん」

王神医(ゥアンシェンイィ)は「三年続け何も起きないという事なら効果ありということですが、半年では無理です」というしかない様だ。

「福州の子を成したという話、確認した。誕生日の祝いを二人ともしたそうだ。父親も健康で遠出までは無理でも息切れはしないそうだ」

「ありがとうございます。これで私も大きな顔で福州(フーヂョウ)へ戻れます」

「戻れるとでも」

「フォンシャン(皇上)が服用しない以上三年は殷徳(インデ)様も宜綿(イーミェン)様も報告のしようが有りません。一度は福州で置いてきぼりしてきた患者も様子見に行きませんと」

「それだ、序でじゃ鳳凰で薬草の手入れ状況も調べてまいれ」

「いかんぞ」インドゥおはちがこっちへも来そうだと警戒を強めている。

「インドゥ、お前の心うちなぞお見通しじゃ。護衛を命じる」

宜綿(イーミェン)、俺は助かったと顔が緩んだ。

「ばかもん、お前もじゃ宜綿。それと蔡太医お前も勉強に着いて行き、王之政(ゥアンヂィヂァン)の後を継げるように勉強してまいれ」

養心殿太監の環奄(フゥァンイェン)が休暇許可状を四通持ち出した。

二月一日発布と大書してある、仕事じゃ無いということは自腹覚悟のようだ。

南京の両江総督費淳(フェイチュン)と福州に居る閩浙(ミンジゥー)総督(福建・浙江の総督)玉徳(ユデ)、さらに広州で両広総督吉慶(ギキン)に会って民情調査もしてまいれと言う。

「これだと南京と広州では大分刻が掛かります。福州、広州だけとは往きませんでしょうか」

「そうかな、前回福州(フーヂョウ)、汕頭(シャントウ)まで行った道をたどればちょいと船で広州じゃ」

誰か入れ知恵でもしたようだ、例の災害の起きた時、得意顔されるのも癪だし、居なけりゃ逃げ出したと言い掛りも付けられる。

 

四人で御前を退出して神武門から出て與仁(イーレン)の興藍行(イーラァンシィン)へ向かった。

「おい、メェィリィー喜べ。與仁(イーレン)はまたお供だ。南京(ナンジン)、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から広州(グアンヂョウ)まで行くようだ。経費もこっち持ちで商売も出来る。店の銀(かね)が浮くからお前さんの土産でも強請っておけよ」

嬉しそうに「いつお出かけに」メェィリィーが聞いてくる。

「五日後ぐらいだな。どうせ乗り合いで日も掛かるだろうと踏んでいるだろうが、雇なら河口鎮まで早く付くはずだ。用心棒は頼んだのか、連れて行くぜその経費も持ってやる」

「断りばかりで困ってんですよ。なんせ大きな銀(かね)を持っていくんで心配してましたのさ」

 

 

あわただしく災害の予兆は五月の末、公主府(元の和第)へ避難、豊紳府は姐姐(チェチェ)が指揮を執り、貧民救済の手巡に従い行動をする様に改めて話をした。

劉全の造り上げた貧民救済組織はバラバラで使いものにならない。

宜綿(イーミェン)の家族もその場で確認し、子供たちは公主の言うことに従うように言い聞かせた。

龍蘭玲(ロンラァンリィン)は産み月が近くなるので公主府(元の和第)へ五月に入ればすぐさま子供たちを連れて移るように決めた。

産婆の王李香(リーシャン)も五月までには公主府(元の和第)で内城、外城の産婆と連絡網を造り、妊婦の名簿と壮丁を頼んでおくようにした、災害のさなか妊婦の救済は手を拱くだけでは困る。

 

時期が当たれば荒れた田畑で米麦の今年の収穫は見込めないと、王神医が心配し、宋太医の協力者が甘藷と馬鈴薯の親芋を六月末までに一万ずつ揃える手配を始めている。

手配できる範囲を永定河、通惠河(トォンフゥィフゥ)の間の農地を二十の区画に分けて京城(みやこ)の景山北七十里の南口鎮と與寿鎮で種芋を寝かしている。

水が出たら即準備と人に銀(かね)もその二箇所で銀千両集めた。

 

風雨の災害の為に二人で運べる小さな船は七人程度乗れるので、あちらこちらに三十艘まで用意できた、後ふた月で二十艘は完成させるという。

三月から豆類、米、麦、玉米(ユゥミィ)に乾麺の買い置きを増やすこともすでに指示してあり、去年から救済時の炊飯用に増やした孜漢(ズハァン)の菜店厨房も二階建てにすでに十か所用意でき買い置きをした物の倉庫にしてある。

其処には三人乗りの小舟も置かれている。

銭は三百銭に銀の小粒を六百集めて厨房の調理人に孜漢(ズハァン)が分散して持たせてある。

「あと忘れている事もあるだろうから、姐姐(チェチェ)が司令官だ。銀(かね)が必要なら孜漢(ズハァン)なり権洪(グォンホォン)が用意してくれる」

公主には皆の心の支えになって呉れと頼んで出かけた。

 

 

五城

東城-東至外城東城垣,北至内城南城垣,南至外城南城垣,西至崇文門外大街。

西城-自宣武門外大街西至外城西城垣,北至内城南城垣,南至外城南城垣。

南城-自崇文門外大街西至三里河街,北至内城南垣,南至天壇。

北城-自宣武門外大街東至石頭胡同,北至内城南城垣,南至外城南城垣。

中城-自正陽門外南至永定門、東至三里河,西至石頭胡同(現今大柵欄西街西口)。

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王之政(ゥアンヂィヂァン)にインドゥ、宜綿(イーミェン)、蔡英敏(ツァイインミィン)に與仁(イーレン)と丁(ディン)の六人旅だ。

昂(アン)先生も来たがったが貧民救済に、妓女たちの救済にと指揮するものが必要だと残ってもらった。

元老梁(ラァォリィァン)の阮絃(ルゥァンシィェン)にも昂(アン)先生の手助けは頼んである。

城外の貸家の為に二階建ての娯楽施設の名目で三か所建て百人は寝泊まりできるようにし、その管理も引き受けて貰わなければ為らないとインドゥが説得した。

城外の通惠河(トォンフゥィフゥ)が溢れても二階なら水没は免れると思っての事だ。

去年から外城の東城に三十軒の二階建ての貸家も建て、其処も大家になって呉れと言われて引き受けさせた。

與仁(イーレン)は去年十月に環芯(ファンシィン)、権洪(グォンホォン)など界峰興(ヂィエファンシィン)育ちの仲間の推薦で結に認められた。

孜漢(ズハァン)に「お前の一番の仕事は哥哥の金庫番」。

権洪(グォンホォン)達には「茶の仲買に動けるのは世の中を知っている與仁が適任だ、俺たちの足になって呉れ」と煽てられた。

孜漢(ズハァン)の所から二人選んで事務と応接をさせ、小僧も三人連れてきて結の仲間の便利屋を始めた。

出かける前に二人に「頑張りゃお前たちも孜(ヅゥ)みたいに独立できる。口利きを頼まれたら誠意を持って対応してくれ」と半年分の給与と別に活動費に一人二百両を渡した。

「難しい事は孜漢(ズハァン)の旦那に相談しろ」

二月五日に出られる迄の支度が出来た。

王之政(ゥアンヂィヂァン)は戻る必要があるので、夫婦者を雇って家の管理をさせることにした。

内務府は一人銀二百両の給付を十両銀票で四人分出してくれた。

與仁(イーレン)は「私と丁(ディン)はなしで、歩きの分だけ計算したようで。六人で福州から船で広州往復すれば飛んでしまいます」という。

「良いさ。福州までは俺が持つんだ、大船に乗った気で気楽に行きな。孜(ヅゥ)から五千両来たからそれで福州(フーヂョウ)往復しても贅沢できる」

「私へ茶の買い付けで五万五千も渡されました、権洪の分もあるようです」

「あの二人思った以上に才覚がある。半年で五千は儲けたようだ。また旅だと言いに行ったら桂園茶舗に見慣れない女が二人いたぜ、妾だといけねえと思って聞きそびれた」

「ありゃホォンの妹達ですよ」

「大分前に嫁入りと聞いたが出戻ったのか」

「違いますよ。ほら景園(ジンユァン)がまた腹が出て来たでしょ。それで妹妹夫婦を二組呼び寄せたんですよ。家族が増えて岳父母が新しい隠居所へ出た後へ一組と孜(ヅゥ)が居た家に一組。男の方は孜(ヅゥ)の方甎廠胡同(ファンヂゥアンチャンフートン)の店で働いていますぜ」

その方甎廠胡同の店は「桂園茶舗分店」の儘で独自採算にしたという。

旅の冊紙も新しく成ったら旅程が短くなっている。

本好き仲間の言うには「前のは明の時代の里で出してある」のだそうだ、なんなんだと大笑いだ。

通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲の船着きから長江(チァンジァン)まで二千七百八十里が二千百九十二里と計算したらそうなった。

與仁(イーレン)が「だもの内務府が此方の思惑より少ないのはそのせいだ」と冊子を出したものに文句が言いたいと騒いでいた。

「前回の五百両よりましさ」

宜綿(イーミェン)が宥めている。

 

六日の夕刻、天津まで夜船で出て二日かけて鎮江(チェンジァン)迄の船を見つけた。

九日に天津(ティェンジン)を出て、長江(チァンジァン)を超えて鎮江(チェンジァン)へ三月二日に到着。

飛燕(フェイイェン)達へ「四日に出て五日には遅くもつく」と早の早で手紙を送った。

與仁(イーレン)の子は大きくなっている、天津(ティェンジン)で大分と土産を買いこんで来ている。

晴れが続き、源泰興へ五日申の正三刻に着いた。

手紙は着いていたが源泰興は一部屋、辯門泰へ三人、芯繁(シィンハン)酒店へ二人と別れることに為った。

公遜(ゴォンシィン)へも手紙はついたと飯の後で遣ってきた。

結の仲間を一人連れて来た、昔飲み比べをした運漕業の呂(リュウ)だ。

三艘の内一番大きな船をと頼んだのでその話し合いだ。

千擔までの茶を積め河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄入れるのはそうは持って居る船主は少ない。

「三日待ってください。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄と帰りに京城(みやこ)迄、それからなら行きますから」

「丁度そのくらい公遜(ゴォンシィン)たちとも打ち合わせで潰すつもりだ」

與仁(イーレン)と運送費は話し合ってくれと頼んだ。

 

翌日が王神医(ゥアンシェンイィ)と二人で総督府へ出て、命じられた民情の聞き取りだ。

あちこち役所を巡っていたら日が暮れた。

 

 

次の日は江蘇巡撫岳起(ュエチィー)が暇乞いに来ていると聞いて貢院街(ゴォンユァンヂィエ)の宿へ会いに行った。

街の説教師の語りに和珅(ヘシェン)に賄賂を要求され、石ころをつめた箱を贈ったと伝わる男だ。

昨年両江総督代理を務めていたそうで豪放磊落な男はインドゥに「石ころはいくら聞いてもおかしな話だ」と自分で笑いながら誰が流したかと疑問に思っているようだ。

インドゥが見ても苦しそうな息使いだ。

王神医(ゥアンシェンイィ)が脈を見たが首を振っている。

京城(みやこ)へ呼び戻されたという、五十を過ぎて子供もなく、質素な生活で我慢してくれる妻子(つま、チィズ)に残す財産もわずかだという。

「延命は無理でも京城(みやこ)へ戻れるだろうか」

「街で薬剤を探して調合し処方を書いて届けます。未には此処へ戻りますのでそれで半年は体が辛く苦しむことは無いはずです。私も其れ迄には京城(みやこ)へ戻っているはずです。宋太医に相談してください」

薬房を回って薬を買い集めた。

 

 

南京(ナンジン)三月八日、平康演(クアンイェン)が来た。

次男に店を任せてきたと言う「関元(グァンユアン)と違って真面目過ぎる」と贅沢な悩みだ。

蘇州、無錫は何も起きずに平和だという。

「関元(グァンユアン)の野郎いまだに子供の報告をしやがらねえ」

「何人いるんだ」

「杭州(ハンヂョウ)に二人。福州(フーヂョウ)に二人。あと広州(グアンヂョウ)に居るらしいがフゥチンも分からないそうです」

「杭州(ハンヂョウ)は一人だと思っていたが」

「大晦日に産まれたそうですぜ」

平大人に康演(クアンイェン)の眼は節穴じゃない。

災害の後、天津(ティェンジン)から先へ行かれるようになったら食い物に衣服の配送を頼んであるのでその調達に来たそうだ。

「哥哥の銀(かね)は私んとこには一万五千あるので全部使いますぜ」

「足りないときは請求するんだぜ」

京城(みやこ)では阮絃(ルゥァンシィェン)の知り合いの蔡永清が受け皿で古着が集まって来ている。

康演(クアンイェン)の方は内務府の手の届かない地区への援助だ、難民が京城(みやこ)へ押し寄せないために、通州から南の天津(ティェンジン)との間の被災民を助ける約束だ、二人は笑って別れた。

 

 

九日、弟弟(ディーディ)は内弟の莞幡(ウァンファン)に会いに出かけて龍雲嵐(ロンユンラァン)の縁談が纏まりそうだと聞いてきた。

十七歳だから早いという訳でもないが「見た目はまだ子供だしな」と心配している。

二人で祝いの品を買いに出て持ち帰ると檀公遜(ゴォンシィン)に決まったら届けてくれるように頼んでおいた。

十日に南京(ナンジン)を船で出て十九日に九江(ジョウジァン)へ着いた。

二十日に九江(ジョウジァン)を発って鄱陽湖(ポーヤンフゥ)へ入り、信江(シィンジァン)を登った。

 

三十日未に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)の官埠頭の河下の波止場へ船をつけた。

南京(ナンジン)で打ち合わせたように戻る前に四日、此処へ滞在してもらう予定だ。

呂(リュウ)は「船を係留したら渡し船で来る」というので泊まる宿の手配があるので船子を一人連れ、河口二堡興帆(シィンファン)酒店へ向かった。

十二人と云うので呂(リュウ)たち八人と與仁(イーレン)と英敏(インミィン)にインドゥと宜綿(イーミェン)にして王之政(ゥアンヂィヂァン)を臨江(リィンジァン)飯店と思ったら王之政(ゥアンヂィヂァン)が前に泊まって気に入ったからここにするという。

「では私と與仁(イーレン)で臨江(リィンジァン)飯店へ泊まれるか聞きに行ってきます」

店主に今晩十四人の宴席の用意が出来るか聞くと嬉しそうにうなずいたので酉までに用意してくれと頼んだ。

廟完磯頭(ミィァオウァンヂィトォウ)の渡し迄、道案内に一人つけて貰って出迎えに船子を出かけさせた。

よたよたと妊婦が老夫婦と入って来て與仁(イーレン)に抱き着いて泣きわめいている。

化粧はないが美人顔の星星(シィンシィン)だ。

「ニィン、ニィン(您・貴方)」とそればかりだ。

「おいおい、もう産まれそうなのにどうしたどうした」

「薄情もん。お前の子だどうしてくれる」

老夫婦も困っている。

「どうもこうもない丈夫に産んでくれ」

「旦那さん、あと十日ほどで生まれると産婆が」

老夫婦が與仁(イーレン)に説明している。

インドゥに宜綿(イーミェン)、王之政(ゥアンヂィヂァン)も蔡英敏(ツァイインミィン)も丁(ディン)まで頭で何時仕込んだと勘定している。

「あの船出のお参りが後押ししたか」

「どうもそうらしい」

王神医(ゥアンシェンイィ)が座らせ、脈をとって「子も母体も健康だ」と皆を安心させた。

「なぁ、星星(シィンシィン)聞いてくれ。俺はお前の婿にはなれない、だが子供とお前さんが困らないくらいの面倒は見させてくれ」

「何大きいこと言ってんだ、たかがお供のお前に何が出来る」

さっき縋って泣いていた女と思えぬ権幕だ、インドゥが仲立ちに入った。

「なぁ、俺達の事少しは聞いているだろ」

「妻子(つま、チィズ)が公主様、それと其方が董(ドン)の旦那の首領(ショォリィン)様」

「あと、このお二人はフォンシャンに皇貴妃(シェングイフェイ)様の脈も採られる太医様だ。俺たちが與仁(イーレン)の言うことを保証するよ。星星(シィンシィン)と子供、星星(シィンシィン)の父母(フゥムゥ)が生活できるように保障する。安心して子供を産んでくれ」

落ち着いて話を聞くと與仁(イーレン)が旅だった後、噂を聞きつけ、俺なら落とせると客が増えたが、妊娠が分かると潮が引きように客が半分に為ったという。

店も自分が遣れればもう少しと思うが弟弟(ディーディ)夫妻(フゥーチィー・夫婦)では客が納得しない、前の様には行かなくなったという。

高い食材を使うだけでは客が納得しない様だ。

「昔旦那が亡くなったと聞いたが係累は居ないのか」

「弟弟(ディーディ)の妻子(つま、チィズ)が旦那の侄女(ヂィーヌゥー・姪)です。あとは身よりは無いそうです」

「この際、弟弟夫妻に正式に見世を譲って與仁に身柄を任せないか。お供にゃ違いないが京城(みやこ)じゃ人を使って仕事は繁盛している。その店の支店を此処で遣らないか」

「何の店です」

「前来たとき茶の取引をしたのを覚えているか」

「はいそりゃ評判ですから」

「南京(ナンジン)、上海(シャンハイ)、京城(みやこ)の茶問屋の下請けだ。口銭だけでも年二千は下らない、其処から手当てを貰うが良い」

「ここで人を使うほど商売が有りますか」

「上饒(シャンラオ)、星村鎮(シンツゥンチェン)、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)の分が星星(シィンシィン)お前さんを通じて動かせれば與仁も年一度の往復で済む。其れとも良い服で上品に日を過ごしたいか、それなら手切れ金をたっぷり取ってやる」

「いやですよそんな事、金で別れろなんて御免です」

老夫婦が昔此処へ呼ばれるまで小さいながら広州(グアンヂョウ)で茶舗をしていて「外甥(ワイシォン)夫婦に店を譲り此処へ参りました」という。 

年を取って出来た娘と息子可愛さに遣ってきたという。

「弟弟(ディーディ)は私と違って地道な飯店をしたいと言っています。私が手を引けば店も良い店に為るはずです」

分かってはいるようだ「與仁(イーレン)、お前千両出して店を遣れるようにしてやれよ。軌道に乗るまで月に五十出せ」と強(きつ)く言った。

「はい承知しました。父母(フゥムゥ)今の所かどこかいい場所があるかい。客が毎日に来るわけじゃないから繁華な場所の必要はないんだ」

「隣が空き家です。そこは娘の物なので店構えにすれば私たちが普段茶でも飲みながら留守番が出来ます」

「じゃ乳母(おんば)さん一人と、茶を出すのが上手い女を雇ってくれ。そいつは店の経費で計算する。銀(かね)勘定は星星(シィンシィン)に任せるよ」

「この辺りじゃ住み込みで二食付けて年五両が相場です」

「そんなに安いのか。女は生きるのも大変だな。お仕着せも持ってやってくれ。待遇も能くすりゃ客の扱いも丁寧にやるだろう」

與仁(イーレン)とインドゥが付いて星星(シィンシィン)の家まで送った。

天后廟に五人で無事に子が生まれる様に祈願し家へ送ると、臨江(リィンジァン)飯店へぶらぶらと向かった。

 

鈴凛(リィンリィン)が子供を抱いて店にいる。

「なんだどうした」

二人とも星星(シィンシィン)で驚いたばかりだ。

「一月の晦日に生まれましたよ」

「もしかして帰りの時、具合が悪いというのは」

「あの後医者が妊娠間違いないと」

子供を抱かせてもらって名を聞くと佳鈴(ジィアリン)だという。

「星星(シィンシィン)と言い驚く話ばかりだ」

「おやもう聞いたかい」

「聞いたどころか興帆(シィンファン)酒店へ怒鳴り込んできた」

「まさかあのお腹で出来やしませんよ」

「怒鳴り込むは大袈裟だが與仁(イーレン)に縋って泣いて大騒ぎさ。其れより部屋は二つあるか」

離れはまだ空いているというので入ることにして「今晩は船頭も含めて興帆(シィンファン)酒店で酒盛りだから飯は好いよ」と汗を流しに案内してもらった。

部屋へ戻ると鈴凛(リィンリィン)が来て膝の上に座って口付けをして喘いでいる。

「悔しいけどもう少し我慢してくださいね。ふた月というけど産婆が三月は我慢しろと云うの。浮気でもすると思っているみたい」

背中を預け服の上から乳房を押さえて貰うだけで気が行くようだ。

「なぁ、もう少しというがこれが帰りとは思わないのか」

「うふっ、今日の船は南京からと船頭が波止場で喋っていたと聞きました」

「もうばれているのか」

「さっきの星星(シィンシィン)の続きは」

「ああ、男はお供だから自分で育てると気負っていたようだ。イーレンが銀(かね)を出して自分の店の支店に為れと父母(フゥムゥ)にも了解が取れた。生活に昔のような派手なことは出来なくとも親子に父母(フゥムゥ)の四人が苦労することは無いはずだ」

「あのお供さんそんな銀(かね)が」

「ああ、もう供についてくれて八年に為るのでな。他の者より気が利いているので今回も来てもらったが、京城(みやこ)に店もある稼ぎのいい男だ」

與仁(イーレン)が部屋を出たのを聞きつけて慌てて店へ出て行った。

「逃げて行きましたぜ」

「はは、産婆に浮気でもするかと三月は男を我慢しろと言われたそうだ」

「三月は長いですね」

「産婆の王さんな」

「はい」

「月の物が来て二回すぎてからだと姐姐(チェチェ)が聞いたそうだ」

「覚えておきます」

 

 

翌四月一日、今日は薬酒の日だ、王神医は勘定が面倒なら一日決めで飲めというので月三回飲んでいる。

丁(ディン)が重いのに二人の半年分を背負ってきた。

福州(フーヂョウ)に大分と作り置きが有るから帰りにまた背負うようだと言っていた。

「千両誰から取ります、フォンシャン(皇上)は払いませんよ」

「悪縁だと思ってあきらめる。せいぜい美味い物を食わせてくれ」

一度薬草を煎じたほうを呑んだが苦い、わざわざ苦い薬剤と煎じるそうだ。

薬酒の方が性に合うというと宜綿(イーミェン)と二人で飲むことにされた。

おまけにフォンシャン(皇上)が呑めと命令だ。

英敏(インミィン)が仕込みを教わるのを聞いていたが十種以上の医者じゃなくとも知っている薬剤と蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)だ。

「誰でも作れそうだ」

「そりゃそうだが。儂が効果ありと云うから銀(かね)がとれる」

宋太医が言う「効き目が有ります」の呪文みたいなものだ。

與仁(イーレン)は天后廟へお参りして星星(シィンシィン)と話をして戻るとインドゥと駐防官役場-河口一堡へ向かって陳洪(チェンホォン)と再会の挨拶だ。

去年世話に為った浙江會館-河口三堡-叶(イエ)番頭も顔つなぎの挨拶回りに付き合ってもらった。

張(チャン)茶商は孜(ヅゥ)からの依頼の手紙により一擔銀三両で明前茶一芯二葉婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)六百擔を集めてくれていた。 

「手数料は一擔刺し三本で船積迄おこないます」

「いま、興帆(シィンファン)酒店まで誰かやっていただけますか。船頭がそこにいますので船積みの連絡をお願いします」

直ぐ番頭が出てゆき千八百両の銀票と口銭、脚夫(ヂィアフゥ)の百八十両を支払った。

浙江會館は今回手数料一擔刺し一本で回ってくれるという。

與仁(イーレン)は孜(ヅゥ)から一擔一両、インドゥと星星(シィンシィン)の口銭はそこから一擔刺し一本と取り決めて来た。

鉄観音の董(ドン)茶商は六十擔ずつ扱うように孜(ヅゥ)へ連絡が来ていて価格は昨年と同じということだ。

鉄観音・春前茶一芯一葉六十擔七千二百斤、一斤刺し三本二千百六十両

一擔三十六両

鉄観音・明前茶一芯二葉六十擔七千二百斤、一斤刺し二本千四百四十両

一擔二十四両

鉄観音・雨前茶(明後茶)一芯三葉六十擔七千二百一斤百五十銭千八十両

一擔十八両

船積みの脚夫(ヂィアフゥ)代は良いというので四千六百八十両の銀票で支払った。

董(ドン)茶商は手紙でも書いたが四番は百擔出るはずだという。

「帰りにも寄るつもりだがいくらで出せますか」

「斤七十五銭は向こうへ渡さないとな。此処まで運ぶのに擔当たり二両掛かる。一擔十一両に口銭で二両、十三両なら出せる」

「口約束で押さえていただけますか」

手印を見せたので與仁(イーレン)が返すと「良いだろう。七月までここに抑えて置く。遅れるなら金を届けてくれ」と鷹揚に受けた。

「七月十日までに戻れないと判れば連絡を取ります」

鳳凰鎮で確認して宋の兄弟に頼もうと頭に刻み込んだ。

「連絡方法でもある様だな」

「鳳凰山へも回るのでそこで無理と分かれば足強の男が居るので」

「もしかして宋(ソン)か」

「知ってますか」

「有ったことは無いが十日で三千里を歩くというのは聞いたことがある」

大分大げさだがやりかねない兄弟だ。

「来年はすべて百擔迄増やせそうだ。孜(ヅゥ)と幾つほしいか早めに連絡を寄こしてくれ」

「八十は必ず引き受けます。戻ったら手紙を出させます」

船積みの連絡に番頭が出てゆき、インドゥたちは一度浙江會館へ戻ってここまでの口銭を支払った。

口銭七百八十擔七十八両の伝票を貰った。

叶(イエ)番頭が「大きな船ですね」という、はいって来たのをどこの船か興味を持って調べたようだ。

「あと二百は積める」

「なら、春前茶の半端に明前茶を買いませんか」

「心当たりでも」

「武夷半岩茶肉桂明前茶一芯二葉が百五十擔、全部引取れるなら六百七十五両で仲介します。口銭は先ほどと同じです」

算盤をはじくと一擔刺し四十五本に刺し一本足して四千六百銭、與仁(イーレン)は一擔一両の約束で五千六百銭、孜(ヅゥ)が十二両以下でと言っていたので運送費も出ると応じることにして叶(イエ)番頭に六百七十五両分の銀票を預けて三人で出向いた。

話がまとまり船積みに浙江會館が刺し二本上乗せをと云うので応じた。

茶畑が違うという触れ込みで安く流すだろうと與仁(イーレン)の計算だ。

半里も離れていない浙江會館へ戻り、口銭十五両と脚夫(ヂィアフゥ)三十両の支払いをして伝票を貰った。

半端物と云うのは三軒で五十擔あった。

武夷正岩茶肉桂(ウーイーイェンチァロォゥグゥィ)春前茶一芯一葉が五擔百八十両という。

その場で支払い浙江會館へ届けてもらった。

婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)春前茶一芯一葉二十五擔にはインドゥも吃驚した。

「なんで残った」

「高いのですよ。昨年値切りすぎて農家が怒って指値を最低六両として茶市で高くて売れ残りました。一擔六両ですよ」

インドゥに與仁(イーレン)も驚いた思惑より二両は安い。

急いで百五十両支払いこれも浙江會館へ届けてもらった。

最期の一軒は廬山雲霧ルシャンユンウー)春前茶一芯一葉を二十擔も持っていた。

一擔十二両欲しいという。

與仁(イーレン)は手控えを見てそれをインドゥに見せると「まずまずじゃねえか。何か悩んでいるのか」と聞いた。

「なんで二十もここに残ったかと思いましてね」

いきなり二人がひざまずいてきた。

「申し訳ありません。私がこいつを焚きつけたんです。必ず買い上げてくれると。一月の手紙で孜(ヅゥ)さんと違い與仁(イーレン)さんならと思いまして」

「ははは、正直すぎるぜ」

「そうですね。手に乗ってみますか」

「口銭は値切らず支払わせるから気を落ち着けろよ」

二百四十両支払ってまたこれも浙江會館へ届けてもらった。

浙江會館で口銭五両と脚夫(ヂィアフゥ)十両の伝票を貰った。

三人で興帆(シィンファン)酒店へ向かって積み込みの予定を話し合って叶(イエ)番頭は戻っていった。

呂(リュウ)と南京で卸す荷の確認をした。

婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)

明前茶一芯二葉百擔

「鉄観音」(ティェグワァンイン)

春前茶一芯一葉二十擔

明前茶一芯二葉二十擔

雨前茶(明後茶)一芯三葉二十擔

合計百六十擔

半分は環芯(ファンシィン)が買うだろう。

手紙は今晩書いておくから荷済みが終われば出て良いと伝えた。

「ほかのも欲しいと言ったら値は分からないが置いていいと言われたと言ってくれ。其れでも欲しけりゃふんだくってやる」

言い方が面白いと積み荷の確認をし、笑って出て行った。

與仁(イーレン)は早速星星(シィンシィン)の元へ銀(かね)を届けに出て行った。

 

インドゥも途中まで一緒にと出て興帆(シィンファン)酒店へ入った。

「今日の取引から約束の手数料だ」

「まだ何もしてないよ」

「帳面の整理をしてくれ」

侯星星(ホウシィンシィン)が新しい帳面を渡されて書き入れをした。

「こんなに一日でまとめたのかい」

「帰るまでにこの三倍は此処を通るはずだ。俺が居ないときは星村鎮(シンツゥンチェン)の荷は数字だけ此処へ言うように話しておくよ」

九十八両の銀(かね)を置いて「ここで遣る店の今日の儲け分だ」と父母(フゥムゥ)の前で渡した。

「今朝の銀(かね)で店構えと生活をきちんとやってくれ。必要な金は俺に言うんだぜ。京城(みやこ)へ来てもいいが俺としては此処にいてくれると助かるんだ」

「任せておきなよ。あんたのためだ」

父母(フゥムゥ)が居なけりゃ今朝の様に抱きしめて貰いたい星星(シィンシィン)だった。

抱きしめて腹を撫でて貰い、おまけに口も吸ってくれた、こんなに愛しい男になってしまったと昔の自分が信じられない侯星星(ホウシィンシィン)だ。

「子供の名はどうしようか」

「男ならリンミィン、女ならシィァンリはどうだろう」

「どう書くんだい」

與仁(イーレン)は琳明と香李と達筆で書かれた命名紙を出した、今朝インドゥに書いてもらったものだ。

「書いてあるなら先に出しゃいい物を」

「気に入らないと困るからな」

與仁(イーレン)が興帆(シィンファン)酒店へ顔を出すと前を大勢の脚夫(ヂィアフゥ)が荷を鉛山河(チィェンシァンフゥ)の方から運んで来る。

「だんな、薛(シュェ)家の荷の様ですぜ」

「そのようだ。どこかの河岸に徐(シュ)老爺の船でも来ているか見に行くか」

徐海淵(シュハァィユァン)の船がそこの河口二堡に来ていると後ろの脚夫(ヂィアフゥ)頭の男が教えてくれた。

「雲嵐(ウンラン)の旦那は桐木関(トォンムゥグゥァン)で最後の荷が通るのを確認して後からきますぜ」

どうやらインドゥの顔を知っているようで気安げだ。

徐(シュ)老爺と徐海淵(シュハァィユァン)がインドゥを見つけて手を振っている。

「老爺も行くのか」

「こいつ京城(みやこ)は初めてでね。次の船は徐王衍(シュアンイェン)が二日遅れで七日に出て先に着くとえばっていやす。最後は七日後ですぜ」

四月八日の船が五月十一日、三十三日で着く予定だが遅れを見越して四十日を見ているそうだ。

雲嵐(ウンラン)からは京城(みやこ)入り五月二十五日以降の時は南京まで引き返せと指示されたという。

「與仁(イーレン)、雲嵐(ウンラン)が来たら戻りに付いて行くか。師傅に馬の手配を頼みに行こう」

三堡の先の師傅の家に向かった。

運河で仕事帰りの師傅に出会い付いて行った。

「良かった明日は予約でだれも動けませんが、四日以後なら私もお供します」

徐海淵(シュハァィユァン)の船に戻り臨江(リィンジァン)飯店に二人、後の人たちが興帆(シィンファン)酒店だと伝えて臨江(リィンジァン)飯店へ戻った。

 

 

此の少し前三月二十六日に薛(シュェ)家では多くの茶が倉庫に集まり順次河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ雲嵐(ウンラン)が率いて出て行くのを老爺が見送った。

九百人もの脚夫(ヂィアフゥ)が四日に分けて荷を運んでいる。

宿の手配だけでも大仕事だ、脚夫(ヂィアフゥ)より茶が大事にされているからだ。

桐木関で最後の脚夫(ヂィアフゥ)を確認して雲嵐(ウンラン)が関を抜けたのが三十日の未だ、本人は馬でどんどん前へ向かっている。

武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)

明前茶一芯二葉-二百擔二万四千斤

武夷洲茶(ヂォゥチャ)

明前茶一芯二葉-五百擔六万斤

船は先の船が四月五日に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)を出て五月十八日には最後の船も京城(みやこ)へ着く予定だ。

二番目は武夷洲茶(ヂォゥチャ)と言っても桐木関(トォンムゥグゥァン)付近の物で五百擔、最後は老爺の姻戚が集めた五百擔、京城(みやこ)入りは五月二十五日が孜(ヅゥ)の言う最終期限だ。

日程が無理なら南京で一時預けと指令されている。

片道四日脚夫(ヂィアフゥ)は二両だが、手に入るのは少ないが農夫にとっては大事な現金収入だ。

旨く行けば帰りの荷にもあり付けるし、少なくとも二度の仕事は確実にある。

陽が伸びて酉の鐘が鳴るのが時計で六字四十分を指している、京城(みやこ)を出た時より西欧時計で一字間は伸びた。

二人で飯を食いながら「なんか俺たち孜(ヅゥ)に使われているな」と大笑いだ。

「ドォンポォーロォゥ」だと新しい女中が出してきた肉は手が込んでいる。

鈴凛(リィンリィン)が回ってきたので聞くと今の女中の丈夫(ヂァンフゥー・夫)が料理人だという。

「去年の暮れに前の料理人が引き抜かれて、代わりを雇ったら評判が良いのよ。どう」

「美味い、これだけの味が出せるのは京城(みやこ)でも少ないぜ。手抜きをしているただの煮込みを東坡肉などと云うのもいるからな。星村鎮(シンツゥンチェン)から雲嵐(ウンラン)が来るから宴会でもするか」

「いつでもいいわよ。三十人までなら」

「そんなに呼んだらその後毎日粥でも啜って過ごす様だ」

笑乍ら厨房で「褒められたわよ」という大きな声が聞こえた。

 

 

翌四月二日は朝涼しい風が吹いている。

寅の鐘が鳴って眼が覚めた、隣に幸せそうな鈴凛(リィンリィン)と佳鈴(ジィアリン)の顔がある。

窓の外がもう明るくなりだしたので起きて庭で拳の型で汗を出した。

着替えをしている傍で朝の授乳をしている。

朝陽が高くなって、與仁(イーレン)が天后廟から戻り、粥を食べていると雲嵐(ウンラン)が遣ってきた。

「最後に桐木関(トォンムゥグゥァン)を抜けると聞いたが。もう最後の脚夫(ヂィアフゥ)が着いたか」

「午の刻頃の予定です。馬で先に来たら船で此処だというので朝飯を集ろうと思いまして」

女中が支度を出してきた。

「今晩此処で宴会でもやろう」

鈴凛(リィンリィン)が人数はと聞くので「十人以上は呼ぶ」というと「はっきりして」と怒られた。

「宴会は好いですね」

「終わったら部屋へ来てくれ」

與仁(イーレン)と先に部屋へ戻って待つと直ぐにやってきた。

「今回もだいぶ多いですが。来年は倍に増やせなんて孜(ヅゥ)から言って来ていますよ。一芯二葉だけでなく一芯一葉、一芯三葉も買ってもらうようにしないと無理ですよ」

そりゃそうだろうなと與仁(イーレン)も分かっているようだ。

「この後福州(フーヂョウ)、広州(グアンヂョウ)と回るんだがこいつの話を聞いてくれ」

與仁(イーレン)が手控えを出して折りたたんだ紙を広げた。

雲嵐(ウンラン)が「ウーム」と唸っている。

孜(ヅゥ)と與仁(イーレン)が考えた取引の増えた時の扱い方法だ。

「すごいねこりゃ」

「そうだろ。俺もこいつを聞いた時は声が出なかった」

「武夷洲茶(ヂォゥチャ)を三倍は前から取り組んでいるので五年で可能ですが、運ぶ脚夫(ヂィアフゥ)が集まりますかね」

「そら其処にある福州(フーヂョウ)大回りな。去年の話じゃ寿眉(ショウメイ)は茶商達が五年で五倍目論んでいるそうだ。反対に星村鎮(シンツゥンチェン)から閩江(ミンジァン)下りへ乗せる案なら船着きまで、一両でも何度も往復なら脚夫(ヂィアフゥ)が喜ぶ話だ」

星村鎮(シンツゥンチェン)から運送船の船着き迄一日一往復は可能だ。

桐木関(トォンムゥグゥァン)を抜けて河口鎮への手取りより分がいい。

「確かに四日で二両より美味しいですね」

四日仕事があれば四両に為る話だ差配は飛びつくだろう。

「福州(フーヂョウ)大回りの大船は南京(ナンジン)迄三千擔運ぶ。船が都合付けば都へも運び込める」

「そこから分けて河口鎮(フゥーコォゥヂェン)ですか。確かに千擔積める船三隻で運べば脚夫(ヂィアフゥ)不足は補えますね」

銀(かね)は掛かるが人不足は補えると悩んだ末の解決策だ。

実現すりゃすごい仕掛けで増やした取引分だけなら今までの茶問屋も騒がない。

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)が潤う話だ。

河口鎮より信江を下って贛江に入って、大庚嶺まで船で運こび、脚夫(ヂィアフゥ)が担いで梅嶺関を越え、再び南雄より北江に沿って広州へ運ぶというのは今と同じだ。

茶商を助ける會館も増えれば取引は増えていく。

去年陳駐防官が笑い話で言った話から孜(ヅゥ)が思いついたという。

何も福州(フーヂョウ)大回りで無く、そこから広州(グアンヂョウ)へ出せれば済むのに誰の考えで茶は船での南下禁止とされたのだろう。

「あとは運送の脚夫(ヂィアフゥ)の纏め業者の組合と折り合いがつけば可能だろう。星村鎮(シンツゥンチェン)からが無理でも、増えた寿眉(ショウメイ)だけでも扱えそうだ

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)と福州(フーヂョウ)間は脚夫(ヂィアフゥ)に二両で寿眉(ショウメイ)は一人二箱担ぎ、白毫銀針(パイハオインヂェン)は一人一箱運ぶ。

「その船に乗せればともに船賃の節約ですね」

「今すぐは無理でも此処に與仁(イーレン)が連絡所を開いたから打ち合わせも其処を通じてできる。孜(ヅゥ)の分は手紙の様に與仁(イーレン)が仲介に入る」

「ここへ茶取引の間滞在でも」

「この男の女が遣ってくれる」

「げっ、やっぱり本当でしたか星星(シィンシィン)」

「そうだ、驚いただろ」

「師傅も陳駐防官もどうやったと呆れていましたよ」

「王之政(ゥアンヂィヂァン)のな、下僕の丁(ディン)がな、星星(シィンシィン)にこの色男が連れ込まれたところを見ていたそうだ」

更に呆れて與仁(イーレン)を見ている。

「繪老(フゥィラオ)で仲介を遣りますか」

「あそこは弟弟(ディーディ)に譲るそうだ。場所は天后廟の向かいだ」

「あそこで商売になりますか」

「それほど繪老(フゥィラオ)みたいに人の出入りも無いから、使用人を含めて四.五人で十分だ、今の話が動き出すまでにいくらかは勉強するさ」

南京で卸す荷の確認と徐(シュ)老爺へ頼んでくれと檀公遜(ゴォンシィン)への手紙を預けた。

武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)

明前茶一芯二葉-百擔一万二千斤

武夷洲茶(ヂォゥチャ)

明前茶一芯二葉-百擔一万二千斤

都へは確認書を届けてもらうので雲嵐(ウンラン)に確認してもらった。

武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)

明前茶一芯二葉-百擔一万二千斤

一擔八両(六両・脚夫(ヂィアフゥ)二両)

武夷洲茶(ヂォゥチャ)

明前茶一芯二葉-五百擔四万八千斤

一擔三両五百十銭(二両五百十銭-脚夫(ヂィアフゥ)一両)

星村鎮(シンツゥンチェン)で三艘分の精算をしますと與仁(イーレン)が送り出した。

呂天祐(リュウテンヨウ)が来て全部積み終わったから巳の刻に船出と報告に現れ、手紙を受け取ると戻っていった。

二人で天后廟まで歩いて安産を願い星星(シィンシィン)に会った。

「店の通称を考えた與星行(イーシィンシィン)でどうだ」

書いてきた紙を出した。

「なんか出来過ぎだね」

「星を抜いても聞きように因っちゃ星星(シィンシィン)だと思われるぜ」

「あんたが良いならそれでいいです」

こんなに従順な女だったかとインドゥも驚いた。

「今朝の分だ」

口銭の七十両を出して帳面を写し取らせた。

「荷が間に合えば次の分も置いていくが、遅れれば後は帰りだ」

武夷半岩茶肉桂二百擔に千六百両、武夷洲茶五百擔に千七百五十五両の三千三百五十五両が一回分の支払いだと続きに書きとらせた。

「前に決めた月の経費の銀(かね)は見込みで置いていくが、その分の帖付けも頼むぜ」

銀票四百二十両出して「来年来るのが遅れてもこれで店をやってくれ」と父母(フゥムゥ)にも頼んだ。

「この間一年分だと六百も頂いたよ」

「ありゃお前たち家族の銀(かね)、これは店の維持費だ、月三十両なら雇の分に客の接待も出来るだろうぜ。口銭に手を付けないで溜められれば気持ちも豊かになるさ。それで贅沢したって自分の銀(かね)だから構やしないぜ」

「そんなに使うなどしないよう」

甘え口調にインドゥもそろそろ潮時だと家を出た。

興帆(シィンファン)酒店で今晩臨江(リィンジァン)飯店で陳駐防官や雲嵐(ウンラン)たちと宴席だと宜綿(イーミェン)に伝え王神医(ゥアンシェンイィ)へもそう言うと「俺はいいが丁(ディン)は酒をたっぷり飲ませてくれ」下戸の丁(ディン)を見て笑っている。

英敏(インミィン)は如何したというと「街歩きで出て行った」という。

呂天祐(リュウテンヨウ)たちが出たので店も静かだ。

徐王衍(シュアンイェン)が顔を出した。

「臨江(リィンジァン)飯店へ顔を出したら留守だというので」

「もう来たのか何時から積み込みだ」

「明日から順に荷が来ます。爸爸(バァバ・パパ)は五日、あっしが七日、弟弟たちが八日に出ます」

「今晩臨江(リィンジァン)飯店で酒を呑むんだが来られる様なら出て呉れ。雲嵐(ウンラン)も呼んだぜ。何人来られるか連絡を頼む。酉から始めたいから申なら支度も大丈夫だろう」

「爸爸(バァバ・パパ)も喜びますぜ」

その夜の臨江(リィンジァン)飯店は大騒ぎだ。

幾ら河船でも船頭だ、呂天祐(リュウテンヨウ)の大きな船がここまで来られるなら一家で一艘造るかと話が弾んでいる。

「呂天祐(リュウテンヨウ)が三千五百は掛かると言ってたぜ」

「だが誰が乗るんだ」

「弟弟のどっちかだな」

「喧嘩にならないか」

「じゃ二艘だ」

「一艘余る」

「そいつぁ、羅瑛譚(ルオインタァン)に任せりゃいい」

徐王衍は勢いがある、酔って大言壮語が続いているが與仁(イーレン)は興味がある様だ。

話に加わり手印を見せたが反応はない、まだ参加まで誰も手を出して居ないようだ。

與仁(イーレン)は素面の時に個別に話せばいいと判断したようだ。

陳駐防官も雲嵐(ウンラン)とは久しぶりのようで話が弾んでいる。

宜綿(イーミェン)が「俺の義妹が雲嵐(ウンラン)と云うんだが、婚約が成立しそうだ」と身内話から孜(ヅゥ)の所が早く子が出来たらいいという話で盛り上がった。

師傅が終わる前に来て「腹が減った」と言って叉焼(チャーシュウ)でレミーマルタンを呑んでいる間に作らせた炒飯を出してもらった。

客が帰り與仁(イーレン)と二人に為ると「何か思いついたようだな」そうインドゥが言い出した。

「徐(シュ)老爺の家族ですがね。手印には気が付きませんでした。兄貴二人を二年で推薦して大船を造らせて此処へ出店を開かせ、南京と常時交代で運用は出来ませんかね。呂天祐(リュウテンヨウ)ともう一人いれば切れ目なく人も荷も動かせます」

「そうだなあれなら京城(みやこ)、上海(シャンハイ)、杭州(ハンヂョウ)と手を広げるのも茶だけでなくても年中動かせそうだ」

帰りまでにもう少し煮詰めてみようとその晩は寝ることにして別れた。

 

 

三日の朝は暑い、昨日と大違いだ。

少し体をほぐしただけで汗みずくになった。

授乳を終えた鈴凛(リィンリィン)が背中を拭いてくれた。

與仁(イーレン)は朝参りから戻り二人で粥を食べた。

徐(シュ)老爺が二日早いが荷が揃ったので午に船出するとやってきた。

與仁(イーレン)が船代金は一艘ずつが良いのか聞いてからまず一艘目の千六百両とお約束の百六十両を銀(かね)で支払った。

後も息子たちへよろしくという。

その後を追いかける様に薛雲嵐(ウンラン)がよく似た男とやってきた。

薛光遠(シュェグアンユアン)は堂弟(タァンディー・従弟)だという。

桐木関の東武夷山鎮の村から五百擔二艘分千擔運ぶ荷に着いて宰領で出て来た。

二人とも孜(ヅゥ)の推薦、浙江會館叶(イエ)番頭、董(ドン)茶商が賛成してくれて一筆書いてくれて、インドゥ、権洪らで十人集めて「結」へ参加している。

「いい処へ来てくれた。與仁(イーレン)の方から話してくれ」

與仁(イーレン)の手控えの図面を三人に見せた。

雲嵐(ウンラン)は二人に與仁(イーレン)との話をしてくれた。

「人手不足を金は掛けても船でという事でしょうか」

「そうなんですよ。人手だけでなく刻を買うというほうが有ってるんじゃないでしょうか。此処に三倍の荷が集まる前に運送の連中にも人集めを頼むようですが、農閑期なら一回往復、茶の農家でも摘み取り後なら働きに出てくれると考えています。常雇いは無理でも臨時の雇いなら現銀の欲しい農家は多いはずです。広州(グアンヂョウ)までは仕組みは有りますから何とかするでしょう」

来年はともかく三年先に武夷山鎮からは直に、星村鎮(シンツゥンチェン)から大回りなら脚夫(ヂィアフゥ)不足はおきなかろうと見ている。

脚夫(ヂィアフゥ)の取り合いに為れば値上げされるのは目に見えている。

「そうだな。摘み取りに雇って四番が終わって御終いより、その後ひと往復位は働くだろう。ほかの茶商と脚夫(ヂィアフゥ)の取り合いでは困るのはお互いだ」

徐(シュ)老爺が「でもこの大きな船で参加してくれますかね。南京まではともかく。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)まで入れるのはそれほどないはずですぜ」と言っている。

與仁(イーレン)が手印を見せると二人が応じた。

徐(シュ)老爺が「それ見たことが有りますぜ。確か結という相互の仲間だそうで」と年の功で知っている様だ。

「なぁ、徐(シュ)老爺よ」

「なんです哥哥」

手印を見せて「この三人はまだ入りたてだが、おいらは十四のとき誘われた。もう十三年遣っているので結の中では中堅だが、上から二番目の手印を見せて良いとされたんだ。それでな徐(シュ)老爺の家族でまだなら徐王衍(シュアンイェン)と徐海淵(シュハァィユァン)の二人を誘おうと思うんだ」と説明した。

「良い事あると聞いては居ますが」

與仁(イーレン)が「昨晩、船を新しくと言ってたろ、二人の船を大きくできる銀(かね)が入って来る。本当は本人に言うべきだろうが、フゥチンの老爺に話すのが筋だと先に相談だ。推薦人が十人揃えば一万両に為る。条件は後で十人推薦して千両ずつ出すというだけだ、手元不如意の時に強制はない。大抵二人分くらいは後の事を考えて積み立てに回す様だ」と誘いの言葉を掛けた。

「ここを拠点にですか」

「そうだぜ。昨晩二人は弟たちに乗せたいと言っていたがそれでも好いはずだ」

「あいつら弟弟(ディーディ)思いだからね。二人ならここで遣らせてもいいかもしれません」

「それにな船を造るにも時間が掛かるから、四人が全員大きくするくらい銀(かね)の融通もつくはずだぜ。今の船は船頭を育てる様だがな」

二人を連れてくるというので與仁(イーレン)が董(ドン)茶商へ都合を聞きに行くと「まだ五人しか推薦していないからここで二人増やしても構わん」と付いて来てくれた。

七人で話し合って「今は五人が信用状を書いたが。都で五人探してもらうように手紙を書くから、老爺が孜(ヅゥ)に渡してくれ」そう言って信用状と別に孜(ヅゥ)に経緯を書いておいた。

一艘千擔運べれば今回五千二百八十両で千七百擔、一擔三両百五銭かかっていたのが船代金二割り増し六千三百三十六両で三千擔、二両百十二銭が孜(ヅゥ)の試算だ。

目論み通りに行けばその分折半と優しい事を言う。

「まさか倍寄こせは言わないでしょう。南京(ナンジン)の相場以上は取れませんから」

其の南京(ナンジン)で呂天祐(リュウテンヨウ)との約束は二千六百四十両だが南京から此処迄をお約束込みで四百四十両だという。

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から京城(みやこ)分お約束込み二千二百両、運糟費は千擔運べば二両刺し二本と孜(ヅゥ)の目論見と近い。

今回武夷の分だけでも百七十両の口銭が三百両に為り、それに百五十両上積み出来ますと二人で儲けようと言ってくれた。

徐王衍(シュゥアンイェン)が弟の船が着いているというので二艘分の銀(かね)を渡した。

二艘目の千六百両と百六十両-徐王衍(シュゥアンイェン)と羅瑛譚(ルオインタァン)

三艘目の千六百両と百六十両-徐宗延(シュヅォンイェン)と徐泰鵬(シュタァイパァン)

薛光遠(シュェグアンユアン)の分は此処で精算しようと五百擔四万八千斤の二口分を書きだして銀(かね)で三千五百両清算した。

薛光遠(シュェグアンユアン) 

武夷洲茶五百擔-千七百五十五両

一擔三両五百十銭(二両五百十銭-脚夫(ヂィアフゥ)一両)

武夷洲茶五百擔-千七百五十五両

一擔三両五百十銭(二両五百十銭-脚夫(ヂィアフゥ)一両)

孜(ヅゥ)と約束してきた支払いは後の船代金を支払うとこうなる。

三艘平均値千七百擔分三千百六銭

武夷半岩茶肉桂一擔八両+三千百六銭=十一両百六銭

武夷洲茶一擔三両五百十銭+三千百六銭=六両六百六銭

これに口銭二両刺し四本上げる計算だ。

薛光遠(シュェグアンユアン)は持ち上げるとげんなりしている。

「豪く重いもんだな。これを京城(みやこ)から」

「鎮江(チェンジァン)から南京まで歩くというので、今回は南京で銀票から両替してきました」

重さは茶で言えば二百十九斤、一擔百二十斤の洲茶なら脚夫(ヂィアフゥ)は二箱運ぶ。

二人で分けて持って行った。

與仁(イーレン)は銀(かね)が減ったが軽くなってほっとしている。

結は決まりで京城(みやこ)、蘇州(スーヂョウ)、南京(ナンジン)なら十人そろえば即時に銀(かね)が出せる仕組みだ。

平大人はその三か所は金二千両、銀二万両を常備していると五年前に教えてくれた。

 

 

手紙には宜綿(イーミェン)が「京城(みやこ)の氷定河の水位、西北の方面の井戸の水位が上がったら時期が近いと心がける様に」と昨晩宜綿(イーミェン)が言った言葉も書いて置いた。

京城(みやこ)の西北で大雨の卦が出たという。

公主の牧場が玉泉山の西五里の香山村の丘にある、公主府(元の和第)迄四十五里、牧場、公主府には氷室もある、京城(みやこ)の西北がこの辺りかもっと先か迄占う腕は弟弟(ディーディ)にはない。

牧場から伊太利菓子と豊紳府へ毎日牛乳と水で三台の馬車が片道二刻半かけて往復している。

牧場には災害時に水が必要と水の大樽十杯とその馬に馬車も整っている。

高台の井戸は三か所、撥ね釣瓶で毎日組んでいるが水は公主のお墨付きだ。

馬は多いのだが樽と馬車はなかなか補充できない、人を三十人も遊ばしておくのに月七十両は出て行く、それで普段は草履に草鞋作りの先生を探してきて作らせて居る、売り先を探すくらいは出来上がったそうだが、まだ街で売れるほどいい出来ではない。

倉庫からはみ出したら貧民に配りましょと公主は笑っている。

船を丘の中ごろに三艘荷台に乗せて置いてあるのを見て人が笑うと評判だ。

宋太医に蔡太医が災害時には沸かした水が良いというので、大きな薬缶迄作らせる騒ぎだ、安い屑茶でいいから煮出せとうのでそれもかき集めた。

誰が言い出したか茶粥にしたら一挙両得などと聞こえてくる。

宜綿(イーミェン)は水害のようだというので支度は出来るだけ手を打ったが本人に自信がないので今でも不安のようだ。

食う心配から始めた俄か算命先生だ、龍蘭玲(ロンラァンリィン)に尻を叩かれ、昨年は高名な男に弟子入りしたが、災害を一笑に付されて三日でやめた。

幼い娘にも「フゥチンは堪え性がない」と言われる始末だ。

 

 

與仁(イーレン)はまた星星(シィンシィン)へ口銭を届けに出て行った。

「良く動く事」

「あいつも星星(シィンシィン)の腹が心配なんだよ。いい口実に為る」

星星(シィンシィン)に帖付けをさせて銀(かね)を渡した。

星星(シィンシィン)口銭百両

與仁(イーレン)口銭九百両

老媼が気を効かせて出て行くと膝に乗って首を傾げて口づけをせがんだ。

與仁(イーレン)が腹に手を遣ると蹴飛ばしてくるのが分かる。

「もう直に産まれそうだな。俺は後二日くらいで星村鎮(シンツゥンチェン)から福州(フーヂョウ)、広州(グアンヂョウ)へ行くので三月は戻れない。気を置いて子育てしてくれ」

「あいよ。小娘じゃ無いんだ。心配無用さ」

少し前まで来るはずとは知っていたが一人で育てりゃいいんだの気持ちも不安と交差していたが、男がこんなに頼りになるとは思っていない喜びで、産む不安も解消していた。

もう一度胸を抱きかかえて口づけをして男は仕事へ出て行った。

 

その晩陳洪(チェンホォン)が来て三人で飯を食っていると丁(ディン)が息せき切ってやって来た。

「星星(シィンシィン)が産気づいた」

それを聞いて與仁(イーレン)が葛籠を担いですっ飛んで出て行った。

「まぁ、坐れよ。男が何人出張っても邪魔なだけだ」

「ええ、家の先生に蔡太医が産婆の来るまで見ていてやろうと行きましたから。家の先生福州で五人は取り上げていますから、産婆が遅れてもまにあいますよ」

「なんで先生が」

「産婆が困ると先生に助けて呉れと場違いな奴が多いんですよ。老爺が産婆を呼びに手を貸してくれと来て、店の者がすっ飛んでいきました。先生が與仁(イーレン)にも知らせてやれというので遣って来ました」

そのころ興帆(シィンファン)酒店でも湯を沸かして運ぶのに忙しいが、落着いているのは宜綿(イーミェン)と遊びに来た徐王衍(シュゥアンイェン)に羅瑛譚(ルオインタァン)それと二人の弟弟くらいだ。

 

産婆が着いた時にはもう産まれかかって大騒ぎの最中だ、男とは言え蔡太医も王神医(ゥアンシェンイィ)もお産の立ち合いは経験豊富だ。

「ほら、其処で息ばれ」と産婆の声で頭が出て来た、初産がこんなに楽なの幾日か早い分育ちすぎていないのが幸いした。

産婆が取り上げて「男の子だよ」と大きな声で外の與仁(イーレン)に教えた。

「百両近くは有るな」

「そん位でよかった。あと五斤も育ったら半日じゃ産まれてこない」

産婆もまにあってほっとしている、昨晩は半日掛かってようやく産まれてくれたそうで「今日も難産なら、こっちの方が命懸けだ」と笑いながら後の始末をしている。

医者の手を借りるほど出血はなく済んだ。

王神医(ゥアンシェンイィ)が産湯の世話をしておくるみに包んで披露した。

聞きつけたインドゥ達が遣って来て星星に「よくやった。これで與仁(イーレン)も安心して商売に励める。お前は貞女の鏡だ」なんて褒めている。

與仁(イーレン)を残して興帆(シィンファン)酒店で勝手に安産の祝いをすることにした。

老爺が與仁(イーレン)と来て「ありがとうございました」と礼を言って回った。

産婆を呼びに行った店の男に「こいつは無事に産まれた礼だ遠慮なく受け取ってくれ」と銀の小粒をいくつか包んだようなおひねりを渡した。

あのインドゥに書いて貰っていた命名用の紙を見せて回った。

「女の方はこの次産まれた時に使わせていただきやす」

インドゥにそう告げて二人はまた礼を言って戻っていった。

與仁(イーレン)が店への礼金を置かないのは御近所の助け合いを、金で礼をしたくない老爺の意見だ。

「おいおい、もう次を産ませる気だ」

宜綿(イーミェン)の言葉に笑いが広がり亭主も役立ったことで大得意だ。

王神医(ゥアンシェンイィ)も「湯を沸かせという手間もなく、このご近所は此処が天后様のご利益とあがめてくれる」など煽てている。

戌の刻くらいに與仁(イーレン)が来て「今晩は付き添わせてください」とインドゥに頼んだ。

「良いとも。明後日の午に星村鎮(シンツゥンチェン)へ行くまで好きにしな」

王神医(ゥアンシェンイィ)も「三か月で戻れりゃ上等だ。女をつくるのはそれまでお預けだ」など揶揄って追い出した。

丁(ディン)に「臨江(リィンジァン)飯店まで送ってこい」と明かりを持たせてインドゥを帰らせた。

徐王衍(シュゥアンイェン)、徐宗延(シュヅォンイェン)、徐泰鵬(シュタァイパァン)の兄弟と羅瑛譚(ルオインタァン)河口三堡が宿だと一緒に出て来た。

陳洪(チェンホォン)が来ないのはこの裏が妾の家だ。

 

 

桐木関(トォンムゥグゥァン)で一日陳健康(ヂィェンカァン)と情報交換して星村鎮(シンツゥンチェン)へ十一日に入り武夷宮から船に乗ったのが十五日。

福州(フーヂョウ)福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)到着が十九日の申刻。

冊紙の案内は九百里が八百二十里になっていたが、船頭の話を合わせると八百六十里。

インドゥは船頭六人に五両ずつの割り増しを払って別れた。

合計銀二百四十八両だった。

鼓楼の歓繁(ファンファン)酒店へ行くと王神医(ゥアンシェンイィ)は自宅へ行くと別れて行った。

四人で入るとここでも與仁(イーレン)の顔を見て女中の顔が輝いた。

店の時計は六字を指している。

牌双行(パイシュァンシィン)の城内の店へ四人でぶらぶら向かうと向こうから関元(グァンユアン)と孟紅花(モンホンファ)が子供を連れて歩いてきた。

店への角で待つと連れ立って脇から店へ入った。

與仁(イーレン)と孟紅花(モンホンファ)が茶の話で夢中なので三人で関元(グァンユアン)と話をした。

「フゥチンが心配していたぞ。子供の事もばれているぞ」

「まずいな。どこから漏れたかな」

漏れない方が不思議だとインドゥは思っている。

「あんたぁ。船の事で話が有るそうよ」

例の図面を広げて相談した。

「関元(グァンユアン)、結は認められているのに何で自分の船を持たないんだ」

「面倒なんですよ」

「困ったやつだな。平大人だって年なんだぜ老爺(ラォイエ)の船を受け継ぐ気も無いらしいな」

「実はガリオン船が時代遅れになりそうで安く売るという話もあるんですよ」

「あれで天津(ティェンジン)へ行ったら追い払われるかもしれんぞ」

「それで困っているんですよ」

「実は和信(ヘシィン)の後見を頼みたいが、風来坊じゃ平大人が認めないだろうしな」

「俺がですか」

「うん」

「俺に遣らせたら和国へ引っ張っていくかもしれませんぜ」

「そん時ゃそん時の事だ」

「哥哥が良いなら何でも出来ます」

「遣ってくれるか」

「フゥチンが承知してくれれば何時なりと」

話がそれたが福州(フーヂョウ)南京(ナンジン)航路は魅力がある様だ。

福州(フーヂョウ)から杭州(ハンヂョウ)、其処から小さい河船より一気に南京(ナンジン)なら上海(シャンハイ)、積み替えより利は大きい。

平大人は三千石以上の大船が三艘あるが上海からは中型での往復にしている。

問題は登るときに風だけで鎮江(チェンジァン)から先へ行けるかどうかだという。

福州戎克(ジャンク)は土地では大民船が通り名だ。

南京船は三千摘むのは難しいという。

船頭水夫で百人乗りの船なら積めるが南京航路には就航していないという。

「前に和国へ藍に塗った南京船が交易に参加したそうだが知っているか」

「聞いたことは有りますが。和国渡りの船は今は百じゃ聞かないものが乗り込んでいるそうですぜ。二枚帆じゃ登るのは中型で、三枚帆の外洋船は鎮江(チェンジァン)から先は聞いた事ありません。船長が言うことを聞かないでしょう」

「あと百七十里だが難しいか」

「一丁試しますか。荷を都合できれば試しましょう」

「心当たりがあるか」

「杭州(ハンヂョウ)に出物があるんですよ。三千石の船を八千で船頭の面倒見てくれるならという話が有るんですがね。三枚帆で船頭五十八人」

「遊ばしてるのか」

「天津へフゥチンの荷を積んで出ています」

「米と古着か」

「そうです。都の蔡永清が受取人です。杭州(ハンヂョウ)と寧波(ニンポー)の古着は値が上がりました」

「今年の都への寿眉(ショウメイ)はもう出たのか」

孟紅花(モンホンファ)が「ええ、千擔と白毫銀針百五十擔送りました。今清算して頂きました。庄(チョアン)の店に寿眉(ショウメイ)が五千擔来ましたが脚夫(ヂィアフゥ)の都合で寝ています」

寿眉(ショウメイ)千擔二千四百両一擔二両四百銭

白毫銀針百五十擔千二百七十五両・一擔八両五百銭

京城(みやこ)運糟二千三百両、一擔二両

合計五千九百七十五両

「関元(グァンユアン)俺が五千だして後三千作れるか」

「三千なら杭州(ハンヂョウ)へ戻ればすぐにでも出せます」

庄(チョアン)から寿眉(ショウメイ)千五百擔買い入れて上海で五百、南京へ千売ろう。ひと航海三千で杭州(ハンヂョウ)から南京(ナンジン)でどうだい」

「ここから杭州(ハンヂョウ)へだと九百余分に出すようですぜ。南京(ナンジン)ひと航海五百は船主に入りますね」

與仁(イーレン)が計算している。

茶買い入れ三千六百両、運糟三千九百両で七千五百両、一擔五両という。

寿眉は一擔二千二百銭と口銭二百銭の約束。

「で京城(みやこ)取引は」

「最低八両。南京(ナンジン)相場九両」

「じゃ三千持ち込めば船が買える」

「おいおい、そんなに持ち込んだら値が崩れる。さっきの話の様に余分は金を掛けて河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ送らないと広州(グアンヂョウ)が怒りだす」

庄(チョアン)の河口鎮(フゥーコォゥヂェン)での寿眉(ショウメイ)の売値が一擔二千二百銭と口銭二両に運送費二両で六両二百銭だと孜(ヅゥ)へ連絡が来ている。

「庄(チョアン)にも儲けをもう少し回せるようになれば身も入るさ」

関元(グァンユアン)は自分の事の方が頭から離れない。

「すごいねここから六千なら受けない方が可笑しなやつと言われそうだ。二回往復なら二月で出来る」

「もう、あんたはそれだから、六千も出す荷主なんぞいやしないよ。だから船長に向かないと言われるんだ」

與仁(イーレン)は「庄(チョアン)さんに五百銭、仲介を牌双行(パイシュァンシィン)にお願いして五百銭の一両。二千二百銭に足せば三両二百銭で四千八百両、送料運糟三千九百両で足せば八千七百両、一擔五両二百銭で上海(シャンハイ)五百擔二千六百両。一擔六両二百銭で南京(ナンジン)千擔六千二百両でどうでしょうかね」

紅花(ホンファ)が「八千八百じゃ百しか儲けになりませんよ」と心配する。

「当分河口鎮(フゥーコォゥヂェン)までの大回りは出来ないでしょうからそれまで少しは儲けてください」

孜(ヅゥ)も大回りは当分儲け無しで行きましょうと話して居た。

関元(グァンユアン)は三日後に杭州(ハンヂョウ)へ戻るというのでインドゥが五千の銀票を手渡した。

明日までに陸環芯(ルーファンシィン)と林陪演(リンペェイイェン)に売値と経緯を書いておくからこの前の宿へ取りに来てくれと頼んだ。

紅花(ホンファ)に三千三百両の銀票、口銭七百五十両の銀票二口の計四千八百両を渡し、運送費の九百両は紅花(ホンファ)、三千両はグァンユアンへ委託した。

與仁(イーレン)は「三両二百銭で五百擔買い入れて、鳳凰水仙と同じ船で送らせます」と孟紅花(モンホンファ)に言って千六百両の銀票も出した。

インドゥも運糟代の助けには其のくらいが良いとこだと持ちあげた。

庄延望(チョアンイェンゥアン)も五千の内二千掃ければ気も休まるだろう。

 

 

後日談

関元(グァンユアン)は船を買い入れ、ひと航海は船長に船の癖を教わりながらついて貰った。

鎮江(チェンジァン)から先は昔小型船二艘が引き船で着いて、速度を上げたそうだと船長の苑(ユエン)老爺が知っていた。

財副、総官、香工、火長、舵工、大繚、亜班、頭碇、押工、水手など五十八名の内この航海で船を降りるのは総官(事務長)亜班(物見)に水夫五人、それぞれ船の株を持って居たという。

自分の手下(てか)にその補充として十人連れて乗り込んだ。

火長に見習をつけて航海の指図を習わせたほかは総官、亜班の引継ぎ、水手に七人乗せた。

南京(ナンジン)で平大人に子供たちの事を打ち明けると「広州(グアンヂョウ)はどうなってる」と聞かれて「女はいますが子はいません」と白状した。

上海(シャンハイ)から南京(ナンジン)八百里を五日で登れた。

福州閩江南港(ミンジァンナンガァン)もしくは北港から杭州(ハンヂョウ)赭山港(ジゥシァンガァン)千九百里は九日。

杭州赭山港から上海(シャンハイ)五百里は二日。

十六日で無理はないと分かった。

與仁(イーレン)と孜(ヅゥ)の計画は平大人も三年計画で船が揃えば面白いと賛成した。

龍莞絃(ロンウァンシィェン)と莞幡(ウァンファン)の兄弟も賛成に回った。

平大人から京城(みやこ)が大水だと聞かされ米に麦、玉米(ユゥミィ)、馬鈴薯(マァーリィンシゥー・potato)や甘藷(ガゥンシュ・sweet potato)の食糧を満載にして天津へ向かった。

平大人は「こいつは結の仲間へ渡して救済に使ってもらえ」と五人の連絡場所を教えられ五千両も経費に出してくれた。

上海へ下るのに四日、二千四百里で天津(ティェンジン)へ着いたのが十日目、十四日で着いて食料を降ろすのに五日かかった。

流石に古手の船長は流れの急な岸辺から夜は沖へ出てとを繰り返し、船を流木から守るのに巧みに操船した。

結の男たちは通州もようやく船が通じるようになったという。

京城(みやこ)は通惠河(トォンフゥィフゥ)の南は水が引いて乾きだしたと教えてくれた。

粥は配所に碗を持参とかいてあったがそれさえ持たずに来た者には木の椀を渡して「明日はそれを持って来てくれ」と渡すので日に百は碗が減ると嘆いているところもあった。

官の救済所、民間と一日中回って過ごす怠け者も多いという。

配所には医者も詰めて病人、怪我人の手当てをしている。

夏の陽気に為って街は乾いたが生水で腹を下すものが増えて来たという。

 

 

インドゥ達は二十日に閩浙(ミンジゥー)総督(福建・浙江の総督)玉徳(ユデ)に面会してフォンシャン(皇上)の口諭を伝えてから福建巡撫汪志伊(ゥアンヂィイ)の役所へ出向いた。

総督の前任者は長麟(チャンリン・アイシンギョロ氏)陝甘総督へ転任の後を受けての就任だ。

両広総督(二回目)、両江総督は巡撫が代理、閩浙総督は十か月という赴任していない名目だけの総督も務めた。

汪志伊は江蘇巡撫へ転属が決まったという。

蘇州でのんびり遊ぶかなど言っているが巡撫は暇など無さそうだ。

後は李殿圖(リーディェントゥ)が福建按察使⇒福建布政使⇒福建巡撫と階段を登るという。

その李殿圖(リーディェントゥ)に会いに行って民情視察だというと福州(フーヂョウ)はまた海賊が出たという。

限もなく出てくると嘆いている「年寄りを酷使しすぎじゃ」と言うディェントゥはもう六十四歳だ浙江巡撫阮元(ルゥァンユァン)と沿岸警備、台湾迄となると人が足りないので重点を決めて退治するしかないという。

海賊は新式の銃迄持って居るという、国費から警備費の補填は見込めないのが現状だ。

陸と違って海上に関所は無理な相談だ、一日百できかない通過する船をすべて臨検などしては居られない。

與仁(イーレン)の天后廟参りも朝、陽の出には出て半刻ほどで戻って来る。

宜綿(イーミェン)に「頼むことが増えても刻はかわらずに戻るんだな」と皮肉を言われている。

「全部名を言ってからまとめてお願いしてますから」

まともに返されてしまった。

與仁(イーレン)お気に入りの女中は此処の孫娘だそうで二度出戻りで「こんな不美人もう貰い手がない」など言うが與仁(イーレン)には可愛い顔に見えている。

菜店が閉まると與仁(イーレン)の部屋へ毎晩やって来る。

寝屋の仕草も與仁(イーレン)に不足は感じられないし「小遣いに不自由していないか」と聞いても受け取らない。

「あんたが来たときの女で好い」

一度で満足して抱かれて寝ることで満足してくれる。

朝葛籠を預けて與仁(イーレン)が出ると、見送って掃除を始める。

インドゥ達が降りる頃には店は磨き立てられて清潔だ。

四月二十二日に関元(グァンユアン)の船が出ると、翌二十三日庄(チョアン)から杭州(ハンヂョウ)の関元(グァンユアン)あて寿眉(ショウメイ)千五百擔が送り出された。

 

四月二十六日に出る広州(グアンヂョウ)への船へ六人は乗ることが出来た。

船代は一人三十八両という格安で乗せてくれた。

王神医が千両持って来て與仁(イーレン)に「これを経費の足しにしろ」と渡してくれた。

 

福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)から広州(グアンヂョウ)二千里。

泉州(チュエンヂョウ)二十七日、汕頭(シャントウ)五月三日。

五日に海豊県の港に風が吹き荒れて避難して一日待ったくらいだ。

 

 

南京(ナンジン)嘉慶六年五月五日(1981615日)

平大人の私邸に龍莞絃(ロンウァンシィェン)と龍莞幡(ウァンファン)の兄弟に父母(フゥムゥ)が集まっている。

龍雲嵐(ロンユンラァン)が泣きながら話す事と仲人の老媼(ラォオウ)の言うことを聞き取ると老媼(ラォオウ)に銀子を渡して引き取らせた。

婚姻から十日、余りにも理不尽だと兄弟は老媼(ラォオウ)の話に憤っている。

「これから妹妹を連れて怒鳴り込んでやる」

「駄目だ」

平大人に強(きつ)く言われて父母(フゥムゥ)の顔を見ているが、二人は俯いたままだ。

「どうだろう。このまま南京(ナンジン)に居れば可笑しな噂で耐えられないかもしれない。寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)に預かってもらおう」

「わたし、産婆の王さんのお手伝いがしたいです」

父母(フゥムゥ)が「それでいいのかい。婚家に未練はないのかい」と心配している。

「わたしより父母(フゥムゥ)が大切と云うのは分かります。でも新婦が気に入らんと妓楼へ行く人ではあの家に戻りたくありません。それも私に欠陥が有るというのではもう未練は有りません」

莞幡(ウァンファン)が付いて京城(みやこ)へ出て災害が起こった時の産婆の王の手伝いに出ることにした。

五月二十八日に京城(みやこ)へ入ると豊紳府で寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)に「十日で離縁に為りました」と二人で半刻ほど悩みを聞いてもらい公主府(元の和第)へ送り届けて貰った。

莞幡(ウァンファン)は雨の中急いで通惠河(トォンフゥィフゥ)へ出て大運河で黄河まで来ると運河の水嵩が高くなってきた。

船頭と急いで長江(チァンジァン)まで来ると後の船が命からがらで逃げて来たと話してくれた。

氷定河が溢れたという「良く戻れたな」と聞くと「黄河を超えたらもう後(うしろ)は溢れていて半刻遅れたらお陀仏だ」と思い出して震えている。

 

 

インドゥ達が広州(グアンヂョウ)珠江(ヂゥジァン)に入って港へ船が付いたのは五月九日の午の鐘が響いた後だ。

十三日で着いたのは幸運だ。

船長は港へ入らなければ七日だという。

同慶大街へ出て呉運宣(ンインシュアン)の雷稗行(レェイヴァィシン)へ寄って茶の動きを聞いた。

「宿は」

「まだ決めてない」

「姐姐(チェチェ)の所へ人を遣りましょうか」

「六人で聞いてくれ」と頼んだ。

血相変えて梁緋衣(リャンフェイイー)が遣ってきた。

「なに水臭い、こんなところで引っかかって」

「道順だよ、船が此の上に着いたんだ。みっともないから離れろよ。弟弟(ディーディ)が笑っているぞ」

漸く周りを見渡して宜綿(イーミェン)に気が付いた。

「宜綿(イーミェン)様。気が付きませんで失礼しました」

久しぶりの再会だ、挨拶をして「ご一緒の方の顔ぶれがだいぶ変わっておられますが」とやっと周りが見えてきたようだ。

「この前の離れが埋まっていてバラバラなお部屋しかご用意できませんが宜しいでしょうか」

「同じ宿で泊まれるなら大したことじゃない」

「その代わり六部屋が豪勢な次の間付きです」

「供をそこへ入れれば部屋に余裕が出るだろう」

「もう六部屋用意しました」

宜綿(イーミェン)が「昔とおんなじだ。今でも先走りのフェイイーだ」と煽っている。

インシュアンが今晩宴会でもと誘うので「場所は」と聞いてインドゥが腕を抓られている。

「ほかで遣ろうと言えば姐姐(チェチェ)に角がはえます」

インシュアンが弟弟も連れてゆきますと「八人で用意してください」と頼んだ。

「お酒はなんにする」

「この間の香槟酒(シャンビンジュウ)に葡萄酒(プゥタァォヂォウ)の赤」

「船のほう、塔のほう」

「船のほうが良いな。シャトー・ベイシュヴェルだ」

宜綿(イーミェン)は「瓶を観たこともない」という、インドゥだって見本帳の絵だけで飲んだことは無い。

「俺だってラベルの画しか知らんよ」

蔡太医が「皇貴妃娘娘の酒棚に飾ってあるのがそうかな。帆が半分降りていた」

インシュアンがわらの中から一本取り出して見せた。

蔡太医とインドゥが揃って「それだ」と声を上げた。

「これも英吉利周りかい」

「いえね。こいつは伊太利の商人が持ち込んできました。全部で十種百八十本来てこれは三本姐姐(チェチェ)が買いました。二本売れてこいつが最後です」

フェイイーが「それ貰うわ。買うんじゃなくて持ち込みにして挙げる」と取り上げた。

「まっいいか。どうせ腹に入るんだ。酉にはお伺いします」

一行を送り出して儲賢(チューシィエン)に出られるだろと声を掛け「一度家で着替えてくる」と出て行った。

燈籠巷で與仁(イーレン)は大きな声で「魂消た隣は此処より派手だ」と上を見上げている。

繁苑(ハンユアン)酒店より新しい大きな建物は三階建てだ。

「去年の秋に出来上がりましたのさ。老爺(ラォイエ)が遺産に土地と銀(かね)を残してくれましたので思い切って建ててしまいました」

宴会場の係に「八人と言っていたけど四人くらい増えるつもりで支度しとくれな。香槟酒(シャンビンジュウ)は三本冷やしておいて。これは弟弟(ディーディ)から分捕ってきたから同じのを四本にして用意をね」と告げて部屋の係を六人集めた。

受付から部屋の札を貰うとインドゥ達へ渡して係に部屋へ案内させた。

階段脇がインドゥ、隣が王神医、突き当りが丁(ディン)の部屋、角を曲がれば與仁(イーレン)の部屋、英敏(インミィン)、宜綿(イーミェン)の部屋で行き止まりだ。

與仁(イーレン)が呆れている「お供をこんな部屋に入れてどうするんだ」と首を出して驚いている丁(ディン)と話しをしている。

係も「女将が決めたのでそう言われても」と可笑しそうに笑っている。

「この上もそうなのかい」

「上の部屋すべてには厠所(ツゥースゥオ)や風呂にシャワーが部屋に付いていません。今使い方を説明しますね」

「シャワー」

「はい風呂場で上から水が降る設備です」

「雨のように降るのかい」

「頭の上だけです。肩にかけると気持ちいいですよ。水はこの紐を引くと出ます、止めるときは上がった方の紐を引きます。水が切れたり、お湯を使うときは運びますから私に言ってください」

與仁(イーレン)と丁(ディン)は「まるでお大臣に為った気分だ」と浮かれている。

「王神医が銀(かね)を出してくれたから贅沢しようぜ」

向こうから宜綿(イーミェン)の大きな声が聞こえてくる。

どうやら英敏(インミィン)と話して居る様だ。

 

インシュアンは妻子(つま、チィズ)とその妹妹二人を伴ってきた。

儲賢(チューシィエン)に「連れてくのかい」と聞かれて「いつかは分かることだ」と五人で燈籠巷、繁苑(ハンユアン)酒店へ向かった。

與仁(イーレン)が藺香蝉(リンシィアンチェン)を見つけて「二人とも姐姐(チェチェ)かい」と聞いたので「姐姐(チェチェ)と妹妹(メィメィ)」と膨れている。

二人は背が高いが頭半分シィアンチェンは低い。

インシュアンはインドゥ達に連れて来た四人を紹介した。

「私の隣が妻子(つま、チィズ)の藺香蘭(リンシィアンラァン)で中がその妹妹藺香蝉(リンシィアンチェン)、向こうが一番下の妹妹藺香苑(リンシィアンユァン)、俺の弟弟(ディーディ)の呉儲賢(ンチューシィエン)です。シィアンチェンは昨年末に婚姻しました」

「それはめでたい。皆で祝おう」

宜綿(イーミェン)が率先して三人の席を設えさせた。

香槟酒(シャンビンジュウ)で乾杯して食事が始まった。

冷菜は四人増やせと言っていた割に少ないなと思ったが次々出てくる料理は人数に合わせてある。

「そこの新娘(シンニャン)」

「わたし」

「そう、確かシィアンチェン。酒はもうやめなさい」

「なんで」

「妊娠している」

「うそっ」

インドゥがフェイイーに耳打ちするとシィアンチェンを廊下へ連れて出て何か聞いている。

「ふた月にはならない様ですが。遅れていると。顔色で分かるのですか」

丁(ディン)が「だから先生は王神医と呼ばれるんだ」と自慢している。

「教えるときは結婚してる人だけ。娘の振りしてる人、独り者には教えないんだぜ」

「なぜなんです」

「子を降ろせなんて言うのが居てそれからはやめたのさ」

インドゥは王神医が鈴凛(リィンリィン)と口を聞いたかと思いだそうとしたが会っているところが思い出せない。

「ああ、気が付いても独り者だった」それで忘れた。

「哥哥、あまり飲んでないわよ」

「ああ、明日総督府へ訪問だからな。酔っ払いがふらふら来たは困るんだよ」

 

 

翌十日、宜綿(イーミェン)と二人で総督府(広州府)、巡撫部院、布政使司、按察使司と回って民情の様子を伺った。

総督府(広州府)で両広総督吉慶ギキン・覚羅氏に面談した。

嘉慶四年-陳寅(英徳県知事)を弾劾。

嘉慶四年-阿片禁烟を上奏。

 

嘉慶帝上諭

参照-相原佳之氏他・嘉慶四(1799)年七月上諭の訳注および考察(1)

以前、吉慶は自身が干渉すべきでない事でも、しばしば僭越にも申し出てきた。朕は職掌に専念していないのを憂慮して、既に訓戒を加えた。今この案を見るに、さらに吉慶が自身の田を捨てて他人の田を耕そうとしているのだと信じるようになった。吉慶を厳しく叱責し、歴任の各上司と一緒に担当部局で議処とせよ。この命令を伝えよ。上奏文もあわせて送付せよ。

 

詰問に来たと勘違いをしているので「ただの民情視察で回っています」と安心させた。

広東巡撫の瑚圖禮(フトウリ・完顏氏)は気のいい親父を演じて居る。

乾隆五十二年の進士から始まり着々と昇進してここまで来た。

布政使司、按察使司も阿片の薬用輸入の三倍は密輸が有りそうだという。

抜け穴がある様だが見つからないと嘆いている、僅かの賄賂で見逃している小役人がいる様だ。

茶の買い入れ額は英吉利、丁抹、墺太利などで増えていて、もっと買いたいと船が来ているという。

南門から出て西へ堀に沿って歩いた。

下町らしくごみごみした家の上に高い反りあがった屋根が見える。

「なんか天后廟みたいだな」

「こっちは初めてだがどうもそうらしい」

二人でぶらぶらいくとやはり天后廟だ、未も過ぎて日差しが強い。

冰(ピン)入りの茶を商う店で休んだ。

「これで銀一両か」

瑠璃の大き目の杯も直ぐに飲み切ってしまった、冰(ピン)はまだ残っている。

女が薬缶から茶の御代わりを注いで気持ちだけ砂糖を振りかけた。

「ほう、こいつはサービスか」

流石にサービスで通じた。

「冰(ピン)が溶けるまで何杯でも。溶け切っても温(ぬる)くてよければお注ぎします」

そういう傍から温い茶で半分以下に氷が溶けている。

飲み終わって氷を齧りながら傍の門を出て城壁沿いの屋台店を覗きながら歩いた。

「腹が減ったな」

「少し何か食べるか」

「肉の焼ける匂いがしているぞ」

「そういえばこの辺りで面条を焼いてその上に焼いた五花肉(ウーフゥアロォゥ)を乗せたのを食べた」

人が集(たか)っている屋台がその匂いの元だ「二つ呉れ」というとすぐ出て来た。

「いくらだ」

「二つで十二文」

インドゥが包みから十二銭出して渡した。

「安いな」

「おお、その壺の魚醤(イージャン)を掛けたらうまかったぞ」

二人でかっ込んで食べた。

「小腹を宥めるには丁度いい」

 

城壁が切れたところに小橋が掛かり、それを超えると燈籠巷の繁苑(ハンユアン)酒店の屋根が見える。

その前を通り過ぎて西へ進むと孔子廟がある、先の正面に藺香蝉(リンシィアンチェン)の店がある。

隣に新しい建物が建って居る「前来たときその店で偽物だが良い硯が並んでいたぜ」そう云うと「筆の好いのでもあるかな。偽でも使いやすけりゃいい」と入った。

あの老爺が見て「来ていると聞いたがシィアンチェンは隣にいるよ」という。

「筆を見に来た」

そう言うと「好きに降ろして見て良いよ」と云うので二人で使いよさそうな細筆を選んだ。

「こっちの青が銀(かね)二両、そっちの黄は五両」

二人で見比べたが違いが分からない。

「何が違う」

「高いのはガン(金・ジン)という若造が造っている。安いのは偽物専門だ」

「弟弟(ディーディ)は流石に目が肥えている」

インドゥは二両出して青の安い方を懐へ入れた。

「銀票だが良いかね」

良いというので伊綿(イーミェン)が袖から出して渡すと筆は襟へ刺した。

シィアンチェンが顔を出して「丈夫(ヂァンフゥー・夫)を紹介する」と呼んだので付いて行った。

「来ているのがよくわかるな」

「千里眼」

隣から掃除をする小僧が出て来た。

「ほれ千里眼が出て来た」

「もうばれた」

店は棍、棒、剣、弓など武具で一杯だ。

「どこかでお会いしたような」

「シィアンチェンに聞きました。昂(アン)先生という方に無謀にも申し合いをしたものです」

「ああ、あの時の」

「お二人とも昂(アン)先生の高弟とか」

「弟弟(ディーディ)は高弟だがわたしは落第ですよ」

「どうです汗を流して冷えた啤酒(ピージゥ)でも」

「いいね其れ」

二人ともしばらく飲んでいない、京城(みやこ)にたまに来るが高い。

苦くない麦の酒は二人とも好きになれないので頼まない。

橋たもとの空き地で三人交互に汗を流した。

弟弟(ディーディ)が肩先へ撃ち込んだ、どうにか受けて居るが弾き飛ばされた。

「三年前と格段に上達されているね」

「先生が老年で隠居した後は妻子(つま、チィズ)が相手をしてくれます」

妊娠したというので当分相手が居ないので探さないとと言っている。

汗を拭いて井戸で冷やした啤酒(ピージゥ)が旨い、瓶を見てもラベルも無いのでどこの国から来たか分からない。

「それはね樽で来たのを適当な瓶に詰めているからですよ。プロシャのを丁抹の商社が売り込んできましたが。もう直なくなりますね」

「一年中は無いのかい」

「夏前にしか船が積んでこないんですよ。向こうを一昨年十一月に出て六月一日に着いたばかりです二十か月も掛かっちゃ味も落ちると輸入業者が増えません」

「まだ五月」

「洋人たちの暦ですよ。六日前に手に入れました」

五月五日の劃龍舟祭りに間に合わせたようだ、京城(みやこ)へ来るのは英吉利の物だ、茶を帰りに積むのは印度へ寄らない船だという。

「まだ噂ですが、エジプト回りも積み替えで大変だから大きな運河を掘ろうと資金を募っているそうですよ。イギリスから半年は早く来られますから」

今でも五百里の道を荷の積み替え、人の乗り換えを厭わなければその航路は利用可能だ。

古代にも幅は狭いが運河は有ったという話だ。

この男なかなか世界情勢に詳しいようだ。

啤酒(ピージゥ)はまだ此方で苦味の元は手に入らないので同じものを造るものが現れない。

「なぁ、哥哥俺達変わっているよな」

「なんでだ」

「さっきは甘い茶で喜んで今度は苦いビールだ」

「ほんとだ冷えてりゃなんでもいいんだな」

シィアンチェンが「今度は何を探しに来たの」と聞いてきた。

昨日は民情視察と言ったがそれだけとは思っていない様だ。

「與仁(イーレン)がな、茶の卸しの手伝いを始めたんだが。買い手でも探そうかと思っている。船で南下が禁止じゃ安くはならないからな売りにくいんだ」

敦元(トンユァン)が伍浩官(ウーハォグァン)を継いだという。

怡和行当主の伍国寶(ウーグゥオパァオ)が隠居して伍秉鑑(ウーピンヂィエン)と名を改めて当主になったという。

弟弟は頭が混乱したようだ。

「最近総督府が賄賂を強要したそうよ」

「今朝総督に会ってきたが、詰問に来たかとびくびくしていた。そいつがばれたと思ったかな」

「政府に総督府でしょ、儲けの半分以上持っていかれると言っていたわ」

「俺達で無く賄賂が好きな奴でもこさせりゃ、ひと財産作って京城(みやこ)へ戻れるな」

「ほんとだ内務府もそれで旅費が四人で八百両でも十分だと判断したのかな」

「本当にそんな物なの。帰りの船の手配で儲けられないわね」

「もう狙っていたのか」

「賄賂を出さなくて済む銀(かね)は貴重よ」

「帰りは汕頭(シャントウ)から潮州(チァォヂョウ)鳳凰山で王神医の手伝いで、福州まで戻って、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)、南京(ナンジン)を回って帰る様だ」

「船で帰れば大赤字ね」

「フォンシャン(皇上)はまだ俺たちが金持ちだと誤解しているのさ」

「誤解なの」

「そう言うことにしておいてくれ。家には周家の成仙爪が無いので公主から五千借りて来たくらいだ」

「いつまで広州(グアンヂョウ)にいるの」

「役目の半分は終わりだ、後は街をうろつくくらいだから三日くらいの予定だ。定期の船なら安かろう」

「安済でも良いの」

「ああ、十四日以後なら出られる」

「新しい船のが汕頭経由で杭州(ハンヂョウ)まで十六日に出るわ」

「じゃ聞きに行ってこよう」

「案内するわね」

丈夫(ヂァンフゥー・夫)が「大丈夫か」と心配している。

「ばかね、昨日まで棒だ拳だと相手させて置いて、大丈夫だは心配しすぎよ」

店を閉めて付いてきた。

安済の船主は一人二十五両だという、六人で百五十両だ。

明日届ける約束をして伊太利菓子が繁盛していると話が弾んだ。

繁苑(ハンユアン)酒店まで付いて来てフェイイーに「哥哥は十六日の船に乗ることに為った」と報告して二人は帰った。

 

晩の飯は体に良い物を揃えたという。

清炒菜心、チンチャーツアイシンと女中が大皿で出して、小皿に取り分けてくれた。

茶の代わりに香りのよい素湯(スータン)が出て来た。

蝦餃(ハーカオ)はハーガオと言って出してきた。

料理人の言葉と女中の言葉が違うことも有り、混ざって使うのでそんなところ程度の事も多い。

仔飯(ボウジャイファン)は北菇雞仔飯パックーカイポウチャイファーンだそうだ。

党参鹿角膠燉水鴨、ダァンシェンロゥジンジャオドゥンシュイィアと料理人が言う。

王神医も「確かに体の滋養に良い物だ」と褒めている。

その傍から人頭馬(レミーマルタン)を出してきて「何を考えるんだろう」と笑いながら飲んでいる。

湯(タン)と酒で体がほてって額に汗が浮かんでくる。

帰りの予定迄どうするか話が弾んだ。

與仁(イーレン)は共同歩調を取ろうという店が見つからないという。

「話をまともに聞いてくれるところが有りません」

興基街の双顛行へ持ちかけようか。劉全が死んで前ほど威勢がよくないと孜漢(ズハァン)が心配していた」

部屋に宜綿(イーミェン)と来てくれと言っていたらフェイイーが卓を回ってきた。

「明日はチゥァンツァィ(川菜・四川料理)の調理人が支度します。辛いのが苦手な人は教えてくださいね、向こうの料理人に辛くないのを用意させます」

「そんなに調理人を抱えたのか」

「まさか、この場の調理人は洋人の教えに従ってドメーニカ(domenica・日曜)は休みにしてくれと云うので知り合いの家から来てもらうんですよ。それを目当ての方も来てくれます」

緋衣(フェイイー)はュエツァィ(粤菜・広東料理)を二つの調理場で競わせているという、客は好みの調理人を選んできてくれるという。

フェイイーに「これほどの商才があるとは」と宜綿(イーミェン)ならずとも驚くのは皆同じだ。

今日もこちらだけでも四組ほどの客が来ていて、卓は一つしか空いていない、四人掛けしか空いていないので七人の客が来て屏風の向こうに卓を運び込んでいる。

四人掛けから八人掛け迄卓がある、この部屋で三十人は楽に引き受けられるという。

八人掛けと四人掛け、八人掛けと六人掛けが繋げてもいい様に広さに余裕がある、卓は人数に合わせて持ち込むそうだ。

高級感を出そうと余裕を持った配置だ。

平大人の瑠璃廠東の廊房頭条胡同(ラァンファントォゥティアォフートン)幹繁老(ガァンファンラォ)と味も雰囲気もいい勝負だ。

弟弟は龍蘭玲(ロンラァンリィン)の家族が京城(みやこ)に滞在中に子供達に婚姻間近の來杏妹妹(ラァイシィンメィメィ)を連れて毎日足を運んでいた。

それを全部福恩(七歳)と妹妹(メィメィ)の香蘭(四歳)が公主に教える。

「宴会場から見ると御庭の方が高いのよ、変なお部屋なの。岳母(ュエムゥー)の蘭玲(ラァンリィン)のお部屋から前門が見えるのよ。上の池から下の池へ水が流れ落ちているんだけど高い池に何処からお水が来るのか爸爸(バァバ・パパ)も分からないのよ」

香蘭(四歳)はラァンリィンに直ぐ懐いて三日目には泊まりこんでしまった。

平大人は屋根の物見に防火用の大きな桶を二か所四つ置いて、客が宴席にいると竹樋で上の池に流し込むのだ、どう見ても竹垣としか見えない。

入れ替えないと桶が汚れると云うことで思いついたという、其の水係の男が南北の物見の下にある井戸から滑車でくみ上げるので、上下二人が庭番から選ばれる。

 

 

その晩宜綿(イーミェン)と與仁(イーレン)に興基街の双顛行に代理業者を引き受けるなら広州(グアンヂョウ)にあるインドゥの分の銀(かね)を貸し付ける相談をした。

広州に固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)の分が五万両、インドゥが二万両ある、其処から一万両を買い付け費用の基金にし、今から手蔓を付けさせようとなった。

二人が引き上げると部屋へ緋衣(フェイイー)が遣ってきた。

フェイイーは口づけをして大きな榻(タァー)へ誘った、離れの寝床より低い作りだ。

「この方が洋人には喜ばれるんですよ。船の生活が長いですからね」

小さな胸が期待で張っている、桃色の乳首も子供の時の儘だ。

「フェイイーの乳首はどうして年を取らないんだ」

「顔は歳をとったと」

「もう三十だろ」

「来年ですっ」

怒った顔は色気たっぷりだ。

「三年前よりいいぞ」とインドゥの気が高ぶっている。

フェイイーの腰がインドゥを押し上げる様に蠢いている。

「ハイヤオ、ハイヤオ、ハイヤオ(要もっと、もっと)」

動きが激しくなると喜びの声も大きくなった。

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」

インドゥも久しぶりのフェイイーに我を忘れそうだ。

「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になってくれ)」

上に乗せて善がる顔を見ながら般若理趣経・十七清浄句で気を落ち着けた。

妙適淸淨句是菩薩位

慾箭淸淨句是菩薩位

觸淸淨句是菩薩位

愛縛淸淨句是菩薩位

一切自在主淸淨句是菩薩位

見淸淨句是菩薩位

適悅淸淨句是菩薩位

愛淸淨句是菩薩位

慢淸淨句是菩薩位

インドゥと手を組んでフェイイーの動きが激しくなった。

「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になって)」

フェイイーは行きそうになって慌てている。

脚を両脇に抱え強(きつ)く押し付けると合わせる様に腰を動かしてきた。

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

もう行く寸前の様に体をそらして耐えている。

「行くぞ、行くぞ」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

顔が歓喜に震えて来た。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

声を上げてフェイイーの気が飛んだ。

汗ばんだ身体を拭って「ハオピィアオリャンダションヤ(好漂亮的胸呀・胸が綺麗だよ)」というと起き上がって胸を押し付けて来た。

口を吸って舌を取り入れると甘い香りがする。

そういえば汗ばんだ身体も昔より甘い香りに包まれている。

「香水を変えたのか」

「そう、パリから来たと伊太利人が売り込んできたんですって。葡萄酒(プゥタァォヂォウ)を買うとき弟弟(ディーディ)がたくさん買ったんですよ」

仏蘭西王家の没落、総裁政府の内輪もめ、ナポレオンの台頭、仏蘭西は大きく揺れている。

甘い茉莉花(モォーリィーフゥア・ジャスミン)の香りは歳をとって色気が増したフェイイーに合っている。

「なんでも王妃が亡くなって、お店をしめたウビガンという店の香水と言っていたわ。あとは買わないし、呉れもしないから覚えられなかったわ」

「大分散在しているようだが、老爺(ラォイエ)の遺産を貰ったと言っていたが前に裏の門であった人か」

「あれは爺爺(セーセー)、媽媽(マァーマァー)は一人っ子だったので私たち五人で分ける様に言われたの。姥姥(ラァォラァォ)はお金持ちだから心配ないし」

「ひとりの娘が五人の娘を産んだか」

「其の五人の子供は男は全部で十二人もいるのよ、一番上が呉運宣(ンインシュアン)でその子供も男三人。女は二姐の所で一人だけ」

「女は一人しか産まれなかったんだ」

「私にも産ませてくれる」

「この前出来なかったのに、今度出来るとは保証できないぜ」

そんな寝屋ごとを言っていたがフェイイーは始末をつけて部屋を出た。

 

 

十一日、夜中の雨で街を流れる「アッラーフ・アクバル」の声が澄んで聞える。

時計は四字五十五分だ、陽はまだ出てこない。

六字に廊下に陽が差してきた、女中が一斉に階段を上がって来て受け持ちの部屋に「起きられましたか。御用は有りますか」と声を掛けて来た。

「起きているよ」

その声でタオルを持って入ってきた、部屋の外に「静」の札を出せば八字迄ほおって置いてくれる。

朝の歯磨き用のブラシを置いて、磨き粉も新しい壺と交換して出て行った。

船乗りの風習と旅籠独特の風習は昔の儘だ。

朝用の食堂ではもう客の声が賑やかに聞こえている。

半に降りて行くと與仁(イーレン)が後から降りて来た。

「三人で顔円泰(イェンユァンタァイ)の顔を拝んでどうするか最終判断をしようぜ」

粥を食べながら話して居ると全員降りて来た。

「王神医は船が出るまでどうします」

「英敏(インミィン)と薬房を巡って歩くつもりだが。昨日話して居た雑穀問屋なら面白い作物でも知ってそうだから今日はついてくよ」

結局六人で行くことにした。

前は案内されたのでこの辺りと思ったが與仁(イーレン)も首を傾げている。

通りがかった老媼(ラォオウ)に聞いたら道が二本違うという。

「半里戻って城壁を背に二本先を上がるんだ」

礼を言って別れて行くとすぐ見つかった。

大分老けたなと見えたのも髭が白くなったせいのようだ。

再会の挨拶を交わして景気を聞くと「馬鈴薯(マァーリィンシゥー・potato)の値段が下がったのに売れないので困る」という。

「安けりゃ買い手は喜ぶだろうに」

「船乗りは余分に買ってくれるが、汕頭(シャントウ)から先が運送費で赤字に為る。船主も困っているが出せば損をするし、持ってれば最後は腐る。甘藷(ガゥンシュ・sweet potato)の時期が来て荷が来るが、仲介も倉庫が満杯で共倒れだ」

王神医が「天津迄直に送るのは有るはずだが」と聞いている。

「船二杯は三月に送って京城(みやこ)と南京(ナンジン)にはもう着いています。送り出した後呂宋(ルソン)から大量に送り込まれてきたので、相場が暴落しました。奴らも売れずに困っているはずです」

茶の前にこの話の解決が先のようだ、王神医も余分な事だと自分の聞きたいことは控えている。

「船の代金は天津まで幾らの話で何石送れる」

「二千二百両で千二百石の約束が二隻なので二千四百石」

「馬鈴薯だけでその量か」

「半分は米に粟(スゥー)と玉米(ユゥミィ・コーン)ですよ」

馬鈴薯と粟に玉米があるなら人だけでなく、牛馬も助かるはずだ。

「ここの売値は幾らだ、船の銀(かね)抜きで手に入る金額だ」

即答で「三千二百両」と帰ってきた。

「俺たちが買っても困る奴は出ないのか」

「天津(ティェンジン)の紀経芯(ヂジンシィン)達は荷が無いと困るのですが」

「分かった。船が四千四百で七千六百あれば損は出ないんだな。相手は紀経莞(ヂジングァン)の栄興(ロォンシィン)へ受け取らせる」

「それだけあれば甘藷の仕入れに困らないので助かります」

インドゥが葛籠から銀票を出して受け取らせた。

その場で紀経莞(ヂジングァン)への手紙を書いて救済用として送ることにした、受け取りは雑穀用と船代金の代行運糟費用として出させた。

船は早速相談の上急ぎで送ると約束してくれた。

広州から天津(ティェンジン)は四千六百里、二十八日で着く予定だという。

「直行じゃないのか」

宜綿(イーミェン)が不思議そうに聞く。

「水に食料は五か所寄る必要が有ります。沿岸航路の船は十日分以上は水を積んで居ません。乗り組みは一艘四十人くらいのはずです」

「それくらいだと南京あたりへ行くのも出来るようか」

「そうです。昔は砂糖を運んで、戻りに茶を運んだそうですが。今は戻りの荷が絹物くらいで儲けに為らないそうです」

一度繁苑(ハンユアン)酒店へ戻ることにした。

「哥哥あの調子では茶を扱うのは無理の様ですね」

「そうみたいだ。他を当たるか」

インドゥの手持ちも千四百を切るようで無茶は出来ない。

「昂(アン)先生が茶の次は雑穀かと笑うぜ」

「弟弟(ディーディ)は気楽でいいな。だが不思議だ、女遊びも酒を飲もうも静かで怖いぜ」

「俺は噂だけで哥哥とは違う」

「そうあってほしいぜ。蘭玲(ラァンリィン)に恨まれたくないからな」

宜綿先生の悪事は英敏(インミィン)が口を割らなきゃ孜(ヅゥ)だけだがどちらも口は堅い。

繁苑(ハンユアン)酒店で一休みして安済へ伊綿(イーミェン)と二人で出向いた。

インドゥが與仁(イーレン)から預かった船代金を支払った。

 

裏手に回り雷稗行(レェイヴァィシン)で農作物の値下がり事情を聴いて二人は十三行の店を覗きながら外国商館へ出た。

館の前は小舟が集結していて珠江(ヂゥジァン)の中ほどに大きな顔で停泊している三艘の洋式の帆船との間を行き来している。

「あの船とジャンクじゃ勝負に為らんな。昔のガリオンは見えないな」

「三年前に来たときも見たのは一隻だけだし、あの三角帆もあの当時は一隻だけだった。船は小さいが前より荷は積めるそうだぜ」

ガレオンと違って帆は小さくなり数が三倍はある、マニラガレオンはジャンクの大型船の倍はあるし船員も三百人は乗り組んでいたという。

「砲に銃の性能も違うしな。蒸気機関で動かす船も作り出したそうだ」

「画は見たが荷があまり積めないと書いてあったぞ」

「そのようだが。軍船なら効果は有りそうだが、まだ帆船の方が長い航海に向いているからな」

「だが河を遡るには力が出せそうだ」

「そいつは好いな。大きな船を引っ張らせれば荷も一時にたくさん運べる」

「そんなもんにしか使えんか」

「百年待てば状況も変わっているさ」

後から「シィァンツァォ(香草)探しですか、お安くしますよ」と声が掛かった。

「おやおや、ウーハォグァン(伍浩官)直々の売り込みかい」

バニラもシィァンツァォ(香草)という名で洋式菓子を売る店に広がってきた。

「今度は何か買い入れでも、総督府が恐れていますよ」

早耳は相変わらずだ。

「ただの民情視察さ。供の四十男を覚えているか」

「金庫番かい」

「ああ、あの男が茶問屋の手助けで仕入れの仲介を始めたんだが。此処でしか輸出できずに、茶農家が生産を増やしても送る手立てがなくて、商売にならんそうだ」

「ほしいんだが来ないので困っているのさ。今日もその言い訳だ」

「船で運ぶならいくらでも増やせる話だが南下禁止じゃどうにもならない」

「何か手立てでもあるような顔だな。俺に言えば儲けは折半で好いぜ」

「おいおい、街一番の金持ちが言う言葉かよ」

「夕飯を奢れば知恵を出すぜ。ワインも付けろよ」

「仕方ねえな。宿は繁苑(ハンユアン)酒店だが、料理はチゥァンツァィとュエツァィのどっちがいい」

「そうかメーニカ(domenica・日曜)だ、妻子(つま、チィズ)も連れてくぞ」

「婚姻したか」

「八月で三年に為る、辛いのは俺より好きだ」

敦元(トンユァン)改め伍秉鑑(ウーピンヂィエン)なんでもござれだ。

その晩約束通りに六時の鐘が鳴ると二人でやってきた。

一様に驚いてしまった。

「まさか藺香苑(リンシィアンユァン)」

「そう見えるということは会ったようだな。三年前くらいに連れていたら香蝉(シィアンチェン)が遠目で間違えたくらいだ。よく似ているだろ。俺もシィアンユァンと出会って吃驚したぜ。妻子(つま、チィズ)のンリェンリェン(呉漣漣)というんだ宜しく頼まぁ」

声も似ているようだが少し高いのは異国の血が濃いせいだろうかと思った。

「皆さまお間違えですが、シィアンユァンと違って異国の人は知る限りご先祖に居ませんわ」

何時も言われるのだろうか先手を打って来た、頭もよさそうだ。

「もう四月か五月に入ったかだな」

「そのようです」

医者二人に言われて「そうなんですよ。最初の子でね」と嬉し気に答えた

料理も進んで辣子鶏(ラーツーヂー)が出て来た、王神医も「美味いけどこりゃ辛い」と言いながら汗を吹き出して食べている。

葡萄酒(プゥタァォヂォウ)が甘く美味しい。

「先生、妊婦が辛い物が好きなのは女子(おなご)、酸いものが好きなら男(おのこ)と云うのは本当ですかね、妻子(つま、チィズ)は前から辛いもの好きでしてね」

「半分本当さ」

民間伝承で当たった時の事だけ噂が残ると言っている、それでなきゃ重慶(ツォンチン)付近は女だらけになってしまう。

「産婆なら五月(いつつき)過ぎれば手触りで分かるものが多いよ」

食事が終わっても、まだ店は混んで居たのでインドゥの部屋へ酒の支度をしてもらい、八人で上の部屋へ移った。

 

與仁(イーレン)と孜(ヅゥ)の図面を広げ、ピンヂィエン(トンユァン)が盛んに質問をした。

「其の買入れる船で南京(ナンジン)へ揚子江(ヤンツゥチァン)から上がれれば河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へは船三艘に分けて運ぶというのは分かる。そこからが解決できないとこの話が成り立たないというのだな」

「そうです。寿眉(ショウメイ)も今の三倍、五倍となれば脚夫(ヂィアフゥ)が足りないので、二百四十斤担げなければ儲けが出ないのですよ」

「ここで十三両だ、二十五両で売らないと四両出ない。値上がりは困る」

そんなに高くても買いたいと押し寄せてくるという話に王神医まで驚いている。

「儲けの半分と聞いたがそんなに手数料が減るのか」

「この前売り上げの半分寄こせという馬鹿な役人が居たので商館がいくらで買うか聞きに行かせた。三十二両なら半分だせると計算書を出したうえで交渉したら三十二両で寿眉(ショウメイ)が買えるかと追い返されたそうだ。前も儲けの半分が税と賄賂に取られたのに、今の総督に為って酷くなった」

それで三等分に落ち着いたそうだが、本当に儲けの三分の一税と報告しているのだろうか疑問だ。

「安く買えても福州(フーヂョウ)三両二百銭、河口鎮迄二箱担がせて一擔二両必要だ」

「それが最安値か」

「これ以下では茶の仲買が倒れる。三倍、五倍に増えても人手で取られてしまうよ、茶農家が直に運び込める力はない」

與仁(イーレン)が行程を説明した。

「河口鎮から信江(シィンジァン)を下り、鄱陽湖(ポーヤンフゥ)で贛江(カンジァン)へ入ります。此処迄の船は二百擔が限度です。梅嶺関(メイリングァン)を抜けて再び南雄より北江で船に載せて途中から珠江(ヂゥジァン)で広州へ運ぶ二千里の長い旅程ですが、半分は船としても此処を脚夫(ヂィアフゥ)の補充がつかないとどうにもなりません」

河口鎮からの費用は脚夫(ヂィアフゥ)は二箱担げば半分でも船は同じ一擔だ、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)からの行程六両五百銭以上は当然必要だろう。

「三両二百銭に二両、其処から六両八百銭だと。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)は儲け一擔一両も取るのか」

「他の物はもっと取っているはずだ。與仁(イーレン)たちが入り込んでから、口では五百銭以上は取れませんというがな、ちょいと動かすだけで脚夫(ヂィアフゥ)が三百銭とる、運送で儲けているのは確かだ」

これまで以上に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)に茶が送られるとインドゥも與仁(イーレン)も力説した。

「河口鎮(フゥーコォゥヂェン)を無視していい事は無いが。人を送り込むのも面倒だ」

「與仁(イーレン)の女が窓口を開いた、来年までには様に為るだろう」

「哥哥の女じゃなくてか」

宜綿(イーミェン)はそれを聞いて「そうだ鈴凛(リィンリィン)にも手伝わせろ」などおだを上げている。

緋衣(フェイイー)が居ないか見回してしまった。

話が茶に戻ってほっとした。

これが白毫銀針(パイハオインヂェン)なら八両五百銭に十六両上乗せは当然必要になる。

「脚夫(ヂィアフゥ)を全行程歩かせるのは無理だな。四か所くらい折り返しの宿を造る様だ」

贛洲(カンヂォゥ)までは船、其処からは千五十里を脚夫(ヂィアフゥ)が運ぶ。

河口鎮から広州迄を船、脚夫、船で二千六百里、いつかは運送費を減らすために外国商社が乗り出すだろうが兆しはない。

ピンヂィエンの頭は素早く回転している、妻子(つま、チィズ)は頼もしそうな眼付きで黙って聞いている。

「二日で動ける所で折り返せば疲労も少ない、月に六回は往復できる。帰りの荷を工夫すれば業者も高くは言わないだろう。宿を遣らせるくらい安いものだ。丐頭(ガァィトォゥ)の寄せ場と手を結んで茶が動かないときの留守をさせよう、脚夫(ヂィアフゥ)の頭と話をさせてみる」

福州から海沿いを広州まで陸路千八百里だが実際の道は二千里以上だろう、脚夫(ヂィアフゥ)が居ない、新たに六千六百人以上の脚夫(ヂィアフゥ)の寄せ場設置は難しい相談だ。

茶は一度は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ持っていくのが習いになっている、ここから蒙古を抜けて俄羅斯(ウールゥオスゥ・ロシア)が買うという。

後は手紙で進捗状態を知らせると十字に来た迎えの馬車で帰っていった。

部屋を女中たちと片付けに来て「噂では聞いていましたが本当に香苑(シィアンユァン)とそっくり」と残っていた宜綿(イーミェン)と與仁(イーレン)に話して居る。

 

 

十二日、昨日と違って陽が出るとじっとりと汗ばむようになった。

女中の話では月末には雨の日が多くなるという。

街の日和見は何人もいて誰が当たるか賭け迄が行われているという。

三年前の五月、六月、福州と温州の間の陸(おか)へ台風が上がったのを続けて予見した老爺(ラォイエ)は人気絶大だという。

その後三度当てたという、城内の天后廟近くに屋敷を買うほど人気が出ているそうだ。

與仁(イーレン)は天后廟参りを始めてその噂を聞いて、城内の天后廟へも出かけると海上の日和見を聞いてきた。

「八月までは航路は安泰だそうですぜ」

「そのころは京城(みやこ)へ着いているな」

「手相も見るそうで、あっしの子供は五人男ばかりだそうで」

王神医も喜んで「ついでに精力抜群とは出てないか。俺の薬は必要ないようだ」と揶揄っている。

薬房も新しい話は無いとつまらなそうだ、大黄を欲しがる商社が増えたという。

 

 

十三日は昨日に引き続いて暑い。

孔子廟で宜綿(イーミェン)と二人で冰(ピン)の入った茶を飲んで香蝉(シィアンチェン)の老爺の店へ向かった。

広州土産に細筆を二本組で箱入りに出来るとフェイイーが教えてくれた。

箱付きでガン(金・ジン)の筆を二十組、太さは揃わないというので任せた。

箱は負けるというので二百両の銀票で宜綿(イーミェン)が支払った、十五日夕刻には繁苑へ届けると約束してくれた

この旅に出るので餞別を呉れた者への土産だという。

二人でどう見ても端渓硯水巌だが乾隆十六年と彫がある。

「十七年ならわかるが、大きいのも有るのか」

「うむ、大きすぎるな、よく出来ているが記録は見た覚えがない」

「分かってしもうたかの。そりゃ偽物に為った本物じゃ」

大西洞なので年を入れなくても通用する、余分なことをして値打ちが無くなってここへ来たという。

この老爺削れば良い物をそのまま売る。

老爺は偽物を売るのが楽しくてやめられない様だ、紛い物を見分ける客が来るのが生きがいのようにも思える位だ。

嘉慶元年は大西洞六千と記録され、それが出回っているようだ。

今年は肇慶知府の楊有源の指揮で掘っているという。

「そいつが手に入らないかな」

「無理じゃね。二年もすれば偽物が出てくる。四年前のものは和国へ流れた、向こうの金持ちが自慢するじゃろうて」 

大きな声で笑った。

フォンシャン(皇上)でも端渓硯水巌八寸を超えたら涎が出るだろう。

墨も良い物らしく装っているが、香りの気にいる物は無かった。

十四日の夜中の雨は朝も降り続いている。

辰の鐘の後半時ほどで時計が八字をさすとピタッと雨が止んだ。

あっという間に熱さが襲ってきた。

廊下の温度計は86の目盛り迄来ている。

212で湯が沸くと教えられてきた、茶葉は185まで下げるのが好いとも、いや熱湯で入れるべきだと葉によって喧しく議論されている。

大体入れ替えて冷ましても、正確な温度は手加減次第でどうにでも変化する。

産地と茶による一覧は必要だが、インドゥは人に淹れて貰えばいいとずぼらだ。

伍秉鑑(ウーピンヂィエン)から夜行くと連絡が来たが時間は書いてない。

夜の八字を過ぎてやけに痩せた男を連れて来たが、阿片中毒ではない様だ。

王神医と宋太医が部屋にいて「最近食欲は」と聞いている。

二人は話し合っていたが腹を触って、英敏(インミィン)が部屋から薬を持って来た。

「腹に虫が湧いただけだ。此の紙のように煎じて飲んで、書いてあることを守れば直る。二回分だ」

ピンヂィエンが「薬代は」と聞いたが「いらんよ」と二人で部屋を出て行った。

「この男、丐頭(ガァィトォゥ)の頭だがフゥチンの手下のようなものだ。おれとは飲み友達だ。例の酒を土産にだして呉れ」

廊下の紐を引くとフェイイーが来たので「人頭馬(レミーマルタン)を二本頼む。一本は土産に持たせる」と頼んだ。

一本は手提げの竹籠へむき出しで持って来た。

白蘭地(ブランデー)を呑んで男は陽気になり内輪話を色々教えてくれた。

乞食にも怠け者と働き者、ぐうたらに綺麗好きと様々居るという。

ぐうたらと怠け者の差を面白おかしく聞かせてくれた。

「恵んでもらって有難いというのと、貰いが少ないと文句を言うやつは何時の時代もいます。葬式で助けて貰う立場を忘れて、ごねて暴れるのは街から叩き出す決まりですが、そういう奴に限って哀れな神さんに子供連れが多いので仲裁に入るお節介が出てきます」

「そういうのはどうするんだよ」

「若い衆がこん棒で脅すとへいこらして謝るんですが。どこかで酒を貰うと元の木仏で」

「堂々巡りか」

「酒を飲まなきゃ優しい奴が多くて、でこいつが一番の厄介で。乞食の纏めはなんでも飲み込みませんと」

ピンヂィエンは帰りがけに「これであいつは例の宿は了解したということですよ。いやだと言わないのは引き受けたということです」と耳打ちして出て行った。

すぐ戻って来て百両銀票を「百枚」と言って手渡すと「半分は茶の輸送路の整備資金に使わせてもらう」と囁いて男の後を追いかける様に階段へ向かった。

手伝うが自分の資金は出さないつもりだ「あれで無きゃ金持ちにはなれんと云うことか」呆れるより感心してしまった。

「公主の銀(かね)が減らないからいいか」

何時もと同じ鷹揚な男だ。

その晩のフェイイーは何度も求めて飽きなかった。

抱かれて寝てしまったのは疲れているようだ。

 

「アッラーフ・アクバル」の声で眼が覚めると胸に抱かれているので驚いたようだ。

「やだ、寝てしまったんですか」

「おいおい、まだ寝ぼけているのか」

「だって、普段なら体を拭いて下さるのに」

「拭いたぜ。抱き着いてきてそのまま寝落ちしたんだ。疲れているんじゃないのか」

「疲れさせたのは哥哥ですよう」

自分で何度もせがんだくせに軽口をたたくと服を着て出て行った。

 

十五日、卯の刻の鐘の後、陽が昇ったがすぐ雲に隠れた。

インドゥは服を着替えてぼんやりとしていたら、直ぐ六字に為って女中たちの元気な声が聞こえて来た。

王神医に「フェイイーが疲れているようなので親子の診察をお願いします」朝の挨拶の時頼んでおいた。

朝の粥の時に「王神医がフェイイーと成明(リァンミィン)を見てくださるから後で先生の部屋へ子供を連れて行きなさい」とフェイイーに言いつけた。

英敏(インミィン)がインドゥを呼びに来た、深刻な顔をしている。

成明(リァンミィン)に丁(ディン)の葛籠から薬酒と小さな盃を出して飲ませている。

「どうだ我慢できるか」と王神医が聞いた。

「美味しい」

「じゃ媽媽(マァーマァー)が五日(いつか)に一度、飲みなさいと言ったら飲んでくれるね」

「はい、そうします。それで元気になれるんですね」

「半年飲めば走っても息切れしなくなるよ。苦いと思ったら蜂蜜でビスケットを食べさせてもらうんだよ」

はい判りましたとにこにこしている。

インドゥは前来たときもよく親子で散歩していたのは身体を丈夫にさせるためかと気が付いた。

「どうしました」

「この子の病は心臓の動きが弱く疲れやすい、小豆の粥を食べさせろと言われていたようだが、あの薬酒で直る。だがフェイイーの方は」

「どうしました」

フェイイーに子供を誰か呼びに来させなさいと成明を部屋から出させた。

よほど重病なのかとインドゥの心配は募るばかりだ。

「二人とも久しぶりだと云っても励みすぎだ。ましてフェイイーは仕事で疲れがたまっているのに少しは身体を休めなさい」

フェイイーのあの時の声が王神医の部屋まで漏れているようだ。

英敏(インミィン)も「いくら丈夫でも仕事を減らさないと身体を壊しますよ。女中や番頭も働き過ぎだと心配していますよ」と脇から声を掛けた。

先ほどの壺と盃にあと二つの壺を出して渡した。

「子供だからこれで一年分ある。三年は月に六回、一と六の日にこの盃一杯飲ませなさい。先ほど飲ませたから次は二十一日で好い。あとは福州から船便で二年分送る、壺一つ大人だと二月分なんだが、封を開けると半年で効果は半減する様だ。京城(みやこ)へ経過を半年ごとに手紙で知らせなさい。フェイイーの滋養の処方を書くから薬房で求めなさい。診察と薬酒の銀(かね)は哥哥に請求するから」

インドゥは疑問を投げかけた。

「薬酒が大人と違うのはなぜです」

「子は成長が早い、身体の器官が入れ替わるのに合わせる必要があるからだよ」

丁(ディン)が「広州で一儲けするかと云うので、重いのを堪(こら)えたのに予想外れだ」と嘆いている。

なに家から船までと船から宿へ歩いただけだ、インドゥと宜綿(イーミェン)の予備分併せても六つの壺だ。

インドゥと丁(ディン)も一つずつ持ってフェイイーの居間へ運んだ。

宜綿(イーミェン)の土産の筆は昼過ぎ藺香苑(リンシィアンユァン)が届けに来てくれた。

「シィアンユァンは嫁に行かないのか」

「一昨年貰ってくれる人が居たのですが、婚姻前に風邪がもとで亡くなりました。あの時は広州で百人以上が風邪で亡くなったんですよ」

「俺が独り者なら嫁に欲しい」

「御冗談ばかり」

宜綿先生本気の口説きに、與仁(イーレン)が傍で笑っている、回族なら四人もてると何度も聞かされた。

その晩最後の夜だが、フェイイーは抱かれて口付けだけで我慢してくれた。

「今晩は聊斎志異をお供に寝るんですよ」

巻一の嬌娜(ヂャアォナァ)、死人がよみがえる話は何度読んでも面白い、いろいろと想像を広げさせてくれる。

松娘という娘が産んだ子が狐の子と知れ渡っていたのは何故だといつも読むたびに疑問が起きる。

嬌娜だが本当は孔生のチィズ(妻子・つま)に成りたかったのだろうと思って読んでいる。

 

 

嘉慶六年五月十六日(1801625日)

安済の前から杭州(ハンヂョウ)行きの船に乗った。

汕頭(シャントウ)まで千里の海路だという。

 

嘉慶六年五月十九日-汕頭(シャントウ)

穏やかな航海で四日目の午に汕頭(シャントウ)へ着いた。

景蘭(ヂィンラァン)とムゥチィンの居る司(スー)の家へ向かった。

老大(ラァォダァ)の司皓祐(スーハオユゥ)が出迎えてくれ、大女儿(ダァヌーアル・長女)の景蘭(ヂィンラァン)も元気な顔で宜綿(イーミェン)を出迎えに出て来た。

ムゥチィンには英敏(インミィン)が丁寧に挨拶をして家族として近況を話し合った。

荷船で往復、鳳凰鎮を訪ねて都合十一日、三十両で案内もすると決まり與仁(イーレン)が先払いして前に泊まったという宿へ向かった。

宜綿(イーミェン)と英敏(インミィン)は道筋に街の名前を忘れている。

笑乍ら万安街(ウァンアンヂィエ)の陶芳酒館(タァォファンヂゥグァン)だと言って司皓祐(スーハオユゥ)が案内に立った。

西港(シィガァン)から南へ半里で左へ、一里で大きな十字路。

其処を右手(南)へ折れれば万安街の陶芳酒館だ。

二里程度の道のりを忘れるとは何だと王神医が呆れている。

「前はごみごみした街筋を曲がりくねってたどり着いたんですよ」

「ああ、それは近道なんですよ。家から出て右へ行ったはずです」

船頭の助け舟で面目が潰れずに済んだ。

二十日

西港から梅渓を抜けて韓江(ハァンジァン)へ入って上流の潮州へ入った。

湘子橋(シァンズーチィァオ・広済橋)の先の港へ船を付けて宿へ入った。

二十七日までに船を持って来ておくという約束が出来た、茶が買えれば持ち込めるように午後には必ず付けておくという。

百擔を超すようならもう一艘潮州(チァォヂョウ)で用意するという。

老大の司皓祐(スーハオユゥ)が六月一日以降に出る福州(フーヂョウ)迄の船の交渉を任されて船へ戻った。

案内は去年と同じ景蘭(ヂィンラァン)が付いてくれた。

昨年下った道を辿ると伝えて馬の用意は景蘭(ヂィンラァン)が整えてくれた。

 

 

翌朝、辰の正二刻に出ると馬爛(マーラァン)が替え付きで八頭の馬と馬方七人を引き連れて待っている。

宜綿(イーミェン)は「三十六両でどうだ」と声を掛けて「與仁(イーレン)先払い十二両渡してくれ」と出してもらった。

昨年より馬が多いが「そんなに頂けやせん」と云うのを「良いじゃねえか」と與仁(イーレン)が渡した。

久しぶりの挨拶を蔡太医が交わして、塘仔(トンヅ)淀團(ディェントァン)へ向かった。

七十里の道を半分に分けたのでお大尽旅だ、三十里登って未に宿へ入り汗を流して飯にした。

東の離れに宜綿(イーミェン)と景蘭(ヂィンラァン)に蔡太医が入り、西へインドゥ、王神医、丁(ディン)に與仁(イーレン)が入った。

戌の鐘が遠くに聞こえて来た、景蘭(ヂィンラァン)が扉を開けて宜綿(イーミェン)の部屋へ来た。

インドゥから借りた聊斎志異の第八巻の「蓮花公主」の巻を読み終わったところだ。

「やぁ、女王蜂(ヌゥゥアンファン)のお出ましだ」

手を引いて口づけを交わして強(きつ)く抱きしめた。

「蜂が出たのですか」

「景蘭(ヂィンラァン)が蜂の王女のように気品が有るからだ。早く蜜を分けて呉れ」

「いやらしいのは去年の儘ですこと」

そう言って寝床へ服を脱いで腰かけた。

「ああ、去年もこれが気持ちよかった」

久しぶりの宜綿(イーミェン)もそれに合わせて「行くぞ行くぞ」と精を送り込んだ。

漸(ようや)く落ち着くと「もう久しぶりで、早く気が行ってしまいます」と縋ってきた。

「こんなに良い女と出来る俺は幸運(しあわせ)だ。俺も十分堪能できたぜ。それに去年より色気が顔に溢れているぜ」

「もう宜綿先生は、こんなおばあちゃんを嬉しがらせて」

そうは言うがまだ三十前のはずだ。

抱きしめられるだけで何度も気が行く景蘭(ヂィンラァン)の顔は「艶っぽくてたまらん」と宜綿(イーミェン)は愛おしさで溢れそうだ。

 

 

翌二十二日の朝は快晴、宿の大きな時計は粥の時六字だったが、旅立つものはもう粥を食べ終わって勘定をして出て行く。

鳳凰鎮に未の正二刻に入り宿へ向かうと二人しか入れぬという。

「前に入った大きな離れもか」

「あそこともう一部屋です。明日なら空くのですが」

「男はあの部屋に六人雑魚寝で十分だ、船の部屋より倍はある。泊めてくれると探さずに済む」

宜綿(イーミェン)が「好いですよね」と王神医に言うと頷いている。

「まさか王神医様」

「ばれたか。髭を生やしたから分からないと思ったが」

「先生様を雑魚寝何て」

「何気にするな、気心知れた仲間だ。ジゥジュゼァアン(久居則安)だよ」

半ば強引に部屋で荷をほどいた。

「弟弟(ディーディ)はこの部屋に一人で泊まったか」

「驚いたろ、マーがちょいと耳打ちしたら此処へ入れられてしまった」

「よく何日もこの部屋で我慢できたものだ」

英敏(インミィン)が「くすっ」と笑いを漏らしてしまった。

宜綿(イーミェン)が睨んだが、それで王神医がすべて察してしまったようだ。

インドゥの方を見て「弗慮胡獲 弗爲胡成」と言い出すので皆で笑い出してしまったが丁(ディン)だけ意味が通じない様だ。

「何のことです孔孟の教えですかい」

「いやいや、為せば成ると思わなければ何もできないということだ」

「宜綿先生がですか」

「いや、ここに居ないヂィアレェン(佳人・美人)の事さ」

丁(ディン)には景蘭(ヂィンラァン)とは結び付かない様だ。

飯を食う大きな部屋は泊り客で満杯だというので、部屋へ飯の支度がされて景蘭(ヂィンラァン)もやってきた。

賑やかに食べて寝酒を貰って明日からの予定を確認した。

二十六日が茶市で高級品はこの日が最後と云うので上に登るのを二人は止めにした。

與仁(イーレン)と宜綿(イーミェン)が此処で茶の相談。

他の四人は明後日景蘭(ヂィンラァン)が案内して烏崠山(ウートンシャン)へ向かって、祖父の楊(ヤン)老爺の家で二泊。

今年は来月六日まで虎頭村茶市が一日六日に開かれるという。

鳳凰人気もあるが周辺の低地茶が多く集まる様に成り、四回増やしたという。

マーがもう一人の馬方と残ることに為った、景蘭(ヂィンラァン)が居なくともマーで十分間に合う。

既に一芯一葉は三月初に御茶膳房の太監が献上茶を受け取り、いつもと違い茶樹の状態も見て回ったという。 

一芯二葉は蘇州(スーヂョウ)で二月九日よりが普通だがここではひと月ずれたという。

一芯三葉も三月末に始まり高地ではまだ終わらないという。

春前茶・明前茶・雨前茶(明後茶)と区別はせずに年寄りと呼ばれる指導者が天候を見て時期を決めるという。

孜(ヅゥ)が何軒かに連絡は取っているので與仁(イーレン)がそこを回れば状況も分かるはずだ。

 

 

二十三日朝霧が籠る中景蘭(ヂィンラァン)が村の長への挨拶に案内をした。

「昨年はお世話に為った。俺の面目も哥哥の顔も立って礼を言わせてもらう」

宜綿(イーミェン)もここでは神妙だ。

「孜(ヅゥ)さんから、丁寧な手紙も頂きました。フォンシャン(皇上)もお喜びと聞き嬉しく存じます。それでご相談ですが昨年と同じ樹の一芯一葉、一芯二葉、一芯三葉と買い上げて頂けませんでしょうか。鳳凰水仙は手紙が来て市へ出さない分は用意が有りますが、値は市場値段で御座います」

どうやら孜(ヅゥ)の要望もかなえられそうだ。

「それは願ってもない事で、この與仁(イーレン)が買い付けの代理を頼まれてきていますのでよろしくお願いしたい」

與仁(イーレン)に孜(ヅゥ)が長宛の手紙を託していたのでそれを差し出した。

「孜(ヅゥ)さんが寄こした手紙とそっくりですな、苦み走った肩の張ったいい男と在りました」

與仁(イーレン)照れてしまった。

「それで量はどのくらいで、支払う高はどうなりましょう」

「いま、若いのが来るのでそれと話してくだされ」

與仁(イーレン)が遣ってきた男と帳場へ出ると「去年の武勇伝を聞きたい」と長が老人たちと茶をふるまって話が弾んだ。

二十五本百年樹一斤を三包みの七十五斤、それを一番、二番、三番の三種、二百二十五包み二百二十五斤二百二十五両の特別な価格。

鳳凰水仙一芯二葉十擔百両、一芯二葉十擔八十両、一芯三葉十擔五十両。

合わせて四百五十五両で決まったと部屋へ戻って報告があった。

宿へ戻り皆で話し合った。

「やはりフォンシャン(皇上)に七十五包みは献上するか」

「そうしておこうぜ、俺のはないのかは不味い」

「この三種分は俺の出銭で好いぜ與仁(イーレン)。公主へ同じもの、さて一つは銀(かね)にするか」

「福州で入れ札はどうです、二両で入れ札なら売れ切れまちがいなしでさぁ」

「一芯一葉から閩浙(ミンジゥー)総督玉徳(ユデ)に二つ、李殿圖(リーディェントゥ)に汪志伊(ゥアンヂィイー)と孟老爺一つで残りを売ろう。一芯二葉一芯三葉も売れば経費をかけても與仁(イーレン)の手数料に少しは残る」

「見本が無いと不味いですぜ」

「其れなら一番、二番、三番の三種の中から一つずつ見本で飲ませるのもいいさ、去年の噂は広がっているだろうからな」

英敏(インミィン)が一番四両十九包み、二番三両二十四包み、三番二両二十四包みで計算した。

百九十六で経費に大きく掛けても百は残ると英敏(インミィン)は大雑多に出してきた。

王神医が「孜(ヅゥ)の為に三種二包みずつは持って帰ろう」と言ったので皆が「良い言葉で孜(ヅゥ)も喜ぶだろう」と賛成した。

一番四両十七包み、二番三両二十二包み、三番二両二十二包み、百七十五両。

一人各番一枚の三枚の権利、重なればくじ引き、札のない物は希望者でくじ引きと王神医が世慣れた提案をして、庄(チョアン)の店の名誉回復の手伝いをすることにした。

「銀(かね)が残れば庄(チョアン)と半分こにしていいですか」

「庄(チョアン)め喜びすぎてひっくり返るぜ。茶注ぎの上手い物を探させても文句は出まい」

王神医が宗(ソン)の痩せに河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ行かせるのじゃなかったかと教えた。

「ついでに福州(フーヂョウ)も連絡を出せば用意も出来る」

マーに来てもらって宋英明(ソンインミィン)か英政(インヂァン)の兄弟へ出かけられるかの聞き合わせに出て貰った。

インドゥとイーレンが庄(チョアン)へ準備の要請、王神医は妻子(つま、チィズ)へ薬酒用の壺の手当てなどを書いた。

與仁(イーレン)は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ二通、董(ドン)茶商へ六月初に福州(フーヂョウ)、月末には河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ出られる予定と書いた、序でですからなどと断って星星(シィンシィン)へも書いて置いた。

三人で戻って来て明日の二十四日の朝に出られるという、二人でどちらへ行くか猜拳(ツァィチュァン)で決めて来たという。

福州(フーヂョウ)迄九百六十里、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)まで千五百里。

弟弟が河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ行くというのでインドゥが三十両、宋英明(ソンインミィン)へ二十両出して頼んだ。

「こんになゃ頂けませんよ」

今回だけだ、受け取ってくれないと俺が困ると宜綿(イーミェン)が言って受け取らせた。

兄弟で「勝負にゃ出来ないな」と残念がっている。

 

 

二十四日、宜綿(イーミェン)は朝から届く包みへ樹の名前書きで一日潰れた。

飯の前に景蘭(ヂィンラァン)が腕と肩、腰の按摩(アンモォー)をしてくれた。

宿の部屋は午後に旅の者が五人来たので、空いた部屋へ入れる様に王神医が主に命じ、こちらは引き続き雑魚寝にした。

二十五日は宜綿(イーミェン)と與仁(イーレン)を置いて景蘭(ヂィンラァン)の祖父楊(ヤン)老爺の家へ登って行った。

人が減って広くなった離れでマーと残った馬方の四人で陽が暮れる前から宴会を始めた。

二十六日は虎頭村茶市へ長が付けてくれた男と向かって、宋(ソン)の瘦せの妻子(つま、チィズ)の小間物屋へ出て手巾などを買い入れた。

「新しいシィァンヅァォが入ったから二つ持っておいきよ」

そう言って紙袋へ入れてマーへ手渡した。

「買わせてもらうよ」

「何言ってんだ、銀(かね)を置いて行ったら丈夫(ヂァンフゥー・夫)に怒鳴られちまうよ。明日湯たらいをすると聞いてないのかよ」

「聞いてないぞ」

「なら忘れてんだ」

「そいゃここんとこ混んでるからな」

「前は月二回が三回に増えたんだよ」

「よく知ってるな」

「あっこの呆け息子が家の娘と一緒に成りたいと言ってきたんだ」

「よく働くぜ、呆けは可哀そうだ。嫁に出すのか。もうそんな年に為ったか」

「十六だよ、行きたいというんじゃ断れやしないじゃないか」

昨年世話に為った茶商と與仁(イーレン)は低地の茶を買う相談をしている。

指値で落ちれば擔当たり二百銭手数料で、二十擔を與仁(イーレン)が引き取ることで合意し、茶商は五十擔を百十二両で手に入れた。

擔当たり二千二百四十銭、與仁(イーレン)は二千四百四十銭で二十擔を引き取った。

二十擔を四十八両八百銭なら、鳳凰の名が付かなくても鳳凰山から出たと言えば引手数多(あまた)だ。

二十七日に潮州(チァォヂョウ)の北の港まで降ろすことにした。

鳳凰茶二百二十五斤は二擔に分け、自分たちでから馬ヘ懸垂荷にして降ろすことにした。

鳳凰水仙三十擔と合わせて五十擔を百人の脚夫(ヂィアフゥ)が会所の男が率いて司(スー)の船へ運び込む。

一人八百銭とのことで與仁(イーレン)は人手が有るというので百人分にして銀八十両を支払い酒手に十両を指図人に手渡した。

「そんな安くて脚夫(ヂィアフゥ)が承知するのか、昨年よりだいぶ安いぜ」

「村へ上げる荷も向こうで用意しますんで、登りは一両百銭取れます」

上げる荷は何時も降りてくる脚夫(ヂィアフゥ)待ちでこの時期は良い稼ぎになる様だ。

 

二十八日に揃って山を降りた。

塘仔(トンヅ)淀團(ディェントァン)へ泊まって馬方も含めて宴会を開いた。

景蘭(ヂィンラァン)が宜綿(イーミェン)の部屋へきて「山でお情けを頂く機会が無かったと何度もせがんで燃えた。

三度目に「もう駄目です」と息が上がってくれてほっとしたのは宜綿(イーミェン)の方だ。

動かずにこのまま抱いてほしいというので胸が潰れるほど強く抱きしめた。

船へ着くと司皓祐(スーハオユゥ)が荷を受け取りそのまま汕頭(シャントウ)へ川を下った。

西港(シィガァン)へ着いたのは申の鐘が聞こえた後だ。

荷は司(スー)のおっかさんが見張りをつけ、明日福州(フーヂョウ)へ出る船に積み込んでくれるという。

船は六月一日卯の刻に西港から出るそうだ、明日一日余裕が出たが、出来れば前日日暮れまでに乗ってくれと事付けが来ていた。

万安街(ウァンアンヂィエ)陶芳酒館(タァォファンヂゥグァン)迄次兄が案内してくれた。

宿の掛け時計は六字二十分だった、主は七字十分ごろが酉に為ると教えてくれた。


 

福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)迄海路千百五十里と云う、五日目の未に着いた。

四里ほどの道のりに「四百銭出す」というと寄せ場で百四人直ぐに集めて船から降りるのを待って庄(チョアン)の「望園」迄行列で茶を運び込んだ。

手紙を読んで噂を流したら「いつに為る」と問い合わせで大騒ぎだという。

十日の予定だと答える様に番頭に言っていたと着いてほっとしている。

「船ばかりは天気次第ですから」

與仁(イーレン)福州(フーヂョウ)へ五日程度と思っていたらしく「じゃ、十日で場所はどうします」と聞いている。

「宿へまず入って下さい。二人ほど連れて酉迄にはお伺いします」

「じゃ與仁(イーレン)は数の確認をして後から来いよ」

それで歓繁(ファンファン)酒店迄五人で向かい、店の前で王神医と丁(ディン)は家へと別れた。

宿では三人で入ったので驚いている「あとから一人来るから四部屋だよ」というと安心した顔つきに為った。

「お部屋が飛び飛びになりますが」

「また食堂か宴会場を占領する気だから寝る部屋は何処でもいいよ」

部屋が決まり汗を流して下へ降りたら與仁(イーレン)が着いたので「汗を流して来いよ。降りてからゆっくり飯にしようぜ」と部屋へ向かわせた。

降りて来て呆れて話してきた。

「哥哥の部屋が決まった後、幾人か来たそうでとんでもない部屋へ入れられちまいやした」

「物置程度か」

「いえ前に英敏(インミィン)さんたちが止まった部屋ですよ」

繁苑(ハンユアン)酒店以上だと英敏(インミィン)と話して居る。

七日までと云うので女めわざと與仁(イーレン)を入れたなと宜綿(イーミェン)と顔を見合わせた。

頷いている、英敏(インミィン)はそういう事には疎いようだ。

飯を食べていると庄(チョアン)が押し出しのいい男と背の高いのを連れてやって来た。

食堂が混んでいるので外へ行こうか相談していたら、宴会場が空いたからと云うので部屋を移動した。

宋(ソン)の瘦せの弟弟から河口鎮の董(ドン)茶商の手紙が来たと先に渡してくれたので回し読みしながら庄(チョアン)の話を聞いた。

物が物だけに一人でやるよりと中間内で相談して三人が代表して仕切るそうだ。

鳳凰の昨年の樹の物が手に入ったという話と、入れ札の方法を話した。

一番四両十七包み、二番三両二十二包み、三番二両二十二包み、百七十五両に為る予定。

一人各番一枚の三枚の権利、重なればくじ引き、札の入らない物はその組の手に入れられない者からの希望者でくじ引。

売り上げから與仁(イーレン)に元値の七十五両を支払い、経費を抜いて後は半分與仁(イーレン)と決まった。

庄(チョアン)の店の名誉回復の手伝いをすることにしたのも「昨年来の付き合いの動きが良い事への返礼」とインドゥが代表して手助けの礼を先に言った。

三人の茶商が一番茶から閩浙(ミンジゥー)総督玉徳(ユデ)に二つ、李殿圖(リーディェントゥ)に汪志伊(ゥアンヂィイー)と孟老爺一つで五つを明後日届けて回ることにしてもらった。

見本の飲み比べは当日重ならないように誰か選ぶものを指名となった。

孜(ヅゥ)への土産は三種六包み、樹が重ならない様にチョアンが選ぶことにした。

三人がインドゥと宜綿(イーミェン)、與仁(イーレン)、英敏(インミィン)の四人にお願いが有ると改めて言い出した。

鳳凰水仙一芯二葉三擔、一芯二葉三擔、一芯三葉三擔に鳳凰山三擔を分けてほしいという。

一人一擔ずつ欲しいというのだ。

インドゥは與仁(イーレン)しだいだと「頼む相手は與仁(イーレン)だ」というと宜綿(イーミェン)は「今分けて置けば寿眉(ショウメイ)を集めるのに無理が効くぜ」とどちらの後押しか分からぬことを言っている。

「そりゃもう今の取引価格でお受けさせていただきます。値上げなど滅相もない事で」

「そういゃ脚夫(ヂィアフゥ)の手配は出来たのかよ」

「武夷から先が詰まっています」

董(ドン)茶商は武夷下梅村(茶市場)で六月十五日から三十日まで滞在しているという手紙にも脚夫(ヂィアフゥ)次第でどのくらい買うか考えるとあった。

「董(ドン)茶商の手紙だと南昌の茶商が武夷洲茶を買い集めて蒙古から俄羅斯(ウールゥオスゥ・ロシア)へ送り出すそうだ。下梅村茶市場が幕開けすればもっと込み合いそうだ。裏話だが広州(グアンヂョウ)では十倍くらいは買い受けられるそうだ」

「送る手立てが有りません。前お聞きした南京周りでも河口鎮から先が詰まってしまいます」

「怡和行が代替わりした。二代目は脚夫(ヂィアフゥ)宿の整備に丐頭と手を結んだ。それが出来れば後は贛洲(カンヂォゥ)までは船、其処からは千五十里を脚夫(ヂィアフゥ)が運ぶ、北江で船に載せ珠江(ヂゥジァン)を下る船を用意すれば脚夫(ヂィアフゥ)は七五十里で済む。宿は前後を入れて五か所を自前、脚夫(ヂィアフゥ)の頭が三か所を丐頭と手を組めば可能らしい」

「茶運びだけの宿ですか」

「今の宿へ梃入れして整備する様だ」

「船の方はどうでしょう」

「今は三千石積み一艘だが三艘に為れば一時に九千から一万運べる。川だと積み込み過ぎたら登り切れないだろう。上海で積み替える手もあるが刻が掛かれば金がかかるだけ無駄になる」

「哥哥はどのくらいまで増えるとお考えですか」

「樹の方が十年で五倍、三十年で二十倍。そのくらいは広州(グアンヂョウ)で買い受ける力はある。そのころには農家の手間代も倍は取れるだろうよ」

その先はと聞いてきたが「異国の商人も高くなり過ぎれば賄賂で開港地を増やせと騒ぐだろう」と皆で笑って終わりにした。

話を戻して與仁(イーレン)が仲間価格としてチョアンへ、鳳凰水仙一芯二葉一擔十五両、一芯二葉一擔十三両、一芯三葉一擔十両、鳳凰山一擔七両四百四十銭と提示した。

「お二人も同業のお仲間で同じにさせていただきますが、ご検討の上お返事を」

「送料を考えたら望外の安い値段で願ってもない事です。ぜひ三人へお分けください」

「送れずに困っている荷が有れば京城(みやこ)へ送らせていただきますので牌双行(パイシュァンシィン)へ連絡してください。値が折り合えば船積みの手配もチョアンさんへお願いしますので。予定は七月五日の船出です」

三人が帰ると武夷下梅村(茶市場)は寄るか相談をした。

王神医の都合を聞いて良ければ遠回りしようとなった、まずは武夷宮迄登る船の手配をして十三日ないし十四日に北港から出ようとなった。

 

 

翌日午後、庄(チョアン)が二人の茶商と慌ててやって来た。

「どうしたどうした。まぁ、一息入れてゆっくり喋りな」

「良いお知らせが。桐木関(トォンムゥグゥァン)迄荷車が通ります」

「今でも小さいのは通れるだろうに」

「いえ、茶の荷車の許可が出ました」

「本当か馬で引けるのか」

「そうです。馬、牛、人力を問わず本日から通れます。河口鎮へも京城(みやこ)から通達が出たはずです」

どうやら妃嬪たちの後押しが功を奏したようだ。

「馬方と脚夫(ヂィアフゥ)の喧嘩に為らない様にまとめ役は居るのか」

「二梅書屋の林家の一族がどちらも押さえています、仲間割れは無いと思います」

「だが道の整備の銀(かね)は何処が出す」

「それですが茶問屋、馬方、脚夫(ヂィアフゥ)の三者負担になりそうです」

「来年までに道が整備できれば倍は送れるな」

「そこまではどうでしょう。荷車を造るにも銀(かね)を集めないと」

「となると脚夫(ヂィアフゥ)の方で荷車を出して人力でもいいわけだし馬方を脚夫(ヂィアフゥ)寄せ場へ貸し出してもいい」

宜綿(イーミェン)が面白い事を言い出した。

馬方が荷の積み下ろしを一人でやるのは嫌がるだろうから、脚夫(ヂィアフゥ)は始と終で必ず必要だ。

「それなら茶問屋が荷車、馬方と馬、脚夫(ヂィアフゥ)と仕事を分けてもいいということで」

庄(チョアン)の仲間が「荷車寄せ場でも作ろうか、縄で括るだけのでは落ちる危険もあるから枠を付けておかないと」など先走っている。

「師傅の仕事が増えそうだ。どうなっているか手紙を出しておくか」

弟弟は気が早い直ぐに要点をまとめて手紙を出してきた。

「大回りが無駄に為りますか」

「いや、そんなに街道を運び切れないぜ。宿場が受けきれない。倍の荷を夜に置ける場所も無いはずだ。馬宿だって馬を野宿させるのは断るぜ」

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ着いた荷の倉庫を増やすには相当な資金が居る。

與仁(イーレン)は英敏(インミィン)と倉庫業者も儲かりそうだなど話が弾んでいる。

鏢局も茶に乗り出すかもしれないと英敏(インミィン)は言い出した。

「どうかな、警護の人数に合う金は茶問屋には払えないだろう」

その後は噂話で茶を飲んで菓子を摘まんだ。

「陳洪弟弟の奥方の話じゃ。実家の方で茶商に資金を出したそうだ」

宜綿(イーミェン)が聞いたところでは長治へ集めた茶を大行の商人が張家口から昔のようにラクダで蒙古、俄羅斯(ウールゥオスゥ・ロシア)へ運ぶという。

「すごい話ですね。此処から広州へ送る何倍も里(リィ)が有るでしょうに」

「それ、里と利(リィ)の掛詞かい」

庄(チョアン)に仲間が面白そうに言っている、少し発音は違うが庄(チョアン)の言い方は何方にもとれる。

「確かにそうだ、道が伸びれば利が増えなきゃおかしい話だ」

インドゥ、昔のお茶会の事を思い出した。

「昔乾隆帝から城内へ招かれた人が始めたと聞いたぜ。五千里運んでいるそうだ」

「しかし異人たちは金持ちが多いですな」

「こっちは日常でも向うじゃ金持ちの見栄なんだろうが、それを真似るのが増えればこちらも儲けられるということだ」

「亜米利加なんざ、茶の利権争いから独立戦争をおっぱじめた位だ」

宜綿(イーミェン)が言うと「聞きましたが、英吉利は利権を失ったということですかね」と話は異国の争いに移った。

「ありゃな、英吉利が植民地へ関税無しで茶を売る法律を作ったのが原因だ」

「安くなるのに、反対したんですか」

「こっちだって賄賂が嫌で密輸が横行している。それが自分たちより安く成りゃ密輸業者もおまんまの食い上げだ」

「それで真面目な官員が密輸業者に目の敵に」

「そ云う事さ、俺の爸爸(バァバ・パパ)に哥哥の爸爸(バァバ・パパ)を悪者にしたが、賄賂を取るのが減った話は何処にもないぜ。此処だって真面目な総督じゃ儲けが出ないというので海賊が台湾から出てくる」

その晩は茶商と夜が更けるまで話し込んだ。

十日の売り立て会も無事に済んで庄(チョアン)達の買った鳳凰の茶迄が売り切れる騒ぎで與仁(イーレン)に泣きついて三人で一擔を振り分けて買い入れた。

三人で寿眉(ショウメイ)を二千擔六千四百両で売り渡すという、紅花(ホンファ)へ五百銭の手数料をそこから払うというので與仁(イーレン)が引き取ることにして船は関元(グァンユアン)の寶泉が戻ってきたら送り出すことにした。

船代を二両見て宜綿(イーミェン)と孜(ヅゥ)がそれぞれ一両口銭をとっても七両二百銭だ。

出がけに擔八両で卸す予定と問屋へ触れて来たので孜(ヅゥ)の店で八百銭取れば八両に為る。

店と個人を別にしないと哥哥に返せないと與仁(イーレン)が言ったのでそうした。

 

 

嘉慶六年六月京城(みやこ)に大水害が発生した。

五月三十日(1981710日)酉刻より降雨が昼夜続き、六月二日申刻になってもやまなかった。

六月三日には紫禁城の東側は水深が五尺を超え、城内軍機処直房内は一尺以上の浸水となり事務が取れなくなった。

城内は北が高く東南への排水設備が機能を発揮して水は引いて行った。

追い打ちをかけたのは通恵河と永定河が決壊したことで城外も水没個所が増えた。

六月三日永定河流域は二十余ヶ所が決壊している。

六月五日の倉場侍郎等の上奏に、六月一.二日の大雨で通恵河の水位は急増し、平上閘南北岸(万寧橋)・普済閘南岸・通州城西門外滾水壩(北京市通州区西大街)・王相公荘北岸の堤岸計七二丈五尺が決壊。

温楡河(北運河)は流石に通恵河の水を受けきれなくなっていた。

六月八日盧溝橋周辺の決壊は四ヶ所で起きた。 

盧溝橋東三十里にある鎮国寺、潘家廟には被災民が避難してきた。

直隷の被災州県は、全州県数百四十五中、百二十八州県に及んだ。

永定河と温楡河(北運河)の合流点付近も水が溢れ出した。

二十日を過ぎると大運河、永定河の出口、天津の水も海へ流れ出し街が動き出した。

六月二十四日ようやく永定河決壊個所の水が引き始めた。

永定門外と右安門外の水は三尺から四尺引いたと報告が上がった。

永定門外と右安門外の百村荘の災民は二万二千人に増え、船で巡回して麺食を給付している。

 

前に戻り福州(フーヂョウ)。

十三日に王神医夫妻に丁(ディン)夫妻が合同して福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)を出て閩江を上った。

 

十八日午に武夷宮へ着いてさらに河を逆登る事二十二里で下梅村へ着いた。

董(ドン)茶商の泊まる宿へ一行も入り、その晩は酒盛りに為った。

今年から此処の茶市へ参加したという恰幅のいい男を紹介された。

常秉文という山西楡次県から来たという。

「もしかして俄羅斯(ウールゥオスゥ・ロシア)へ茶を送ったというのはあなたですか」

「いや、それは老爺(ラォイエ)の事です。私は南の方を受け持って今年は此処の茶の買い付けに来ました。運び出すのに脚夫(ヂィアフゥ)の手立てが付きません」

「福州へ荷車の許可が来ましたから桐木関(トォンムゥグゥァン)迄車が有れば運べますよ」

董(ドン)茶商が「コッチは良いが向こうは」と心配そうだ。

「話じゃ江西も出たはずだ」

「道次第ですかね」

「そういう事だ、馬、牛、人力どれでもいいそうだ」

「八擔積んで二人で運べば安上がりだ」

「馬なら倍は行けますね」

「大きな馬車じゃ道が持たないし、肝心の車がない」

「やれやれどっちにしても金がふんだんにかかる」

「どうせ道の整備も押し付けられるさ」

與仁(イーレン)が「今年の荷運びが終われば土方仕事で働くものは多いはずですぜ」と言い出して議論は酒のつまみで賑やかだ。

インドゥは部屋で與仁(イーレン)と宜綿(イーミェン)の三人で、常秉文(チァンピンウェン)を寿眉(ショウメイ)の仲間に入れれば張家口引き渡し契約で幾らか計算を孜(ヅゥ)とするように勧めた。

「千擔くらいでなら運糟費用も安くなります」

「年五千は売り込むつもりで交渉して見なよ。武夷洲茶(ヂォゥチャ)が欲しけりゃ薛(シュェ)家の分を増やして売り込んでもいいさ」

常秉文(チァンピンウェン)の方で通惠河(トォンフゥィフゥ)で受け取るならそれでもいいんじゃないか」

宜綿(イーミェン)は面倒は向こうで見させろと言い出した。

翌十九日、與仁(イーレン)は董(ドン)茶商について村を回り茶市の様子も見て董(ドン)茶商が買い入れて河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ運んだものに手数料を払って引き取ると約束した。

二十日に先に河口鎮迄行っていると話して星村鎮へ出て泊まった。

 

翌朝與仁(イーレン)は薛(シュェ)家へ挨拶に出て、荷車を造る図面を話し合った。

「八擔から十六擔までかな」

「道の整備が進むまでは人力で六擔積んで二人、十擔積んで三人くらいかと」

「福州へ出して京城(みやこ)ヘが一番気楽そうだ」

「河口鎮を使っておかないと広州の引き取りが増えた時に困りますぜ」

「そうか、少し手を考えよう。来年倍は無理でも少しは増やせる話も来てる」

「仲間に入る人でも」

「ほれ妹妹だがな、武夷山鎮の男で後添いに欲しいというのが居て、そいつが洲茶(ヂォゥチャ)を増やしているんだ。その話合いの間に縁談も進んだ、共に再縁だ。今年は百五十擔だが来年は三百出せるそうだ。従弟とは親類に為るから俺達とも遠い親類に為る」

縁談と下梅の話で一刻ほども話して宿へ戻ってきた。

翌二十一日馬の手配をして一日村を回って過ごした。

二十二日に星村鎮を出て桐木関へ向かった。

 

二十三日申の太鼓が響く中宿へ入って駐防官へ連絡を取った。

夜に来て一刻程近況報告をした。

荷車の事はまだここには連絡が来ていないという。

「役所仕事はそんなもんさ」

常秉文(チァンピンウェン)の話をしたら俄羅斯(ウールゥオスゥ・ロシア)の奴らそんな高いの買うとは驚きだと呆れている。

「十年先には十倍はここを通るぜ」

「賄賂稼ぎに可笑しなのを役に着かせなきゃいいが」

「本当だ。広州でもめているのに此処と河口鎮で余分な税でも取ったら売れなくなってしまう」

「どうかしたのか」

「儲けの三分の一が税で三分の一が賄賂だそうだ」

「そんなのフォンシャン(皇上)が許さないだろうぜ」

「ああ、風前の灯火さ、来年秋ごろには危ないだろうぜ」

「まだ一年持つのか」

「総督ともなると簡単には動かせないさ。京城(みやこ)にはうじゃうじゃ親族が居る」

二十四日に出て二十八日夕刻に河口鎮へ着いた。

 

興帆(シィンファン)酒店は三人と云うので與仁(イーレン)、宜綿(イーミェン)、蔡英敏(ツァイインミィン)を此処へ泊めて臨江(リィンジァン)飯店へ行くと離れが二つとも空いている。

奮発して丁(ディン)夫妻に離れを宛がった、もう一つは王神医夫妻でインドゥは二階の部屋へ入った、前に泊まった事のある部屋だ。

飯の時丁(ディン)は平気でも妻の郭氏は恐縮している。

話題は四月三日に誕生した楊琳明(ヤンリンミィン)と一月三十日誕生の鄧佳鈴(ダンジィアリン)の事だ。

大分かかった気がしたが出たのが四月七日、三月掛からずここまで戻ってきたと丁(ディン)も驚いていた。

丁(ディン)は與仁(イーレン)と同じくらいと思っていたが、もう五十に手が届くそうで、娘二人は嫁いで孫が三人いるという。

話して居たら王神医と生まれがひと月違いだという王神医のチィズ(妻子・つま)が「もうそんな年だったの。家の先生より十は若いと思ったわ」と知らなかったようだ。

「俺の薬を飲んでいると思わせるにはいい具合だろ」

インドゥにそう言って笑っている。

嫁さんの郭絃青(グオイェンチィン)が三十六だという、丁(ディン)の世話より孫の方が良いというのを連れ出してきたようだ。

インドゥの部屋は鈴凛(リィンリィン)の私物で溢れていた。

子供を連れて来て授乳が終わるとすやすや寝入った。

口を吸って服を脱がすと榻(寝台)ヘ座って期待の籠った眼でインドゥを見つめる。

胸を押して身体を倒して足を上げさせて秘所を舌でこそげた。

「嬉しい、そればかり心配していたの。哥哥のが強(きつ)いくらいに感じるわ」

「俺のが大きくなったと思えないのか」

「まぁ、この一年で冗談迄云うのですか」

ハオピィアオリャンダションヤ(好漂亮的胸呀・胸が綺麗だよ)。ビャオリャン(漂亮・美しい)。これは本気だぜ。去年より色気が出て良い女に為った」

「行ってもいいか」

「グオライ、グオライ、ニィン(来て来て貴方)」と仰け反って「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」と気が飛んだ。

 

與仁(イーレン)は星星(シィンシィン)と子供に会いに出て一刻ほどで宿へ戻ってきた、

「天后廟は如何した」

「先へ挨拶して星星(シィンシィン)と子供の顔を見てきました」

「随分あっさりと戻ったな」

「いくら久しぶりでも着いたらすぐのお務めはねえですよ」

「なんだ、あれでも来ていて振られたか」

「お二人に罹っちゃ言い逃れも出来やせん」

三人でばかっぱなしで酒も進んで早寝した。

二十九日

徐(シュ)老爺と息子の三艘が戻ってきた。

老爺と徐海淵(シュハァィユァン)。

徐王衍(シュゥアンイェン)と婿の羅瑛譚(ルオインタァン)。

徐宗延(シュヅォンイェン)と徐泰鵬(シュタァイパァン)。

臨江(リィンジァン)飯店へは老爺が一番下の徐泰鵬と来て京城(みやこ)の話をしてくれた。

運河の水位が上がりだしているという。

南京、京城(みやこ)での荷下ろしは無事に済んだそうだ。

「全部の荷を八尺もある台の上に積んで居ましたぜ。孜(ヅゥ)さんの店は立派で驚きました。倉庫も中は二階建てで三つも蔵が有るのには息子たちも驚いていました」

徐泰鵬は南条の桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)分店も案内されたという。

「戻る前の日に半分は引き取り手が決まったと手代が自慢していました」

二十三日まで京城(みやこ)で遊んでいたと老爺がいうと息子が笑って「三艘帰りに天津(ティェンジン)へひと仕事入れられました」と言う。

「ばか野郎、宿賃稼ぐにゃ遊んでばかりいられるか」

その仕事で得た金を船子達へ分配して南京で遊びに出させたそうだから仕事を喜んで受けたのだろう。

陳洪(チェンホォン)駐防官が飛び込んできた。

「まだよくわからんが十三日頃から黄河の先京城(みやこ)へは船が登れないそうだ」

「洪水か」

「どうもそうらしいのだがまだ詳しいことがわからん」

水位が上がって船止めとなると大雨のようだ。

王神医に来てもらって相談した。

「入れないのに焦っても仕方ない。此処で五.六日様子を見て南京へ出よう」

「そうしますか。南京(ナンジン)次第で上海へ出て天津(ティェンジン)へ大回りする様ですかね」

「折り込み済みだろ」

「そのつもりで考えては居るんですよ。無錫(ウーシー)、蘇州で外洋船を手当てして天津へと思っています」

「なら無錫(ウーシー)二日、蘇州三日取ってくれんか。祖先の霊廟参りもさせてやりたい」

「分かりました。じゃ弟弟にもそう言っておきます」

老爺親子と別れて興帆(シィンファン)酒店へ向かいその話を煮詰める事にした。

興帆には徐王衍(シュアンイェン)が来て酒を酌み交わしている。

「じゃ、七月六日に南京へ出るか」

「船の御用なら私がお供しますぜ。一度上饒(シャンラオ)へ戻って五日には此処へお迎えに来ます」

與仁(イーレン)と船賃の相談を始めた。

「荷が有っても二百両と一日九両でどうです」

「じゃ南京で売る荷でも探しておこう」

「それが良いですよ。十日で南京(ナンジン)到着の予定です」

「ちょいと相談だが無錫(ウーシー)まで行く気は有るか」

「良いですね。行ったことないので無錫、蘇州で骨休みも」

無錫、都合で蘇州までの上乗せ五十両と一日九両で折り合った。

駐防官役所の小者が来た。

「今駐防官は県の役所へ向かいました。天津(ティェンジン)は三日に大水が出たそうです。京城(みやこ)の情報はまだ来ていません」

與仁(イーレン)が小粒を握らせて「これからも情報が有れば頼むよ」と送り出した。

徐王衍よう、後ろから水に追いかけられるところだったようだぜ」

「私たちが天津(ティェンジン)を出たのが五月の二十六日、三日と云うと聊城(リャオチェン)を出た日ですぜ。十日に黄河を渡りました」

聊城(リャオチェン)から濟寧(チィニン)まで三百里、南陽、独山、昭陽、微山、と四百里の湖を超えて四百四十里で黄河(ファンフゥ)だ。

「運河の水も湖で水の力が弱まって追いかけられずに済んだようだぜ」

 

 

七月一日は朝からうだるような暑さが来た。

下梅からの荷も続々と河口鎮へ集まりだして街は活気にあふれているが與仁(イーレン)は董(ドン)茶商が戻るまで気楽に天后廟へ参って子供の顔を見に行って遊び暮らしている。

星星(シィンシィン)に頼まれ、繪老(フゥィラオ)で師傅に駐防官や叶(イエ)番頭を招待して宴席を開いたくらいだ。

 

二日に董(ドン)茶商が常秉文(チァンピンウェン)と戻ってきた。

常秉文の宿から呼び出されて與仁(イーレン)は出かけて行った。

予定の三千擔の洲茶(ヂォゥチャ)が買え、ピンウェンが千五百擔、広州(グアンヂョウ)送りが千擔、残り五百を買うように言われた。

武夷洲茶(ヂォゥチャ)明前茶一芯二葉五百擔二千二百五十両は雲嵐(ウンラン)より割高だが常氏との兼ね合いもあるかとすぐさま承知して支払った。

擔当たり四両五百銭は下梅から運ぶ手間と董(ドン)茶商の手数料を考えて妥当だろう。

孜(ヅゥ)が昨年卸した値段八両七百銭だから南京(ナンジン)七両五百銭が妥当だろう。

「船は徐家の者が五日の午後に来ます」

「丁度その日から荷が届くからそのまま乗せて仕舞おう、そうすりゃ倉庫に降ろさずに済む。それとな今晩宴席を開きたいので哥哥と宜綿先生に與仁(イーレン)さんの三人出て呉れないか。場所はこの契縁楼(シィユェンロォウ)だ。酉に始めたい」

「承知しました。では連絡を付けてきます」

與仁(イーレン)はインドゥと宜綿(イーミェン)の許しを得てから天后廟で祈願して星星(シィンシィン)の與星行(イーシィンシィン)へ向かった。

口銭の五十両を渡して帳面に書き入れさせた。

宴もたけなわで妓女も騒ぎ疲れて董(ドン)が引き取らせた。

「どうだろうこの常氏は河道、陸路を張家口まで運ぶというが良い手はあるだろうか」

董(ドン)茶商には思惑が有りそうだ、宜綿(イーミェン)が與仁(イーレン)に聞いている。

「あの張家口引き渡しを話したのか」

「いえ、まだ孜(ヅゥ)とも話して居ないのに口を滑らすことは有りませんや」

宜綿(イーミェン)は「ほい、俺が早とちりしたか」と照れている。

「首領(ショォリィン)様、何考えたんでしょうかね」

インドゥは常秉文を福州取引寿眉(ショウメイ)の仲間に入れれば張家口引き渡し契約も可能かと思ったと話した。

常秉文(チァンピンウェン)も聞いてすぐ乗り気になっている。

「下梅からの道は洛陽までで後はいまの順路ですが、寿眉(ショウメイ)も魅力的ですね。張家口で受け取るという事でしょうか」

與仁(イーレン)が「京城(みやこ)までは今でも運んでいますのでそこで受け渡しでも良いのですが」と云うのを引き取って「白ですよね。青と今扱っている緑でほぼそろいます。何時頃手に入れられます」と気が逸っている。

「都渡し千擔八千両ならお約束できます、張家口でだと二両上乗せくらいかもしれません」

寿眉(ショウメイ)は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で今年は安値六両二百銭だと董(ドン)茶商が懐手帳で確認した。

常氏も聞いていたようで頷いている、頭は千擔運ぶのにいくらで出来るか計算している。

「都で何時受け取れる」

「戻るのに刻が掛かりそうです」

「ふた月あれば戻れるのか。張家口へ十月前に集めておきたい。都渡し九月十五日が無理なら来年二月過ぎじゃなきゃ受け取れない」

「福州へ京城(みやこ)まで送る最終日を連絡します。予定の船の都合が付かなければ割高でも送らせます」

手控えから自分の店と孜(ヅゥ)の店の所を書きだして渡した。

「京城(みやこ)へ九月の一日には出る予定がある。出たら連絡するよ。その日に受け取れるなら安心だ」

 

 

三日、與仁(イーレン)は早の手紙を仕立てた。

銀十両で十三日、二十両で八日という。

與仁(イーレン)は二十両出して紅花(ホンファ)の牌双行(パイシュァンシィン)へ手紙を出し「買い置き分の茶葉を七月三十日までに関元(グァンユアン)の寶泉(バォチュァン)が戻らなければ船を仕立てて京城(みやこ)へ送る事。銀(かね)は留置き分で精算」と書き送った。

與仁(イーレン)も関元(グァンユアン)は風来っ気が有るからあてにはしていない様だ。

 

後日談

孜(ヅゥ)は寿眉(ショウメイ)を鄭興(チョンシィン)へ七両五百銭で卸していたので、常氏へも七両五百銭で卸して店は五百銭の利潤に抑えた。

武夷洲茶(ヂォゥチャ)は鄭興と蘭園茶舗へ店を抜いて八両八百銭を請求し、他店へは九両八百銭で卸した。

常氏が欲しがったが既に本年分は無いと言われ翌年七月渡し二千擔を九両以下で予約した。

平大人が三千石船を二艘発注と教えられ、徐(シュ)老爺の息子の結参加で福州、河口鎮共に運送費が削減されるのが確実だ。

 

 

その夜星星(シィンシィン)の家へ行くと待ちかねたように榻(寝台)へ誘われた。

「もういいのか」

「昨日は終わっていたけど様子を見ましたのさ」

「ばかに慎重だな」

「だって早まって肥立ちが悪いと言われたくないし」

待ちかねた二人は燃え上がって何度も到達し、気が済んだようにぐったりしている。

「前よりしっとりして良い女に為ったな」

「やだ、肉が付いたと言いたいのかえ」

「そういう物言いは前の儘だ」

「ばか」

星星(シィンシィン)の高ぶった気持ちは抑えられている。

「早く女の子を産みたいよう」

「今回はお預けだ、六日の船出だぜ」

「明日も明後日もあるじゃないか」

「産婆は教えなかったか」

「なんだい」

「月の物の後は直ぐには子種が付かない事さ」

「そんなぁ」

「あの後の女はしたがるんだと昔聞いたことがあるが、子種が納まるのは半月後だと聞いた」

「じゃ後を追いかける様だ」

「子供を抱いて南京まで付いてくるか」

「ばか」

萌(きざ)したようで腰を押し付けて喘いでいるが、流石にもう一度とは女も行かない様だ。

気が付けば酉の鐘が響いている。

「明日来るぜ」

着替えて赤子をあやしてから興帆へ戻って三人で飯にした。

「娘つくりは上手くいっているのか」

「宜綿先生、あれの後半月は出来ないのは承知で揶揄わないでくださいよ」

「なんだ知っていたか」

「昂(アン)先生と何年付き合っていると思うんですかい。妓女の内緒話は為に為りますぜ」

「そういゃ子供の頃に聞かされた。売れっ子妓女は頭も良いそうだとな。妊娠しそうになると寝ないんだとさ」

軽く仕上げて寝る事にした。

 

 

六日に河口鎮から船出だ。

武夷洲茶(ヂォゥチャ)明前茶一芯二葉五百擔に鉄観音の四番は百擔積み込んだ。

星星(シィンシィン)に鈴凛(リィンリィン)が子供を連れて見送りに出て来た。

乳母さんが日傘を差しかけて波止場は華やかだ。

信江(シィンジァン)、長江(チァンジァン)と下り十二日目、十七日の未に南京(ナンジン)夾江(ヂィァジァン)結の波止場に入った。

平大人が居るというので屋敷で一休みした。

関元(グァンユアン)が来て天津へ救護の品々を積んで出たという。

聞き取りを整理すると杭州へ着いたのが二十七日、船主と交渉し船長の帰りを待ち、纏まったのが五月二十五日。

船の洗い出し、乗組員の整理と新規の水夫たちの交流などで六月八日杭州赭山港を船出したという。

上海(シャンハイ)迄四百里は二日で六月九日着。

上海を十日に出て六月十五日に南京到着。

今回十七日と計算して福州から南京へ十六日から十九日とみるのが順当のようだ。

平大人は三千石の福州戎克(ジャンク)こと大民船を二艘誂えたという。

龍莞絃(ロンウァンシィェン)と龍莞幡(ロンウァンファン)の兄弟に運用を任せるという。

自分が引退すれば関元(グァンユアン)を加えた三人へ分散してそれぞれ同じくらいの大きさにするという。

関元(グァンユアン)にはもう一艘を来年新造船で与えると康演(クアンイェン)も了承したという。

平康演(クアンイェン)は船と別に陸の組織を運用すると決まっているのはインドゥも承知だ、「御秘官」の後をインドゥと二人で引き受けるのだ。

今更のように平大人の大きさにインドゥも伊綿(イーミェン)も驚きを隠せない。

 

 

京城(みやこ)の災害のあらましが判り予定を無錫(ウーシー)で四泊五日、蘇州で四泊五日、船を上海で乗り換えて天津へ向かうことにした。

「繁絃(ファンシェン)飯店が空いてれば全員泊まれるはずですぜ」

「そんなに暇なのか」

「いえまた部屋を増やしたんですよ」

「そんなに儲かるか」と聞いたのは宜綿(イーミェン)だ。

「いえ、あの業突張りの婆が死んでね。係累と云やあの親子だけ。妓楼は買い手が見つかって千両、絹取引は番頭に継がせて共同経営にしましたんで」

「そんなに増やして大丈夫か」

「阮映鷺(ルァンインルゥー)がお袋以上にしっかりしていますから」

宜綿(イーミェン)は赤ん坊の時しか知らない。

「まだ十一くらいだろ」

「そこらの十一くらいの子供と侮っちゃいけませんぜ。ま会えばわかりますよ」

平大人の方で集めた冬用の衣類と雑穀を積んだ船も上海へ向かうという。

上海へ五艘の外洋船が二十七日から荷を積み次第出るという。

先行する船で環芯(ファンシィン)の店へ武夷洲茶(ヂォゥチャ)五百擔迄引き取るなら蘇州(スーヂョウ)の平康演(クアンイェン)の東源興(ドォンユァンシィン)へ連絡を取る様に手紙を託し、船も一艘はインドゥたちが来るまで待機としてもらった。

「明日龍莞幡(ロンウァンファン)が先に出ます」

そういうので陸環芯(ルーファンシィン)苑行(ルーユェンシィン)への手紙を書いてやって来たウァンファンへ預けた。

平大人の所で一晩泊まって翌朝ウァンファンの後を追うように鎮江(チェンジァン)へ向かった。

 

 

潘家の艮倦(グェンジュアン)酒店で一晩泊まり、無錫(ウーシー)で香潘楼(シャンパァンロウ)に聞くと離れは片方だけだが五人入れるという。

建て増した方は次の間付きと云うので夫婦二組を入れて貰ったので一部屋空きが出た。

潘燕燕(パァンイェンイェン)と潘香燕(パァンシィァンイェン)の親子は活気がある。

「もう八歳か、媽媽(マァーマァー)に似てしっかり者だな」

飯の後「哥哥の子供の頃に似ているな」弟弟の眼はごまかせない、苦笑いで胡麻化しておいた。

亥の刻に本を読んでいるインドゥの所へ大女が忍んで来た。

「どうでしょう、食事の出来は」

「味に奥行きがある。手を抜かない律儀な処が良い」

「それを聞けば喜びますわ」

「明日褒めて置くよ」

「お願いします。夫妻(フゥーチィー・夫婦)で厨房を好きにさせていますのよ」

「そのほうが良い。隣も買い入れたというが東源興(ドォンユァンシィン)への返済に無理はないのか」

「十分余裕が有ります」

「それなら安心だ」

榻(寝台)へ載せると服を脱ぐのが艶めかしい。

「随分いい女に為ったな」

「やだ、こんな年の女に」

確か一つ上だと聞いた気がする。

年増の脂が乗った身体は痩せっぽちでのっぽだった昔より手ごたえのある体に為っている。

姐姐と最初の時を思い出せる体に為ってきた。

イェンイェンとまたできる何て夢のようだぜ、バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)」

答える様に「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」と腰を押す力が強(きつ)くなった。

気持ちよく精を送るとシーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」と弛緩した。

 

 

二十四日に無錫(ウーシー)を出てその日の夕刻蘇州山塘河近く路西街の繁絃(ファンシェン)飯店へ入った。

隣が菜店に為っていて建物が大きくなっている、與仁(イーレン)がぶつ魂消たなどと言いながら元の店へ入った。

西の離れにインドゥ、東の新しい次の間付きの部屋へ夫妻(フゥーチィー・夫婦)二組、其の二階へ三人が入った。

親子の住まいにお乳母さんの家も新築した。

菜店の二階は女中の住まいだという。

インルゥーは「哥哥の部屋は店が閉まるまで落ち着かないわよ」と脅してくれた。

来年は此処も建て替えると決めたそうだ。

「どこから銀(かね)が出る」

「絹やの番頭が毎月二十両私に出してくれるのよ。それを担保に東源興(ドォンユァンシィン)が千両貸してくれるの。利息ともで七十回払いの約束よ。爺爺(セーセー)のお金が私に回ってきたので借りなくても大丈夫なんだけど、全部使うと後で困るでしょ」

宜綿(イーミェン)は「これが十一の娘の言うことか」と驚いている。

昔の安宿からの付き合いの客用は二十部屋が洗い出されて綺麗になっていた。

 

インルゥーが全(チュアン)の所に男の子が生まれたと教えてくれた。

其の晩の宴席の始まる前に環芯(ファンシィン)は女を連れてやって来た。

「チィズ(妻子・つま)の朱紅蘭(ジュフォンラン)だ、よろしく引き回してください」と挨拶させて席に着かせた。

「宿は如何した」

聘苑(ピンユェン・飯店)に取りました。どうせここは満杯だろうと思いまして。食事は哥哥に集るつもりで食べさせていません」

香槟酒(シャンビンジュウ)で乾杯して話も弾んだ。

甫映姸(フゥインイェン)姐姐の料理は美味い、小僧だった男も自分の調理場で簡単な調理はさせて貰えるようになって二人小僧っ子が増えている。

菜店で二十人、元の飯店で二十五人は入れるという、宴席の予約で忙しいときは安園菜館から助が入るという盛況だ。

「與仁(イーレン)さん。武夷洲茶(ヂォゥチャ)全部買い入れたいがいくらで良い」

「南京(ナンジン)値段で好いよ。手紙に書かない茶も乗ってるぜ」

與仁(イーレン)随分と思わせぶりな事を言う。

南京(ナンジン)値段は七両五百銭が結の仲間値段だ、京城(みやこ)渡し鄭興(チョンシィン)九両の予定よりだいぶ安くなる。

「ほんとかよ。まだ船に積んであるなら上海へ運ぶように言ってくれないか。此処からの分は弾むから。それと思わせぶりな事言ってどうしたよ」

「良いとも明日の朝来てくれ一緒に船に行こう」

催促されて「鉄観音の四番百擔積んできた」と打ち明けた。

「ならば面倒なこと言わずに俺に売りなよ。積み替えるより楽だぜ」

「全部か」

「儲け無しで気張りな」

朱紅蘭(ジュフォンラン)が丈夫(ヂァンフゥー・夫)の強引な良い様に呆気に取られている。

武夷洲茶(ヂォゥチャ)明前茶一芯二葉五百擔二千二百五十両だったものが環芯(ファンシィン)の瓔園(インユァン)へ三千七百五十両で卸した。

擔当たり四両五百銭に與仁(イーレン)一両、孜(ヅゥ)一両、運糟費大雑把に一両での卸値だ。

「仕方ねえな。一擔十六両で好いよ」

孜(ヅゥ)一両、與仁(イーレン)一両、運糟費一両の最低限度は確保した。

京城(みやこ)へ持って行っても二十両と踏んでの決断だ。

 

 

二十五日の朝、與仁(イーレン)に粥の支払いを手伝うように頼んでインドゥは前の東源興(ドォンユァンシィン)へ向かった。

康演(クアンイェン)と次男の平関栄(グアンロン)がもう帳場にいる。。

「前は驚いたでしょ」

「おお、平大人が思わせ振りなこと言うので気になっていたが良く芳(ファン)がやる気に為ったもんだ」

「インルゥーが焚きつけたんですよ。余裕が出たからと遊んでちゃ。爺爺(セーセー)に申し訳ないとね。ありゃ爺爺(セーセー)と老爺(ラォイエ)の血のせいですぜ」

「物資買い付け費用の足しにしてくれ」

五千両の銀票を預けておいた。

與仁(イーレン)は波止場へ環芯(ファンシィン)と出て徐王衍(シュアンイェン)へ後払いの二十日分百八十両を支払った。

「それで荷なんだが、このまま上海へ明日出て呉れないか、此方の瓔園(インユァン)の店が受取人だ」

羅瑛譚(ルオインタァン)に相談して「総額四十両で受けさせて頂きます」と良心的だ。

環芯(ファンシィン)は銀で四十両と二十両出して「今日暇をつぶす金だが、戻りにこれで遊んでくれ。船の余裕があれば二人乗りたい」と今日は番を確りとしてくれと遠回しに言いつけた。

「哥哥たちは別になるので空は十分できます」

繁絃へ戻って與仁(イーレン)に銀票で支払いをし「鉄観音は知らなかったから後払いで九月に都へ出るから」と決めた。

「良かったぜ、重い銀(かね)で払われたらどうしようと思っていたんだ」

気安い二人はそんな軽口で次の取引の話もしている。

環芯(ファンシィン)は昨年の手腕が認められ岳父の引きで茶取引も大きくなった。

「夫妻(フゥーチィー・夫婦)で出て来て店は大丈夫か」

「妻の弟弟の一人が俺と気が合うので店へ勤めさせたら出来が良くてな。そいつに任せて来た」

 

 

その晩、芳(ファン)がインドゥの部屋へ来た。

「もう昨日は遅くまでお飲みに為って」

「夜中に来るかと起きていたんだぜ」

「うそ」

「本当さ。そこを見てごらんよ読みかけの本がある」

軽口をたたきながら服を脱がせた。

「初めて出会ったのはファンが十六くらいか」

「哥哥の一つ上でしたわ」

「じゃ十七だ」

「もうあれから十一年すっかり婆さんです」

「顔とここは歳をとらない様だ」

「哥哥のいやらしいのは四年前と同じです」

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

そう言いながら「オゥオゥ」と息が漏れる。

「行くぞ行くぞ」

インドゥの精を受けて芳(ファン)の顔が輝き弛緩していく。

子供の時の表情が表れ妖艶な顔に為り、そして普段の色っぽい顔に戻った。

 

 

二十六日の朝、粥を食べて三十銭木皿へ置く、女中が器用に振って数を確認した。

與仁(イーレン)が残って出てくる者に三十銭を渡して居る。

 

インドゥたちが途中、調達品で手間取っている間に六月十日直隷総督は陳大文が任命された。

永定河の決壊時に報告が遅れたことへの罰で解雇された姜晟に替わり熊枚が任命されたが一日で老齢の陳大文が呼び出された。

七十三歳の体に鞭打ち献身的に災害復旧に努めた。

河南杞縣の出で陳洪(チェンホォン)・陳健康(チェンヂィェンカァン)の本家筋だ。


環芯(ファンシィン)夫妻が船で荷と出た後を追うように米と小麦粉を積んだ船が来た、蘇州で溜めてある古着と明日出るというのでその船の後を出られる船を康演(クアンイェン)が探してきた。

二十七日夕刻までに上海で乗り込み二十八日夜明けに船出と云う。

航路二千六百里、夜海上泊で三十日に天津(ティェンジン)到着の予定だ。

   第二十八回- 和信外伝-弐 ・ 2021-10-05
   
自主規制をかけています。
筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

 
 
 
 


第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  




カズパパの測定日記