第伍部-和信伝-弐

 第五十一回-和信伝-弐拾

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

南彩鎮の荘園はガァォリャン(高粱)が耕地を六割に減らしたが、七月前年の七割の収穫があった。

穀物問屋も賄賂の請求も無くなり、一割高く引き取り、業者が来年度も同量の引き取りを約束した。

八月、ュイミィー(玉米)も豊作で半量を引き受けたいというので差配が相談の上売り払い、その銀(かね)でシィアォマァィ(小麦)とダァマァイ(大麦・マァイ)にミィ(米)を買い入れた。

玉米(ュイミィー)の苗は新しい品種だと売り込まれたが、捥ぎ立て(もぎたて)を茹でて食べると甘みが多く、ジャンイォ(醤油)でつけ焼きは子供にも好評だ。

干しを丹念にした結果大分嵩は減ったが高粱粥へ混ぜるのは好評だった。

ドゥヂィ(闘鶏)はすたれたがその子孫が三系統差配の家に残されていた。

代々孵化した雄を残し、雌は輪番で交換してきたという。

雄五羽雌五羽を残しあとは祭りの日に料理されてきた。

危うく取り上げられる危機は何度もあったがドゥヂィ(闘鶏)が廃れていて普通の鶏でも納める代役で済んでいた。

鶏も各家雌五羽くらい迄飼う事ができるまでになって来た。

そうなると不思議なもので卵を一つ三文で買いに来る業者まで現れた。

毎朝各家を周り二百ほど買ってゆくという。

段(タン)は、早めに系統図の作成と産みのいい雌を種雌に買い上げようとしている。

柴信先生は村で交配して雌を各家に分配することを差配に勧めている。鶏糞は豊かな畑のためにも必要だ。

只全ての家に回せるだけの雌を孵化させるのは至難の業だ。

雌の老鶏を使って八個の卵を孵化させても、五羽の雌が産まれればいい方と思われている。

蕭(シャオ)という高烈(ガオリィエ)家の手代が一組に二十家と区切り、そのうちの一軒が五羽の種雌を飼う役割にし、孵化した牝鶏を十九家に配分するという案を出してきた。

差配全員がそれに賛成し蕭(シャオ)に全面的に任せることにした。

産みのいい雌が三羽来れば古着を手に入れるのも容易になる。

娘娘からは女たちの下着も回されてきた、各家で始末していたゴミ(ほとんどないが)も焼くための場所も出来た。

牛はュイミィー(玉米)、シゥ(黍)、ガァォリャン(高粱)の茎や葉を好んで食べてくれ、実の付きの悪いものも滋養に適していた。

手代の中にはュイミィー(玉米)の種を残し、苗も村で種まきからやろうというのでその男、劉(リゥ)に一ムゥ(畝)を試させることに為った。

「どういう肥料が最適かも調べるように」

于睿(ユゥルゥイ)は四に区切らせて試すように指示した。

于睿が村で一番の斬新なことでも試させてくれる。

それは「息子が切れ者だから」と柴信先生は興延(シィンイェン)に教えた。

ュイミィー(玉米)とシゥ(黍)を増やせば牛は倍にできると李宇(リィユゥ)の手代呂(リュウ)から申し出がきた、高粱農家から抜け出せる見込みは、手代のやる気を誘っている。

増やせるのは畔と家の脇くらいしかないのが現状だ。

冬場の飼料確保はまだ三十頭が限度だ、飼料代が出るからやり繰りが可能だが月銀(イン)五銭をなくせば立ち行かない家が多くなる。

九月末、大豆は畔で自家の分は十分収穫できた。

来年はホォンドォウ(紅豆・小豆)の苗も勧められている。

穀物問屋も往復の取引で前年より儲けが出ている。

黍は家畜の飼料と共に大事な村の食料となった。

杏は古木が九十九本、若木が九十九本で来年の春にさらに九十九本増やせるという。

年次計画で同じ割合で九百九十本まで増やすことが差配の会議で決まり、娘娘の許可も下りた。

栗は苗行から百五十本の若木に、間引きした台木用が百五十本買え、入会地の老木から選んだ枝を接ぎ木した。

来年は三百本を同じようにして増やせと柴信先生が交渉してくれた。

此方も最終計画が壱千五百本と決まり、無理な拡張は山を荒らすので賛成しないという柴信先生の意見を娘娘が認めてくれた。

「土地があればいいのだけど、無理は良くないわね」

その言葉は孜漢が伝えてくれた。

東西に流れる三本あった小川も整備され足踏み水車が六台、くみ上げようにも使える水龍(シゥイロォン)が二台界峰興(ヂィエファンシィン)から贈られた。

入会地の雑木も地域ごとに分けて小枝を拾い集め、裸地は見えなくなった。

さすがに炭焼きまでは手が回らず近辺の村から買い入れた。

仔牛は牡三頭、牝五頭が四月二十八日までに生まれた。

牡は大事な農耕用と次代の種牛、牝の搾乳時期は二年後になる。

種牛用に買い入れた五歳、六歳、九歳の牡三頭は差配の高烈(ガオリィエ)、于睿(ユゥルゥイ)と李宇(リィユゥ)が別けて飼育し、八月に母牛から子牛を離すと九月に無事交配が済んだ。

柴信(チャイシィン)先生は、何歳まで妊娠可能か差配たちと調べることで合意し、買い入れを申し入れた肉業者をがっかりさせた。

仔牛たちは牛飼いの八家に共同で管理させた、話し合いで八家に牝三頭迄増やせる牛舎を順次基金から建てることにした。

牡についてはまだ決まっていないが、自営になれなくても飼育したいと申し出た十六家に、抽選で振り分けたらどうかと段(タン)が提案した。

三百両の基金のうち戻された分もあり半分以上残っていたので柴信(チャイシィン)先生が十三頭の仔牛を探してくれた。

前に孜漢が「一年の仔牛を銀(イン)十五銭で買い入れ」と言っていた。

柴信先生が系図表に照らし、五代姻戚がないという仔牛たちだ、値は銀(イン)十四銭から十七銭と様々で銀(イン)百八十五銭で買い取れた。

牡八頭に牝五頭がやってきて仔牛は二十一頭に増えた。

まず牝十頭から親子にならないように抽選で八家に振り分けた。

残った仔牛を十三家に抽選で分け、外れた三家には柴信先生が探してくれることに為った。

十六家には牛舎改装費に銀(イン)十銭と一頭の飼育費月五銭が支給された。

ニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)業者も「耕作費を二割引くので来年も使ってくれ」と泣きつき、娘娘が許可を与えた。

九月末には柴信先生が探してきた仔牛も到着し、村には親牡が三頭、親牝八頭、仔牛二十四頭の三十五頭まで増えた。

飼育費用に月銀(イン)百七十五銭が必要だが年換算で銀(イン)二千百銭(二百十両)と出た。

耕作費の割引で五両ほどだが出費は減っているが、まだ耕作をすべて賄うには牛馬の数は到底足りない。

八頭の牝の乳は近在にも味が評判で、毎日業者が買い入れに来て日に銀(イン)八銭の収入になった。

半分が村に入り月にならせば銀(イン)百二十銭と牛の飼育費を補っている。

飼育費も相変わらず出ているので八家は暮らしにゆとりが出ている。

買い入れ業者は自家で温熱処理をして売るという。

村で直(じか)に売ろうという手代もいたが其れは娘娘と柴信先生が止めた。

香山村から来年丁卯二月、三歳八頭の牝牛が来ることが決まり、自営八家に振り分けることに為った。

十六家がすべて牝を受け取れば、次の機会出遅れた小作にも順次受け付けると差配が会議で決めた。

噂を聞きつけ、買い入れ業者が三軒の同業を連れて来て「来年には倍に搾乳が増えるでしょうから、増えた分をこの三軒に振り分けて扱わせてくれ」と申し入れた。

公主娘娘の牧場の乳は業者の桶一杯銀(イン)一銭、ほかの牛は桶三杯二銭で契約が成立した。

「村で生まれた牛はどうなる」

「業者の評判が落ちては村の評判にも響くから、搾乳するときに混ざらぬ工夫をした方が良い」

自営八家も気にしていたと見え、二頭の公主牧場の牝牛で十分ですと申し出てきた。

自営八家とも会議し、村生まれと買い入れた八頭の牝牛は、十六家の受け入れ準備ができ次第に振り分けることに差配の会議で了承し、娘娘にも了解してもらえた。

「来年基金に余裕があればまた買い入れなさい。それと最初の牛の乳が半分以下に減れば香山村と相談して新たに送り出すわ」

孜漢は礼雄を通じ、先の事だがと娘娘が了承したことを伝えた。

村でも柴信先生の指導で六十歳以上に一と六の日に温熱処理後に砂糖を加えた乳を一椀配っている。

二歳以下の子に与えないように、毎回言わないと孫やひ孫に与える嫗がいる。

噂では公主娘娘の牧場の牛の乳は京城(みやこ)で評判と近在に広がり、喉から手が出るほど待ち焦がれる富農に富商がいるという。

 

香山村の牛を新たに贈るのは娘娘の好意だが、目出度い話が裏にある。

徐(シュ)と曽(ツォン)が交互に腰牌を預かり月一度連絡に南彩鎮へ泊りがけで出向いている、持たなくてもいいのだが形式ぶらせるのも娘娘は面白いと思って渡している。

娘娘が喜ぶ話を拾い集めるのも仕事の一つだ。

一番は買い戻した小作の娘たちの話しが、出稼ぎに出た若者にも伝わり、九人が村へ戻り婚姻が成立した。

娘娘が嫁荷に田畑を与えて自営にとインドゥに相談したが、止められた。

膨れる娘娘に「今年はそれでもいい、でも買い戻した娘はまだいる。そうでなくとも去年婚姻した家族に禍根が残る」と説明した。

「では何かいいお考えでも」

「まず今年婚姻した家に、晴れ着一揃いを送ろう」

「来年は」

「これからは好例にすればよい」

「今までの婚礼を上げた人たちは」

「今香山村に牛が増えて牛舎が不足しそうだと言ってきただろ」

「余生を送らせるので、牛舎が足りないのは本当ですわ」

「牛舎は順次増やすようだが、今度は三歳程度の若牛を八頭ほど今までの婚礼した家族のために送ろう。村全体が恩恵を受け取れる」

「牛に晴れ着ですか」

「そうそう」

当番の徐興延(シュシィンイェン)が村へ伝えに出た。

段(タン)の家で泊ってくれというので母親の手作りの料理に舌鼓を打った。

二人とも酒はあまり強くないので母親も無理に勧めず、都の話しからトォウフゥ(投壺)の話しになった。

「大分前ですが、七十二点取ったのですが相手は満点でどうにもなりません。そこまで六十一点で外せば私の勝ちだったのですが、でもおかしいのは馬方の言うような七つの娘には見えませんでしたよ。九つ、いや十位に見えたのですよ」

「誰の話し。淡寶(ダァンパァオ)が十を過ぎて負けたのは女の子だけで、今でも笑い話だわ」

「媽媽(マァーマァー)それはひどい。私に負けた奴らの腹いせですよ。李橋鎮の馬方が、あのお嬢さんは今年十五だと言ったんですよ」

「昂(アン)先生も確か八年前に七つの娘に負けたと聞いたと」

「ああ、一生の不覚だ。生涯言われる」

「満点取ったことは」

「去年あと一投で満点なのに突風が吹いて矢が巻き上げられました。その時は十一本で八十三まで来ていました。今年は祭りの差配なので出ませんでした」

媽媽(マァーマァー)が「七つは色白の娘のはずよ。侄女(ヂィヌゥ)の香蘭(シァンラァン)が最近仲良くなってトォウフゥ(投壺)の時の事、聞いたと言っていたわよ」

村の娘たちは荒れ邸に春から夏にかけ、庭の雑草取りに雇われていた。

「馬方が広めた後ではもう手が付けられませんね」

「興延弟弟

「淡寶哥哥、あきらめが肝心ですよ」

徐興延(シュシィンイェン)は十九歳、曽礼雄(ツォンリィシィォン)二十歳は段淡寶(タンダァンパァオ)二十一歳を哥哥と呼ぶ盟約を交わしていた。

 

鄭紫蘭(チョンシラァン)の所へ刺繡の師匠(隠居)が来た。

住まいは崇文門外南城石鼓胡同(シィグゥフートン)、母親のイィマァ(姨媽に当たる人だ。

要するに祖母の一番上の姉、一族の重鎮で八十は過ぎているはずだ。

絹問屋の老舗で一族のうち五軒が同じ絹問屋を営んでいる。

京城(みやこ)に二軒、天津、南京、開封(本家)にある。

京城(みやこ)は師匠の息子と弟弟の店だが、弟弟の店も息子に代が変わった。

天津は弟弟の次男が養子に入っている。

珍しく紫蘭に一族の来歴など茶を飲みながら話した。

師匠の方が弟弟の舒豪烈(シュハァォリィエ)より格上というのは可笑しいと思う人もいるようだが、当主が急死し十五歳になっていた嫡妻の娘(師匠)に開封の本家から養子が入り、四歳の庶子豪烈には分家するにあたって相応の資産が与えられ、十八になるとそれと同じくらいの嫁荷をもって天津から嫁を迎えた。

嫁は当代の弟の嫁の妹妹と係累は薄い。

天津の家は当代夫婦、弟夫婦も子供は夭折して跡継ぎがいない。

師匠の弟夫婦は仲睦まじく二男一女に恵まれた。

その縁で二儿子(アルウーズゥ・次男)は子供が出来ずにいた天津へ夫婦で養子に迎えられている。

一族の掟の一つに夫婦は従姉弟(従兄妹)以上の係累が離れていることだという、婿、嫁に貧富は問うてはいけないというのも掟だという。

掟に背けば京城(みやこ)二軒、天津、南京、開封(本家)の五家から絶縁される決まりだ。

七百年前、カイフォン(開封)の本家を創業した舒豪海(シュハァォハイ)が、行商の端切れ売りから宋の混乱の時代、トンキン(東京・開封)シァシィン(紗行・薄絹市場)で身を起こしたのがその由来という。

五代かけ元のアユルバルワダ(仁宗)の時代に、押すに押されぬ豪商にのし上がった。

京城(みやこ)へはその時代に進出したと記録が残る。

「今日はお願いと贈り物を持ってきたわ」

「贈り物にかかわらずお役に立ちましてよ」

「お願いとは違うのよ。これはあなたに受け継いでほしいの」

和国の蒔絵の箱を侍女から受け取り卓へ並べた。

「これは春李(チゥンリ)様の」

「そうよ、こちらは春杏(チゥンシィン)様の分、そして私の自慢の内緒の分」

人払いして蓋を開け、耳元で「哲憫皇貴妃娘娘、愉妃娘娘、婉貴妃娘娘のものでまだ若いころに花しるしを選んで刺繍したものよ。順番に言うからよく覚えておくのよ。哲憫皇貴妃娘娘はシュエツァォ(雪草・積雪草・金銭草・連銭草)。愉妃娘娘がムーチン(木槿)。婉貴妃娘娘はチァフゥア(茶花・山茶花)心覚えにも書き残してはだめ。私が母から頂いた大切なものなの大事になさいね。自慢してはいけないわ」

師匠に娘はいない、孫も男ばかりだ。

箱を仕舞わせると侍女を呼び込んだ。

使女二人も部屋へ呼んで話を始めた。

「外甥(ゥアィシァン)の娘が今十九なのだけど婚姻して十日目に婿が急死したの。原因がわからないけど亡くなった家は妾の家だったそうよ、まるで生きているように赤い頬だったと聞いたわ。男の子が三歳だと分かって双方で話し合って家はその子が継いで、嫁荷と示談に銀(イン)三千両ついて実家に戻ることで合意が成立したわ。三年がたったけど再婚したくないと祖父の所へ行ったきりなの」

娘は舒鈴仙(シュリィンシィェン)だという、祖父はある男に嫁げというが本人の気持ちが揺らいでいるというのだ。

「私に関係のある人なの」

「そこか難しいところでね。娘娘の荘園の男なの」

「まさか小作なの」

「弟弟の使いの話しでは今年手代から差配人になったと聞いたわ」

「今年の話しなら段(タン)だわ一度娘娘へ挨拶に来た時見たけど、聡明そうな人よ」

夕依(シィイ)に娘娘の都合を聞きに行かせると「二人でどうぞ」と言われ隠居(師匠)と居間へ向かった。

哥哥と話している先客に孜漢と手代が二人いた。

「娘娘、私春杏さま、春李さま、お二方の刺繡入り手巾で買収されました」

「あら、大変。でも儲けたわね。どんなことで買収されたの」

「それが仲人口なんです」

「師匠と関係あるの」

「師匠の外甥(ゥアィシァン)の娘の舒鈴仙(シュリィンシィェン)という私にも親戚の娘なんです」

「どこの人なの。京城(みやこ)の人」

「天津(ティェンジン)の娘です」

「あらら、大変ね。哥哥に手助けしてほしいの」

「お二方の助けがいる話なんですが、娘の方に複雑な事情があるんです」

「落ち着いて話してね。孜漢の様に世慣れた人ならいい意見も出るでしょうから、聞いてもらっていいのかしら」

「孜漢さんにも手助けがいる話かもしれないのです」

インドゥは「どうした。そんなに婚姻に支障が山積みなのか」と心配してくれた。

師匠が経緯を話し終わると「簡単だがどうやればいいかな。間違うとこじれそうだし」と娘娘の顔を見ている。

「独り者で小作上がりだけど、娘の祖父は賛成」

「そうだね、あとは両親だ。段(タン)の方はマァーマァー(媽媽)は気が強そうだぜ」

「迎える方が寡婦を喜ぶか毛嫌いするかが問題なんでしょ」

「そうなんです。男は自分が最初と選ぶ話が多いです」

師匠の言葉に道理がある。

孜漢は「お前たちはどっちだと思う。自分ならどうかも考えてみるんだ」と振り向いた。

「段(タン)哥哥で間違いないようだが。難しい」

「なんでだ。そんなに気無づかしい男か、それとも娘が不美人なのか」

これはわざと言ったようだ。

「会ったことはないのですが。顔がどうかということは段(タン)哥哥は言わないと思いますがね、二つ難点が」

娘娘は身を乗り出している、相当の興味を覚えたようだ。

徐興延は「一つは小姐(シャオジエ=お嬢様)に差配と云え農家の嫁に来る気持ちになれるかどうか」、後を曽礼雄が「もう一つは子供の時其の小姐が七つの時トォウフゥ(投壺)で負けた事を恥じています」と娘娘へ伝えた。

「何時、負けたんだ」

「話では八年前」

紫蘭はびっくり顔だ。

「ちょっと待って。確か十九と聞いたわ」

「私も十九と聞きましたよ。そう、間違いないわ鈴仙(リィンシィェン)は戊申五月の生まれです」

此方は師匠。

「では、人違い」

アッと興延が思い出したように言い出した。

「あちこち思い違いがあるようですが其の小姐(シャオジエ=お嬢様)の顔を見ているのはここでは昂(アン)先生だけです」

「昂(アン)先生を呼んできて」

孜漢が一番に飛び出していった。

「来る迄落ち着いて考えよう」

インドゥの言葉でお茶が出てきた。

途中で聞いたようで昂(アン)先生が真っ先に口を開いた。

「十五は可笑しいとは思っていたんだが。段(タン)も知らないので馬方の言うのを鵜呑みにしたんだが」

「それなんですがね。段(タン)の媽媽(マァマ)の話しだと小間使いが段(タン)哥哥の従妹と仲良しだそうで、その娘が今年十五歳なんです。その当時小間使いの方が色白だというのは段(タン)哥哥も覚えていました。マァーマァー(媽媽)が三歳は小間使いの娘より上だろうと言ってたので間違いないと思います」

一同は昂(アン)先生が見た娘の様子で、子供の色黒は美人になる証拠と娘娘を見ている。

娘娘は考えていたが紫蘭へ話しかけた。

「ニィン(您・貴方)寒さに強いと自慢していたわね」

「ええ、雪は大好きですわ」

「南彩鎮迄、仲人口をききに行く気はある」

「私でいいんですか」

「花琳(ファリン)より適任そうだわね」

「でも一人じゃ心もとないです」

「昂(アン)先生と孜漢。それと興延に礼雄も当然行かせるわよ」

「潘玲と南宮夕依は留守番させますか」

「なにを言うやら。二人はあなたの分身。邸を出る用事の時はいつも一緒よ。でも二人にそう言わずに只ついていらっしゃいと言えばいいの」

師匠は公主に引き留められ「府第に泊まらせる」と門番に連絡へ行かせた。

その晩宜綿(イーミェン)が呼ばれ、作戦会議が開かれた。

朝一で孜漢が段(タン)に好きな相手がいるか探りに出る。

同じく宜綿(イーミェン)は、天津へ師匠の手紙をもって父母(フゥムゥ)の説得に出て、うまく運べば船で南彩鎮まで連れて出る。

天津には顔の利く船主は多い、八丁櫓をこぐ急ぎでも都合は付くだろう。

二百七十里なら替えを含めて二十人乗り組みの二百石船は河筋を十刻で遡れる。

最近は紀経芯(ヂジンシィン)の婿江洪(ジァンフォン)が川船の漕運も始めて十艘は運用している。

姐姐(チェチェ)の手紙は念の為書いてもらった。

朝一で出て夜船で翌日に着く、説得するまでもないだろうから、その日の夜船か翌朝出ればいいだろう。

遅れて昂(アン)先生が付いて師匠の手紙を持った紫蘭の馬車が出る。

さらに遅れて両家への贈り物を積んで興延に礼雄が馬車で向かう。

二人が応じれば、宜綿か父母(フゥムゥ)の到着次第即日祝言迄運んでしまう。

段(タン)がどう出るか媽媽(マァーマァー)次第だろうと皆が見ている。

其処だけは世慣れた孜漢が頼りだ、師匠も自分の年を考えればむやみに動けば迷惑がかかることは承知だ。

娘娘は花琳(ファリン)と相談し、娘の家から出た話というので晴れ着四着と髪飾りにとどめた。

段(タン)へは祝いの費用の銀(かね)として銀(イン)五十銭(五両)と香槟酒(シャンビンジュウ)二十本を用意させた。

銀(イン)が少ないのは村での今後の嫁取りに差が出ない用心だ。

師匠は弟の手紙に、嫁荷は少なくとも邸の南の荒れ地千五百ムゥ(畝)、山林百ムゥ(畝)と二百ムゥ(畝)。

邸地と付随する土地五百ムゥ(畝)は遺言で孫娘へと書くと約束している。

荒れ地が役立つかしらと師匠は不安だが、孜漢は村を調べると分家したくも出来ない小作が三十家はあるという。

三本のうち、二つの小川が合流して池もあるが、開墾すればいい畑地になるという。

昔は農地で「池の水が溢れ出て放棄したかもしれない」と段(タン)が話したという。

入会地の山を無理なく開墾するには、地滑りを起こさぬように計画し、三十年を一区切りという考えの段(タン)は慎重だと太鼓判だ。

荒れ地は嫁荷とはいえそこへ小作を入れれば将来の収入に繋がる。

「分家問題も一気に解決というわけね。今考えたとは思えない妙案ね」

「哥哥のおかげですよ」

「何もしていないぜ」

「聊斎志異ですよ」

「・・・」

「村の男に惚れて嫁入りする話」

「狐は金持ちというやつかい」

そこから行くたびに妄想したのは興延に礼雄の二人だという。

 

「いやよ」

「何時までもここにいるというわけにもいかないぞ」

「私の嫁荷が目当ての男など、ごめんだわ」

「そんな男じゃないと思うから勧めるんだ」

「どうしてわかるの。あったこともないでしょ」

「昔から裏の庭を管理してくれる人たちの話しでは村の事、母親の事を大事にする立派な男だそうだ」

男らしくない軟弱ものだからそう見えるんだわと反対した。

「私にトォウフゥ(投壺)で負けたのを未だに根に持つているのがその証拠よ」

「誰がそんなことを聞かせたんだ」

「タァオニャン(桃娘)が男の従兄妹という娘から聞いたというのよ」

「なら舒鈴仙(シュリィンシィェン)はそのことだけがいやなのか」

わざとあおったようだ。

言葉に詰まるが「農家の手代が差配だからといきなり馬に乗って、その上きれいな服で村へ威張って戻るなんて気に入らないわ」と喚いた。

「私の姐姐(チェチェ)に取り持ちを頼んだ」

「大叔母様はもうお年寄りよ。ここまで来るはずないわよ」

「だから公主娘娘のお邸の紫蘭様に頼んでくれと手紙を持たせた」

「だからと言って婿に迎える気はないわ」

「ちょっと待て。いつ迎えると言った。迎える場所は何処にある」

「何よ傷者だから農家へ嫁に行けというのね。好いわよどこへでもやって頂戴」

「農家は嫌いか」

「自分で畑へ出ていいなら文句はないわ」

少し軟化したと思う老頭(ラオトウ)は、書付を出して書き出した。

“畑へ出ても怒らない”

「後は何だい」

「嫁荷は天津の物だけなの」

「道の向うの荒れ地と山林」

「それくださるなら村へ貸し出してもいい。そうすれば威張って開墾できるわ」

“荒れ地は村へ貸し出して娘が開墾する”

「これだけでいいのか」

“栗園の管理を任せてくれる”

「こいつは難しい」

「なんで」

「だってなぁ、庭の樹と果樹園は扱いが違う」

 

そのころ孜漢は段(タン)母子と話し合っていた。

「私より、母にとって良い嫁で無いと困ります」

「なんて子なの。嫁と私は家庭の事でもめるのは当たり前。従順な嫁というなら私など失格よ。失格した母親を見習う嫁なんかいらない。夫に従い家を維持する。姑はどこでも口うるさくて当たり前、ただ従うなんて意気地なしでは農家の嫁じゃないわ」

孜漢は面白い親子だと黙っている。

さんざん二人でやりあったとみて口をかけた。

「ところで息子さんに嫁の候補に挙がった娘は居たのですか」

「村じゃ、いい人で好青年でも母親に逆らえない弱虫では嫁はもらえないわね。暴れん坊で馬鹿の方が嫁の方が好んで嫁ぐわ」

どうしてと男二人は不審顔だ。

「だって自分より頭がいいんじゃ、わがままも言えないでしょ」

「なるほどね。おっかさんは大したもんだ。どうですあの孫娘」

「見かけだけじゃわからないけど、子供のころは活発でね。この村の娘ならと何度も思ったわよ」

「話のでどこは荒れ邸の当主でね。孫には少々おとなしい段(タン)が良いと思うようで」

「傷もんでしょ。だからこんな田舎へ押し込むんじゃないの」

女たちは荒れ邸の情報も持っているようだ。

「傷者は少しかわいそうでね。婚姻して十日後に婿殿が妾の家で急死したという不幸な人ですよ。妾に男の子がいて婚家では親戚一同その子に継がせようと邪魔にされたんですよ」

「かわいそうだから貰えというの」

「それにトォウフゥ(投壺)で段(タン)に勝ったという腕もありますしね」

孜漢も意地悪くあおっている。

「嫁が威張る要因になるわ」

「嫁に来れば俺が皆にからかわれるからごめんです」

母子で反対に傾きだした。

「反対に考えれば、嫁の前で言うのを控えてくれるのが男気では」

少し気が動いたようだ。

「紫蘭様の師匠はあそこの荒れ地と山林を嫁荷につけると聞いたそうですよ」

「あそこはいい土地ですが。嫁荷では手が出ませんよ」

「村で借りたらどうします。考えたことあるでしょ」

「小作で分家できない息子たちに開墾させて四十ムゥ(畝)でイェンイエ(烟叶・葉煙草)、四十ムゥ(畝)を輪作用の作物畑の栽培なら八十ムゥ(畝)で、十人は暮らせると夢見ましたよ」

「あそこ千五百ムゥ(畝)あるそうですよ。池と小川など入れた数字としても千三百は農地にできますよ。半分イェンイエ(烟叶・葉煙草)なら二百五十万本の苗が植えられて卸売りの引き取りは二百万文だから、銀(かね)二千両。税が三割、栽培指導に一割、地主三割。農家は三割で六百両」

母親は目を丸くして固まってしまった、孜漢大げさに言い過ぎたかなと段(タン)の顔を見た。

「一軒で仕切れば倍の一千二百両ですか」

「媽媽(マァーマァー)そう簡単にはいきませんよ。三十人以上の手がなければ管理できません、肥料に苗など出銭は多いですよ」

さすが冷静だと孜漢は安心した、最低三十人は必要だと判断できるものはざらにいない。

「でもなんで、栽培指導がいるんですか」

「媽媽(マァーマァー)それわね一面を平均して育てないと収穫時期に困るのと様々な管理の指揮が取れないからなんだ。普通の差配人ではそこまでの知識がないんだ」

「管理ってそんなに銀(かね)がかかるのかい」

「孜漢さんの話しの一割は二百両だけど役人にいい思いをさせないとね、虫食いだ破棄しろと言われない用心に必要なんだよ。だから栽培指導の実際の手取りは四半分もないと聞いたよ」

段(タン)も大げさだなと孜漢は可笑しくなった。

「賄賂にそんなにとるのかい、だってひどいじゃないか」

「ここだって去年まではひどい人たちに苦しんだだろ。どこでも同じようなものなんだ。娘娘のような領主様は少ないのさ」

「それでどうだい。嫁に来る条件でも出すかい」

「母を敬うこと。農地へ出るのを嫌がらないこと。この二つと、もし嫁荷にあの荒れ地が来るなら村へ管理を任せること」

「おお、大分厳しいがそれでいいのだね。容姿や化粧の上手い下手ななどいいのかね」

「容姿より気立ての優しい人。ああ、媽媽(マァーマァー)によれば気の強い人かな」

「なんだ、どっちでもいいのか。だめなのか。はっきりしてくれ。ちょっと忘れないように書く間に決めてくれ」

結局“優しくて気が強い人”と書き上げておいた。

条件次第で嫁に迎える気持ちになったようだ。

“条件つけるとは気が強い親子だ。小姐(シャオジエ=お嬢様)も苦労するかな”孜漢もまとまるか不安になった。

一番東奥の段(タン)の家から街道まで戻ると、遠くに昂(アン)先生と紫蘭の馬車が見えた。

村へは街道の西の低い丘の北で大きく蛇行しここは街道が西北より少し高くなる緩やかな上り坂だ。

街道は南へ下り、池から出た流れは南で三本目の小川と合流し、街道に五歩程度の木の橋が架けてある。

五歩(二十五尺・量地尺:1=34.5cm

荒れ邸の二里ほど手前で紫蘭が降り、坂の途中にある休み處(茶屋)へ座り、三人で打ち合わせをした。

西の方向は見通しが良く休むにはいい場所だ。

街道から左の道へ入り、門前で訪うと孜漢と顔見知りになった孫(スン)が出てきた。

「京城(みやこ)の大奥様から預かりました」

手紙を出して待つとすぐに呼ばれて三人で中へ入った。

主の舒豪烈(シュハァォリィエ)が出迎えた。

「これの父母(フゥムゥ)からは任せると言ってきたが、使者も出してくださったとか」

「はい、豊紳殷徳様の従弟の方に天津へ行っていただきました」

紫蘭は奥へ進んで「公主娘娘の代理として使わされた鄭紫蘭(チョンシラァン)と申します」と告げると老頭(ラオトウ)と娘は平伏したのですぐに立たせ、椅子をすすめた。

「娘娘はお話を聞いて、たいそうお喜びですが段淡寶、舒鈴仙の双方が納得したら纏めるように言いつかりました」

そして娘の手を取り伝えた。

「姐姐(チェチェ)。私は京城(みやこ)の大奥様の妹妹の孫、あなたの一族です。ここからは親戚のよしみで遠慮なく気持ちを話してくださいね」

「私、話下手で本性はお転婆です。いわば出戻りで気性も荒いです。姑に使えるのも苦手なんです」

小間使いの娘が「そんなことありません。小姐(シャオジエ=お嬢様)は気の優しい心細やかな人です」と言い張った。

老爺(ラォイエ)が「此処に鈴仙のいう嫁に行く時の条件があります」と紙を出した。

潘玲が受け取り紫蘭へ渡した。

「爺爺(セーセー)いくら何でも恥ずかしい。人に見せるなんてひどい」

真っ赤になって抗議したがもう手遅れだ。

“畑へ出ても怒らない”

“荒れ地は村へ貸し出して娘が開墾する”

“栗園の管理を任せてくれる”

「この三点だけね」

「そのようですじゃ」

孜漢と昂(アン)先生が見て笑い出した。

「どうしました。おかしなことでも」

孜漢が手控えに挟んだ紙を老頭(ラオトウ)に渡した。

「婿殿の方の条件が一つ多いですよ」

“母を敬うこと”

“農地へ出るのを嫌がらないこと”

“もし嫁荷にあの荒れ地が来るなら村へ管理を任せること”

“優しくて気が強い人”

「どうです無理な話はありますか」

紫蘭は「栗園は村からの委託だからすぐには無理よ」そう言って娘の手を優しくたたいた。

「優しくて気が強いはまるで鈴仙の事を言ったようじゃ」

そういって豪快に笑い出した。

男たちは「これで決まりですな」と笑いが止まらない。

「娘娘からは話が決まれば、天津次第で婚姻の式を挙げるよう言いつかってきました。式を先へ伸ばす必要がありますか」

「嫁荷が天津に置いたままですじゃ。それに嫁入り衣装も整えないと」

「農家の嫁入りは質素にと言いつかりました。ご両親が来られるならそれなりの物を持参されるはずです」

「おお、それはそうじゃが。来れないときはどうすればよろしいかな」

その時、興延に礼雄が着いたというので孜漢と昂(アン)先生が手伝いに向かった。

晴れ着四着と髪飾りに鈴仙は大喜びだ。

紫蘭としばらく衣装に夢中になっている。

「なんでリゥユァン(栗園)を欲しがったの」

「母の弟弟が栗園を持っているの。去年は二千本に栗が豊作で困ったなんて自慢するのよ。マァーマァー(媽媽)の実家は烏梅用の梅の農園、杏仁用の杏の農園に栗の農園などいくつも持っているの」

「リィ(栗)だけでも二千本は大きいわね」

「リィ(栗)のほかにシィグゥア(西瓜)も自慢されたわ家には小さいのを持ってくるくせに話はでかいの」

 

昂(アン)先生と孜漢は差配に集まってもらった。

老爺(ラォイエ)からもらった条件、段(タン)の条件を渡したら三人もおやおやと言いながらクスクス笑いが徐々に大きくなった。

「それで娘娘は早く式をというのですね」

「天津からの人が来るのを待って挙げるということに為るね」

段(タン)へは祝いの費用の銀(かね)として銀(イン)五十銭(五両)を渡した。

シャンビンジュウ(香檳酒)二十本は村へ預けた。

李宇(リィユゥ)は飲んだことがあるという。

「開けるとき振ってしまうと中身がどんどん勝手に出てきて困った」

「ならばお前さんが管理してくれ」

孜漢と興延に礼雄が三人ついて段(タン)の媽媽(マァーマァー)に先ほどの紙を見せて婚約が成立して天津からの到着を待って式を挙げると伝えた。

差配三人は戻っていった。

「でもどこに嫁を迎えればいいのかしら。ここでは小姐(シャオジエ=お嬢様)では我慢できないのではないかしら

「隣屋も段(タン)の家だぜ。媽媽(マァーマァー)も寂しくなったら実家の子供たちを遊びに呼べばいいよ。さぁ、新婚さんはそちらへはいれるように支度にかかろう」

ちゃんと人手も確保してきた孜漢の指揮で、隣は人が住めるようにすぐ支度できた。

孜漢は一軒でいいというのをリゥユァン(栗園)、杏園(シィンユァン)の差配に小作も付いたのだから応接用の家もいると建てさせていた。

興延に礼雄は布団も椅子も卓もと次々馬車から降ろしている。

「こんなにいいもの買う金がない」

「兄貴に恥をかかすわけにいかない。弟弟のよしみで祝いの品だ遠慮するな」

「そうだこいつらひと月の小遣いが減るくらいで、倍は楽に用意できる」

「ええ、旦那が給与を上げてくださるそうだ。今夜は祝いだな」

「いつ上げると言ったよ。うちは儲けが少ないんだ、甫箭(フージァン)に上げてくれというんだな」

ひと段落ついて持ってきた五斤の茶壷を四口壁際の段に並べた、白蘭地(ブランデー)迄二本孜漢に言われて買い入れて来ている。

棚を飾る色とりどりの景徳鎮(ジンダーチェン)十四口の小さな壺は小分け用の一斤の小壺だ、用途はいろいろある。

商売物の置き時計は二家に分けた、棚の飾りに砂時計も大小持ち込んでいる。

嫁が隙間を埋めるだろう。

孜漢が手伝いの段(タン)の従弟たちを含めた八人に武夷洲茶を入れ、蘇州伝統菓子の蘇州糕団を振舞った。

 

五日後十月一日巳の刻(千八百零六年十一月十日十時十分頃)、宜綿(イーミェン)がようやくやってきた。

「天津の父母も来てくれた。今向こうで相談中だ。遅れたのは嫁荷を乗せるのに手間取ったせいだ。この家どう見ても入りきらんぞ」

「そうなったら嫁荷の倉庫でも作らせる」

「は、そこまで大げさじゃないが家に入れたら寝る場所もないぞ」

「隣を整理して夫婦を入れることにした。マァーマァー(媽媽)に嫁荷の番をしてもらうかよ」

「まったく、昂(アン)先生ときたらいい加減なこと言って、姑が倉庫番など聞いたためしがない」

「それで今晩に間に合うのか」

「いや、明日だな。荷車が足りずに番頭が右往左往していた」

孜漢が代表して邸にとどまっている紫蘭と相談に出掛けた。

どうやら荷が着いて広間は大変なことに為っている。

父母(フゥムゥ)は「宜綿(イーミェン)先生は明日でもと言いますが機会は先延ばししないという公主様の意思を大事に思うので、ここではなく村の集会所で式を挙げてくださいませんか」と頼んできた。

紫蘭と相談してすぐに差配に集まってもらった。

「料理が足りませんよ」

「いや、そこまで大げさにしないでくれ。娘娘は農家が派手になれば官吏が賄賂の匂いを嗅ぎつけると言っておられる。普段の村の婚姻に花が添えられるくらいでやめた方が好い。前の兄上の手代へ言いつけるやつでも居たら面倒だ」

「そんな奴いたら追い出してやる」

「だから追い出さなくてもいい位に宴会を開くことだ」

すぐに手分けして村が婚礼で沸き立ちだした。

「困りました頂いた二十本では足りませんよ。村には普段酒も少ないですので買いに出ても間に合うかどうか」

「二人京城(みやこ)へ戻っただろ。買い出しに行かせているんだよ。未の刻(午後一時四十分頃)には戻れるはずだ。料理も今日の分と明日の分が来る予定にした。明日も宴会が出来るぜ。明日婚礼したいものは申し出るんだな」

李宇(リィユゥ)は笑いながら「香槟酒(シャンビンジュウ)は揺れたら飛び出してしまいますよ」とそっちの心配をしだした。

「半刻あれば大丈夫さ。たとえ一口でも全員に回るだけ来るよ」

「でも今晩婚礼がない時はどうするつもりでした」

「前祝い」

笑って戻っていった。

興延に礼雄は予定通りに戻ってきた、シャンビンジュウ(香檳酒)は百二十本手に入ったという。

酒屋は欠けの無い空瓶を二両で買い受ける約束、八両で仕入れたと報告した。

今朝夜明け前に出られるように安定門(アンディンメン)外の孜漢(ズハァン)の経営する料理屋へ泊り、孜漢の指令書で夜中に作らせた特別な料理の台を積んできた。

明日は店の方で手配した馬車で朝早くに出て南彩鎮へ料理が運ばれてくる。

孜漢(ズハァン)にとってお遊びみたいな費用だ、料理が水龍(シゥイロォン)二台と足踏み水車六台合計より高いと知れば村人は仰天するだろう。

酒の値段も小売値段を知る者は五人といないはずだ、特に子供に喜ばれるのは音だと思った。

孜漢(ズハァン)は婚姻が決まるとすぐ二人に用事を命じた。

京城(みやこ)で娘娘への報告、柴信先生への手紙、買い出しの詳細を甫箭(フージァン)へ繋ぎをつけさせた。

手紙には二人を来春に番頭へ引き上げ、給与の倍増をできるか判断するように書いてあったが二人はまだ知らない。

今、孜漢(ズハァン)の心配は柴信先生が婚礼に間に合うかどうかだ。

予定の申の刻(午後三時十分頃)はだんだん近くなってきた。

先生と下僕が着いたのは人が広場へ集まりだしたころだ。

孜漢(ズハァン)の懐中時計は三時を過ぎている。

花婿に続いて、紫蘭が付き添った花嫁は間に合った花嫁衣装で出てきた。

派手にしないとは言っても媽媽(マァーマァー)の気持ちまでは無にできない。

四里ほどの道を紫蘭と花嫁の馬車は半刻近くかけて広場へやってきた。

子供たちが道の端で行儀よく並んでいた。

李宇(リィユゥ)は気が逸ってシャンビンジュウ(香檳酒)をポンと開けてしまった、孜漢の思う通りの展開になった。

泡を頭から浴び驚いた犬に吠えられて、広場に一斉に笑いが起きた。

それからは泡を気にせずポン、ポンとあちこちで栓を抜く音が広がった。

子供まで椀を手に泡を我先に取り合っている。

昂(アン)先生は「泡ならいくら飲んでも害にはなるまい」と宜綿(イーミェン)と二人で泡の取り合いをしだした。

空の椀に今度は料理を入れてもらうと丸太に腰かけて賑やかな宴会になった。

舒豪烈(シュハァォリィエ)も嬉しそうに火の近くで息子夫婦と酒を酌み交わしている。

宜綿(イーミェン)が買い入れてきた天津のマーファ(麻花)は大人から子供まで大人気だ。

シャンビンジュウ(香檳酒)百四十本のうち百本を飲み切り、高烈(ガオリィエ)が後は仕舞えと片づけた。

「皆、今日は急な婚礼で支度も人任せだったが、これを好例に村の婚礼は祭礼と同じように此処で祝おうじゃないか」

その声に村人も歓声で答えた。

「さぁ馬車もある。新婚の二人は歩くことは許さんぞ。とっとと家に向かえ」

興延に礼雄が両脇で二人を中へ押し上げ手綱を引いて馬を歩ませた。

「高烈(ガオリィエ)さん。馬は居ても馬車がないけどこの後はどうします」

「そんときゃ荷車を飾るしかないさ。馬車を置くほどたいそうなお客は来ないからな」

「あたいの時は馬方から借りてくれる人に嫁ぐわ」

言い出したのは小さな娘たちだ。

「あれ、お前達酒を飲んだな」

「泡だけだもん」

それを聞いて舒鈴仙(シュリィンシィェン)の両親は「きっとあんた達が嫁に行く時は村で借りてくださるよ」と約束した。

新婚夫婦は新しい家に放り込まれるように入れられ、やっと落ち着いて話すことができた。

「驚いたかい」

「あなたは」

「びっくりの連続だよ。あなたのような小姐(シャオジエ=お嬢様)がこんな田舎の家に嫁に来てくれるなんて今でも信じられないよ」

好例のベールを竹で持ち上げて顔を見ることができた。

「これで三回目だったかな」

「四回目よ。覚えてない、池で釣りをして叱られたわ」

「あ、魚がいないか調べるといって、石を投げ入れていたのが君か」

「そう、龍が驚いて目を覚ます、なんて脅かすんですもの池に行くのが怖くなったわ。でも大きくなってから、危ないから近づくなというのを、言い方を変えたと気が付いたのよ」

隣へ腰を掛けて手を握り合い話をつづけた。

「大切にするよ」

「それよりどしどし仕事をください。あなたのお役にたちたいの。家の事は岳母(ュエムゥ)、村の事は貴方、農地果樹園の仕事は私と早く分担できれば幸せよ」

「駄目駄目。まだまだ仕事は任せられないよ」

口をとがらせて怒るのを口づけして抱き寄せた。

二人の夜は始まったばかりだ。

段(タン)のマァーマァー(媽媽)は実家で泊れと言われて引き留められた。

孜漢達は柴信先生達と集会所で改めて宴会の続きをしている。

紫蘭は荒れ邸で一族の団欒へ参加している。

 

小間使いのタァオニャン(桃娘)と潘玲(パァンリィン)、南宮夕依(ナンゴンシィイ)は別間で意気投合してお菓子を食べ比べている。

「こんな珍しいお菓子初めてだわ。公主様の所ではいつでも食べられるの」

伊太利菓子の干菓子は甘くて香りもいいと評判だ。

「置いては有るけど私たちが好き勝手に食べることはあり得ないわよ。雇われているんですもの。それにおいしいから食べ過ぎていたらぷくぷく太ってしまうわ」

「天津の大きな屋敷の雇い人は太った人が多いわ。お菓子の食べ過ぎね」

「京城(みやこ)でもそのようなお邸は多いわ。私たちは人から見ればよい生活です。でも府第では娘娘もそうですが、必ず朝は武術を練習する決まりよ」

「大変なのね、話ではきれいな服で優雅に暮らしてるとうわさが聞こえて來るのよ」

「そういうお邸もあるけど、それより私たちは厳しいけど優しい紫蘭様、そして公主娘娘に仕える方が幸せだと思うわ」

夕依は「あなたはこれからどうするの。段(タン)さんの家に仕えるのは難しいのでしょ」と身の振り方を心配している。

「どこかへ勤めさせてもらうわ。身売り証文は返してもらえたのよ。それと奥様と旦那様が先ほど銀票で五十両もくださったの」

三人は広間へ呼ばれた。

「ねぇ、タァオニャン(桃娘)貴方字も奇麗だし京城(みやこ)へ出てくる気はある。私の実家で兄が二人分家して人手が足りなくなったの。媽媽が忙しくて身の回りの世話をする小間使いを探しだしたのよ。二人の兄の乳母をしていた人がマァーマァー(媽媽)の世話もしていたけど二人を連れて行ってしまったの。ただ私のマァーマァー(媽媽)は変わり者でね、最初の印象で人を選ぶので湯老媼(タンラォオウ)という周旋人が連れてくる人を断ってばかりいるのよ」

「私も撥ねられたら行き場がありません」

「その時は湯老媼(タンラォオウ)に頼んで仕事を紹介するまで面倒を見るわ。リィン(玲)、今一日いくらなの」

「一日五十文で寝床と二回の食事が出ます。支払いは仕事が見つかってからでも大丈夫です。先輩から時々お菓子も届きますし、働くより楽なんて言う人もたまにいます。仲介料は百に一つを年季明けまで私は今月十八文、その分で次の人が安く宿泊できるんです。貴重品は番頭さんが責任をもって預かってくれるので勤めても置いてゆく人もいます」

「紫蘭様、私奥様に気に入っていただけるように働きます。連れて行ってくださいますか」

「いいわ。興延や礼雄の馬車で連れて行ってもらいなさいな。手紙もここで書いてあげる。家でも湯老媼(タンラォオウ)に百に一つを給与から出すように仕切らせるはずよ。そうしないと次の人を紹介してくれないのよ」

すぐに流麗な字で紹介文を書いてタァオニャン(桃娘)に渡して読ませた。

「其の最後に自分の名と本籍地を書いてちょうだい」

蘇桃娘 開封府通許 壬子三月

シィイ(夕依)は驚いている。

「こんなきれいで読みやすい字は湯老媼(タンラォオウ)が見たら自分で雇うと言い出しますよ」

「紫蘭様。この通許は私たちの本家の家から二十里ほどの街で、五歳の時に本家に買われて天津へ来たんです。先ほど身売り証文は焼きましたが、戸籍簿は本人に持たせました。トォンシュィ(通許)の生まれで両親はすでに死んでいます。兄弟も残っていません」

「私、天津へ来てから幸せでした。大旦那様、旦那様、奥様、小姐(シャオジエ=お嬢様)の御恩は生涯忘れません」

そう言って叩頭して礼をした。

舒豪烈(シュハァォリィエ)が「鈴仙が良い性格に育ったのもお前のおかげだ十年良く仕えてくれた。礼を言わせてもらうよ」と言いながら手を出して立ち上がらせた。

 

翌朝、新婚夫婦が荒れ邸へ来て両親へ改めて挨拶した。

「相談ですが」

「何、翌日からもう揉め事」

「まさか、そうではなくスゥタァオニャン(蘇桃娘)の事です。村へ残る気があるか聞きに来ました」

「手遅れよ」

「どうしてマァーマァー(媽媽)」

「紫蘭様に先を越されたのよ。京城(みやこ)のマァーマァー(媽媽)の小間使いに欲しいと言われたの」

「話はもう決まったの」

「京城(みやこ)へ行くこと迄は本人も了解したわ。貴方はもう段(タン)の家の嫁だから自分の家の心配をすればいいのよ。桃娘の幸せな人生があると信じなさい」

「桃娘がそばにいないと不安です」

「その分は旦那様が支えてくださるわよ。しっかりなさいな」

強(きつ)く言うのも親心だ。

「大事にします。仕事はきつくても必ず支えます」

段(タン)は岳母(ュエムゥ)にそう誓った。

干爹(ガァンディエ)にも祖父にも挨拶し、紫蘭へは拝礼をして娘娘へは落ち着いたら出向きたいと告げて貰うことにした。

舒鈴仙は桃娘を抱きしめ「私に負けないくらい幸せになるのよ」と泣く桃娘を励ました。

 

二人が戻るのへ紫蘭は村を歩きたいと付いて出た。

リィン(玲)は冬の畑地に興味がわいてシィイ(夕依)と二人で燥いでいた。

段(タン)の実家ではまだ媽媽(マァーマァー)がいた。

鈴仙に岳母(ュエムゥ)と言われてどぎまぎしている。

紫蘭にも「おめでとう」と言われて慌てて礼をしている。

三家の差配の挨拶にも紫蘭は付いて行った。

そのあと孜漢にあって興延、礼雄の馬車で桃娘を鄭興(チョンシィン)へ連れて行って母が気に入らなければ湯老媼(タンラォオウ)へ預けてほしいと頼んだ。

孜漢が引き受けてくれて一安心だ、手紙を渡して読んでもらった。

「良い紹介文ですね。桃娘の字もいい字だ。きっと気に入られますよ。私たちは明日京城(みやこ)へ戻りますが紫蘭様はどうされますか」

「一緒に戻る方が好いわね。昂(アン)先生の都合も聞き合わせに行きますわ」

宜綿(イーミェン)と昂(アン)先生も明日出ると了解したので段(タン)の新居迄見てから荒れ邸へ戻って「明日京城(みやこ)へ戻るそうですのでもう一晩泊めてくださいな」と頼んだ。

老頭(ラオトウ)はたいそう喜んでいる。

「今日帰ると言われないか心配しました」

舒鈴仙(シュリィンシィェン)の父母(フゥムゥ)も明日戻ると馬宿の手配に孫(スン)が出掛けたそうだ。

宜綿(イーミェン)から「船が待っているので帰る日時を連絡」とも言われているので手紙を届けさせたという。

「皆いなくなるとちと寂しいな」

「公公(コンコン)ったら、鈴仙は近くにいるから散策にでも出れば顔が見られるのよ。ひ孫もすぐできますよ」

 

差配の高烈(ガオリィエ)の所へ六家の主が来た。

三組の婚礼を今晩してほしいとの話だ。

急いで手代たちが走り回り、四人の差配で相談の上、三組の婚礼を行うことに為った。

孜漢達にも話が来て好いことだ娘娘もお喜びだろうと替わって伝えた。

荒れ邸にも話は伝わり好例の晴れ着一揃いを送られると請け合った。

「祝い金は決まりがないのよ。でも差配に順次ていくらかでも出る様にしたいわね」

于睿(ユゥルゥイ)は「どうでしょう牛を村の昔の婚姻の祝いでまたいただけるのでしたら、積み立てた乳の売り上げから手代に銀(イン)四銭、小作に三銭を今年の縁組したものへ遡って支給するというのは。他のものは私が口説きます」そう願ってほしいと紫蘭へ頼んだ。

「それならこうしましょう。晴れ着一揃いを頂きに差配人を一人、今回は新婚夫婦にその役目を与えて明日同行すればと思うのよ。それと祝い金だけど、差配人は特別に娘娘からとお願いしましょうね」

その時に願い出れば必ず聞き届けてくれると請け合った。

于睿(ユゥルゥイ)が他の三人の同意を得て手分けして孜漢、昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)の了解も得た。

九月の税の納入、公主への献納も済み村はゆとりを持ってきた。

村に馬もあるので段(タン)がのり、馬車に桃娘と鈴仙が乗ればいいとなった。

「鈴仙め、帰りは荷物と一緒の扱いだぜ」

宜綿(イーミェン)の言葉に差配たちは大喜びで段(タン)を揶揄った。

柴信先生も何事も公平が一番、昔の婚姻したものたちの子や孫が恩恵を受ける好い話だと喜んでくれた。

「ただ去年のものが損したと言わぬように何かいい手立てを考えよう」

「さかのぼればいくらでも不平は出るが、娘娘も気を置いて下さるから古い話は領主交代で消えたと言わざるを得ないでしょう」

「それもそうだな。不平を聞いたらそう伝えることにしましょう」

嫁と云えば昨日李橋鎮へ戻っていたのも嫁の話しと柴信先生の話が飛んだ。

最近此処の噂が広がり嫁にやりたい、嫁に迎えたいという話が多くなったという。

「馬、牛の縁談は日常でも人は苦手、と言っても呼びつけられれば顔は出さぬわけにいかんのでな」

下僕の程(チェン)もだいぶ不満があるようだ。

「呼びつけてさんざん茶を飲ませてそれから縁談話。忙しい先生を使用人と間違えていなさる」

「おいおい、代わりにしゃべってくれるのか」

「すんません。昨日からお目出度続きなのに」

「何かあったのか」

宜綿(イーミェン)が程(チェン)に尋ねた。

「最近段(タン)さんへの縁談話を三軒も口をきけと言われたのですよ。李橋鎮の樊(ファン)家と倪(ニィ)家、北務鎮の閻(イェン)家とこの四日前から立て続けです」

「ま、そういうわけであちら此方呼びだされては本職で無い方の用事ばかりでね。昨日は樊(ファン)家の例の嫡妻が外甥女(ゥアィシァンヌゥ)で十七歳の娘を段(タン)さんの嫁に出してくださるという話を聞かされましてね。前二家からの話をしていたら、家の格をグダグダ聞かされました。そこへ程(チェン)が家へ来た孜漢さんの手紙を持ってきて、縁談は手遅れですと言ったら怒りだしましてね。出入り禁止だと言われたんですよ」

「順義縣には先生と老先生、弟弟の宗麟先生に老先生の弟子二人しか馬医者がいないの知らないのですかね。どうするか見ものですぜ」

他の家も回って断りを言っていたのでやっと婚礼に間に合ったと笑っている。

「出入り禁止でも牛馬の病気、出産は行きますがね。人より大事なお仲間だ」

宋太医の御仲間には面白い人が多い。

段(タン)が「嫁荷に荒れ地が付いていて、妻は村へ貸し出す」と言ってくれたと報告した。

「例の分家に耕させるという奴だな」

「今三十家は分家したくも二十ムゥ(畝)以下の家ばかりで其の息子たちを妻の小作として村へ委託と考えているのですが。まだ娘娘の方の許可を頂いていないのです」

「色々聞いたが四十ムゥ(畝)位がひと家族五人の限度の様だ。葉タバコに二十ムゥ(畝)、それ以上だと人手を借りるようになるそうだ。農家の手取りは銀(イン)九十六銭だと聞いたよ、もっと多いと言うのもいた。等級の上のものを栽培できる栽培指導者は高給だ。畑地も分家なら実家のものが少しは手助けできる」

柴信先生は聞いた話をもとに調べたようだ。

 

「栽培の差配人はイェンイエ(烟叶・葉煙草)二十ムゥ(畝)の家三十軒位を受け持てば生活が成り立つと仲間が言うとるよ」

孜漢が紙に三十家・四十畝・千二百畝と書き、さらに三十家・二十畝・六百畝と書き出した。

「どうだね昔聞いた数字より小さそうだが小作としては村では大きなものになる。なりたがるもの続出は間違いないよ。それと村域外の畑地だ税さえきちんと出せば葉タバコの官吏も懐が膨らんで喜ぶだろう」

孜漢は百二十万本の苗が植えつけられると計算した。

三十六万斤の収穫、銭九十六万文の卸値。

差配に一割九万六千文。

諸税に三割二十八万八千文。 

村に三割二十八万八千文、そこから肥料代を負担する。

(百二十万本分の肥料に銀(イン)千銭。)

三十家の農家は一家当たり九千六百文。

「畑地の小作料はどうする」

「村に入る三分の一の九万六千文にすれば村と農家も潤うでしょう」

「それじゃ鈴仙がかわいそうだ」 

「九万六千文で手を打ちませんかね。それなら娘娘の庇護も受けやすい」

興延に礼雄が迎えに出て連れてきた、道々おおよそは聞いて居るようだ。

「そんなに貰えるんですか。私せいぜい銀(イン)三百銭も入ればと思っていたんです。三倍なんていりませんよ」

ほらねという得意げな孜漢だ。

「少なすぎると宜綿(イーミェン)様が言うので来てもらったんだよ」

「あなただって多いと思うのでしょ」

「それはそうだが。俺から言えば鈴仙が困ると思って」

もう尻にひかれたかと一同で大笑いだ。

高烈(ガオリィエ)は「婚姻の条件に荒れ地は村へ貸し出して娘が開墾するとありますが、本決まりになれば娘娘から言われているもう一人の差配人になってくれませんかな」と鈴仙に聞いた。

「あたしが差配人ですか」

「小作は付ける余裕はありませんが、段(タン)に全部押し付けるにはちょと仕事が多すぎるのですよ」

「引き受けなさい」

宜綿(イーミェン)と孜漢が段(タン)にも「そうした方が嫁入りの条件に適うだろ」と交互に口説いた。

フゥーチィー(夫妻・夫婦)で「皆様のご期待に添わせていただきます」とゴォンシォゥ(拱手)した。

「ま、そういうことだが就任は開墾が始まってからの事だ。それまでフゥーチィーで気をそろえて学んでくだされよ」

葉タバコに話は戻っていろいろな事例が孜漢からも語られた。

柴信先生が「肥料は鶏糞や牛馬の糞を発酵させれば大分買い入れは少なくなる。今の様にただ漉き込むよりいいと聞いた」と教えた。

「皆さまにお願いが」

「なんだね」

「糞はたまるとにおいがきついので荒れ邸から遠い、南のはじへ作っていただけませんか」

池の南の一段高い山裾が好いだろうと意見が一致した、荒れ邸から五里ほど離れている、南風を遮れば匂いが荒れ邸までは届かない。

池の北の二つに南の小川はそれぞれが細くて橋も架けやすい、荷車に乗せて運べば問題も起きなそうだ。

畑地のかさ上げの土は、小作の家を建てる予定の村の土地が、荒れ地の北の道のわきにある。

細い雑木で冬の燃料用の入会地だ、道と平になるくらい削るのだが牛も増え、今ではたやすい作業だ。

家の裏にも小道を整備すれば小枝集めも今と変わらずに出来る。

 

一同が連れだって府第で娘娘へ報告した。

三家の晴れ着が下賜され、祝い金も村の基金から出すことも了承された。

興延に礼雄は桃娘と門が閉まらない内に鄭興(チョンシィン)へ急いだ。

崇文門(チョンウェンメン)を抜け、南城草廠胡同へ着いてまず鄭紫釉(チョンシユ)に紫蘭の手紙を読んでもらった。

「その娘だね。今双栄(シュアンロォン)を呼ぶからね」

手代に呼びに行かせると「湯老媼(タンラォオウ)じゃないの、孜漢さんの紹介なのね。好い娘を探し出したわね気にいったわ」と先走っている。

「お前、何を聞いたんだね」

「あら違うの」

手紙を渡され「まぁ、綺麗な字だ事。月銀(イン)二十銭でもいいわ」と小間使いの給与にしてはずいぶん張り込んだ銀(かね)で雇うことが決まった。

紫釉が「明日湯老媼(タンラォオウ)に来てもらって小間使いの契約をするから」というと「今から奥様の御用をしてもよろしいでしょうか」と言い出した。

もう武双栄(ウゥシュアンロォン)の懐に入ってしまった。

 

孜漢が代表して娘娘へ鈴仙の土地の話しをすると「いい娘ね。きちんと地代は貰いなさいね」と後ろ盾になると約束した。

「女の人を差配人とは驚く話ね」

娘娘も相当驚いたようだ、差配就任の祝い金の話しは村の基金から五十両と聞いてそれも了解した。

舒鈴仙(シュリィンシィェン)と段淡寶(タンダァンパァオ)は昂(アン)先生がお小屋へ案内して「食事の支度が出来たら呼びに来る」と出て行った。

花琳(ファリン)が呼びに来て昂(アン)先生の家族と卓へ付いて食事が始まった。

昂潘(アンパァン)と蘇花琳(スーファリン)の子は老大昂凛(アンリン)八歳と次子昂槭(アンチィー)四歳の二人だ。

楽しいひと時が過ぎ段(タン)夫妻はお小屋へ花琳(ファリン)が送り、此処ではその時計で六時に朝の粥を食べるしきたりだと説明した。

「卯の刻はその時計で六時三十分くらいなので黎明前に冬は起きるのよ」

朝は迎えを六時少し前に寄こすから出られる支度を済ませるようにと伝えて出て行った。

「お邸というのも厳しいしきたりがあるのですね」

「教えていただいたのは亡くなった上皇様は一年中虎の刻に起きて政務をとられたそうだ。公主娘娘とインドゥ哥哥様は婚姻後に邸の刻を鐘ではなく西洋時計に合わせて冬と夏で違いが出るのを統一されたそうだ。農民は冬場暗いのでそういうわけに行かないけどね。リィミィン(黎明)に起きて一仕事が子供のころからの習慣だが、冬は起きても作業は食事の後になる、怠け者は御邸勤めや農民に向かないね」

「六時に朝の粥だと四時に起きて作業する方も居られるのね」

「この東のお小屋の前の家は厨房の差配で毎朝四時から仕事、庭番の家族は夏の朝は五時からといろいろと働く時間に差があるそうで花琳(ファリン)様も仕事の差配に子育てと忙しい方だよ」

「村の差配も大変のようね」

「俺の方は手代の延長だし、昔からやりたかった果樹園も軌道に乗る準備は出来た。鈴仙のおかげで三十家の分家でイェンイエ(烟叶・葉煙草)も三年後には銀(イン)になるだろうし、娘娘にはお世話に為りっ放しでどうやって恩をお返しできるのかまだ五里霧中だ」

「私のできることは何でも言ってくださいね」

「村のため、娘娘のため、そして家族のため君が必要だよ」

「なにか抜けてる」

「なんだろ」

「分からないの」

「そうだ俺のために必要だ。そして鈴仙のために必要な男になるよ」

「うれしい」

 

翌朝、公主娘娘、インドゥ哥哥へ挨拶をし、興延と礼雄の馬車を待った。

手代の二人は段(タン)夫妻とともに紫蘭へ挨拶に出て無事桃娘が武双栄(ウゥシュアンロォン)様に気に入られ昨日から働きだしたと報告した。

「マァーマァー(媽媽)が月二十銭も出すと言ったの。ここの使女でもそれだけ頂ける人は数少ないわよ」

府第の奴婢は月銀(イン)十銭。字が読み書き出来れば十三銭、新米使女も十三銭、一年たてば十五銭。

「旦那が驚いていましたよ。奥様一目で気に入ったようでね。他に取られやしないか心配したようです」

鈴仙も嬉しそうにほほ笑んでいる。

馬車は使女たちに見送られ、崇文門(チョンウェンメン)から出て師匠の隠居所へ向かった。

初めて会う大奥様は優しく出迎えてくれ、自分の作品だという刺繡入り手巾を四枚鈴仙に「お土産」と蒔絵の箱に入れて差し出した。

南城石鼓胡同(シィグゥフートン)から東便門(ドォンビィエンメン)へ向かい外城河に沿って東直門(ドォンヂィメン)の東で城壁から遠ざかる北東への街道を進んだ。

 

婚礼を上げた三組に下賜の服と高烈(ガオリィエ)が用意した祝い金が渡された。

そのほかにもまだ服を下賜されていない五組が呼ばれて同じように服と祝い金が配られた。

村に戻って婚姻した九家はすでに服は下賜されていたので祝い金が贈られた。

「今年はここまで十七組が縁組か」

「于睿(ユゥルゥイ)、何を言うやら。ほれ其の段(タン)もだぞ」

「まいった小作と手代への祝い金の計算で頭が一杯で忘れていた」

「そろそろホォン(鴻)に差配人を譲るか」

「そろそろ考える年だろうな。あいつも三十六になった」

「わしもようやく孫のラァン(榔)が十八になった、嫁のきても決まったし李宇に差配頭を譲って隠居だな」

「まだ困りますよ」

「いやいや、お前さんには後三十年、頭でいてもらわんと困る。段(タン)を頭にしては雑仕事で忙しくて、果樹園に煙草の仕事が滞る。雑仕事はほかのものがやるしかあるまい。鈴仙は差配と云ってもほぼ名目に近いからな、仕事の多くは女たちの愚痴の聞き役になりかねないぞ」

荒れ地の測量と道の割合など段(タン)と差配、その手代達は忙しい日が続いた。

段(タン)は四十ムゥ(畝)の小作三十家が可能と出てほっとしていた。

苦労する分それだけ生活が楽になるはずだ。

千五百ムゥ(畝)と山林百ムゥ(畝)、ただ新娘という二百ムゥ(畝)の場所が何処かわからない、鈴仙は興延に礼雄が来たらもう一度古い帳面で探すという。

 

三十家の当主に分家の予定者が呼び出された。

「噂も出ているようだが公主娘娘のお許しも出て荒れ地を村で借りることに決まった。それで前々から段(タン)が申し出ていたお前たちに難しい仕事を引き受けてもらいたい。銀(かね)に成るなどの噂もあるが物になるには年月がかかる。その間は段(タン)と妻の舒鈴仙(シュリィンシィェン)が生活できるように考えてくれる」

段(タン)が「開墾と言っても低地があるのでまずかさ上げ、水抜き、水路からやる必要がある。調べたところ昔水田でミィ(米)を作っていたが不作続きで諦めた土地だ」と教えた。

「そんな場所へ分家させろと」

「今暮らしは楽なら降りてもいいよ」

高烈(ガオリィエ)に言われて「分家は無理だから出稼ぎ脚夫(ヂィアフゥ)を考えている」と答えるものが何人か出た。

「四十ムゥ(畝)を小作として貸し出してもそれよりも良い条件なのか」

「全部イェンイエ(烟叶・葉煙草)ですか」

「輪作で交互に二十ムゥ(畝)を葉タバコ、二十ムゥ(畝)で大豆などの豆類と考えています。三年を一区切りで食えるようになるように応援します」

「その三年どうやって食いつなぐのだ」

「小作の差配が足りない穀物を分配する予定です。丸抱えが良ければ小作で無く使用人と言う手もありますが、私の嫁は小姐(シャオジエ=お嬢様)育ちで厳しそうですよ」

「小作料は高いのでしょうか」

「というより。葉タバコの売り上げの三割しか手に入りません」

「七割取られては食えるはずもない」

「聞いてなかったのか。輪作用の畑地は自分用の作物だ。村で買い上げるか自家の食い扶持だ。税はかかるが献納は取られない」

高烈(ガオリィエ)が大きな声で伝えた。

「好きなものを作れるというのですか」

「そんなわがまま者に任せられるか。豆類と言っただろう。村全体で気をそろえなければ飢饉の時生き残れんぞ。大水害で家族を売った話を聞いただろう。幸いここにいる者はそこまで被害は出なかったが、俺たちはこの十年苦しんできた。今公主娘娘のおかげで息がつけるこの時バラバラでは生き残れんぞ」

賛成の家族だけ残れと言われ二十八家が残った。

「池を囲んで三十家の区割りだ。抜けた二家分は後で兄弟の多いものへ振り分ける」

後で苦情が出ないように壁に張った図面の番号を入れ札にした。

五家が重なり抽選となった。

はずれのもので再度空き番号へ入れ札をするとあっさりと振り分けが決まった。

残りの二つに五家族が名乗りを上げた。

高烈(ガオリィエ)は「肥料用に牛馬の糞の発酵場を作れと柴信先生から言われている。匂いを我慢する仕事になるが計算し場所を確認したら三十ムゥ(畝)の畑地がつけられると分かった。やってくれるものは自営と身分を引き上げ五人扶持の給付もつける。先に決まった者でもよい」

大分議論していたが四十代のガタイの良い男が申し出た。

「息子を今の家に残し、仕事に近い新たな家を与えられるのなら応じていいのだが。代々牛も居たので匂いに負けるのは若いもの位だ」

「なら、なぜ牛飼いの時申し出なかった」

于睿(ユゥルゥイ)が詰め寄った。

「見てくれ俺の家は年寄り夫婦、俺たち夫婦に男が三人十七を頭に年子だ、娘もいる。引き受けたくとも場所もない。俺たちが牛小屋を直して住んでいるくらいだ。今回も長男を残して分家を自分がしなけりゃ息子に嫁も取れないのだ」

「そりゃ俺が悪かった。自分の所で手一杯でそこまで見ていなかった。やっぱり隠居するべきだな。高烈(ガオリィエ)さん息子を呼んでいいか」

「まぁ、まて。この話がまとまったら二人で隠居して李宇(リィユゥ)を差配頭にさせよう」

これだけ多くの前でわざと聞かせたようだ。

「ほかにいなけりゃ南の于(ユゥ)に任せるがいいのか」

南の于成(ユゥチァン)夫婦に発酵場を任せると決まった。家は表街道沿いの小川の先の小さな畑地跡に建てると決め、三十ムゥ(畝)の畑地の先二里奥に堆肥置き場と説明した。

「南の于成の十五番が空いた。二十二番、二十八番で五家の抽選だがもう申し出るものがいなきゃ抽選で決める」

「待ってくれ。俺たちは今の家のままなのか」

于睿(ユゥルゥイ)が説明をした。

「落ち着けよ。ついでだここで言っておく。荒れ邸から村の入り口まで道の北が奥行はないが村の入会地だ。そこへ三十軒建てようと思っている。段(タン)の家ほどではないが大きさは十分とって五部屋と裏へ牛小屋を鈴仙(リィンシィェン)の銀(かね)で建てる。表向きは鈴仙が差配人でその小作になる。開墾が終わるまでに順次住めるようにする。区割りは畑の番号と同じで于(ユゥ)の家に近い方が一番だ」

予算は千五百両だという、不足分は村の負担になる。

鈴仙は葉タバコが順調なら利としては十分だと思っている、金貸しではないのだ小遣いに不自由しないのに欲張らない方が良いと思っている。

嫁荷の半分に相当する銀(三千両)を置いておくだけでは何も産まないと申し出たのだ。

そんな性質を爺爺(セーセー)は見抜いたのだろう。

差配の三人は感激した、鈴仙はそんなもので建つのかと淡寶に言ったが「小作の家にそれ以上かければ村が割れる」と説得された。

「間口二十歩、奥行き三十五歩の土地だ。間取りは居間、厨房、寝間三か所。玉米(ュイミィー)にホォンドォウ(紅豆・小豆)やダァドォゥ(大豆)を自分用に作れる。いつ牛が来てもいい様に牛舎は奥へ建てておく。実家より分家の方がいい扱いだとうらやましがられること請け合いだ。制約は鶏の親鶏を十羽以上置けないくらいだ」

荒れ邸から村の馬、山羊を飼う家までの間に四十の家は建てられると段(タン)と鈴仙は話し合っている。

 

三里=1500メートル・歩=五尺(量地尺34.5センチ)。

一軒分-前面二十歩34.5メートル・奥行き三十五歩60.4メートル。

三十家=六百歩1035メートル。

四十家=八百歩1380メートル。

 

娘が一人広場へ駆け込んで来た。

南の于成の息子があたふたして「どうした姐姐」と迎え出た。

「爹(ディエ)に知られた」

一同も何事だと振り向いた。

二人で高烈(ガオリィエ)の前に出て「一緒にさせてください」と叩頭している。

父母(フゥムゥ)も唖然としてどうしたらいいか分らないようだ。

于睿(ユゥルゥイ)が差配の威厳で問い詰めた。

「莱富(ラァイフゥ)お前いつの間に、従弟の浩(ハァォ)より五歳も年が上なんだぞ」

莱富の父母(フゥムゥ)も追いかけるように来て浩をにらんでいる。

娘娘が買い戻した娘の一番の年上、二十三になった娘だ。

漸く事情を掴んだ于成が「家の息子が手を出したのか」と聞いて居る。

「手どころか腹ましやがった。お前の所にほおりこんでやる。好きにしていい」

高烈(ガオリィエ)が「まままぁ、段(タン)の親父よ。一緒にしていいのか」と両手を出した。

村で多い段(タン)の一族だ、于成の妻は妹になる。

「長老が言うなら嫁に出すが南の于成の所は嫁が取れる状態かよ」

「いまな、此処で何を話してるかは知っているだろ」

「何時かねになるか知れねえ荒れ地の話しだろ」

「柴信先生の牛馬の糞の肥料話はお前も知っているだろ」

「ああ、聞いたよ」 

「それを南の于成(ユゥチァン)が引き受けてくれた。家は新しく建てるから嫁の方も大丈夫、だろうな、成(チァン)」

「嫁が来るなら洪(ハァォ)のためにほかの家族は新しい家へ移るよ」

「なぁ、家が夫婦二人ならお前たちも親戚のよしみで認めてやれよ」

先ほどの勢いも失せて(うせて)きている。

「住まいがありゃどこも貧乏所帯は同じだ、それでいいよ」

寄り合い所から帳面を手に鈴仙と興延に礼雄が出てきた。

「後二軒畑地が足りないようですけど」

高烈(ガオリィエ)が答えた。

「そうなんだが、抽選で決めるから心配いらないよ」

「それなんですけど嫁荷に順義縣南彩鎮大興荘新娘(シィンニャン)二百ムゥ(畝)とあるんですけど三人で探してもそんな土地ないんですよ」

礼雄も首をかしげている。

「これが見つかれば抽選に加えられると思うんです」

一同が顔を見回しても誰も知らない様だ。

柴信先生がのんびりと下僕と馬でやってきた。

「どうしたい」

「荒れ地の振り分けでもう少しで纏まります」

「先生、大興荘新娘て土地を知りませんか」

段(タン)の言葉にうなずいている。

「それ街道の向う側にある丘の事だ。覚えてるはずもないか。俺の爺様から聞いた話だが飢饉の時、麦を買うのに売ったというぞ。街道沿いに休み所を作るつもりが道を付け替えられて断念したと聞いた。其の子孫が開いたのが曲がり家の休み所だ。」

「どこにも記録がありませんが」

「三藩の乱の時代というから百四十年も前の話しだ」

慌てて礼雄が帳簿を見ている。

「これでしょうか」

高烈(ガオリィエ)が見て「なんだこりゃ虫食いだらけで読めやしない。ご先祖がファンガン(風干・天道干し)を怠けたな」と皆に回している。

“癸丑九月八吊新・・・・・・・・街道・・・”とまではどうやら読めた。

「それにしても安いな。足元を見られてやむなく売ったようだ。荒れ邸や池の周りもそのころ手離したようだ」

「それははっきりしています。翌年の甲寅に龍神八十八吊千五百二十ムゥ(畝)同山林十吊百零一ムゥ(畝)と天鳳六十五吊五百ムゥ(畝)と帳面にあります。明の時代の帳面には龍神池街道東三里脇道同祠としてありますから昔の街道は丘の向う側だったようです。今の街道は荷車もやっとの脇道だったようですね。そのころは新娘と記載がないので分地したようです」

高烈(ガオリィエ)は五家のものに「二人はずれたら街道の向うでも納得してくれるか。あそこはシゥ(黍)かュイミィー(玉米)しか無理だと思うのだ」と聞いて返事を待って三家の抽選をした。

「さて段莱富(タンラァイフゥ)于浩(ユゥハァォ)をいつ婚姻させる」

「今させても住むところだ」

「急いで父親の家を建てたらどうです。半月あれば建ちますよ」

「おいおい、そりゃ無理だろう」

柴信先生迄危ぶんでいる。

「興延さん、礼雄さんが村にきて寝泊まりが今の集会所では不便なので、孜漢さんが建て直すと言ったでしょ」

「あの建築材か。大分大きいぞ」

「七人住むんですからそのくらいあった方が好いですよ。それに街道沿いですから村の顔にもなりますよ」

荒れ邸の南三里、小川の先になり、村はそこから東南へ山林が伸びて隣の楊鎮田家営村との境になる。

西北三十里の南彩村との縁戚は多いが田家営村との縁戚は数が少ない。

娘三人に縁談が持ち込まれたが“公主娘娘の香山村乳牛が欲しい”というので高烈(ガオリィエ)が怒って破談にしろと息巻いている。

「昔から気に入らん奴らばかりだ」

そうは言うが于睿(ユゥルゥイ)は娘たちが可哀そうだと交渉を続けている。

南彩村とは共に李遂鎮を抜けて李橋鎮へ行く街道が重なるというのが理由の様だ。

「確かにいくら貧乏村でも少しは見栄を張るか」

「後ろの糞小屋隠しにもなります」

いくら樹木で隠しても丸見えよりはいいだろうと村人も賛成した。

集会所は最初取り壊して肥料置き場の假住まいと決まっていたのだが、どこかほかへ移し替えするようになった。

興延に礼雄も「また注文すれば済むことで旦那の了解待ちの必要はありません」と請け合った。

村の事は全面的に公主から二人に任されているのは皆が承知している。

決まれば農閑期の今が絶好期だ、あれよあれよという間に建ち上がった。

古い家もすっかり洗い出されて見違えるようだ。

十二月初一日婚礼と決まり、あと一組は新しい差配の高榔(ガオラァン)、まだ十八歳で、嫁はチョンヂェン(張鎮)の苗木業者の次女劉柳蓮(リゥリィオリィェン)十六歳という。

干爸(ガァンヂィエ)が段(タン)のために果樹園の指導に何度か来てくれたが、熱心に働く高榔を気に入って婚約を高烈(ガオリィエ)へ申し入れた。

まさか年内に長老の差配が隠居しで相続とは思っていなかったようだが、娘は「いい機会です。お嫁に行きたい」というのでまとまった。

同じ日に隣の楊鎮田家営村から二人嫁が来ることに為って村では後はいないかと触れ回っている。

楊鎮田家営村へは受け入れる二人と嫁に出す二人も決まっている。

最初の嫁荷に公主娘娘の牝牛にこだわる家は破談になり、条件を下げて村生まれの牡牛と仔山羊ひと番という家と話がまとまった。

「村生まれの牛は村のものよ」

娘娘の一言でニォウグゥァン(牛倌・牛飼い)の劉(リゥ)と周(チョウ)が仔山羊をひと番買い取り嫁荷とした。

「毎日婚礼では仕事に為らんぞ月一度にまとめるかふた月に一度だ」

隠居の決まった二人も後を継ぐ差配を追使っている。

「恒例の新差配人が娘娘へお目通りと、下賜の晴れ着の受け取りへ行ける日を決めたら迎えに来る」

礼雄は段(タン)に約束し「とりあえず一日の夕刻には二人で來るから決めておいてくれ」と戻っていった。

 

初三日に京城(みやこ)へ出ると旧差配の四人は決めていた。

新しい差配頭の李宇(リィユゥ)が案内で、五人府第で娘娘に御挨拶となった。

高榔(ガオラァン)十八歳、妻の劉柳蓮(リゥリィオリィェン)十六歳。

于鴻(ユゥホォン)三十六歳。

鈴仙(リィンシィェン)は二回目の府第へ柳蓮と馬車で行く。

柳蓮は馬に乗れるというが、李宇(リィユゥ)は柳蓮に人目もあるから馬車で行くように命じた。

興延に礼雄の二人に送り迎えを頼むようだ。

柳蓮は不満を鈴仙にぶつけたが「私も馬車よ」と言われて諦めた。

「これからは姐姐と呼んでもいい」

「うれしいわ、あなたは名前と妹妹(メィメィ)のどちらで呼ばれたいの」

「断然妹妹」

「妹妹(メィメィ)。好い旦那様に嫁いで来られてよかったわね」

「姐姐こそ幸せそうにみえるわ」

「私のわがままを受け止めてくれるの。貴方も時々はわがままをぶつけなさい」

「どうして」

「優しいだけでは旦那様も飽きるから。杏の樹も手入ればかりしていたら甘えん坊で実が付きにくくなるでしょ」

「姐姐はそんなことも知ってたのね。村の秘密で教えるなと言われてきたのよ」

「昔の冊子には色々出ているのよ。田舎の学問より京城(みやこ)の昼寝ということわざもあるわ。秘密を教えてくれる本は沢山あるわよ。例えば蟋蟀の本でも簡単なものから出来そうもない難しい飼い方を書いた本。農家にとってどの程度が必要なのか見極めないと旦那様が困るのよ」

「蟋蟀の本、読んでみたいわ」

「私のものはいつでも貸すわ。でも旦那様に許可をもらって時間を限って読むのよ」

「なぜ、蟋蟀の事を勉強して悪いの」

「悪いんじゃなくても旦那様が周りから軽くみられるわ。差配の勉強も必要でしょ。嫁が本ばかり開いて家事をしないなんて言われて困るのは旦那様の方よ。ここの村では侍女に仕事をさせて、遊んでいる人はいないのですもの」

式の支度の合間に、こんな話で気持ちを落ち着かせていた。

「婿殿の公公(コンコン)の事をご存じですか」

「村の記録だと、教徒の反乱に郷勇兵士でスーチュアン(四川)に出兵して戦死したそうよ。この村では十人出て丙辰に三人戦死したと出ていたわ」

「ュエムゥー(岳母・姑)の事何かご存じですの」

この娘、私を情報屋に使う自摸(つもり)かしらと考えて「まだ、二回ほどしか話したことがないの。噂では息子に厳しいと聞いたくらい」と答えておいた。

村の女たちが支度の仕上げに来たので、鈴仙は後を任せて段(タン)に用意が整ったと知らせに行った。

「支度が整いました」

「では婿殿に迎えに出てもらおう。南の段(タン)家には于浩(ユゥハァォ)が段莱富(タンラァイフゥ)の迎えに出たばかりだ。

隣村の方はと聞くと「曲がり家で今頃落ち合う頃だよ」と答えが来た。

荒れ邸の舒豪烈(シュハァォリィエ)がこの日のために四台の馬車を雇ってくれた。

「とりあえず本年と来年の花嫁馬車はすべてわしに持たせてくれ」

そう申し入れがあり、ありがたくそれを受けたので花嫁の父母(フゥムゥ)たちは感謝していた。

「集会所付近は道中が短すぎる」

「そいつは村を親戚周りと称して回せばよい」

そういう経緯で柳蓮の馬車は集会所から遠くにある淡寶、鈴仙の家から出ることにした。

鈴仙(リィンシィェン)はそのまま集会所で村のおっかさんたちの輪に入って支度の様子を語っていた。

子供たちは自分の親戚の馬車を迎えに散っていった。

村の若者二十人は、婚礼のどさくさに盗人が村へ入らぬように、五人で組んで交代での見回りを命じられている。

于睿(ユゥルゥイ)と高烈(ガオリィエ)の最後の仕事はこの婚礼の仕切りだ。

明日からは李宇(リィユゥ)が長老となり淡寶(ダァンパァオ)が補佐をする。

高榔(ガオラァン)は当分手代が指導する差配の見習いだ。

于鴻(ユゥホォン)三十六歳は父親の代理もしていたので即戦力の差配として村の期待は大きい。

李宇(リィユゥ)三十八歳とはスーチュアン(四川)で一緒に戦った仲間だ。

この戦いでともに弟弟をなくしている。

宜綿(イーミェン)とは違う場所に配属されたため面識はないと分かった。

 

簡単にスーチュアン(四川)というがこの時の白蓮教徒の乱は湖北、陝西、四川と広がる大きな反乱だった。

スーチュアン(四川)は明の末にも大きな乱が起き、ほぼ住民すべてが虐殺されたと言われている。

昔の蜀の時代からの住民(家系)はわずかしか残っていない。

郷勇兵士、団練と呼ばれる武装集団の力がなければ全国に兵乱は広がったはずだ。

野史はこの乱の責任も和珅(ヘシェン)に押し付けるが、二十の大罪には辺境について簡単に触れているくらいだ。

研究者はこれらの乱によって乾隆、嘉慶の両帝の責任を和珅(ヘシェン)に押し付けたとみている。

弟の和琳(ヘリェン)に至っては生前福康安(フカンガン)の病気を軽んじたと太廟から排除されて祠も壊された。

和珅(ヘシェン)に罪をかぶせて排斥したが、国内は混乱が続いている。

連座したのは家人の劉全(獄死)と福長安(死刑判決後に出牢。嘉慶十二年には囲場総管から熱河副都統へ移動)。

他には何人か位の低い官吏が解職処分になっている。

福長安の罪は軍機大臣を務めながら和珅(ヘシェン)の罪を上奏しないというものだが、軍機大臣で沈初が老年で辞職した以外は罪に問われていない。

軍機大臣-嘉慶三年、和珅、福長安、沈初、傅森、戴衢亨、那彦成。

嘉慶四年、嘉慶五年も、傅森、那彦、戴衢亨は引き続き軍機大臣の職にある。

なぜ福長安のみが軍機大臣の中で連座したのだろう。

領班軍機大臣は和珅の後を成親王永瑆、慶桂、董誥がつないだ。

董誥は乾隆四十四年から嘉慶二年に軍機大臣、間をおいて嘉慶四年から嘉慶十七年まで軍機大臣、嘉慶十七年から嘉慶二十三年まで領班軍機大臣を務めた。

慶桂は乾隆四十九年から乾隆五十八年に軍機大臣を拝命し、兵部尚書から刑部尚書へ、そして嘉慶四年から嘉慶十七年まで領班軍機大臣を務めた。

 

野史とは違う嘉慶帝が行った断罪理由・賄賂を貪った総額などには触れていない。

嘉慶帝が皇太子とされたのを先んじて教えた。

先帝が円明園に和珅を召見したさい、馬で乗りいれた。

足が悪いことを理由に、輿に乗ったまま内廷に入り、神武門を出入りした。

宮廷から暇を出された侍女を妾とした。

各地の軍営の報告も勝手に処理を先に延ばし先帝を欺いた。

先帝の体調が芳しくないとき、いつも通り談笑していた。

先帝が上奏文を処理した際、和珅は代筆した。

規定を変更し、戸部官僚に全く議論に参加させなかった。

辺境の事件を隠蔽し処理しないで事柄を蔑ろ(ないがしろ)にしている。

天然痘の発生時に勝手に外藩へ京師に来る必要がないと指示した。

和珅の邸宅で教育に当たった者を推挙し卿階に就け、学政を兼任させた。

軍機処で次回の昇格リストに記入されている人員の名を勝手に除いた。

邸宅は寧寿宮をまねて建て、装飾は円明園の蓬島・瑤臺と同様である。

薊州の和珅の墳墓に、皇帝の陵墓のみに許される享殿を設け、隧道もあった。
薊州(順天府内-天津市北部~唐山市西部)

所有の宝石の大ぶりな真珠は、皇帝の冠頂に用いるものよりも大きかった。

宝石頂は、和珅の立場で用いられず、内務府にもないものもあった。

私邸の銀両や衣服などは、一千万件を越えていた。

夾牆に金二万六千両程、金庫に金六千両程、地下に銀百万両程が隠されていた。

質屋や両替商などを経営し、小民と利を争い、資本は十万両あまりにのぼる。

家人劉全は、下賤な家奴の身でありながら、二十万両あまりの蓄財をしていた。

 

此処にあらわれた金額の積み上げのうち一千万件を一千万両と換算してみても野史の言う金額(国家予算十年分以上)に到底追いつかない。

   

高榔(ガオラァン)の馬に続き劉柳蓮(リゥリィオリィェン)の馬車が広場に到着した。

南の小川を超え于浩(ユゥハァォ)の先導で段莱富(タンラァイフゥ)の馬車がやってくる。

隣の九王荘から来た花嫁の馬車を先導して李(リィ)の来るのが見えた。

広場へ入り花嫁が降りる頃に、北の李(リィ)と言われる十八の花婿と花嫁の馬車が見えた。

遅れて興延と礼雄が馬車の脇を歩いて広場に来た。

「誰の花嫁が乗ってるの」

小さな娘が聞いてきた。

「花嫁じゃなくて、みんなのお菓子だよ」

小さな娘たちは親たちの噂で、器量自慢の李杏(リィシィン)が礼雄を好きだと知っているのだ、だからあえて聞いて居る。

村の男たちに聞けば“村一番の美人”だというだろう、十七になって近在の村からの縁談話がいくつも出ている。

 

鈴仙が見たところ「劉柳蓮といい勝負だ」と岳母(ュエムゥ)との茶飲み話だが段渢蓮(タンファンリィエン)は「家の嫁(鈴仙)の方が一段も二段も上だ」と思っている。

鈴仙は自分が美人だという自覚はさらさらないようで、天津へ戻れば普通の顔立ちだと思い込んでいる。

寡婦になって化粧を控えめにしていたせいもある。

ツォンリィシィォン(曽礼雄)の方は誰彼差別なく優しく接しているので李杏はやきもきしていると評判だ。

 

村の娘たちが手伝って荷物を降ろして台に並べた。

広場は親戚と子供であふれている。

祝いの輪は東西の道、南の道へ広がっている。

花婿、花嫁が新居へ送られても広場の賑わいは続いている。

于睿(ユゥルゥイ)の母親も元気に宴を楽しんでいる、八十一になっても耳に目は衰えていないと評判だ。

孫自慢を大きな声で話すので、新差配人になる于鴻(ユゥホォン)はさっさと逃げ出し火のそばで興延と酒を飲んでいる。

「礼雄はあの杏は気に入らないのか」

唐突に言われ「果樹園がどうかしましたか」と不審顔だ。

「また、とぼけるなよ李家の杏だ」

「あ、あの娘ですか。礼雄は妹の方が好きみたいですよ」

「そいつは大騒動になりそうだな」

「うまく仕切ってくださいよ。明日からルゥイ(睿)さんに代わって老大のホォン(鴻)さんが差配人の一人だ」

「聞かなきゃよかった」

面倒ごとを引き寄せたと感じたようだ。

「いずれ騒動にならなきゃいいと思うんですがね。あいつ京城(みやこ)の女よりリィチゥン(李春)の方が、気が利いていると言っていましたぜ」

「興延の方は嫁にあてはあるのかい」

「私に売り込む人でもいるんですか。当分は京城(みやこ)と此処の面倒を半半で受け持つんで留守を守る人がいいんですがね」

京城(みやこ)にゃ貰うあてもないと言う。

「どうもね、このいかつい顔は子供にも人気がなくてね。大声なもので声を潜める癖がついちまいました」

「それで何時も小声なんだ」

「インドゥ哥哥によく言われるのは武術家の要素がある、なんですよ。本性を見せないのが一番の極意だそうです」

「華双の言うには蓮花(リィェンファ)は懐いていると聞いたぜ」

「懐いてくれるのは蓮花と極くらいのものですぜ」

二人は自然と嫁の評判からこれからの村の話しをしている。

「蓮花じゃ幼すぎるしなぁ、せめて十六歳なら貰ってほしいが。今は気にしている娘は居ないということかい」

「今のところ聞き合わせもない。礼雄に比べ侘しいもんですぜ」

花嫁と花婿が新居に送られ、広場には子供達の姿も消えた。

老人たちも腰を上げ女たちが食べ残しを片付けた。

シャンビンジュウ(香檳酒)が出され新旧の差配人の交代の儀式が行われた。

高榔(ガオラァン)はまだ見習いの上、新婚なので嫁の父親が代理を務めた。

新差配の祝い金は基金から銀(かね)五十両が三人へ出された。

嫁の父親はこの村の豊かになった様子と財源に驚いている。

まだ周りを見渡せば草臥れた家は多い、街道からの家が建つまでは牛馬の小屋と大差ない家ばかりだ。

差配と云っても小作二十家の出来高(収穫)の一割を受け取り、自分たちは百ムゥ(畝)の耕作地が許されているだけだ。

そこから手代二人の生活と自分たち家族の生活を支えてきた。

代々続いてきた家だ、どうしても格式もあり使用人は多くなる。

小作の収穫高が納める分に不足すれば自分の方で穴埋めを強制されてきた。

娘が奴婢として強制的に連れ去られもした、牛が来ただけで飛躍的に村の財政は黒字に転じた。

公主娘娘のおかげと思わぬ村人は居ないはずだが、不平不満は世の常という言葉が新差配の重荷になっている。

牛がもっと来ればという気持ちはだれでも同じだ、最初は損を承知で応じたものが豊かになるのを羨むものは多い。

自分が避けたせいとは思わぬ、ひがみ根性は必ずあると段(タン)は用心している。

 

街道東の新娘は丘を含めての二百ムゥ(畝)なので丘は村の守り神のロンシェン(龍神)を祭る廟を建てることにした。

古い時代は東海龍王敖広を村で祭っていたと古老が言うので、四海竜王のうち東海竜王廟の小さな祠を置いた。

費用は差配になった時の祝い金を使った。

曲がり家の休み處の主が熱心な信者で毎日お参りに来るようになり、わずかの間に参詣する人も増え、休み處の客も自然と増えた。

シゥ(黍)栽培限定で新娘の四十ムゥ(畝)の分家二家のほか追加一家を募集したところ二十家の応募が出て新差配人四人の悩みは増えるばかりだ。

いくら黍だけに限定されても四十ムゥ(畝)の畑地は、十人の家族が養える。

うまくすれば“牛の飼育も任せられる”と先を読んだのだろうと于鴻(ユゥホォン)は段(タン)の家でシゥ(黍)の栽培をどう増やすかを相談した時に笑いながら言い放った。

   

初九日、公主の元へ羅箏瓶(ルオヂァンピィン)が妊娠したと知らせが甫箭(フージァン)からもたらされ、永徳(イォンドゥ)に報告に行くと双蓮(シィァンリィエン)がつわりに苦しんでいる。

甫箭(フージァン)はあちらこちら知らせをして大騒ぎしている。

未の刻(午後一時三十分頃)幹繁老へ知らせに行くと阮永戴が甫杏梨(フゥイシィンリィ)が妊娠したという。

「おいおい、どうなってる。三か所、皆妊娠だというのか」

「甫箭哥哥、こういう時は富富(フゥフゥ)姐姐(チェチェ)も」

「今朝は何ともないぜ」

阮品菜店(ルァンピィンツァイディン)に行って大笑いで報告した。

富富が永箭(チョウイォンジァン)を連れてきて笑いの輪に入ったが慌てて箏瓶と裏へ出て行った。

「あたいも妊娠したよ」

甫箭が慌てて界峰興へ来て孜漢に報告した。

「なんて仲のいいい一家だ」

豊紳府へ急いで出向き報告した、娘娘とインドゥは喜ぶ前に笑い転げている。

「なんて気がそろう親子なの」

言い方は違うが、同じように笑ってくれた。

 

第五十一回-和信伝-弐拾 ・ 2023-03-25

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った
。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     



カズパパの測定日記

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