第伍部-和信伝-壱拾弐

 第四十三回-和信伝-壱拾弐

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

徐頲(シュティン)は会試に受かって四月十六日の会試覆試へ進んだ。

場所は紫禁城保和殿。

何時もたかる連中で落ちたのは二人、次は嘉慶十三年1808年)戊辰の会試になる。

信中(ウーシィンヂォン)など、誰に聞いても落ちた理由がわからない。

呉(ウ-)自身もしょげ返っていた。

父は呉雲(ウーュイン)、乾隆五十八年1793年)癸丑、第二甲八名、翰林院庶吉士から監察御史に為っている。

劉逢祿(リゥファンルゥ)は早々と江蘇武進へ旅立つ準備に入った。

嘉慶六年1901年)の拔貢生朝考列第一等第三名になったほどの男でも跳ね返された。

子供は十歳を頭に四人いる。

見込み無しと皆に思われていた王大同(ゥワンダートォン)は、楽々通り抜けて「二人と試館が違うので」とほっとしている。

 

四月十六日の会試覆試の紫禁城保和殿へは寅の刻に起き、前門(チェンメン)が開かれるのを大勢の会試及格者と待つた。

外朝は「前朝」とも呼ばれ、午門から二手に分かれ、左手に進んだ徐頲(シュティン)は金水橋を渡り貞度門、太和門脇の、中右門、後右門から保和殿。

右手を進んだ者は、招徳門、中左門、後左門、保和殿。

中央は午門、金水橋、大和門、大和殿、中和殿、保和殿と続く。

此処で会試覆試、殿試が行われてまだ五十年ほどという。

前門からおよそ十里を四百人の及格者がぞろぞろと歩いた。

四書題1、詩題1と徐頲(シュティン)にとって楽々と一等に選ばれる優しい問題だった。

王大同も不安で臨んだが三等に入り殿試が受けられる。

孫(スン)哥哥によれば「今年は屁をひるより簡単だ」という、幹繁老(ガァンファンラォ)へ来るものは会試覆試では全員三等までに残ったという。

徐頲(シュティン)は「俺は駄目だな。人の動静まで頭が回らん」とこぼしている。

 

殿試の責任者は董誥、文華殿大學士も七年目、嘉慶四年から軍機大臣も務めている。

すでに七十歳という、本人「後十年はお役に立ちたい」と周囲に漏らしているという。

乾隆二十八年1763年)癸未科殿試金榜第二甲一名だ。

「あんな爺様」

心中で馬鹿にしていると顔に出ると言われているので、受験者はそちらを見ないようにしている。

保和殿大学士は富察傅恆以来任命されていない。

あっという間に殿試の四月二十一日が来た。

また夜明け前から並んで待っていると、呼び入れられて本人であるかの確認をされた。

二百四十五名が今日は会試覆試の等級別に呼ばれ、並んで前にすすんだ。

落第は此処ではないので、後は一甲が誰だという興味がわく徐頲(シュティン)だった。

試験管の中に劉權之もいる、同じように軍機大臣だが漢人にはこの人の方が人気は高い。

昔は読巻大臣が八名と言われ皇帝臨席が建前だ。

夕刻、すべてが終わり、進士の名前が殿上で呼び上げられた。

 

第一甲進士三人。

第一甲一名・状元に彭浚、湖南衡山縣。

第一甲二名・榜眼は徐頲、江蘇長洲縣

第一甲三名・探花が何凌漢、湖南道州。

第二甲・九十六名。

第三甲・百四十四名。

 

合格者の名前が書き込まれた黄榜(ファンバァン)が午門(ウーメン)に掲げられた。

午門中央の門を状元、榜眼、探花の三人は通ることが皇帝に許された

黄榜は天安門(ティエンアンメン)を抜けて東へ向かい長安左門(龍門)の外に特別に建てられた龍棚内に掲げられた。

徐頲(シュティン)は反対側の“虎門”を潜るような目に合わないことを願った。

順天府尹章煦(ヂァンシィ)は状元彭浚(ペンヂィン)金花を授けると、赤の絹織物を肩にかけた。

賑やかに堂小台牌楼を北へ上がり、順天府衛門に着いた。

その夜は祝賀宴が遅くまで開かれ、明け方三々五々と家路についた。

徐頲(シュティン)が戻ると、朝から幹繁老は祝いの客で溢れていた。

自分の試館へ行く前に寄った朱(ジュ)と孫(スン)哥哥は「また宴会だ」とはしゃいでいる。

孫(スン)哥哥事、孫原湘(スンユァンシィァン)は四十六歳だと皆に打ち明けた。

乙丑科殿試金榜・二甲(十七名)となり翰林院庶吉士で、故郷へ胸を張って帰れると嬉しげに話した。

 

朱(ジュ)は三甲だが本人は進士で十分満足している、本が読めて酒が飲める。

家には気の利いた嫁と利口な子(親馬鹿だとのうわさ)、何か不満が有るものか。

朱(ジュ)事、朱自新(ジュヅゥシィン)まだ二十二という若さでの及格(ヂィグゥ)だ。

「精々地方官で終わりの人生だろうが子供に期待している」

すでに妻に子供がいて故郷では期待されていた一人だ。

妻は大きな商家の娘で「大層な持参金を持ってきた」と口の軽い黄哥哥は酔うとぶちまける。

童生の県試、府試、院試すべてを一回で及格(ヂィグゥ)、正員となった。

正員になった年に陳(チェン)家の次女に惚れられ、父母(フゥムゥ)も朱(ジュ)に期待して婚姻をさせた。

家庭を持った後、歳試、科試、郷試も一回で及格(ヂィグゥ)、挙人となった。

今年は三甲に朱姓が三人もいて、呼ばれるたびにドキドキしたという。

「全員受かるんだ。もっと堂々としろ」

何時も口うるさい黄承吉と同じ江蘇江都で飲み仲間だ。

其の黄哥哥だって地元へ帰れば一番の名家だ、子供の頃から優れていたがそれでも進士への道は遠く三十五歳になってようやく及格(ヂィグゥ)した。

此方も美人と評判の嫁に三人の娘がいて、四人目を孕んだ妻に「頼むから男にしてくれ」と頼んでいる。

彭邦疇(ペンパァンチォウ)は状元と間違えられるのを心配している。

嘉慶十年1805年)乙丑科殿試金榜・二甲(二十六名)翰林院編修。

「そんな早とちり邦疇だけだ」

孫(スン)哥哥は手厳しい。

   

今日は殿試から五日後の四月二十六日、場所は百順胡同蘭香が指定した飯店。

李鉄拐(リーティエグゥアイ)斜街蘭蓬(ラァンパァン)飯店。

蝉環(チァンフゥアン)から及格(ヂィグゥ)祝いの手紙が彭(ペン)哥哥に送られてきた。

進士となり、出仕が決まり、妓楼はまずかろうと此処に決めたという。

蝉環(チァンフゥアン)の旦那が招待したいが、表に出たくないと書いてある、日時はご都合次第とある。

彭(ペン)哥哥は自分の先生に相談した。

フォンシャン(皇上)まで話が上がり「許す」の紙が出てきた。

署名はないがそれでも通用する。

フォンシャン(皇上)は夢で額娘(ウーニャン)に「許しておやりなさい」と言われた朝に、話が上がってきた。

ああこのことかと早速「許す」と書いて趙懷玉(ヂャオフゥアィユゥ)のところへ届けさせた。

早速その日のうちに百順胡同蘭香で紙を見せて店の予約を取らせた。

「幾人で取りましょう」

「わからんから店を借り切ってくれ。三十人は来るじゃろう。この紙を回したら百は超すから口伝えくらいで好いじゃろ」

彭(ペン)の試館がある宣武門大街西の下斜街全浙會館で話をし、戻って幹繁老(ガァンファンラォ)で徐(シュ)にも伝えた。

外城の東端から西端を往復した。 

蝉環の旦那は相公(シヤンコン)だ、太監を引退して二十年、もう八十は越しているはずだ。

出世しないように心がけていたという変わり者だが、御秘官(イミグァン)の阿公事呉(ン)の孫弟子だ。

浮気は構わん、子供も出来りゃ妓女から身を引けそれだけだ。

蝉環の方も妓楼を開いて苦労はしたくないので、遊んでいるのと同じで気に入った客以外は振ってしまう。

前に噂を聞いた景延(チンイェン)が陶延命(タオイェンミィン)に聞くと「銀(イン)は有り過ぎて使うのに苦労している」

そんな風に教えてくれた、師弟関係で今でも付け届けが来るという。

外城に巣くっている宦官あがりでも大物の一人だ。

進士が三十人に郷里から連れてきた下僕たち十六人が騒いでいる。

蝉環(チァンフゥアン)が遊んで美味しいものを食べ、接待は不要と誘って五人連れてきた。

笛に二胡、月琴(ユエチン)を持ってきたので好きなように楽しんでいる。

見ているだけで楽しくなる徐頲(シュティン)だ。

「これじゃ生殺しだ」

など言っていい男ならぬ学者風のものほど餌食になっている。

「こらこら。ここではだめだよ」

蝉環に言われて戻る女に「旦那はまずいが俺たちなら大丈夫だぜ」そんな誘いをかける奴もいる。

蝉環が「ちょいと失礼してこの娘達を店に帰してきます」そう言ったのは戌の太鼓が聞こえてきたころあいだ。

「おぬしも戻らんのか」

「あと半刻ほどで一度顔を見せますよ」

愛想を言って女たちと表に出た。

騒いでいたら「彭(ペン)がいないぞ帰ったか」という奴がいる。

徐(シュ)は太鼓の前に、影のように消えたのを見ているが「厠所(ツゥースゥオ)で苦しんでるんじゃないか」なんてとぼけて於いた。

「俺を呼んだか」

さっそうと現れた。

「なんだ。飲み過ぎたかと思った」

「其れよりもうじき終わりにしないとまずいぞ」

「銀(イン)はどうする」

「フォンシャン(皇上)が許した奴が払うんだろ」

「じゃ閉めるまでのもう」

徐(シュ)は「やれやれ、学者に詩人に呑んべぇだ」

そう思いつつもさされりゃ附き合った。

蝉環が着替えて戻ってきた。

「さぁ、皆さん子の太鼓の前に宿へお戻りくださいな」

店の者と送り出した、彭(ペン)の手をそっと握ったのを孫(スン)哥哥は観たらしく徐(シュ)に「出来たようだ」と笑いかけた。

孫(スン)哥哥の宿は豆腐巷(ドォフゥハァン)の先、東元寧會館、長巷下三條胡同なので一緒に歩いた。

「進士に為れたから、早めに致仕したいものだ」

「何を言うかと思えばそれですか」

「妻と詩作でもして過ごすのが夢だよ」

「詩仙にでもなりますか」

「其れもいいなぁ。妻は私と年も同じだ」

幹繁老の旧館の脇で分かれた。

妻は席佩蘭(シィペェイラァン)。

名は蕊珠(ルゥイヂゥ)、字を韻芬(ュインフェン)。

袁枚(ユァンメイ)の女性弟子の一人。 

夏夜示外

夜深衣薄露華凝,

欲催眠恐未應。

恰有天風解人意,

窗前吹滅讀書燈。

 

 

真夜中、服は薄く結露す、

眠るよう促しても承諾しない。

人の心を理解する風があるだけ、

窓の前の読書灯を吹き消す。

ほかに“送外人都”“寄衣曲”などが残されているほか著作も多い。

孫原湘の没年とされる道光九年(1829年)六十九歳以降の情報は無い。

描かれた人の名前はわかるがどの人なのかが不明だ、ある人は琴を弾くのが席佩蘭だと書いていた。

清 尤 汪恭 随女弟子卷 乾隆五十七年壬子1792

 

 

   

水会(シィウフェイ)は孜漢(ズハァン)の手で着々と準備が進んでいる。

「お使いが来ている」と云うので誰のだというと神武門(シェンウーメン)侍衛だという。

会うと「フォンシャン(皇上)コォゥイィ(口諭)」と云うので傍の者が平伏した。

「人払い」

孜漢(ズハァン)を残して部屋の外へ出た。

外を覗いてきて「水会(シィウフェイ)の取り締まりは太医院の扱いとする。火事の時の機桶入城はフォンシャン(皇上)の許しが出るまで神武門(シェンウーメン)外で待機せよ。連絡時は申し出のとおり許す。欽比」すらすらと言ってから後も見ずに出て行った。

城内の火班には銅缸が三〇八口、機桶(消火ポンプ)も新式が有るという。

防火用水は内禁水河と井戸が頼りだ、護城河から遠くまで引きいれる性能はない。

早速連絡を取ると地安門(ディウェンメン)に一番近い範文環は「燃えていても入るなですか」と憮然とした。

「いいじゃねえか。俺たちは町屋を火から守る。城は任せて置け。でやしょ」

権鎌(グォンリィェン)は冷静に判断した。

姚淵明(ヤオユァンミィン)も冷静に判断している。

「そうとらえりゃ有難い話だ」

「新しい火器營の水龍の性能はどうでした」

「三台収めて一番は三十七丈、二番三十五丈、三番四十一丈。まずまずだな、古びてくりゃ落ちるだろう。次は五月一日納入だ。一台八十五両も取りやがった」

「こっちの水龍は幾らになります」

「高く言う奴で銀(イン)四十一両、御あとを頂ければ一両引くとよ」

三軒性能がそろえばいいのですがと権鎌(グォンリィェン)が心配している。

「明後日の試験次第だな通惠河(トォンフゥィフゥ)で河をまたげらりゃ上出来だ」

「予定は」

「十五丈は飛んでほしいものだ。順天府訓導に大興県訓導、宛平県も訓導をよこすとよ。笑われるできじゃ後に響く

「出なくて大丈夫で」

「俺一人でいいよ。皆にまで袖の下を匂わせられたら大事だ」

「宋太医でも立ち会って頂ければ」

「せっかくの儲け時を不意にしては後で恨まれる。少しで済むんだ」

訓導では年四十両、禄米四十斛、こういう立ち合いにでも出ないと食べてゆけない。

孜漢(ズハァン)は巡検あたりを三十人は取り込んでいる、大事な情報源だ。

四月二十八日の通惠河(トォンフゥィフゥ)で水龍(シゥイロォン)の試験を行った。

押し車で運べるのだが引き車を揃えて載せることにした。

三台並べて向こう岸に板を建てた、補給用には古いものを用意した。

「当たるのかよ」

訓導の三人は椅子(イーヅゥ)で茶の接待を受けている。

菓子を載せた皿の下の紙包みを素早く袖に隠している。

孜漢(ズハァン)は銀(イン)一両を奮発した。

膨らんだ包みは一両だとすぐわかる、慣れたやつは銀票でもよいが初めての時には重みが必要だ。

訓導はわざと不機嫌を装うが、手触りを何度も楽しんでいる。

向こう岸で一番の札を上げたので放水が始まった。

やっと川岸を超えて板の下を濡らした。

二番は板の真ん中に当て押し倒す勢いだ。

三番は当たったが力が弱い。

二番を造った大工は大得意だ、しかも三十八両と一番安い。

訓導が帰り、片付けが終わると酒店で接待した。

一番から三番の大工三人にそれぞれ一台三十八両で十台づつ注文したい。

そういうと四十と言っていたやつも仕方なさそうに応じた。

   

四月二十日(陽暦180558日)

インドゥ達は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ着いた。

インドゥと鈴凛(リィンリィン)の娘鄧佳鈴(ダンジィアリン)はもう五歳だ。

始めはもじもじしていたがひざに座らせると「あいたかったんだよ」と可愛く振り向いた。

楊與仁(ヤンイーレン)と星星(シィンシィン)の息子は侯琳明(ホウリンミィン)でこちらも五歳。

「やんちゃで困ります」

姥姥(ラァォラァォ)は嬉しそうに言う。

此処での取引も順調に進み、武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)が百五十擔に鉄観音一番茶二百擔が用意されていた、

武夷半岩茶肉桂は五斤の壺入りが五百口、武夷山正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)は今年から五斤の特別な壺に替えて百口すでに京城(みやこ)へ送られたという。

皇后から「小さい壺の方が良い」と希望に合わせたのだ。

與星行(イーシィンシィン)がすべて取引をしてくれるので、與仁(イーレン)は帳面の確認と不足分の清算をするだけだ。

「積み立てが三千両を越したよ。持って行きなさいよ」

「馬鹿言うな。お前の銀(イン)だ。子供に残す自摸でいればいいんだ」

二人で始めた仲介も五年目、取引は五倍に増えた。

この後も多くの取引が待っている、繁盛していた飯店の女主人だ、このくらいの取引にはすぐ慣れた。

董(ドン)は鉄観音のほかにも、雑多に集めた千二百擔を分けてくれた。

婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)一芯一葉五十斤、一芯二葉五百擔は引く手あまたの取引だ。

雨後茶は浙江會館の叶(イエ)番頭が「四千擔は堅い」と嬉しい話を聞かせてくれた。

浙江會館との取引は五年で十倍に増えている。

建昌會館-在河口四堡。乾隆十四年

浙江會館-在河口三堡。乾隆三十八年

南昌會館-在河口三堡。嘉慶二年

施徳會館-在河口三堡。嘉慶七年

會館はまだまだ増えていくという。

徐(シュ)老爺の息子達は千石船三艘、五百石船三艘の大きな船主となっている。

二百石の小回りのきく船は三艘、新しい船頭を教育している。

徐海淵(シュハァィユァン)の船で南京(ナンジン)で五日停泊するがそのあとは出来るだけ早く都へ荷を届けるという。

インドゥの一行は二十八日までここにいる予定だ。

二十九日に出て南京(ナンジン)を五月十五日に到着と徐(シュ)老爺が話している。

そこで分かれてインドゥ達は南京船で長江(チァンジァン)を上海へ出て一気に天津へ向かう。

天津六月十四日、京城(みやこ)六月二十日と予定している

大暑の前には遅くも着きたいものだと宜綿(イーミェン)が話している。

六月二十七日が大暑と暦には出ていた。

 

四月三十日京城(みやこ)(陽暦1805528日)

朝は陽の出が早くなった、徐(シュ)が目覚めるともう陽が射している。

起きて下へ降りるとまだ五時だ、卯の刻の鐘は覚えがない。

仲居が掃除を始めている。

「はやいなぁ」

「うれしいことにこれからは灯も必要なくなります。大時計で四時五十分に陽が出ます。前の店は寅に起きろと言いますが夏は辛くて辛くて」

「その分冬は寝られる」

「その代わり水が冷たいのであかぎれは絶えません。ここは仙境ですわ」

また拭き掃除に戻った。

大柵欄の朝を見に行くと言って出ると徐々に喧騒が聞こえて来る。

飯店の者だろうか魚屋には人だかりがしている。

喧騒の中歩き回っていながら勤めが連絡待ちだと憂鬱になった。

翰林院編修だというがどんなことをすればいいのかよくわからない。

掌院学士二人,満、漢各一人が一番上で従二品。

侍読学士、侍講学士、侍読、侍講、主事、修撰と階段の先は長い。

三十二歳にしてようやくつかんだのは、正七品、年四十五両、四十五斛だと云ってもそんなものかと思う俸給だ。

家の持っている貸邸が年八十両入って来る、徐(シュ)邸の差配させている男に二十両支払ってだ、他にもいろいろ収入があり年百八十両になる。

小作から食い扶持は現物が来る。

六十両は自分の小遣いにして残りを妻に渡している。

妻は「月十両では小間使いが一人しか雇えない」というので持参金から月二十両使うようにさせた。

妻の小間使いは二人、庭番とその家族、女中三人、まぁなかなかの暮らしだ。

今度はそんなに使えませんと来た、仕方ないので残れば貯めておきなさいと言っておいた。

その後、男二人と娘が生れ、三人の子供では足りないと泣き言をいうかと思えばそうでもない。

それから考えると京城(みやこ)と両方を成り立たせるのは大変だと気づいた。

孫(スン)哥哥は「早く致仕したい」というがやめる方が大変そうだ。

「利薮と火坑、どっちにしてもまともじゃないな」

「どうしなすった」

この間の老人だ、徐頲(シュティン)は書虫だが人の顔は忘れない。

「この先の人生は愚かに稼ぐか、学者馬鹿になるか。どう転んでも大して面白くないのかと」

「若いのに先を心配してどうする」

「邯鄲の夢なら楽に出世出来るでしょうが」

「出世したいかね」

「好きな本を集められればいいのですが」

「本を持っている者と友達になることだ。自分で所有しようとするから欲が沸く、賄賂でも貰わなけりゃ、進士で書庫を満杯には出来んよ。三品まで行くくらいの気持ちで務めるんだね。それとも知県、知府でも目指せば銀(イン)は手に入る」

養簾銀という手もあるかと徐(シュ)は思ったが、政治には不向きだとすぐ気が付いた。

「やはり政治畑は性に合わんかね」

見抜かれている。

「樊(ファン)さんは蘇州(スーヂョウ)ですか」

「呉兄がおるよ」

「では私の妻の実家の近くですね。私の家は長洲縣です」

「樊はあだ名でな、楊(ヤン)が苗字だよ。他の人の姓と間違えた者がいて遊び場ではそのまま使っとる」

「呉縣の楊(ヤン)さんなら私の学友にも居りました」

「呉江縣の楊澥(ヤンシィエ)を知っとるじゃろ。わしの孫(スゥン)じゃ」

「篆刻の」

「そう、凝ってしまってほかの事が眼に入らんらしい」

若いが腕は良いと評判だ、それにしてもこの老爺はいくつに為るのだろう。

「はは、わしゃ七十七になったよ。弟子が多くてな京城(みやこ)へよばれたのがきっかけで、家は息子に任せて、此方へ移り住んだのじゃ

人の心が読めるのだろうかと不安になった。

「心配せんでもいい。わしは算命で食っとる。職業がら多くの人の顔を見る。じゃに由って先走るのじゃ」

別れ際に「算命は当たるも八卦当たらぬも八卦。あまり当たると恨まれる」などと言っていた。

   

五月一日の巳の上刻(陽暦1805529日八時二十分頃)

周甫箭(チョウフージァン)が豊紳府へやってきた。

娘娘から呼び出しが界峰興(ヂィエファンシィン)へが来たのだ

「丁度いい。永戴(イォンダァイ)の婿入りの日も決まりましたので」

孜漢(ズハァン)に後を任せて豊紳府へ向かった。

府第には範文環(ファンウェンファウン)が先に来ていた。

「いま。野郎の婿入りの事を報告したところだ」

「私も今日うかがう自模りでした」

五月十日と決まり七日に阮品菜店へ戻るという事になった。

「私の方も話が甫箭に有るのよ」

府第に十六年勤めている料理人王(ゥアン)が辞めることが本決まりになりそうだという。

「お嫁さんの実家のお兄さんが亡くなったの。父親がお年で後を雇うより娘夫婦に任せたいと泣きついてきたの」

甫箭の差配する料理人から誰か来てくれる人を探してくれという。

「いつまでですか」

「早い方が好いの。お小屋は新築したでしょ」

「羅箏瓶(ルオヂァンピィン)の家族がこぞって移るんじゃ」

「六軒の内、三軒使うのよ」

今のお小屋は産婆の先生たちに受け継ぎ、移動は昨年からの予定だ。

「じゃ家族持ちでいいわけですね」

「それでね。候補は有るのよ」

娘娘がそんな料理人の情報までと文環は驚いている。

「本決まりになるまで阮永徳(ルァンイォンドゥ)に来てもらえないかしら」

「実は、本人子供たちが決まって、今の店は後を任せて何処(どこか)へ店を出そうかというんですよ」

「あらら、好いじゃないの。その話が決まるまでどう」

「夫婦で抜けるんでしょ。永徳独り者ですよ」

「店を出すなら独り者じゃ不便でしょ。あなたが富富取ったから女手が、あ、箏瓶がいるか」

「家は別ですからね。洗い物なんかは前からばあさんを雇ってやらせてます」

「来てくれるならお嫁さん候補はいるのよ」

幾ら女の多い府第でも適齢期は少ない。

「じつわね、一昨日辞めさせようかと姐姐と話したんだけど。紫蘭と一緒に泣いて謝るものでね」

何事が起きたのだろうと甫箭は身構えた。

「甫箭、聞いて驚くわよ。双蓮(シャンリェン)ったら年を四歳もごまかしていたの」

「まさか九歳」

「なに呆(ほう)けてるの、十七歳よ」

「それであんなに色っぽいのか」

娘娘に睨みつけられている。

「人入れの湯老媼(タンラォオウ)飛んできて平謝りに謝るのよ。子守に出るのに十四歳じゃ無理だと仲介した奴が、十歳だと言えと無理やりさせたそうなの。老媼の方は真に受けていたようなのよ」

三人で謝られて娘娘と姐姐は花琳(ファリン)とも相談して決めたという。

「罰は与えないとね」

お出入り差し止めはご勘弁くださいと湯老媼は泣き叫び、双蓮のほうは私が悪いので私を罰してくださいと言うし、紫蘭は二人を許してと泣くし大変だったという。

甫箭の方は話が飛んでどうなっているんだいという顔だ。

もっと面食らっているのが文環だ。

「湯老媼(タンラォオウ)は双蓮の代わりの子を探す事。双蓮は何時私が婚姻の話をしても従う事。紫蘭は何も知らないことだけど新しい使女が来ても大事にすること」

三人は娘娘の寛大さにひれ伏して礼を言った。

「その話、阮永徳(ルァンイォンドゥ)と何のかかわりが」

文環(ウェンファウン)は解せない顔だ。

「永徳のお嫁さん」

エエッと文環、甫箭はのけぞった、傍にいた使女たちも驚いている。

「あいつも驚きますぜ」

文環、すっかり友達扱いだ。

「それでか」

「なんのこと」

「家の奴(富富)がね。最近双蓮さんを気にしてましてね。俺にやきもち焼いてるかと思ったら親父の相手かぁ」

富富(フゥフゥ)は年若だと思っていても十四がやっとだとは知らず、色っぽい娘だけど自分の岳母(ュエムゥ)でも好いかと思ったようだ。

「ようがしょ、あっしがこれから首ねっこをひっ捕まえてつれきやすよ」

言うが早いか出て行こうと文環は立ち上がった。

「まあ少しは落ちついて頂戴」

「花琳(ファリン)、紫蘭(シラァン)と双蓮(シャンリェン)に潘玲(パァンリィン)の三人に来てもらって」

戻ってくるとあとから三人が来た。

「この間の話だけど。双蓮はしばらく食堂の王(ゥアン)さんの見習いよ」

三人は双蓮が追い出されるわけでなくてほっとしている。

「それから罰の婚姻だけど相手に不足が無ければ取り持つわ」

相手が阮永徳(ルァンイォンドゥ)だと聞いて「街の飯店の嫁ですか」紫蘭(シラァン)は不安げだ。

「たしか今年で四十八」

これは文環が余分な口を挟んで睨まれた、永徳(イォンドゥ)はまだ三十七歳のはず。

「私料理は好きですが。飯店でお役に立てるでしょうか」

いやではないようだ。

「王(ゥアン)さんの後釜が決まるまで、来てほしいと願いに行ってもらうのだけど。あなた次第で府第の食堂を引き受けさせたいの」

双蓮は此処にいられると分かったようだ。

「チィエ(妾・わたし)、永徳さんには厭という気持ちを持っていませんが、彼方様が私を受け入れて下さるでしょうか

娘娘より早く「任せておけって」文環が胸をたたいて引き受けた。

「任せたわよ」

すこし不満だが自分でまとめるには呼ぶしかない。

文環が甫箭に「一緒にたのんます」と立ち上がった。

足が速い、さすがの甫箭も付いてゆくのがせいいっぱいだ。

   

「公主様が、替わりが決まるまで頼むですって。ようがすよ引き受けました。ここは永凜に仕込まれてぇなんて馬鹿が三人も来ましてねあっしは肩身が狭い

「新店を出す算段は当てが有れば私が面倒見ます」

甫箭はさすがにうまく話を持ってゆくと文環は感心している。

「新店は、かみさんの当もないし。考えもんでね。酒の勢いで言ったものの富富(フゥフゥ)にどやされました」

「なら、臨時じゃなく王(ゥアン)さんの後釜ならどうです。嫁さんは娘娘に頼めば何とかなりますぜ」

「あっこにゃいい女も気立てのいいのも大勢おりやすぜ」

文環に出番が来た「気になる娘がおりやすか」。

富富(フゥフゥ)がやってきて茶の支度をしてくれた。

店に入る前に呼び出しに行ってきたのだ。

その富富(フゥフゥ)は「双蓮(シャンリェン)さんなんてどう」という。

〆たもうすこしだ。

「だって紫蘭様が手離すかい。まだ十三.四の小娘だろ」

「色っぽいわよ」

「そりゃそうだがお前たちより若い岳母(ュエムゥ)じゃな」

おっ、もうちょっとだと、文環、甫箭は顔を見合った。

「実はですね。双蓮さん府第を追い出されそうになりましてね」

「好いじゃないうちで引き受けるわ」

富富(フゥフゥ)が食いついた。

「なんの理由なの。盗み、賄賂」

「もっと悪いんで」

「なんなのよっ」

「口入れのばばぁの話しじゃ年をごまかして入り込んだそうでね」

「幾つ、一つ、二つ」

文環首を振っている。

「じゃ三歳」

また首ぃ振って「四歳、今年十七歳でね。子守っ子に出る時まずいからと周旋したやつに言われて」と富富(フゥフゥ)に伝えた。

「なんだ私と同い年だ。儲けもんだね」

「だが追い出されたもんと一緒に府第勤めはまずかろう。どっちを取りゃしいんだ」

もう嫁に貰う気だ。

「娘娘はね、だました罰に勧めた婚姻を断るなと納得させたんだ」

「じゃわたいが掛け合って嫁に貰うよ」

「おめえも気が早い。干爸(ガァンヂィエ)と一緒になって食堂を任せたいというんだ」

「なら、どこに問題が有るんだ」

親父、この二人に手玉に取られていやがると文環は可笑しかった。

「応という事でいいんだな。それで食堂は何時からこれる」

「王(ゥアン)さんの都合は」

「向こうは一日でも早い方が助かると言ってる」

「住まいわ」

富富(フゥフゥ)にすっかり仕切られた。

「新しいお小屋だ」

「ならこれからすぐに行きなよ。フゥチンの荷物はすぐ届ける」

聞いている箏瓶(ヂァンピィン)も驚いている。

「姐姐、そんな追い立てるような」

「まごまごしてると纏まらないよ。婚姻も今日出来りゃしてほしいくらいだ」

「ようがしょ。娘娘に頼んで假祝言して哥哥が戻ったら皆さんで」

文環やっと出番が来た。

男三人追い出されるように豊紳府へ戻った。

「来たという事は承知してくれたのね」

「早速王さんへ引き継ぎの挨拶してきます」

永戴、恥ずかしいものだから食堂へ逃げ出した。

「どう決まったの」

「富富(フゥフゥ)がね。今日にも假祝言上げて、哥哥の戻りを待って家族で祝おうと」

「あらら、そこまで考えていなかったわ。双蓮はもう家族はいないから假親たてて住まいもあるから、そこへ新婚夫婦を送り込みましょ

王(ゥアン)が永戴とやってきて「明日の朝の食事が終わった後、お暇を」と平伏した。

「今までありがとうね。哥哥が戻ったら一度来て頂戴」

また永戴と行こうとするので「永戴(イォンドゥ)」と呼び止めて「今晩假祝言だから夜の支度は手伝って豪勢にね」と自分の祝いの支度までさせた。

王(ゥアン)は目を白黒させている。

調理場では双蓮(シィァンリィエン)が王(ゥアン)のかみさん尹(イン)に手順の説明を受けていたが花琳(ファリン)が「今晩假祝言だよ。申の鐘が鳴ったら支度にかかるからね。双蓮(イェンシィァンリィエン)をそれまで預かってよ尹(イン)さん」とつたえた。

永戴と双蓮互いに忙しく夜の食事の支度で顔を見るどころじゃない騒ぎだ。

鐘の前に潘玲(パァンリィン)が呼びに来て自分の部屋で温芽衣(ウェンヤーイー)が手伝って着替えを始めた。

紫蘭の館に婚姻服に着替えた永戴が来て、宋太医夫妻が仮親で式を挙げた。

花琳(ファリン)が新しいお小屋へ案内し、二人は今日初めて、口をきくことが出来た。

 庭番羅(ルオ)妻-唐(タン)と阮永徳・顔双蓮のお小屋 

 

第四十三回-和信伝-壱拾弐 ・ 23-02-07

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

       
       
       
       
       
       
       

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     



カズパパの測定日記

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