嘉慶十年正月一日(1805年1月31日)
年が明けて平大人が南京(ナンジン)で爾海燕(ゥァールハイイェン)に「京城(みやこ)見物がてら信(シィン)哥哥に会わないか」と聞いてきた。
「信(シィン)哥哥、今都におられるの」
「いや二月二日の龍抬頭の祭りのあたりに両親への挨拶に行かれるのさ」
「いつまでにご返事すれば」
「三日後には出るのでそれに間に合えばの話しさ」
集まっていた者たちは「出かけた方が好い」と口を揃へて勧めた。
「大人のご家族も一緒ですの」
「チィズ(妻子・つま)と五歳の娘が来ているよ」
そう言って片隅で子供をあやしている若い女を「チィズの春苑(チュンユアン)と娘の春麗(チュンリー)だ」と紹介して挨拶を交わさせた。
「京城(みやこ)の言葉が話せません」
「大丈夫だよ。船でチィズと娘に教わればいい。それに雲嵐(ユンラァン)に蘭玲(ラァンリィン)と会いたいだろうから二人の父母(フゥムゥ)もつれてゆくから賑やかだぜ」
似ていると評判の雲嵐(ユンラァン)に会えるならと楽しみな海燕(ハイイェン)だ。
話しの通り一月四日に南京(ナンジン)の結の港を三艘が縦に並んで船出した。
信(シィン)の異母姉の檀香鴛(シャンユァン)が乗り込んでいて紹介された。
二つ年上だという香鴛は活発で船頭とはすぐに意気投合し、持ち込んだ笛子(ディーヅゥ)で船旅を盛り上げた。
五日朝、長江(チァンジァン)から運河に入り淮安(ホァイアン)で宿に入った。
平大人が申し出、香鴛と海燕が食後のひと時をそれぞれの笛の音で楽しませてくれた。
「春苑も習ったらどうだ」
「二胡ならつたないですが」
宿から借り出して二人と交互に合奏した。
香鴛とは浮きだって踊りだすものまでいたが、海燕が相手だと涙を浮かべる船頭も出た。
「陽気に行きましょう」
海燕が立ち上がって足を踏み鳴らして演奏すると、二人もそれに合わせて即興で場を盛り上げた。
龍夫妻も海燕の陽気な音に合わせて踊りだし、船頭たちも喜んで歌いだすものまで出てきた。
「コリや楽しい船旅で、お供は辛いはありませんな」
八日に黄河(ファンフゥ)を越え濟寧(チィニン)に九日の日中についてみると「明日も船止めで出られない」と通達が来ていた。
大人が町を案内し笛を扱う店を見つけると五本買い入れて娘に渡した。
「一人で五本は吹けないわ」
「一辺に咥えなくても自分に有った笛が見つかればいいのだ」
やっぱり親ばかなんだわと海燕と香鴛は見つめあって微笑んだ。
女連れの年寄りとみて大人の懐を掏りが狙った。
子供をかばった大人の隙に袖口の巾着を抜き出したが、見とがめた香鴛がその手を巾着ごと抑えた。
大人は落ち着いて巾着を取り戻して香鴛の手を優しく叩いた、放されて男はコケツまろびつ人ごみに消えた。
「いい反応だね哥哥以上かもしれないね」
「フゥチンには及びも付きませんわ。黙っていてくださいね。媽媽(マァーマァー)が心配すると困るわ」
「誰に指導してもらった」
「宿に三か月泊まっていたお年寄り。解繊(ヂィエシェン)なんていい加減な名前だったわ。その人から笛も習ったのよ」
濟寧(チィニン)の舟止めが解けたのは遅れて十三日になった。
「龍抬頭に間に合いますの」
運河の旅が初めての海燕(ハイイェン)は気になったが香鴛(シャンユァン)は「まだ余裕がありますよ」と気楽だ。
聊城(リャオチェン)に十五日に着いてその晩は舟止めが有っての影響で飯店がいっぱいだというので港に着けた船で泊まった。
大人に夜半まで何十人もが挨拶にきて港の酒店は大繁盛だった。
翌日に港を出た三艘の船は徳州(ダーヂョウ)に十七日の昼について「十九日の船出だ」というので十八日は一同で街見物に費やした。
この付近は済南府だという、宿の環酒店(フゥァンヂゥディン)は「今晩、徳州五香脱骨扒鶏(ダーヂョウウーシアントウオグーパーチー)だからお腹を空かせて戻ってきて」そう言って送り出した。
乾隆帝までがほめたというがその料理人の伝統は守られているのだろうか。
その期待は適えられ一同の舌をうならせるほど美味だった。
「今まで食べてきた鶏は何だったの」
龍のおっかさんが大きな声で叫んだので酒店の女主人は喜んで料理人に挨拶をさせた。
大人が代表して「息子が褒めた店だけのことはある。これからもひいきにさせてもらうよ」と赤い袋の祝儀を差し出した。
康演(クアンイェン)にこの店を勧められていて、祝儀も用意していたようだ。
十九日に徳州(ダーヂョウ)を出て二十一日に天津(ティェンジン)に着いた。
二日街を見物して二十四日に出て京城(みやこ)入りは二十六日昼の予定だと一同は船頭から告げられた。
運河沿いは「春の花が奇麗で見ごたえがありますぜ」と船頭も予定に余裕が出て安心している。
「麻花(マーファ)は日持ちもいいのでたくさん買っておいた方が好いですよ」
旅慣れた香鴛(シャンユァン)は龍のおっかさんに話している。
「おや、其れじゃ娘や孫のお土産もそれにしよう」
二十二日は日差しがきつく宿で店を紹介されて日傘を買い求めた。
大人が結の連絡網で信(シィン)一行は関元(グァンユアン)が附いて十二月二十八日に余姚(ユィヤオ)を出ているという。
正月二十八日京城(みやこ)到着の予定で、二十五日までに天津(ティェンジン)へ着くと聞いてきた。
二十三日の夕刻、二人は海燕(ハイイェン)が驚くほど大きな荷を男に持たせて帰ってきた。
見つめる海燕に「フゥチンや公主様は普段はこんな下世話なもの食べていないかもと思って」そう言って笑いだした。
「大げさすぎたようね」
今度はおっかさんと二人で大笑いだ。
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