最近の軍機処の動きはインドゥの復位についての議論が上がっている。
託津(富察氏)は復位させて烏里雅蘇台(ウリヤスタイ)派遣を主張している。
聞こえて來る様子では英和(索綽絡氏・父徳保)もその派だという。
漢人の三人は派遣には反対している。
董誥(浙江富陽人・尚書董邦達之長子)六十六歳。
劉權之(進士・湖南長沙)六十七歳。
戴衢亨(狀元・大学士-江西省大庾縣産まれ)五十一歳。
肝心の慶桂(章佳氏-尹繼善子)六十八歳がどっちつかずで宙に浮いたままだ。
どうやら玉徳(ユデ・瓜爾佳氏)の一派の揺さぶりに富察氏が同調していると聞こえて來る。
うるさ型の劉權之を解任の噂まで出ているが、満人の一人を道連れにとも聞こえて來る。
劉權之の支持をする者たちは替わりを推薦しない方向だ。
結句、劉權之と英和をフォンシャンはやめさせた。
楊與仁(ヤンイーレン)・汪美麗(ワンメェィリィー)の所で嘉慶十年十月十八日、三男が誕生した。
老大(ラァォダァ)楊興榮(ヤンイーロォン)、嘉慶五年七月十日男子誕生。
二男-楊興英(ヤンイーイン)、嘉慶八年六月一日誕生。
三男-楊興永(ヤンイーイォン)、嘉慶十年十月十八日誕生。
與仁(イーレン)は弟の楊與樊(ヤンイーファン)を西城永光寺西街に家を買って大平街常秉文(チァンピンウェン)の出店(地元は山西楡次県)との連絡所兼脚夫(ヂィアフゥ)寄せ場を開かせた。
姚淵明(ヤオユァンミィン)の水会(シィウフェイ)の役にも立つと孜漢(ズハァン)から勧められ、界峰興から独立させた。
崇文門(チョンウェンメン)近辺は予定の半分、まだ二か所しか活動していない、人集めは容易ではない。
場所と留守居は見つかったが、火事の時の人手が足りないので会所が機能していないのだ。
此処は脚夫(ヂィアフゥ)寄せ場の何徳(ハードゥ)通称徳老爺(ドゥラォイエ)の持ち家だった。
引退して家を売りたいという話はあったが、帳付けの老頭(ラオトウ)と脚夫(ヂィアフゥ)五人を引き取ってくれというので話が長引いていた。
権利に五十吊(銀五十両)、家が五十吊(銀五十両)、帳付けを二十吊(銀二十両)で隠居、五人の人足を引き取った。
昔は脚夫(ヂィアフゥ)二十人いたと聞く。
帳付けの羅(ルオ)が與樊(イーファン)に泣きついてきて仕方なく月两両で雇ったという。
孫娘がせめて勤めに出られる年に為るまでと言われたようだ。
昂(アン)先生は人の好いにもほどがあると驚いていた。
「隠居銀は帰って来たのか」
「そのままでさぁ。ちっさい孫娘をだしにされちゃ人情脆い弟弟(ディーディ)には断り切れなかったようでね」
與仁(イーレン)だって直に幼い子を眼にすりゃ断れないだろう。
與樊(イーファン)には十一になる娘と二歳の男の子がいる。
つい妻と小さな娘に媽媽(マァーマァー)の四人で京城(みやこ)へ来た時を思い出したのだろう。
人情味がある親方の噂が広がり、それが功を奏したか、新たに常雇いが五人増え、十人で仕事は三倍に増えたという。
大平街の仕事も増えて與樊の所へも回してくれだした。
脚夫(ヂィアフゥ)たちも、水龍(シゥイロォン)の使い方を学べば手当ても増えるので訓練に出てくれるようになった。
「荷車を押したり、引いたりが仕事だ。のっけてるものが違うだけでさぁ」
そういう体力自慢も増えてきた。
そうこうしているうちに帳付けの爺さんが脳溢血で急死した。
近所の顔役虞(ユゥ)、丐頭(ガァイトウ)黄(ホァン)が葬儀を引き受け、盛大に執り行われたが、請求は誰もしてこない。
聞き合わせると「ガキの頃世話になった恩返しだ」という話だ。
さて孫娘だが、母親が腹ぼてで家に戻って子供を産んで亡くなった。
父親は誰も知らないという。
顔役虞が與仁(イーレン)と與樊(イーファン)に引き取ってほしいと頼み込んできた。
二人の媽媽(マァーマァー)が「私が引き取る」というので反対できなくなった。
娘は羅英亮(ルオインリィァン)六歳だという、まるで男名だというと「男に負けないようにと付けられた」という。
媽媽(マァーマァー)に襤褸を渡し「ここに私の全財産があります。老爺(ラォイエ)の頂いた銀(イン)二十両も手つかずで入っていますので、お預けいたします」とかわいい顔で信頼を伝えた。
中には銀(イン)二十六両と金錠两両があり銀(イン)二十五銭と五十文程の銭、板に庚申正月初九日、父樊嶺(ファンリィン)、母羅篤亮(ルオドウリィァン)としてあった。
少なくとも父親が樊家の嶺(リィン)だと分かった。
「父親を捜すかい」
「お腹が目立ってきた母を捨てたと老爺(ラォイエ)が言っていました。会いたくもないわ」
「ならこんな婆(ポォ)の娘でいいかい」
「孝養を尽くします」
素直な様子に一同は媽媽(マァーマァー)に任せることにした。
姚淵明(ヤオユァンミィン)と西城の丐頭(ガァイトウ)の黄(ホァン)が手を結び残りの二か所も開設できた。
火器營の方も追加納入二十台、下賜十一台とおかしな数字で押し付けてきた。
前の物は引き取って手を加えると良い水龍(シゥイロォン)になった。
六台新調、三台下賜と合わせて二十六台が合格すれば下賜は十四台になる。
一台八十五両の二十六台は大きいが、火器營と繋がりが出来たということの方が大事だと大商人たちも納得した。
二千二百十両で十四台引き取ったと同じだ、勝手に同じ水龍(シゥイロォン)が作れない以上それしか手はない。
十二か所の会所すべてに配置し、範文環(ファンウェンファウン)へ二台を余分に回し、地安門(ディウェンメン)付近の体裁を整えた。
徐々に土地の丐頭(ガァイトウ)とも融和が出来、助け合うことで一致した。
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