南京(ナンジン)の爾海燕(ゥァールハイイェン)は十六歳になった。
平大人(ダァレェン)は関元(グァンユアン)に頼んで寧波(ニンポー)で飯店を二月の末に開かせた。
宿を兼ねていたのだが、半年前に主が老齢で売りに出していた。
客室は自分用に三室、女中用、料理人用に二部屋に分けたあと三部屋空いている。
離れは掃除して客を呼んだら使えるようにしておいた。
リャンアル(两爾)と土地のものは旗を見て読んでくれる。
この地には和語を話せるものが大勢いるので、言葉の勉強のためだ。
出入りさせるにも飯を食いに来たというのは言い訳になる。
近くの天一閣は七万冊の蔵書があるという。
阮元(ルゥァンユァン)は“天一閣書目”を編纂したという。
清真寺という回族の寺もある、月湖の西側になる寂れた場所だ。
寺の門番は百十年前に建てられたと教えてくれた。
好奇心溢れる海燕が聞くと、先祖は六百年前にエスケンデレイヤから此処へ来たという。
今でも一族は船乗りが多いという、ほらが多いが楽しいおやじだ。
「海燕はクレオパトラそっくりだ」
良く聞くと大昔の美人で有名な王妃だという、気分が良くなった。
少し、いやほらでもいいわと暇になると遊びに行く。
「アースィム」
「どうした海燕(ハイイェン)」
「私の生まれた街の回族はお酒を飲む人もいたけど、アースィムは飲むの」
「いや飲まないね」
これもほらだ、馮(フェン)という名のかみさんに年中怒鳴られている。
門番のくせに敬虔な信者ではない、日除けの下で絨毯をひいて水煙草を楽しむ男たちとひがな無駄話をしている。
しゃきっとするのは夕刻の礼拝時間からだ。
寺は泗水(スーシュイ、スラバヤ)や南京(ナンジン)とは趣が違う造りだ。
回族の風呂は大尚書橋牌楼の三軒先に有る、月湖からの水路が裏手に有る。
経営者はなんと馮(フェン)だ。
兵舎が多く非番の者は此処で汗を流してゆく。
使った湯に水は昔から水路に流すのは禁じられている、池を作り土地に浸透させる取り決めだという。
その池は冬でも湯気が出て有名だ。
女用の蒸し風呂へは毎日通って馮(フェン)が喚く夫の悪口の聞き役になった。
三人の娘にそれぞれ三人の娘がいる。
娘の夫は三人とも馬(マー)なので鵬(パァン)、齢(リィァン)、亮(リィャン)と呼ばれている。
大尚書橋の陸家のグイファーヂィン(桂花井)も近くにあり風流人がたまに訪れている。
海燕の飯店がなぜここかと言えば城の西門事望京門から船が入れる、月湖の西側の大尚書橋へヨォゥジァン(甬江)の港から小舟に乗り換えれば歩かずに済む。
余姚(ユィヤオ)からも北斗河へ三百石船なら乗り入れてこられる。
宿はやっていないので、夜初更、戌の太鼓で店じまいだ。
正味四時間程度しか営業しない、その分料理は凝っている。
料理人には「いいものを使って安く提供して儲けを出せ」と言ったら呆れていた。
「どのくらい儲ければいいんだね」
段(タン)の給与は月五両で康演が探してくれた。
「段(タン)の給与にかみさんが店を手伝う気になれるくらい」
「リィェンリェン(蓮蓮)に月三両」
「いいわよ。八両は最低でも儲けてね」
三十人程度で一杯の店で無理かと思ったら回転は良く売り上げも順調だ。
プゥタァォヂォウ(葡萄酒)、バァィラァンヂィ(白蘭地・ブランデー)、ウェイシィヂィ(威士忌・ウイスキー)が毎日のように出る。
一本銀(かね)一両は必ず儲かる。
酒屋も毎日現銀での支払いに無理を聞いてくれる。
最初の月にあまり儲かるから、料理は中身を良いものにさせたほどだ。
それで余計上客が増えた。
平大人(ダァレェン)は生涯かけてやるわけでもないから、人付き合いの勉強だという。
儲けを優先していないのは客足に見えている、シャォチィ(小気・ケチ)な客でも疎かにしない。
海燕は見る人によってどこの国人か様々に言われている。
葡萄牙(プゥタァォィア・ポルトガル)人の爺爺(セーセー)の先祖にも混血の可能性はあるようだ。
庸(イォン)は和国の筑紫という地には似た顔の者は多いという。
「そりゃ父親が和国の男だ、似てなきゃ不味い」
関元はチィェンウー(銭五)には似ていないというくせにそんなことを言う。
龍(ロン)のおっかさん裴雲玲(ペイユンリィン)は自分たちに似ているという。
関元はいろいろな土地へ行くくせに区別がつかないという。
「泗水(スーシュイ、スラバヤ)で似ているのはウァール・ワールのおっかさんしか知らない」
マァーマァー(媽媽)は老爺(ラォイエ)は葡萄牙人、姥姥(ラァォラァォ)は清国人(寧波)とジャワ人の混血だと話した。
うれしいことを言うのは信(シィン)だ。
「龍雲嵐(ロンユンラァン)に一番似てる、雲嵐は娘娘に似てる。娘娘は容妃娘娘に似ているそうだ。皆国も違うが似ているのは美人と言われていることだ。だから海燕(ハイイェン)も美人という人種だ」
「美人ならお嫁さんにしたら」
「いいね。そうしよう」
そのくせ嫁入りの支度をしろも何も言ってこない「馬鹿にしてるわ」と怒った。
気性が船乗りに合うらしく各地の船乗りが来てくれる、ヨォゥジァン(甬江)サンヂィァンジァン(三江口)へ船を着け、城内へ来るのは銀(かね)に余裕がある証拠だ。
陽が暮れる前には満員になる、そうすると庭の南北のティン(亭・東屋)へ勝手に料理を運ばせる客もいる。
この日も申の鐘で店を開ける予定が、すでに表で騒いでいる。
料理人夫妻は店の上に住んでいる、四十くらいの段(タン)という小太りの男に十八くらいに見えるが、二十六だという王(ワン)という丸顔で愛嬌のある女だ。
子供は十歳になる女の子、段春月(タンチゥンュエ)がいる、店へ出て愛嬌を振りまいてくれる。
「姐姐(チェチェ)」と子供が呼ぶと「妹妹(メィメィ)」とふざける親子だ。
信じているものまでいて仲間に揶揄われていた。
店の調理場は二人見習いがいる、洗い物は五十くらいの老媼が二人来てくれる。
店の時計は午後の四時三十分になるところだ、来ているのは大概月湖の周りに定宿か家が有る川船連中だ。
漸く鐘が聞こえて開店した。
客は鐘で開けるのか洋時計で開けるのかを聞いてきた。
「気になるのなら決めなきゃね」
「開けるのは申の鐘」
「いいわ」
「閉めるのは洋式時間で今日の初更に合わせる」
きいていた客がどっと沸いた。
「いつもと同じよ。なぜ笑うの」
船乗りが「初更は午後八時半頃だ」と言ってくれた。
「不思議でも何でもないわよ」
「四月から八月は、ほぼ同じだ。正月は一時間早くなる」
「あっ、ずるいわよ」
「客は福の神だ。いうことを聞くと良縁に恵まれる」
また笑いが起きて文人風の客が壁に閉店洋時刻八時三十分と墨書した。
「だれか正月の申の刻の洋時刻を教えてくれ」
「三時三十分」
船乗りは洋時刻に堪能している。
書こうとしたのでやめさせた。
「一年中同じ方がいい」
一斉に言って文人風の男に書かせてしまった、明日からその時刻に客が来る。
予定は四時間だったものが五時間になった。
海燕は口説かれることも多いが「婚約してる」というとそれ以上は迫らない。
一人天津から来たという男がしつこく口説いたが、知り合いらしい船頭の鄭(チョン)に耳打ちされて諦めたようだ。
何を言われたのか気になったが聞くわけにもいかない。
その船頭は四恩を連れてきた。
「珍しいわね。子供は元気なの」
「もう直に三人目が産まれるよ。たまには笛が聞きたいな」
直にとは言うがまだ半年も先の事だ。
そういえば最近忙しくて吹いて居ない。
居合わせた客の承諾を得て賑やかな音調の曲を続けて吹いた、吹いていると楽しくなるのは前と同じだ。
報恩光孝寺の近く呼童巷に四恩の店があるが嫁さん、娘にべったりで来たのは初めてだ、二里も離れてはいない。
寺の東には城内の子城が有って南門が有ったというが、乾隆帝が壬寅の年に取り壊させた。
城門跡は様々な市場で人がごった返している、鼓楼を作ろうという動きもあるが銀(かね)が無いのが実情だ。
海燕(ハイイェン)は女中の胡香蝉(フゥシィアンチェン)と昼間よく出歩いている。
月湖の西側は兵営が多いが、湖の東は廟に寺ばかりだ、天主堂跡もある。
今は十軒ほどの小商人に大きな質店に為っている。
天主堂が出来たのは「百年以上も前だが五十年もたたずに壊されたんだよ」と門前の布行の女主(おんなあるじ)が教えてくれた。
女主が「ティェンファンタァ(天封塔)と云う高い塔もあったが、十年ほど前に燃えたよ」という、女中は子供の頃、対岸から城壁越しに六角塔の上二階が見えたと教えてくれた。
まだ子供のくせにという海燕だって同じ十六歳だ。
東渡門(東門)を通り抜け、望京門(西門)まで四里ほどしかない城で、南北も八里は無さそうだ。
海燕は越してきてからは、城門の外へはまだ出たことがない。
浮橋の先は雑多な商売の寄せ集めと聞いて泗水(スーシュイ、スラバヤ)のパサァ(市場)を思い出した。
よそ者には三倍、五倍の値を言って駆け引きを楽しんでいた。
三江口はヨォゥジァン(甬江)の左右への渡船が有る。
余姚江側が桃花渡、奉化江は老公渡だと香蝉は言っている。
ヨォゥジァン(甬江)は三江口から川下へ碼頭(埠頭)ごとにあり、さらに下流の鎮海まで十か所は渡し船があるそうだ。
余姚江、奉化江ともに渡し船の需要は多いので二里から四里おきに渡し場が有る。
人は担げる荷と共で銀(イン)一銭(百文)、空馬銀(イン)二銭。
荷を乗せた馬は目分量で銀(イン)二銭から五銭取る、荷車も同じで人一人分は只になる、馬車は仕立てで十二銭が協定だ。
月湖というが満月でなく三日月だという、大分変形した三日月だと言うと女主はこの近くまでが湖で此方は日湖だよという。
二つの湖は人造湖で水源は四明山と信じられている、日湖は小さくなったという、大きかった時でも三十対一位の大きさだったそうだ。
昔、延慶寺、観宗寺は此処に有ったいう、この女主は物知りで有名だそうだ。
「ティェンファンタァ(天封塔)の上から見た景色じゃないのかね。月の方が大きいのさ」
ティェンファンタァ(天封塔)の上ならと言ったが本人は高いところが嫌いで昇っていないそうだ。
確かに南門へ向かう水路は幅が太い、船が下を通れる橋には水月橋、日湖橋と名が付けられている。
家井巷に美味しいお焼きの店があると噂を聞いて、行ったら病みつきになって通っている。
今日は五月四日昼にはそこへ行くつもりだ。
黒豆を練りこんであるもの、野菜を巻いたもの、蝦を巻き込んだもの、胡麻団子みたいなもの、とにかく何でも平底鍋で焼いてしまう。
叉焼(チャーシュウ)が包まれて焼いたのは特に美味しかった。
「これでお茶が美味しければもっと食べられます」
ちっとは遠慮しなさいと思ってしまう海燕だ。
「お茶も一杯五文取るのよ」
「茶碗に葉も入れないのにシャォチィ(小気・ケチ)だわ」
「きこえるわよ」
タンユェン(湯圓)に似ているものまで焼いている。
一皿に二つで十文じゃ茶に文句を言ったら悪い気がしたが、香蝉に乗って文句を直接言う老媼(ラォオウ)もいる。
「俺んとこが上手い茶を入れて一杯十文も取るようになったら客が来ない。文句を聞くのも商売だ」
“茶が不味い”は言われ慣れ、聞きなれているようだ。
二人分で百二十文だという、銀(イン)四銭出してお土産を満遍なく選び、持ってきた二段の提げ重に入れさせた。
この店季節にかかわらずなんでも平底鍋で焼いてしまう。
「桂花(グイファー)が咲きだしたみたいね」
川筋の樹が匂っている。
「家の裏の樹が明日にも咲くからそうしたらタンジャンピィ(糖漿皮・月餅)に入れるよ。何のドウシャ(豆沙・餡)がいいね。明日もおいでよ」
女将さんは商売上手だ。
普段なら七月に咲く花も閏が入って五月に咲きだした、南京(ナンジン)だと八月に咲くのに大分早い。
それを言うと「立秋の十日前頃が普通さ。今年は夏至を過ぎたばかりで咲くのは不思議さ」異変の前触れかなどと笑っている。
「ホォンドォウ(紅豆・小豆)」
香蝉はホォンドォウが一番好きだという。
この間は別の店で大きなリュダァグン(驢打滾)を六個も食べた、此処のドウシャビン(豆沙餅)なら際限なく食べそうだ。
リュダァグン(驢打滾)はルゥ(驢馬)が転がって汚れたとでもいうのかシャゥビン(餡餅)にホァンドゥフェン(黄豆粉)をまぶしてあった。
飯店を開くとき南京から連れて来るより寧波(ニンポー)で雇おうと探していたら、いい具合にハオジィドゥディレェン(好嫉妒的人・焼きもち焼き)のヌゥーヂゥーレェン(女主人)に追い出された香蝉を見つけた。
焼き餅焼かれるような美人とはかけ離れている。
やせっぽちで大食いで笑い上戸だ“她怎么吃都不胖”だと気が付いたのは雇って十日目だ。
お腹が空いたというわけでも、お腹が一杯でもない様だ。
段春月(タンチゥンュエ)と同じくらい食べるだけで、もっと食べたいというわけでもないが、「どうぞ」と言われれば次々食べられる。
好いことに朝早くから懸命に働く。
「お腹が空いたということは無いの」
「空っぽの方が美味しく食べられる」
「じゃたくさん食べると美味しく無くなるの」
春月に揶揄われても「食べてるときは美味しいからよ。不味けりゃ食べない方がまし」なんて言い返していた。
街の案内も出来るというのであちこちと案内させている。
店の客の話しだと焼き餅というのは作り事で、やせっぽちなのは飯を満足に食わせていないと噂が出て、気にしたヌゥーヂゥーレェン(女主人)が口実をつけて追い出したようだ。
お土産は飯店に半分置いて、残りは馮(フェン)に届けた。
孫を呼んで一緒に食べているのでお茶当番を引き受けた。
娘たちも赤ん坊を抱いて出てきて大賑わいだ、どうにか全員に行渡った。
「海燕(ハイイェン)の淹れてくれるお茶はなんで美味しいの。同じ壺から入れても姥姥(ラァォラァォ)より美味しいわ」
「それわねこの砂時計を信じるか信じないかよ」
馮(フェン)は適当に入れるので、海燕(ハイイェン)が持ってきた砂時計を見ていない、量もいい加減だ。
「じゃ、これからは馬凛麗(マーリィンリィ)が淹れなさいよ」
「いいわよ姥姥(ラァォラァォ)。私やりたかったの」
海燕は壺の茶の名と砂時計を合わせることを教え、壱、兩、参と書いてあるのを見せた。
「ほかのお茶の時は」
「もっと知りたいの」
「うん」
「じゃ、明日別のお茶とお菓子を持ってくるから少しずつ覚えて行こうね」
「ありがとう姐姐(チェチェ)」
馬凛麗(マーリィンリィ)は大女儿と鵬(パァン)の大女儿で今年十二歳になった。
明日午の刻に約束した。
ヅォンヅゥ(粽子・ちまき)にタンジャンピィ(糖漿皮・月餅)。
この店の季節感の無さはどこから来るんだろう、泗水(スーシュイ、スラバヤ)でもマァー(媽)は季節を気にしていたのを思い出した。
今日は此処で食べないで家で食べると言うと「お茶のいいので食べる気だね」と親父が怒鳴っている。
「知り合いの家族と約束があるのよ」
三段一杯にしても銀(イン)七銭で済んだ。
ヅォンヅゥにタンジャンピィはさすがに一個十文だという。
ヅォンヅゥはドウシャ(豆沙・餡)にゲェンヅァオ(干し棗)、タンジャンピィはドウシャ(豆沙・餡)に桂花(グイファー)の花を練り込んである。
リャンアル(两爾)で一段置いて、用意しておいた一斤の茶壷に砂時計、店用の着替えを持って馮(フェン)の所へ向かった。
此処のところ暑い日が続いてひと雨欲しいところだ。
「まるでスラバヤと一緒だわ」
「どこの事です」
「私の生まれた町。ずっと南に有るのよ。南京(ナンジン)も暑かったけど私の生まれた街は暑いけど、雨が少なかったのよ」
「今年は雨が少ないですが普段は月の半分雨ですよ」
「南京と同じね」
「南京も六月七月は暑いのですか」
「強烈ね」
「なら大丈夫ですかね」
「どうかしたの」
「京城(みやこ)から来る人は逃げ出したくなると言っていましたよ」
「南京で聞いた話ではそれほど京城(みやこ)と夏は差はないと聞いたわよ」
「京城(みやこ)自慢でもしたのかしら」
馮(フェン)の所でも天気の話しで持ち切りだ。
雲がわいて雨が来た、四半刻ほどで通り過ぎたが大分涼しくなった。
凛麗(リィンリィ)は教えられた通りに茶を淹れて皆に褒められた。
ひと汗流し着替えをし、化粧も決めて店へ向かった。
酒屋がニコニコ顔でバァィラァンヂィ(白蘭地・ブランデー)を木箱で持ち込んできた。
シァォシィンヂウ(紹興酒)などのほかにシャトー・ド・ラキー(拉基城堡)にレミーマルタン(人頭馬)を五本ずつ出した。
「何時頼んだの」
「先ほど関元さんの使いが来て用意してくれと。食材も奢ったのを頼みましたぜ」
「じゃ、大分踏んだくれるわね。十本で二十両は儲けなくちゃ」
酒屋の請求は白蘭地(ブランデー)十本銀(イン)二百九十両だ。
「これでも三年前の半分になったんです。儲けが出ませんよ」
「嘘つき、倍は無いでしょ」
「ほんとですよ。他の酒問屋に聞いてみてくださいよ」
段(タン)が銭函を持ってきて銀票混じりで三百十二両支払った。
その日の夕刻関元は二十人ほどの船主連を連れてきた。
「本当は船長たちも連れてきたかったが、此処では入り切れないと別行動にしたんだ」
常連たちは庭で勝手に飲み食いし始めた。
関元は香蝉に杯を持たせて「お詫びだ」と人頭馬(レミーマルタン)を注いで回った。
ブランデーを飲み切ると「勘定」と声が上がった。
段(タン)と計算した王(ワン)が「二百九十五両」というと「安すぎる」と船主たちから声が上がった。
この後新街という旧街の宿で続きがあると話している。
関元の会計係が銀票で三百二十両出して「こいつで家でも買ってくれ」なんてほざいたので「簪一つ女中に買えばおしまいだよ」と言ってやった。
三時間近く飲み食いしても、次へ行く元気がある連中ばかり選んだようだ。
店を閉まって、两両分の銀(イン)二十銭をそれぞれに配った。
洗い場の老媼(ラォオウ)など大喜びで「家に戻るまで護衛でも頼むようだ」なんて浮かれている、二人とも手巾に包んで袖の隠しに入れようとしたが、重いので懐へ押し込んでいる。
二人とも紫微街に家がある、調理場の見習いも近くなので一緒に戻っていった。
海燕とフゥシィアンチェン(胡香蝉)が自分たちの部屋へ戻ったのは午後十時に為ってからだ。
関元が連れてきた船主は結や漕幇(ツァォパァ)の顔役だろうと思った。
信(シィン)が“美人なら嫁に”と言うのを本当にしてくれた気がした。
バァ(爸)の喪が明けたらと思っているのだろうか。
好きには違いないけど惚れたとは違うようだと思っている。
香蝉は海燕の寝支度が済むと自分の部屋へ引き取った。
明日は東渡門(東・天后宮)のティンハウゴン(天后宮)へ行くと言って置いたので、昼に何を食べるか考えているだろうと思うと可笑しくなった。
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