花音伝説
第四部-豊紳殷徳外伝 和信外伝 肆
 第三十回- 和信外伝-  阿井一矢  
 

 此のぺージには性的描写が含まれています、
18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju
 

公主は自分たちの棟には調理場を付けるのを嫌った、インドゥも建物の見栄えが悪くなると公主を支持している。

塀迄建て直すのは住居がまるで穴倉みたいだと前々から思っていたからだという。

その部屋に愛着のある者も多いが、泥水で汚れたのを洗っても見回る公主には気に入らない。

庭番は親子で三人とその家族が働く、船着きを南へ英敏(インミィン)の庭先にもお小屋がありそこへ新築した。

塀の住居に替わりその多くは物置にされている。

昂(アン)先生の住居棟の裏(北側)へ奴婢の部屋と縫製作業場も出来上がった。

格格が増えると公主は予言し、昂(アン)先生夫妻の東側へも同じように建てた。

元の棟は東へ引き移した。

昔の梁緋衣(リャンフェイイー)や呂播漣(リュウボウリィエン)が住んだ後昂(アン)先生と花琳(ファリン)の為に建て直して間もないので引き移した方の手間が安いと大工が進言したからだ。

大工下職の意見は大事だと公主は我を通すことは無い。

 

広げた敷地の井戸は職人が一回で掘り当てた。

火箸のようなものを二本持ちで二人が東西、南北と歩いて半刻もたたずに決め、半日で出た浅い水脈を捨て、西へ三尺移動しその下の水脈を九尺で二日目に掘り当て十一尺掘って底を石で突き固めた。

丁寧な石組みは見ていて気持ちが良い、出来上がると古い井戸の木枠を取り払い其方も石組みとして綺麗に掃除が出来た。

奕紹(イーシァオ)が紹介してくれた井戸掘りは丁寧な仕事ぶりで、西城下で評判が良いという。

北の倉庫群の井戸も運河側に一つ掘ってくれたので公主はご機嫌だ。

「何を喜んでいるんだい」

「門番のお小屋も水に困らずに建てられますわ」

どうもそれだけではなく何か予定はある様だ。

飲み水と料理の水は香山村と紅門村から毎日馬車で運んでくる、残れば下着の洗濯に使うことを公主が許した。

心配した西南の井戸とは水脈が違う様で、同じようにいくら底迄汲んでもすぐに尺を超すほどの水が溜まった、朝に二尺ほどあるという水は飲んでも大丈夫そうだが公主は許さない。

洗濯場が二か所に増え仕事も楽になった、人が増えれば井戸は増やさずに洗濯場を南西の汚水の処理場脇へ増設するという。

汚水の処理場を三つ以上に増やすのは止めたが、其処へ運ぶ奴婢も新しく設備した三段処理後に奇麗になって出る水に驚いていた。

面倒でも湯舟の残り湯も水路に直に流しては駄目と公主が決めた。

水路は雨水の為で下水の道では無いというのがその見解だ。

木糟(きぶね)の前にある網へ汚水を入れると布から出る糸くず、厨房の洗い物から出る細かい屑などはそこで取り除かれる。

上澄みが次の槽へ入ると砂利を抜けて一段低い最後の炭を抜け、下の筒を抜けて水路へ流される。

屎尿の処理業者が底の汚泥も毎日掬っていく(ほとんどないらしい)ので、匂いで嫌がる者はいないそうだ。

二段目の砂利、三段目の炭は三の付く日に入れ替える。

これも屋敷廻りの業者がいるので任せている、炭は綺麗に洗って干して行く。

砂利は持ち帰って洗うそうだ、炭は乾けば厨房の燃料に為る。

処理業者は左安門外の南護城河から南への水路に砂利場を設けている。

持ち主は相公(シヤンコン)だがチィズ(妻子・つま)に妾が二人いるという。

後には紫禁城の宦官が代々権利を掌握している、永巷を配下に任せ内城の汚れ仕事を銀(かね)づるとしている。

外城はそれらとは違う組織が扱うという、軋轢が起きないのは陶という相公(シヤンコン)の扱いがいいからだ。

 

奴婢の楽しみは公主へ来た果物、菓子が、格格と使女に行きわたれば奴婢へ下がって来る。

公主へは毎日来るので姐姐に雲嵐(ユンラァン)も残ると見れば新しい内に下げるので潤沢に奴婢まで回り、余分の物は丐頭が手配する貧民へ毎日必ず食材と共に下げ渡される。

公主は捨てる事を許さない、芥を漁られるより、食べられるうちに手に入れさせることで無駄にならないとの考えだ。

更に奴婢の楽しみは一日と十日のチャオクリー(チョコレート)の日だ。

贅沢にバニラが香り付けに入っている、職人が来て全員に温かい物が配られる。

牛乳は日持ちがしないので全員には行き渡らない、それで公主はじめ格格待遇以上は五の日に、奴婢と使女はその五日、十五日、二十五日の三組に分けて月一度は飲ませている。

これも伊太利菓子から来た職人が大釜で飲める温度で四半刻温め、配るという手間をかけていく。

たまに砂糖が配られて喜びが倍加する。

全て宋輩江(ソンペィヂァン)太医の指導だ。

お腹がゴロゴロ鳴るという娘の割合と、それが二回以上続く割合を調べている。

 

 

嘉慶九年一月一日(1804211日)

 

三日に健康哥哥夫妻に洪弟弟夫妻が豊紳府へ遣ってきた。

共に子供を連れて来たので庭で姐姐(チェチェ)が指導して凧あげに夢中だ。

水が引いた後倉庫群の空地へ道を移し、奴婢の居住区も広げた。

南の風で凧あげ日和だ、北の風の日は高く上がりすぎて女子供には制御が難しい。

庭が広くなって、その半分に昂(アン)先生の家と公主が図面を引いて建てたがまだ余裕はある。

白蓮蓬(パイリァンパァン)のお腹が目立って来て王(ワン)が呼ばれ、女たちはよもやま話で息盛んなので、インドゥは二人を新しい昂(アン)先生の家に連れて逃げ出した。

昂(アン)先生も二人目が生まれている、またもや男の子だ。

母子は乳母と凧あげを見に出て行った。

二人の陳は昨年京城(みやこ)へ呼び戻されてきた、従七品から徐々に位階が従五品員外郎に上がったが京城(みやこ)ではいまだ門番だ。

步軍統領の元で九門警備が役目だ。

和珅(ヘシェン)のあと改革が進んだはずが、内城の妓楼撤去に反対した定親王綿恩を解任し、統領の下に左(円明園)右(正陽門)の総兵をおいて効率化を図ったが、反対に収賄簒奪の横行で統領の明安がイリへ流罪となる体たらくだ。

宗室禄康(愛新覚羅氏)が起用されて改革の真っ最中だが、戸部尚書大学士へ昇格の噂もある

妓楼はフォンシャン(皇上)も皇城内はすぐさま取壊、西城下は二年以内、東城下は綿恩の面子もあり新設は認めないが継続は許した。

一年も経たずにその妓楼も、湿地になっている東城下へ埋め立て土壌改良の名目で建てられるようになった。 

 

I 軍営の組織 (『光緒会典』巻87による)

統括官

提督九門歩軍巡捕五営統領-従一品・一人

・右翼総兵-正二品・二人

兼轄官

・右翼翼尉 (もと総尉)-正三品-二人

・右翼副翼尉-従三品-二人

八旗協尉 (もと総尉)-正四品-二十六人

八旗副尉 (もと参尉)-正五品-二十六人

先汛官

八旗歩軍校-正五品-三百三十六人

(捕盗歩年枝… …歩軍校 より選ぶ)四十人

八旗委署歩軍校-正六品-七十二人

領催……満・蒙は一佐領 2,漢軍は 1 (2036)

歩甲……満・蒙は一佐領18,漢軍は12 (19122)

『光緒会典』による佐領数……満681,204,漢軍266(84)

 

番役は歩軍統領衙門に、捕役は五城兵馬司の副指揮・吏目衙門に所属し、それぞれ現場で事件捜査にあたっていた。

 

「もう五月(いつつき)だと」 

宜綿(イーミェン)が呆れている。

「そうだ弟弟の奴、河口鎮の妾を嫁に出して、空身で俺と都へ戻った月に身籠らせた慌て者だ」

「哥哥だって身籠らせたお仲間だ」

「俺は二月(ふたつき)かけた」

インドゥ二人の掛け合いが面白くて口を挟まず聞いている。

白蓮蓬(パイリァンパァン)も五年ぶりに戻った丈夫(ヂァンフゥー・夫)との間に、直ぐ子供が出来るとはさぞかし驚いた事だろうと思った。

「洪弟弟。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)の妾に子が出来なくて京城(みやこ)でいきなり子が出来るとは奇跡だ」

「あんなに好い女に成っている何て驚いたが、俺の身にもなって呉れ。五十日もたたずに妊娠しました、で俺の欲情は行き場がない」

「だからって立ち番の合間に棍の稽古だなんて仲間をいじめるな」

「子供は大歓迎だ。だけどよチィズ(妻子・つま)を抱けない俺の辛さは餌を眼のまえに吊るされた猫だぜ。格格を置ける身分でもないし、リァンパァンが傍に居て他の女など眼に入らん」

まぁ、こんなこと愚痴れるのは子供の頃からの付き合いのある俺達だけだと健康哥哥に慰められている。

人目をはばからず抱き着いては白蓮蓬(パイリァンパァン)に怒られていると見て来たように健康哥哥が話している。

しかし本当にあいぼれで一緒に成ったといえ、ここまで惚気られて健康哥哥は良く付き合っていられるものだ。

昂(アン)先生が「確かにお袋譲りの美貌に加えて辛抱強い」と持ちあげるとにやけている。

「岳母(ュエムゥー)など眼じゃないくらい美人だ」

そういや実物の額娘(ウーニャン)に逢っているはずだ。

「いやいや。お前の妻子(つま、チィズ)より美人だぞ」

「昂(アン)先生、会ったことないはずだ」

「絵姿を見た。色も乗せて有って綺麗なものだ」

「俺は御本人にお会いしているがリァンパァンの方が何倍も美人だし、いまはその時以上に美人だ。妊娠して色気も増した」

自爆している、本当に餌を吊るされた猫を見ているようだ。

今まさにチィズ(妻子・つま)に恋をしているとは此の事だ。

五人で公主の部屋へ出て絵姿を見せてあげてくれるように頼んだ。

洪弟弟め絶句している「なぁ、リァンパァン、岳母(ュエムゥー)は此の絵姿と寸分違わない様子だったのか」と聞いている。

「私の眼に映っていた媽媽(マァーマァー)はまさにこの絵の通りですわよ。貴方が逢ったのは今の私より年が行った媽媽(マァーマァー)ですものこの絵とは大違いよ」

七歳の白蓮蓬(パイリァンパァン)と媽媽(マァーマァー)二十四歳。

今の白蓮蓬は二十六歳、出会ったのは十六歳の時でウーニャンはその時三十三歳。

「此の絵姿の岳母(ュエムゥー)よりリァンパァンの方が美人だ」

まだ強情を張っている、何処まで惚れ抜いているんだと四人で呆れてお手上げだ。

陳洪(チェンホォン)と婚姻したのが嘉慶元年蓮蓬十七歳、最初の子は嘉慶三年に産まれたが会えたのは六歳になった嘉慶八年だ。

妊娠中から足掛け六年の地方回りだ。

 

午後に鄭紫釉(チョンシユ)と鄭紫蘭(チョンシラァン)の親子が珍しく中年の女を連れて来て妻子(つま、チィズ)と紹介した。

四人の子の母親とは思えぬほど若々しい。

話をしていると十五の年に嫁いで六年で四人の額娘(ウーニャン)に為ったという。

シラァンが最後と云うことはもう三十七歳に為ったとは思えぬ若さだ。

夫妻(フゥーチィー・夫婦)で不思議とその後子が出来ませんと言う。

鄭紫蘭(チョンシラァン)の方がいつもと違って口数が少ない。

「実は哥哥と娘娘にお願いが」

「聞いてあげる」

娘が四年前に哥哥にお会いして気持ちを惹かれたが、いつの間にやら恋をしているようになったという。

「うすうすそうかと思っていたわ。それでどうしたいの」

夫婦で話したが他の家に嫁に出すのは紫蘭(シラァン)のほうが嫌がるので、格格として仕えさせてほしいという。

「困ったわね。哥哥は讒言で解職されたのよ」

「お力に成りたいと娘が」

「去年屋敷内を広げて住まいは有るけど、いつもなら勧めるんですけど。哥哥がどう言うか聞かないとお返事できないわ」

インドゥが来て話を聞いた「俺は女に弱い、おまけにフォンシャン(皇上)の受けも悪い。噂は知っているだろ。そんな甲斐性無しでも我慢できるのか」

「はい」言葉が少なめだ、やはりいつもと違う。

「公主の立場では格格は賛成だろうが、ここは女の力が強い。まずは先輩に聞いてみよう」

インドゥわざと尻に惹かれている振りで姐姐(チェチェ)の所へ連れて行ってユンラァンも呼んでこさせた。

二人は普段のシラァンがお気に入りで、この位負けん気の有る娘なら逆境のいま必要だとインドゥに勧めた。

二人が先に公主に鄭紫蘭(チョンシラァン)の事を引き受けてくださいと承諾したことを伝えた。

昂(アン)先生はインドゥが遣って来ての話に、二人へ引き合わせたのはインドゥの企みと直ぐ気付いて「これなら二人が引き立てないと立場が無いですね」とにこっとした。

 

姐姐(チェチェ)と花琳(ファリン)は公主と費用その他で予備費を使う許しを得た。

当人が自由裁量できるのは月十両、必要が出来れば予備費から年二百両迄が即日支給とユンラァンと同じ待遇とした。

使女二人で二両六百銭、此方も予備費年三十両が花琳(ファリン)の裁量で支給とした、ただし相談があるまで予備費は内緒とされているが、奴婢の間では親の病気で出してもらえた者が居るのは知れ渡っていた。


 

支度もあるので十日に豊紳府へ送って来るとなった。

「このような時期ですから質素にね。必要なものでも少しずつ運び入れるようにしなさいね」

鄭家では約束を守り、奴婢か使女にでも雇われたかのように通用門からひっそりと豊紳府へ遣ってきた。

細いリャンバートウ(両把頭)に紫の紐、赤い造花を差している外は目立っては居ない。

父母(フゥムゥ)も着飾らせたいのを我慢しての普段より控えめな服装だ。

額の産毛は其の儘で娘らしさを見せている、昔インドゥが額の産毛を綺麗だと褒めたことがある。

両親とシラァンの三人に公主が「ごめんね。こういう時期でなければにぎにぎしくお迎えしてあげられるのに」

「いえ、急いだのは私たちです。シラァンの兄たちも哥哥への気持ちを知っておりますから、お屋敷に迎えて頂け、一家そろって有難く思っております」

それでも新しい部屋には急いだと云えど、娘らしく派手やかな装いが出来ていて、急いだ割に調度品も手が込んでいる物が揃えられた。

通用門に裏の船着きなどへ分け、手代や脚夫(ヂィアフゥ)などが背負って少しずつ運び込んだ品々だ。

ユンラァンは昂(アン)先生たちが引っ越すと、そこを整理して二棟を好きに使わせている、シラァンを大きな棟へ入れるか、ユンラァンが移るか聞くと、今の方が使い勝手が良いという。

「今決めないと荷物が来てしまうわよ」

「本当に今の方が良いのです。あとで向こうが良いなど決して言いません」

公主がそれで良いのねと念を押して花琳(ファリン)が鄭興(チョンシィン)の手代に新しい棟を教え、荷を運び入れた。

本当のことを言えば今の方が姐姐(チェチェ)の棟に近く安心できるようだ。

調理場も専用の部屋が出来て、使女には片方の湯殿を自分たちが体を拭う湯くらいは直ぐ沸かせられる。

燃料は薪に炭で、石炭は特別の許可が必要でまず使えない、汚水の浄化に使った炭も月一度以上はそれぞれの厨房へ配られてくる。

使女は二人が別々に部屋もある好待遇、それもある様だ。

二人は豊紳府の使女で一番贅沢だと羨ましがられている。

大きい部屋で大きい寝床をくじで引いた蓬蓮(パァンリィエン)は飛び上がって喜んでいたのを今更移れとはユンラァンも可哀そうに思う様だ。

難点は厨房へ近いので用が多い事くらいだが元々それが仕事のうちだ。

 

使女の恋鵬(リィェンパァン)の母親が来て「レェンパァンの言う通り、旦那様のユンラァン娘娘の部屋以上というのは本当みたいだ」と驚いていた。

このような時わざわざ旦那様は娘娘だとは言わない様に躾けられている。

蓬蓮(パァンリィエン)の部屋を覗いたら広さに気を失うかもしれない。

ユンラァンの湯あみで湯舟につかるときは大きな厨房他へ声を掛ければ次々各厨房へ伝達されて湯が運び込まれる。

皆で公主とインドゥの湯殿も厨房を併設と進言するのだが、建物の見栄えが悪くなるからと二人はまたもや賛成しない。

子供の頃から美味しい食べ物が溢れているのは贅沢と、普段はしていないのが理由だそうで、必要が出来れば姐姐(チェチェ)の所へ安聘(アンピン)菜館から人を呼ぶか食べに出ればいいと思う様だ。

「ご馳走は公主府(元の和第)で行う宴席で十分よ」

容妃と聞けば贅沢と思いがちだが、実母は冷遇された時代もあり、岳母(ュエムゥー)の容妃も生活は慎ましかった。

新婚当時から調理場から運ぶのが普通で、いつもそうしているので不便などないという。

気が優しいユンラァンは二人の使女から実の姐姐(チェチェ)のように慕われている。

先輩格の寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)の使女だって二人一部屋だ。

 

シラァンの使女には、前から屋敷への順番待ちのように、何人も職を得ようと名簿があるので、ファリンとパォイェンは十二歳の子から二人選んで連れて来させた。

二人で一度公主娘娘に報告して来ると部屋を出た。

「可愛い娘と美人顔でもシラァンの引き立て役に丁度いいくらいのよさね」

二人の意見は一致し、字も奇麗だし気に入って雇い入れた。

色白の小さな方は潘玲(パァンリィン)、大きな美人顔の顔双蓮(イェンシィァンリィエン)は普段「シャンリェン」と呼ばれると教えた。

公主も一度声を聴きたいとやって来て満足して戻った。

リィンの曾祖母は噶哈里和羅舍林村から十三歳の時に紫禁城の奴婢に雇われ、二十五歳で商家の嫁に出たそうで、西城に曾祖母から生まれた子供や孫の一族が集まって青果を商っているそうだ。

シャンリェンは通州大馬庄から大水の後、子守りに雇われて来たが、そこの妻は亭主が子どもの双蓮に色目を使うと言って家を出され、老媼(ラォオウ)の斡旋により半端な出仕事を一年近くしてきたという。

それでもその妻は斡旋した老媼(ラォオウ)に次の仕事が見つかるまでと言って銀六銭(六百銭)呉れたという。

此の老媼(ラォオウ)の家に大抵十人は寝泊まりして壱日仕事でも斡旋している、食事共で一日三十銭、中には百日分付けになっている仕事が無い娘もいるが老媼(ラォオウ)はそんな娘も面倒見てくれる。

着るものは仕事によって貸し与えている、臨時仕事でも一日五十銭から二百銭と幅は大きい。

二人とも年季奉公はこの屋敷では二十歳を過ぎ、八年の年季明けが来れば嫁入り希望なら使女、奴婢でも面倒を見てくれるという魅力にも惹かれたようだ。

豊紳府はしわい(吝嗇)と言われているが、老媼(ラォオウ)は無駄をしない生活で、八年の年季明けには充分な支度までして下さると教えた。

やめるのは年季とは関係なく花琳(ファリン)に何時でも良いと言われた。

 

豊紳府はしわいと言うのは劉全が老媼(ラォオウ)と流した噂で、今は孜漢(ズハァン)に買范(マァイファン)が口利きを頼まれると盛んに吹聴する。

和第を解雇されたものがそれに輪をかけてしわいが広まっている。

月払い奴婢で一両、使女で一両三百銭、衣服、食事は支給されるから小商人に雇われるより手に入る物は多い。

使女は安い様でも主児(チャール)の気前の良さで変わると世間では言うが、ここでは格格に自由はなく、娘娘の「平等に」の言葉で新旧の使女に衣服、服飾品に優劣は出ない。

家族の元へ希望すれば月一度、遠方の者は年一度十二日の帰家が許される。

其れも姐姐(チェチェ)が贅沢好みではない処へ、ユンラァンが格格になって優劣が服装に出ない様に公主が気を置いたからだ。

ただ姐姐(チェチェ)はユンラァンには進んで着飾らせるのでユンラァンは実の姉の蘭玲(ラァンリィン)に「姐姐は甘やかせすぎです」と愚痴を言う。

蘭玲(ラァンリィン)が甘えん坊の癖に、いつの間にか大人ぶった口を聞きますと福恩(フゥエン)香蘭(シャンラァン)に福祥(フゥシィァン)と連れ立ってやって来ては嬉しそうに話してゆく。

公主が姐姐(チェチェ)に輪をかけて着飾らせるのは全員承知で、庭を歩く姿を観るのが楽しみになっているのを本人だけが気に病んで居る。

 

胥幡閔(シューファンミィン)が二人の体の診察をし、王李香(リーシャン)が湯殿の使い方を教えながら肌を確認した。

蘇花琳(スーファリン)が「今は四人部屋を二人で使えるけど、新しい人が来ても邪険にしちゃ駄目よ」とまずシラァンの来る前に北側の部屋と必要な品々を用意した。

洗い物は奴婢がそのお役目で給金を頂いているのですから横柄な言い方はせずに「お願いします」と頼みなさいと言い聞かせられた。

奴婢と使女の管理はファリンで屋敷の管理はパォイェン姐姐(チェチェ)の所へ言うのですと誰が仕事の分担を世話しているかを書きとらせた。

読み書きができれば使女、駄目なら奴婢とされて給金に差がある。

 

両親が家に戻り、王李香(リーシャン)と蘇花琳(スーファリン)が新しい使女の二人にも湯殿へ入らせ、恥ずかしがるシラァンに初夜の心得を言い聞かせながら体の隅々まで香皂(シィァンヅァォ)で磨き立てた。

王(ワン)は産婆の立場から恥ずかしくとも鈴口は自分でいつも清潔を心掛けるように丁寧に洗わせ、小水の始末、月の物の始末もいい加減にしてはいけないことを教えた。

 

發硎新試(あらだめし)の夜の事は祖母から言われてはいたが「なれるしかないよ。旦那様には格格が若い時からおいでだから、無理な事は無さらないはずだよ。痛いときは正直に言えば優しくしてもらえるさ」と哥哥を慕う少女に脅すようなことを教えていた。

 

「あなたがたも、これからはシラァン娘娘の用事が済んだら炊事場の人たちに頼んで体を綺麗にするんですよ。豊紳府では旦那様も娘娘も普段贅沢は為さらないけど湯殿のお湯は切らさず用意してくださるからね」

もう一度シラァンの前で「湯殿を使うのは公主から許された働く者の義務」だと念を押した。

産婆の王さんに後の始末も教えられ、インドゥのまつ部屋へ赤い衣装に着替えて送られた。

シラァンは恥ずかしくて榻(寝台)へ座って俯いている。

インドゥが香槟酒(シャンビンジュウ)を注いで渡してくれた。

「儀式は今の状況では控えた。我慢しておくれ」

湯でほてった身体はお酒でさらに暖かくなり、部屋の寒さは気に成らなくなった。

 

シラァンが豊紳府へ四年前に来て教えられたのは冬でも暖房を焚くときは隙間風を締め切らないという事だった。

「お城は床を蒸気が通る様にしてある部屋もあるけど、ここにはそんな贅沢は許されないのよ。小さい家ならお風呂場を温めるつもりで出来るそうよ」

そんな冗談で和やかにさせてくれた。

 

「シラァンの気持ちは分かっていても口説いては迷惑だと思っていたんだよ」

インドゥ話の糸口に自分も好きだと言って気を落ち着かせた。

「本当ですか。押しかけたりしてご迷惑で有りませんでしたか」

顔を上げて見つめる目が可愛い。

「ちっとも。可愛い娘だと思っていたんだ。少しお転婆な処も好きだよ」

抱き寄せて口を寄せるとしがみつかれた。

服を脱がせて乳房が思ったより大きいので少しは安心した。

まだまだ子供と思っていたが裸の腰は張りもあり抱き心地は良さそうだ。

鈴口はまだ固く閉まっていた。

發硎新試(あらだめし)の意味は知っているか聞くと姥姥(ラァォラァォ)から一通り教わったという。

「自分で此処を触ったことは」

聞くと恥ずかしそうに「試してみようと触ったけど怖くてやめました」体に力が入ってきた。

股を固く閉じてしまった。

「初めての時は痛い事もあるし、気持ち良くないことも有るけど何度かするうちに為れるからね。痛いときは正直に言うんだ」

「はい、何事も旦那様の言う通り、為されるとおりにいたします」

ひととおりは聞いてきたようだ。

榻(寝台)へ足を上げさせて足の親指を持ちあげて脚を開かせた。

顔を見ると強張っているようだ。

胸を揉み上げると息を呑んでいるが口元に笑みがこぼれている。

「シラァン。痛みは大丈夫か」

「言われたほど痛くは有りません。哥哥ので私の中は一杯に為っていてその方が辛いです」

「初めてだからまだ合わせるのは難しいだろう、押されて痛ければ日にちを掛けて二人で覚えよう」

やめられては大変と思うのか懸命に腰を押し付けて来た。

寧寧(ニィンニン)に似て奥は浅いようだ、

躰をのけぞらして苦痛に耐えている、その顔が愛おしくてインドゥは高まりが急激にやって来るのが分かった。

「シラァンのしまりが良すぎて行ってしまう」

「来てください、来て、きて」

その声に合わせて精を送り込んだ。

わずかだが血が流れるのを手巾で拭きとった。

何が起きたかと眼を見開いて考える様子が愛らしい。

股の隙間がやけに気持ちいい。

「ああ、素股が気持ちいい。妓女はこれが上手けりゃ一人前だと昔聞いたことがある」

そう思えば思うほど気が高ぶってきて尻を押さえて両脇から締めさせた。

シラァンは上で力加減が出来ているようで、気持ちが高ぶって顔がにこやかになってきた。

喘ぎ声で「はぁ、はぁ」と息を呑んでいたが「良いです好いです」と腰を前後にゆすりだした。

「このままが言いかい。体を入れ替えるかい」

「ダオシャンミエンライ(到上面来・上になって)」

普段通りの活発なシラァンが戻ってきた。

「お願い致します。すきです。すきです。この日が来るのが夢でした。とてもいいです好いです」

シラァンも其れが判るようで「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」と何度も言って気が飛んだ。

床上手の予感がした。

寧寧(ニィンニン)を何度も思い出させるほど似ていて気持ちよさは勝るかもしれない。

熱い湯も少し冷めて丁度良い温度で体を拭き上げた。

「ハァゥ、ウゥン」

娘娘の初めての時、途中から積極的になったあの日を思い出させるシラァンの動きだ。

締めていないのに気持ちが良い、相性がいいとは此の事かとシラァンの動きに合わせて軽く腰を動かし続けた。

今度はなかなか気が行かないようで声が高くなって「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」と首をそらして耐えている。

もう一度今度は温(ぬる)い湯で絞った手巾で体を拭き上げてから抱き締めて布団をかぶった。

シラァンは不安そうに聞いた。

「初めてでもこんなに気持ちが良いなら。まだまだ気持ちよくなるんでしょうか。怖いです、途中で何もわからなくなってしまいます」

「心配いらないさ。気持ちよさも自分で限度が判れば一人前さ」

「本当ですか」

「限度を知らなきゃ浮気でもしなきゃ体が承知しなくなる。男だって本当は何人も相手をするのは辛いんだぜ」

「うそっ」

はい嘘ですよ、とは口が裂けても言えない話だ。

堅く抱きしめると乳房が固く張って気持ちが良いので「胸が苦しくないのか」そう聞くと「良い気持ちです。このもまま眠らずに抱いていて頂きたいです」と抱きしめて来た。

 

 

十一日の朝、シラァンが目覚めるとインドゥにまだ抱かれていた。

気配で目覚めたインドゥより先に起きて衣服を整えた。

顔を洗い、歯を磨いて起き上がったインドゥの着替えを手伝った。

部屋を一緒に出てシラァンが姐姐(チェチェ)の家へ行くのを見送るインドゥの眼は優しさに溢れている。

公主の元へ李香(リーシャン)と共に参上して「無事破瓜がお済に成りました」との報告も夢心地の儘で部屋へ送り届けられた。

 

その晩から夕暮れ時には小脇に本らしきものを抱えていそいそとインドゥは出て行く。

三日続いてついにシラァンはユンラァンに泣きついた、

「旦那様は私が御気に入らなかったらしいのです」

ユンラァンが笑うのでシラァンは本当に泣いてしまった。

「貴方は知らないでしょうが、来られる前から本好きのお仲間と自慢の写本の見せあいに出かけているのですよ。一昨年私も知らずに泣き暮らして姐姐(チェチェ)に笑われたのよ」

「私より本が大事なんですか」

余計涙が止まらない。

「哥哥にとって一番は娘娘の事、二番が御本で三番目以下が私たち」

「三番目は姐姐(チェチェ)じゃないのですか」

「二番目以外は哥哥にとって同じように大事にしたいと公主娘娘に常々おっしゃられていますよ。私も姐姐(チェチェ)も貴方も同じように大切にしてくださいます。だから本に焼餅を焼いては駄目ですよ」

「本の上の二番目を目指してはいけませんの」

「出過ぎるのは一番哥哥が嫌うことだと覚えてくださいね。哥哥にとって女性は娘娘の他は皆同じように親切にしたいとお考えです。格格が使女、奴婢より偉いとお考えなら考えを改めないと哥哥に嫌われてしまいますよ」

「噂ですが」

「はい、何でも聞いてね」

「哥哥には女の人が大勢いても使女、奴婢には手を付けないというのは本当ですか」

「本当よ。私を雇い人と勘違いした人もいたけど、私は王さんの助手で大水の時に公主府(元の和第)に置いていただいたのよ。いわば居候の居候かな、馬に乗れる屋敷内の者が牧場までお供に就いたので雇人と間違われたのよ」

経緯はシラァンも聞いていた、それで哥哥の傍へ居たくとも使女、奴婢には為りたくなかったのだ。

「哥哥は美人に弱いというのは」

シャンリェンに「哥哥を取られないかもう心配している」とユンラァンは可笑しさと虐めないかという心配が増えた。

「美人と言うよりあなたのように押しの強い人に弱いと聞いたわ」

其れ迄流れていた涙がいっぺんにひいたシラァンだ。

「さぁ。気が済んだら顔を洗わないと涙の後が染みに為るわよ」

まさかとは思うシラァンが顔を洗いに部屋へ戻るとインドゥが雲嵐(ユンラァン)の家へ遣ってくるのとすれ違った。

急いで洗顔していると哥哥が遣ってきた。

「いま、顔を洗ってまだお化粧もしていませんの」

「貴方には化粧は控えめにした方が引き立つよ。頼んでおいた香水が今朝になってやっと届いたから一人二本配って歩いているんだ。娘娘の好きなのは今年鈴蘭(リンラァン)だったよ」

姐姐が薔薇(チィァンウェイ)香水、雲嵐が茶花(椿・チャァファ)を選んで残りは風信子(フォンシンズ・ヒヤシンス)、紫羅蘭(ヅゥルゥオラァン・スミレ)、麝香(シゥーシィァン)、木槿(ムーチン)、芙蓉(フゥーロォン)、茉莉花(モォリィフゥア・ジャスミン)、紫丁香(ヅゥディンシィァン・リラ)。

名前が広州(グアンヂョウ)で付けられ小分けされた瓶が二十幾つかあった。

「この中から今年の香水を選ぶのですか」

「そうだ、一年は同じものを使うことに成る、来年また娘娘から順に選んで残りは使女にくじ引きだ。いつも聞こうと思っていたがシラァンが紫(ズゥ)をシィと読ませるのは何故だい」

「私も不思議なんですが。兄たちもシラァンと呼んでいたので紫の字でズゥが京城(みやこ)ぶりと知りませんでした。なんでも代々紫(ズゥ)の字を使うので昔の読みのシに代々倣ったとフゥチンが人に聞かれて話して居ました」

其の鄭紫蘭(チョンシラァン)は名前が入る紫羅蘭(ヅゥルゥオラァン・スミレ)を選んでインドゥがほっとしている。

「どうされました」

「いやね公主の所で花琳(ファリン)に茉莉花(モォリィフゥア・ジャスミン)が残ったら今年は使いたいと強請られたのさ。早速隣へ届けに行こう」

其の花琳(ファリン)から公主と格格の使女に召集が掛かった。

公主の所に十人が集まり番号の付いた十六枚の紐が箱から出ている。

年の若い人から引いてねと言われて最初が顔双蓮(イェンシャンリェン)十二歳で風信子(フォンシンズ・ヒヤシンス)を引き当てた。

最期は徐青筝(シュチィンヂィアン)十八歳、紫丁香(ヅゥディンシィァン・リラ)で残り六種十二本は公主が預かり客人へ差し上げると決まった。

花琳(ファリン)が名前と香水を控えて「次は四月に同じものを渡します」と告げた、

公主につけ過ぎて無くなっても四月までは支給しませんよと念を押された。

シラァンが見に来ていて「花琳(ファリン)姐姐(チェチェ)の所は良いのですか」と不思議そうだ。

「あの子たちは読み書きができないの、まだ使女に為れないのよ。来月試験してお手本が読み書きできれば使女にしていただけるのよ」

花琳(ファリン)の所には乳母二人と奴婢が二人雇われている、個人的ではなく豊紳府で働く花琳(ファリン)の為の必要経費だと姐姐から聞いている。

十五歳の時公主付となり以来二十八年の間仕えて来た、出が「御秘官」の女で護衛を兼ねている。

代々の娘娘の使女は体術を花琳(ファリン)から、棒を昂(アン)先生から習うのが決まりだ。

お城の使女、奴婢の「御秘官」は解散したが、娘娘の所へ優秀なものを何人か送り込もうと考えていると平儀藩(ピィンイーファン)から話が来ている。

 

蘇花琳(スーファリン)四十三歳

父四等待衛(正白旗包衣・漢族蘇州蘇氏)。

乾隆二十七年六月三日(1762723日)西宋姑娘胡同(東直門)生まれ。

乾隆三十七年-内務府選秀入宮-十一歳。

乾隆四十一年-乾隆帝の指示で二歳の公主付となる-十五歳。

乾隆四十五年三月-インドゥと公主の婚約-十九歳。

乾隆五十四年十一月二十七日(1790112日)-降嫁に伴い姑姑として豊紳府へ-二十八歳。

嘉慶二年-昂(アン)先生と婚姻(三十六歳)。

老大-昂凛(アンリン)-嘉慶四年八月十六日生まれ(三十八歳)。

次子-昂槭(アンチィー)-嘉慶八年九月三日生まれ(四十二歳)。

 

公主は門番の独り者に妻を迎える気があるかを聞いてお小屋を増やすについて蘇花琳(スーファリン)たちの家族の家を倉庫群の空地へ建てる図面をいくつか見せてどちらが良いか決めさせた。

大工は昂(アン)先生の方は力作だと図面を自慢したが四軒のお小屋が門番の物と聞いて仰天したという。

まるで小女でも一人置くのかと思えるものを公主が示したからだ。

「親子三人なら良いけど子供が増えるならもう二部屋ほしいわね」

大工も考えておきますと約束したようだ。

蘇花琳(スーファリン)は屋敷内に居たい筈だが、男の子二人も大きくなり、先行き勉学に出すか通うにしても「屋敷内からでは困る」と昂(アン)先生に泣きながら了解した。

「新しい使女は体術も拳も仕込まれているそうですの。私たちの家は新しくて住まわせるのにも良いと思うの」

今の住まいは昼間の事務と休み処として新しい女官(公主使女)の寝処にも使わせようかと公主と考慮中だという。

屋敷の警備の責任者にしたいようだ。

平儀藩(ピィンイーファン)からの「御秘官」の女官の二人を受け入れることも有り、警備に支障が起きない様に格格の使女にも拳と棒を義務化することを公主が許した。

ユンラァンは「習わせてください」と願い出て積極的に習っている。

昂(アン)先生も良い弟子が増えたと大喜びだ。

 

嘉慶帝は乾隆帝と違い「御秘官」の力を弱めようとしている。

太監は陰で動いているようだが、奴婢、宮女は新規の訓練は廃止されている。

侍衛も動きは限定的だ、緑営との結びつきは弱くなっている。

そのため優秀な子弟を侍衛へ送らない郷紳が増えてきている。

綿恩(ミェンエン)は綿寧(ミェンニィン)と侍衛の弱体化を憂いているが、あえて逆らえば政策遂行にも支障が出ると手を拱いている。

緑営の弱体化に拍車がかかったのを嘉慶帝は見逃している、和珅(ヘシェン)を犠牲にしたが官吏の賄賂政治が減った兆しは見えない。

和珅(ヘシェン)と一族への処断は反対に郷紳の不審・不信を増やしただけのようだ。

 

人口は此処十年余りで五千五百万人も増えたと言われ、耕作面積は思った以上に増えていない、葉タバコが換金作物として低地栽培が広がり、南部で米麦耕作面積の拡大が阻まれている。

来年は大掛かりに人口調査が行われるが三億三千万人と推定されているという。

これに出身地不明の者が一割を超すというものまでいるので三億五千万の民とすべきだと気が早い物もいる。

軍機大臣は慶桂、董誥、劉權之、戴衢亨、德瑛、が引き続いて任じられ、那彦成再任、英和が新任された。

成親王永瑆の後の領班軍機大臣は嘉慶四年末から慶桂が勤めていて嘉慶帝の信認は厚いが、既に六十八歳と云う老人で、嘉慶帝の意のままに動かせる木偶人形と見る者も多い。

嘉慶九年(1804年)軍機大臣

慶桂(章佳氏-尹繼善子)六十八歳。

劉權之(進士・湖南長沙)六十六歳。

戴衢亨(状元・大学士-江西省大庾縣産まれ)五十歳。

德瑛(伊爾根覚羅氏)は六十を過ぎたと言っている。

那彦成(章佳氏-阿桂孫)四十一歳

英和(索綽絡氏)三十五歳。

 

清朝でも初期に95万両だった塩課は乾隆年間には400万両となり、嘉慶年間には800万両に達し、清末~民国では関税などの新税創設によって3割程度になったが、依然として主要財源とされた。

起運・存留

 明清の財政用語。地方で徴収された田賦のうち、中央に輸送して政府の経費に充てられるものを起運、現地の経費に充てられるものを存留と呼んだ。清朝では財政難の省に対して他省から援助する場合もあり、これを協餉と呼んだ。

緑営  清

 1644年の清朝の入関以降に帰降した漢人で編成された官軍。 衛所の兵力を半減して継承したもので、緑色旗を標として主要官は旗人が占め、八旗同様に在京・在外に分けられた。 在京緑営(巡捕営)は歩軍統領に属して北京内外の保安を任とし、在外緑営(標営)は総督・巡撫・提督・総兵・将軍などの指揮下に地方を警察した。 標営は三藩の乱を機に増強され、乾隆末期まで内外征戦の殆どに主力として投入されて19世紀前期には60万に達した。 乾隆年間(173695)での戦力の著しい劣化は白蓮教の乱で内外に露呈し、太平天国の乱では軍として機能せず、郷勇・団練などが主戦力となった。

 

団練

 清代に盛んとなった自警組織の一種。郷紳層が主宰して地縁性が強く、郷村防衛を任として経費も自弁とされ、郷里を離れて官軍の一翼として活動するものは郷勇と呼ばれた。 郷紳の私利追求の一手段とされ、農民叛乱の弾圧に利用されることが多かった。

 

郷勇

 宋代の郷兵、明代の民壮。 清朝の正規軍たる八旗・緑営の乾隆年間(173695)以降の機能不全に対し、嘉慶年間(17961820)に各地の叛乱鎮圧のために団練と共に半官組織として公認された。 太平天国に対して組織された江忠源の楚勇、曽国藩の湘勇、李鴻章の淮勇、左宗棠の楚勇が代表的で、いずれも準官軍として官給を受け、太平天国鎮圧の主力として各地を転戦した。 郷紳層が幹部を構成して農民兵が主力となり、血縁・師弟・同郷などの関係を紐帯とし、基本的に郷里防衛から発祥した為に朝廷に対する忠誠心は概ね低く、軍閥割拠の先蹤となった。

 

総兵-清朝では省内の要地の鎮の緑営を指揮して提督・巡撫に属し、総兵の直轄する軍を鎮標、副将の軍を協標と呼んだが、いずれも兵数は一定しなかった。又た鎮内の要地には汛が置かれて千総が指揮した。

 

提督 :明朝では京営を監督し、概ねは太監か勲戚大臣が任じられた。清朝では重要な省に置かれ、省内の緑営を統轄する武官の最高位として位階は総督と同格とされ、巡撫が帯びる事も多かった。

 

シラァンの教育も進んできている。

豊紳府の昔は花琳(ファリン)か庭番の女将さんの鄧麗麗(ダンリィリィ)と宇笙鈴(ユゥショウリン)が教えてくれる。

二人は花琳(ファリン)より昔から此処に勤めていて、庭番のお小屋が出来て塀外へ引き移った。

塀外に家が出来ると知ったときは「移りたくない」二人抱き合って泣き叫んだと聞いた。

二人とも十一歳の乾隆五十三年に屋敷へ勤めて十六年をここで過ごして婚姻出産も屋敷内でともに経験した。

最近ようやく家に為れたと暮れにシラァンが来たとき話してくれた、その時はまさか屋敷一番の古手だとは知らなかった。

二人の子連れが夫婦で庭番に雇われ、その家族と気が合い、笙鈴は乾隆五十五年十五歳で婚姻、麗麗の方は公主の仲立ちで二十一歳の嘉慶元年に、庭番の息子と夫妻(フゥーチィー・夫婦)に為ったという。

自分たちの前に居たのはもう哥哥だけで、三日遅れて門番に来たのが叶(イエ)老爺という。 

シラァンは暇を見て漸く刺繍を始められた。

公主の頂き物を見て昨年始めたにしては仕事が手早くて仕上がりも奇麗だ。

まだ難しい柄は無理だが建物なら実物を見た人ならすぐに判別できる腕前だ。

前年の八月に母の手ほどきで初め、その後遠い親戚にあたる絹物の卸問屋の隠居に教わりに通った。

隠居の気に入りから呉れた手本は二十枚以上もあり李の縫い取りが三枚あった。

見せて貰えたもので、手の込んだものでは尺を超える布の半分を占めて錦鶏(ヂィンヂィ)が羽を岩の上で陽にさらして休んでいるものと孔雀が尾を引きずるもの、鷹が眼光鋭く睨むものがあった。

「すごい」

それ以上の言葉は出ない。

「これを買うのに四十年も前だけど一枚二十両支払ったのよ。仲介の者に一枚五両の礼金も払って三枚揃うのに半年かかったわ。夫に内緒で嫁入りの銀(かね)を使ったの。同じ人のはあと十枚あるけどそれはまだ名前の一字を入れる前の物よ」

そう言って手巾を並べて見せてくれた、見覚えのあるチァーフゥア(茶花・椿)はいい出来だった。

「良いでしょ、これの本物は後で見せて頂いたけど、同じようには出来ませんとおっしゃっていましたね。使女に為ったころの物だそうよ。お小遣い稼ぎに為るからと仕えた人から教えられたそうなの。こちらの三枚は掌事宮女に成ってからの物、名入りは年季明けの後嫁入りして子供が宿った記念に挑戦したそうなの。その話を聞いてほしくてほしくて夜も眠れないとはあの時の事だわね」

十年後に手に入れた時の物はさらに出来が良い物で見ているだけでうっとりしてしまった。

「春李(チゥンリ)様や春杏(チゥンシィン)様の仲介していた人によると名前入りでなら高く引き取りますと持ち掛けて手数料を稼いだ人が出たそうよ。名入りは段々と手が届かない値段に成ってね、諦めて自分で刺繍を始めたの」

それを聞いていたので「インドゥのお役に立てるのなら刺繍で稼げそうだ」などと娘らしく思いこんだようだ。

 

刺繍をしているのをインドゥが見て娘娘の所へ連れて行った。

「鳥は上手ではない様だが、寺に廟、城門はいい出来だ。誰かつけて回らせてくれないか。あの使女二人では心もとない」

「良いですわ頼んでおきます」

昂(アン)先生では厳ついお兄いさんでも護衛に呼びかねない。

書斎で探して和国から来た雉図と赤の錦鶏(ヂィンヂィ)図、南京で手に入れた黄金の錦鶏(ヂィンヂィ)図をシラァンへいつか自信が出来たら刺繍してくれと預けた。

 

五日置いて十九日に漸くインドゥがシラァンの部屋で榻(寝台)へ誘った。

どういうことか指で探ると鈴口が閉まっていて開かない。

「どうした気が乗らないのか」

「そうではありません。哥哥の足が遠のいたので娘が哥哥を忘れたんです」

「こいつめ、何処でそんな言葉覚えた」

家の住まいは番頭、手代たちとは塀で仕切られていたが、聞かれていないと思うのか番頭たちの女自慢で耳学問したという。

乳房を揉んでいると薄桃色に頬が染まった。

シラァンは懸命に耐えているが我慢しきれずに「ウフウフッ」と声が漏れだした。

腰の手を脚へ添えて肩へ担ぐとシラァンの顔が驚いている。

圧し掛かるときついながらも奥へ入りだした。

「ああ、痛い」

その声で動きを止めて「抜いてほしいのかい」とわざと聞いた。

「押された一瞬の事で、もう大丈夫です」

「良い顔に為ったよ。気持ちが良くなってきたかい」

「はい、娘も哥哥を思い出したようです」

ぬるっと奥を突いたので腰を前後にゆすると声が艶めかしくなる。

「うふっ、うぅん、うふっ、うぅん」

どうやらそれがシラァンの善がる前の声のようだ、まだ声で男を喜ばせるこつは掴めない。

脚を降ろしてやると腰へ右足を絡げて「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、好きです)」と腰を押し付けてくる。

漸く動きがあって来てインドゥも気持ちが高ぶってきた。

「ウォージェンダアイニー(本当に愛しているよ)」

その声が耳に届いたように「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」と首が仰け反ってきた。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

他の女と同じくその声はインドゥの高まりを呼び寄せる。

まるで先生に習ったように皆が同じ言葉だと思うとまだ我慢できた。

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

シラァンの顔は喜びにあふれてインドゥの精を受けている。

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)。もう我慢の限界だったよ」

夢心地のシラァンの手がインドゥを求めている。

胡座をかいて其処へシラァンを抱き寄せて口づけをすると普段のシラァンが戻ってきた。

「好きです哥哥。とても夢とは思えません」

「しっかりしなさい。夢じゃないよ」

瞬く間の夢の中でもインドゥに抱かれていたようだ。

「教えてください」

「なに」

「私抱かれているだけでも十分満足できそうです。疲れているときでも抱くだけで良いのです。嫌わないで一緒に寝てください」

「添い寝。で好いのかい」

「はい。其れとも男の人はそれだけでは我慢できないのですか」

「いやらしい」

「これこれ」

「うふっ」

やはり小娘だ、無駄口でもこうして話して居れば心地よいようだ。

 

 

公主の所へ広州(グアンヂョウ)の梁緋衣(リャンフェイイー)から手紙と去年八月の繁苑(ハンユアン)酒店の画が送られてきた。

塀が有ると観難いので無しにした画だそうだ。

広州-繁苑(ハンユアン)酒店-4-9-01-1804

手紙には王神医へ礼状を送った事も書かれている。

子供が走っても拳の稽古に通っても息切れしなくなったとある。

四川料理の人気が高く今までの料理人の弟子が来てくれたので住まいの場所へ店を新築して、自分たちは姉の土地へ住まいを新築したことが書かれていた。

「まぁ、慌て者は直っていないわ。姉の土地にはと書いてあるけど場所はないわね。四人姐姐(チェチェ)がいたはずよ」

「東隣は一番上で呉運宣(ンインシュアン)の父母(フゥムゥ)だったな。フェイイーの父母(フゥムゥ)の頃から女中の住まいが有るそうだから、そこじゃないだろうか。あとの三人は知らないな」

呉運宣は雷稗行(レェイヴァィシン)を弟の呉儲賢(チューシィエン)と経営している。

緋衣(フェイイー)の老大の梁成明(リャンリァンミィン)は十一歳に為るはずだ。

追記のように書いてきたのは、四川料理人が連れてくる職人の為の住居を造るため家族会議まで開いて庭を潰したとある。

フェイイーの思い出話をしていて二人とも初めてなのに發硎新試(あらだめし)は上手く出来たのかと聞かれた。

和国の絵本でこういう事をするのだとは教えられて居た上、差し込むのは濡れて来るまで時間を掛けるんだと従弟に教えられたのも役に立った。

そう言うとさもおかし気に笑うのだった。

「それで私の時も、時間を掛けて擦っていたのね」

「気持ち良くなかったの」

「それどこじゃ無かったの。大婚の日は決まっているし、七日ほど前に遅れていた月の物が来てどうにか三日前に痛みも無くなって、お断りしなくても済みそうと安心していたの」

「積極的で驚いたんだけど。誰かから教えて貰っていたの」

「あの日の事は鮮明に覚えているのよ。こんなこと言うのは初めてだけどニィン(您・貴方)は武芸が駄目で評判悪かったのよ。それでこんな人と夫妻(フゥーチィー・夫婦)の契りを結ぶのと毎日ふさいでいたの。部屋で布を上げられた時不思議とニィンが好ましく思えたの。そうしたら教えられた以上に和毛を優しく触られ、乳首を摘ままれたので教えられたように脚を広げたのよ。そうしたら優しく中へ入れられて。ああ、もう駄目」

口づけをせがんで悶える公主だ。

「覚えているんだろ。言えよ」少し強く出た。

「だって自分じゃないみたいだったの。馬を奔らせて気持ちが高ぶったとき以上に興奮したわ」

そうか乗馬で性の芽生えを覚えたせいかと今更のように納得した。

抱きしめて胸を探られるだけで公主は気が行くようだ。

「いつも月の物が終わると何故だかニィンが欲しくなって困ったわ。そうしたら二人を嫁に出してくださって、それで余計ニィンが好きに為ったのよ。でも興奮しすぎて自分じゃないくらい激しくなって困ったわ」

「困ることないさ。いつでもシィアあなたが一番だよ」

「うふっ、本当かしら」

「勿論さ」

「シラァンにもそう言って上げた」

「活発だと言っても貴方とは比べ物に成らないよ。まだ気持ちよく気が行くのと違う気を飛ばすには驚いたがね」

「良く分からないわ」

「気が遠くはなるんだが、気持ち良くてではなくて眠りに落ちるような塩梅らしい」

最初の高まりは同時にきた。

「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」

脚を踏ん張って腰を押し付けて動きに合わせてくる。

何処にそんな力がと言うほど動きが激しい。

「行くぞ、行くぞ」

「グオライ、グオライ、グオライ(来・来て)」

精を受けて「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)といつもの様に落ちて行った。

身体を拭いてあげると薄眼を開けてみている。

「来て」

そう言って手を差し伸べて来た。

上に成って抱きしめると「幸せよ。フォンシャン(皇上)が罷免してくださればこそこうしていられるわ」と脚を絡げて来た。

「うまく利用されたかも」

「本当になると嫌だわ」

「軍機処でまだ俺や宜綿(イーミェン)は銀(かね)を持って居るから吐き出させろと声が上がれば、何処(どこか)で調べ物してこいとでも派遣する気じゃないだろうか」

二人はその時にシラァンとユンラァンが困らない様にどうするか話しながら眠りについた。

龍雲嵐(ロンユンラァン)が二十歳、鄭紫蘭(チョンシラァン)はまだ十五歳だ。

 

 

結と「御秘官」

元々は倭寇と恐れられた集団に対抗する勢力で、倭国にも片足を掛け、密輸によって得た利で倭国の戦国の世には最新式の火縄銃を造り、特に毛利、伊達にそれを売りつける事をしていた。

倭寇をまねる略奪集団は徹底的につぶし、寧波(ニンポー)を中心に漁民小商人と代々交流して塩業で築き上げた組織だ。

元の支配の時に蒙古、満州の一部と婚姻によって「御秘官」の組織は長江周辺から関外へ広がっていった。

結の組織全体が納める塩税は昨年百五十万両を越した。

 

先祖は安徳天皇-言仁と秘文に伝わる。

平氏滅亡と言われながらなぜに頼朝が津々浦々まで平氏の残党狩り、義経の追討をもくろんだかと言えば梶原の情報網が齎(もたら)した奥州藤原氏の金、平氏の宋貿易で築いた財産と西国の隠し銀山と金山。

あるはずの物が十分の一も見つけられない焦りだ。

確かに奥州征伐時に頼朝には驚くほどの財宝が手に入ったが、梶原の言うほどではなかったのだ。

流罪のはずの平時忠が無いはずの金で豪奢な流人生活。

死罪にしないのは安徳帝の行方、金銀財宝をどこに隠匿したか判らないためだ。

 

和信の資金は昔の奥州・蝦夷地の金、偽倭寇から分捕った戦利品、和珅(ヘシェン)の銀(かね)を含めて「御秘官」の組織が隠匿した五千万両の銀と和国の金貨にして百万両相当の金塊。

「御秘官」の一部が明の時代には大きな組織になっていた結社が、長江流域にため込んだ五千万両の銀。

平氏の擁した安徳帝、義経と奥州藤原氏の資金これが元手に為り、塩業で一族を支えた。

この銀(かね)は商売の資金としても貸し付けられ、「結」とも呼ばれる結社が運営した。

一員となる資格ありと見れば十人の「結」がそれぞれ千両の銀(かね)を供出して運営はその者に任せた。

平儀藩(ピィンイーファン)、平文炳(ピィンウェンピン)の曽祖父、平成清(ピィンチァンチィン)の時アムフラン・ハーン(康熙帝)と手を結んだ。

時に康熙十四年二月二日(1675226日)玄燁(康熙帝)二十二歳、平成清三十歳であった。

長江(チァンジァン)を呉三桂軍に抑えられ結の存続は危うくなり、清と手を結ぼうと一族が団結した。

結は蘇州(スーヂョウ)陳氏一族を引き入れ、漢人の強力な銃装備の部隊を各地へ送りだした。

資金力に優れた結は郷勇に武器を与え、六月陝西が鎮圧された。

漕幇(ツァォパァ)が結と協力関係を結んだのは長江・運河を共有の生活の場とする自然の流だった。

康熙帝は結の連絡官に「御秘官」の名を与えて塩業の庇護に、密輸による資金を郷紳への武器、人員の補填へ使うことで黙認し、寧波(ニンポー)を拠点にする許可状を与えた。

玄燁(康熙帝)は湖南、江南、広東、広西、福建を取られ故地へ引き戻るより、漢人の郷紳と手を結ぶ道を選んだ。

結は和国も徳川氏の政権が落ち着き、貿易の利が望み薄となり清と共存の道を選んだ。

平文炳の時代に為って、二十人に一人くらいだが女がその資格ありと認められている、年齢は十歳から七十歳までの加入と緩やかだ。

 

 

公主は屋敷に人が増えて姐姐と花琳(ファリン)の下で奴婢を掌事する姑姑を二人選ぶことに苦労している。

「いい人が居れば呼び戻すのはどうだい」

「誰か心当たりでも有りますの」

「夢月が子連れでこの間来たでしょ、莱玲(ラァイリ)と気が合いそうな子じゃないか」

「子連れでも良いのですか」

「子連れの方が若い娘も懐きやすそうだ。莱玲(ラァイリ)の相手も女の子が欲しいしね」

夢月(モンュエ)の夫は水害時に救援活動で事故死していて実家に戻っている、生活は楽では無さそうだと夢麗(モンリー)が話して居た。

「もう一人は奴婢で好い娘が居るのですが字が下手で」

「貴方から見たらだれでもそうなりますよ。花琳(ファリン)が了承すれば引き上げてやれませんか」

「実は」

そう言いながら図面を出して北西のあきの有る場所に建てる予定の図面を出してきた。

「これ、もう届を出してあるとでも」

笑乍ら「まだほかにもありますわよ」と出そうとする。

「今回はこの位にしてくださいよ。此処は花畑がないからいいですが」

まるで格格以上の待遇になりそうだ。

杏母さんとでも云う意味なのか姚杏娘(ヤオシィンニャン)は気が強く花琳(ファリン)も勤めた当時は手を焼いていたが、真面目さが公主の気に入り、最近は屋敷内では門番達さえ一目置いている。

確か十八に為ったはずだ。

そう言うと「まだ十七歳ですよ。夢月(モンュエ)を呼んで承諾したらその時シィンニャンにも言いましょうね」と話がまとまり、姐姐と花琳(ファリン)を呼んでどちらの下で働かせるか相談した。

「奴婢掌事女は断然シィンニャンよ」

「姐姐。二人とも奴婢掌事女なのよ。使女に戻って貰う訳じゃないのよ」

姐姐も其れならと「夢月(モンュエ)は営繕の方が適正なので私の方で預かるわ良いでしょ」と花琳(ファリン)の了解を求めた。

「そうしてください。あの娘なら莱玲(ラァイリ)様をあやしながら自分の子育ても出来るから来てくれると思うわ」

「乳母が焼餅焼かないかしら」

「そうしたらリェンイェンの面倒も乳母に預けましょう。二人の先生も探すようだね。ラァイリはもう正式に習う必要な年だしね」

インドゥ少しは当主らしく娘の先生探しも姐姐に言いつけた。

 

二月に入ると嘉慶帝はインドゥと宜綿(イーミェン)を呼び出した。

二人は「まただぜ」と言う顔で養心殿へ向かった。

一昨年ギキン(吉慶・覚羅氏)の疑惑の裏を取れと隠密行動で回された苦い経験がよみがえった。

何組も探索の手は伸びていて戻る前に処分は決まっていた。

杭州(ハンヂョウ)迄運河で下り静養を装って広州(グアンヂョウ)へ出て様子を探れという。

「阿片の抜け道を探せ」

云うほど簡単でないことは承知での無理強いだ、また別行動の者が篭絡されない様に二人に密命が降りたらしいと噂も流されるのだろう、隠密行動と言うよりも目晦ましだ。

戻りは手慣れた福州から九江(ジョウジァン)、南京(ナンジン)を巡れという。

南京の陳大文の病気が心配だから王神医に蔡太医を連れて行けと言う。

「静養に付転地療養と保養に努めよ。特別に医師の帯同を許す」

嘉慶九年二月一日より十二月一日迄としてある、良く分からぬ許可状だ。

もう一通「宴席許可状」が二人の名で別々に用意されている。

前に二手に分かれたのを報告が上がっているせいだ。

「酒が入れば口の軽いのが男の常だ」

そんなことまで言ってフォンシャン(皇上)は自分で笑っている。

 

阿片は八百五十斤の大箱で入って来るという。

噂では三千箱分が小分けにして各地へ送られているという。

亜米利加、西班牙は銀が豊富で輸入品との交換に困らないが、今の英吉利は茶に絹製品などの輸入で破綻しそうだという。

「持って帰れば利が出るんだろ。なぜ破綻するというんだ。理屈が判らんよ。阿片と言う厄介者に手を出す意味が分からん」

「儲けしか頭にない奴らに理屈は通じんな」

英吉利は工業国へ変身の途次に就いたばかりだ、輸出できるものと言えば紡績機で織られる毛織物位だ、勢い植民地で阿片をつくろうという勢力が強くなっている。

景徳鎮の磁器の儲けもばかにできないはずだ、いまだ乾隆年製銘を入れさせているという。

両広総督はウェシブ(倭什布)が任命されている。

ギキン(吉慶・覚羅氏)が有罪判決を得て嘉慶七年十二月二日(18021217日)自殺、チャンリン(長麟)が任命されたがフトウリ(瑚図礼完顏氏)が代理総督を務め嘉慶八年一月四日(1803126日)にウェシブ(倭什布)が赴任した。

山西巡撫から湖広総督を歴任してきている能吏だ。

 

 

しわい嘉慶帝にしては珍しく四人で銀票二千両を下げ渡した。

インドゥの懐がこの四年で寂しくなっているのが判っているようだ。

おまけに大水で傷んだ建物の大修理だ、大工の急ぎの仕事が一段落してようやく順番が来て、秋には半分ほどが出来上がった。

フォンシャン(皇上)は公主に出してもらうだろうとたかをくくっていると感じた。

公主を含め出費は増え続けている、福恩に残すためにと積立も孜漢(ズハァン)に頼んでしているという。

インドゥの気楽な分、公主と姐姐(チェチェ)に花琳(ファリン)の三人は除ける銀(かね)と使える銀(かね)を、孜漢(ズハァン)と與仁(イーレン)が相談を受けて工面している。

幸い固倫公主(グルニグンジョ)としての体面を保つのに今のところ困ることもない。

豊紳府だけなら年千両で十分賄えるが公主府(元の和第)の維持費は膨大だ。

いまだに降嫁したときの三十万両の銀(かね)があるはずだと実しやかに伝えられている。

インドゥを含めて年三千両で収めようと公主が率先して倹約しても、不足分が出るので公主府(元の和第)の会計を任されている女たちは被服費に使い過ぎない様に遣り繰りしているようだ。

劉全の帳簿は押収されて行方不明だ「借りても返さずに済んだ」と笑う奴も多くいたはずだ、公主の銀(かね)と云ってもその帳場が出てこないと戻ることは無理だと裁定が出ている。

和第に保管してあった公主の分も押収の時ごったにされて取り返すことが出来ない。

世間では和珅(ヘシェン)の銀(かね)と劉全の銀(かね)は嘉慶帝の懐を豊かにしたというが、国庫は大水害の救済と河川の工事費での出費に税の軽減で底を着きかけている。

和第の時の半分給与支給されていない者もいる、受け継ぐとき豊紳府並み、もしくは一年分の一時金で解雇と告げざるを得なかった。

其の金額ならと慶郡王も雇ってくれるという、一時金を貰って慶郡王府へと考える者もいた様だが、その手は食わないと門前払いされた。

三月ごとに二十六人の客を呼ぶのに、インドゥが経費を別予算でとしたので浮が出るようになった。

一回二百両、年八百両は公主の面子が保てるぎりぎりだ。

毎回名簿を出して裁可を仰ぐのは五年続いている、前は名簿迄とは言われなかった。

慶郡王が養母の穎貴太妃(イングイタァイフェイ)の七十歳の誕生祝いを嘉慶五年一月に、無断で行おうとして叱責され、それからはインドゥ達に習って裁可を受けて宴席を開くことが通例だ。

親王は叱責で済んでも臣下が行えば良くて解任となる。

インドゥは乾隆帝の時代も同じように宴席を開くとき、呼ばれる時、注意して届けを内務府へ出して居たので苦にも為らない手続きだ。

翠凛(ツゥィリン)も、もう三十二歳だ、晋播(シィンボォ)だって三十八歳、佳麗(ヂィアリィー)は四十歳に成ってしまったと嘆いている。

皆、老爺(ラォイエ)の格格として和第に居た者たちだ、インドゥはそれぞれに使女二人をつけて世話を見させている。

 

閩浙(ミンジゥー)総督(福建・浙江の総督)のユデ(玉徳)は相変わらず海賊退治に専念させられて多忙だ。

手足の福建巡撫汪志伊(ゥアンヂィイー)は江蘇巡撫へ転任したが福建布政使李殿圖(リーディェントゥ)が安徽巡撫をふた月務めて福建巡撫となっている。

六十七歳の巡撫に六十八歳の総督には大変な負担だ。

福建布政使の後釜には甘肅按察使姜開陽が赴任してきた。

 

嘉慶七年は早回りで與仁(イーレン)と三人で一回りしたが、昨年はお役で出られず、與仁(イーレン)は昂(アン)先生へ同行してもらうつもりが宜綿(イーミェン)迄行くことに成っての三人旅だった。

與仁(イーレン)は忙しくなって南京へ一人派遣して支店を作り上げた。

公主にその報告をしていて「月いくら払うの」と下世話なことまで聞かれている。

「表通りでなくていいので月二十五両で借り受けました。買うよりだいぶ得な値段でした」

「エッ、二十五両で安いの」

「新しく建物を建てるというので事務所と独り者が寝泊まりできるものと云ったら、朝晩の食事付きで引き受けてくれました。事務所抜きでも五百銭は一日かかります」

「それで十五両で、事務所が十両なのね」

「そうなんですがね。風呂場も厠所(ツゥースゥオ)も贅沢に一人で使えます。うちの奴など図面を見て贅沢だと呆れていました」

「じゃ、掃除や食事も全部引き受けて貰えたのね」

手代の雷祥鳳(レイシァンファン)と名前はめでたいが無骨な男だ。

「独り者には極楽ですよ。メェィリィーめ私にそれだけ出してごらんと強気です」

「面倒見てあげると言われたの」

「親子三人面倒見ているんだから七十五両だなんて可笑しな計算までして困ります」

「それでいくらでやりくりしているの」

「エェエッ。聞くんですかぁ」

「聞きたいわ」

「月四十両で子供の積み立てもしろと云うのが気に入らんようです」

「もう少し出すようね」

「聞かれたらあいつ本気にしますぜ。三人目が出来たら五十だと逃げているんですぜ。メェィリィーに焚きつけないでくださいよ」

散々おもちゃにされている。

「金陵烏衣巷の傍というのは本当なの」

「歩いて二百歩も有りませんよ」

劉禹錫「烏衣巷(ウーイーハァン)」の詩で名は聞くが、與仁(イーレン)には唯の有名な邸跡位で感激はない。

 

朱雀橋辺 野草花 烏衣巷口夕阳斜

朱雀橋邊 野草の花

烏衣巷口 夕陽斜めなり

旧時王謝堂前燕 飛入尋常百姓家

旧時王謝(王氏・謝氏) 堂前の燕

飛んで尋常 

百姓(ひゃくせい)の家に入る

 

福州(フーヂョウ)は紅花(ホンファ)が代理店、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)は星星(シィンシィン)が遣り手で任せておいて心配はない。

さて今年はどうしますかと正月に相談を受けたばかりだ。

「いくらお役御免でも簡単に出歩けないのは前の通りだ。三人で今年も行って来いよ」

日程は二月五日から五月いっぱいと昂(アン)先生と話していたばかりだ。

 

養心殿から戻り與仁(イーレン)の店に人を集めて日程と予算の相談だ。

「阿片の抜け道が判るくらいなら簡単なお役目だが、無理を承知で押し付けてきたようだ」

「フォンシャン(皇上)の面子がたてば良いのですがね」

ウェシブ(倭什布・瓜爾佳氏)の報告の遅れに業を煮やして居る様だ。

賄賂を取れば弾劾、取らずに阿片の取り締まりを強化すれば回り回って誣告とやりにくい役目だ。

「哥哥に背負わせてやっぱり駄目かとお役へ戻すのを引き延ばす算段じゃ」

「隠密行動と云っても噂は直ぐ広がるさ」

「女遊びにうつつを抜かす手はどうです」

「抜かさなくても女が寄って来るさ。此のやせのどこがいいのか。また格格は向こうからの押しかけだ」

宜綿(イーミェン)はシラァンを子供の頃から知っているので、親子で公主へ直談判の押しかけ格格にあきれていた。

與仁(イーレン)は権孜(グォンヅゥ)と「銀(かね)の方はお任せ下さい」と心強い事を言ってくれた。

孜漢(ズハァン)が一人連れていって呉れと言う。

広州(グアンヂョウ)まで付いてきたことがある周甫箭(チョウフージァン)、もう二十三歳だという。

伊太利菓子の周徳海(チョウダハァイ)とは広州(グアンヂョウ)以来仲は良い。

今年独立させるためにも哥哥と與仁(イーレン)の眼で確かめて結へ参加させてほしいという。

景延(チンイェン)は店の中核で外に出せないという「娘がいれば一緒にさせて継がせるんですが。全部出払って」なんて言っている。

あんなのんびり屋のどこを見込んだのだろう、時計と砂時計で蘇州へ年二回派遣されるくらいで目立つところは無さそうだ。

「屋敷に顔を見せないが、拳稟(チュアンピン)は今どうしてる」

「先々月婿に取られました。今頃邯鄲で昼寝でもしていまさぁ」

ずいぶん遠くに取られたもんだ、それで甫箭(フージァン)となったようだ。

「いまいち不安でも」

独立させようという割に一行に値定めの依頼とは。

「女の噂が有りません」

「堅いなら良いじゃねえか」

「万一若衆好きだと後が厄介です」

俺たちにその気(け)はないぜと宜綿(イーミェン)に言われて皆で大笑いだ。

相公(シヤンコン)にのぼせるのは妓女遊びより質(たち)が悪いと思われている。

使いを出して甫箭(フージァン)を呼び出した、来るまでにおおよその日程がたった。

鎮江(チェンジァン)で與仁(イーレン)、昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)の三人が南京へ、船があれば雇って先へ回り、無錫(ウーシー)、蘇州(スーヂョウ)で残りの者が刻を潰していることにした。

「五日もあれば蘇州で合流できます」

昂(アン)先生も無錫(ウーシー)、蘇州(スーヂョウ)は飽きているようだが行けば宴席の誘いが絶えない。

 

 

冬だというのに日差しが強(きつ)く大汗かいて使いに出した番頭とやってきた。

「急ぐなと言うのに大分急かされました」

興藍行(イーラァンシィン)の番頭の郭(グオ)が音を上げている。

「旅ですか」と嬉しそうだ。

「お前の嫁の相談だ」

「エエッ、そいつは御勘弁を」

やっぱり若衆好きかと心配したが「実は約束した相手ともめていて」と打ち明けて来た。

どうやら軽口を本気に取ったようだ。

「どこの誰だ」

取灯胡同の阮菜店の富富です」

「なんだぁ、まだ子供だぞ」

「あれでもう十六です」

孜漢(ズハァン)も驚いている。

「俺たちが子供だと思い込んでいたせいか。もうそんな年頃だったか」

「何でもめている」と日程はおおよそ決まったので、甫箭(フージァン)の嫁取りの冗談が本気になってしまった。

「婿に来いと親父が煩いので困っています」

「料理人は嫌か」

「ひとを使うならともかく自分でやるのは苦手です」

店も近いし、手代に小僧をよく連れて行っていると孜漢(ズハァン)は知っていたが、目当てがフゥフゥだったとは気が付かなかったという。

菜店(ルァンピィンツァイディン)の看板娘の阮富富(ルァンフゥフゥ)に目を付けるとは中々の者だと孜漢(ズハァン)も安心している。

あの場所前門から続く妓楼の多い街で、妓楼へ揚がり、遊び歩けば話の筒抜けは眼に見えている。

手代小僧の口からきかされたりすれば富富も黙っちゃいないだろう。

界峰興は蔡家胡同、安聘(アンピン)菜館-朱家胡同。

老椴盃「ラォダンペィ」も朱家胡同。

火神廟を真ん中にして一回りしても四半刻もあれば回り切れる範囲だ。

孜漢(ズハァン)が店へ戻る途中で菜店によって婚約させると話し合った。こうなりゃ甫箭(フージァン)の意見など聞くものは居ない。

甫箭(フージァン)の方も相手が悪いと任せる気になってしまった。

「供に五月(いつつき)は留守だと富富に納得させるのはお前の役目だ。菜店を継がずにお前が運営を任されたと言ってやるから戻ったら婚姻だ」

菜店で親父には孜漢(ズハァン)が、富富を裏で口説いたのはフージァンで、戻った娘はもう甫箭(フージァン)の嫁気取りだ。

口でも吸われたなと親父もあきらめ顔だ。

 

公主へ報告したら姐姐(チェチェ)と二人で「フォンシャン(皇上)の呼び出しは何時もの事、そんな事だと思った」とあきらめ顔だ。

ユンラァンにシラァンも二人から言い聞かされていたようで、それほど騒ぎはしないので安心した。

 

シラァンの所でもう一人雇う訳にいかないでしょうかと公主がインドゥに相談した。

「どうしたのだい。今の子が気に入らないのかね」

「そうでなくて潘玲が料理人候補に良い娘が居ると教えてくれたんですよ」

「なら花琳(ファリン)の係で好いだろうに」

「それがね。眇(すがめ)で右の眼が良く見えないそうなの」

「料理人がそれでは困るだろうに」

「それで湯老媼の所でも周旋に困るそうなのよ。本人は意固地で料理人以外は行きたくないと仕事にあぶれるそうなの」

「なんか変だね。シィアが押しているとは」

「花琳(ファリン)の所が出来たらそこの調理室を任せる人も必要でしょ」

「花琳(ファリン)の希望は」

「朝の粥が上手に炊けるなら後は勉強させれば追々に何とかさせます」

「ではその子を孜漢(ズハァン)に頼んで安聘(アンピン)菜館の峰(フェン)に三月仕込ませよう。長くいさせればいいというものでもないから」

桑小鈴(サンシャオリン)十五歳だというので昂(アン)先生と潘玲が南城北五老胡同の周旋所へ出向いて話をつけ蔡家胡同の界峰興で経緯を話、連れ立って朱家胡同安聘菜館で住み込みにさせた。

シャオリンの給与は豊紳府持ちで食事と住むところに衣服は孜漢(ズハァン)が持った。

花琳(ファリン)が渡した銀(かね)で周旋所の借銭を整理し、三月分に上乗せして五両の銀(かね)をシャオリンに渡した。

昂(アン)先生は不安だが、花琳(ファリン)は自分の所の雇人にする気のようだ。

「私が三月でいっぱしの料理人にしろと哥哥が言うのかい」

「いや、それ以上修業させるときりがないからな。粥が炊けるようにさせてくれと云うのだよ」

「一番難しい仕込みじゃないか」

「毎日違う粥を教えたらどうだ」

孜漢(ズハァン)が揶揄った。

「旦那も難しい事ばかり言うね。哥哥といい勝負だ」

眇の事も峰(フェン)や店の者に話し、シャオリンには「三月経ったら儂の家の朝は任せるから頼んだぜ。儂は留守に為るが潘玲に誰かつけて迎えに来させるから」と料理長の峰(フェン)に押し付けて戻った。

 

 

翌二日に関元(グァンユアン)と康演(クアンイェン)が親子で遣ってきた。

與仁(イーレン)と茶の運糟費の相談をして来たという。

信(シィン)が来るのも今日でそれに合わせて出てきたはずだ。

信(シィン)は天気の都合で一日遅れたという。

康演(クアンイェン)は平大人から信(シィン)の事も含めて委任されたという。

「なにね老爺(ラォイエ)は腹下しで十斤も痩せたと騒いでいます。大袈裟なだけでせいぜい一斤程度です。漸く本復したんですがね医者に留められておおむくれですよ」

「蘇州で大人しくしているのか」

「そうです。孫みたいな娘と日向ぼっこです」

親子で悪口を云うのも大人の事を気にかけている証拠だ。

「結と漕幇(ツァォパァ)の会合で、沿岸、外洋航路の海賊に通行料を支払うより闘おうと決まりましてね。両江総督はじめ両広総督、閩浙(ミンジゥー)総督へそれぞれ大船を一艘ずつ贈呈と戦費に五千両ずつ献納の裁可を頂きに来ました」

「全部でいくら出せるんだ」

「三年で三十万両に為ります。大砲を積める船を欲しいと汪志伊(ゥアンヂィイ)様のご要望で」

「なんだそんなもんじゃ福州ジャンク程度か」

福州戎克(ジャンク)は土地では大民船だが五万両出せば五千石積み程度が十艘建造できて銃器も装備できる。

「マニラガレオンはこいつが二艘手に入れましたが。沿岸には持ってこれません。船長は英吉利人(イタリア人・ヴェネチアとの噂)で乗り組みの水夫は寄せ集めで和国の銭五が協力しています」

「どっちも時代遅れか」

ガレオン以上の船は売ってくれる国が見つからないという。

これが乾隆帝なら銀(かね)の都合が付けば海賊を叩き潰せと言うだろう。

三百石程度の中型船なら速度もでるが大きく成れば操船にも熟練度が物を言う。

「国の財政は赤字続きですから、国庫からの援助は無理でしょう」

郷紳に漕幇(ツァォパァ)達も大分と海賊に貢がされていて、海賊憎しの機運は高くなっている。

「百万両までは俺が裁可したと有力者に伝えて護送船を何艘か天津(ティェンジン)で作らせて、船団を組んで運糟をしたらどうだ」

「それを言うのは若い血の気の多い連中で哥哥の言葉で弾みが付きます」

「平大人は慎重派かよ」

「いえいえ、通行料なんぞ海賊に払えるかの急先鋒で。総督府が許す限りの銃器、武器を積ませろと言っています」

平関元(グァンユアン)は「結と御秘官の銀(かね)が出るなら運糟費の上乗せは結と漕幇(ツァォパァ)はしなくて済みます」と煽っている。

寧波(ニンポー)への許し状は特殊文字で二人と一緒に書き上げて手形を押した。

これで沿岸地域の銀(かね)が動かせる、まだ満蒙からかき集めるほどでもない。

「火縄銃より弩(ヌゥ)の方が威力は有りそうだな」

「海賊を畏れて船を売るというのからまず買い上げてしまいましょう。弩(ヌゥ)なら特別な腕も要りませんから積めるかどうかお伺いをしてみます」

そうすりゃ海賊と戦うという水夫は集まると見ているようだ。

火縄銃では大砲より厄介だ。

「いい処に二人は来たものだ。三.四日遅けりゃ行き違いだぜ」

「お出かけですか」

「例のお役さ、運河で杭州(ハンヂョウ)へ出て広州(グアンヂョウ)迄行かされるんだ。王神医も同行と決まったから、大人(たいじん)も大人(おとな)しく蘇州に居れば診察もしてもらえる。おれと同じ薬酒でも飲ませるか」

二人も王神医の言う事なら大人しく聞くだろうと安心したようだ。

四日に和信(ヘシィン)と共に出るという「俺の方は五日の予定だが、まだ船が見つからない。七日なら空きが有ると與仁(イーレン)の報告だ。のんびり行けと言われたがそうなりそうだぜ」と愚痴った。

余姚(ユィヤオ)へ関元(グァンユアン)も久しぶりに子供たちの顔を見に和信のお供で行くという。

「そういえば大分遅いようだけど」

「実は今朝フォンシャン(皇上)から使いが来ましてね、道順を指定されました。刻も指示されましたので平儀藩(ピィンイーファン)が侍衛を引き連れてお供に」

「フォンシャン(皇上)らしい事。あらかじめ教えると邪魔でも入ると考えすぎた様ね」

「いえいえ、そのくらい用心しませんと、教徒の残党も入り込んで居たりしてはまずいですから」

「今年は龍抬頭の祭りの船行列もわたしたちはやめにしたし、暮れの状態では来ない様に言おうと思っていたのよ」

船着き門にお着きに成りましたと花琳(ファリン)が来て扉を開けると正門で門番が内門を開いている。

儀藩(イーファン)が案内して信(シィン)がにこやかに歩いてきた。

父親に似て来たと公主もにこやかに出迎えた。

部屋で立派にインドゥと公主に挨拶をした、十一歳の晴れ姿だ。

「フォンシャン(皇上)は光禄寺の門内から私に声を掛けられました。信(シィン)様にもどこから来られたと声を掛けて頂きました。それは其れは、御立派に、離れて暮らしているフゥチンとウーニャンへのご機嫌伺いに参りますとご挨拶を返されました。お別れもご立派な態度で物怖じもなくお別れいたしました」

晏寧も後ろに控えていたのだがイーファンは口止めをされている。

やはり気にはなっていたようで自分の目で見ておこうと親子で出たようだ。

東華門を開けさせてお出に為ったようだ、お付きは晏寧が皇太子と宣言されたと同じと思った。

父母との久方ぶりの挨拶も、平儀藩(ピィンイーファン)の報告も済んだ。「フォンシャン(皇上)とは船着きの門を入ってから教えられましたので、儀藩大人のお知り合いの様子が良い大家の御主人と思って居ました」

民の服にわざわざ着替えて見守ったようだ。

知らないから通り一遍の目上の方への言葉使いで済ませてしまいましたという。

「まるで迷路のように右へ左へと歩くので、先導された侍衛の方が迷ったのかと疑いました」

今年も楊梅(ヤンメイ)の白酒漬がお土産だ。

座を改め「父母(フゥムゥ)にお願いがあります」と跪いた。

「なんでも聞くわ」

公主は初めてのお願いに我を忘れて喜んで即答した。

「実は私たちの所へ、近い年齢の人たちが結の仲間の御家族から勉強のために遣って来ました。女の子たちは家族が勉強を教えるのだと思われますが、私たちの所ではお預かりしたくも決まりで出来ないのです」

「そうね、京城(みやこ)ならいろいろと習わせていただけるお屋敷も有るのだけど」

「それでお願いです。このお屋敷に余裕があるなら六人ないし八人の娘をお預かりして頂けないでしょうか。読み書き、裁縫が人並に教えて頂ければ宜しいのです」

「部屋を増やして引き受けるわ」

「ありがとうございます。仲良くなった人たちの妹妹、姐姐が何処で勉強できるか心配していた子供たちも安心します」

「関元(グァンユアン)、貴方が仕切って人数を揃えてね。往復する間には部屋を用意するわ」

一刻ほど歓談して「今晩は廊房頭条胡同で宴席が有ります」と告げて戻っていった。

 

 

フォンシャン(皇上)は忙しく呼び出して、のんびり行けというのは、事前に信(シィン)の入京予定を知り、同じ順路だから交わらない様に気を回した様だ。

また、可笑しな讒言を多くの者からされて放(ほお)って置くことはフォンシャン(皇上)の立場では難しいのだろう。

 

王神医が宋太医に蔡太医と丁(ディン)を連れて来たので平大人の話をしたら医者の名を聞いて「その男なら年寄りだが頼りにしていい」とお墨付きだ。

「先生、奥様を連れて福州(フーヂョウ)迄静養旅と行きますか」

「そりゃいい話だ。丁(ディン)のチィズ(妻子・つま)も連れて行けば退屈もしまい。無錫(ウーシー)、蘇州(スーヂョウ)に幾日か泊まれれば二人も喜ぶ」

「そいつは願ったりで、孫に逢いたいと小煩いので連れて出て置いて来ちまいますか」

打ち合わせも為れた手順で簡単に済んで船も通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲を午に出るというのんびりした旅を思わせる出立にした。

「早くて五日、遅くも七日」

そう言うと「哥哥との旅は予定通り進んだことなど有りましたか」と王神医も笑っている。

漸く蔡英敏(ツァイインミィン)の位階が上がったことを宋太医が話した。

「フォンシャン(皇上)も旅に出すので気が引けたか」

「でも、王神医は客分の儘です」

「俺はその方が気楽だから。取り込まれては収入が半分以下だ」

そういうが太医院の給与は安いので腕のいい者は敬遠しているのが本当だ。

王神医なら十倍は稼ぎ出せるはずと誰でも思っている。

貧乏人を見るにはまず金持ちを取り込むのが先で余裕があればいい薬を安く投薬できると考えている人たちだ。

蔡英敏は二十三歳で正五品院判と言う破格の身分でも、十代で開業していた時の二割が良いとこだという。

ペィヂァンも二十九歳で正三品教授と太医院では上から六番目の大物だ。

二人は自宅を産婆の養成所にする許可が下り、王李香(リーシャン)が学長、教授が胥幡閔(シューファンミィン)で京城(みやこ)の腕利きの産婆も教えに代わり番子に来てくれる。

定員六名、十一か月で卒業とした、ユンラァンにヂィンリィンも助教の名目で手伝いに入ることが多い。

卒業して現役の産婆が一年無給で預かるが、その分は援助者の給付で月二両渡される。

その後は独立するか希望を聞いて王李香(リーシャン)が手配をする。

公主の援助で学費無料、諸費用は援助者が多額の寄付をしてくれているので生活費も自己負担は無い。

入学資格が十五歳以上のみで希望者が多く、選別に王李香と胥幡閔は苦労していた。

現役の産婆も聴講を許され、毎日三人が入れ替わりで通って来る。

ヂィンリィンはその日程の調整が得意だ。

 

旅はインドゥ、昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)、與仁(イーレン)、甫箭(フージァン)、蔡英敏(ツァイインミィン)、王神医夫妻、丁(ディン)夫妻と十人の大所帯だ。

公主に納得してもらうにも良い取り合わせに為った。

朝に公主に挨拶して裏門から船に分乗し東河へ入ると東へ行けば東便門脇を抜けて通惠河(トォンフゥィフゥ)の大曲で待つ船へ乗れる。

聞いていた姐姐がにやついている、二人の逢引の宿、月河胡同事舟板(ヂォゥパァン)胡同の泡子川沿いの飯店を思い出した様だ。

もとは城外大曲に有ったが何度目かに誘われたとき城内に引き移っていた。

あれは阮(ルァン)と苑芳(ユエンファン)が豊紳府へ遣ってきたころの事だった。

韓泰飯店(ハァンタァイ)は潘寶絃定宿・月河胡同(ユェフゥフートン)と繋ぎに伊太利菓子の嫁になった和練燕(ハーリェンイェン)が連絡へ来だしたのもそのころで、直ぐ船着きの門番と仲良くなってインドゥの情勢は筒抜けだった。

 

歩きで行くなら朝陽門を出て南の東便門へ下り大通橋の東船着きで乗船だ。

盧溝橋迄遠出して永定河を下ることも考えたが前に「遠い」と宜綿(イーミェン)が言って則却下だった。

王神医が「初手から船より歩きましょう。女連れでも半刻有れば十分でしょう」

と云うので巳の刻に旅立ちと決まった。

見送りも豊紳府の通用門でと運河迄来させない様に英敏(インミィン)は念を押されている。

いまだに新婚の熱々状態が続いているという。

「今朝の事ですが妊娠したというので脈を聞いたら二月目でした」

公主が大騒ぎで王(ワン)さんを呼んで家に行かせた。

医者が戻るとユンラァンの所で茶を出してもらい三人で蘇州の話を始めた。

「哥哥、例の繁絃(ファンシェン)飯店ですがあれからだいぶ大きくなりました」と言い出した。

「いくら映鷺(インルゥ)が切れ者でも十四の小娘に出来ますかね。お袋の力じゃないんですかね」

これは関元(グァンユアン)が知らないようだ。

「おいおい、お前十四の時紅花(ホンファ)に子供を作ったろ」

「男と女じゃ」

「そいつは甘い。七つで大人が参るほど人を使いこなしてた。今じゃ街一番の女将と評判だ。問題もあるがな」

「お袋の事かい」

「いや、見た目と違って堅い女だ。今のところ哥哥に首ったけだ」

「哥哥じゃ年に一度も会うのは無理な話だ」

「来ない男を待つのはお前も同じ思いをさせてるくせに」

おはちが回って来そうになって慌てている。

「何の問題です。銀(かね)は十分だろうに」

「婿の成りては多いがな。映鷺(インルゥ)の方で気に入る男はまずいない」

「それじゃお袋だって困るだろうし」

「働き者じゃ無理だな。おっとりして明るい陽気な奴を知らんか」

「哥哥に音曲を遣らせると条件に逢いそうだ」

「それで困るのさ。哥哥に牛腿琴 (ニウトゥイチン)に・三弦(サンシェン)なんてお門違いだ」

親子で勝手に人を肴にしている、やってきた昂(アン)先生も「哥哥から本を取り上げて妓女の蝉環(チァンフゥアン)や蝉陽(チァンイァン)、臙脂胡同で人気は鼓捷老の揖姫(イージュ)達が京胡(ジンフ)を教えるというのを振るからいけねえよ」と昔を持ち出した。

「十四の頃に戻ってもそいつはお断りだ」

「楽器嫌いはともかく、なんで纏足も嫌いなんですの」

「実は痛くて泣いている子供を何人も見てな、それから酷くて嫌になった」

ユンラァンは四人の世話をして男たちの若い時の話をもっと聞きたそうだ。

「哥哥は本当に妓女嫌いなんですの」

「嫌いと言うより妓楼遊びが面白くない。お役に着けば妓楼は禁止だったからその前は昂(アン)先生の案内で妓楼へ通った」

「おっとこっちへふるかね」

「ワッチが此処へ最初に来た日はまだ昂(アン)先生は居ませんでしたね」

姐姐と別れて都へ送られ、その序でに豊紳府を覗いて行ったのが最初だ、あの頃は昂(アン)先生は通いで陳洪(チェンホォン)に陳健康(ヂィェンカァン)にも棍(棒術)を教えだすまでは毎日一度顔を出しても長居はしていなかった。

「そうだ、あの頃に劉全が妓楼の用心棒は惜しいと、此処へ来てもらったのさ。健康(ヂィェンカァン)哥哥はもてるけど遊ばない。宜綿先生は誘われれば付き合うので有名だった」

危なそうなので映鷺(インルゥ)の方へ話を戻した。

「そうそう、映鷺(インルゥ)と言えば景延(チンイェン)がお似合いだ」

「その男、蘇州へ来てますよね」

「うむ、映鷺(インルゥ)の働きが良いのを大分褒めていたがな、あの当時のインルゥはまだ七歳だ、そんな気も起きないだろうがこの前都で案内させたが親しそうだった。爺爺(セーセー)が蘇州(スーヂョウ)にいるから話が合う様だ」

昂(アン)先生「あり得るだろ」なんて自分の話を広げているが仕事でも蘇州へ景延が出ているのに話は繋がらない様だ。

 

火事の後、臨時の宿を買い上げたがそこを取り壊して綺麗な高級飯店を起ち上げた。

京城(みやこ)へ遊びに来たとき母娘で嫌と言うほど高級飯店に高級妓楼を巡ったという。

何を考えたか三十人ほど入るフェイツァイ(徽菜・安徽料理)の店で、泊まりは離れ三棟のみ。

離れは五人までで一晩八両、一人でも同じだという。

「それが離れの予約が今月はもう埋まっているんですぜ。受けるのは二棟のみ、一棟はあけて有るそうでね。この間強引に割り込もうとしたらここはもう決まって居りますのでお泊めできないのですと断ったそうです」

「何でそんなことが出来るんです」と関元(グァンユアン)は聞きたそうだ。

「掃除の女中が流した噂だが、公主娘娘の絵姿に唐詩の額が飾ってあるそうだ。無理を言った男たちも入口から額を見て大人しく引き下がったとよ。娘娘のお許しが無ければお泊めできませんと言われて、それでもと言えるのは哥哥だけだ」

そう言ってから「ここだけの話、その強引な客と云うのはトゥオア(托儿-偽客・さくら)の噂がある」と片目を瞬きした。

合肥出の三十くらいの料理人を甫映姸(フゥインイェン)が連れて来て店を任せた。

何処で知り合ったか二人は夫妻(フゥーチィー・夫婦)に為るという。

路西街が宿の食堂とインイェンの菜店でスーツァイ(蘇菜・江蘇料理)を出して居る。

康演(クアンイェン)が老大に「寶燕(パオイァン)と二人で雪冬燒山鶏(雉)、糯果鴨條(アヒル)に符離集燒鶏(鶏)、黄山燉鴿(鳩)と毎日違う料理を出されるので通う楽しみが尽きない」舌なめずりしいている。

裏と云っても通りが東で半円を描くので店を出て東へ行けば十七軒目で繁絃(ファンシェン)飯店の裏に為る。

阮繁老と昔の名を付けたのは爺爺(セーセー)の店の名を受け継いだ。

「じゃ空いている棟は公主娘娘か哥哥が御客か」

「そういう事さ。哥哥に公主娘娘の恩を忘れないための部屋だ。だがな、映鷺(インルゥ)の事だ哥哥でも泊まればきちんと宿代は取るはずだ」

「クアンイェン、聞いてりゃ料理が鳥ばかりだ。牛、豚に羊や魚は如何した」

関元(グァンユアン)が大笑いだ「フゥチンに魚を出したら食わずに酒を飲むだけだ」と笑いが止まらない。

「鱶鰭に鮑は食っていたぞ」

「鱶鰭が魚とは知らないでフゥチンに食わされていたんですよ。それで食えるように」

「知らなきゃ食えるんだ」

「どうもそうらしいです、魚の形が駄目なんですよ、特に鯉の目玉なんぞ見ただけで食欲が失せます」

京城(みやこ)の姚翠鳳(ヤオツゥイファン)のフゥチンも好みは覚えたというが蘇州(スーヂョウ)にいる妻の寶燕(パオイァン)は食に煩さそうだ。

二人は興藍行(イーラァンシィン)へもう一度行くと娘娘と姐姐(チェチェ)に挨拶して出て行った。

 

 

三日に権孜(グォンヅゥ)が銀票五千両を届けに来た。

孜漢(ズハァン)も朝の内に銀票五千両届けにきて他に甫箭(フージァン)に五千両持たせるという。

「明日の晩菜店(ルァンピィンツァイディン)の親父が姐姐(チェチェ)の所で息子たちの腕を披露したいと言っていますが」

「好いわね。明日のお昼は軽く済ませる様に話しておくわね。七人から十人と思って用意してくれる」

「あそこ繋げれば二十人は入れますぜ」

「じゃ使女も籤で呼んであげましょ。私と哥哥、姐姐(チェチェ)、ユンラァン、シラァン、昂(アン)先生夫妻これで七人」

「宋夫妻に蔡夫妻と王老媼も呼ばないと煩いですよ」

「まだ十二人よ。抜けてない様ね。花琳(ファリン)に言って籤にするのも可哀そうだから二十二人にして下さる」

香水の時は全員行き渡るので良かったが二人食べられないより、呼んであげたほうが良いと判断したようだ。

普段は公主に後五人ほどの夕食会が孜漢(ズハァン)の好意で開かれるが大盤振る舞いは富富(フゥフゥ)を紹介したいようだ。

「卓の都合で二十四の方が隙間も出ないようですぜ」

與仁(イーレン)が口をはさんだので「じゃ特別に花琳(ファリン)の奴婢二人呼んじゃいましょ」と楊鈴(ヤンリン)達四人を連絡へ行かせた。

公主もこういう事は大好きだ、何が出てくるかお楽しみが増える、おまけに屋敷の料理人が食材を余らせないために奴婢の夕食が豪華になるので万々歳だ。

シラァンとユンラァンがお礼を言いに来た。

公主娘娘が「二人で一万両も持って来たのよ。哥哥に何か儲け仕事でも見つけさせるつもりかしら」とシラァンとユンラァンへ笑って話を振った。

「王神医の薬代にでもします。フォンシャン(皇上)も飲み始めたというけど薬代は取れないのでしょ」

「それも良いですけど、ほとんど船だと往復で五千は出てゆきますよ」

「本当にそうよね。内務府は大盤振る舞いのつもりでしょうけど大分赤字ね」

「哥哥と宜綿先生じゃなきゃあの費用で船旅は出来ませんわ」

ユンラァンも船の高いのは先刻承知の事だ。

小商人の乗り合いでも京城(みやこ)から杭州(ハンヂョウ)迄三十五日、泊りを入れれば五十両は覚悟が必要だ。

船を借り切れば五百両では受けて貰えないだろうとユンラァンが話した。

「甫箭(フージァン)のお嫁さんは決まったそうだけど景延(チンイェン)はもう大分年を食ったんじゃないの」

「あいつ今年で二十七歳ですよ。小生意気に嫁は決めている何て言ってましたけどね。其れからもう三年経つんですが音沙汰無しです」

「振られたなんてことあるの」

「そんな様子は見えないんですよ」

孜漢(ズハァン)は姐姐と明日の段取りをつけて戻っていった。 

豊紳府の奴婢は年季明けまでに読み書き、縫製が出来れば嫁に行くにも役に立つ、調理も覚える様に各建物に湯殿の湯を沸かすと言いながらも料理も教えさせている。

花琳(ファリン)は採点も厳しいがお手当も上げる理由に為る。

 

 

四日朝方に與仁(イーレン)が番頭二人と船は決まったとやってきた。

「七日に成ってしまいますが、通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲から杭州(ハンヂョウ)迄四十五日の約束で船が五百二十両に一日八両の上乗せです」

八百八十両だという。

「十人で割れば八十八両妥当なようね」

公主も何度もインドゥの旅の費用を聞いているので精通してきている、乗り合いの倍で済めば安い方だと思う様だ。

客二十人までは寝泊まりが大丈夫だという。

與仁(イーレン)は南京(ナンジン)と蘇州(スーヂョウ)への荷も積込むようで送料が浮くからそれで旨い物でも食べるつもりのようだ。

「問題は杭州(ハンヂョウ)から広州(グアンヂョウ)迄直で行けるか、ここでは掴めませんでした。天津(ティェンジン)なら出てるというのですが。運河で行けと縛りがあるので先が読めません」

「福州で王神医と丁(ディン)の妻子(つま、チィズ)を降ろす方がいいかもしれんぜ。戻りは福州から河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ行くんだ。全部付き合わせなくてもいいさ」

直と云っても福州は一晩寄るのは普通のはずだ。

與仁(イーレン)が船に乗る人たちへ手分けして連絡に出て行った。 

そうそうと思い出したように「使女を二人増やすつもりですの。朝きた客が楊鈴(ヤンリン)を嫁にとの仲人口で申し出が来ていますの」と告げた。

「もどれぬうちに婚姻が成立すれば盛大にね」

「そうしますね。お相手は通州の木綿問屋の次男で、婚姻が成立すれば京城(みやこ)に店を持たせるといいますのよ」

「そりゃいい話だが。どこでリンを見初めたんだい。一度本人と会いたいな」

「今日連絡を出せば船に乗る前に何とかなりそうですね。来たらどこでと問い詰めますわよ」

「遅れたのも神のお手助けか」

リンも「哥哥が会って頂けるうえでの返事が出来るほうが嬉しいです」とにこやかに答えた。

この時代親が決めれば従うのが通例で、間に公主が居るので会ってからと我儘も言える。

リンは読み書きも普通以上、見た目も麗しい字だが、背が高く肩幅があり公主の護衛の中核を務めている。

何処へ出してもひけは取らないと公主も自慢の使女だ。 

 

夜に姐姐(チェチェ)の所へ人が集まって食事が始まった。

富富(フゥフゥ)が綺麗な読みやすい字で今日のお品書きを持って来た。

「婚約が決まったお祝いよ」

公主は用意しておいた小箱を渡した。

「香水と思ったけど料理屋には向かないから簪を選んだわ」

嬉しいと富富(フゥフゥ)が小箱を抱きしめ礼を言って調理場へ戻り、借りだして来たかわいい子供たち五人に給仕をさせた。

「まさかこんなに姉妹がいるの」

「いえこの子たちは店の周りの子供達です。仕事先がまだ見つからないので代わり番子で店の手伝いに呼んでいます」

十歳から上は十四歳だという、富富(フゥフゥ)が姐さんで言うことを聞いて悪さをしない様だ。

見世は官の線引きで言えば北城だが胡同は中城へ食い込んでいる。

中城は水の引きが早い処と、池のように遅れた場所に分かれたが、北城の瑠璃廠付近を境に中城の前門付近はいち早く水が引いて、子供たちも生き別れの子は出なかったと聞いた。

「このようなお屋敷で働ければ良いのですが。お城も内務府では技能がないと入れて貰うのも大変です」

シラァンは家の仕事がら大家(たいか)の事情も知っているようだ。

同年代の使女たちを羨むでもなく子供たちは懸命に自分の仕事をしている。

動きを見ていて「ここもまだ仕事の手を欲しいのだけど、受けるお小屋が少ないのよ。やっと整備が終わったら門番の為の湯殿が小さすぎて順番待ちで大変。また改造しないとね」と富富(フゥフゥ)に話しかけた。

四川の海老の辛いたれが掛かったものを手で食べ、その手を洗う湯を運んで来たところだ。

「噂でこのお屋敷は毎日湯殿で汗を拭うのが決まりと聞きました」

「そうなのよ、昔は湯殿も少ないし、垢が耳の後ろに溜まっても気にしないのが男だなんて威張っていたそうだけど。私はそれが嫌で湯浴びをしないなら出て行ってとまで言う始末だったわ。だけど香皂(シィァンヅァォ)の消費量が三倍に増えましたと聞いて拙かったと反省したわ」

子供たちはみな清潔で見ていて楽しくなるわとお世辞迄富富(フゥフゥ)に言っている。

「今日は甫箭(フージァン)さんがお仕着せと回族のお風呂で綺麗にする費用を負担してくれましたので。全員磨きに磨いていつもより見栄えが良いんです」

「あらら、そこまでしてくれたの、良い旦那様に成りそうね」

真っ赤になって小桶を持ちあげて逃げて行った。

富富(フゥフゥ)の父親阮永徳(ルァンイォンドゥ)が追加はこんなものが出来ますと書いてきてインドゥに見せた。

公主と相談して水餃子と辣子鶏を二人は頼んだ、同席のシラァンとユンラァンも同じで好いと頼んでいる。

他の卓でも残りの食材の料理の書付を見せている。

「ね、この豆腐料理ってなに」

花琳(ファリン)が「今日四川料理も多いのに麻婆豆腐が出てないわ」と子供に聞いている。

「海老の辛いの出たので控えたそうです、お好きならすぐ作らせます」

昂(アン)先生が「行き渡るくらい豆腐が有るのかい」わざと聞いたようだ。

「聞いて来ます」

調理場で聞いてすぐに戻ってきた「全員に行きわたる様に出来るそうです」と報告した。

「じゃ他の人に聞かなくていいからすぐに調理してくれ」

「分かりました、有難う御座います」

其れこそあっという間にそれぞれの卓へ大皿で運んできて子供たちが小皿を配っている。

公主に富富(フゥフゥ)が「海老より辛いですよ」と小皿を置いて脅している。

インドゥの卓は辛い物が二つに為った。

「口直しですよ」

そう言って碗の杏仁豆腐も全員に配った。

二刻もかけてすっかり料理に堪能した一同は、調理室から料理人に出てもらうと礼を言って散会した。

公主に姐姐(チェチェ)と花琳(ファリン)を呼んでもらい改めてインドゥは留守の間の屋敷の事を頼んだ。

「ニィン、門番の湯殿は頼みましたが、奴婢を十人ほど教育して公主府(元の和第)へも何人か配属しませんと若い娘がいなさすぎです」

「予算は大丈夫なのかい」

「それは任せてください。彼方は空き部屋がまだたくさんありますのよ。こちらはその奴婢の為の部屋と仕事場も建てるようです。信(シィン)に頼まれた娘たちのことも有りますから」

「場所が有るの」

「北の塀際に今の縫製の作業場の倍は取れますわ」

「そこまで大きいと庭が無くなる」

「大袈裟ですわよ。では少し大きいくらいなら」

「それならいいですよ。お任せします。凧あげが出来る位残れば十分です」

インドゥやけに低姿勢だ。

順天府香河(シィアンフゥ)から夢月(モンュエ)が仕える事を承知したと手紙が来て三月八日までに香河を発つという、早い折り返しで承知の返事が来た。

人を遣れば往復五日くらいだが手紙では簡単ではない。

「子連れでは三日位は掛かりそうだな。馬でも雇えばいいが」

「運河を使うように手紙に路銀も添えて送りましたから、近間で北運河の船便を探すでしょう」

「大分強引だね」

「そうでもしないと兄弟に引き留められてしまいますわ。弟弟が荷物運びで付いてくるそうです」

公主は其れだけでなく支度金に百五十両の銀票迄送っていた。

あまり多いと気が引けてしまいますわと言う姐姐(チェチェ)の意見を入れたようだ。 

昂(アン)先生が紅英(ホンイン)を連れて来て、調理室食事室の片付けが終わり富富(フゥフゥ)が引き連れて帰っていったと報告だ。

「綺麗に掃除していきましたよ。富富(フゥフゥ)は人使いも上手ですね」

親父の出番が少ないくらい上手に切り盛りしていたようだ。

公主が少し待っていてと芽衣(ヤーイー)を連れて急いで二階へ上がり戻ると「花琳、哥哥は今晩シラァンの部屋でお休みに為ると伝えてください」

そう命じて耳打ちして送り出した。

「どうしました。旅立ちの遅れた分今晩から此処へ籠城と思っていたのに」

「あれが来てしまいました。お帰り迄お付き合いできませんわね」

 

 

五日

朝から與仁(イーレン)と孜漢(ズハァン)が遣ってきた。

ハァンは小難しい顔をしている、いつも決心がついた時の顔だ。

「ちと入り組んだ話を哥哥と娘娘に解決してほしいのですがね。大勢連れて来ているのですが」

通用門の詰め所で昂(アン)先生が相手をしているというので先生も一緒に呼び込んだ。

景延(チンイェン)、甫箭(フージァン)、富富(フゥフゥ)に親父の阮永徳(ルァンイォンドゥ)見知らぬ老爺がぞろぞろやってきた。

公主が富富(フゥフゥ)親子と甫箭(フージァン)に昨晩の礼を言ってから老爺に「貴方は誰の親戚なの」と聞いた。

「ご挨拶が遅れましたが、このチンイェンの爺爺(セーセー)の陸鶯康(リゥインカァン)と言います。蘇州(スーヂョウ)から参りました」

「ああいつもお世話に為る綿屋さんね」

「いつもお取引いただき有難う御座います。此度は厄介ごとを持ち込みましてご勘弁の程お願いいたします」

「ハァンのいうのはこの人の話なのね」

「そうです。昨日来話し合いを続けていますがこれが良いと云う所へ話が落ちません。富富(フゥフゥ)にも関係がある話まで膨らみまして」

インドゥと公主は顔を見合って腑に落ちないと頷きあった。

「蘇州の大爷(ダァィエ)夫婦に子が出来ず二人はもうともに五十五歳、養子なら前からチンイェンとは決めていましたが。京城(みやこ)の界峰興の店を任したいと言われて困っております」

公主がどうなのと云う顔でハァンの方を見た。

「娘娘、そいつはこのフージァンが旅から戻ればフゥフゥと夫婦でゆくゆく店を任せると決めました。手始めに二十軒の菜店の仕切りからやらせます。それで一つは済んだのですが、こいつがインルゥと夫婦に為れなきゃ蘇州(スーヂョウ)の店は継がないとごねまして」

「私たちに仲人口を聞けというのね。でもインルゥを店から引き離せるだけの魅力がチンイェンや綿屋さんに有るの」

大分辛らつだが二人を知る公主が言うのが本当だ。

「ですからその解決をお二人に」

「まぁ、投げやりな事。でも哥哥が何とかしますよ」

一同は哥哥ならどうにかしてくれるとやってきたようだ。

「富富(フゥフゥ)は甫箭(フージァン)に任せるでいいんだね」

「はい、たとえ何の商売でもフージァン哥哥を支えます」

親父もその言葉を頼もしそうに聞いて頷いている。

「親父さんもそれでいいんだな」

「はい、あっしは富富(フゥフゥ)の好きなように遣らせます」

「さて老爺、私に任せる気は有るのかね」

「どうされようと仰せに従います」

「夫婦が岳父母と同居せずとも商売をチンイェンが継げばいいんだな」

「はい、チンイェンは三男ですし、来る前にこれの両親とも蘇州へ来させるに反対しないと確約も取りました。家は直ぐにでも建てさせます」

大分逸り気味の老爺だ。

「家も、婚姻時期もすべて任せるなら引き受けるが、任せる気は有るのか。チンイェンも自分の気持ちを正直に言いな」

「私は映鷺(インルゥ)が納得できる形で婚姻したいです」

やはり気持ちが柔い、男ならもう少し押しの強さが欲しい処だ。

関元(グァンユアン)と康演(クアンイェン)親子が言っていた通りのインルゥにあう婿型の男かもしれない、そういえば蘇州二胡の引手だと穀物問屋の友人が言っていた。

家から婚姻迄一切合切任せるなら皆が納得できる纏めを引き受けた。

「どうなさるんで」

阮の親父が心配そうに聞いてきた、そういゃインルゥも阮映鷺(ルァンインルゥ)でフゥフゥと同じ気性かもと気に為ったようだ。

「蘇州(スーヂョウ)でインルゥとファンに話すまで内緒だ」

公主が聞きたそうなので「あとで」というとにっこり笑ったので、部屋に安堵感(あんどかん)が広がった。

「それで」

「何か」

「それだけだったのか」

「十分難しい問題ですぜ」

「問題の一番はインルゥがまだ十四だっていう事だ」

阮の親父が驚いている。

「ここで産まれたんだそのくらい覚えているさ」

乾隆五十六年四月二十八日、誕生の地は此の豊紳府だ。

「五年以上前から店を率いていましたが」

陸老爺もまだそんな年かと心配そうだ。

「ああ、七歳くらいの時には客が媽媽(マァーマァー)のファンより頼りにしていたぜ。少しは二人で婚姻の事を話したこと有るのか。片思いじゃ難しい話に為るぜ」

「大分前ですが、婿なら景延(チンイェン)哥哥に来てほしいと。京城(みやこ)へ来たときにも催促されました」

「返事はしたのか」

「蘇州(スーヂョウ)で綿屋を継げと子供の頃から言われているというと婿じゃ無きゃ駄目だと、駄々を捏ねられました」

おいおい、宥めて口でも吸ったのかとインドゥは情景が頭をよぎってしまった。

景延(チンイェン)と爺爺(セーセー)がインドゥ達と同じ船で蘇州へ戻ることに成った。

景延(チンイェン)が抜けた分の店の仕事はハァンが忙しくなるだろうに引継ぎに手代一人を連れて行くように言っている。

結局蘇州まで十三人で行くことに成ったが船が大きいので困ることもない。

 

通州へ出した使いがもう戻って来て「明日の巳の刻ではいかがでしょうかと言って居ります」と報告が来た。

「他の時刻の時は」

「通惠河(トォンフゥィフゥ)の大曲に定宿があるそうでそこへ今晩着くそうですので連絡は付きます」

確りした使いだ、門番には惜しいがここでは女上位だ、その時刻で好いと代わりの者に言いつけようとしたが「私が行ってまいります」と疲れも見せずに出て行った。

 

六日

楊鈴(ヤンリン)の婿に為る男は通州からやってきたが開口一番「親が貰えというのでご挨拶に来ましたが、使いの言うような見初めたという事ではありません」と言い出した。

通州の木綿問屋興永の次男、于高洪(ユゥガオフォン)というと名乗った。

面白い男だとわざとリンを紹介せずに何人かの使女を入れ替わり立ち代わり茶などで接待させた。

公主も面白がってユンラァンにシラァン迄呼んで来させた。

インドゥが「誰か嫁に迎えたい娘でもいたかい」と揶揄った。

六人並べて立たせると「誰でも嫁に頂けるとでも」と憮然としている。

「いやさ、見初めたわけじゃないと云うから。此処で気に入る娘が居なけりゃこの話も無くなる事にしても良いかなと思ったのさ」

「私はそこの背の高くて肩幅の有る娘が好みです。家も裕福ではありませんので私と共に働けることが一番です」

「嫁にそれだけの理由で選ぶのかい」

どうやら女の好みがリンのような大きな女のようだ、耳まで赤くなっている。

「なんだ言うことと違って好みのようだぜ」

花琳(ファリン)が公主の脇で笑って「他の人は戻って好いわよ」と言ってリンを改めて紹介した。

「皆さまお人がわりいですよ」

リンも男も共に相手が気に入った。

門番の控所で待つていたリンの父母(フゥムゥ)を呼んで来させて婚姻の日取りを決めさせた。

入るときに小窓越しに見て気に入って居たようだ。

両親が付いて十日後に通州で婚姻をすることに公主の意向で決まった。

豊紳府から三人見栄えのいい娘を花琳(ファリン)が選んでお供につけるというのを公主は笑って許した。

 

 

嘉慶九年二月七日(1804318日)

二月七日-通惠河(トォンフゥィフゥ)発

八日-天津(ティェンジン)着

九日-天津(ティェンジン)発

二月は小の月で二十三日目に淮安(ホァイアン)に着いた。

明日は長江(チァンジァン)を渡る予定だ。

此処で王神医の奥様から提案で全員が南京へ出て蘇州へ戻るほうが良いとなった。

 

三月三日鎮江(チェンジァン)着

四日に鎮江(チェンジァン)を出て南京の結の波止場に五日の昼に着いた。

二人の医者が城内へ向かい後は琵琶街で体を休めた。

確かに與仁(イーレン)が出した連絡所は裏通りとはいえ良い場所で、手代も良い待遇が受けられていた。

手代の雷祥鳳(レイシァンファン)は女が出来たようで無骨さが消えて人当たりの良さが目立っている。

檀香鴛(シャンユァン)はもう十二歳、いっぱしに店を仕切っていた。

インドゥは飛燕に内緒で公遜(ゴォンシィン)に銀票千両と金錠百両を婚姻の時に持参させるか、婿を取るなら懐金にさせてくれと預けた。

今回は鄧鈴凛(ダンリィンリィン)にも同じ銀(かね)を四歳に為る鄧佳鈴(ダンジィアリン)の為に受け取らせるつもりだ。

無錫(ウーシー)の潘香燕(パァンシィァンイェン)は店の援助以外はしない心づもりだ。

烏衣巷(ウーイーハァン)の遺跡は琵琶街(東西)の北側で、烏衣巷の通りは源泰興の西側なので所在地が違う。

       琵琶街(ピィパァヂィエ) 

源泰興

(ユァンタァィコウ)

檀飛燕

魁芯行

(クイシィンハァン)

飛燕の兄-檀公遜

魁芯行倉庫

       開門巷(フィメンハァン)

右の三軒も飛燕の経営

辯門泰(ビァンメェンタァイ)

芯繁酒店(シィンハン)

永恒老(イォンハァンラオ)

 

雷祥鳳(レイシァンファン)の事務所は永恒老の東端の一列。

與仁(イーレン)は所帯を持つならもう一人増やして今の部屋へ入れ、シァンファンに月五両給与を増額し、店持ちで家を借りて良いと話した。

「雇は子供でも月二両出していい。部屋代食事代は事務所経費。フゥーチィー(夫妻)で働くなら雇を増やしても増やさなくとも女にも月二両出していいぜ」

決まったら京城(みやこ)へ連絡しておくように言いつけた。

 

 

七日の午に南京を出て翌午に鎮江(チェンジァン)へ着いて一日泊まった。

與仁(イーレン)の子は五歳、利発だ。

九日に鎮江(チェンジァン)を出て十日に無錫(ウーシー)、ここで三日遊んだ。

宿は香潘楼(シャンパァンロウ)で此処も将来を見越して宴席を開ける離れを新築していた。

借り入れは必要ない位に繁盛していた。

番頭の息子夫婦も料理の腕に惚れる客が付いているという。

香燕(シィァンイェン)が部屋の割り振りを付けてくれた、もう十一歳で一人前の口を聞いてくる。

香燕は結へ十四に為ったら推薦すると聘苑(ピンユェン)の路学関(ルーシュエグァン)と安園菜館の安願斌(アンユァンピィン)が申し出ているという。

 

翌日、爺爺(セーセー)の陸鶯康が街の案内をすると残ったので陸景延(リゥチンイェン)と鄭玄(ヂァンシァン)を先に蘇州へ向かわせた。

母親の潘燕燕は二日目にインドゥの部屋へきて嬉しそうに抱かれて朝まで部屋にいた。

十四日に無錫(ウーシー)を出てその日のうちに蘇州(スーヂョウ)の波止場に着いた。

どうやって連絡を付けたのか船の船頭たちはこの日繁絃(ファンシェン)飯店で宴席を招待で開くというので一緒に附いてきた。

陽澄湖(阳澄湖)では気が早く脱皮している蟹もいるので香榧油で揚げ、殻ごと食べられるとの誘い文句につられたようだ。

船の番は波止場で二人番人を雇って有った。

景延(チンイェン)の話だと漁師の組合の取り決めで一人一日百匹迄、雇は一軒十人まで、辰から午の二刻だという。

一杯二十銭で組合(仲買)が買って市へ出し、三十五銭以上に為れば半々で仲買と漁師が分け合う決まりだという。

他の湖の漁師も陽澄湖(阳澄湖)の組合に従い、二月から九月までは取り過ぎない様に加減しているという。

九月から一月の五か月は一人二百匹まで、一杯三十五銭で組合が引き取り、五十銭が最低価格に跳ね上がる。

明の時代に規制のない河筋で取りすぎ、価格が暴落してから近在の者が仲買と組合をつくって規制しだした。

 

康演(クアンイェン)が離れを十日から三十日まで借り切ったとファンが言って案内してくれた。

戻ってすぐ交渉して「この辺りだろうが哥哥の事で当てには出来ない」と大雑把に借り切り「来なけりゃ自分たちが客を呼ぶ」ということで決めたそうだ。

阮繁老の豪華さには一行も驚いた、インルゥが景延(チンイェン)が先にきたのですべて連絡を入れて部屋割りも決めていた。

繁絃(ファンシェン)飯店の離れが王神医夫妻、丁(ディン)夫妻の二棟。

與仁(イーレン)、宜綿(イーミェン)、昂(アン)先生でひと棟。

蔡英敏(ツァイインミィン)と鄭玄(ヂァンシァン)に周甫箭(チョウフージァン)、景延(チンイェン)でひと棟。

景延(チンイェン)の爺爺(セーセー)は家へ戻る前に此処へ一晩泊まらせることにした。

インドゥには一人でひと棟だという。

「ここへきてあんな大きな所で一人は寂しいじゃねえか」

「子供じゃあるまいしなんですか」

インルゥに笑われた。

部屋へ来た女中が風呂で紐を引くと此方の鈴が引かれて鳴った。

栓を抜くと湯舟に湯が流れ落ちた。

「すごい仕掛けだな」

付いてきた映鷺(インルゥ)が「媽媽(マァーマァー)の土地を管理している人が青竹を別けてくれるので、節を抜いて繋いであります。離れはお客様が決まれば来られる前に湯沸かし所と新しい竹で繋げます」と自慢げだ。

女中が「一度使った竹は炭焼き用に引き取って新しい竹が来るんですよ。青竹のいい香りが自慢です」そう自慢した。

溢れると見て女中が紐を引くと鈴が鳴って湯が止まった。

湯口から「上がり湯もご用意できました」そう言って小盥と湯桶が二つずつ入れられた。

水桶はあらかじめ湯殿に置かれ水が張られていた。

一晩八両も取るだけの事はある。

「あとはごゆっくりと。湯が必要なら紐を引いて下さいませ」

インルゥは湯に薔薇の花を蒔いて戻り、インドゥはゆったりと湯舟に浸かった。

阮繁老には昂(アン)先生目当てに大勢集まり宴席も賑わうという。

二十人は来ると康演(クアンイェン)が言うので広間は先生に任せ、厨房近くの離れで宴席を設けた。

爺爺(セーセー)に明日は例の話が済むまで居残ってくれともう一度頼んで一人で離れへ入ったら、ファンが出迎えて寝床へ連れ込まれた。

久しぶりのファンの体に没頭していたら夜が白々と明けて来た。

「もう起きないと」

「ファンを離したくない」

「駄目ですよ。景延(チンイェン)の話だと今日はインルゥの事を纏める話をするのに寝不足では。それに私が戻らないと困りますから」

そう言って身じまいをして出て行った。

 

 

十五日の夜明けと共に和信(ヘシィン)は起きて日課となった拳の指導を受けた。

ひと汗かくと子たちと槍術の先生に型を付けて貰った。

その後は年齢に会った重い棒で同じことを繰り返した。

十歳以上の子達は朝の粥を食べると馬術の馬場へ自分の馬で出かけ、午の刻まで指導を受けて戻った。

郷紳の子たちも馬場へ多く来ているが、彼らの親は子供たちに科挙を目指させているので武術は熱心ではない。

和信(ヘシィン)の家にいる子は官員ではなく船乗り、塩業の親が多い。

康演(クアンイェン)から関元(グァンユアン)に此処の取り扱いが移り、その際に資金が多く使える様になった。

康演(クアンイェン)の時でも余るくらいだったので人を雇って荒れた畑を開墾して増やし、実のなる樹を増やした。

今は預かる子たちにも拳、槍、馬を習わせる余裕も出来た。

勉強する科目は、地理、天候気象判断、諸外国の情勢、船舶の原理、砲術の原理、様々なからくり機械の原理迄が教えられて居る。

科挙の秀才、進士などは習わない学問だ。

子供たちの脅威は様々な蒸気機関の仕組みと小さな模型だ。

原理は古くから知られている、製材への利用と水車に替わり水の排水取水に利用可能と教えられた。

仏蘭西の川蒸気船は試作に成功したという「この仕組みを利用すれば外洋を超える事も可能だが、私には製作する学力がない。その資金を集めて造ることが出来れば国も地方も発展するのだが、今は許してもらえないだろう」と嘆いている。

直隷州の大水で足踏み水車での排水は効力があることが実証され、それを機械で行えば一台で十倍いや二十倍の働きが可能だという。

足踏み式の外輪船は千年以上も前から知られているが、櫂の推進力に劣るとされ、発達していないことが新しいものを生み出す障害だという。

 

未に為ると連絡が付いた親たちが豊紳府に預ける条件などを聞きに集まってきた。

十歳から十五歳まで、最初は奴婢と同じ仕事を覚え、申し出のある習字、裁縫、料理も教われることを関元(グァンユアン)が説明した。

「年いくら負担すれば宜しいですか」

「ここと同じで何もかからない、むしろ此処と違いはじめから奴婢と同じ月銀一両出してくださる」

「しかしそれでは公主様がお困りでは」

「いや、公主様は本来男と同じように勉学の場を与えたいとお考えだ。しかしそれだけでは婚姻の時困るので一通りのことは覚えさせるとおっしゃられた。それで今は貧民へお配りなる下着や子供用の服を仕立ててお配りに為るためそれを手伝って頂きたい」

「年季奉公のようにされるので」

「豊紳府では奴婢は八年、もしくは二十歳を過ぎれば望めば婚姻の手続きもして下さるが、望み望まれれば年月と関係なく送り出してくださる。もし気が合わぬことがあり親もとへ戻るなら結と漕幇(ツァォパァ)が責任をもって送り届ける」

「いつまで奴婢扱いをされるのでしょう」

「手本の字が読め、書き写せることが出来れば名前は奴婢でも使女と同じ扱いが決まりだ。二月にお供で京城(みやこ)へ行ったときは奴婢から十八で奴婢の取り締まりに為るという娘が出たという。使女で十八歳の娘が嫁に望まれていて今頃は嫁入りしてる頃だ」

十人集まった親から手分けして自分の名と娘の産まれ年に名前を聞きだして二通書き写した。

手紙は月一度ここから纏めて送り、折り返して預かって来ると説明した。

普段着、装飾品も豊紳府で支給される事、いくら此方から送っても着ることは特別の日でも無ければ許されないことも心覚えを見ながら説明した。

「貧乏人も、金持ちも同じ暮らしをしてもらう。甘やかしたいなら自分の家でどうぞと言われている。あと茶でも飲みながら京城(みやこ)へお供した男たちに様子を聞いてくれ。おれはがさつで細かい屋敷内は良く見ていない」

広間に舒慧蓮(シュフゥィリィェン)が指図して、茶と菓子が遣って来て関元(グァンユアン)はやっと落ち着いて座ることが出来た。

京城(みやこ)へお供した男たちが遣ってきた、屋敷の様子、働く者たちの事などを幾組かに別れて聞かれる儘に話して居る。

信(シィン)は八人と言っていたが、一家から複数の娘もいて十二人が希望していた。

勉強の時間が終わった信(シィン)が来てフゥィリィェンに様子を聞いている。

「十二人ですか、増えてしまいましたね。選抜するより、額娘(ウーニャン)へお願いの手紙を書きますから全員行って頂きましょうか」

顔見知りの鹽問屋の曾驍霖(ツォンシィアリィン)という中年の男が「今年だけでしょうか」と聞いてきた。

「今年は今受け入れるためのお小屋を建ててくださっています。趙(ジャオ)哥哥が中を見て来たお小屋と同じ造りになるようです。来年お伺いして余裕があればまたお引き受けして頂けるようにお願いして見ます」

 

 

景延(チンイェン)とその爺爺(セーセー)を部屋へ呼んで最終確認をして芳(ファン)母娘に来てもらった。

「婿に迎える気は有るということで話を進めていいね」

「景延(チンイェン)哥哥がその気になっていただけたなら否やは有りません」

「さあ、其処なんだ。綿屋を継ぐことは決まっている。繁絃(ファンシェン)飯店の亭主にさせる訳にはいかない」

母娘は顔を見合わせインルゥが「それでどうされるのでしょう」と聞いてきた。

「俺に任せるなら話はまとめる」

景延(チンイェン)と爺爺(セーセー)は「お任せします」と改めて頼み込んだ。

「婿に来てくれるなら、繁絃(ファンシェン)飯店の主は私で阮繫老(ルァンファンラォ)の主は阮映鷺(ルァンインルゥ)。他はお任せします」

そう苑芳(ユエンファン)が確約しインルゥにも念を押した。

「景延(チンイェン)は映鷺(インルゥ)の婿に入る。住まいは此処、阮繫老だ。この離れだ」

「はい承知いたしました」

「それでここから綿屋へ通って仕事をする。繁絃飯店に阮繫老には一切口出しをさせない」

一同が異論は有りませんと云うので他の同行者にも集まってもらい、インドゥから決まったことを披露した。

「それで肝心の婿入りの日取りだが二十日まで蘇州で王神医のお手を煩わすので、その日に婚姻をさせようと思うが」

平大人の診療をしている權霊峰という医師と、他の病人の為の薬剤の調達などで日が掛かる様だ。

心配していた映鷺(インルゥ)の年少の事もファンから「二年前に初めての月の物が来て、すでに子が産める体に成長している」と聞いて遅らせる必要はなくなった。

「実は爺爺(セーセー)とも話したのですが、まだ私の俸給に月五両程度だというので、このような立派な処へ住むのは気が引けます」

気が柔いのか気が利きすぎるのかと思ったら與仁(イーレン)が「俺の代理店に為れば月十両だすぜ。仕事の合間に情報集めと荷の送り迎え位だ。今までの知識が役に立つ仕事だ」と手助けも入った。

「それはそれでいいさ。婿に入ったからと遠慮はいらない」

インドゥも大威張りでいろよと尻を蹴飛ばしたい気持ちだ。

「待ってください。もう一つ約束していただきたいことが」

ファンが何か決心したような引き締まった顔で一同を見回した。

なにを忘れたことが有るのかとインドゥも不思議そうな顔をしている。

「確かに今は結のお陰で映鷺(インルゥ)が店を大きくしました。が、始まりはすべてシィア哥哥と公主娘娘のお手助けで始まった事です。映鷺(インルゥ)も豊紳府で産まれました。婿には納得していただきたいのはお二人の為ならすべてを投げだしてもお手助けさせていただくことを了承してください」

「承知しました岳母(ュエムゥー)のおっしゃられるとおりに従います」

「よく言ってくださいました。婚姻と言わずただいまから景延哥哥は家族です」

宜綿(イーミェン)が手を打って新しい親子をほめたたえている。

インルゥが少し不満そうな顔を見せたので「どうした」そうインドゥが聞いた。

「せっかく娘娘と哥哥の為の家なのに、私たちが住むなんて恐れ多い」

「よく言うぜ。じゃこうしよう。一部屋娘娘の絵姿に唐詩額と俺の拙い額を飾ってくれ、二人でこの棟を管理するのにおれから二人へ又貸しで好いだろう。必要なら日に八両は無理でも半分負担するぜ」

まさか頂くわけにいきませんとインルゥが叫んだので皆で大笑いだ。

 

十六日に巡撫の役所へ出て福建巡撫から江蘇巡撫に移動した汪志伊(ゥアンヂィイー)に康演(クアンイェン)と海賊退治の話をすることにした。

役所で幼馴染の高信(ガオシィン)に出会い、その日は汪志伊に碁を挑まれ、泊り覚悟というので康演(クアンイェン)に先に戻って伝えて貰った。

 

 

十九日昼に波止場から出る船を宜綿(イーミェン)と與仁(イーレン)が代表して新婚夫婦を見送った。

甫箭(フージァン)玄(ヂァンシァン)に「シァン、俺の戻るまで店を頼むぜ」と話して宿で送り出して船には来ていない、狭い波止場での混雑を避けたようだ。 

「イーミェン哥哥、シィア哥哥にもう一度礼を言いたかった」

「よせよせ、あんないい女を人のために口説かされ、その上若気(にやけ)てるお前さんを見させられ続けたんだ。もう嫌になっているはずだ」

船を見送り繁絃(ファンシェン)飯店へ戻ると昂(アン)先生達と昼酒に香槟酒(シャンビンジュウ)を飲んでいる。

「良いなそいつをこっちにも頼む」

宜綿(イーミェン)がインルゥに頼んで井戸で冷やされた瓶を出してもらった。

昼から無錫排骨でシャンパンとは豪勢だが前の東源興(ドォンユァンシィン)の甫寶燕(フゥイパオイァン)の奢りで六本届いたそうだ。

無錫排骨は安園菜館の得意料理で甫映姸(フゥインイェン)がそれをここで売り物の一つに加えた。

「東坡肉と無錫排骨なら毎日でもいい。つまみに広州で食べた燒臘(シュウラプ)が出てくればいうことは無い」 

そう催促していたら叉焼(チャーシュー)が一皿出て来た。

弟弟は肉好き魚嫌いで康演(クアンイェン)と気が合うが鳥派と牛豚派で議論をするのが好きだ。

金華火腿(ヂンホアフオトェイ)を知っていますかと厨房の男が聞いてきた。

インイェンの弟子の陳という若い男だ。

「京城(みやこ)にも来るがなかなか手に入らない」

「富母さんの弟弟が送って来て、まだ家の方にあるかもしれませんよ。一本だけおすそ分けしてもらいましたがマントウに挟んで食べると旨いですよ」

ファンに残っているか聞いてみようと弟弟が舌なめずりしている。

「上湯(シャンタン)にする位あれば皆で味わえるぞ」

本場は寧波(ニンポー)から上饒(シャンラオ)へ行く途中の浙江金華だ。

富母さんは昔亭主と此処の隣で菜店を開いていた、杭州(ハンヂョウ)の生まれだと聞いた気がする。

「こっちの夫婦は婚姻前でも落ち着いたもんだが、弟弟の奴熱々で参ったぜ」

「ああ、あんないい女を人のために口説いた何てつまらん話さ。どうだ與仁(イーレン)」

「本当にあっしも会っているんですか」

「会っているとも、だがあの時から十年以上もたったからな。宴席の時は昂(アン)先生もいたが妓女に絡まれて覚えちゃいないとさ」

宋宗元の網師園(ワンシーユェン)で案内して貰ったのは乾隆五十八年だから十一年も前だ。

インドゥも婚姻を引き受けさせる手伝いをした後から日増しに妖艶になる宋慧鶯(ソンフゥイン)に驚いている様だ。

昂(アン)先生もめったに女を語らないが「婚姻で遠くから見たが、まるで慎梨(シェンリィー)の若い頃みたいだ。色気がこぼれそうだ」と絶賛だ。

「そういやあの親子、店が大繁盛で鼻息が荒くて参ったぜ」

宜綿(イーミェン)がハァンの店へ用事で出た時に出会って揶揄われたらしい。

夜の湯には富母さんの金華湯が出て来た。

 

二十日は景延(チンイェン)と映鷺(インルゥ)の婚姻式で街は大騒ぎだ。

料理人も食材持参で安園菜館や熊(ション)・全(チュアン)の師弟もやって来て繁絃(ファンシェン)飯店・阮繁老(ルァンファンラォ)の厨房で割り振りをつけて祝いの支度に大忙しだ。

街の神さん連中も富母さんの厨房で自慢の腕を振るっている。

繫絃飯店の食堂は振る舞いで近所の子供たちも集まってきた。

チンイェンとインルゥの支度が済むと繫絃飯店を路西街へ出て東へ大行列で進んだ。

見送った者たちは店の裏から先回りで、二人を阮繁老へ迎え入れ、店の前は一時祭り騒ぎでにぎわった。

仲のいい神さんたちは富母さんの厨房と食堂で乳母やファンの接待で大盛り上がりだ。

泊り客に路西街の人たちも店の食堂で振る舞いに大賑わいで、ファンはそこへも顔を出しては阮繁老にもいるという一人三役、いや五役くらいはこなしている。

チンイェンとインルゥが二人に為れたのは酉の正刻はとっくに過ぎたころだ。

二人に為ると恥ずかしそうなのはチンイェンの方だ。

「もう、今からお婿さんらしく控えめを始める気なの」

「そうじゃないよ。俺の年なら女の二人や三人知って居ても、初めての娘としたことないんだ」

「なんだ、そんな事心配していたの。私を誰だと思うの。耳学問に本から学んでそこら辺の娘とは違うわよ。奶奶(ナイナイ)は私をあやし乍ら妓楼の手管迄子守唄のように話したのよ」

「だから心配なんだぜ」

「なぜ」

「まるっきり知らなきゃ、こういうものと納得しても耳学問できたえたものが、がっかりするかもしれない事さ」

「なんだ、哥哥は男の自信がないの」

それでチンイェンも踏ん切りがついてインルゥの服を脱がせて榻(寝台)へ連れ込んだ。

「おいおい、我慢できるのか」

「大丈夫よ。聞かされていたより痛くないわ」

二人は息を継いで後の始末をして抱き合った。

「心配は無くなりましたか」

優しくなっている。

「もう十分大人で安心したよ。まだ行くまで気持ちは良くないのか」

「だって奶奶(ナイナイ)が言うのに三回は必要と言っていたわよ。でも三日目かその日でも三度目かまだ子供で聞けなかったの」

「試すしかないな」

二人は二度目を始めた。

「行くぞ行くぞ」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

二人の息が会って景延(チンイェン)の精を受けて映鷺(インルゥ)が到達した。

景延(チンイェン)が体を拭き上げると漸く気が付いて「もう気が行くというのは身体が分かったと言っている」とほほ笑んだ。

「とてもいい気持だったよ」

「チンイェン哥哥と夫妻(フゥーチィー・夫婦)に為れてチィエ(妾・わたし)幸せよ」

「俺もだよ」

二人は自然と三回目に及んだ。

 

翌朝、寅の鐘で二人は目覚めるとお互いの体を求めて抱き合った。

「なぁ、男の俺が言うのも可笑しいが子供は直ぐにでも欲しいのかい」

「ほしくないの」

「いや欲しいにはほしいが、インルゥの体がもう少し大人に為ってからの方が子どもの為にも、インルゥの為にもいいと思うのだよ」

「でも景延(チンイェン)哥哥は我慢できるの。月のうち二十日は我慢するようになるわよ。妊娠しないのは月のうち八日くらいよ」

「二人が我慢できなくて子供が出来るのは天の授かりもので、嬉しい話だが。三年は出来るだけ慎もうと思うのだが」

「景延(チンイェン)哥哥の言う通りにしますから。後三日は続けて可愛がってください。でも朝は仕事に差し支えるので我慢してね」

インルゥは名残惜し気に榻(寝台)を降り、着替えて仕事に出て行った。

景延(チンイェン)は時分を見て筆などを選んで支度をし、卯の刻の鐘が聞こえて来たので身支度を整えると仕事場へ出向いた。

 

 

十五日に信(シィン)は余姚(ユィヤオ)の屋敷で説明し、二十日に船出と慌しく十二人の娘たちを都へ送った。

平関元(グァンユアン)は舒慧蓮(シュフゥィリィェン)と二人の子も乗せ他にも付き添いの男三人、女五人と云う大人数で都へ船出した。

「杭州(ハンヂョウ)で大きな船で運河の旅だ」

二十四人と船頭二十二人の四十六人乗る船が待っている。

余姚陽明故居に別れを告げ馬渚の港から運河東路(浙東運河)で二百二十里、寧波(ニンポー)の港へは反対方向へ二百里と屋敷の者が娘たちに説明している。

信(シィン)と差配の老爺に許された荷物は手に持てるものと二つの背負える行李だ。

京城(みやこ)への土産に船代にする売るための荷物で三艘に分かれて北上した。

今晩は曹娥江上慮村だ、歩けば四刻は掛かると言われていたが船は二刻も掛からずに着いた。

翌二十一日は紹興の街を抜けて錢塘江三堡船閘へ船が付いて宿へ案内された。

繁盛(ハンチャン)飯店はインドゥ達が良く利用した宿で、昨年倍の大きさに為っている。

手に持つ以外は関元(グァンユアン)が船頭たちと乗り換えの船に積み替えて置くと確約した。

二十二日は温かい日差しの中、娘たちと付き添いは案内人が付いて杭州の街を見物して過ごした。

二十三日昼、武林門碼頭で漕幇(ツァォパァ)が用意した五百石船へ元気に乗り組んだ。

五千五百里と昔の本に乗っているが三千六百里が実際の距離だと船頭が教えた。

一昔前は四千五百里だったけど本の出版元がいい加減なんだと笑っている。

一里の規定が時代によって違うのに昔の物を丸写しの物が出回るせいだ。

二十四日に蘇州(スーヂョウ)、三百五十里ほどで大運河から右へ胥江(シイジャン)に入り山塘河(シァンタァンフゥ)の入口の港で降りて路西街へ向かった。

流石にこの大きさでは山塘河の橋はくぐれない。

夕暮れまじかの街は温かい空気で包まれている。

康演(クアンイェン)へ連絡がついていて港にグァンユアンの弟弟(ディーディ)関玉(グァンユゥ)が待ち受けていた。

阮繁老(ルァンファンラォ)へ関元(グァンユアン)は案内したらインルゥは出かけている。

其処から分かれて付き添いの女たちに舒慧蓮(シュフゥィリィェン)と二人の子が繁絃(ファンシェン)飯店へ関玉(グァンユゥ)に案内され、グァンユアンと男たちは聘苑(ピンユェン・飯店)へ、港へ出向いて来ていた主の路(ルー)と向かった。

路(ルー)が「インルゥが婚姻しましたよ」と教えてくれた。

「よく婿が見つかったな」

「都から綿屋の孫が来たんですよ」

「景延(チンイェン)の事かい」

「そうですよ」

「あいつならお似合いかもしれんな」

「インルゥの嬉しそうな顔を見に行ってやってくださいよ」

「そうするか。荷を置いたら媽媽(マァーマァー)に孫を見せに行くから寄ってみよう」

今更のように昂(アン)先生の慧眼に感心した関元(グァンユアン)だ。

 

二日ここで遊んで二十七日に鎮江(チェンジァン)へ向かった。

鎮江で長江(チァンジァン)を横切るのに手間取って淮安(ホァイアン)に四月一日に着いた。

「余姚(ユィヤオ)から千里は来たはずだ」

付き添いの男たちは何度か京城(みやこ)へお供したので名所に詳しい。

信(シィン)からは「遊山旅のつもりで二月位かけてもいいよ」と言われ、蘇州(スーヂョウ)で康演(クアンイェン)もそのつもりで細かい銀(かね)を全員に持たせてくれた。

黄河を渡り濟寧(チィニン)十四日着、濟寧(チィニン)は十六日に発った。

聊城(リャオチェン)十八日着

聊城(リャオチェン)二十日発

徳州(ダーヂョウ)着は二十二日。

「天津まで五百里も無いよ」

徳州(ダーヂョウ)発二十四日

天津(ティェンジン)着-二十六日

天津(ティェンジン)発-二十九日

五月一日昼、通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲に到着。

四十日のゆっくりとした船旅も終わりだ。

界峰興の主の孜漢(ズハァン)が自ら出迎えてくれ「豊紳府へは四日後に来てくださいと御託です。都見物でもごゆっくりしてください」と下げ重を手代から受け取り、中から娘に付き添いすべてに「都でのお小遣い」と紙の包みを手渡してくれた。

天津から連絡を出しておいたので宿の方からも番頭が出迎えに来ている。
「お邸へのお目見えの服は宿で業者が支度します」至れり尽くせりとは此の事に尽きる。

幹繁老(ガァンファンラォ)へは娘十二人と付き添いの女五人の十七人。

楊閤(イァンフゥ)菜館へは男の付き添い三人と関元(グァンユアン)の一家四人。

荷物は「明日には豊紳府へ届けます」と出迎えた界峰興の手代が引き受けてくれた。

界峰興は今回紹興で幾つかの酒蔵からで百樽、杭州黄酒百樽を買い入れてくれた。

別に売る予定の荷も預かってくれた。

東便門がわびしいのに女たちは驚いていたが中へ入り船着きから見上げる東南角楼の大きさに仰天している。

其処から小舟に分散し、娘十二人と付き添いの女五人は前門手前で降りて宿へ向かった。 

男たちは馴れているが舒慧蓮(シュフゥィリィェン)と二人の子は護城河の川岸があまり綺麗でないのに呆れている。

宣武門の手前で降りると城壁の長さ大きさに今更のように驚いてくれた。

楊閤(イァンフゥ)菜館は大きな宿で子供たちは大はしゃぎだ。

 

第三十一回- 和信外伝-へ続く。

 第三十回- 和信外伝- ・ 2022-04-04
   
自主規制をかけています。
筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   
   
     
     
     
     

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  




カズパパの測定日記