項目別バックナンバー[3]:ビジネス情報:33

知的所有権

自然法則は個人等の所有にはなりませんが、多くのものは何らかの権利が発生します。
それはあくまでも、原則の話で法律等で定められた登録・申請を行い、審査を受けて認められてはじめて、公に権利化されます。
それには、個々に設定された要件を満たす必要があります。
新規性とか独創性とか差別性とか、概念としては判りますが、現実の審査を経て権利化されるには非常にややこしい、専門的な知識が必要になります。
そして、ビジネスでは知的所有権の権利化を行うか、ノウハウとして公開しないかから、重要な判断となります。

知的所有権の及ぶ範囲は微妙で複雑です。
権利は法律ですが、将来の予測は難しく現実の進歩に遅れないようについて行く事も難しい状況です。
それ故に、新しい概念のものは権利化については意外な結果も起きています。
古くから存在する著作物の権利は、デジタル・コピーという技術との折り合いで揺れ動いています。
古い権利保有者が、コピー・レンタル・デジタル等を使用した新ビジネスに参入するのが遅れる傾向があります。
そこで利用者ではなく、提供者都合の闘争・競争が起きる傾向があります。

情報産業は絶えず、新しい存在と概念を作って来ました。
それは普及が早いにも関わらず、既成の法律の枠を越えてしまいます。
むしろ、デジタルという世界が生み出す可能性を包括できないのが実状です。
アナログ世界とデジタル世界の違いに、仮想世界が加わると、想像できない概念が生まれてきます。
それぞれの世界の知的所有権に、互換性はなさそうに思えます。
それが、対応を難しくしています。

コンピュータ関連の知的所有権に限っても、複雑で色々な意見があります。
そもそも、デザインとプログラムというふたつの姿があります。
デザインには、外観とアルゴリズムと機能設計等多数の要素があります。
どれも自然法則ではないので、知的所有権に絡みますが既に存在する法律等で対応が可能かどうか?から問題です。
そして、何を持って独自性の有無を判断するのかが難しいです。
公的に公表されていないという概念は、あまりにも微妙過ぎます。
過去のSF小説の内容?、あるエッセイの一言?が影響するのでしょうか。
言葉、ラフスケッチ、詳細設計図、デザイン模型、完成品・・どの段階で公表されたとするのでしょうか。
過去の時代では、機能する完成品の存在が基準でした。

画面デザインの知的所有権は、どのように解釈するかはいつも問題になります。
新しいタイプのコンピュータ・情報関連機器が登場すると、必ずついてくる問題だからです。
昔はテキスト表示のみでしたから、アイコンという絵表示自体が新アイデアと見る事があります。
それでは、それが変形すればどうか、半透明ならばどうか、イルミネーションすればどうか等追加のアイデアや機能が出る度に、問題の対象になります。
プログラム言語に画面デザイン機能がつくと、その言語ソフトの購入者は画面デザインおよび記述サブルーチンの使用が、個人使用および商用販売共に、認める記載がつきます。
これはプログラム言語等の、商用利用のソフト販売の必要条件になります。

完成品には沢山の部品とソフトと共に、知的所有権が含まれています。
技術的特許関係は複雑です。
結果としての発売停止以外にも、ロイヤリティ・クロスライセンス等がたえず話題になっています。
例えば、ある特許が別の特許に対して追加の機能の新規性を認められれば成立する可能性はあります。
ただし、それは独占使用が可能ではありません、元の別の特許を侵害しています。
元の特許保有者を含めて、新規性の成立部分の権利は有しています。
しかし、実際には元の特許のロイヤリティが必要な事が普通です。
それが、価値のある場合は、相互にクロスライセンス契約に進む事があります。


自炊・自炊代行

紙の本を裁断して、スキャナーで取り込み電子書籍化する事を「自炊」と呼ぶ様です。
勿論、個人が自身の本で行います。
そのうちに、その代行業者があらわれました。
これに対して、著作権者の複数人が著作権違反で訴えました。
著作権の法律は、電子書籍やネット関係は遅れている事はしばしば言われますが、併行して著作権違反が多数行われているのもネット世界での実態です。
今回は、自炊代行業者に対してですが、個人での自炊はどうかについてはこれも微妙な問題の様です。
本は物か、内容のソフトかの問題があります。
本から電子書籍(デジタル)への変換の問題です。
勿論、現行法での扱いの問題です。

紙媒体の本は、多数の著作物で成り立ちます。
いわば、知的所有権の集まりです。
そこから、一部を抜き出してデジタルに変換する事自体も現行法(遅れている等の議論は別にして)からはたとえ私的でも、かなり微妙です。
ただ、権利の侵害と解釈されても必ずしも権利の保有者がそれを行使するかどうかは不明です。
現実は、実害がなければ微妙な行為・・完全に私的な自炊はあえて、争わないと予想されます。
完全に私的とは、そこに金銭や業務が生じない事です。
従って、自炊と称してもデジタル化した本を、元に戻す(可能かどうか?)形で販売すればそれは私的と言えない行為です。
ましてや、自炊代行は、他人の購入した商品を、元の権利者に対価を払わずに金銭や業務が生じる事であり、それ意外に生じる事が容易に予想されます。

情報メデイア間の変換は、情報機器・ソフトでは常識です、ソフトは提供メディアからインストールしないと意味がないですからですが、一般的にはそうではありません。
そこに、絶えず問題が発生します。
法制度の問題とも言えますが、情報関係の法がない時はそれ以外のものを無理に適応させる事は、問題があっても現状はとりあえずは仕方がありません。
それが、時間的に長く続くと、いびつな状態になってしまいます。
CD・DVDが、媒体を販売しておらず情報を販売していた事は今では、誰もが知っています。
所謂ダウンロード販売の普及です。
それならば、それよりも昔からある書籍についても、同時に検討される必要がありましたが、されないままで電子書籍・自炊という事態に突入しました。

法律的に自炊という行為は認められるかは微妙な様です。
情報関係の法律が遅れているので、現行法の中での解釈になります。
私的のみの利用は、基本は大筋は許可されています。
だから、紙媒体書籍のデジタル化である自炊も可能であって欲しいです。
ただ、アナログ-デジタル変換とか、
本という多くの権利の中の一部であるテキストに対するコピー的な行為で有ること、
媒体が変わる事による保管の問題(紙媒体の本が破損や計時変化後の、デジタル化情報の保持の問題)等、
考えるだけ多様な解釈と問題が浮かびます。
一般に信じられている、私的のみの利用での自炊でも、違法性がないとは明確に言えない事情があります。
個人的には、私的のみの利用での自炊のみは法律的に認められて欲しいとは、願います。

自炊代行は、依頼者個人で見れば自分で行う作業を代行するだけに見えます。
しかし、費用の発生と現実に行われるであろう作業を想定するとかなり状況が変わります。
私的利用からは離れて、レンタルや図書館的な面が強くなり、しかも媒体が変わる事は典型的な私用外のコピーに繋がります。
自炊の元の紙ベースの本は、どうなるのでしょうか。
廃棄ならば、媒体の変更になりますが、再利用ならば媒体変更のコピーです。
そして、複数の依頼者から同一の本の自炊代行を依頼された場合は、どう対応するか予想して下さい。
2回自炊する筈がないと考えるのが普通です。
最初に自炊したデジタルデータのコピーを使用するのが誰しも行うと予想出来ます。
これは、私用コピーではありません。
そして、自炊しなければ預かった紙の本は、無傷です。
誰が廃棄するでしょうか。
自炊の違法性は、別にしても自炊代行に金銭面以外の違法性はないと主張しても誰も信じる事が出来ない事は明白です。

そもそも、自炊が面倒だから自炊代行が生じたのでしょう。
音楽・映像のレンタルからはじまり、ダウンロード販売や、ストリーム鑑賞に至った経過から事前に対策とか法整備とか、ビジネスモデルの構築が無かった事が後になれば不思議です。
書籍類の何を販売していたのかの認識です。
音楽・映像では、メディアを販売しているという勘違いがありました。
購入者は、情報を購入していました。
書籍を自炊する人は、同様にテキストの情報を購入していた訳です。
ならば、音楽・映像と同じ道をたどっていると言えます。
そして、音楽・映像も関連機器の進歩に応じて、著作権の問題が繰り返し起きます。
書籍もそれをたどりそうです。


動画配信

多くの問題を抱えながらも、動画配信・投稿サイトが利用者を含めて普及しています。
内容的には、ネット放送局的な姿に変わっているとの見方も出来ます。
マスメディアがカバー出来ない部分をコンテンツにしている傾向が見られます。
主としてアジア圏の、違法サイトも含めると、無視できない広がりと言えます。
生中継が増えると、ネット世界の情報源としての働きも出来る可能性があります。
従って、広義の動画関係のサイトの現状を見てみたいと思います。

動画は、データ容量が多くて原理的には可能でも実用的に容易に扱えるまでに時間がかかりました。
それが、データ転送容量の増加と、動画処理方法の進化・多様化で急激に増えてきました。
動画カメラとネット転送用変換ソフトの普及で、容易に個人が制作出来る様になりました。
そして、それらを投稿する・放送するサイトも複数登場しています。
静止画は、ウエブサイトのコンテンツの一部になっており、動画もサイト機能を利用してコンテンツに使用可能になってきました。

動画のフォーマットも次第に統一の方向ですし、再生等のソフトも少数の競合に向かっているように思います。
データの圧縮技術も進んでいますが、データ量の多さはハードの進化によって対応可能になった事が大きいでしょう。
それは、個人のローカルレベルでも、サービス会社のサーバーレベルでも同様です。
動画の録画用にハードディスクの使用が進んでいます。
大容量+低価格が進んだ事が理由です。
これは、パソコンで動画を扱う時も同様です。
本体のハードディスク容量も増えていますが、安価な外付けハードディスクも多数のサードパーティから販売されています。
外付けハードディスクの普及は、USBという標準インターフェィスの普及が大きな働きをしています。

動画配信は、自由投稿やマイページの登録で多様に拡がりつつあります。
しかし、ネット時代の他の所の問題もそのまま抱え込んでしまいました。
各種権利の侵害・違法行為が大きな比率を占めてしまったのです。
録画・コピーをしたものを、個人で楽しむだけでなく、投稿という形で公開したのです。
中には、コピーした投稿のコピーを投稿掲載するものもあります。
違法行為は削除されていますが、元のデータを持っていますし、ネット人口的に膨大な数になります。
出発点で、システム的に考慮されていないのですから、後は限りなく違法・削除・再投稿のくりかえしで無駄に膨大なエネルギーを使用しています。
ネットに流れるメールの多くは、スパムメールですが、動画の世界も同じ状態になっています。

知的所有権は多数存在しますが、購入者等が個人で楽しむ以外の利用については、極めて無知に近く同時に法的にも整備が遅れています。
公共サイトの動画・映像には多くの場合に知的所有権に関する事が含まれます。
従って、そのコピーの公的なアップは、それを侵害する事が殆どです。
また、オリジナルと思っている自主制作動画でも、全く知的所有権に関する事が含まれない場合は少ないでしょう。
権利については、著作権という言葉がよく使われますが、その内容は微妙に異なると考えるべきです。
そして、著作物であっても他の知的所有権を侵害していないかどうかは別です。
同時に、複雑なのが引用です。
著作物からの、部分的な引用は許されていますが、当然にいくつかの条件があります。
ネット時代の動画については、引用の範囲と表示は明確ではない事が多いです。
もっと複雑な事は、引用を集めた物です。
再構成に知的所有権があるか、あるとすればどの様な要件を満たした時か。
紙ベースの情報を動画に載せたら、新しい権利が生じるのか。
ただし、元の紙ベースの情報が持っている権利を侵害している事は消えません。

動画配信サイトの収入源は、会員費収入と広告収入です。
そして、会員費収入が利用に比較して伸びない理由がネットに存在する無料感覚と、コピー文化と知的所有権無視の文化です。
ただし、その元には知的所有権に対する過大な課金を科す今までのビジネスへの不満があります。
そして同時に、コピーを前提にした商品機器を開発して販売するビジネスの存在があります。
コピー機器を販売して、個人使用に限定すると述べたり・コピー回数を制限したり・機器自体に知的所有権へのロイヤリティを含めたりと、問題が起きています。
その結果が、動画サイトへの自由投稿のコピー品や知的所有権違反品の投稿に繋がります。
過去は、機器の問題だった事が、ネットの動画配信サイトに解決しないまま移行しただけと言えます。

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