項目別バックナンバー[1]:インターネット情報:75
「ネット興亡記」を読む5
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第6章:アマゾン日本上陸
(承前)
1998年、西川潔がネットエイジ立ち上げて西野伸一郎も参加した>若者をインターネットと起業とに目を広げた。
「ベゾスに送ったメール」」
岡村勝弘が西川にオンライン書店のアイデアを出した。
アマゾン社長・べゾスが日本法人社長を探す噂があった>岡村、べゾスに会いに行く。
「アマゾン誕生」
べゾスはインターネットでの「エブリシング・ストア」を考えた、最初は「オンライン書店」から始めた。
1994年シアトルでアマゾンを手つくりで起業した。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第6章:アマゾン日本上陸
(承前)
「べゾスを落とせ」
岡村と西川と西野はシアトルに行きアマゾン創設者・べゾスに面談を申し込んだ>べゾスと5人の上級副社長が同席してそこでプレゼンした。
「最後通牒」
3月後にアマゾンは「米国事業に専念して日本進出は停止する」と決定した>岡村と西野は再度対応を最後通牒して、結果として2人がアマゾンに入社した。
「孫正義の後悔」
少し後に、孫正義はべゾスに「アマゾンの日本進出をソフトバンクとの合弁」で行う提案をした>だがべゾスは単独での日本進出を目指しており合弁には否定的だった。
後に孫はアマゾンへの投資ができなかった失敗を後悔した>その後のインターネット・バブル時期に於いての投資抑制方針をも後に後悔した。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第6章:アマゾン日本上陸
(承前)
「日本にアマゾンはいらない」
岡村と西野はアマゾンに入社した。
アマゾンは、当初は日本へはオークションでの参入を目指した>1999年にヤフージャパンがヤフー・オークションを開始した事で、書籍から始める事に変更された>岡村が退社。
日本では「出版社と取次会社と書店」が組んでアマゾン参入に反発した。
アマゾンは日本で、在庫管理にITを取り入れていた大阪屋と提携した>2000/11にアマゾンは日本上陸した。
西野は独立して雑誌オンライン書店・富士山マガジンを起業した。
「べゾスの「復讐」」
アマゾンは米国で経営方針を批判された>リストラ実施したが、後にべゾスは高い目標設置して黒字化した。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
ライブドアの4つのステージ
・黎明期(1996/04-1998/夏)受託がメインで手堅い経営に徹する。
「オンザエッジ」設立、受託業。
「サイバーエイジェント」と協業。
・拡大期(2000/04-2005/08)MアンドAラッシュや堀江の露出で時代の寵児になる。
ファイナンス部門が出来て、2本柱になる。
ライブドア買収して、ポータルサイトを目指す、社名変更。
「近鉄」「フジテレビ」「ソニー」買収を狙う。
・再建期(2006/01-2008/09)ホリエモン後のライブドアの苦闘。
東京地検がライブドア強制捜査、幹部逮捕。
上場廃止。
2社に分離。
営業黒字化へ。
・LINEへ(2010/05-)
韓国ネイバーがライブドア買収。
ネイバーがLINEを公開。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「出所」
堀江貴文は1996年に「オンザ・エッジ」創業した>2004年「ライブドア」に社名変更した頃にメディアに露出した>2006年逮捕された>2013年に長野刑務所を仮出所した
>北海道大樹町で民間ロケット・インターステラテクノロジズに合流した。
「少年時代の疑問」
堀江は少年時に航空宇宙に興味持った>2004年に仲間らとロケットエンジンを開発しはじめた。
「転落」
2004年近鉄バファローズ買収失敗した>2005年2月フジテレビ買収失敗した>堀江は衆議院選挙出馬落選した>2006年1月逮捕勾留された>3月後漸く勾留を終えた。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「獄中に届いた設計図」
堀江はその後の裁判で無罪を主張したが、「偽計と風説流布、有価証券報告書への虚偽記載で実刑判決を受けた。
不正会計が裁判で認定されて、ライブドアは壊滅的なダメージを受けた。
さらにベンチャー企業への不信感が日本に広がった。
堀江は獄中でロケット開発に没頭していた。
ロケット開発は2013年に北海道大樹町でインターステラテクノロジズ結成し、製作が進んでいた。
「打ち上げ失敗」
堀江は仮出所後に合流したが打ち上げ失敗した、学生だった稲川貴大をスカウトして、2014年に稲川は社長に抜擢された。
ロケット開発は続き、2019年に高度100キロを突破した。
「ネット興亡記」を読む6
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「自殺未遂事件」
宮内良治は2006年に証取法違反容疑で堀江と共に逮捕された、53日後に保釈されたが3日後に眠れずに睡眠剤で自殺未遂事件を起こした。
「逮捕」
宮内はライブドアナンバー2で堀江の選挙出馬後は実質経営していた。
東京地検特捜部がライブドアを強制捜査して、1週後に宮内と堀江を逮捕した。
「拘置所に現れた『サトカン』」
報道が一斉にバッシングした、起訴後は弁護士以外の面会も認められた、ヤフーの佐藤が宮内に面会した。
「パソコン好きの税理士」
宮内は高校卒業後に税理士事務所で働き税理士になった。
1996年に堀江と出会った。
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第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「出会い」
宮内はオンザエッジに参加し、1999年に取締役CFO、2000年に上場して、ファイナンス部門を作り、投資ファンド・キャピタリスタを設立した。
「ギークとスーツ」
オンザエッジは、インターネットのベンチャーと、ファイナンス部門との、異なる文化のふたつの顔がある会社となった。
オンザエッジは、ライブドアとしてインターネットのポータルサイトに進出しヤフーを目指した、その手段として知名度向上を目指した。
「この会社は3倍速だから」
宮内はファイナンス部門に人材を登用した。
「社外留学で来た男」
出澤剛が社外留学で営業部門に加入したが、堀江からノルマを迫られた、後に転職加入した。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「技術のない奴は死ね」
池邊智洋はエンジニアの評価が高かったオンザエッジに転職した、後に技術の中心となった。
「ポータルサイトに進出」
2002年にオンザエッジはライブドア買収した、のちに社名変更して、知名度の高いライブドアに事業を統一して、ポータルサイトの分野に参入した、だがヤフーが既に力を持っていた。
堀江は広告戦略を展開した、近鉄・フジテレビ買収には失敗したが知名度は上がった。
「ライブドアをください」
2002年にライブドアの入札に参加した、入札参加の噂があったヤフーの佐藤完に頼み、広告出稿を条件にして、ヤフーの入札参入をやめてもらった。
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第7章:ギークとスーツ:堀江貴文と仲間たち
(承前)
「協力しません」
オンザエッジがライブドア買収>運営切り替えの応急処置した>以降のポータルサイトへの転換で赤字を続けた。
「重い「上納金」」
買収後もポータルサイト事業は赤字>宮内のファンド部門でポータルサイトの使用料を払う(内部の上納金)>違法性はないが粉飾の第一歩>常態化。
第8章:「ライブドア、迫る破滅の足音」
「粉飾への誘惑」
インターネット世界では、目先の利益か、赤字だがプラットフォーム化を目指すかの選択を迫られる。
後者は市場からプレッシャーを掛けられる>急成長企業が成果でなく手段に変わりライブドア事件に繋がった。
(続く)
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第8章:「ライブドア、迫る破滅の足音」
(承前)
「前年割れの予算案」
ライブドアはポータルサイトとしてヤフーを追った。
その過程で、実際は営業は減益決算だったが、ファイナンス・ファンド部門から補填する形で、増益を確保した。
「複雑怪奇な買収スキーム」
(この節では、ライブドアが結果的に粉飾決算の罪に問われた買収スキームが語られているが、その方面に詳しくないととても理解できない。)
「退路を断とうよ」
複雑な仕組みで偽りの増益を生み出して会社が成長している事を演出した、それを積み重ねてライブドアは深みにはまって行った。
ファイナンス部門の宮内と熊谷はこの時点で不安を覚えていた。
堀江は強気が変わらず、さらに上乗せした次期の増益の予想を公表した。
本業のポータルサイトは利益を出せないがヤフーを追う為に成長の演出が必要だった。
(続く)
杉本貴司著「ネット興亡記」を読む。
第8章:「ライブドア、迫る破滅の足音」
(承前)
「近鉄バファローズ買収宣言」
堀江は、近鉄買収宣言で一気に知名度が高くなった。
宮内は、ライブドアが実態以上に大きく見せる経営構造に陥り買収は難しいと思っていたが、堀江は後に引けなかった。
「訴訟を恐れた監査法人」
ライブドアは架空計上した、監査法人の田中慎一は疑念を持ち、ライブドアをインタビューした>粉飾証拠はみつからなかったが、取引実在も確認できなかった。
「ニッポン放送を狙え」
ライブドアは会計操作で急成長振りを見せた。
粉飾決算は気づかれず、堀江はプロ野球参入に失敗した、だが2005年にニッポン放送の株を狙い、さらにその先のフジテレビを狙って提携を提案した。
劇場型のニッポン放送のM&Aが争われた。
(続く)