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エントロピー

エネルギーを自然科学の中心に考えるまでには時間を要したが熱力学の第1法則となった、第2法則の確立はそれ以上に困難な過程が必要だった。
熱力学は産業革命に登場した蒸気機関を研究する為に産まれたが、それは社会と国を変える力を持っていた。
カルノーは蒸気機関の効率は熱の供給源と吸収源の温度差で決まると述べた、ケルビンはエネルギーの考えを導入し蒸気機関を熱機関として考え、重要な要素は吸収源にあると考えた、吸収源では余分な熱を捨てる作用を行う事に辿りついた、この「実現可能な機関には必ず吸収源がある」は熱力学第2法則の表現の1つだった。
クラウジウスは自発的には低温から高温側に熱は流れない」と考えた、これはケルビンの考えと等価だと判り第2法則の別の表現だと後に判った。

エントロピーはエネルギーの質を表す尺度であり、整然とエネルギーを蓄える物質では小さく、乱雑にエネルギーを蓄える物体は大きい。
クラウジウスはエネルギーが熱として移動する時のエントロピーの変化を「(蓄えられたエネルギー)/(絶対温度)」で規定した。
「自発的には低温から高温側に熱は流れない」の考えは、「低温側から熱が出ればそのエントロピーは減少する事になり、上記の様な熱の移動は起こらない」と説明される、従って第2法則は「世界のエネルギーは一定で、エントロピーはひたすら極大に向かう」とも表現される。
「エントロピーはひたすら極大に向かう」事は例外が見つからなく普遍性があると判ったが、その物理的な意味は分子的な解釈が必要だった。

物質を分子の世界で見て理解する事でエントロピーが増加する意味を理解出来る、ボルツマンはエントロピーは乱雑さ(無秩序)の尺度だと示した、乱雑さが大きいほどにエントロピーは大きくなる。
分子の並び方や詰まり方から、「固体より液体はエントロピーは高く、気体はより高くなる」、固体を熱すると温度が高くなり分子運動が激しくなるのでエントロピーは増える、液体を熱すると分子はより乱雑になる。
気体でも熱すると膨張し体積が増えるがそこでもエントロピーは増える、なぜならば原子の占める範囲が拡がると位置的な乱雑さが増えるからだ。
エントロピーの変化はひとつの系の中だけでなく全体を見て判断する必要がある、系の周囲のエントロピーは系から熱がエネルギーとして流れると増加し、周囲から系に熱が流れ込めば減少する。

エントロピーは何かが加わり増減が起きるのではなくて、一定量のエネルギーが存在してその質の変化が生じる時に、エネルギーと物質に乱雑さが生じる現象をエントロピー増大として認識する。
従ってイメージが判り難いエネルギーに比較して、エントロピーは判り易いと言える、ただしそれは分子的な解釈故に初期には理解され無かったとされている、現在は分子論・原子論は普通に理解されているので当時とは状況は異なっている。
熱力学の第2法則は「分子の秩序が自然に増加しない」事を指す、それは水が勝手に氷と沸騰水に分離しない事を示している、自然は秩序から無秩序へと変化をして行くがそれはエネルギーや物質が拡散して崩れて行くというイメージになってゆく。

熱機関では、熱源から熱としてエネルギーを引き出すと、熱源では原子の熱運動が減少するのでエントロピーは減少する、次に引き出したエネルギーを全て吸収源に伝えると吸収源のエントロピーは増大する。
そこでは吸収源の温度は熱源より低いので熱源でのエントロピー減少よりも大きな量のエントロピーが増える、全体としての熱機関でのエントロピーが増えるために熱源から吸収源への流れは自発的に起こる事が判る。
熱源からのエネルギー移動だけでは意味が薄いがこれに一部が仕事に換わる場合でも移動は自発的に起こる、実際にも吸収源の絶対温度が熱源より半分位ならば少ないエネルギー移動だけでエントロピーの減少を埋めて残りを仕事に使える、この機関は自発的に稼働する実現可能な機関となりえる、そしてそれには吸収源も存在は不可欠だと示している。
蒸気機関では仕事をさせる為には、吸収源を設けて(周囲の環境を含む)そこに一部のエネルギーを捨てる事で機関が動作する事も判る。

熱力学の第2法則は、実世界では変化が起きると片方では生産的であっても、別では損失が生じる事を示している。
建設作業では物を持ち上げる仕事が必要で、それに使用する機関が環境にエネルギーを散失してエントロピーを増大させる、これはどのような建造物でも避けられない。
化学反応の例として、石油を燃焼させると炭化水素分子は酸素で分解されてより安定な別の分子に再形成されるがその過程で余ったエネルギーから大量の熱が放出される、そこではエントロピーを増大する。
熱を水に与えるとエネルギー移動とエントロピー増大が起きる、水が沸騰するときは外部からエネルギーが入る気化でのエントロピー減少と、液体から気体になるエントロピー増大が起きる、高温ではエントロピー増大が大きくなり沸騰が進行する。
石油燃焼から蒸気を発生させる蒸気機関での、エントロピー増大も複数の化学反応なので加えて判る事になる。


原子

科学における原子と原子レベルでの考察の重要性は大きいが、その確立は近代になってからだった、概念や用語もこの時期から確立して行くが使用された当時は間違いだった事や意味が異なる事は普通に多かった。
18世紀にラバージェが見つけた元素の質量のパターンを使用してドルトンは原子説を考えて1807年に公表した、そこでは初めて「原子量」が登場した、だがそこには熱素という概念が導入されていて、仮説の趣旨は正しいがその内容はほとんどが間違っていた、ドルトンは原子を最小単位と考えたがそれでは、元素に異なる性質がある理由を説明出来なっかった。
トムソンは1897年に放電現象から「電子」を発見して原子に内部構造があると見つけた、ラザフォードは1910年に「原子核」を発見し、モーズリーは元素の原子番号を実験で決める方法を開発した。
原子構造の惑星型はボーアが1912年に提示したが間違っていた、それは量子論の登場で電子が粒子と波の双方の性質を持つ事が判る事で漸くに正しいイメージになっていった。

20世紀最初に出されたプランクの量子論は、その後に量子力学や波動力学として確立して行った、1926年にシュレディンガーは量子力学の基本方程式を発表した、それが解けるのは近似方法を含めても限られるが、有用な結果が得られた。
シュレディンガーは基本方程式から最も単純な水素原子について解いた、その結果は1912年にボーアが提示したものと同じ式を得た、電子の位置は存在する確率で示され原子軌道と呼ばれる、電子は無限に広い軌道も可能だが実際は原子核から離れると存在確率はゼロに限りなく近づく。
シュレディンガー方程式の解には基底状態以外の高いエネルギー状態が殻状態で含まれている、球対称(s軌道)でない軌道(p・d・f)も存在する。
基底(殻1)=sが1個
殻2=sが1個・pが3個
殻3=sが1個・pが3個・dが5個 以下・・・・
原子番号が2以上の原子ではこれらの殻や軌道が意味を持って来る。

原子番号2はヘリウムであり電子は2個でs軌道を占有する、これは完全に詰まった安定な状態になる。
電子には固有の性質として質量・電荷・スピンがある、スピンは古典的には自転方向とされた、パウリの排他律「ひとつの軌道は電子2個まででスピンは対にならなければならない」が存在するがこれは電子が混ざらなく個別に存在する意味になる。
原子番号3はリチウムで電子は3個だ、リチウムでは基底のsに2個、殻2のsに1個を占める、原子番号5はホウ素で殻2のsの2個の次にpに1個占める。
原子番号10のネオンは、基底の2個と、殻2のsに2個・pに6個が完全に詰まった状態になりヘリウムと似た性質を持つ、ここで原子番号と性質に周期性が現れる事の意味と理由が量子原子論から判る。
これは19世紀に研究された元素の分類や周期律の意味付けとなり、それらを正しく理解出来る。

昔から数個の元素が知られていたが、17世紀からその他の新元素が発見された、ただしその意味は数が揃うまでは判らず、19世紀半ばには60程の元素が見つかり揃うとそのパターンを探した、詳細の意味は前回の量子原子論での理解まで持ち越された。
当時はヘリウム・ネオン等の稀ガスが見つかっておらず、8つ毎に性質が繰り返されるオクターブ則は直ぐには認められなかった、メンデーエフの最初の周期表は正しい事が多いが原子量と原子番号の順序が一致しない事が当時は判っていなかった為に疑問視された。
周期表の効果は未知の空白の原子を予想出来る事で有り現実に後に発見された原子も存在する、実際は存在しない元素まで予言したが存在した功績に隠れて忘れられている。
現在では周期表は量子原子論を経て完成されており元素の性質をコンパクトに反映させた事が判っており有用となっている。

19世紀半ばから作り始められた元素の周期表は経験的なものであった、意味は20世紀にシュレディンガー方程式が登場してその解であると判り、その意味と理由が判った。
その基礎概念は「電子はできるだけ低いエネルギーになるように配置される」「ひとつの軌道に配置される電子は2個まで(パウリの排他律)」であり、それに従い電子が配置されて行くと原子番号による周期性が生まれて来る。
周期表の21番以降には遷移金属が並んでいるが、そこでは前々回に例で上げたs軌道とp軌道に加えて5つのd軌道が登場する、d軌道には最大10個の電子が入るので元素番号21のスカンジウムから30の亜鉛までの10元素が並ぶ、それは次の周期でも同じだ。
周期表の下にははみ出した形で、内部遷移元素と呼ぶ14個の元素が並ぶ、それは周期表の幅を小さくする為に外に出ているだけで、7つのf軌道に最大14個の電子が入り14個の元素が並ぶ、これも周期があるが次の周期のウラン以降は人工的に作られた元素になる。

1924年のパウリの排他律は「ひとつの軌道を占める電子は2個までで、2個の電子が占めるときはスピンは対にならなければならない」だ。
スピンは古典的には電子の惑星等と類似の自転方向だ、実際は量子論的な自転であり古典的とは異なる。
電子は性質として、1:2回転しないと元に戻れない、2:一定の速度で時計回りか反時計回りに自転する(どちらも中間状態はない)がある。
スピンで対になる原理は、どの原子の電子も他の原子の電子がある領域には存在しない事を示す、これは原子で出来ている物はそれぞれが形を作り、混ざらない性質を持つ事を示す、物質の性質や固さの理由として理解出来る。
波動力学や量子論での確率での解釈や、波と粒子の二元性は現実の物質と繋がらないとも言われるが、実は上記の様に物質の性質を説明する事が可能であり、化学や材料開発をサポート出来る概念ともなっている。


量子

量子論の話題は高温物体からの光の黒体輻射から始まる、それは温度によりピーク波長が変化する・全体の強度は温度で増加するという2法則が見つかっていた、だがどちらも古典物理では説明できなかった。
1900年にプランクは黒体輻射の2法則の理論的説明を考え、その中で黒体輻射のエネルギーが連続ではなくて、不連続な数値を取ると考えて、そのステップの定数として「プランク定数」という普遍的な定数を導入した、これが20世紀に発達した量子論の誕生だとされている。
「プランク定数」は現在では、6.625X10(-34乗)Jとされており、これが非常に小さいことで、実際の観測や測定ではその精度や検出能力が高くないとステップや不連続な間隔は見つからない。 古典物理で連続と考えた理由も、量子論の近似として古典物理と一致する部分が存在する事も同じ理由のよる。

光(電磁放射)はニュートンは粒子の流れと考えた、のちにラプラスも同様に考えた、しかし19世紀には波だと考えられるようになった。
15世紀のダヴィンチ以降ホイエンスを経て19世紀の実験では光の回折現象が詳しく観測されていたこれからは光は波であると考えられた。
アインシュタインは1905年に光は粒子だと考え(のちに光子と呼ばれる様になった)、金属に紫外線を当てると表面から電子が飛び出す現象を「光電効果」と呼ぶが、それは波動説では説明出来ず光子で説明した、以降は光電効果が光子の存在を証明すると考えられた。
後に光電効果は電磁波からも説明出来たので、光子の存在の証明ではなくなったが他の実験・現象で光子の存在は信じられており、光の粒子と波の双方の見方にはそれぞれに証拠がある、ただし両立させるには問題と困難がその後も残った。

物質の温度を上げるのに必要な熱量の尺度を熱容量と呼ぶが、古典的なデュロン・プティの法則は原子が振動の激しさを増して熱を蓄えると考えて、原子の数が同じならば物質の熱容量は等しいと考えた。
その後に低温ではどの物質の熱容量もゼロに向かう事が判り、法則は成り立たないと判った。
1906年にアインシュタインは原子の振動が重要としたが、加えてプランクの考え方を取り入れて原子の振動も段階的に離散的に増えると考えた、そこでは低温では全原子を振動出来るだけのエネルギーが無いために熱容量は非常に小さく、高温では全原子を振動出来るエネルギーが存在する為に古典的な法則に近づくと考えた。
後にデバイはアインシュタインの考えの精度を上げて改良した、これによって電磁放射から始まった概念が異なる分野に拡がった。

ド・ブロイは光学と粒子の力学の基本側(最小時間の原理と最小作用の原理)との類似性を調べて行き、電子の波動性を発見した、最小時間の原理とは光は最短の経路を進む事、最小作用の原理とは粒子の作用は最小の距離として働く事を示す。
 波長=h/運動量 h:プランク定数 運動量=質量X速度
この式の発見でプランク定数が量子論での物質の本質に関わると判り、式から質量が大きいと波長は非常に短くなると判るがその状態では古典力学との差はない、だが電子のように質量が小さい物質では波長が長くなり古典力学は成り立たなくなる。
ド・ブロイが導いた式は当初は電子に適用した内容でありそれでノーベル賞も受賞した、のちにそれはもっと広く物質波の波長を表す全体の式だと実験で判った、量子的な効果は質量が小さいほどに顕著に現れるが、それは電子で著しい現象だった。

量子力学はシュレディンガーの「波動力学」とハイゼンベルグの「行列力学」という2つの方程式として登場した、現在の多くの量子力学の教科書では「波動力学」で基礎を説明した後に、「行列力学」を行列表現として説明している、この2つは数学的に同じ内容だと後に判った。
ハイゼンベルグは1927年にド・ブロイの式(波長=h/運動量)から不確定性原理として「粒子について知りうる事には制約がある」と述べた、粒子の位置の観測には光子を当てる必要があるが、光子の波長以下の精度は出ない。
当てる粒子(光子)の波長が小さいと運動量が大きく(ド・ブロイの式から)なり、位置は判っても運動量は不明確になる(粒子の動きが変わる)、それ故に実際の実験・観測では量子力学の知識を無制限には検証出来ない。
不確定性原理は位置と運動量とを同時に測定出来ない事を示し、それが可能だとした古典物理学と異なる、量子力学では位置と運動量とを同時に測定出来る下限があり、ハイゼンベルグもシュレディンガーもそれを方程式に含ませた。

ハイゼンベルグの不確定性原理の考えはその行列方程式に含まれているが、シュレディンガーの波動方程式ではド・ブロイの式の物質波の考えを、波動関数として呼んだ。
ボルンは光の強度は電磁波の強度の二乗であるという関係の考え方を、波動関数にも適応して「ある地点の波動関数の二乗を、そこに粒子が見つかる確率と解釈できる」と考えた、二乗だから確率としては差が大きくなると共に、波動関数が負になる領域でも二乗の確率は正になる性格がある、負の確率はこの考え方の中には存在しない。
古典物理学では粒子は領域内に均一に存在するが、量子論の波動関数の強度は均一に存在せず領域内に等間隔で並ぶ、それでも広い領域に拡がるので位置は確定しない、だが運動量は正確に判るので不確定性原理が成り立つのだ、一方では波束や定常波と呼ばれる均一では無い波は複数の波の重ね合わせで生じる、そこでは波の局在があるので位置がある程度判るのだが、同時に複数の波が重なっている為に運動量は不正確になる。

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