項目別バックナンバー[5]:技術情報:41
膜
膜は、主に液体や電解質等を区切るスペーサー的な区切り機能の物質形態を指すが、単純に薄い材質のものという意味でも使用される。
物理のエントロピー増大の法則を出さないでも、複数の材質の混合は、分離よりも容易であり、膜の単純な使用方法は、混ざる可能性のある複数の材質の分離と保持だ。
その次は、一部の物質のみの膜の通過機能で全体の機能性を持たす事だ。
それが進むと、本来は混在する物質を選択的に分離する機能となる。
機能というと特殊に感じるが、現実は膜に孔が空いていて、その大きさよりも小さい物質のみが通過出来るだけだ。
ただし、孔の均一な大きさと分布を作る事は難しい技術であり、また孔の大きさを望むものに作る事も同様に難しい。
膜の形状は、スペーサー的な場合は面状で使用されるが、供給側は特性と兼ね合いで納入可能形態が決まる。
もう一方で多いのが筒状で、その中を液体が通過すると孔から特定成分が分離される方法だ、長さが問題になるので折り返しとかスパイラルとか色々な方式と形状が提案・使用される。
用途によって、寿命が異なる。
製品寿命以上が要求される用途もあれば、膜の交換を前提にした使い方もある、この場合は膜を組み合わせた部分をまとめて交換する方法が一般的でモジュール単位の交換といわれる、小型ではカートリッジとも言われる。
膜の材質や成膜方法は、理論よりも実践での進歩が大きく、ノウハウの比重が大きい分野だ。
実験レベルでは長い歴史があるが、実用は遅くしかもゆっくり進む状況はその性質による所が多い。
簡単に言えば、1:製作出来る膜が完成後にその用途を探すのか、2:逆に用途がありそれに要求される膜を目指して開発するのかが基本的な違いだ。
当初は前者であり、実験的に完成し特性を得ても、用途が見つからない事になる。
後者は、普及しない状態では要求特性自体が曖昧であったり、現実性が弱い事が多い、近い性能の膜が出来たとして実用に向けテストすると始めて問題点が多数見つかる。
結局は、これの積み重ねが多数行われて始めて、用途に合わせて膜の設計生産が可能になる、それゆえに時間がかかる。
膜自体は通常は透過方向選択性を持たないので、何かの力で圧力を掛ける必要がある、それに押されたときに孔を通れる物質のみが通過する。
圧力としては、電解質の場合は誘電力がある。
海水等の粘性では、水圧が力となる、管を流れる時に壁に接した部分が圧で、分子が小さい物が膜を通り抜ける。
水圧で対応するのが主体であり、それ以上の圧が必要な場合は膜自身の強度が問題となる。
水圧でも膜の強度が不足の場合は、膜を取り巻く強度のある管を別途併用する。
その場合はその隙間に、緩衝材料を挟む事が多い。
これまた、ノウハウの集まりとなる。
膜の食品関係の利用では、果汁状態の分離・濃縮と海水等からの水の分離の用途が多いが、それぞれ地域性がある。
水が豊富な所では、海水から水を分離する必要はなく意識自体がされない、また農業等の生産地以外では農産物の輸送や加工とその後の輸送手段は興味を持たれない。
それぞれでは、膜は水を選択的に通す設計で作られて、膜の筒状内を通過する時に圧力で水のみが膜の外に押し出される、通過した液体は濃縮される事になる。
海水分離では、外に押し出された水が目的物であり、果汁等では内部に残った濃縮液体が目的物となる。
膜では寿命とメンテナンスは必要だ。
それを容易にするのが、モジュールであり、カートリッジだ。
消耗部分だけの取りかえ時間をその最低の組み合わせ単位の交換とする。
あるいは、もうすこし大きな装置単位として取りかえる。
提供元は、寿命部は廃棄だが、周辺機器は廃棄部分の取り替えで再生するのが多いビジネスモデルだ。
また、筒状の膜の内部洗浄も課題だ、提供側に関わらずアイデアやシステムが提案される、単に洗浄水を流すのか圧力はどうか、スポンジ等の変形し膜を痛めないで接触し洗う材料を流す方法はどうか。
膜は、それ自体の研究開発だけで実用化は難しく、周辺技術が伴い実用化される、そのために登場からアイデアから実用までに時間を要した。
発電
電力は消費に便利だが、発電と送電は難しくかつ蓄積が難しい。
発電は、電荷を動かす事で発生させる方式が主流で、何かのエネルギーでタービンを動かす。
水力発電では、水の落下エネルギーを使用し、火力発電や原子力発電や地熱発電では熱水を作りまたは利用してタービンを動かす。
風力発電は風で羽根を回し、大陽電池は半導体特性を利用する異なる方式だ。
エネルギーの変換によって最後に電力を得るが、変換効率は100%でないので効率は悪い。
主流発電がタービン方式で、その中の熱タービン方式が火力発電と原子力発電等だ。
エネルギー>熱>タービン>電気と変換されるが、発電所の建設時代で使用技術は変わり、当然ながら新しい程に変換効率と発電コスト面は優れる。
ただ、全体の建設費や廃棄費用を考えると簡単に置き換えはできない、特に原子力発電所は廃棄技術が確立していない。
発電方式の比較には、発電所または施設の寿命が大きく影響する事が判る。
しかも寿命が来たときの停止・廃棄・メンテナンスの手段と費用の見積もり(時代性があり精度は落ちる)を含まないと、長期計画は算定出来ない。
安定電力供給を目指すなら、発電方式のバランス問題がある。
特定の方式に依存すれば、それに不具合が起きれば致命的な不足が発生する。
多数の方式の併用であれば、安定供給の可能性は上がる。
どうしても目先の効率やコストに眼が行きがちだが、長期計画では色々な脅威を考える必要があるし、その対応は発電方式の多様化が含まれる。
発電コストについては、予測が不能と言える位に、変動要素が大きく経営手腕の影響が大きい。
日本国内でさえ、地域独占でも発電方式比率やコストや販売費用は異なる。
日本国内で地域で、電力代の差が生じている。
発電方法の構成差や、止まっている原発の維持費などが影響するが、東日本震災以降から年月が経過すると、次第に経営判断の能力を疑う意見も増える。
採算性や供給能力が悪化すると、発電方式の中期以上の計画性の誤りやそもそもの経営体質を問題にする事が増えつつある。
発電方式は長所や短所があり、同時に夜間の過剰の昼への利用方法・現在は揚水発電が使用される・・も合わせて課題となる。
電力は送電損失が大きいので、発電以外も課題は多い。
だがそれらも、含めた発電方式と言える。
発電設備は驚くほど稼働年を長く見積もる。
一度作れば半世紀近く使用を計画する、技術革新の速い時代におよそ合わないが単純なコストと廃棄等の問題が絡み、わざと先に延ばす。
原発事故が起きても廃炉は進まず、二酸化炭素の環境破壊問題があっても火力発電は続く。
その他の発電方式は、そもそも耐用年数が不明で、技術開発からは途中が多い。
ただ、大規模発電を行わないと技術が向上しないというジレンマも抱える。
経営的に観て、複数方法の技術開発と比率の平準化を目指すのがリスクの最小化に繋がるのが普通の見方だが、短期的なコストで見ると異なる。
未解決問題の解決予想の有無という予測も大きいが、現実はそれとも異なるのが現状だ。
発電方法や発電所建設は、ハイリスク・ハイリターンのビジネスだ。
決定要素が多岐に渡り、確立しない評価方法が絶えず揺らぐ。
そして、その評価も議論もランニングで行う必要がある、現在稼働している発電設備での供給でやりくりできるのか、最低でも中期計画は必要だ。
国や地域の事情で異なるので、参考にする事は多いが最後は個別に決定する事になり、送電ロスも多く、輸入は向かないし、国内に限っても他の地区からの融通は限度がある。
国策産業だが、逆に問題点の改革が難しく進まないというジレンマに陥り易い。
動物生態学
動物生態学が一般に注目されたのは、ローレンツら3人がノーベル賞を医学・生理学部門で受賞した頃からだろう。
ファーブルの昆虫記やシートンの動物記など著名な物は、自然科学か文学かあるいはノンフィクションか、意見が別れる。
日本でも今西錦司らの業績と複数の写真家の動物の生態写真の扱いは曖昧だ。
基本は観察だが、何を、如何に関与するか、一般性はどうか、他の分野特に自然科学との接点を如何に求めるか等の課題が、随時示されて来たと言える。
実験動物として各種生物の飼育を行う時代では、医学・生理学と動物生態学は接点が出来てきた。
また、それ以外のジャンルとも接点が生まれてきた。
動物の生態に理由を求める事は観察方法に工夫が必要になる。
そこには、自然観察だけでなく、何かの方法での関与が必要になる。
ただし、観察・関与が事実を歪めない確認も必要だ。
例えば、春になれば活動が活発になる場合は、春になった時の何の変化が影響するのかを調べる。
自然界では外的・環境要因だが、気温?・風?・植物?・・・多数考えられるが、それは対象を如何に認識するかの確認に進む事になる。
温度を感知するのはかなり確かだが、それが行動に結びつく具体的要因を調べる事は1例だ。
目が見えるのか、可視光線か、人間と何が異なるのかと追求すると深くなると同時に他の分野の知識や装置が必要になる。
動物生態学が、まずは動物自体の解剖学や医学的な能力や生殖方法と結び付ける事は判り易い。
対象動物の、感覚能力が判って初めて生態の意味が判る事は多い、食物を得る手段が判って行動の意味が判るし、生殖活動には多様な理解し難い行動がある。
季節や温度による変化=毛の生え替わりや渡り行動などは、引き金となるものが何かと繋げる必要がある、夏と冬は異なるだけでは観察記で終わる。
何を認識するかには、実験で判断する事も必要になる。
色を見分けるのか、形状を見分けるのかその他かは・・1例だ。
個体の行動と共に、集団行動の研究も必要になるが、そこには多くの課題が増える。
個別の生態から、集団の生態に着目すると、
・集団の役割分担
・他とのコミュニケーション手段
がまずテーマになる、これらが判って次の段階に進める。
現在では動物生態学は、絶滅危惧種の保存や人工養殖や自然繁殖種を相手にしたビジネスなどにも密接に関わる。
初期にミツバチの生態が研究された事の理由の1つは、ノウハウで行われていた養蜂業の絡みもある。
女王蜂を中心にした、役割分担の集団行動の研究と解明や、コミュニケーションによる集団行動の解明が養蜂業の正否を左右する事であった。
養殖が行われている動物でも、全世代の生態が判っていないものは多い。
その解明で、本格的な全世代の人工の養殖が可能になり、自然保護と食品対応への道が広がる。
人工で生態系が作れるかは難しい問題だが、試行錯誤だけでなく動物生態学の研究が進む事でより成果が期待される。
動物生態学が初めから、応用を前提としなくとも、方法論や結果の成果は類似動物の生態研究に応用できて、早く進める事が期待出来る。
ただし、単独種かそれに近い動物生態学と、多数の動物や環境が含む生態系とは結び付ける事は難しい。
これも併行して進む事になるだろう。
生態学というマクロの分野が行き着く所は、ミクロの機能解明になる様だ。
動物がいかなる能力を持つから、生殖や遺伝までかかわるとミクロの世界になるし、その知見が動物生態学での間違った解釈を防ぐ。
同時に不要の仮説や実験も省ける。
逆にミクロの研究者は、実験動物の飼育にとって動物生態学の知見は有用だ。
動物生態学には多様な動物に共通の特徴を見出すのが目的の分野と、個々の生態の研究で足がかりを作ろうとする分野があった。
双方は相互に影響を与えるが、ミクロの分野が関わる事で、また1つ繋がる部分が増えた。