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バンド理論
固体物理学を中心にした分野における固体のバンド理論(帯理論)はその半導体への適応と、半導体技術の進歩とその結果の集積回路の使用量の増加とその結果としての情報産業の急激な進歩により一般にも知られる様になった。
バンド理論は、結晶などの固体物質中が対象であり、その中の電子が量子力学的にどの様なエネルギーレベルに分布するを扱う理論を指す。
連続したバンドに電子がぎっしり埋まっていれば、見かけ上は電子は動けないので電気的に絶縁の性質を持つと説明される、自由に電子が動ける程の空いたスペースがあれば電子が自由に動けて電気が流れる導電体とされる。
ある種の半導体は本来は絶縁体の性格だが、熱で少数の電子がバンドから別のギャップを挟んだバンドに移る事で動ける電子が出来て電気が限定的に流れる、または微量の不純物を混ぜる事で浮遊準位が出来てそこに電子が移動する事でバンドに隙間が出来て半導体の性格を持つと説明される。
バンド理論は量子力学から生まれたと言われる通りに、基本方程式であるシュレディンガー方程式(波動関数)の一つの解だ。
設定する条件は、結晶構造内に於ける並進対称性の仮定で無限の繰り返しと表面や欠陥や有限スケールを除く近似を行う。
バンド理論は上記の条件(仮定)の元で、ブロッホやパイエルスやブリルアンらにより確立された、そこではブロッホの定理が存在する、その内容は「結晶中の電子状態(波動関数)は波数と呼ばれる量子数で指定される。」それ故に「エネルギーと波数の関係式が原理的に書ける」だ。
波動関数が書ける事は保障されても、例えば自由電子などの他の解と同様に、その条件の下での解が厳密に解ける訳でなくて、実際は近似(摂動)解が解かれている。
波動関数が存在するものを、近似的に解いて行くのがこのジャンルの一般的な手法だ。
バンド理論での基本的なイメージは、基底になる連続したバンドとその上のエネルギー準位にある安定だが他のバンドとはギャップがあるバンドと、それ以外の不純物等で生じた離散的で小さなバンドの存在だ。
ギャップで離れているがそれ自体は容量があるバンド内は電子が動けるとするが、空白の有無でマクロの電流が可能かは別れる。
満たされた基底バンドと、ギャップを挟んだ空白のバンドを考えると、基底から幾つかの電子が励起されて上のバンドに移った場合は、基底バンドに空白が生じて対応する電流が流れる、同時に空白のバンドに電子が移る事でそのバンドでも電流が流れる。
その電子の励起が温度による熱の場合は自然励起と呼ぶが、半導体が低い温度の絶縁状態から温度上昇で電気抵抗が下がり電流が流れ始める現象を説明する。
電子の励起エネルギーは、温度の他にも他の熱や光(電磁波)や電流や化学反応や多数ある、それで半導体の電気性質を変える事が出来しバンドを使い説明出来る。
バンド理論の半導体物性と電子素子への応用が、半導体素子と集積回路(IC)と大規模集積回路(LSI)の技術と著しい発展に繋がった。
その具体的な内容は、半導体の高い純度の結晶の製作でありその加工と不純物の追加制御だ、結晶の不完全性は不純物と共に制御出来ない雑音と非再現性をもたらす。
高い純度の結晶は理想的なエネルギーバンドを形成すると考え、そこに制御された不純物をドーピングする事で有用な電子素子の機能を作る、具体的にはダイオードでありトランジスタ機能でスイッチと増幅機能が作れる、この機能をサイズを小さくして多数設ける事で集積回路や大規模集積回路が作れる。
バンド理論では不純物のドーピングは結晶に歪みを作り局所的なエネルギー準位が高い離散準位(帯)を形成する、その離散準位の位置や大きさは不純物の種類や特性で代わりバンド理論で予測と理解がかなり可能になってきている。
バンド理論では空白のエネルギーバンドに電子が埋められて行く状態を考えてゆく、その結果としてバンド内を自由に動ける電子の有無で、絶縁体・導電体・半導体を考える。
バンド理論では電子の移動で電気が流れる現象と同等の事を電子の欠落=空孔の移動でも生じると考える、例えば5個の順位に3個の電子が存在して1個の空孔が存在する時には3個の電子が移動する現象は1個の空孔が移動する事と同等になり、あたかも電子と荷電の符号が逆の+が動くと考える。
半導体は、電子が動くタイプ(N型半導体)と、電子の空孔が動くと考える(P型半導体)とに分類するが、それは製造過程で加える不純物の種類により異なるタイプが出来る。
2種類の半導体を接合する(PN接合)とその接点では整流作用が生じてダイオードが作れる、(PNP接合)(NPN接合)を作れば小さな信号を大きく増幅するトランジスタを作れる。
実際にはその機能や原理も複数あるが、ダイオードとトランジスタを主体に組み合わせてICやLSIを作る事が可能となる。
バンド理論では欠陥のない結晶から考えてそれを乱す不純物を考える、その時に生じる電荷を動かす電子と正孔を考えて、N型半導体とP型半導体の考えを産む、そこからPN接合とダイオードとトランジスタが生まれる。
結晶を乱す物とあるいはその事を不純物と見なす事により、バンド理論は広く拡張出来る、例えば表面と結晶粒界では結晶が途切れて乱れる、結晶の歪みも同様に乱れとする事が出来る。
結晶の歪みは圧力や温度で生じるし電気的に歪みが生じる現象もある、多結晶やアモルファスやガラス状態も結晶の歪みで近似出来る、歪みが大きすぎる場合は離散的な不純物準位が多くなりすぎて互いに繋がり、半導体の性質が無くなると考える、これらは定量的に扱う事は難しいがバンドと離散準位のイメージで定性的に近似的なイメージを描く事は可能だ。
物性にはバンド理論では説明が難しいもの、例えばモット絶縁体や強相関電子状態もありバンド理論は万能ではないが、有用な考え方を提供し続けると考えられている。
エネルギー
自然科学でのエネルギーの考え方の重要性と有用性は今では誰でも知っている、だが科学で具体的に使用されたのはそれ程に古くはないとされる。
19世紀最初にヤングが使用したが内容的には疑問があった、科学的でないエネルギーの概念はギリシャからとされるが、他の科学と同様にガリレオとニュートンが具体化した、それは現在では古典力学と呼ばれる内容で「1・慣性の法則、2・力=質量X加速度、3・作用と反作用の法則」で第3法則は保存則に結びつけられる。
エネルギーが科学に加わったのは、ヤングの半世紀後の19世紀中頃のケルビンからと言われる、そして運動エネルギー=(1/2)X質量X(速度の自乗)で表された。
そして運動エネルギーから、「エネルギーは運動する能力」だと導かれたと言う、そこから位置エネルギーという言葉が出来た。
総エネルギーが「位置エネルギー+運動エネルギー」だとは今では義務教育で習うが、それ故に他の「エネルギーと付く言葉」は「位置エネルギーと運動エネルギー」の2つのエネルギーで表されるが、それは知らない人は多い。
19世紀中頃にヘルムホルツが「力学と光と電気と磁気」との統一性をエネルギーを利用して研究した、だが現在にそれ見ると「熱」が抜けていると気づく事になる。
蒸気機関の発明は革命的な出来事だったがその後も熱の本質の理解までには時間が掛かった、当時は熱は無限に生み出せる考えがあったがそれはエネルギー保存則とは反する。
そのころは「仕事」と「熱」は別でありそれを変換する「熱の仕事等量」という研究が行われたそれを義務教育で実験した記憶がある、それがエネルギー保存則に繋がり熱が無限に生み出せない事が判った事にはプラスになった、ただその後に(現在は)双方の実体はエネルギーであると認識されている、それに達するまでは「永久機関」という不可能な夢を追う人が存在した。
「仕事」と「熱」をものとする見方から、どちらもエネルギーを伝える手段だと現在は理解されている、それは原子スケールでの原子の運動と理解して解決した、原子の動きが「仕事」するそして「熱」は原子の運動だ。
「仕事」と「熱」はどちらも現在ではエネルギーとして理解されているが、歴史を含めてその大きな差は、エネルギーを「熱」として取り出す事は容易だが、エネルギーを「仕事」として取り出す事が難しい事になる。
理由は「熱」は原子のランダムな運動(ブラウン運動のような)だが、「仕事」は原子のまとまった秩序のある運動が必要となるからだ。
エネルギーを力学的に運動エネルギーと位置エネルギーから導いて、保存則まで繋げたがそれを原子レベル以外で説明しようとすると19世紀に悩んだ問題が再度生じる、目に見える実体として示そうとすると失敗しやすい。
重力は近くの接するものに働くが、遠隔へも働くような説明になりがちで、近接力とする為に場を間に入れて考えるが場の実体が説明出来ない。
位置エネルギーを重力場と質量とに分離しようとする事は難しく、位置エネルギーは直接的にかつ単純に示せない場への仕事を間接的に表す手段となっている、重量だけでなく電磁エネルギーなどもそれを分離して説明する事は難しい。
エネルギー保存則が確定して、しかもそれが経験則ではなくて自然法則となると適応範囲が一気に広がる、「仕事」と「熱」の保存が原子レベルの考察でエネルギー保存則に繋がったが、それは例えば宇宙規模でも適応される。
宇宙規模の事は実験出来ず観測にも制約は多いが、そこにエネルギー保存則が適応される事は新たな推察が広がる。
宇宙のエネルギーのトータルが保存される=一定だという事になった、その次の課題はその量はどれくらいだろうかだ。
観測されるエネルギーは膨大に見える故にエネルギー総量は無限大と考えた時代もあった、またアインシュタインの質量とエネルギーの等価式(エネルギー=質量+(光束の2乗))が知られてからはますます膨大だと考えた時代もあった。
だが力には反発力と引力がある、引力が働く事は物体のエネルギーを減少させる事は位置エネルギーから判る、引力をマイナスのエネルギーとすると宇宙全体のエネルギーは少ないと判ってくる。
物体(例えばロケット)の地球からの脱出速度は研究されている、宇宙の膨張についても同様な考察を行うとどこかで膨張が止まる所があると考える、そこではエネルギーもプラスとマイナスがつり合った状態と考えられて、総エネルギーがゼロと考える事が出来る。
エネルギーは判り難く理解は直感的ではない、そしてエネルギー自体は見えないが、その結果として存在が目に見えるものと、存在が見えないものがある事も直感的でない理由だ。
例えば恒星に蓄えられているエネルギーはその輝きで感じる事が出来る、物質に閉じ込められたエネルギーは燃焼して熱や光となり感じる事が出来る、これは前に述べた取り出し易い熱エネルギーが関係する。
逆に例えば重力の様にその存在が目に見えにくいものもある、これも前に述べた仕事エネルギーに関する取り出し難いエネルギーだ。
エネルギーに関する知識や見積もりが誤ったり、イメージが難しい事はエネルギーの全部が同じ様な性質でなく、同じ様に見えない事があるのが理由だと考えられる、それは深い関わりがあるエントロピーや量子的な例外事項の理解も難しくする。
エネルギーは静的に考えるとシンプルだが、その変化を動的に理解しようとすると、出来事が生じてから次第に変化して崩壊するまでの過程の理解の難しさに辿り着く。
エネルギーは古典論では明確な存在と理解されるが、量子論の世界では確率的であり確定的な数値を持たない。
一般の量子論が示す様に、無限大の時間の結果としてのみ確定的な数値になり、有限な時間では数値は確率的であり確定しない、そこでは量子論でのみ理解出来る世界ではエネルギー保存則が成立しない事もある事を示す、これは量子論で存在するパラドックスと同じ理由による。
エネルギーは動的に見ると無秩序な方向に変化するが、それをエントロピーと呼ぶ事も知られて、熱学の第2法則「エントロピー増大」になる。
分類と進化
宗教は科学・技術よりも歴史が古くしかも今もそれは続いている、自然科学の対象はそれが理解が難しいと宗教上の神が作った・選んだとの解釈になりがちであり、それが科学の歴史の一面だとも言える。
科学はいくつか仮説を立てた場合に、自然現象と一致したものが正しいとして残る、そこに神的な存在を思う事は今もある。
科学の対象が生物でそこに人類が含まれると、宗教との境界と、自然の理解は仮説レベルでは受け入れられ難くなる、それは現在も地域によれば同じだと言う、宗教の影響が少ない日本と海外とは異なるとも言われる。
仮説のレベルを向上させるには、事実を積み上げるか全体を見渡す等の手法があり、分類という作業はそれに対応する。
分類は生物の外見と類似性の観察と分類から始まり、生物をその構造の複雑さで分類する、何故に精密な構成になっているかの考察からは、何かが創ったという考え方と、シンプル構成から進化したという考え方が生まれた。
聖書では神が全ての生物を作ったと記述されている、昔も今もそれを信じる人がいる様だが、それでは説明が出来ないと考えた人がいた。
科学は理論を立てる事も方法の一つだが情報収集という別の重要な方法がある、それらの人は情報を集めて、その後に分類を行った。
植物学者のリンネは多様な生物に名称をつける事を考えた、その過程で生物を類似性を考えて階層に分類した、そこでは人を含めた階層別の分類を行う、その後により細部までの分類を進めた。
現在では分類自体よりも、類縁関係とそれによる系統の分岐の方が重要と考えられているそれはヘ二ッヒが行った事だ、系統の分岐を考える事は論理的な考え方だとは思えるし、その考え方も広がった。
どの考え方でも生物の種の分類の根拠は難しくて曖昧だと言われ続けた、外見での分類は根拠が弱いので、その代わりに生殖性で分類する考えが生まれた、ただし生殖しない生物も存在する為にそれで解決出来ずに、他も含めた複数の分類方法が並んで進んだ。
分類自体よりも類縁関係とそれでの系統の分岐を重要と考える事や、生物を生殖性で分類する考え方には、生物の進化や遺伝という考え方が近くに存在する。
生殖性とは生殖で子孫を残す事が可能かどうかの判断だ、そして何故に種が受け継がれて行くかのメカニズムに注目が行くと共に生物の種が誕生して滅びて来た歴史の研究に進む事になる、そこでは神が作った訳でない意見になるが偶然の要素は残りそれが何故か考えると神がサイコロを振ったかどうか的な考え方は残る。
生殖性で曖昧なイメージに識別出来る形態がある「種」を分類する事は無理とされている、ただし生殖により遺伝されると識別出来る形態も受け継ぐ事になり似ていると識別する分類方法とは実は一致点がある。
種を環境や、生物が作る集団で分けるまたは別れるとする考え方もある、隔離された集団には類似が有っても、どこかに差が見つかる事が普通だからだ、この外観の差も生殖が隔離されている事とも対応する。
生物を種で分ける考えは、生物が進化した又は今も進化途中にある考えに繋がる、それは過去の時間からの変遷を見る事でより判る。
生物の過去は化石で残り、化石の記録を扱う科学分野を古生物学と呼ぶ、化石には最初は哲学的というか自然科学とは別の見方が有った、今では骨や歯等の無機質が閉じ込めれて圧力で変化して堆積岩になったと科学的に理解される、その化石が出来る過程から判る様に、地球の中央から上昇したマグマから出来る火成岩には化石は含まれない。
有機物でも形状が岩の中に残る事はある、生物がその形状のまま閉じ込められて見つかる事がある、氷河の中のマンモスであり琥珀の虫だ。
化石は全ての種が残る筈は無いが、分類する事で古代に存在したが今は居ない種や類似の種が残る種が見つかり、それらを生物の木として見る事で進化の過程が判ると考えられる。
生物の進化には「小進化」と呼ばれる僅かずつ変化が起きる過程が有り、それが累積して「大進化」になると考える事が出来る、その累積と言う考え方を「漸進進化」と呼ぶ、だが化石の記録では不明だ。
化石の記録を調べると「漸進進化」で予想されるが見つからないものがある、その理由として「存在したが失われた・残っていない」か「漸進進化が間違いで、一気に進化が起きたり進化が起きなかった時期がある=断続平衡説」が考えられた。
当初は極端に異なる反対の説と思われたが、双方が併行して存在する考えに変わって来ている、種の分化が適応の変化の累積と考えるか、種の分化が適応を起こすかを選択する事は慎重さが必要だ、そもそもの自然選択説の欠陥となる可能性がある。
進化はプラス方向に限らない、環境が変われば不要になる器官・機能がある、それが衰える・無くなる事はマイナスの方向だが、それも進化と言える、適応・進化をプラス面だけでなく広く見る必要がある。
現在の進化論はダーウィンの「種の起源」からの「自然選択」の考え方に始まるとされる、それ以前にはラマルクの「生物遷移説」=生物の欲求が変化を遂げさせるので努力が重要、チェンバースの新種は奇形の誕生で偶然現れる等があった、正反対の考え方が長く存在した事を今では判る。
ダーウィンは5年間の世界航海で見聞し、特にガラパゴス諸島での判り易い生態系で多くを知ったが、それの不思議さの理由が直ぐに判らず航海後にアイデアを得た。
ダーウィンは20年以上も「自然選択説」の実例を集めたが影響の大きさを考えて発表しなかった、その間にウォレスが似た様に旅行して同じ考えに辿り着いた、その論文を受け取りダーウィンは自然選択説の準備原稿とウォレスの論文を公表した、そして準備原稿を簡素化して出版した。
その結果ウォレスが「自然選択説」発見者をダーウィンに譲ったとされる、そしてその70年後頃に漸く「自然選択説」は受け入れられた。