「星界の報告」について
正式名:「星界の報告」 著者:ガリレオ・ガリレイ 発表年:1610年 パドヴァ大学 日本語訳 「星界の報告」:岩波文庫 「星界の使者」「星界からの報告」等の訳もあります。
原典「星界の報告」について
ガリレオ・ガリレイの2回目の登場です。 ガリレオは早くに数学を学び、「機械学」も著しています。 天文学的には、早くから太陽中心説のようですが宗教との問題を 想定して公表していなかったとされています。 1609年に望遠鏡が発明された時に、自身もこれを製作して 天体観測をして多くの発見をしました。 その観測結果は、・「星界からの報告」:1910年と「太陽黒点 論」:1912年の著書に記述されています。 これにより、ガリレオは有名になりトスカナ公のもとの研究者に なりました。 しかし予想どおり、聖書の記述との矛盾から地動説を捨てるように されました。 この後に大著としてまとめられたのが、「天文対話」:1632年 です。
「星界の報告」の内容
望遠鏡を自身で製作した事 ガリレオ望遠鏡の構造 望遠鏡の倍率を決める事 観測 ・月と地球が照らし合う「二次光」 ・恒星の多くの発見>非常に多い ・星雲が実は多くの星である事 ・木星の衛星の発見:4衛星>月が地球の衛星である推測
感想
ガリレオ・ガリレイは、「天文対話」とその後の「新天文対話」 以外にも多くの論文や著書があります。 それぞれが歴史的に重要な内容が含まれています。 ガリレオは天文分野で有名ですが、それ以外のも多くの研究があり ます。 しかし、ガリレオ以前の宇宙論が間接的な事や精度の悪い観測に よるものが主体でしたが、当時発明されたばかりの望遠鏡を自ら 研究して製作して、より広くかつ精度よく観測を行った事は、方法 論的に画期的といえます。 そこでの観測結果は、驚愕の結果でその報告は大きく注目されま した。 しかし、それもその後宗教的に弾圧を受けた事はフィクションも あるでしょうが有名です。 その結果はこの関係の著書は、「天文対話」ぐらいになりました。 それも直ぐに発行禁止になりました。 自然科学における、観測や実験の重要性が明らかになった事でも 非常に重要です。
歴史に残る古典的自然科学書をよみましょう。
間違いがあっても天才の思考を少しでも理解しましょう
哲学的・宗教的な部分は現在の遺伝子工学にも匹敵