「ドルトン」について
イギリスの、ジョン・ドルトンは1766年−1844年に生きて いますが、当時はまだ科学の専門化が進んでいませんでした。 従って、その活躍した分野は複数です。 具体的には、化学・物理学・生物学・気象学等です。 自らの体験を元に、「色盲」を題材としました。 また、気象学は生涯にわたって研究対象としました。 ドルトン以前は、ガリレイの動力学の研究>ラヴォアジェの燃焼 理論から、色々な事が整理された後です。 それは、物質の本質としての原子の研究です。 哲学的な理論を、元素という概念と実験化学から、化学での原子の 概念を確立したのが、ドルトンとされています。 ドルトンの「混合気体の分圧の法則」は1801年に発表されたが その中の粒子という概念は、ニュートンの考えがヒントになっている と言われています。 質量保存の法則と定比例の法則とが矛盾しないよう説明するため、 次のような原子説を提唱しました。 ・同じ元素の原子は、同じ大きさ、質量、性質を持つ。 ・化合物は、異なる原子が一定の割合で結合してできる。 ・化学反応は、原子と原子の結合の仕方が変化するだけで、新たに 原子が生成したり、消滅することはない これと、化合物の組成と組合わせて「原子量」の概念に達したと されています。 ここから発展させた、「定比例の法則」「倍数比例の法則」も人に よっては、ドルトンの法則と呼ぶ様です。
「化学の新体系」について
ドルトンは、1803年に原子の概念と、化合物に適用した倍数比例 の法則を講演で公表しました。 その内容は、トーマス・トムソンが「化学の体系」で紹介されました。 ドルトン自身が、書物で発表したのは、1808年の「化学の新体系」 第1部です。 その後に色々な実験で、彼の理論が証明されて原子説が理論的根拠と 言われるようになりました。
「化学の新体系」の内容
原著 「化学の新体系」A new system of chemical philosophy (1808) 日本版は完訳の有無は不明です。 中央公論社の「世界の名著」の中の「現代の科学 1 」で 紹介されています。 「化学の新体系」第1部の第3章は、「化学合成について」です。 そこで有名な、元素記号の表と図が登場します。 とは言っても、現在の元素表や記号とは大きく異なります。 ただ、元素表や後の周期律・原子結合の最初と見る事が出来ます。 これらが、アボガドロ等によって次第に整理されてゆきます。
感想
ギリシャに端を発する哲学的思想の多くは、否定されてきています。 ただ、化学理論=哲学思想と言う面は長く続きました。 ドルトンの時代には、実験的実証が重要になって来ていますが 科学の分野の発展と共に、体系化が必要とされました。 その中には、ギリシャの哲学的発想を基にしたものがあります。 ドルトンの業績を見ると、当時の前後の研究者の業績との継続した 流れが感じます。 現在では普通の事ですが、昔は進歩も緩く、情報も少なく、一見 すると突発的に登場するかの様に見える事もあります。 ドルトンの元素表は金属が殆どで、結合の図は記号が天気記号か 落書きに見える様にも思えます。 それと現在の元素表や、原子結合図を比較すると、色々の過程を 経て進歩する事を実感します。
元素という概念と実験化学から、化学での原子の概念を確立した
ドルトンの「混合気体の分圧の法則」は1801年に発表された
「化学の新体系」の「化学合成について」で元素記号の表と図が登場。