微生物の狩人

「クライフ」について

ポール・ド・クライフは、19世紀末にアメリカ生まれの医学・細菌学
ですが、1922年に退職し、1926年に処女作を発表した伝記作家です。

伝記作家というのは、その本のスタイルからで、科学を題材にする
一般向け啓蒙作家よも言えます。

読まれた数や、継続した活動から、作家の評価が一般的です。

個人の伝記ではなく、複数の研究者の伝記を並べ、それが歴史的であり
それを順に読むとその科学分野の発展が判る手法を生みました。

その専門性が高いために、より多くがのぞまれるという結果になり
作家の仕事と、科学者としての仕事と、伝記の記述というドキュメ
ンタリー作家的な仕事を合わせて望まれた様です。

それは無理だとは直ぐに思うが、時代は割り切れておらず、それぞれの
立場からの批判もあったとされています。

「微生物の狩人」の内容

「微生物の狩人」Microrobe hunters
     ポール・ド・クライフ Paul de Kruif
       1926年
      
 
「微生物を追う人々」
      ポール・ド・クライフ
      秋元 寿恵夫 訳
       1942年:第一書房
       1953年:創元文庫
       1963年:平凡社
「微生物の狩人」
      ポール・ド・クライフ
      秋元 寿恵夫 訳
       1980年:岩波文庫>本書

・目次
第一章:レーウェンフック
   微生物を追う狩人の最初の人
第二章:スパランツァーニ
   微生物には親がなければ死ぬ!
第三章:パストゥ−ル
   微生物は危険なものだ!
第四章:ローベルト・コッホ
   死との闘士
第五章:パストゥ−ル
   彼と狂犬
第六章:ルーとベーリング
   モルモットを殺戮する
第七章:メチ二コフ
   すばらしい食細胞
第八章:セオボールド・スミス
   ダニとテキサス熱
第九章:デイヴィッド・ブルース
   ツェツェバエの追跡
第十章:ロス対グラッシ
   マラリア
第十一章:ウオルター・リード
   科学のために  そして人類愛のために
第十二章:パウル・エールリヒ
   魔法の弾丸

感想


名著というと、自然科学の論文・総論を連想しそうですが
啓蒙書も含める事は、このサイトの当初の考え方です。

そもそも、伝記と呼ばれるものは、著名な業績を上げた人の
生い立ちから業績を上げるまで、またはそれ以降までをその
考え方を含めて描きます。

それじたいが、業績を科学的に描くものと、科学に知識の不足
している人向けに、描くものがあります。

科学者の全てが、独立した著書を残す訳でもないし、全てが
論文等をまとめて出版出来る訳でありません。

ならば、双方の間を取った伝記というものが書かれる事にも
需要はあります。
ただし、読む人により内容に要求が異なるという避けられない
面もあります。

また第3者が客観的に、科学の特定分野を描いて行く事も、
あります。
著者は、科学知識が前提ですが、描き方は自由です。
クライフが、研究者から作家に転じて描いた事は、その内容
から明らかですので、文体や内容にクレームが有ったと言わ
れる事は、今見れば不思議です。

複数の研究者を伝記的に歴史順にならべて、その分野を描く
事は、可能なら新鮮で興味深いです。
本書が書かれた時代は、微生物研究の進歩が丁度その手法に
合った進化速度だったのでしょう。
独りの研究者とその業績の次に、次の研究者が登場する展開は
実の読者を捕らえる手法です。

研究の速さが遅いと、飛び飛びの時代になりますし、早すぎ
るともう連続して書けず、併行的になります。

本書でも、パストゥ−ルとコッホが併行的になりますが、前者
を2度登場させて、描き分けています。

この、人と業績を並べて、特定の分野を俯瞰する試みはその
後は、多く使用されます。
ただ、小説的に読者を誘い込む劇的な分野と時代はそれほど
ある訳でなく、どこかで併行・断片がうまれます。
しかも、時代を遡り伝記的に書くことは、知らない人物を扱う
事が増えてしまい、科学的・資料的になる方向になります。

実際に細菌学も、本書で描かれた時代以降は、進歩が速くなり
もう同じ手法は難しくなったと思えます。

本書の原題は狩人達で、初訳は人々で、そして本書は狩人です。
内容で一目で判るので、意識する事でないでしょう。
内容にも狩人たちと、狩人の双方が使われています。

論文に近い原書にも大きな魅力はありますが、一般向けに書
かれて多く読まれた、一般向けの本も、歴史の風にさらされ
古典になっても、まだまだその魅力は無くなる事は有りません。

日本の科学研究の始まりに関わった西洋人がいます。

大森貝塚の調査で知られるモースもその1人です。

その著書は逆に現在の方が、日本の科学技術の最初のひとつとして読まれます。