蒼井雄論 戦前の多面的な本格派

昭和9年(1934)デビューの蒼井雄の発表作は、長編・3作と中編・3作と短編・8作のみだが、長編「船富家の惨劇」の知名度と評価の高さで長く知られて来た。
蒼井雄の作品の単行本は「船富家の惨劇」のみが度々復刊された、長編「瀬戸内海の惨劇」は1961の雑誌・別冊宝石と1977の雑誌・別冊幻影城での復刊を経て単行本「探偵クラブ」となった。
中編・3作は雑誌・幻影城での復刊を経てその後に単行本に収録され、2012.の「蒼井雄探偵小説選」に短編と中編の全作品が収録された。
2019現在では、作者の死後に雑誌・幻影城増刊に発表された長編「灰色の花粉」のみが復刊されていないが、それ以外は入手が可能になっており、戦前デビュー作家としては珍しく殆どの作品が単行本化され読める環境にある。

初出リストから判るように、蒼井雄の作品発表時期は1934-1937の5年間と、第二次大戦後の1947-1948の2年間のみで、活動期が短い。
なお死後発表の「灰色の花粉」に付いて大内茂男は1963頃と推測しており1961の雑誌・別冊宝石への「瀬戸内海の惨劇」再録の影響とも推測していて、それは妥当と思われる。。

蒼井雄の作品評価については長く「船富家の惨劇」の評価であった、そこでは戦前では少ない本格ミステリであると高く評価され、具体的な内容としては戦後直ぐの横溝正史を中心としたディクスン・カーに強く影響された本格ミステリとは異なるクロフツ風のミステリだとされた。
1961の雑誌・別冊宝石の座談会で江戸川乱歩は蒼井の長編を高く評価したが逆に短編は否定的に評価した、これが日本全体のミステリ愛好者に蒼井評価の基準になったと思われ、前述の長編「灰色の花粉」執筆動機になったとも推察される。

日本では、欧米に遅れて本格ミステリが書かれて来た事から、影響を受けたであろう海外作家を言及する事が多い、蒼井の2長編はクロフツの影響とされ、その理由として背景設定や探偵の捜査方法等の複数のポイントが上げられている。
「船富家の惨劇」の後半の構成からフイルポッツの「赤毛のレッドメイン家」を思い浮かべる意見が多い、一方では自然の描写を共通点として上げる意見もある。

蒼井が「船富家の惨劇」の高い評価で継続して作品が復刊されてきた事はミステリファンには幸運であり作者自身にも幸運だったと言える、ただしそれ故に例えば乱歩のように「短編は駄目だ」とそれ以外は無視的にされた傾向が長くあった。

「船富家の惨劇」
南紀白浜の白浪荘に探偵・南波喜市郎が到着した、南波はそこで起きた資産家・船富の妻の殺害事件で容疑者が逮捕されていたが、その弁護士から事件捜査を依頼されていた。
鉄道図と時刻表が提示されて、地道な捜索が始まって行く。
そして新たな事件が起きて行き、大阪に舞台を移して捜査が行われて行く。
捜査は名古屋へ飛騨下呂へ拡がるが混沌とし、警察は容疑者の自供が得られず事件は迷宮い入ってしまった。
思い悩む南波に先輩・赤垣滝夫が訪れる事で事件はようやく真相解決に向かった。

「瀬戸内海の惨劇」
休暇中の南波喜市郎は瀬戸内海の島で死体を発見した、消えた容疑者を瀬戸内海周辺で探し、死体を運んだと考えた行李の行方も追った。
見つかった行李から容疑者の死体が見つかり、南波らは2つの行李の動きを追うことになった。

いずれもアリバイを中心とした複数のトリックと錯綜とした複雑なプロットであり、捜査中に新たに死体が見つかり捜査内容の変更が生じてゆく。
個々のトリックとプロット、あるいは風景描写や捜査方法等に欧米探偵小説の類似作や作家を考えて、読んだ者はクロフツ・フイルポッツ・ドイルを思い浮かべたとして感想を述べた、そしてそれが蒼井の作風として語られて行った。

1975以降に中編3作「狂燥曲殺人事件」「霧しぶく山」「黒潮殺人事件」が続いて雑誌とアンソロジーに復刊された、2長編とタイプが異なるこれらがプラス的に評価される事になると蒼井の評価もまた変わった、そして全短編の復刊でその再評価もまた行われるだろう。
中編3作を読む上で、2長編で定まっていた蒼井の評価と一致しない部分は否定的に見られていたが、復刊が進む事で3中編もまた新たな作風として評価される方向に変わって来た。

「黒潮殺人事件」
紀伊半島は熊野・尾鷲・志摩にかけての海岸沿いに移動する船と、そこでのアリバイとアリバイトリックが描かれた、プロット的にも特徴があった。

「霧しぶく山」
大峯山中での大自然の中での事件を描いた。 怪奇風が強く、また異常心理を扱い、戦前日本の探偵小説に多い雰囲気があるとされた。それが否定的に評価される事もあったが、蒼井の新たな作風として再評価へと変わっても来た。

「狂燥曲殺人事件」
ある邸宅で起きた殺人の2つの事件と捜査を描いた。
邸宅という背景と理化学トリックとから、甲賀三郎風との評価がある、私は海外作家の影響で語られる作者ならば、ロジャー・スカーレットの影響だと考えたい。

短編はじっくりした自然描写も複雑なプロットを描く事自体が制約があり出来ない、それは作風や個々の構成以前に長編と短編での差となる。
短編は、2長編とも3中編とも異なる内容が多く、量的にも執筆時期的にも変化がある、だが作品数は少ないために細部を評価対象にし難い面がある。
それ故に復刊されていない長編「灰色の花粉」を含めて今後の課題かもしれないが作品量が増える訳ではないので、上記長編と中編に加えての個々の評価の追加は無理に必要としないとも思う。
(2019/06/01)


作品リスト(2019/06)

著書

船富家の惨劇 1936.03 長編 初出
探偵小説名作全集9「坂口安吾・蒼井雄集」 1956.08
 「船富家の惨劇(長編)」
日本推理小説体系6「昭和前期集」 1961.05
 「船富家の惨劇(長編)」
船富家の惨劇 1972.08 長編 
日本探偵小説全集12・名作集2 1989.02 文庫全集
 「船富家の惨劇(長編)・霧しぶく山(中編)」
探偵クラブ・瀬戸内海の惨劇 1992.09 作品集 
 「瀬戸内海の惨劇(長編)・黒潮殺人事件(中編)」
論創ミステリー叢書54・蒼井雄探偵小説選 2012.08 作品集
 「狂燥曲殺人事件(中編)・執念・最後の審判・蛆虫・
  霧しぶく山(中編)・黒潮殺人事件(中編)・第三者の殺人・
  三つめの棺・犯罪者の心理・箱詰裸女・感情の動き」

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初出

狂燥曲殺人事件 1934
船富家の惨劇 1936
執念 1936
瀬戸内海の惨劇 1936-1937
最後の審判 1936
蛆虫 1936
霧しぶく山 1937
黒潮殺人事件 1947
第三者の殺人 1947
三つめの棺 1947
犯罪者の心理 1947
箱詰裸女 1948
感情の動き 1948
灰色の花粉 1978

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