南部樹未子論 推理小説と純文学の境界は?
本格推理小説やハードボイルド推理小説の定義については、しばしば語られます。
しかし、現在の「日本推理作家協会」は広義のエンターテイメントとして捉えており、その含む範囲は極めて広いです。
最近では「本格推理小説作家協会」なる物がつくられましたが過去選考された作品は、日本推理作家協会賞と差はなく本格推理の定義もまた無いとの印象を与えています。
このような状況のもとで、本格推理小説でないと通常言われている作品群の、推理小説としての定義ははなはだ曖昧と言わざるを得ません。
広義のエンターテイメントという言葉に代えても、除外されるのは純文学・情報小説ぐらいです。
時代小説・伝奇小説・SF・幻想小説・ホラー等は一応は広義のエンターテイメントに含める様です。ポルノ小説に到っては、純文学とそれ以外の差がどこにあるのかは筆者ごときに分かる筈はありません。
また歴史的に長い、「芥川賞」「直木賞」も定義は曖昧で選考者・委員のさじかげんとしか言えない状態です。ただはっきりしているのは、本格推理小説と多くの人にいわれている作品は、ほとんど「直木賞」でさえ無視されている状況です。
簡単に言えば、選考委員には理解出来ない内容であるからと言ってよいでしょう。歴史的にみて、戸板康二の「団十郎切腹事件」のみと言えるでしょう。
そして、松本清張の「或る『小倉日記伝』」は芥川賞です。
しかし本格以外の推理小説、特に愛・恋などの人間の心理を描いた作品は直木賞を含めて多くのジャンルの賞の対象になっています。
これは、作品がいかようにも読めることを表しています。
推理小説の側では、これらを人間心理のミステリー・心理サスペンスなどとよびます。
しかし、誰もわからない微妙なジャンルである事は、間違いありません。
昭和30年代にはいり、松本清張・仁木悦子をはじめとする、昭和20年代の作家・作品と異なる作風の登場により、推理小説は一般読者にも広がったといわれます。
そして、この時代はそれぞれの作家が独自の小説世界への模索を行った時代です。
一方では江戸川乱歩は、推理小説の作家層を広げるために、元々は他の分野と言われた人に推理小説を書く様に薦めたと言われています。
一部の例外を除くとこれらの人が書いたのは本格推理ではなく、上記の推理小説の定義の境目の作品でした。
南部樹未子(南部きみ子)もその一人で、どの作品の解説や経歴もほぼ同様の事が書かれています。
「昭和33年『ある自殺』で女流新人賞候補、翌年『流氷の街』で受賞。その作品で死を取り上げる事が多いので、すすめられて書きおろしシリーズの東都ミステリに『乳色の墓標』でミステリデビューした。」
これを読めば、「流氷の街」は純文学で「乳色の墓標」はミステリの様に錯覚します。
作者の意識は異なっていたと思いますが、作品の内容にはっきりとした境界を見つけだすのは簡単ではありません。
人間心理を描く事そして作品中に、人間の死が登場する事以外で、ジャンルの区別は極めて難しい、あるいは無いに近いと思います。
南部樹未子は東都ミステリに「乳色の墓標」「砕かれた女」の2作を書いています。
「真実の愛とはいったいどういうものだろうか。この世にそれは本当にあるものだろうか、という`愛の種々相`を主題として追求してゆく小説を、現代ミステリーの形式手法をもって創作するという南部樹未子作品に対する読者の期待には大きなものがある(後略)」
武蔵野次郎 解説「乳色の墓標」 1982 徳間文庫
「本編を鑑賞してみても、現代のミステリーの幅の広さ、多彩さというものが、よく理解できるのである。(中略)現代に生きる男女の間に発生する心理的な動きをテーマにとるもの、いわゆる。心理ミステリーとよばれる小説である。」
武蔵野次郎 解説「砕かれた女」 1983 徳間文庫
これらは、後に文庫化された時の解説ですので、ミステリ作家としての認識のもとにかかれています。
やはり「心理ミステリ」と呼び、ミステリの形式手法をもって創作するとしています。
後者がミステリかどうかの境目といえるでしょう。筆者の理解ではミステリの形式とは、謎があってそれが解き明かされてゆくものです。
そして、解きあかされてゆく過程が偶然のみではなく、伏線的または読者がある程度推測できる形式で書かれているものと考えています。
しばしば、純文学は退屈という人がいますが、読み始めると読者をその世界にひきずりこむ作品は純文学と分類されても、上記ミステリの形式とした要素を含んでいます。
そして、「流氷の街」もそのように感じます。従って、筆者にはまだ境界がみえません。
「`閉ざされた旅`も(中略)倒叙推理あるいはクライム・ノベルのかたちを取ったサスペンス・ノベルである。(中略)この作品は、より女性心理の描写に重きを置き、ネガテイブな恋愛小説としても読むことが出来る。」
河野典生 解説「閉ざされた旅」 1984 徳間文庫
「夫と妻、そして姑との緊張した三角関係が展開される`狂った弓`では(中略)`愛`と`血の絆への懐疑`がとりわけ明瞭に表されています。(中略)とくに懐疑的に捉えられてきたのは親子の愛です。血は水より濃いとはよく言われますが、けっして逃れられない血の絆に縛られた愛の歪みとそれを原因とする悲劇が、南部作品ではたびたび取り上げられてきました。」
山前譲 解説「狂った弓」 1996 光文社
南部樹未子は、故郷の釧路と東京とを活動の場としていくたびか変えています。困難な世界に踏み込んだ苦悩が感じられます。
表面的には、体調の問題もあるとのことですが。 上記2作の解説は、南部作品の持つ微妙な位置を異なる表現で、しかし類似した意味で表現しています。
しかし、実はこの両作品の間に、作者にとっては複雑な時間があります。それは、「閉ざされた旅」の後で種々の理由から作家生活を断念して故郷に戻っています。
そんな時に、当時から数々のアンソロジーを編んでいた鮎川哲也が鉄道アンソロジー「見えない機関車」に異例の書きおろしで、南部樹未子の「汽笛が響く」の執筆を求め・入れた事です。
そして、その作品が日本推理作家協会賞の候補に上げられミステリ作家としての南部の力量が認められました。
南部樹未子は再度上京して、「北の別れ」「狂った弓」などを書き下ろしました。
南部作品の持つ内容を文章化する事の難しさを、どの解説を読んでも感じます。そして多様な表現で説明しようとする試みが、正しく的を射ているとも感じます。
人間心理のミステリとはその様なものなのでしょう。個々の読者に類似したイメージを与えますが、微妙に差があり、それを言葉で表現する事が難しいのです。
南部樹未子はミステリ以外や宗教書を含めて特別に多くはない数の作品を書いています。
「私たちは果たして、真実の愛を知っているのだろうか。愛に似たものを「愛」だと錯覚あいているに過ぎぬのではないか。(中略)私はこれを書くことで、人間の愛の本質を問い詰めてみたかった。」
南部樹未子 カバー文「狂った弓」 1978 光文社
「南部さんの作品の魅力のひとつはデイテールの描写が綿密で的確で、とても生き生きとしている点にあります。(中略)べつの言葉で言えば、リアリズムに徹している、ということになるでしょう。」
菊村到 解説「見えない人たち」 1992 光文社
表現の精度は本格推理では絶対的に要求されますが、読者の受け取るイメージに任せる様な人間心理のミステリでも表現・描写の精度・的確さはやはり重要であり、この面でも南部作品のレベルの高さを示していると思います。
現在はミステリ界全体で、異常心理をテーマにした作品が多い様に思いますが、普通の人を主人公に普通の心理を追求してもミステリ要素を含む作品を書ける事を南部樹未子作品は示しています。
勿論、「これに大がかりなトリックを組み合わせれば」と期待する人は多いです。「北の別れ」の解説(1979 光文社)で天野龍氏も述べています。
前述の「汽笛が響く」はそれにかなり近いか到達していると思います。しかし、これは短編です。中短編ではある程度可能であっても、これが長編になるとそれを支えるトリック自体が人工的にならざるをえなくなります。
これは南部樹未子作品とは、相いれない面が強いといえます。現実に、本質を求め、リアリズムに徹している作者には容易な到達点が無く無理にトリック・仕掛けを押し込むことはありませんでした。
参考(2010/07:追記)
上記で引用した本と以下の既読作品です。
下記は参考であり、作品リストではありません。
凡例:*短編、**短編集、%ミステリとされていない作品
&未読
流氷の街 1959 *% 婦人公論女流新人賞
流氷の街・ある自殺 1960 **%&
青い遠景 1960 %
乳色の墓標 1961
砕かれた女 1962
長い暗い夜 1968 %&
火刑 1969 %
閉ざされた旅 1974
汽笛が響く 1976 * 推理作家協会賞候補
狂った弓 1978
北の別れ 1979
失われた眠り 1980
影を逃れて 1981
金木犀の薫る街 1989 %
信仰ってなんだろう 1989 %&宗教書
アンジの月 1990 %&宗教書
夜の彼方へ 1992 %&宗教書
他人家族 1992 %&
見えない人たち 1992 **
愛物語 1994 **