戸板康二論・歌舞伎評論家と作家の顔

作家であり評論家であり雑誌編集者でもあった江戸川乱歩は、まだミステリが推理小説ではなく、探偵小説とのみ呼ばれていた時代に探偵小説の地位向上を模索していました。
戦後直ぐに創設された「探偵作家倶楽部」はその後に現在の「日本推理作家協会」と発展しましたが、参加者は多様になり公儀のエンターテイメント全てを含む様になりました。

見方によれば、純文学以外は全て含むとも言えます。

日本の純文学は私小説とプロレタリア小説のみと言われた時もあったぐらいで、江戸川乱歩が活躍した当時は探偵小説は特殊な推理・論理・謎という文法と、幻想を含む想像からの作り物という性格から低く見られていた時期もありました。
現在も分類はされて、その見方も残っていますが読者数等でその認識は大きく変わって来ています。

探偵小説の地位向上を目指した江戸川乱歩は「1人の芭蕉の問題」等の評論で、「純文学でありながら探偵小説でもある作品の登場」を強く望みました。
それとは別に、純文学や評論家や自然科学者等に探偵小説の執筆を、度々薦めたとされています。
後者の成果は、努力の割りに多かったとは言えませんが、確実に幾つかの結果を残しました。
歌舞伎評論家の戸板康二(1915-1993)は、質・量ともに最も成功した作家の一人です。
少なくても、探偵小説の短編小説を語る時には欠く事が出来ません。
また、名探偵を語る上でも、そして謎とは何かという面でも欠かす事が出来ません。

初期の戸板作品は、まるでホームズ・ワトソン方式という探偵小説の歴史上の一番有名なスタイルをとっています。
これも探偵小説と言えなくも無いとか、死が絡むと探偵小説とか言う苦しい見方で作品を紹介した場合も多い中で、江戸川乱歩が一番期待したスタイルの作品を書いた事は特筆する事でした。
1959年に「車引殺人事件」で登場して、中村雅楽という歌舞伎俳優が探偵役で記者の竹野がワトソン役の作品群をかなり量産しました。
決してそれは、評論家の余技ではありませんでしたが生涯が兼業作家であったとも言えます、これも特筆する一つです。

戸板康二作品の流れをかなり大雑把な分類をすれば下記になります。 1:中村雅楽+竹野が、歌舞伎の世界で起きた犯罪を解き明かす。
2:中村雅楽+竹野が、歌舞伎の世界に関連した謎を解く。
3:中村雅楽+竹野が、一般的な世界の謎を解く。
4:中村雅楽が竹野に、歌舞伎の世界に関連した話をするが、謎とか落ちがあるものが含まれる。
5:歌舞伎の世界に関する色々な事を書く。
6:歌舞伎以外の背景の事を書く。
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実は、1と2の間に数年のブランクがあります。
それは、発表誌の廃刊によるとされています。
また3・5・6は、2・4と併行して書かれています。
それは極めて自然な成り行きといえます。
1では、江川刑事というレギュラーも登場しますが、以降の刑事事件が減少とともに登場しなくなります。

またしても大雑把なミステリのジャンル分けをしますと下記になります。
1>本格推理
2・3>ライト推理
4>日常の謎的あるいは、オーヘンリー的なおちのある話。
5・6は、2・3・4となるでしょう。
日常の謎というのは、推理小説的には歴史が新しく、それよりも時代が古い戸板作品に付いては日常の謎的としましたが、私見では日常の謎派と今日で呼ばれている作品群との違いは少ないと思います。
歌舞伎の世界故に日常という言葉が出なかったが、登場人物にとっては日常であり、基本で殺人等の刑事事件は少なく、主人公が身近なちいさな謎を解きます。

推理小説の世界では、「江戸川乱歩賞」「日本推理作家協会賞」「直木賞」を3冠と呼んでいます。
まだ関連する文学賞の少ない時代のなごりです。
「直木賞」は大衆文学全般であり推理小説も含むだけです。
それ故に推理小説作家の受賞はあっても、本格推理小説の受賞は長く戸板康二「団十郎切腹事件」だけの時代が続きました、最近では東野圭吾「容疑者Xの献身」(一部反対意見もある)・北村薫「鷺と雪」が受賞しています。
戸板康二はこの受賞が長く推理小説に関係するきっかけになった可能性があり、東野圭吾は非物理トリック風潮に対するアンチテーゼ的に書いた気配があり、北村薫は自身が他の文学賞の審査委員となってからの受賞と、「直木賞」と推理小説の関係は奇妙です。

短編の名手戸板康二は長編はわずか3作のみであり、どれも軽量級で長編のスタイルに慣れていないと思われ、そして初期の3作以外は、書くことはなかった。
また短編も時代と共に長さが短くなる傾向があり、無駄に長く書きがちな業界とは異なり独自の道を歩みました。
歴史も長くなり膨大な数のミステリが書かれる今日でも、戸板作品は独自の世界を築いています。
歌舞伎を舞台にしても、酒井嘉七・皆川博子・北森鴻・近藤史恵等の少ない作家の少ない作品が存在する状態です。
現在は情報小説は増えていますが、その様に銘打っても内容は詳しい人にしかふさわしいかどうかは判りません。
戸板作品は、歌舞伎の世界とそのたの新劇等を描いて作品が多いですが、情報小説かと言われると判りません。
ただし、通常は知らないまたは興味がない世界に接する事で入門書的な親しさを持たせると言えるでしょう。


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戸板康二著作リスト(旧参考本データは削除・2017/06/09)
(2017/06:現在)

未読 P

中村雅楽 #


車引殺人事件 作品集 1959/06
 「車引殺人事件 #・尊像紛失事件 #・立女形失踪事件 #
  ・等々力座殺人事件 #・松王丸変死事件 #」
團十郎切腹事件 作品集 1960/02
 「盲女殺人事件 #・ノラ失踪事件 #・團十郎切腹事件 #
  ・六スタ殺人事件 #」
松風の記憶 長編 1960/08 #
奈落殺人事件 作品集 1960/11 P
 「不当な解雇 #・奈落殺人事件 #・八重歯の女 #
  ・死んでもCM #・ほくろの男 #・ある絵解き #
  ・返り初日・鏡のワルツ・夏の終わり」
歌手の視力 作品集 1961/05
 「滝に誘う女 #・加納座実説 #・文士劇と蠅の話 #
  ・歌手の視力・敗戦投手・はんにん・ヘレンテレスの家」
才女の喪服 長編 1961/06
第三の演出者 長編 1961/06 #
ラッキー・シート 作品集 1962/03
 「ラッキーシート #・写真のすすめ #・密室の鎧 #
  ・隣の老人・篤行の極致・スターの妹・三号室の貫禄」
いえの藝 作品集 1963/03 P
美少年の死  作品集 1976/03 P
 「美少年の死 #・・・・・隣家の消息 #」
グリーン車の子供 作品集 1976/10
 「一人二役 #・ラストシーン #・臨時停留所 #
  ・八人目の寺子 #・句会の短冊 #・虎の巻紛失 #
  ・三人目の権八 #・西の桟敷 #・光源氏の醜聞 #
  ・襲名の扇子 #・グリーン車の子供 #
  ・日本のミミ #・妹の縁談 #」
塗りつぶした顔 作品集 1976/12 P
小説・江戸歌舞伎秘話 作品集 1977
 「振袖と刃物・座頭の襦袢・美しい前髪・種と仕掛・幼馴染
  ・お七の紋・女形と胡弓・夕立と浪人・ふしぎな旅籠・鉄の串
  ・お染の衣裳・稲荷の霊験・ところてん・女形の大見得」
孤独な女優 作品集 1977/04
 「半ドア・見えない鶯・撫子の茶碗・雷雨のあと・酒場の扉・井筒
  ・甘美な空想・新妻のにおい・父子相伝・誕生日・孤独な女優」
あどけない女優 作品集 1978/03
 「意外な幕切れ・鬼っ子・四月吉日・ぬき稽古・光の輪・脇役の万年筆
  ・あどけない女優・ナンシーの老女・盗み聞き・内助の功」
浪子のハンカチ 1979/06
 「浪子のハンカチ・酒井妙子のリボン・「坊ちゃん」の教訓
  ・お玉の家にいた女・お宮の松・テーブル稽古
  ・大学祭の美登利・モデル考」
団蔵入水 作品集 1980/09
 「団蔵入水・殺された仁左衛門・名優退場・上総楼の兎・まくわうり
  ・真綿と針・筆屋の養女・踊り屋台・男親の親指」
黒い鳥 作品集 1982 P
目黒の狂女 作品集 1982/05
 「目黒の狂女 #・女友達 #・女形の災難 #・先代の鏡台 #
・楽屋の蟹 #・砂浜と少年 #・俳優祭 #・玄関の菊 #
・女形と香水 #・コロンボという犬 #」
淀君の謎 作品集 1983/09
 「淀君の謎 #・かんざしの紋 #・むかしの写真 #
  ・大使夫人の指輪 #・芸養子 #・四番目の箱 #
  ・窓際の支配人 #・木戸御免 #」
劇場の迷子 作品集 1985/09
 「日曜日のアリバイ #・なつかしい旧悪 #・祖母の秘密 #
  ・市村座の後妻 #・弁当の照焼 #・銀ブラ #・不正行為 #
  ・写真の若武者 #・機嫌の悪い役 #・いつものボックス #
  ・劇場の迷子 #・必死の声 #」
うつくしい木乃伊 作品集 1990/08
 「霧と旅券・島の蝋燭・加奈子と嘘・まずいトンカツ・手紙の中の夕闇
  ・無邪気な質問・年下の男優・灰・優雅な喫茶店・うつくしい木乃伊」
家元の女弟子 作品集 1990/11
 「芸談の実験 #・かなしい御曹司 #・家元の女弟子 #
  ・京美人の顔 #・女形の愛人 #・一日がわり #・荒療治 #
  ・市松の絆纏 #・二つの縁談 #・おとむじり #
  ・油絵の美少女 #・赤いネクタイ #」


創元推理文庫版
中村雅楽探偵全集1・團十郎切腹事件 2007/02 短編18作収録
中村雅楽探偵全集2・グリーン車の子供 2007/04 短編18編収録
中村雅楽探偵全集3・目黒の狂女 2007/06 短編23編収録
中村雅楽探偵全集4・劇場の迷子 2007/08 短編28篇収録
中村雅楽探偵全集5・「松風の記憶」・「第三の演出者」 2007/10

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