天城一論 数学者の密室

天城一は、本業が数学教授という所謂余技作家です。
そして、戦後直ぐのデビューであり、2007年の死去まで寡作であるが、継続的に書き継いでいます。
基本は短編作家ですが、独自の理論による評論でもマニアには有名でした。
少数の長編も書きましたが、マニア向けの同人誌や発行誌に掲載されましたので、一般には知れる事はありませんでした。
ところが、21世紀に4冊のミステリ分野の著書が商業出版されて、ほぼ全集的な形になり一般にも知られる事になりました。
内容的には、本格ミステリのマニア向けですが、ある程度の需要があった結果でした。
それは、渡辺剣次や鮎川哲也のアンソロジー等で一部が紹介された事の影響も大きかったと思えます。

天城一は余技作家故に、一般向けの発表を前提に書くことが少なく、一般の読者には内容が難しいのでしょう。
短編作家というよりも、超短編作家と言う方が正しいでしょう。
それは、数学等でいう必要十分条件を満たす内容だからだと言えます。
小説として、人間を描くとかキャラクターを描くとか、あるいは背景やミスディレクションを含める事は行わないのが、天城一の小説作法だと言えます。
その理由は、通常の作家の様に原稿用紙の枚数指定の注文に応じて創作する事はなく、余技作家故に注文とは無関係に、あるいは編集者とも無関係に、そして原稿用紙の枚数とも無関係に、自分が書きたい時に書きたい内容を書いた結果と言えます。
逆に言えば、長編作品には不向きな作風であり、マニアにとっても長編はやや厄介な小説と言えるでしょう。

天城一の本業の数学者としての思想を、本格ミステリに持ちこんだ結果が、必然的にその作品群になったと言えます。
そしてその元になったのが、初稿は難解な数学論文の様だったと伝えられている評論「密室犯罪学教程」です。
それを一般の文章に書き直したものが、渡辺剣次のアンソロジーに掲載されて、多くのマニアから読みたいと待望されました。
古来、トリック論・特に密室トリック論は多くの人に論じられて来ました。
有名なものは、ディクスン・カーの「三つの棺」やクレイトン・ローソンの「帽子から飛び出した死」や江戸川乱歩の「密室トリック集成」等があります。
これらは、過去に発表されたトリックを集めて分類するという方法を使用しています。
カーやローソンは、過去のものに付け加える形でトリックを作り、その作品中で論じています。
これは自然科学における帰納法に当たるでしょう。
帰納法とは、例えば「帰納法は個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法」の様な説明があります。
そこをトリック論に置き換えると、「過去の発表作を集めて、それらの本質を推測して分類する事で、一般的な言葉でトリックの分類を行う方法」と言えます。
これの欠点は、全事例を網羅しないと真理には到達しない事です。
それは次々と項目が追加される事に繋がります。

天城一の評論「密室犯罪学教程」では、帰納法ではなく演繹法を用いている事が特徴です。
演繹法は、「演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法」です。
密室とは何かから始まり天城一は、一般的定義から論理的に展開してトリックの分類を行っています。
その結果は、定義と論理が正しいならば、全項目が網羅されている事になります。
ただし、その分類が全てミステリ小説で実作が可能かどうかは保証されません。

数学は、古来は哲学等と同じ扱いであり、一般的な自然科学とは異なります。
自然科学では、いくら理論的に正しい様に見えても実世界での現象の測定・観測との結果が一致しないと成立しないとされます。
一方、数学では、定義による閉じた世界の中で論理的に矛盾しなければ定義も論理も成立するとされます。
それは定義がなりたつ世界の中の話であり、実世界とは一致する必要がありません。
基本的に数学の手法は、演繹的な方法で構築されます。
数学でも、数学的帰納法というものが存在しますが、一般の帰納法とは異なり定まった手段に従って成立すれば全てが網羅する事は保証されます。
しかしこの方法を、トリック分類に使用する方法はまだ提示されていません。

演繹法の優れた面が全てを網羅する事は判ったとして、それが数学の様な閉じた世界ならば可能でも、実際の小説に使用出来るかは保証されていません。
それ故に、天城一は評論「密室犯罪学教程」で理論とそこから分類される密室トリックを実作しました。
実作が可能な事を示す事で、演繹法のトリックの分類が有効な事を示しました。

それでは、その実作の内容はどうか検証します。
数学ならば、実世界とは一致する必要がないですが、小説はミステリの場合は実世界では成立する必要があります(少なくてもそう思わせる)。
数学者の天城一は、一般的な実世界ではなく、実世界ではあっても特殊な条件の下では成立する事を実作したのです。
例えば、芝居の世界・戦争中・宗教の世界等では特殊な状況が実際に起きうるという論理です。
結果的にこれらは、論理のアクロバットとして受け止められたと言えます。

思考方法も一般の逆とも言えます、トリックの成立する世界を探す事で成立させる・・しかし数学者の天城一にとっては、日常の思考方法だとも言えるのです。

評論「密室犯罪学教程」における実作は、まさしく超短編ですが、天城一にとってはそれ以外の作品もその延長で書かれています。
すなわち、必要十分な内容を短く書くというスタイルです。
その為に、不可能犯罪での探偵役・摩耶正と、アリバイ崩しでの探偵役・島崎警部の役割分担があります。
島崎警部は、摩耶正登場作では脇役を務めます。
そして、ストーリーを急展開させる為に登場する「Rルームの美女」がいます。
作者自身はやや異なる目的を述べていますが、小説の展開を早めている事は明白です。

天城一が展開した特殊な世界や手法は、マニアの世界で生きても消え去る事は無かったと言えるでしょうが、結果的に全集的に商業出版されてより多くの読者に、拡がる事になりました。
本格ミステリの極北の1手法として記憶され、あるいは応用され、あるいは別の形のアプローチを産む可能性として残されました。


著書
天城一の密室犯罪学教程:日下三蔵編・2004年
島崎警部のアリバイ事件簿:日下三蔵編・2005年
宿命は待つことができる:日下三蔵編・2006年
風の時/狼の時:日下三蔵編・2009年

長編
圷家殺人事件>風の時/狼の時(『圷家殺人事件』改稿版)
宿命は待つことができる(『Destiny can wait : または「犬」 』改題)
沈める涛

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