謎を発見する作家 日下圭介論

日下圭介を本格推理小説作家と位置づけても、ほとんど反論はないであろう。
日下は新聞記者出身であるが、作風は直接的な影響は少ない。ここで本格推理小説のトリック・謎を下記の見方で分けて見る。

 トリックと謎の分類
(1)発明的  作者が、人工で作り上げたもの
(2)発見的  作者が、ある事実を見つけてそれをもとにトリック等にした物
    歴史的な謎
    自然科学的謎
    法律的謎
    専門的謎

推理小説は本来は人工的な構造を持っているのが他の小説と比べた場合の特徴である。
従って通常は、(1)発明的 が主流である。
日下は(2)の最初の2つを追求した作家である。勿論、発見=トリックではなく、そこから発展させて完成させてゆくことは言うまでもない。
なお、(2)の最後の2つを追求している作家も存在する。特に推理小説では法律は重要な場合がしばしばある。
一番最後はどちらかと言うと情報小説に属する。専門的過ぎると本格推理小説のフェアプレイから、はずれてしまうからである。

日下の、上記以外の特徴は人間自身の心理を追う事から生じるサスペンスが小説全体から読み取れる事である。日下自身が、この面を追求した作品もある。
また、倉原真樹刑事の登場で警察小説的外観をもった事がある。ただし、真樹の女性的心理を描き、しかもトリックや謎に上記「発見的」要素が含んでいるために、特別に区別する必要はないと考える。
しばしば、推理小説作家はデビュー作でその特徴が現れると言われる。日下も同様と考えるし、その事も指摘されている。

「古い二つの殺人事件を、追う側と追われる側からの同時進行形で巧みに書き分けられそれに蝶の生態がからんでいる点にも新味があった。ウールリッチを思わせる雰囲気もあり(後略)」
蝶たちは今 選考経過 講談社 1975年8月

この選考経過を読むと、これ以降の日下の進み方を見事に表している。具体的にまで予想できないとしても、作者の小説の持つ特徴を掴んでいる。
初めに「自然科学的謎」と述べたが、蝶の生態がこれに当たる。これをいかに小説として料理するかは作者の力量であるが、基本となる事実は変更できない。
従って、「発見」と言う次第である。(推理小説では、現実に存在しないものを作ってトリックにする場合も存在する。これは、(1)になる。)
日下作品では、初期は「自然科学的謎」が多く、途中から「歴史的謎」が加わった。
後者はまた二つに分けることができる。文学者や芸術家とその作品の謎、戦争を中心とした史実の謎である。完全に分離は出来ない場合も多いが、その点は了解して以下を読んで欲しい。
まず、「自然科学的謎」を主体にした作品を上げて見よう。

「場所と時間のない『純推理小説』の舞台には、ろうたけた美女と、氏の豊富な動植物への知識が必ず登場し、一つの魅力となっている。」
折鶴が知った・・・ カバー文 伴野朗 光文社 1977年10月

「四国だけに自生するシコクカッコウソウと分かりましたわ」「花に敗けたのね、(後略)」
血の色の花々の伝説 日下圭介 講談社 1981年1月

「椿 わが運命は君の掌中にあり 花言葉は『掌中の運命』」
溶ける女 日下圭介 徳間書店 1989年9月 倉原真樹3

「鍵をにぎるのは、もの言わぬペットたち。事件を紡ぐのは、動物病院の若き女医、栃尾彩子である。彼女は動物の視線になり(後略)」
猫が嗤った カバー文 日下圭介 祥伝社 1990年

「栃尾彩子は(中略)動物が何を見たのかを考える。そして事件と、人間関係をつむぎ出す。」
証人は猫 カバー文 日下圭介 祥伝社 1992年

次に、文学や文学者等の謎を主体にした作品を見てみよう。

「私が子供時代を過ごした家も、大正を知っている。(中略)江戸時代の小説を書くよりも、考証も取材も楽だろうなどと考えていたのが、正直なところだった。ところが手を付け始めて、自分の認識の甘さに呆れることになる。」
竹久夢二殺人事件 あとがき 日下圭介 徳間書店 1985年4月

「『野菊の墓』の文中に、ちょっと信じられないような誤りがある。(中略)意図的に、何かを示唆しているのではないかと思えるほどだ。」
『野菊の墓』殺人事件 著者のことば 日下圭介 光文社 1988年10月

「本編を一読して読者は本編のストーリー構成が複層的な設定になっていることに目をひかれるのである。(中略)山頭火に関わる話の面白さ、そして、それに並行して本編のミステリーとしての物語がくりひろがれてゆくという二重構造の興味である。(中略)秀逸な文学史ミステリーとして成功しているのである。」
山頭火うしろ姿の殺人 カバー文・解説 武蔵野次郎 光文社 1986年4月

「読み終わって『どこまで本当なの?』と首を捻っていただければ、作者としては何よりうれしい。」
啄木が殺した カバー文 日下圭介 祥伝社 1991年

これらも当然ながら歴史的発見と入って良い。無理に分類したかも知れないが戦争を含む歴史史実を出発点にしたものに下記がある。

「5・15事件で犬養首相とともに名優の命が狙われた。」
チャップリンを撃て 帯文 講談社 1986年

「第二次大戦開戦前夜。緊迫する国際情勢の陰で次々と起こる不気味な殺人事件。」
神がみの戦場 帯文 日本経済新聞社 1990年11月

「昭和4年駐華公使が怪死した。自殺か他殺か謎を残したまま、事件は忘れ去られていった。そして61年後、平成の世に事件の真相を知る人びとが生きていた。」
61年目の謀殺 帯文 毎日新聞社 1991年4月

「(前略)日中戦争の時代は、まことに波乱に満ちている。(中略)ミステリー作家の食指をそそる謎に溢れている。(中略)一つの謎の解明が、より大きな謎を生むというのが、歴史、ことに現代史の宿命らしい。(後略)」名前のない死体 著者の言葉 日下圭介 廣済堂出版 1993年12月

「秩父事件は、記録に接するたびに私の胸を熱くする。そこには、本気で『革命』を志し、それに殉じた男や女がいたのだ。この事件を合わせ鏡にして、今日という時代を見てみたいという企てもあった。」
密室・十年目の扉 著者の言葉 日下圭介 祥伝社 1997年6月

当然ではあるが、複数を組合わせた作品も多い。

「長編では各章をさらに小節に分けて、場面転換をはかる映画的手法が特色になっている。このカットの冴えが、サスペンスを高める有力な武器であった。(中略)本書は、十六年前と現在とが交互に描かれている。(中略)犯人側の不安と焦慮、姉の死の真相をあくまで究明しようとする側の知能と気迫。その緊迫した抗争を、均整のとれた構成と無類のサスペンスで彩って、一気に読ませる魅力に富んでいる。」告発者は闇に跳ぶ 解説 中島河太郎 光文社 1985年6月

「贅沢な推理小説愛好家のために、密室・暗号・将門伝説と三つの大きな謎を用意した。」
笛の鳴る闇 カバー文 日下圭介 祥伝社 1987年 倉原真樹1

「動・植物をトリックに使った巧緻な作品や、竹久夢二・山頭火などの歴史上の人物に潜む謎を(中略)若い女性を主人公に、本格物に挑んだ。密室トリックや時刻表アリバイを追うのも女性。容疑者も女性。(中略)新ミステリーの誕生である。」
女たちの捜査本部 カバー文 徳間書店 1988年3月 倉原真樹2

どれをとっても魅力ある謎であるし、世間一般に知られていないものが大部分である。まさしく、日下は謎を発見したのである。
歴史ミステリと呼ばれるジャンルが存在する。その中にも同様に、謎を発見した作品はある。ただ大部分は歴史の解釈を別の見方で行う事が中心である。
幅広い方面から、謎を発見する日下作品はこれらの歴史ミステリと異なる独自の位置付けを行う事が妥当と考える。
初めに、『日下の、上記以外の特徴は人間自身の心理を追う事から生じるサスペンスが小説全体から読み取れる事である。』と書いた。
作者自身がこれを一番念頭に置いて書いた作品も当然ながら存在する。

「(前略)私が抱いていた野心は、フランス風ミステリーに対する挑戦だった(中略)。一人の人間の内部を描こうと思った。そのために、長編では初めて一人称形式を使ってみた。(中略)犯罪は特殊な状況でばかり起こるものではない。特異な人間のみが係わるものでもない。(後略)」
海鳥の墓標 あとがき 日下圭介 徳間書店 1978年10月 「この物語に登場する者達は、ほとんど全員が罪人である。私は、彼や彼女達を悪人としてではなく、哀しい人間として描くようこころがけた。」
罪の女の涙は青 カバー文 日下圭介 講談社 1984年

日下作品の背景には、これらの小説に代表されるサスペンスの雰囲気が存在する。その事は作者の小説としての特徴と言えるだろう。
謎と、文章・構成の双方に独特の特徴を持つ作家は貴重であり、固定のファンが生まれる。
日下作品では、同一登場人物は多くない。題材から制限される面が多いからと思われる。一番多いのが「倉原真樹刑事」で次に「獣医 栃尾彩子」で「新聞記者 峻」と「薬売りの辻村健作」は作品集1冊のみである。

「現実の警察が、やっていそうな小説を書くのは実に難しい。」
手錠はバラの花に 作者の言葉 日下圭介 双葉社 1992年 倉原真樹(短篇集)

「真樹の目になりきって、組織の一員としての地道な捜査活動と、北陸ならではの情感を物語に盛り込んだ。」
三千万秒の悪夢 カバー文 徳間書店 1992年8月 倉原真樹4

現実の警察と推理小説の中での警察のギャップが話題になり、そこから生まれた「倉原真樹刑事」である。
しかし、小説として見た場合は特別なシリーズとして見るよりも、他の作品群の中の作品と考えても特に違和感がない。
背景や人物を変えても、独自の位置付けを持つ日下作品の特徴は、消える事もないし消す必要もないと言える。
本格推理小説的にいえば、不満のある作品も若干はある。それは作者が「小説の都合で事実をねじ曲げない。」と言っているように、謎の部分に自然発生的な制約があるからである。
これは「発見的謎」の欠点とも言えるが、個人的には、ご都合主義と一線を引く作者の行き方に理解を示したいと思う。
本格推理小説としての謎の独自の作り方(発見的から出発する)、多彩な背景・舞台を書き分ける舞台の設定、人間の心理を追求する小説的な重み、そして、場面や視点を切り替える小説手法とそこから生み出されるサスペンスなど、日下作品は完成度で一つの到達点に達していると言える。

参考文献
 本論の引用文に記載しています

日下圭介・作品リスト案
 本論を書く上で個人の所有本を基に作成したものを案として下記に示します。
 初出本を中心に読んでいるので、特に文庫に疑問があると思います。
  右に別題があるのは、文庫時に改題されたもの。連作は短篇集を含む。
  a:倉原真樹刑事  b:獣医 栃尾彩子

長編
蝶たちは今・・・・  197509   長編1
悪夢は三度見る    197600   長編2
折鶴が知った     197710   長編3
海鳥の墓標      197810   長編4
血の色の花々の伝説  198101   長編5
罪の女の涙は青    198409   長編6
竹久夢二殺人事件   198504   長編7
告発者は闇に跳ぶ   198506   長編8  赤い蛍は死の匂い
山頭火 うしろ姿の殺人 198604  長編9
チャップリンを撃て  198609   長編10
笛の鳴る闇      198705 a  長編11
女たちの捜査本部   198803 a  長編12
密室20秒の謎    198803   長編13
「野菊の墓」殺人事件 198810   長編14
黄金機関車を狙え   198810   長編15
溶ける女       198909 a  長編16
61年目の謀殺    199006 a  長編17
神がみの戦場     199011   長編18
セミョーノフは二度殺せ 199107  長編19
「天の酒」殺人事件   199108   長編20
啄木が殺した女    199111   長編21
三千万秒の悪夢    199208 a  長編22
名前のない死体    199312   長編23
脅迫者たちのサーカス 199408 a  長編24
遠すぎた終着     199509   長編25
密室・十年の扉    199706   長編26

連作1  木に登る犬     198200
連作2  鶯を呼ぶ少年    198207
連作3  花の復讐      198211
連作4  恋人たちの殺意   198303
連作5  UFOの来た夜   198510   賢者の陰謀
連作6  偶然の女      198703
連作7  ころす・の・よ   198801
連作8  偶然かしら     198908
連作9  危険な関係     198908
連作10  猫が嗤った b   199001
連作11  優しく埋めて    199101
連作12  隣人の殺意     199103
連作13  証人は猫  b   199204
連作14  手錠はバラの花に  199209
連作15  負のアリバイ    199401
連作16  瓶詰の過去     199403
連作17  女怪盗が盗まれた  199404
連作18  紅蓮の毒      199807

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