土屋隆夫論2  「聖悪女」と「物狂い」について

私が「土屋隆夫論1」を書いたのは、「ミレイの囚人」の発表後であり、それ以後の2長編はまだ姿を見せていなかった。

私はその中で土屋作品の連続的変化を述べた。
「聖悪女」は予想以上の変化であったが方向としては連続的変化に繋がる内容と思う。しかるに「物狂い」は全く予想外の内容であった。

「『推理小説作法』(中略)その中で、推理小説を規定して、事件/推理=解決 (中略)解決の部分にいささかの剰余があってもならない(中略)。これからお話しする事件は、最終の段階を迎えましても、『解決』の部分には、なおいくつかの剰余がありました。(中略)こんな型破りの作品を、一編ぐらいはお入れになっても宜しいじゃございませんか。それこそ、推理小説と一般文芸との融合統括による新しい文学への胎動を夢みる先生にとって、正に記念すべきお作品になろうかと存知ます。」
土屋隆夫 第8章 聖悪女 東京創元社 2002年

「『作家というものは、ある円周上を駆けつづける孤独なランナーに似ている。彼は処女作からスタートし、また処女作に戻ってくる。』(中略)「天狗の面」(中略)の中心にいくつかの謎を設定し、それを論理的に解明するという、いわゆる本格ものであったが、今度の作品も同じような手法を用いた。」
土屋隆夫 あとがき 物狂い 光文社 2004年

土屋隆夫を論ずる場合、いくつかのキーワードが常識的に登場する。
著書「推理小説作法」・「一人の芭蕉の問題」・「割り切れるまたは足し算の解決」・「旅情性」・「エロス」等である。
作者自身が述べている部分も多く、その作品もこのキーワードで論じられる事が普通である。

「推理小説と一般文芸との融合統括による新しい文学への胎動」は江戸川乱歩が言い始めた「一人の芭蕉の問題」そのものである。
昭和30年代になると長編の時代になり、多数の作家が色々なアプローチで推理小説の新しい道をめざした。
「推理小説と一般文芸との融合」は理想とする者は多かったと思うがその難しさ故に、公言して目指した者は少ない。
筆者は「土屋隆夫論1」で、1作ごとに変化して行く内容を作者のあくなき課題への追求と理解しようとした。

その中で、推理小説の比重が主たる所から出発して次第に一般文芸に近づいている傾向を指摘し、連続的な変化とした。
「聖悪女」はその面からすると、階段を一度に数段飛びこえた感じもするが理解出来なくもない。
そして、主人公の星川美緒の言葉で作者が正面から述べている。そこから読み取れるのは、処女長編「天狗の面」からスタートして試行錯誤をしながら、全く反対の「聖悪女」にたどりついたというイメージである。
もしも両端に「推理小説」「一般文芸」を取った軸を想定すれば、片方の端から他方の端近くまで歩んだ様に感じた。

ここに登場したのが、「物狂い」である。作者が「処女作にもどる」と述べていても、それ以前の連続的な変化から現実に「物狂い」が書かれると予想した者は少数だったと思う。
作者は円周と言っているが筆者は両端のある軸と考えていた。実は軸の両端は繋がっていたのだろうか?。これを考えてみたい。

「天狗の面」の主人公の土田巡査の子供の土田警部が「物狂い」の主人公である。そして白上矢太郎の名前も「天狗の面」の事件も本文に登場する。
しかも「天狗」と「幽霊」という共通点もある。外観上は処女長編に戻って来たと考えられる。

しかし、「天狗の面」の評価は土屋作品の中では異色ととらえられていると思っている。
最大はその文体でユーモラスさが有り、不可能犯罪テーマと対称的な趣がある。
「物狂い」はそのような文体では無く、舞台となる町・犯人側の動機・土田警部夫妻の会話・最終のトリック・津村刑事の個性・その他多くの面で「天狗の面」と異なっている。
あえて言えば「天国は遠すぎる」に近い。そして、謎解き本格でありながら、作者が歩んだ道(長編群)の影響が部分部分にかいまみると思うのは筆者だけであろうか。
作者は「処女長編に戻った」としているが、そこには長い試行錯誤を行った作品群の影響は無視できず、外観のみは処女長編に戻っているが内容は当然ながら元に戻ったのではなく、全ての作者の作品の影響が含まれている。
従って、円周を歩いて元に戻ったら実は螺旋であり1段階違った場所に到達していた、または筆者の考えた軸の端から端を途中の作品の影響を持ちながら駆け足で反対の端に戻ったと考える。

「天狗の面」「天国は遠すぎる」から、徐々に軸の反対に近づきついには「聖悪女」に到達した作者が、軸全体を見渡した上で「物狂い」を書いたと考えるのが妥当と考える。
 推理小説の読者には、それぞれ好きなジャンルがあり、軸の全体が好きだという人は少数と思う。
 しかし、土屋隆夫の作品群を理解する上で「聖悪女」「物狂い」という反対の傾向を持つ作品は、どちらも無視出来ない作品になったと感じる。

「マラソンランナーの中には、テープを切った後も、観衆の声援にこたえて、場内を一周するひともいるようだ。しかし、満87歳のわたしに、果してそんな余力が残されているかどうか。 いま。窓の外に舞う粉雪を見ながら、わたしはボンヤリとそんなことを考えている。」
土屋隆夫 あとがき 物狂い 光文社 2004年

参考文献:上記に引用したものと、その他土屋隆夫氏作品です。

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土屋隆夫著書リスト(2018/01)

千草泰輔 A
朝霧一平 B

単行本初出
#長編
天狗の面 長編1 1958/06
天国は遠すぎる 長編2 1959/01
危険な童話 長編3 1961/05
影の告発 長編4 1963/01 A
赤の組曲 長編5 1966/12 A
針の誘い 長編6 1970/10 A
妻に捧げる犯罪 長編7 1972/04
盲目の鴉 長編8 1980/09 A
不安な産声 長編9 1989/10 A
華やかな喪服 長編10 1996/06
ミレイの囚人 長編11 1999/09
聖悪女 長編12 2002/03
物狂い 長編13 2004/04
人形が死んだ夜 長編14 2007/11

#作品集
肌の告白 作品集 1959/06
 「青い帽子の物語・重たい影・傷だらけの街
  ・奇妙な再会・孤独な殺人者・肌の告白」
変てこな葬列 作品集 1961/09
 「判事よ自らを裁け・愛する・二枚の百円札
  ・どこまでも闇・ゆがんだ絵・変てこな葬列」
粋理学入門 作品集 1962/09
 「離婚学入門・経営学入門・軽罪学入門
  ・再婚学入門・密室学入門・粋理学入門」
穴の牙 作品集 1968/04
 「穴の設計書・穴の周辺・穴の上下・穴を埋める
  ・穴の眠り・穴の勝敗・穴の終曲」
芥川龍之介の推理 作品集 1971/10
 「芥川龍之介の推理・縄の証言・三幕の喜劇・夜の判決
  ・沈黙協定・正当防衛・加えて、消した」
地図にない道 作品集 1972/02
 「地図にない道・淫らな骨・死者は訴えない
  ・死の接点・ねじれた部屋」
気まぐれな死体 作品集 1975/10
 「淫らな証人・黒い虹・午前十時の女・媚薬の旅
  ・しつこい自殺者・風にヒラヒラ物語・Xの被害者
  ・異説軽井沢心中・気まぐれな死体」
泥の文学碑 作品集 1981/04
 「空中階段・愛する・氷の椅子・虚実の夜・盲目物語
  ・泥の文学碑・川端康成の遺書」
奇妙な招待状 作品集 1981/07
 「夢の足跡 B・りんご裁判 B・奇妙な招待状 B
  ・ある偶然・小さな鬼たち・狂った季節
  ・暗い部屋・穴の穴・マリアの丘」
深夜の法廷 作品集 1993/09
 「深夜の法廷・半分になった男」

#エッセイ
推理小説作法 エッセイ 1992/04

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復刊

角川文庫版
天狗の面 長編1 1975/08
天国は遠すぎる 長編2 1975/09
判事よ自らを裁け 作品集 1976/01
穴の牙 作品集 1976/03
粋理学入門 作品集 1976/07
地獄から来た天使 作品集 1976/11
影の告発 長編4 1977/02 A
針の誘い 長編6 1977/05 A
傷だらけの街 作品集 1977/10
赤の組曲 長編5 1978/04 A
芥川龍之介の推理 作品集 1978/07
異説・軽井沢心中 作品集 1978/10
青い帽子の物語 作品集 1978/12
美の犯罪 作品集 1979/07
妻に捧げる犯罪 長編7 1980/05
泥の文学碑 作品集 1983/04
七歳の告白 作品集 1983/09
針の誘い 長編6 1996/10 A

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講談社文庫版
影の告発 長編4 1974/09 A
赤の組曲 長編5 1976/02 A
針の誘い 長編6 1976/01 A

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光文社文庫版
盲目の鴉 長編8 1984/10 A
九十九点の犯罪 作品集 1985/03
 「夫か 妻か・開いて、跳んだ・九十九点の犯罪 B
  ・見えない手 B・民主主義殺人事件 B
  ・わがままな死体・Xの被害者」
影の告発 長編4 1986/04 A
針の誘い 長編6 1986/10 A
赤の組曲 長編5 1987/04 A
危険な童話 長編3 19881/03
妻に捧げる犯罪 長編7 1988/10
天狗の面 長編1 1989/06
穴の牙 作品集 1990/02
 「穴の設計書・穴の周辺・穴の上下・穴を埋める
  ・穴の眠り・穴の勝敗・穴の終曲」
小説 離婚学入門 作品集 1990/12
 「離婚学入門・経営学入門・軽罪学入門
  ・再婚学入門・密室学入門・粋理学入門
  ・報道学入門・媚薬学入門」
死者は訴えない 作品集 1991/04
 「判事よ自らを裁け・死者は訴えない
  ・奇妙な再会・縄の証言・愛する・美の犯罪」
天国は遠すぎる 長編2 1991/11
孤独な殺人者 作品集 1994/06
 「淫らな骨・加えて、消した・情事の背景
  ・淫らな証人・正当防衛・孤独な殺人者
  ・ゆがんだ絵・肌の告白」
不安な産声 長編9 1994/10 A
寒い夫婦 作品集 1995/02
 「気まぐれな死体・氷の椅子・老後の楽しみ
  ・地図にない道・暗い部屋・寒い夫婦
  ・狂った季節・推理の花道」
ねじれた部屋 作品集 1995/02
 「しつこい自殺者・泥の文学碑・夜の判決
  ・天国問答・空中階段・夜行列車
  ・ねじれた部屋・「罪ふかき死」の構図 B」
媚薬の旅 作品集 1996/01
 「芥川龍之介の推理・風にヒラヒラ物語
  ・盲目物語・死の接点・小さな鬼たち
  ・二枚の百円札・傷だらけの街・媚薬の旅」
深夜の法廷 作品集 1996/10
 「深夜の法廷・半分になった男」
午前十時の女 作品集 1997/03
 「異説軽井沢心中・沈黙協定・虚実の夜
  ・青い帽子の物語・七歳の告白・動機と機会
  ・変てこな葬列・午前十時の女」
華やかな喪服 長編10 2000/09
ミレイの囚人 長編11 2000/12
影の告発 作品集 2002/03
 「影の告発 長編4 A・寒い夫婦・美の犯罪」
危険な童話 作品集 2002/04
 「危険な童話 長編3・判事よ自らを裁け
  ・変てこな葬列・情事の背景」
天狗の面 作品集 2002/05
 「天狗の面 長編1・「罪深き死」の構図 B
  ・青い帽子の物語・愛する・死者は訴えない
  ・影に追われる男・怖ろしき文集・貞操実験」
針の誘い 作品集 2002/07
 「針の誘い 長編6 A・淫らな証人
  ・加えて、消した・わがままな死体」
天国は遠すぎる 作品集 2002/09
 「天国は遠すぎる 長編2・二枚の百円札
  ・孤独な殺人者・奇妙な再会・肌の告白」
赤の組曲 作品集 2002/11
 「赤の組曲 長編5 A・夜の判決
  ・縄の証言・芥川龍之介の推理」
妻に捧げる犯罪 作品集 2003/11
 「妻に捧げる犯罪 長編7・盲目物語・媚薬の旅
  ・しつこい自殺者・気まぐれな死体・異説軽井沢心中」
盲目の鴉 長編8 2003/03 A
不安な産声 作品集 2003/05
 「不安な産声 長編9 A・花心夫婦心中」
聖悪女 長編12 2004/10
物狂い 長編13 2006/09
人形が死んだ夜 長編14 2010/05

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廣済堂文庫版
最後の密室 作品集 1985/05
変てこな葬列 作品集 1985/11
地図にない道 作品集 1986/03
しつこい自殺者 作品集 1986/07
夜の判決 作品集 1987/02
天国は遠すぎる 長編2 1987/12

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天山出版文庫版
沈黙の罠 作品集 1987/02
動機と機会 作品集 1988/09
虚実の夜 作品集 1990/04

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創元推理文庫版
土屋隆夫推理小説集成1 作品集 2001/03
 「天狗の面 長編1・天国は遠すぎる 長編2」
土屋隆夫推理小説集成2 作品集 2000/09
 「危険な童話 長編3・影の告発 長編4 A」
土屋隆夫推理小説集成3 作品集 2001/06
 「赤の組曲 長編5 A・針の誘い 長編6 A」
土屋隆夫推理小説集成4 作品集 2000/12
 「妻に捧げる犯罪 長編7・盲目の烏 長編8 A」
土屋隆夫推理小説集成5 作品集 2001/09
 「不安な産声 長編9 A・華やかな喪服 長編10」
土屋隆夫推理小説集成6 作品集 2002/08
 「ミレイの囚人 長編11・あなたも探偵士になれる 作品集」
土屋隆夫推理小説集成7 作品集 2002/03
 「粋理学入門 作品集・判事よ自らを裁け 作品集」
土屋隆夫推理小説集成8 作品集 2003/03
 「穴の牙 作品集・地図にない道・深夜の法廷 作品集」

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