深谷忠記論 逆転の発想の構図

深谷忠記の作品群で大きな質と量を占める「黒江・笹谷」シリーズは本格推理小説の手法を取る。
表面上の特徴は、真木田警部・勝警部補の警察組織と「数学者の黒江荘・雑誌記者の笹谷美緒」(初期の設定)の2つの捜査陣・探偵の共存の形式を取る事だ、捜査担当と推理担当とには単純には分けられない小説内容の構成を取るが、書き方次第では2つの担当に分ける事が可能と言える設定だ。
長編警察小説的な探偵役と短編・中編的な名探偵的な推理とが、途中で引き継がれる。
前者の捜査は警察捜査であり、後者は天才的な発想の飛躍が主体となるものであり、それぞれが読者が楽しめる内容となる。

後者の「天才的な発想の飛躍」ではトリックを解明する推理小説も多いが、本作者はトリックの解明が直接に謎の全面的な解明にならない様に構成すると述べている。
作者はそれを「推理小説で必要な物は「魅力的な謎」と「論理的な推理」だ」と述べて、トリックは「魅力的な謎」の1つだとする。
それではそこに「論理的な推理」を如何に取り入れるかだが、警察捜査は定跡的な組織捜査であり特にこのシリーズでは東京以外での捜査も多く警視庁の真木田警部・勝警部補と各地の警察が捜査する、見かけは警視庁組が定跡的な組織捜査に柔軟な面を加える傾向を出す。
その中心が民間の協力者である「黒江・笹谷」との繋がりだ、当初は偶然の出会いから始まり「前回にも協力を得た」から「信頼出来る協力者」に変わって行く、それは警察組織では異質で他の警察では概ね奇妙であり不満となる、このパターンは他の推理小説の名探偵のシリーズでも常套的に登場する。

「黒江・笹谷」は協力しても何も求めないが前提となり「そこに謎があるから謎を解くというスタイルになる」という黒江荘の考えがあり、その関係が守られるかどうかが2つの捜査陣・探偵の共存出来るかのポイントになる。
推理小説での主人公について、読者にとっての最大の事は作者とその分身の主人公との信頼関係とも言える、それを利用すればとっておきのトリックと謎が作れるので作者には大きな魅力だ。
だがその読者との信頼関係を作る事は非常に難しい、膨大な数となった「黒江・笹谷」シリーズはその一つとなるが、それが継続しない事情が生じた、それは後述する。

このシリーズでは3つの捜査会議がある、それは1:真木田警部・勝警部補らによる文字通りの捜査会議であり、2:勝警部補が「黒江・笹谷」に謎を持ちこむまたは情報交換する時に話しあう、3:「黒江・笹谷」の2人が謎を話し合う、だ。
ここでの整理と展開が「論理的な推理」として行われる、その中に隠されたものと情報不足のものが含まれていてその時の情報だけでは謎の解明には至らない、その面では「論理的な推理」だけで謎が解明されない事になる、ただその最後に黒江荘の「天才的な発想の飛躍」が登場する訳であるが「論理的な推理」を妨げていた部分を取り除く形をとる事で全体を「論理的な推理」と見せる事が行っている。

「論理的な推理」を妨げるものを如何に設定するかが、本シリーズの構成のポイントとなる。
それは色々な手法が使用される、例えば「犯人像の条件がトリックで隠される」がありそれは「容疑者に犯人がいない構成」だ、「容疑外には捜査上と小説上も含まれる」それは「真犯人がほとんど前半のストーリーに登場しない」か「何かの理由で容疑外になる」事で成立する。
犯人と思えない人物が真犯人だと言うのが推理小説だという考えもあるが、読者には小説の雰囲気で感じるともされる、隠すから見つかるとも言われる、一時的に読者の目から外す事はそこそは可能だといえる。
例えば「捜査陣から見た容疑者」と「ストーリー中ではなくて読者にとっての容疑者」を考えると、双方を含めれば展開のなかではそれ以外は捜査上も小説上も容疑外だと言えるので可能性はある。
「黒江荘の発想の飛躍」は容疑外の人物を容疑者に変える、それは「トリック解明」かもしれないし「容疑外を拡げる」とかもある、その条件で犯罪が可能だと示せば次に証拠と逮捕の方法へと移る。

このシリーズの謎の設定とその解明のスタイルは、主人公の設定に反映された。
黒江荘のキャラクターは「謎を解く」担当と「発想の転換」をさせる担当と「無口で突然に解明させる感を与えながらそれまでは判らない部分を薄める設定」だ、その為にはそれをサポートするワトソン役が必要で笹谷美緒というキャラクターも必要だ。
笹谷美緒は黒江荘が無口で寡黙でも存在出来るために必要であり、「考える人という不思議で実はかなり無理な設定を2人と読者だけの出来事にする」役割と「発想の転換前の黒江の迷いを代わりに表す事で黒江の迷いを見た目は薄める役目」を果たす。

狭義のトリックは必要要素では無いと作者が考えても、広義のトリックは「魅力的な謎」とは密接だ、長編シリーズの本シリーズは「メイントリック+サブトリック群」で構成される、多くの作者で見られる事だが、メイントリックの大きさは次第に弱まっていて「サブトリックのメイン化」に移る。
「魅力的な謎」の面ではマイナスで作者としては作品の構成を変える事で対応する訳だが、シリーズ作ではその構成と登場人物の設定が初期のスタイルで最善化されてしまっている。
それ故に「魅力的な謎」の変化を作品の構成・人物で変える事はシリーズ自体が大きく変わる事になり、そもそもそれでもシリーズを継続する必要があるのかと言う事になる。
探偵小説で長く続くシリーズが他のジャンルよりも圧倒的に少ない理由だ。
それは初期の設定が魅力的に最適に近く作られている程に強い、「黒江・笹谷」シリーズは既に述べたようにその一つであるので、シリーズが同じ様に続く事は難しいと言える。
その面からは既に作者にとって書くこと自体が難しく、結果も出しにくい状態であり終焉するかあるいは思い切った変更が必要だ、ただし後者は過去の作品を弱める可能性がある。
近作でストーリーに大きな変化が有った、それは「「真木田警部・勝警部補の警察組織」と「黒江荘と笹谷美緒」の2つの捜査陣・探偵の共存の条件である所の両者の信頼関係を崩す展開」だ、それは「作者と読者との信頼関係も崩す事」が予想される。
それは本シリーズの終焉か方向転換なのかは無関心ではないだろう。

本シリーズは開始直後は年平均4冊のペースで書かれたが、数年後に年2冊になり、年1冊から2年1冊となり、ついには7年の空白が生まれた。
2013年に復活したが、その継続には難しい課題がかることは本論内でも述べた。
それはシリーズのスタイルと特徴に繋がる問題であり、その対応は継続という前提さえ存在しない問題だ。


作品一覧(黒江荘シリーズのみ)(2017年5月現在)
改題情報は暫定的


信州・奥多摩殺人ライン(1986)
「阿蘇・雲仙」逆転の殺人(1986)
南房総・殺人ライン(1987)>房総・武蔵野殺人ライン
「札幌・仙台」48秒の逆転(1987)
アリバイ特急+-の交叉(1987)
「南紀・伊豆」Sの逆転(1987)
津軽(アリバイ)海峡+-の交叉(1988)
「法隆寺の謎」殺人事件(1988)
横浜・長崎殺人ライン(1988)
弥彦・出雲崎殺人ライン(1988)
「万葉集の謎」殺人事件(1988)
寝台特急「出雲」+-の交叉(1989)
「邪馬台国の謎」殺人事件(1989)
詩人の恋 信州殺人事件(1989)
指宿・桜島殺人ライン(1989)
鈴蘭伝説の殺人(1990)>札幌・鈴蘭伝説の殺人
「博多・熱海」殺人交点(1990)>熱海・黒百合伝説の殺人
北津軽逆アリバイの死角(1990)>「太宰治の旅」殺人事件
天城峠殺人交差(1990)>踊り子の謎 天城峠殺人交差
函館・芙蓉伝説の殺人(1990)
伊良湖・犬山殺人ライン(1991)
人麻呂の悲劇(1991)
萩・津和野殺人ライン(1992)
倉敷・博多殺人ライン(1992)
釧路・札幌1/10000の逆転(1993)
尾道・鳥取殺人ライン(1993)
横浜・修善寺0の交差(1994)
能登・金沢30秒の逆転(1995)
長崎・壱岐殺人ライン(1996)
千曲川殺人悲歌(1997)
安曇野・箱根殺人ライン(1999)
札幌・オホーツク逆転の殺人(2000)
佐渡・密室島の殺人(2002)
十和田・田沢湖殺人ライン(2004)
多摩湖・洞爺湖殺人ライン(2006)
「奥の細道」不連続殺人ライン(2013)
遺産相続の死角 東京・札幌殺人ライン(2014)
悪意の死角 東京・京都殺人ライン(2016)

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