短い作家時間と作風 長井彬論
長井彬は定年後に江戸川乱歩賞を最高齢で受賞して、多くとはいえない作品数と作家時代の後で死去しました。
若年時代の独創力と高齢での経験はどこの社会でも比較されたり問題視されたりします。さて、推理小説界ではどうでしょうか。
長井彬は1例にしか過ぎないですがその足跡をたどりながら、調べてみたいと思います。
最近ではいきなり作家という人もいますが、一番多いのは最初は兼業で途中から専業作家になる人でしょう。失業中に作家になった例も有りますが、それに近いのが退職後に作家になる例でしょう。
この場合の時間的優位性は、かなり多いと言えます。それを量に利用するか、質に利用するかの選択になります。
長井彬の場合は、結果的に後者になったように思えます。
長井彬の扱った分野を大きくわけると、
(1)社会性の強い初期作品群、
(2)中期以降の趣味の世界(山登り・焼き物等の美術品の世界)、
(3)その他 になるでしょう。
もうひとつの面から見れば、テーマによらず本格推理小説構成をとり、しかも密室的状況を扱う作品が多い特徴があります。
この2点をあわせて憶測するならば、はじめに背景とするテーマを決め必要に応じて取材等を行う。そして、その舞台にあった推理小説を構築しそのなかに密室的状況を設定して行ったと考えられます。
(2)をテーマにする事は自分自身が詳しいので非常に自然です。しからば(1)はどうかが疑問になります。作者が新聞記者出身であり、江戸川乱歩賞に応募するにあたり受賞作やその頃の、推理小説の傾向を調べてテーマを決めて取材等を行ったと考えることは、ある程度真実に近いといえるのではないでしょうか。
(3)の存在は誰でも決まった作品のみ書くわけでもないですし、また他の誰かが後で分類し易い様に小説を書くわけでもないので、必ずと言ってよいほど存在します。
探偵小説と言えば名探偵役の存在が気になりますが、初期の作品では曽我明記者が活躍します。短篇山岳小説の傑作「遠見山行」でも登場しますが、中期以降は出番はなくなります。
少ないながら幅の広い小説群を見れば、共通の探偵役が難しいことは直ぐにわかります。
「密室的状況を扱う作品が多い」とは、文字通りに受け取るのが正解です。狭義の密室は逆に多くありません。
アリバイとか別の表現が出来る場合でも、広い意味では不可能犯罪にみえます。それを密室的状況と言い換える事ができます。あえて言い換える必要の有無は問題にしても、意味はありません。作者の目・認識で表現が変わるとかんがえられます。従って、長井彬の場合は「密室への拘りが強い」といわれることになります。
(1)の作品群は今からみれば、時代を先取りしていた事がわかります。類似テーマの作品がその後で多く書かれる事になりました。
原子炉・地震予知・オンラインコンピュータ犯罪など、その後に多くの作家がテーマとしています。
(2)の山岳小説については、先駆者はおりますが本格推理小説との強い融合という意味では限られた範囲でした、長井彬自体も多作家でないので量的には少ないです。しかしこの分野も後続の作者たちの後の作品群を見れば、長井彬が実質的な先駆者の役をはたしていたと見ることができます。
長井彬以前は、単発か、山への思いが本格推理小説を押さえていたと言えます。長井彬により、ふたつが融合されて本格的に分野が開拓されたと考えます。作品数の絶対量は少ないとはいえ、長井彬にとっては大きな部分を占める量であると言えます。
やき物になるともっと作品数は減少します。しかし、長篇と短篇集は特殊な分野を考えれば大きな成果と見るべきでしょう。
この作品群をみれば、作品の要求は大きかったと思いますが、作家としてのスタートが遅かった事による時間的制約が寡作家に分類される事になったと思います。少ない作品の中で作者自身がテーマをかえて行った事は作者自身が時間的制約を強く意識していたと考えてよいでしょう。
少ない作品数が高齢での出発による作家生活の影響と見れば、この範囲では独創性の枯渇は縁がありません。従って、高齢と独創性については別の制約(作品数)のために影響が不明と言えます。また、作家になった時点での経験は充分に作品に生かされていると考えます。しかしこの点でも、長井彬ほどの遅い出発が必要との結論にはなりません。「作家になるのが遅い=作品数が少ない」が明確な結果で、それ以外は不明と言うしかないと思います。
長井彬以降の作家群が、量的には長井彬の作品を凌駕していることは事実ですが、はたして質的にはどうでしょうか。
推理小説の世界では、デビュー作や先駆作が代表作として残り、後継作群が明確に質的にも追い越す事は簡単ではない事は幾多の例が示しています。
参考:著書リスト(簡略版)
1981 原子炉の蟹
1982 殺人オンライン
1983 M8の殺意
1983 北アルプス殺人組曲
1984 奥穂高殺人事件
1985 死の轆轤(ろくろ)
1985 槍ヶ岳殺人行
1986 函館五稜郭の闇
1986 殺人路・上高地
1987 萩・殺人迷路
1987 南紀殺人 海の密室
1988 殺人連結のささやき
1989 パリに消えた花嫁
1989 千利休殺意の器<短篇集>
1990 白馬岳の失踪<短篇集>
1992 赤い殺意<短篇集>
1993 ゴッホ殺人事件