加田伶太郎全集 1冊だけの全集

推理小説の世界では、作家の全集が編まれることは少ない。
「XX全集」となっていても不完全な作品集成にとどまる事が多い。
1冊だけの全集「加田伶太郎全集」は作品数と内容共に、希な本と言える。
作者名は初めは加田怜太郎で、途中から福永武彦に変わった。覆面作家が公式に名前を表した事になる。
この本は再刊される度に前回の序文や解説等が、再録されるので後で出版される程に内容は豊富になる。
この作品群は、単に面白いだけでなく、時代の変化による推理小説の変化を知るうえでも重要である。
絶版ばかりの現在でも、復刊されて入手可能になっているがそれでも読者は増えていないと思われる。個人的には非常に残念と感じる。

福永武彦は、中村真一郎・丸谷才一とともに「深夜の散歩」と題するエッセイを出版しているがこの中からも一部採録されている。
これなどと全て集めると、作者の執筆動機・推理小説(探偵小説)の考え方・作品内容が詳しく分かる。
元々は全集になったのは、福永武彦全集の第5巻としてまとめられた時が最初である。
作者にとっては、探偵小説は本業と異なり楽しむものであった。
従って作品の評価よりも作者自身が楽しんで書くことが一番重要であった。
結果として第1作の「完全犯罪」は古典的味わいのあるトリック小説に分類されるし、作者の意向も同様であった。
その後も同傾向の作品を要望により書きついだ。
しかし作者が書く楽しみを無くした事などから中断し、再度かかれたものはトリック1本の作品では無くややスタイルの異なるものであった。
都筑道夫は解説で後者をモダンミステリに分類されるとしている。
作者本人の意向とは別に、作品群は読者にかなりの影響を与えたと思う。
アンソロジーにもしばしば録られているし、その影響にふれた文にも出会う。
結局、探偵小説の原点で書かれた作品群であるので、出発点としても、目標としてもみることが出来るからと思う。
特に作品の昭和31年からの発表は20年代の怪奇的背景から、新しい舞台への変化の時期でもあり、同時に社会派と呼ばれる小説が多く書かれる時代の直前でもあり、作品数は少なくても内容とその変化は、推理小説自体に与えた影響は非常に大きいと考えられる。

「探偵小説が文学だとはつゆ思っていないから、(中略)。
探偵小説が文学かどうかという議論があるようだが、結果的に見て文学というに足る作品があるにしても、まず探偵小説は探偵小説という特別の世界に安住している方が、無難なように思われる。」
福永武彦 深夜の散歩 1978年 講談社

「その作品が日本の推理小説史上にしめる重要さに気づくまでには、迂闊ながら十年かかった。
(中略)黄金時代の推理小説は、事件の複雑さを主にしすぎて、それを起こす人間性までねじ曲げかねないところに、弱点があった。
(中略)(イギリスの)伝統を尊重した地味な作風は、多彩多様なアメリカの推理小説にくらべて、昭和30年代の日本にはあまり影響を与えなかった。
(中略)もしも日本の推理小説を詳細に論じて、この『加田伶太郎全集』にふれない評者がいたら、それはよほど目がないか、好みに偏したもの、と私は断言してはばからない。」
都筑道夫 加田伶太郎全集 1974年 新潮社

「推理小説を執筆したことは、とりもなおさず福永氏の、推理小説に対する姿勢を明示したものといってよい。
それは、氏にとって、論理の遊戯に徹した文学を書くという決意であった。」
渡辺剣次 13の密室 1975年 講談社

「日本においても加田伶太郎というペンネームで本格推理を書く純文学者がいます。
推理小説の静的要素は文学者にとって一度は筆を執らなければならないテーマであるのかもしれません。
また古今の不朽の名作にはその水底にピンと張る緊迫感と謎の要素が流れているのを発見しました。」
佐々木丸美 崖の館 1977年 講談社

「加田伶太郎氏はアマチュアを標榜する如くしてアマチュアどころではなく、存分に愉しめるミステリの乏しい今日この頃、ふたたび名探偵伊丹英典の登場を期待する読者は少なくないはずである。」
結城昌治 加田伶太郎全集 1970年 桃源社(2001年 加田伶太郎全集 扶桑社 より引用)

「古典的謎解きから現代ミステリーへと推移する推理小説史の雛形をも示しており、余技の域に留まるものではない。」
新保博久 日本ミステリー事典 2000年 新潮社

参考文献は、上記引用文献です。
書誌・その他作品等は、「加田伶太郎全集 扶桑社」2001年 に掲載されています。

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