谺健二と震災小説

谺健二はアニメーターを本業とする兼業作家である。神戸在住で阪神大震災に遭遇した。この時の体験から震災文学に興味を持ったと言う。推理小説の書き手であることから震災を背景にした作品を書いたと言う。

「あの出来事をこのような娯楽読物にすることには当然、批判もあるかと思います。しかしわずか二年半でもう風化が叫ばれている今日、読まれた方が今一度、あの出来事について考えを巡らせてくれれば・・・・と思うのです。」
谺健二 未明の悪夢 東京創元社 受賞のことば

(1) デビュー作であり鮎川賞受賞作である「未明の悪夢」は既に複数のテーマが入れ混じったエネルギーの高い作品である。読者には多種多様の好みがあるので、本を読むために高いエネルギーを必要とする作品は、読者を選んでしまう。作者に震災文学に対する強い思いがあり、一方で本格推理小説への同様の思いがあれば、重なりあって読む事自体に高いエネルギーを要求する結果になってもやむを得ないだろう。
「未明の悪夢」の評に、震災の資料性・不可能現象の現実性がほとんど取り上げられている。現実が架空の物語を越える事は推理小説として注目すべき事であるので有る程度はやむを得ない。しかし、これだけでは作品のページ数が多すぎる。作者の本作以降でも共通する事が多いので、ややしつこく分析を行う。
事件は震災の時に起こった、しかしそれまでが長い。最近はその様な推理小説も増えているが、その部分に意味がなければならない。私は「神戸は二度死んだ」をキーワードとして読んだ。最初は戦災、そして二度目は震災からの再生がテーマであると考える。震災からの再生はいつまでかかるか予想はつかない。震災といえば、物質的被害と外傷に注意が行きがちである。実は心の病のほうが非常に大きな問題である。これがいやされるには長い時間が必要である。あるいは死ぬまで無理であるかも知れない。目に見える病だけでなく、双方に対して再生が必要である。
推理小説としては先にも書いたように、「現実と虚構・架空」のテーマがありややもすればこれのみに注意が行きがちである。確かに推理小説だけの世界と通常は考えている事が現実に起きたことは誰もが注目する。しかしながらこれと同様にあるいはそれ以上に、個々の殺人事件と大量死という大きなテーマも重要である。大量死は戦争・テロ・災害などで生じる。推理小説では一部の例外を除いて、大量死ではなく個々の殺人を取り扱う。
作者は震災を娯楽小説として書くことに批判もあるかもしれないとしているが、震災を推理小説の形で書くことの意味は、この上記2点、特に後者を正面から問いかける事ができる事にある。推理小説としてどちらにより興味を持つかは読者の自由であるが、作品を論じる場合は片方を省くことは出来ない。他の小説分野でも、震災文学が書かれはじめている。やはり、発表までに時間が必要でしかも谺作品と同じ様に多くは、心の病に注目している。戦記・災害を描いた小説でも、大量死をそのまま取り上げることは極めて難しく、個々の登場人物を通してその問題を見る事になる。
登場する探偵役の主人公たちが、震災の結果に呆然として時間を消費する中で気持ちを充分に切り替えられなくても個々の事件の解明を行うのは、他にする事がない・大量死に対しては何も出来ない・何かを再生のきっかけにしたい気持ちがどこかにあるからであると思う。

(2) 続く長編「殉霊」は直接には震災をテーマにしていない。しかし推理小説の骨格を持ちながら「大量死」と「心の病」をテーマにしているのは類似性がある。
主な舞台は震災後の三宮で、主人公は探偵社に勤める緋色翔子である。岡田有希子自殺事件とその後の後追い自殺事件を取り上げている。緋色自身も姉を失っている。
矢貫馬遙が類似した状況で死んだ。そして、同様に続く後追い自殺、段々と数が増えて行く。世間は同じ様に扱ったが緋色は当時者でも有り簡単に納得出来なかった。

「音楽が人を殺す・・・。そんなことがあるのだろうかと緋色は思った。少なくとも七年前に姉を奪い去っていったあの連鎖自殺事件は、音楽によって引き起こされたものとは言えないだろう。それが一人の歌手の死に端を発してはいても。」
 殉霊 講談社 

ひとり事件を追う緋色だが、自分自身の中にも絶えず迷いを持ち続ける。

「自殺と殺人は本質的に同じものよ。ただ殺意が内に向かうか、外に向かうかの違いだけ。」
 殉霊 講談社 
「仮に自分の命が、いや人間の生命が無価値なものだとしても、あるいは生きていくことには本質的に何の意味もないのだとしても、それと自らの命を絶つ行為の間にはひどく遠い隔たりがあるのではないだろうか。」
 殉霊 講談社 

自殺者の心の中に入って行こうとし、入り切れない迷い。次々起きる連続の死をまとめて取り扱う世間に対し、個々の死に対してと連続大量死とは・・・を問いかける。
推理小説ですので、深く入れる部分と入れない部分とがあります。
震災自体をテーマにしていなくても、類似したテーマに対する取り組みが見えます。結果的に読者に読むエネルギーを要求する作品にまたもなっています。

(3) 「恋霊館事件」は短篇集です。しかし、被災から始まり続いてたてられた仮設住宅を舞台にして、時間の経過と共に変わる街の描写と仮設住宅からの引き払いまでを時系列に書いているために、推理小説としては短編集ですが、背景は長編的です。
事件は全て不可能状態に見えるものばかりで、推理小説的にはやや古風な本格小説を仮設住宅という特殊な舞台で描いた作品と言えるでしょう。
一方、背景となる舞台と時間の経過による変化・数々の問題点は、震災と心の病とその再生の物語に違いありません。そしてそれは終わりがあるのかどうかも分かりません。

「あの阪神淡路大震災から私が得たささやかな教訓は、街で普通に生きている無数の人々が自分の仕事を黙々とこなすことで、この世界はようやく成り立っているという、気付いてみれば至極当然のことでした。」 
恋霊館事件 光文社
「地図のない街に、二度目の冬が来た。(中略)被災者達に住まいを提供するために造られた、一つの仮の街には違いなかった。」 
恋霊館事件 光文社

「未明の悪夢」と同じ探偵役で書かれた作品は、短篇という事で読者にとっては丁度適当なまとまりと感じます。事件が一つずつ解決してゆくので、読むのにエネルギーを通常以上に要求しないと言えます。

(4) 同じ探偵役で書かれた長編「赫い月照」は、現在までの所最も読むのにエネルギーを必要とする作品でしょう。本作もまた現実の事件をモチーフにしています。それは須磨で起こった「酒鬼薔薇」事件です。この異常な事件に真っ向から挑戦しています。数々?の犯罪者・精神的に不安定と思われる人物・心理療養士等、みるからに怪しげな登場人物が次々に登場します。「赫い月照」という小説中の小説を含めて、一体いくつの事件が並行して描かれているのか、読んでいる内に完全に混乱状態に陥ります。非常に長い小説で、これだけの複数の事件が並行して進むならば仕方がないと思ってしまうと・・・・。
本作は、震災の影響が残る神戸を主な舞台に異常者の犯罪が、並行して進む様に考えてしまいます。前作同様に、心の病をいやになるほど登場させ、そして死亡した人数を数える気もしない程に死者が発生して話が進みます。そこには、大量死によって読者の目をくらましてしまう作者の企みがある事も知らず・・・。おまけに、前作品群で探偵役を演じた雪御所圭子の過去が明らかにされて、ここにも事件が登場します。
だが、本作はまぎれもなく本格推理小説です。密室・連続殺人・予告殺人・小説中小説の殺人・見立て殺人・暗号・アリバイなど、何でも有りの世界に彷徨いこまれます。一つ一つを取り上げて、たいしたトリックでは無いと言っても全貌を解かなければ作者は微笑んでいるだけでしょう。読み終わった感想は、正直疲れたですが、全編に渡る作者の挑戦は疲れを打ち消すと思います。

さて、震災小説に拘り、心の再生に拘り、大量死に拘った作者は次はどの道に進むのでしょうか。なぜ、このような疑問を持つかはこの小説の読者のみ感じる事でしょう。古典的ともいえる本格推理小説テーマに、「現実」「心の再生」「大量死」などを加えて新天地を模索する作者の今後の歩む道筋の予測は難しいとしか言えないでしょう。

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谺健二著書リスト
(2017/05現在)
 

雪御所圭子 #1
有希真一  #2
 
未明の悪夢 1997/10 長編 #
殉霊 2000/04 長編
恋霊館事件 2001/04 作品集
 「仮設の街の幽霊・紙の家 #・四本脚の魔物 #・ヒエロニムスの罠 #
   ・恋霊館事件-神戸の壁- #・仮設の街の犯罪 #」
赫い月照 2003/04 長編 #
星の牢獄 2003/12 長編 #2
肺魚楼の夜 2008/08 長編 #2
ケムール・ミステリー 2016/03 長編
 
 
谺健二短編(作品集未収録)
(2017/05現在)
 
新・煙突奇談 1998/07 短編 「新世紀謎倶楽部」
「堕天使」の最期 2001/09 短編 「堕天使殺人事件」
五匹の猫 2000/07 短編 #「密室殺人大百科・上」

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