服部まゆみ論
推理小説関係でも、新人賞を中心に多くの賞が出来ました。ただ、広義のミステリを望むと言う親切そうで実は悩ましいものが多いのも事実と思います。
「横溝正史賞」はそのなかでも早く設けられました。横溝の名前から、本格と耽美・幻想的な作風を期待してしまいましたが、結果は名前を借りただけと思えます。
そもそも第2回以降しばらくの受賞作に賞のコンセプトがなかったことが原因ではないかと思います。
結果的に多くの期待される作家をデビューさせながら、いまだに「推理作家協会賞」の受賞作家を出していない実状になっています。
後発の「サントリー大賞」の黒川博行、「サスペンス大賞」の宮部みゆき・高村薫、「鮎川哲也賞」の加納朋子・北森鴻、「松本清張賞」の横山秀夫、「大藪春彦賞」の福井晴敏などを見ると偶然とは言え何故と思う事もあります。
横溝の作風に拘わり過ぎなくてもまったく名前貸しが原因ではないかと思ってしまいます。しかし、優れた本格作家はでていますし、ここで取り上げる本格+幻想味をもつ「服部まゆみ」のデビューは大きな結果と考えられます。
服部まゆみは個性的な作家であり、寡作のうえそのカバーするテリトリが広く、読者個人で異なる印象を持つことが十分に予想されます。
服部まゆみについては、デビュー作の「時のアラベスク」に対する感想とイメージが先行しています。
その後の作を見ると多くの的を得ている部分と、そこに現れていない作者の広い世界を予想していない(仕方がありませんが)部分があります。
「長いセンテンスを危なげなくこなす文章力が希有。いってみればクラシックな探偵小説のムードですが、それを新しい魅力としてつぎつぎ書いていける方だと信じます。」
夏樹静子 時のアラベスク 角川書店 1987
「(前略)さまざまな趣向が凝らされており、まさに古きよき探偵小説である。」
森村誠一 時のアラベスク 角川書店 1987
「ストーリー展開よりも、まず文章を読む事それ自体に悦びを見出すことのできる類希なる作家としての、中井英夫との類似点を見出し、嬉しくなったのだ。」戸川安宣 時のアラベスク 角川文庫 1990
「時のアラベスクを読んだとき、私は日本のミステリ界にもロマンテイシズムを持った作品が、久しぶりに登場したかという、強い印象を受けた。(中略)松本清張以後の日本のミステリは、現実性や社会性を重視するあまりに、非現実的なフィクションの面白さを失ってしまった。(中略)小説にはもっと豊かな幻想のの世界があってよい。」
仁賀克雄 罪深き緑の夏 角川文庫 1991
表現は異なっていますが、表面的には同じ内容を捉えています。しかし、それぞれの考え方で感想や注目点に大きな差が生じています。
言ってみれば、現代に復活した横溝の姿をどこかに見ているように思います。
「クラシックな探偵小説」「古きよき探偵小説」は戦後の横溝の本格物のことを思いだしているのでしょう。「中井英夫との類似点」「豊かな幻想の世界」は戦前の横溝作品を思い浮かべているように感じます。
両者を兼ね備えた作家はなかなか得がたく、これだけでも期待感は大きいかったと言えますし、それだけの内容を持った作品です。
それに対して作者はと言うと、銅版画作家とまわりほどには特定のジャンルへの拘りはなかったようです。これは、以降の作品群を見る上で参考になります。
「夢に生きるのではなく、現実が夢と化した日・・・私は今までの色と形の世界、そして小説という快楽の器でしかなかった世界について考え始める。」
服部まゆみ 時のアラベスク 角川書店 1987
「昨今、ミステリーの流行が社会派推理から 、冒険小説風、さらには昔風の探偵小説に変わってきつつあるなどと、その方面の人達に言われてはいるが、読書自体が所詮は個人の趣味嗜好の問題であり、意味のないことである。」
服部まゆみ へるめす 1990
第2長編の「罪深き緑の夏」は、「時のアラベスク」ほどには探偵小説に接近していませんが、同じ路線に入れることは可能でしょう。
しかし、或る幻想作家をモデルにしたことを感じさせる内容は、既に異なる所への出発とも言えます。
「まず動機から思いついたものでした。マンションの隣に男の子の兄弟がいて、よく喧嘩しているのが壁越しに聞こえるんです。」
服部まゆみ 時のかたち 東京創元社 1992
第3長編の「黒猫遁走曲」は、一挙に本格味が消え、幻想と狂気の世界へ読者を誘います。ここに現れる演劇・古典作品などの知識は、これ以後の作品を読む事で納得がゆくことになります。
幻想と狂気はどこが違うのかといわれると、考え込んでしまいます。私は漠然と、時間の流れの速さの差と感じています。
第4長編の「一八八八 切り裂きジャック」は一挙に大作になります。
それとともに数人の想像上の人物以外は歴史に登場する人物という徹底振りで(作者がそのように言っているだけで私が理解している訳ではありません)歴史の再構成は横溝の世界とは縁がないといえます。それとともに、幻想作家としての見方でも、資料を調べて書く作家という面が強く現れて離れたイメージになります。
しかし、過去の歴史を想像で描くことはたとえそれが資料を調べる事が多くても、作者の想像の入る余地が多く形は変わっていても作者の世界の一つとして見ることは可能です。
「今度こそ本当に僕は物語を書く。砂漠に薔薇を咲かせ、魔法使いを見出し、月へと天翔る・・・」
服部まゆみ 一八八八切り裂きジャック 東京創元社 1996
第5長編の「ハムレット狂詩曲」は、演劇の世界です。しかも人の死なない復讐の話です。演劇でも、歌舞伎とシェークスピアの世界は多く取り上げられています。
それを同時に相手にしてしまうのですから、逆転の発想と言うか欲張った発想とも言えます。話はシェークスピアの舞台を行う事ですが、何故歌舞伎もかは読者ならばすぐに分かるでしょう。
演出家はいつも幻想と想像と創造の世界にいますので、演出家が主人公の世界は書きやすい面もあったのではないかと思います。
第6長編の「この闇と光」はついに本当の幻想と迷宮の世界に直接にはいりこんだ作品といえます。どの作品の後ろにも流れる独自の雰囲気が、直接にかつ全体に覆う作品です。
いつかくる世界、あるいは待望の世界ではないかと思います。
第7長編の「シメール」も幻想とロマンの小説であり、私の中では類似したテーマ性がかんじられます。
ようやく、同じ作者が続けて作品を発表したような錯覚に陥ります。幻想・・いいですね、読者がその気になったころに作者の仕掛けたカタルシスが効果的に現れますから。
「『信じられないわ』と・・・おめでたいレイア・・・僕こそテイレシアス・・・信じられない。何もかも・・・」
服部まゆみ この光と闇 角川書店 1998
「満開の桜の下で『精霊』に出会う。幻を手に入れたいと希う心が生み出す底知れぬ闇・・・」
シメール新刊案内 シメール 文芸春秋 2000
第8長編の「レオナルドのユダ」、正直驚きました。出版間隔からは発表時期でしたが、予定になかたので。
そして、上記2作の後の歴史ミステリーですから。天才の名前を欲しいままにした人物とその周囲の人の精緻な(たぶん、詳しくなくてすみません)物語と歴史に隠された謎が、優雅(芸術に弱いのです)に描かれて行きます。
意表をつく、題材でしたが、あるいは自身が銅版作家であるこの作者でしか書くことができない作品のようにも感じます。苦手な分野ですが、代表作と言ってよいと感じました。
本論を準備しはじめた頃は、第8長編が発表されていなかったので、色々な作品群の後で、予想した幻想味が強い世界に落ち着いたイメージでした。
しかし、服部まゆみは何にとらわれることなく、自分の書きたい世界を描くことを再認識しました。あるいは無限の可能性を期待しても良いかも知れません。
参考文献
各書と、引用文の出典です。
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服部まゆみ著書リスト
(2017/05:現在)
時のアラベスク 1987/05 長編
罪深き緑の夏 1988/12 長編
時のかたち 1992/01 作品集
「「怪奇クラブの殺人」・葡萄酒の色・時のかたち・桜」
黒猫遁走曲 1993/12 長編
一八八八 切り裂きジャック 1996/05 長編
ハムレット狂詩曲 1997/09 長編
この闇と光 1998/11 長編
シメール 2000/05 長編
レオナルドのユダ 2003/10 長編
ラ・ロンド 2007/05 作品集
「父のお気に入り・猫の宇宙・夜の歩み」
短編・その他(作品集未収録)リスト
猫の手 1990/12 「鮎川哲也と13の謎'90」
恋する心 1991/12 「鮎川哲也と13の謎'91」
Happy birthday to me 1992/10 「創元推理1」
石段 1993/05 「創元推理2」
末摘花 1993/10 「創元推理3」
髭 1997/10 「創元推理17」
ソネット 1998/10 「創元推理18」
松竹梅 2002/05 「金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲」