平成26年3月&6月 東京旅行記


 昨年(平成25年)9月下旬、僕は東京・茨城・千葉に行ったのですが、その時、東京都内の有名な寺院に行く予定を立てていました。東京名所の一つであり雷門で有名な浅草寺、徳川将軍家の墓所として有名な寛永寺及び増上寺、赤穂浪士の墓所として有名な泉岳寺。この4箇所を参拝しようと考えていたのです。
 しかし、この時僕は風邪をひいており、更に台風が東京を直撃するという悪天候のため、明治神宮以外の東京観光は断念せざるを得ませんでした。

 平成26年3月初旬、また僕は東京に行きました。今度は上野の東京国立博物館と寛永寺に行くという目標で。やっと寛永寺参拝ができました。

 そして平成26年6月、会社の親睦旅行の季節になったため、僕は率先して「東京名刹巡り」という計画を立て、数人のグループを作って東京に行き、やっと浅草寺・増上寺・泉岳寺参拝を達成しました。


 このページでは、平成26年3月及び同年6月の東京旅行を記します。



平成26年3月6日〜7日 東京旅行記

 昨年9月の関東旅行では体調・天候両面でとても行ける状況にはなかった東京の名刹。今回は「一日で何カ所も参拝するのは体力的にも辛い」ということで、3月6日に東京国立博物館と寛永寺、翌7日に買い物ということで計画を立てました。・・・年をとったってことですかね(苦笑)。
 この日は勤務が午前の早いうちで終わったので、午前10時か11時台の新幹線で上野に直行しました。

 東京国立博物館については、外観の写真は撮りませんでした。内部の展示品は撮影許可になっているものについては幾つか撮影しましたが、特にここに載せるようなものもないので。
 東京国立博物館の見学を終え、すぐに上野の寛永寺に行きました。歩いて数分です。



東叡山 円頓止観院 寛永寺(天台宗大本山・関東総本山) 根本中堂
 東京・芝にある増上寺と並び、徳川将軍家の菩提寺ということで、最盛期は広大な伽藍を有していたらしいのですが、幕末の上野戦争の舞台となったことで焼失。一時は廃寺状態に追い込まれたそうですが、明治になって再発足したそうです。ただし、寺院の規模は大幅に縮小しました。更に第二次世界大戦の空襲でも徳川家霊廟の大部分が焼失しているそうです。
 そのせいか、と言ってはなんですが、今回の参拝では写真をほとんど撮りませんでした。境内である不忍池の弁天堂とかにも行ったんですけど、写真撮るの忘れてましたし。本当に上の根本中堂の1枚しか撮影していませんでした。

 参拝後、上野のビジネスホテルで宿泊。翌7日は新宿で買い物をして新幹線で長野に帰りました。








平成26年6月19日 東京旅行記

 会社ではこの時期、親睦旅行が計画されます。親睦旅行といっても、社員全員で行くわけではなく、行きたい方面や見たい対象を計画して「この計画に乗る人は集まってください」みたいな感じで数人のグループに分かれるのです。
 僕は早々に「東京都内名刹巡り」の計画を立ててしまい、幹事として動いたのです。思ったよりも希望者が集まり、9人で行きました。ただし、かなり自由が許される旅行にしたので、実際に僕と一緒に名刹巡りをしたのは一人だけ。しかも浅草寺参拝後にその人も自由行動となり、ちゃんと計画通りに動いたのは僕だけになります。・・・要は、東京で買い物をしたい人が、「買い物ツアー」という名目では会社の許可が降りないので、「東京都内名刹巡り」という僕の計画に乗っただけなのです。僕もそうなることは承知の上で計画を立てましたので。

 朝、高速バスで長野を出発。東京に到着し、ほとんどの人はそこで解散。僕ともう一人は浅草寺に参拝に行く。
 池袋駅から山手線で上野駅まで。上野駅から地下鉄銀座線で浅草駅まで。浅草駅から浅草寺は歩いてすぐ。



金龍山 浅草寺(聖観音宗総本山) 風雷神門(通称・雷門)
 浅草寺は東京都内最古の寺であり、東京を代表する観光名所のひとつでもあります。観光客の中には外国人が沢山いました。
 この雷門は、浅草寺のシンボルですが、思ったよりも大通り沿いにあって驚きました。直近に交番もあります。



浅草寺境内 仲見世通り
 平日なのでまだ観光客も少なめだそうです。休日には歩けなくなるほどの観光客が来るとか。



浅草寺 宝蔵門



浅草寺 本堂



浅草寺 五重塔



浅草寺 影向堂
 ここで御朱印が頂けます。


 浅草寺参拝を終え、一緒に参拝をした会社の人と別れました。ここからは一人で好きに動きます。
 浅草駅から地下鉄浅草線で大門駅まで。大門駅から増上寺までは歩いて数分です。



三縁山 広度院 増上寺(浄土宗大本山) 大門
 上野の寛永寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺です。最初はこの増上寺だけが徳川将軍家の菩提寺だったとか。
 太平洋戦争までは荘厳な霊廟を有し、日光東照宮に匹敵する素晴らしい文化財の宝庫だったそうですが、空襲によりそのほとんどを焼失したそうです。この大門は昭和12年に作られたコンクリート製です。



増上寺 三解脱門
 戦災を免れた建物の一つ。



増上寺 大殿
 昭和49年の再建。もちろん、後ろに見えるのは東京タワーです。



増上寺 徳川将軍家霊廟前 鋳抜門
 土日は霊廟が公開されるそうですが、この日は平日なので内部拝観はできませんでした。


 増上寺参拝を終え、地下鉄浅草線で大門駅から泉岳寺駅へ。泉岳寺駅から泉岳寺は歩いてすぐです。



萬松山 泉岳寺(曹洞宗・江戸三ヶ寺) 中門 



泉岳寺 大石内蔵助吉雄銅像



泉岳寺 山門



泉岳寺 本堂



泉岳寺 首洗い井戸
 赤穂浪士が吉良上野介の首級をこの井戸水で洗ったそうです。



泉岳寺 赤穂義士墓地全景
 赤穂浪士は切腹後、ただちにこの墓地に埋葬されたそうですが、47士のうち間新六の遺体は家族が引き取り、後になってここに供養墓が建立されたそうです。また、寺坂吉右衛門は討ち入り成功後、赤穂藩関係者に討ち入り成功を報告して回り、後になって自首したものの許されています。寺坂吉右衛門の墓は麻布・曹渓寺にありますが、この泉岳寺にも明治になって供養墓が建てられました。
 そして、この泉岳寺には47士の他に、本人は討ち入りを熱望したけれど周囲の猛反対により討ち入り前に切腹して果てた萱野三平の供養墓があります。つまり、泉岳寺にある赤穂浪士の供養墓は48です。
 線香を束で購入し、浅野内匠頭・瑤泉院以下赤穂浪士全ての墓に線香を捧げました。



泉岳寺 浅野内匠頭長矩公とその正室瑤泉院の墓
 左奥の墓が浅野内匠頭長矩公の墓です。右手前に正室である瑤泉院の墓があります。



泉岳寺 大石内蔵助吉雄の墓
 これまでは大型時代劇の主人公としての存在でしかなかった大石内蔵助ですが、いざ墓参りをすると不思議な感じがしました。



泉岳寺 赤穂義士記念館
 もちろん中も見学しました。



泉岳寺 水琴窟
 この日は6月にしてはとても暑かったのですが、この水琴窟(水の落ちる音を反響させ、涼しけで綺麗な音色を奏でる日本庭園の装置)で一時の涼をとりました。


 泉岳寺参拝を終え、地下鉄浅草線で五反田駅まで行き、そこから山手線で新宿駅へ。新宿で買い物をして、夜の高速バスで長野に帰るという感じでした。

 思ったよりも泉岳寺が見所があって楽しかったです。歩き回ったおかげで、翌日両脚が筋肉痛でまともに動けませんでした。
 これで、一応東京都内の「僕が行ってみたいと思っていた名刹」はすべて参拝しました。またいずれ、新たに「ここも参拝してみたい」と思うところも出てくると思いますが。
 次に行く関東方面の名刹は、千葉の成田山新勝寺ですかねえ。今年の秋ころ、行く予定がありますけど。