令和4年9月 近畿旅行記 其の壱(17日〜18日)



※注意
 今回の旅行記は、いつにも増して自己満足的な要素が強いです。「そんなこと記録しておいてどうするんだ」と言われそうなことまで書いていますが、他の人に知ってもらう為ではなく、自分の思い出の為に書いていますので御承知願います。
 前回の北関東旅行記で詳細な時間を記録し、その挙句「時間を記録するのは今回限り。次回からはやらない。」なんてことを書きましたが、詳細な記録を残すのも案外楽しく、今回もやってしまいました。
 宿泊したホテル等は、検索によるヒットを避けるため多少伏字を用いています。
 写真にあっては、なるべく人が映らないようにタイミングを見計らって撮影しています。「人がいないじゃないか。観光地としては不人気なのか?」という印象を持たれる人もいるかもしれませんが、実際にはかなり人がいる場合が多いです。この「人が映りこまないタイミングで撮影する」という手間を除外して何も考えず撮影していれば、この旅行にかける労力は3割ほど省けて楽になっていたかも知れません。




 さて、令和4年9月下旬、なかなか無いカレンダーの巡り合わせがやってきました。
    9月17日(土)休み
    9月18日(日)休み
    9月19日(月)祝日・敬老の日
    9月20日(火)平日
    9月21日(水)平日
    9月22日(木)平日
    9月23日(金)祝日・秋分の日
    9月24日(土)休み
    9月25日(日)休み
と、2つの3連休が接近していたのです。
 9月20日、21日、22日の3日間で休みを取れば、なんと9連休になってしまうという凄い状態。
 例年、9月に夏休みを取ることが多い僕は、ここを有効活用したいと思いました。
 世間ではシルバーウイークとか言われていたようですが、僕にとってはシルバーなんてもんじゃない、「プラチナウイーク」とも言える大チャンスでした。
 更に、この年はなぜか会社から「夏休みを多く取得しろ」と言われており、例年5〜7日間程度の休みが、この年は9日間取ることができるようになっていたのです。

 何年も前から「5連休以上が取れれば、東北平泉か高野山・熊野三山に行こう」と考えていた僕は、どちらに行こうか迷いましたが、
    平泉は9連休まで使わなくても行くことができる
    星巡りで、今年は北に旅行に行くのは避けた方がいいと聞いた
という理由から、高野山・熊野三山に行くことに決めました。

 さて、ここから僕は更に悩みます。

 「5連休位なら琵琶湖東岸、高野山、熊野三山で終わってしまうが、9連休ともなるともっと他に行ける。他にどこへ行こうか。」

 一旦は伊勢神宮に行くことも考えました。しかし、伊勢神宮は既に3回行ってますし、別の機会に3連休程度取れれば、伊勢神宮だけを目的にする旅行もまたいつか出来るのではないかと考え、今回伊勢神宮は除外しました。
 そして、当初は琵琶湖東岸から大阪に出て高野山に行くルートを考えていましたが、9連休もあれば琵琶湖西岸も行ける。つまり、比叡山観光も視野に入れることができることに気が付きました。
 更に、琵琶湖西岸まで行くのなら、少し頑張って天橋立も行けないだろうかと考えました。

 どうやったら効率的な旅行ができるだろうか。宿は確保できるだろうか。日によっては宿に宿泊するのではなく車中泊の方が都合がいいのではないか。車中泊するなら近くに温泉なり銭湯なりを探さなくては。
 ちなみに、「結果的に車中泊をせざるを得なくなった」という旅行はこれまでにもありましたが、何泊かは車中泊を前提として計画する旅行はこれが初めてです。
 考え抜いた挙句、8月下旬、計画は一応形になりました。
 これが実現すれば、これまでの人生で最も長い旅行になります。自分の車での移動距離は、これまでとは比べ物にならないほどになるはずです。
 お金もかかるでしょう。肉体的な負担も大きいでしょう。しかし、これを逃すと9連休なんていつ取得できるか分からないし、歳をとってだんだんと昔みたいな無理がきかなくなっていることが分かり始め、「実行するなら早めの方がいい」と決心しました。

 なお、この旅行は、前半は台風14号「ナンマドル」、後半は台風15号「タラス」に悩まされることになります。

 近畿地方大旅行、出発です。




●9月17日(土)
00:00 自宅 出発
00:XX 新和田料金所跡 通過(本年4月に無料化となっている)→正確な通過時間は記録していますが、ここにそれを書いてしまうと自宅のおおよその位置が分かってしまうため、記載を避けることにしました。
 トラックが多数走行しており、道の脇やチェーン脱着場などは休憩のトラックばかりだった。
 時刻は忘れたが、岡谷インターチェンジから高速道路に乗る。
01:09 駒ケ岳サービスエリア 到着
 小休止
01:22 駒ケ岳サービスエリア 出発
02:08 恵那峡サービスエリア 到着
 サービスエリアの駐車場内を逆走してしまった。仮眠をとる。
02:36 恵那峡サービスエリア 出発
03:38 養老サービスエリア 到着
 せっかくだから、売店で名物の飛騨牛弁当を買おうかと思ったが、売り切れだった。
04:05 養老サービスエリア 出発
 走行中、強い睡魔に襲われる。
04:50 菩提寺パーキングエリア 到着
 仮眠
05:32 菩提寺パーキングエリア 出発
 走行中、多分、瀬田東インターチェンジだと思うが、ここで車線変更をして左斜めに進まなくてはならなかったのに、間違えて直進してしまう。極端な距離増とはならなかったみたいだが、大回りで京都・茨木経由の道を行くこととなる。
06:26 豊中インターチェンジを下りて、阪神高速道路に入る
06:38 夕陽丘インターチェンジを下り、大阪市内へ
 初めて自分の車で大阪の街の中を走ったが、やはり怖い。左車線に車両が停車していることが多く、走行に支障があった。

06:44 四天王寺南大門直近の駐車場 到着
 平成25年、僕は初めて大阪の街を探訪したが、この時は時間が無く、四天王寺という存在は気になりながらも住吉大社と大阪城に行っただけで帰らざるを得なかった。
 今回、初めて四天王寺を訪れた。




【四天王寺】(してんのうじ)
所在地・・・大阪府大阪市天王寺区
正式名称・・・荒陵山(あらはかさん) 金光明四天王大護國寺
宗派・寺格等・・・和宗 総本山(天台宗に属していた時期もあったが、既存の仏教宗派に拘らないという立場になり、和宗総本山として独立)
 日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺。


四天王寺 南大門



四天王寺 南大門内側にある、四天王寺四石の一つ「熊野権現礼拝石」



四天王寺 義経よろい掛け松
 兄・源頼朝と不仲になった源義経は、吉野山に逃れる途中で四天王寺に寄り、松の木に鎧を掛けたという。



四天王寺 西大門(極楽門)
 昭和37年(1962年)、ナショナル(現・パナソニック)の創業者である松下幸之助氏の寄贈で再建。



四天王寺 石鳥居(いしのとりい)
 奥の門は西大門。



四天王寺 石鳥居内側にある、四天王寺四石の一つ「引導石」



四天王寺 六時礼讃堂と石舞台
本尊・薬師如来(六時礼讃堂)
 石舞台は日本三舞台の一つと言われている(厳島神社・住吉大社・四天王寺)。平成25年に厳島神社と住吉大社の舞台は見ているので、今回の四天王寺で日本三舞台をコンプリート。



四天王寺 東大門内側にある、四天王寺四石の一つ「伊勢神宮遥拝石」



四天王寺 東大門



四天王寺 宝物館
 この時は、「金剛組 四天王寺を支えた宮大工たち」という展示をやっていた。



四天王寺 太子引導鐘堂(南鐘堂)
本尊・阿弥陀如来



四天王寺 五重塔(中心伽藍の外から見た様子)

 青空が見えてきた。



四天王寺 中門と五重塔



四天王寺 中門から見る五重塔


 8時30分になり、中心伽藍(拝観有料)が開いたので、西重門から中に入る。



四天王寺 金堂
本尊・救世観世音菩薩



四天王寺 金堂前にある、四天王寺四石の一つ「転法輪石」



あべのハルカス・四天王寺 中門・五重塔・金堂
 写真を撮っていると四天王寺の年配の女性職員に「あそこからだと『あべのハルカス』も写真に写りますよ」と教えてもらった。


 最初知らなかったが、今年は聖徳太子1400年忌にあたることに気づいた。

 金堂で御守購入。

 中心伽藍の講堂に行く際、階段でつまづいた(転びはしなかったが)。



四天王寺 講堂
夏堂(げどう。講堂西半分(画像では左側)) 本尊・阿弥陀如来
冬堂(とうどう。講堂東半分(画像では右側)) 本尊・十一面観世音菩薩

 中心伽藍の回廊を歩いていた際、おそらくは高位の僧侶の方に挨拶される。
 中心伽藍を見たのち、中心伽藍受付の売店で御守購入。

 納経所で御本尊と普賢菩薩の御朱印をいただいたが、その後もう一度納経所に来て、追加で三面大黒天と聖徳太子の御朱印をいただく。

 宝物館で展示を見る。記念で金剛組が製作した木製コースターを貰った。



四天王寺 聖霊院(しょうりょういん) 通称・太子殿(左奥は太子奥殿)
本尊・聖徳太子四十九歳摂政像

 太子殿で御守購入。

 南大門内側の売店で買い物をして、四天王寺を出る。

10:05 四天王寺 出発(駐車料金は800円)

10:33 住吉大社北駐車場 到着
 平成25年、僕は住吉大社を訪れ、境内にある「五所御前」で五大力の小石を頂いて御守としていたが、今回、その御守をお返しし、新たに「五」「大」「力」と書いた小石を五所御前に加えるという「お返しの作法」をするため、住吉大社に参拝することにした。




【住吉大社】(すみよしたいしゃ)
所在地・・・大阪府大阪市住吉区
社格等・・・式内社、摂津国一之宮、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・第一本宮・底筒男命(そこつつおのみこと)、第二本宮・中筒男命(なかつつおのみこと)、第三本宮・表筒男命(うわつつおのみこと)、第四本宮・神功皇后(息長足姫命(おきながたらしひめのみこと))
 ※ 住吉大社は平成25年に一度来ているので、今回は画像掲載は必要最小限とする。


住吉大社 反橋(そりはし)


 境内は家族連れ多数。



住吉大社 五所御前
 9年前にいただいた五大力の石をお返し、新たに「五」「大」「力」と書いた小石を玉垣内に加えた。


 住吉大社から歩いて数分の、境外摂社「大歳社」にも行く。



大歳社(おおとししゃ) 
祭神・・・大歳神(おおとしのかみ)
 住吉大社の境外摂社となる。おもかる石で有名。
 おもかる石は、持ち上げる時に感じる軽重で願いの成就を占うというもの。最初に石を持ち上げ、その感覚を覚えておき、次に石に手を添えて願い事をしてから再度石を持ち上げて、軽く感じれば願いが叶うという。やってみたが、あまり変化を感じなかった。


 再度、住吉大社に戻る。



住吉大社 第一本宮 拝殿


11:32 住吉大社 出発

11:44 堺市に入る
12:05 有料駐車場「パークフィールド大仙古墳前」 到着
 「大仙古墳前」と書いてあるので入ってしまったが、ここから大仙陵古墳までは1キロ近く歩くことになる。なお、発券機が無くナンバー読み取り式の有料駐車場だった。
 古墳マニアでも何でもないが、せっかく大阪に来たのだから、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵は見ておこうと、計画段階で構想に入れていた。




【大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)】(だいせんりょうこふん・にんとくてんのうりょうこふん)
所在地・・・大阪府堺市堺区
正式名称(?)・・・宮内庁治定「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」
 百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つで前方後円墳。日本最大の古墳。面積では世界最大の墳墓。


大仙陵古墳 拝所


 近くにいたボランティアガイドの人に「近くにあるあの塔は登れないんですか?」と訊いたら、苦笑いされながら「あれ、慰霊碑なんです」と言われてしまった。上空300メートルまで上がらないとカメラで全景を撮れないらしい。



ボランティアガイドの人が見せてくれた資料

 想像以上に巨大な古墳で驚いた。古代日本で、よくこんな土木作業が出来たものだと驚嘆する。

 帰りは大仙公園内を散歩しながら戻る。

12:42 有料駐車場 戻り
12:46 出発

13:13 ローソン堺高尾一丁目店 入店
 おにぎりと手巻き寿司を購入し、駐車場で朝食兼昼食を食べる。
13:24 出発

14:23 丹生都比売神社参拝者第二駐車場 到着
 旅行出発数日前までこの神社の存在を知らなかったが、高野山と深い関係にあるということを知り、旅行の目的地に組み入れる。




【丹生都比売神社】(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ)
所在地・・・和歌山県伊都郡かつらぎ町
社格等・・・式内社、紀伊国一之宮、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)、市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)


丹生都比売神社 外鳥居



丹生都比売神社 輪橋



丹生都比売神社 楼門



丹生都比売神社 本殿


14:53 丹生都比売神社 出発

15:06 九度山町に入る
15:12 九度山町営駐車場 到着
 長野県民なので、地元長野を代表する戦国武将・真田氏が蟄居を命ぜられた「九度山」には一度来たいと思っていた。
 当初の目的地は九度山・真田ミュージアムのみだったが、到着すると真田ゆかりの建物などが他にもあることが分かり、幾つか立ち寄ってみることとした。




【善名称院】(ぜんみょうしょういん)
所在地・・・和歌山県伊都郡九度山町
正式名称・・・伽羅陀山 善名称院
通称・・・真田庵
宗派・・・高野山真言宗


善名称院(真田庵)
本尊・地蔵菩薩
 真田昌幸・信繁(幸村)親子の蟄居時代の草庵跡と伝わる(諸説あり)。
 なお、「住職 熱中症のため、御朱印はお授けできません」旨の張り紙が出ていた。

 境内にある「真田宝物資料館」も見学する。

 九度山・真田ミュージアムへ。




【九度山・真田ミュージアム】


九度山・真田ミュージアム入口



九度山・真田ミュージアム内


 見学後、ミュージアムショップでTシャツなどを購入。

 真田の抜け穴(真田古墳)へ。これも、ここに来て初めてその存在を知った。
 途中、道が分からず、地元の人らしき年配の女性二人に道を尋ねて教えてもらった。




【真田の抜け穴(真田古墳)】


真田の抜け穴(真田古墳)



真田の抜け穴内部
 「この穴は大阪城に続いており、真田幸村は監視の目をかいくぐってこの穴を通り、戦場に出向いていた」という荒唐無稽な伝説があるが、実際にはこの穴は横穴式石室を持つ古墳だということが判明している。


 駐車場に戻る途中、幸村庵という蕎麦屋があったので入ろうかと思ったが、蕎麦が終わってしまい営業終了という案内が出ていたので諦める。

 正直、真田の蟄居の地ということで「九度山は人里離れたところ」というイメージがあったが、予想していたよりも普通に人里だった。

16:03 九度山町営駐車場 出発

 これで橋本市のホテルへ直行する予定だったが、「慈尊院」というお寺の看板が目につき、急遽予定変更して慈尊院へ行ってみることにした。

16:08 慈尊院駐車場 到着




【慈尊院】(じそんいん)
所在地・・・和歌山県伊都郡九度山町
正式名称・・・万年山 慈尊院
宗派・・・高野山真言宗
 本尊である木造弥勒仏坐像は国宝。
 本堂である弥勒堂は重要文化財であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。
 高野山全体の庶務を司る政所(寺務所)として創立。
 高野山が女人禁制だったころ、弘法大師の母君がここで暮らしていた。弘法大師は月に9度、高野山から降りてきてここに住む母君を訪ねてきたという逸話があり、そこから「九度山」という地名がついたという。


慈尊院 境内と多宝塔
 多宝塔の左側にある階段は、丹生官省符神社への参道。



慈尊院 本堂(弥勒堂)
本尊・弥勒仏
 安産・授乳・育児の無事や乳がん平癒など、女性向けの願い事を聞く寺院だということで、「ここに来る全ての女性の真摯な願いが叶いますように」というお願いだけしておいた。

 階段を上って、隣接する丹生官省符神社へ。




【丹生官省符神社】(にうかんしょうぶじんじゃ)
所在地・・・和歌山県伊都郡九度山町
社格等・・・郷社
主祭神・・・丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)他


丹生官省符神社 拝殿



丹生官省符神社 本殿


16:42 慈尊院駐車場 出発

16:51 ローソン高野口町名古曽店に入る
 買い物
17:00 出発

17:08 ホテルRートIン橋本 到着
 ここまでで移動距離483.1キロメートル
 ホテル近くにあった餃子の王将橋本店で夕食。醤油ラーメン、餃子、麻婆豆腐(ジャストサイズ)。
 ホテルの大浴場で疲れを癒す。
 有料チャンネルはカードを買わないと見ることができないタイプだったので、面倒で見なかった。
 いつの間にか寝てしまっていた。多分22時台。




 この日の教訓
・ 四天王寺は広大な敷地に見るべきものが沢山あるので、時間に相当余裕を持って行くべき。半日費やすと思っていい。
・ 大仙陵古墳はその全てを写真に収めることはできない。しかし、あまりの巨大さに驚くので一度は行くべき。








●9月18日(日)
 3時台に目覚めてウダウダゴロゴロと過ごす。
 ふくらはぎが筋肉痛。
 当初、朝食は食べずに出発するつもりだったが、気が変わりホテルのバイキングを食べたくなった。
06:40 ホテルのバイキングで朝食
07:12 ホテルをチェックアウト
07:16 ホテル 出発
 高野山に向かう
 途中、工事区間多数
08:02 高野山 愛宕前無料駐車場 到着
 日本仏教の聖地の一つである高野山。特に「密教」という分野に限れば、日本最高峰と言えるらしい。10年以上前から「いつか行ってみたい」と思っていたが、ようやく実現した。


 来た道を少し徒歩で戻って、大門へ。


【高野山】(こうやさん)
 なお、「高野山」という山は存在せず、この地域の宗教施設全体を総称して「高野山」と呼ぶ。一大宗教都市。


高野山 大門
 高野山の総門として、高野山の入口にそびえている。


 徒歩で、高野山の中心の一つ「壇上伽藍」へ。




【壇上伽藍】(だんじょうがらん)
所在地・・・和歌山県伊都郡高野町
 高野山の中心。弘法大師が高野山を整備するに当たって、真っ先に着手した場所とされる。後述の金剛峯寺に属している。


壇上伽藍 中門
 1843年に大火で焼失して以来、しばらく再建されなかったが、高野山開創1200年の記念事業で平成26年(2014年)に再建された。


 中門の写真を撮っていた際、他の観光客が慌てて走り出すなどざわつきだしたので「なんだ?」と思ったら、お坊さんが集団で歩いていて、各お堂などを回って真言やお経を唱えていた。


壇上伽藍 中門前 僧侶による礼拝



壇上伽藍 金堂
本尊・薬師如来(秘仏。ただし阿しゅく如来の像容をしているとされる。)
 高野山の総本堂とされる。
 拝観料500円だったが、1000円札しか持ち合わせがなく、拝観料を入れる箱の所は無人で職員がいなかった。「おつりが欲しい人は御経所へ」という旨が書いてあったので、とりあえず1000円札を箱に入れておく。



壇上伽藍 六角経蔵
 別名「荒川経蔵」とも言われる。基壇に取手がついており、経蔵を回転させることができる。一回転させれば、一切経を一通り読んだのと同じ功徳を得られると言われている。
 本来、時計回りに回転させるらしいが、間違えて反時計回りに回転させてしまった。回転させるには結構力が要る。


 御影堂は改修中。


壇上伽藍 御影堂(みえどう)



壇上伽藍 三鈷の松(さんこのまつ)
 弘法大師が唐から帰国する際、「真言密教を広めるのにふさわしい場所に飛んで行け」と願いを込めて密教法具である三鈷杵(さんこしょ)を日本に向けて投げたところ、この松に三鈷杵が引っかかっていたという伝説がある松。
 ・・・ではあるが、現在のこの松は、何代も植え替えられたものであり、外国産の松とのこと。
 通常、松葉は2本であり、三鈷の松の松葉も2本のものが多いらしいが、時々3本の松葉が見つかるらしい。この3本の松葉を見つけられると運がよく、その松葉は御守になると言われている。
 僕は「神社仏閣で御守以外のものを持ち帰るのは、たとえそれが落ち葉や石、ゴミの類であっても良くない」と聞いていたので、この松葉も持ち帰るべきではないと思っていたが、「でも、・・・欲しいなあ。」と迷っていた。と、その時、僕の頭をかすめて松葉が落ちてきた。地面を見ると3本の松葉。
 これは神仏が「持って行ってもよろしい」と示してくれた物だと勝手に(笑)理解し、ありがたくいただいた。



三鈷の松の松葉



壇上伽藍 大塔の鐘
 通称「高野四郎(こうやしろう)」。東大寺、知恩院、方広寺に次ぎ日本で4番目に大きな鐘だったことから、この呼び名がある。


 御経所へ行き、御朱印をお願いするとともに金堂で支払った拝観料のおつりをお願いしたところ、「もし大塔も御覧になるなら、大塔も拝観料500円ですので、そのまま大塔の拝観料もいただいたことにしておきます。」と言われたので、それに従った。



壇上伽藍 大塔(根本大塔)
本尊・胎蔵大日如来
 高野山のシンボル。内部は立体曼荼羅の世界。



壇上伽藍 不動堂
本尊・不動明王
 国宝。高野山で最も古い建造物の一つ。



壇上伽藍 東塔
本尊・尊勝仏頂尊
 1843年に焼失し、昭和59年(1984年)に再建された。



蛇腹路(じゃばらみち)
 弘法大師が高野山全体を「東西に龍の伏せるがごとく」と形容し、壇上伽藍を頭としてみた場合、ちょうどこの小道が龍の腹の部分になることから蛇腹路と呼ばれるようになったとのこと。



蛇腹路から見る壇上伽藍


 徒歩で金剛峯寺の主殿へ。
 なお、後に分かったが、壇上伽藍内の西塔へ行くのを忘れていた。痛恨のミス。




【金剛峯寺】(こんごうぶじ)
所在地・・・和歌山県伊都郡高野町
正式名称・・・高野山金剛峯寺
宗派・寺格等・・・高野山真言宗 総本山


金剛峯寺 入口



金剛峯寺 山門(正門)
 昔は、この門をくぐることができるのは天皇・皇族、高野山の重職だけだったらしい。現在、参拝客は自由に通れるが、今でも一般の僧侶は右側にある小さなくぐり戸を使うらしい。



金剛峯寺 主殿



金剛峯寺 大玄関(左側の柵に囲まれた玄関)、小玄関(右端の小さな屋根のある玄関)
 大玄関は正門と同じく、天皇・皇族、高野山重職の方のみが通れる。小玄関は高野山で比較的上の位にある方が通る。
 一般僧侶は大玄関・小玄関とは別の一般参詣入口を使う。


 拝観料を支払い、内部を見学。
 内部は見事な襖絵が多いが、撮影禁止。
 新別殿で休憩。



金剛峯寺 蟠龍庭(ばんりゅうてい)
 枯山水庭園としては日本最大級。



金剛峯寺 蟠龍庭(ばんりゅうてい)
 石は弘法大師誕生の地である四国の花崗岩が使われ、白川砂は京都のものが使われているらしい。


 売店でミニ経本や御守を購入。屋根銅板の奉納を募集(1口2000円)していたので、「仏恩感謝」と書いて奉納。

 拝観コースには台所もあった。


 金剛峯寺を後にし、徒歩で奥之院へ・・・と思ったが、途中「そういえば普賢院に行くんだった。」と思い出す。
 思い出したのは、普賢院の直近だった。




【普賢院】(ふげんいん)
所在地・・・和歌山県伊都郡高野町
宗派・寺格等・・・高野山真言宗 別格本山
 僕の干支の守り本尊が普賢菩薩であり、この普賢院の本尊も普賢菩薩であるため、行ってみたいと思っていた。
 なお、本当はここの宿坊に一泊したかったのだが、旅行前に予約を取ろうとしたら既にいっぱいだったため、ここでの宿泊を諦めた。


普賢院 楼門



普賢院 摩尼殿(右の赤いお堂)
普賢院 本堂(左奥)
本尊・普賢菩薩


 御朱印をいただき、御守を購入。

 寺務所から出た直後に雨に降られる。
 これ以上車から離れると帰る時に面倒になると思い、車を別の駐車場に移動させることを決め、徒歩で無料駐車場に戻る。


11:23 一度、愛宕前無料駐車場に戻る
 車を移動させ、奥之院一の橋前有料駐車場に入る。案内所で受付をしようとしたところ、案内所の人に「一の橋から奥之院へ歩いて行くルートは、台風接近のため通行止めになった。ここに駐車してもらっても構わないが、中の橋にある大きな駐車場から参拝された方がいい。」と言われ、再移動。

11:38 中の橋駐車場 到着

 ここまでで移動距離512.0キロメートル。




【奥之院】(おくのいん)
 高野山を開創した弘法大師の御廟がある、高野山最高の聖地。
 二十万基を超える墓や慰霊塔・供養塔が並び、中には歴史上有名な人物のものも。


奥之院 中の橋駐車場前の参道入口

 一の橋からの参道を歩くとかなり時間がかかるが、ここからの参道を歩けばかなり近くなるらしい。
 参道の途中には、有名企業の物故者慰霊碑があったり、「シロアリ供養塔」なるものもあった。



奥之院 御供所
 御朱印をいただき、御守を購入。


 いよいよ御廟橋(御廟の橋)を渡り、燈籠堂、弘法大師御廟へ。


奥之院 御廟橋(御廟の橋)
 これより先は写真撮影禁止。カバンの中にカメラをしまい込んだ。


 燈籠堂で御守を購入。先祖供養の申し込みをする(「〇〇家先祖代々之霊位」で灯明供養・7日間2000円)。それとは別に、護摩木に「仏恩感謝」と書いて納める。
 燈籠堂の裏手に弘法大師御廟があり、沢山の人が祈りをささげていた。不思議な心地良さがあり、離れがたかった。



帰りに、もう一度御廟橋で撮影
 奇跡的に、人が入り込まない写真が撮れた。



奥之院 英霊殿
 第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられたもの。

 英霊殿を参拝後、中の橋案内所方向へ戻る。
 こうやくんアンテナショップで買い物。

 中の橋案内所でお土産・Tシャツを購入。
 中の橋会館2階のレストラン「はちよう」で精進料理の高野山御膳(3000円、支払額はなぜか2999円)を食べる。



はちよう「精進 高野山御膳」
 精進料理だけあって、確かに動物性の味が全く感じられなかった。


14:29 中の橋立体駐車場に戻る
14:33 出発


 途中、再度一の橋に行き、写真だけ撮影。



奥之院 一の橋
 台風接近のため通行止め。


14:41 高野山霊宝館駐車場 到着




【高野山霊宝館】(こうやさんれいほうかん)


高野山霊宝館


 霊宝館は壁の一部が損傷していて工事のため閲覧不可の場所があるということで、通常よりも安い入場料だった(800円)。なお、ここでも御朱印が貰えると分かり、受付から一旦駐車場に戻って集印帳を取りに行った。館内の売店でも買い物。

15:24 高野山霊宝館駐車場 出発

 まだ車の燃料は半分程度残っていたが、この後車中泊の予定だったので念のため満タンにしようと決める。

15:27 出光高野山SS 到着・給油(この旅行で1回目の給油)
 十津川方面はどちらに行けばいいのか、方向だけ店の人に聞こうとしたら、詳しく教えてくれそうになったので、「とりあえずあっち(東)に行けばいいんですね」と苦笑いしながら話を打ち切り。
 39リットルほど給油。

15:30 出光高野山SS 出発
15:31 再度、高野山霊宝館駐車場へ
 今夜の車中泊予定地「道の駅十津川郷」をナビで検索し、目的地にする。

15:36 高野山霊宝館駐車場 出発

 高野山を後にする。なお、高野山はこの他に「女人堂」、「徳川家霊台」、「苅萱堂」、「大師教会」、「金剛三昧院」が見どころとして有名だが、今回は計画に入れなかった。

 途中、コンビニが一軒もない。高野山のコンビニでいろいろ買えばよかったと後悔。
 十津川町役場が見えたあたりで台風14号「ナンマドル」の影響で激しい雨。

16:58 道の駅 十津川郷 到着



道の駅 十津川郷
 20台程度しか駐車できない小さな駐車場。足湯などがあった。
 道の駅の売店は17:00営業終了だが、辛うじて営業していた。夕食としてクリームパン、コーヒーパン、飲料を購入。

17:08 ナビが、今まで通ってきた道が雨量規制による通行止めになったことを通知する。
 ここにきて豪雨となる。

 近くにある公衆浴場「泉湯」へ。第1駐車場は満車(2台)で、僕が最初駐車した場所は民家の駐車場だったので、少し離れた第2駐車場を教えてもらった。コロナ禍の関係か、浴場は店員が男女各5名。男湯は僕の他に二人ほど客がいた。硫黄の匂いがかなり強く、シルバーのペンダントが変色した。露天風呂もあったのでそちらにも入ったが、雨が降ったり止んだり。露天風呂の注意書きに「マムシに注意」とあって苦笑い。
 入浴後、着替えようとしたら服から蚊が一匹飛んで逃げたので驚く。従業員の女性と雑談し、長野から来たことを伝えたら驚かれた。

17:58 再度、道の駅十津川郷駐車場 到着
 現時点で移動距離572.8キロメートル。
 僕の他に、キャンピングカー1台、ミニバン1台、軽バン1台が駐車。

 夕食を食べたり、DVDを観たりしながら時間を過ごすが、まともには寝れず。豪雨ですごい音。風も強く、車がかなり揺れた。道の駅は川沿いであるため、「駐車場が流されたらどうしよう」という漠然とした不安がつきまとう。




 この日の教訓
・ 六角経堂は時計回りで回転させよう。
・ 壇上伽藍の西塔は見落としがちなので気を付けよう。
・ 壇上伽藍から金剛峯寺本坊までは徒歩で行ける。本坊から奥之院までは車で行った方がよい。
・ 高野山奥之院での灯明供養は、7日間どころかもっと長期間やってもらってもよかった。
・ 高野山はじっくり見るには1泊2日かかる。
・ 高野山を出てから十津川まではコンビニが1件もないので、高野山のコンビニで必要な物は買っておけ。
・ 硫黄の温泉に入る時はシルバーアクセサリーを外そう。




「令和4年9月 近畿旅行記 其の弐(19日〜20日)」へ続く