平成22年9月23日〜26日 奈良旅行記


 平成22年(2010年)、奈良は平城京遷都1300年の節目の年を迎えていました。
 京都・平安京遷都1200年の年(1994年)に高校の修学旅行で京都に行った僕としては、「どうせならば奈良の遷都1300年の節目にも行ってみたい」と思い立ち、早い内から計画を練っていたのです。

 運良くこの年は、比較的休暇が取りやすい支社に異動したこともあり、条件が良かったのです。

 長野県から奈良県までは交通の便はお世辞にも良くないので、「この旅行が人生最後の奈良になるかも知れない。」と思いながら、出発しました。

 ※ このページで紹介している寺院については、可能な限り正式名称を記載していますが、必ずしも「一切の省略をしていない完璧な正式名称」であるとは限りませんので御了承下さい。


9月23日(木)秋分の日

 午後4時半頃、自家用車で自宅を出発。一番近い高速バスのバス停へ。
 名古屋行きの高速バスに乗り込んだ後はほとんど寝て過ごす。名古屋市街地に入ったところで目を覚ました。
 ほぼ時間通りに名鉄バスセンターに到着したが、奈良行きのバスの乗り場が分からず、ちょっと迷ってしまった。
 なんとか無事に名鉄バスセンター出発。高速道路でちょっとだけ渋滞にはまってしまったが、3時間弱でJR奈良駅前に到着した。奈良市内はAPEC関連会合のため、警備の警察官が厳重警戒をしていた。


JR奈良駅

 JR奈良駅のコインロッカーに荷物を置いて、徒歩で近鉄奈良駅に行く。吉野まで電車で約2時間。
 吉野は小雨。吉野駅前の土産屋でビニール傘を買う。ロープウェイで山を登り、徒歩で金峯山寺へ。付近で火事があったらしくスピーカーで消防団の招集をしていた。


金峯山寺 蔵王堂 (金峯山寺の正式名称は「国軸山 金峯山寺」。金峯山修験本宗総本山。)

 金峯山寺は秘仏が公開中で、そこそこ人がいた。ここの蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ大きさの木造建築らしい。
 金峯山寺の隣にある金輪王寺・吉野朝皇居跡へ。意外と小さかった。


金輪王寺・吉野朝皇居跡

 徒歩で吉水神社へ。後醍醐天皇玉座の間や源義経・静御前・武蔵坊弁慶の遺品を見る。


吉水神社

 歩き疲れたのと、次の如意輪寺への行き方を聞くため、食堂で休憩。タクシーを呼んでもらい、そこから如意輪寺へ。タクシーを待機させたまま参拝。寺の裏山にある後醍醐天皇陵をお参りする。


如意輪寺 裏山 後醍醐天皇陵 (如意輪寺の正式名称は「塔尾山 椿花院 如意輪寺」。浄土宗。)

 その後タクシーで吉野駅へ直行。駅前の土産屋で買い物。
 駅構内で時間調整していたら、外国人に英語で「奈良駅までの行き方」を尋ねられ、なんとか説明してあげた。
 夕方、近鉄奈良駅に到着。徒歩でJR奈良駅へ。駅前にあるビジネスホテルにチェックイン。チェックイン早々、間違えて部屋のオートロックで閉め出されてしまい、ホテルの人を呼び出す羽目になった。
 食事は外に出て「餃子の王将奈良三条店」で、ライス(中)、餃子1皿、麻婆豆腐。
 その後、部屋に戻って就寝。




9月24日(金)休暇

 7時過ぎにビジネスホテル出発。JR奈良駅からタクシーで奈良ホテルに直行し、奈良ホテルで荷物を預ける。徒歩で奈良公園周辺を回る。時々小雨が降る嫌な天気。
 猿沢池を一周しながら興福寺五重塔を見る。


興福寺 五重塔(猿沢池方向から撮影) (興福寺は山号無し。法相宗大本山。)

 その後興福寺境内へ。興福寺国宝館は開館前だったため、行列の先頭近くに並んだ。国宝の阿修羅像は非常に端正で、見ていて身震いがした。
 奈良国立博物館へ。じっくり見る時間はなかったが、仏像修復の特別展などを開催しており、時間をかけて見てしまった。


奈良国立博物館

 東大寺へ。参拝客でいっぱいだった。


東大寺 大仏殿 (東大寺は山号無し。別名「金光明四天王護国之寺」。華厳宗大本山。)

 大仏殿では、大仏様の鼻の穴と同じ大きさと言われている柱の穴は通らなかった。多分肩幅が邪魔して無理だと思ったため。
 二月堂、法華堂、正倉院、戒壇堂を見て回る。法華堂の国宝の不空羂索観音像は修復中らしく、無かった。


東大寺 正倉院

 戒壇堂を参拝中、小規模の地震が発生。身体では感じなかったが、ガラガラという音がしたのと天井から下がっている金具が僅かに揺れていて分かった。
 続けて春日大社へ。宝物館も見学する。


春日大社 中門

 奈良公園を抜け、新薬師寺へ。本尊の薬師如来を囲む十二神将像は迫力。ちなみに、新薬師寺の「新」は、“新しく作られた”という意味ではなく、“霊験あらたかな”という意味である。本堂内で遷都1300年記念のフィギュア入りのカプセルを売っていたので、6個購入。レアものの伐折羅大将(彩色復元)のフィギュアをゲットした。


新薬師寺 本堂 (新薬師寺の正式名称は「日輪山 新薬師寺」。華厳宗。)

 新薬師寺からタクシーで奈良ホテルへ。


奈良ホテル 正面玄関


奈良ホテル 吹き抜け部分

 3時半頃チェックインしたが、フロントで「予約は新館シングルルームになっているが、本館のダブルルームが空いている。」と言われ、急遽予約を変更し、本館のダブルルームに宿泊する。非常によい部屋で驚いた。
 夕食はホテル内の和風レストランで会席料理。非常に美味だった。
 夕食後はホテル内のバー「The Bar」でくつろぐ。自宅から持ってきたとっておきのシガー(コイーバの2004年限定品)を楽しむ。ホテルオリジナルカクテルの「マントルピース」と、ジョニーウォーカーのブルーラベル・ストレートを飲んだ。売っていたシガーであるトリニダッドの2007年限定品を購入した。
 部屋に戻り、ルームサービスで三輪そうめん(おにぎり2個と香の物付き)を注文。あまりの美味しさに驚いた。
 室内の湯船につかりながら、「もう一泊したいなー」と口癖のように繰り返し、就寝。




9月25日(土)

 朝7時半、ホテルのメインダイニング「三笠」で朝食。茶粥定食。9時半頃チェックアウト。タクシーでJR奈良駅へ。コインロッカーに荷物を入れて、徒歩で近鉄奈良駅へ。大和西大寺駅で乗り換え、近鉄西ノ京駅で下車し、徒歩で薬師寺へ。


薬師寺 西塔(左側)・東塔(右側) (薬師寺は山号無し。法相宗大本山。)

 薬師寺は修学旅行生が多数いた。境内はイベント用のイスや照明セットが設置されていた(この時は知らなかったが、翌日アイドルグループのAKB48がここでコンサートをやったらしい)。当初天気は曇っていて、僅かに顔に雨粒が当たることもあったが、その後急速に天気が回復。晴れとなった。

 徒歩で唐招提寺へ。宝物館も見学。鑑真和上廟も参拝。国宝の鑑真和上像がある御影堂は公開期間ではないため、参拝できなかった。


唐招提寺 金堂 (唐招提寺は山号無し。律宗総本山。)

 近鉄西ノ京駅に戻り、大和西大寺駅で下車。そこからシャトルバスで平城宮跡イベント会場へ。広大な敷地の中に復原した朱雀門と第一次大極殿があった。平城京資料館などは面倒だったのでスルーした。広い売店はせんとくんグッズでいっぱいだった。


平城宮跡 朱雀門(復原)


平城宮跡 第一次大極殿(復原)

 シャトルバスで大和西大寺駅に戻り、徒歩で近鉄百貨店へ。奈良旅行の記念としてロエベのカフリンクス一組を購入。

 大和西大寺駅から近鉄奈良駅へ行き、バスでJR奈良駅へ。駅前のうどん屋でかき揚げ蕎麦を食べたが、イマイチだった。口直しに三条通りの鰻屋へ。白焼定食を食す。柚子胡椒で食べる白焼もなかなか美味だった。
 JR奈良駅からタクシーでプチホテルへ。この日は即就寝。




9月26日(日)

 7時過ぎにプチホテルをチェックアウト。バスでJR奈良駅へ。そこからJR法隆寺駅へ。JR法隆寺駅から法隆寺までは2キロくらいの距離があるが、歩いて行ってみた。天気は晴れ。暑いくらいだった。


法隆寺 金堂・五重塔 (法隆寺は山号無し。別名「斑鳩寺」。聖徳宗総本山。)


法隆寺夢殿

 法隆寺は大講堂が修理中のため工事用の幕で覆われていたが、内部は参拝可能だった。宝物館や夢殿など、参拝可能なものはほとんど見た。
ちなみに、法隆寺では瓦を寄進した。丸瓦1個1000円。

 隣の中宮寺へ。法隆寺が広大すぎたので、中宮寺は時間をかけずに参拝。


中宮寺 本堂 (中宮寺の正式名称は「法興山 中宮寺」。聖徳宗。)

 11時過ぎ、法隆寺参道脇の法隆寺iセンターへ。中にあった食堂で昼食。天ぷらうどん。そこからバスでJR法隆寺駅へ。JR奈良駅へ戻る。JR奈良駅前の寿司屋で昼食第二弾。7貫ほど食べた。

 14時50分発名古屋行きの高速バスに乗る。途中大渋滞。予約していた名古屋発のバスの時間には間に合わず、チケットが無駄になってしまった。名鉄バスセンターで再度買い直す。19時00分発の名古屋発の高速バスに乗り換え、出発。自宅に到着したのは22時過ぎだった。







 ・・・と。こんな感じでした。

 「人生最後の奈良旅行」と覚悟していたものの、行ってみると「やはり20年後でも30年後でも、もう一度くらい行きたいなー」と思ってしまいました。
 奈良は、奈良公園周辺・西ノ京周辺・斑鳩・吉野など、名所観光地が離れているので、うまく段取りを組まないと厳しいものがあると言うことが分かりました。桜や紅葉の時期等の観光シーズンを避けて、車で回るのが賢明かも知れません。

 ちなみに、2日目に宿泊した奈良ホテルは、残念ながら直後の9月末に食中毒を出してしまったとかでホームページで謝罪していましたが、素晴らしいサービスと老舗クラシックホテルの格式ある雰囲気は何物にも代え難い思い出となりました。次に奈良に来るときも利用しようと思います。

 まあ、これで最低10年は奈良に積極的に来ることは無いでしょう。まだ、京都や平泉など、行きたいところは沢山ありますからね。