平成25年8月6日 出雲旅行記


 ※注意
 このページは、「平成25年8月5日 広島(宮島)旅行記」の続きとなっています。



 前日の8月5日、高速バスで広島を出発した僕は、その日の夜、島根県出雲市に到着しました。バスは出雲市駅で止まり、僕はすぐにホテルにチェックインしました。荷物を置いて、ちょっとコンビニなどで買い物をした後、部屋に戻り就寝。
 翌6日、出雲大社を中心とする観光に出発しました。




 JR出雲市駅です。この切妻型の屋根は出雲大社の建築の特徴で、駅のみならず各所でこの屋根のモチーフを目にすることができます。出雲では電車の利用はしませんでしたが、ここがバスの拠点にもなっているので、この日頻繁に目にした建物になります。



 路線バスで出雲大社へ行きます。


 出雲大社へと続く神門通りの端にある大鳥居です。下に停まっている車と比較すればわかると思いますが、非常に大きい鳥居です。大正時代に資産家が奉納したそうですが、高さは出雲大社本殿より僅かに低い23メートルということです。ちなみに僕は路線バスでここを通過し、「勢溜(せいだまり)」と呼ばれるところまで行きました。この画像は出雲大社参拝後、改めて神門通りを歩いて下って撮影したものです。



 神門通りを進むと、勢溜とよばれる一段高いところに来ます。画像は勢溜から見下ろした大鳥居です。大鳥居の巨大さが分かりますね。なお、この勢溜という地名は「正面鳥居の前の広場で賑わい、人の勢いが溜まるから」ということらしいです。



 勢溜にある出雲大社正面鳥居です。ここからの参道は「松の参道」と言われ、立派な松並木が続いています。なお、出雲大社は正式には「いずもおおやしろ」と言います。出雲国一の宮、式内社、名神大社、旧社格は官幣大社、別表神社、宗教法人出雲大社教の本部(本部という言い方が適当かどうかはわからないが)。主祭神は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)。現在でこそ「○○大社」という名前の神社は沢山あるが、明治維新後から第二次世界大戦までの近代社格制度では唯一「大社」を名乗る神社でした。
 今年(平成25年・2013年)5月に60年に1度の大遷宮(本殿大修復)を終えています。



 松の参道の鳥居です。ちなみにここからの参道は、松の木の根を保護するという目的から、真ん中の道は通れません。両端を歩くことになります。



 参道の終点付近には、因幡の白兎の話に基づく銅像があります。白兎に話しかける若き大国主命ですね。



 上の因幡の白兎の銅像と、参道を挟んで向かい側にあるのが「ムスビの御神像」と呼ばれる銅像です。大国主大神が、海の向こうから飛んできた自身の“幸魂・奇魂(神としての霊魂)”に遭遇しているという場面です。



 参道の終点となる銅鳥居です。拝殿と、その向こうに僅かに本殿の屋根が見えます。



 出雲大社拝殿です。本殿の大改修の時は、この拝殿が御仮殿となっていたそうです。



 拝殿の奥に八足門と本殿が見えます。



 八足門と本殿の屋根部分です。



 八足門です。通常、本殿に一番近い参拝場所はここになります。ただし、御祈祷を受けることで八足門の内側で特別参拝ができます。



 本殿の屋根です。本殿は国宝指定されています。高さは24メートル。とても大きな建造物で、屋根部分に交差している千木(ちぎ)に空いている穴は、標準的な体型の成人男性がくぐれるほどの大きさだそうです。



 画面中央部の建物が本殿です。左手前の建物は「筑紫社」と呼ばれる建物です。



 本殿を真後ろから撮影しました。



 本殿の真後ろに鎮座する素鵞社(そがのやしろ)です。大国主大神の祖先である素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀っています。後ろの山は八雲山です。



 拝殿の隣にある「仮拝殿」です。比較的新しい建物です。僕はここで御祈祷をしてもらいました。祝詞奏上や巫女さんによる神楽などを目の当たりにし、厳かな空気を感じられます。僕はこの時、Tシャツにジーパンというラフな格好だったのですが、「特別な布を首からかけることで正装と同じとみなされる」と神職の人に言われ、御祈祷をしてもらえました。本来ならラフな格好ではいけないんですけどね。(ここに書いてあることは事実ですが、「ラフな格好でも御祈祷してもらえます」と保証するものではありません。別のウェブサイトを見ると、伊勢神宮の御垣内参拝と同じく「ラフな格好では断られる」と書いてあるところもあります。ダメと言われたらダメなのです。その時は素直に引き下がりましょう。)
 仮拝殿での御祈祷が終わると、特別なお守りなどをいただいて、さらに素焼きの盃で御神酒を飲み、祈祷を受けた人たちが1列に並びます。そして神職の人に連れられて八足門の内側に入っていき、楼門の前で特別参拝ができるのです。正直、事前のリサーチをしていなかったので、あまりの予想外の展開に「え?八足門の内側で参拝できるんだ!」とちょっと驚きました。・・・結局特別参拝できたけど、しっかりした服装で来ればよかった。



 出雲大社神楽殿です。このしめ縄(大注連縄)の大きさは日本トップクラスだそうです。



 神楽殿前の国旗掲揚台です。ポールは高さ47メートル。日本国内では最大の日章旗(畳75枚分、重さ50kg)が掲げられています。


 出雲大社参拝を終え、神門通りを下り、土産購入などをした後、タクシーで日御碕神社と日御碕灯台へ向かいました(日御碕は「ひのみさき」と言います)。


 途中、タクシーの運転手さんが気を利かせて、国譲り神話の舞台「稲佐の浜」に立ち寄ってくれました。でも、タクシーの運転手さんいわく「数日前の悪天候で海の向こうからゴミが大量に流れ着いてしまって、清掃しても追いつかなくなっている。正直、見てもらいたくない状態です。」だそうです。悲しいですね。
 稲佐の浜は、国譲り神話では、高天原からの使者で戦の神として知られる建御雷神(タケミカヅチノカミ)と、出雲を支配していた大国主大神が対面したと言われる場所です。



 稲佐の浜の中心である大岩「弁天島」です。今は砂浜と接していますが、昔は波が打ち寄せる場所にあったので「島」とされていたみたいです。



 更に日御碕神社方向にタクシーを走らせると、奇妙な岩群が見えました。これは「つぶて岩」と言われるもので、前述の建御雷神と、大国主大神の息子で国譲りに反対していた建御名方神が力比べで稲佐の浜から投げ合った岩が積み重なったものということです。



 つぶて岩のアップです。


 海岸沿いの道を進み、やっと日御碕神社が見えてきました。この神社は、式内社、旧社格は国幣小社。日沈宮に天照大御神、神の宮に素戔嗚尊を祀っています。日沈宮は「伊勢神宮が日本の昼を守り、日沈宮が日本の夜を守るように」という勅願で作られたものだそうです。社殿全部が重要文化財になっています。


 日御碕神社を見下ろす形で撮影しました。この撮影スポットもタクシーの運転手さんが気を利かせてわざわざ停めてくれたものです。



 日御碕神社の楼門です。現在の社殿は徳川3代将軍家光公によって造成されたものであり、なんとなく楼門も日光東照宮の陽明門に造りが似ています。



 日沈宮(下の宮)です。天照大御神が祀られています。



 神の宮(上の宮)です。素戔嗚尊が祀られています。



 日御碕神社裏手の海岸には、経島(ふみしま)と呼ばれる島があります。ここは、ちょうど次の日(8月7日)に夕日の祭典があるということで神職の人が船で乗り付けて準備をしていましたが、それ以外は上陸を許されない島なのだそうです。ウミネコの産卵・繁殖地としても有名です。よく見ると、島の上に鳥居が見えます。


日御碕神社を後にし、タクシーで日御碕灯台へ向かいます。神社とは目と鼻の先です。


 日御碕灯台です。日御碕は奇岩・絶壁の景勝地である国立公園なのですが、そこに立つ、高さ43.65メートルの大灯台です。石積みとしては日本一の高さです。この近くにはお土産屋さんもあるのですが、結構観光客がいました。



 灯台近くの岸壁です。画像ではよくわからないかもしれませんが、この岸壁、非常に大きいです。



 海面からはかなりの高さがあり、高所恐怖症ではない僕も足が竦みました。


 日御碕を後にし、稲佐の浜方面に戻ります。この戻る途中で、タクシーの運転手さんと交渉し、出雲の山地の中にある須佐神社への往復も頼むこととなりました。この時点で金額を決めてしまい、貸切状態となったわけです。


 稲佐の浜からちょっと奥に行ったところにある「屏風岩」です。国譲り神話で、建御雷神と大国主大神が国譲りの協議を、この屏風岩の岩陰で行ったと言われています。ちなみにこの屏風岩、人家の敷地内じゃないかと思われる所にあります。岩自体はそれほど大きくはありません。



 屏風岩です。


 稲佐の浜を後にし、須佐神社を目指します。ここで、タクシーの運転手さんは更に気を利かせてくれて、道すがらの名所案内をしてくれ、重要な名所には寄ってくれました。


 出雲の名所の一つ、旧大社駅です。平成2年まで実際に鉄道駅として使われていました。近代和風建築の傑作として、重要文化財指定されています。



 旧大社駅内部です。レトロですね。こういうの大好きです。クラシックホテルのようなモダンクラシックを感じますね。


 タクシーは山間の道を通り、一つの神社にたどり着きました。これが、僕の目的地である「須佐神社」です。式内社、国弊小社、別表神社。主祭神は須佐之男命(つまり素戔嗚尊)。古来、須佐之男命の本宮とされている場所で、日本有数のパワースポットと言われています。


 須佐神社の鳥居です。奥に見えるのは随神門です。



 須佐神社 拝殿です。



 須佐神社 本殿です。1554年造営のものとされています。



 本殿背後にある大杉です。樹齢1200〜1300年と推定されるもので、この木自体がすごいパワーを持っているという話です。近年のパワースポットブームで、木の皮を持ち帰る不心得者が増えたため、現在は木の周りに柵が巡らされています。



 須佐神社 本殿です。須佐神社の紹介画像では、この角度の写真が用いられていることが多いですね。


 須佐神社参拝を終え、出雲市街地に戻ろうとしたのですが、タクシーの運転手さんが「せっかくだからいいところに連れて行ってあげよう。」と言って、更に山奥へ行ってくれました。
 着いた先は「八雲風穴」。真夏でも凍えるほどの冷気が出てくる穴です。正直、これはリサーチ済みだったのですが「行くのが面倒くさいからなあ」と思って、当初行く予定はなかったのです。思わぬ観光地追加に、タクシーの貸切の利便さを知りました。


 八雲風穴の入口です。



 八雲風穴内部です。入口から入った途端に信じられないほどの寒さになりました。すでに入っていたおばあさんが「耐えられないわ」と言いながら出て行ったくらいです。「夏でも涼しい」という生易しいものではなく、本当に「なんでこんなに寒いんだ」というレベルです。画像の上部が白く曇っているのは、レンズの曇りとか撮影の失敗ではありません。本当にこの部屋は上の方に霧が発生しているのです。



 階段を下りていくと、更に寒くなっていきます。下にある雪だるまが見えますか?


 この八雲風穴の近くの休憩所で小休憩をし、近くの湧水を飲んでくつろいだ後、帰路につきました。タクシーの運転手さんは行きとは違う道を通ってくれて、奇岩の景勝地である立久恵峡(たちくえきょう)にも寄ってくれました。


 立久恵峡です。「山陰の耶馬渓」とも呼ばれ、国の名勝および天然記念物に指定されています。


 午後4時すぎに出雲市街地に到着し、出雲そばの有名店を教えてもらい、タクシーを降りました。いや、タクシーを使って大正解でした。期待していた以上の観光ができました。

 お土産を買ったあと、出雲そばを食べ、出雲市駅周辺を散歩。その後、出雲市駅内の待合ロビーで休憩し、夜、高速バスで大阪に向けて出発しました。

 島根って、長野県民の僕にとっては、はっきり言って何事につけすぐに県名が出てくるという存在ではありませんでした。しかし、その考えを改めるに充分な成果を得ることができました。島根、面白いですよ。僕はまた来たい所だと思いました。今回は出雲だけでしたけど、次に来る時は世界遺産の石見銀山や松江も行きたいですね。
 そういえば、ちょっと残念なことが。出雲市って、僕の大好きな原史奈さんが観光大使を勤めているんですよ。でも、それをアピールするポスターなどを全然見かけなかったんです。もっと大々的に原史奈さんを出して欲しいなぁ、と。
 ・・・あ〜、すみません。完全に僕のわがままです。だって、本当に原史奈さんが好きなんですもん。