平成23年11月4日〜8日 京都旅行記


 初めて京都に行ったのは、中学の修学旅行でした。2回目に行ったのは、高校の修学旅行でした(全員で広島へ行った後、グループごとに好きなコースに分かれて行動したもの)。
 初めての京都ではいわゆる王道の観光名所に行き、2回目の京都では行動に自由が利いたので、前回行かなかったところをまわりました。しかし、京都の観光名所はとても一回二回の修学旅行ではまわりきれません。「いつかまた、京都に行きたい。」と思いながらも、そんな時間が取れず、2回目の京都から17年の歳月が経ってしまいました。
 そんな中、「今の支社は休暇が比較的取得しやすい所だが、来年別の支社に転勤すれば休暇を取りにくくなるかも知れない。」という状況を重く見た僕は、思い切って「半日(午前中)勤務の1日、土日の2日間、休暇取得2日間」の合計4日半の休暇を利用して、京都旅行を決行することにしました。
 数か月前からガイドブックとにらめっこ。開館時間や特別拝観を実施している曜日等を考慮しながら、どうしたら効率的に各名所をまわれるのか綿密な計画を立て、京都に臨みました。

 ※ このページで紹介している寺院については、可能な限り正式名称を記載していますが、必ずしも「一切の省略をしていない完璧な正式名称」であるとは限りませんので御了承下さい。


11月4日(金)午後から休み

 前日は宿直勤務。4日は午後から休みだったので、昼になった途端に帰宅。既に用意したおいた荷物を車に積み、高速バスのバス停まで。午後1時台出発の高速バスで名古屋の名鉄バスセンターへ。名鉄バスセンターに到着後、すぐに名古屋駅から新幹線で京都へ。午後4時台に京都駅へ到着。市バスで京都国立博物館へ。まずはミュージアムショップで買い物。その後、特別展“細川家の至宝”を見る(平常展示は建物の改装中のため休止中)。我が長野県が誇る芸術家“菱田春草”の代表作「黒き猫」があった。身震いがするほど素晴らしかった。


京都国立博物館 本館(特別展示館・重要文化財)。思いがけず良い感じの写真が撮れた。


 博物館に入った時はまだ薄暗くなり始めた頃だったが、出た時にはすっかり暗かった。
 歩いて京都駅まで。京都駅近くのビジネスホテルに宿泊。




11月5日(土)

 京都駅から市バスで祇園まで。八坂神社へ行く。高校の修学旅行の時、夜に近くを歩いたが、境内にちゃんと入ったのは初めて。


八坂神社 西楼門(重要文化財)。祇園のシンボル。

 歩いて京都大学へ。さすがにキャンパス内に入るのはまずいと思ったし、そんな時間もなかったので、正門だけ撮影した。


京都大学 正門。いろいろな主義主張が書かれた看板が置かれていたが、写真では処理を施してある。

 タクシーを拾って下鴨神社(賀茂御祖神社)へ。(注)この日、移動手段はほとんどタクシーとなるが、1台のタクシーを借り切っていたわけではなく、その都度探して拾っていた。


下鴨神社 幣殿(重要文化財)。この奥に国宝の東本殿・西本殿があるが、通常見ることはできない。

 タクシーで上賀茂神社(賀茂別雷神社)へ。特別拝観で国宝の本殿・権殿を参拝した。雨がポツリポツリと顔に当たり始める。ちなみに、下鴨神社と上賀茂神社を併せて「賀茂神社」と呼ぶ。山城国一宮で、伊勢神宮の次に格式が高いと言う人もいる。


上賀茂神社 細殿(重要文化財)。手前には白砂を円錐形に盛った“立砂”が2つ並んでいる。

 タクシーで建勲神社へ。ここは織田信長を主祭神とする神社で、正式には「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれる。急勾配な石段を登っていくと本殿等がある。


建勲神社 拝殿(登録有形文化財)。奥に見えるのが同じく登録有形文化財の本殿。

 タクシーで京都御所へ。京都御所は秋の一般公開中であり、非常に多くの観光客で賑わっていた。中学の修学旅行でも来たので、2回目。


京都御所 紫宸殿。手前に見える木は“右近の橘”。


京都御所 建礼門。御所の外から撮影。

 タクシーで二条城へ。小降りながら、雨が続く。ここも中学の修学旅行で来たので、2回目。


二条城 二の丸御殿(国宝)。江戸幕府の始まり(徳川家康征夷大将軍宣下の賀儀)と終焉(大政奉還)の場所として有名。

 タクシーで建仁寺へ。京都五山第三位であり、京都最古の禅寺。僕が好きな俵屋宗達画「風神雷神図屏風」がある(原本は京都国立博物館に委託されており、通常見ることはできない。現在建仁寺にあるのは高精細デジタル複製。)。建物についてはところどころ修復工事中だった。


建仁寺 法堂。天井画の双龍図は、創建800年を記念して2002年に描かれた。(建仁寺の正式名称は「東山 建仁禅寺」。臨済宗建仁寺派大本山。)


建仁寺 風神雷神図屏風(原本は国宝)。複製のためか、写真撮影については許可されていた。

 徒歩で知恩院へ。途中、再度八坂神社境内を通過。国宝の三門は特別拝観で上層に入ることができた。


知恩院 三門(国宝)。日本最大の木造門。(知恩院の正式名称は「華頂山 知恩教院大谷寺」。浄土宗総本山。)

 タクシーで某ホテルへ。この日だけは、京都でもかなり格式が高いと言われている高級ホテルに宿泊した。




11月6日(日)

 ホテルを出て少し歩くが、すぐにタクシーを拾い、京都駅へ。JR奈良線に乗り、稲荷駅へ。駅前が伏見稲荷大社参道入口。


伏見稲荷大社 千本鳥居。途中、道が分岐しているが、しばらく歩くと奥社の手前で再び一つの道になる。

 伏見稲荷大社は境内・稲荷山を全部見るとなると非常に時間がかかるので、途中の新池・熊鷹社まで行って引き返す。稲荷駅からJR奈良線で宇治駅へ行く。宇治駅で降りしばらく歩くと、ペットボトルのお茶「綾鷹」で有名な上林春松本店など、茶商の店が目立つようになった。茶団子を食べながら平等院へ。中学の修学旅行で来ているので、2回目。


平等院 鳳凰堂(国宝)。内部拝観もした。写真撮影は出来なかったが、本尊の阿弥陀如来は目が離せないほど素晴らしかった。(平等院の正式名称は「朝日山 平等院」。単立寺院。)


鳳凰堂中堂 鳳凰像(原本は国宝)。現在は複製が飾られている。隣に佇む鷺が良い感じ。

 徒歩で宇治駅まで。JR奈良線で京都駅まで戻る。JR山陰本線(嵯峨野線)で嵯峨嵐山駅まで行き、徒歩で渡月橋へ。


渡月橋  南西方向に向かって撮影。橋を挟んで向こう側(上流)が大堤川、手前側(下流)が桂川、と、川の名前が変わる。

 徒歩で天龍寺へ。京都五山第一位。法堂では特別拝観で加山又造画「雲竜図」を見た。


天龍寺 曹源池庭園(特別名勝・史跡)。特別名勝・史跡第1号指定。(天龍寺の正式名称は「霊亀山 天龍資聖禅寺」。臨済宗天龍寺派大本山。)

 徒歩で竹林の道へ。テレビでは何度も見た風景。


竹林の道

 トロッコ嵐山駅から、嵯峨野観光鉄道のトロッコに乗って、トロッコ嵯峨駅まで。トロッコに乗った時間は3分程度。そこからタクシーを拾って広隆寺へ。京都最古の寺院。国宝彫刻の部第一号である“弥勒菩薩半跏思惟像”が有名。


広隆寺 南大門(仁王門)。(広隆寺の正式名称は「蜂岡山 広隆寺」。真言宗系単立寺院。)

 弥勒菩薩半跏思惟像が安置されている新霊宝殿は拝観したが、一つ失敗をした。国宝の建物である桂宮院本堂を見逃してしまった。後悔。
 徒歩でJR太秦駅に行こうとしたが、よくわからなくなり、嵐電太秦広隆寺駅へ。嵐電に乗って四条大宮駅へ。ここで別の電車に乗り換えようと思ったが、面倒くさくなり、タクシーを拾って京都駅まで。1日目に泊まった駅前のビジネスホテルに宿泊。ちなみに1日目はシングルルームだったが、この日からダブルルームになった。




11月7日(月)休暇

 徒歩で龍谷大学大宮キャンパスへ。実は僕は、予備校時代にセンター試験で龍谷大学を受験し、合格していた。第一志望の大学に合格したのでここには入学しなかったが、もしかしたら僕の母校となっていたところである。ちなみに、実際にキャンパスを見たのは初めて。


龍谷大学大宮キャンパス 正門(重要文化財)。奥の建物は大宮キャンパス本館(重要文化財)。

 徒歩で西本願寺へ。国宝の唐門は豪華絢爛。


西本願寺 唐門(国宝)。別名「日暮し門」。思わず見とれて日が暮れてしまうほどという意味から名づけられた。(西本願寺の正式名称は「龍谷山 本願寺」。浄土真宗本願寺派本山。)

 徒歩で東本願寺(真宗本廟)へ。


東本願寺 御影堂門(京都三大門の一つ)。(東本願寺の正式名称は「真宗本廟」。真宗大谷派本山。)

 近くの烏丸七条バス停から、市バスで南禅寺・永観堂道バス停へ。途中、平安神宮の前を通ったが、ここは高校の修学旅行時に来ているので省略。


平安神宮 應天門(重要文化財)。バスの中から撮影。

 下車後、徒歩で南禅寺へ。京都五山の上の別格とされる、日本最高位の禅寺。


南禅寺 三門(重要文化財)。日本三大門の一つ。特別拝観で上層に上ることも出来る。(南禅寺の正式名称は「瑞龍山 太平興国南禅禅寺」。臨済宗南禅寺派大本山。)


南禅寺 水路閣

 ちなみに、ここで今回の旅失敗その2。南禅寺にあるという記念メダル(メダルを自動販売機で購入し、打刻機で日付などを刻印するもの)を作成するのを忘れてしまった。後悔。徒歩で哲学の道を通って銀閣寺へ向かう。水鳥や魚がいるのどかな風景。


哲学の道

 20分ほど歩いて銀閣寺(慈照寺)に到着。ここは高校の修学旅行時に来ているので2回目。国宝の東求堂の特別拝観が行われていたが、省略した。銀沙灘(ストライプ模様の砂場)は整備中で、作業員が一生懸命砂をならしていた。


銀閣寺 観音殿(通称 銀閣・国宝)。日本の侘び寂びの文化の象徴と言えるのでは。(銀閣寺の正式名称は「東山 慈照寺」。相国寺〈萬年山 相国承天禅寺。臨済宗相国寺派大本山。〉の境外塔頭。)

 銀閣寺道バス停から市バスで金閣寺道バス停へ。下車し、金閣寺(鹿苑寺)へ。ここは中学の修学旅行時に来ているので、2回目。


金閣寺 舎利殿(通称 金閣)。何と言っても、これを見ると「京都に来たんだなぁ。」という気持ちになる。(金閣寺の正式名称は「北山 鹿苑寺」。前述の相国寺の山外塔頭。)


金閣寺の上 不動堂近くの茶所。ここで抹茶と菓子をいただいて一服した。この風景も「いかにも京都」。

 通称“きぬかけの道”を歩いて、龍安寺へ。


龍安寺 石庭(方丈庭園・特別名勝)。英国女王エリザベス2世がこの石庭を絶賛したこともあり、外国人観光客が多く訪れる名所となっている。龍安寺の正式名称は「大雲山 龍安禅寺」。臨済宗妙心寺派。)

 竜安寺前バス停(バス停名は龍ではなく竜)から市バスで四条河原町バス停へ。四条河原町付近は繁華街で、相当な人混みだった。タクシーを拾って三十三間堂(蓮華王院)へ。ここは中学の修学旅行の時来ているので、2回目。千体もの千手観音立像は迫力で、その創作の手間を考えると気が遠くなった。


三十三間堂 本堂(国宝)。画像は本堂裏手であり、通し矢(三十三間堂大的全国大会)の舞台となる。三十三間堂の正式名称は「蓮華王院 本堂」。南叡山 妙法院(天台宗)の境外仏堂。)

 徒歩で三十三間堂の周囲を歩いているうちに、血天井で有名な養源院が目につき、拝観の予定はなかったが、急遽拝観する。関ヶ原の戦いの前哨戦と言われる「伏見城の戦い」で、徳川家康の部下である鳥居元忠が玉砕。その時に流れた血で染まった床板を天井板としたのが「血天井」である。


養源院 山門。ちなみに、血天井は撮影不可。手の跡とかが残っており、生々しかった。(養源院の正式名称は「南叡山 養源院」。浄土真宗遣迎院派。)

 徒歩で近くにある後白河天皇法住寺陵へ。ここは思い付きではなく、当初から拝観の計画に入っていた。


後白河天皇法住寺陵。道から奥まった所にある、静かな場所。

 徒歩で豊国神社へ。正式には「とよくにじんじゃ」と読むが、通称「ほうこくさん」と呼ばれている。豊臣秀吉を祀る神社。国宝の唐門も見事だが、宝物館にある数々の品は素晴らしい。重要文化財の日本刀「薙刀直シ刀 骨喰藤四郎」はこの豊国神社蔵だが、宝物館には写真しか展示されていなかった。


豊国神社 唐門(国宝)。奥に拝殿、本殿と続いている。

 タクシーを拾って、祇園へ。夕方の祇園の街を歩いてみた。そのまま徒歩で五条大橋へ。


五条大橋脇 牛若丸と弁慶像。

 タクシーを拾って、京都タワーへ。展望台に上ってみたが、小学生の団体と出くわしてしまい、ものすごい騒ぎだった。


京都タワー展望台から望む京都の夜景(京都駅方向)。

 駅前のビジネスホテル(前日と同じ所)に向かう途中、京都駅前広場で噴水のショーをやっていた。


京都駅前広場の噴水ショー。クラシックの音楽に合わせて、噴水が様々な水しぶきを繰り返していた。

 ホテルに戻り、宿泊。




11月8日(火)休暇・最終日

 京都駅前のバス乗り場から、市バスで清水道バス停へ。清水坂を上り、清水寺へ。ここは、中学の修学旅行で1回来ているが、高校の修学旅行で来たかどうか忘れてしまった。2回目、若しくは3回目になる。良い天気だった。今回は事前に清水寺の七不思議(七不思議と言っても、実際は十数個ある)というものを調べ、全部見てやろうと張り切って行ったが、そのうちの「首振り地蔵」と「弁慶の足形石」、「弁慶の錫杖」、「弁慶の鉄下駄」はどこかに貸し出されている最中ということで、見ることは叶わなかった。


清水寺 本堂舞台(国宝)。舞台は斜めに下がっていて怖い。(清水寺の正式名称は「音羽山 清水寺」。北法相宗大本山。)

 徒歩で清水坂、産寧坂(三年坂)、二年坂、一念坂を通り、八坂通へ。京都の代表的風景の一つ「八坂通りからの八坂の塔」を見た。


法観寺 五重塔(通称 八坂の塔・重要文化財)。八坂通から撮影。法観寺自体は拝観はしなかった。

 タクシーを拾って、方広寺へ。大坂の役(大坂冬の陣・大坂夏の陣)のきっかけとなった「国家安康の鐘」が目的。行ってみたら、昨日行った豊国神社のすぐ隣だった。昨日行けばよかったと反省。


方広寺 梵鐘(通称 国家安康の鐘・重要文化財)。(方広寺の正式名称にあっては、資料不足により不明。天台宗山門派。)


例の「君臣豊楽 国家安康」の銘文部分は、分かりやすいように白く塗られていた。

 博物館三十三間堂バス停から、市バスで東寺南大門前バス停へ。東寺に行く。特別拝観で講堂・金堂・五重塔内部・宝物館・観智院も見る。講堂内の通称・立体曼荼羅は迫力。記念に瓦を寄進した。


東寺 五重塔(国宝)。(東寺の正式名称は「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」及び「弥勒八幡山総持普賢院」。「教王護国寺」は宗教法人としての名称。なお、「東寺」も通常は正式名称として使用されている。東寺真言宗総本山。)

 東寺の塔頭である観智院へ。正直、当初の拝観計画にはなく、「特別拝観券を買ったらここも見ることができるらしいから、ついでに行ってみようか」程度でしか考えていなかったが、石庭の素晴らしさはちょっと驚いた。宮本武蔵の絵も拝観。内部の一室で抹茶と菓子をいただき一服。非常に贅沢な時間を過ごした。


観智院 客殿前庭園(客殿は国宝)。石がそれぞれ龍や亀、水鳥などを表している。素晴らしい庭。(観智院は東寺の塔頭(別格本山)。)

 徒歩で東寺の周りを歩いた後、タクシーで京都駅まで。名残惜しいが、新幹線で京都を後にした。自宅に到着したのは午後10時30分。



 と、こんな感じで京都旅行を楽しみました。
 今回の旅行で、「僕がどうしても行きたい京都の名所」というのはすべてコンプリートしました。今回の旅行がもし“人生最後の京都旅行”になってしまったとしても、もはや悔いはありません。それだけ無理して予定を詰め込んだ「超弾丸ツアー」でした。名所一か所にかける時間自体は充分とったのですが、朝5時に起き、6時半ころには準備を整えて、明るくなる7時ころにはその日最初の名所に到着している・・・こんな無理なスケジュール、疲れが溜まる一方です。
 今回の旅行では、終始愛用のデジタル一眼レフカメラを首に下げていました。撮影した枚数は1400を超えます。あまりにもカメラを使っていたためか、他の観光客に“ハイアマチュアのカメラマン”と思われた様です。実際、天龍寺では、中年夫婦の旦那さんが写真を撮っていた奥さんに対して、「馬鹿だなー。この人のように考えて撮れよ。きれいに撮れるアングルというのがあるんだよ。上手い人の真似をしろよ。」と僕を示しながら注意していたり、建仁寺でも他の観光客が「あの人のように、いいカメラといい腕でないと、ちゃんと撮れないかもね。」と僕を見て言っていたり、なかなか面白い経験ができました。

 ちなみに、今回は食事には全く無頓着な旅でした。駅の中のラーメン屋、うどん屋、回転寿司屋などで夕食を済ませることも多かったです。

 また、記念の品をかなり買い込みました。例えば京都国立博物館の特別展併設売店では菱田春草の“黒き猫”の色紙、建仁寺では風神雷神図屏風の色紙と専用額。南禅寺では数珠袋、龍安寺では石庭を模した文鎮、清水坂では清水焼の天目茶碗型ぐい呑み、などなど、見るたびに「これは京都のどこどこで買った記念の品だ。」と思い出せるようなものばかりです。正直、買い込んだ記念品だけで大きなスーツケースが一杯になってしまいました。

 ホテルに関しては、正直、満足とは言えませんでした。1日目、3日目、4日目の宿泊は同じビジネスホテルでしたが、コストパフォーマンスは悪くありません。むしろ「高級ビジネスホテルだったのか。」と思えるような感じでした。ただ、2日目の某高級ホテルは、明らかにコストパフォーマンスが悪いという印象でした。「高級ホテルと言っても、低価格帯の部屋は手を抜いているなぁ。」と、がっかりしました。去年行った奈良ホテルがあまりに素晴らしかったので、それと比較してしまっているのもあるかもしれませんけどね。

 さて、今回の旅行で強く興味を持ったこと。それは“お茶”と“庭”です。まず、お茶。今回は金閣寺と観智院で抹茶と菓子をいただきましたが、その優雅なひと時は「何物にも代えがたい」と思いました。茶道を習ってみたいと初めて思いました。清水坂の陶器専門店で、ぐい呑みと一緒に抹茶茶碗も買えば良かったと後悔しているほどです。
 そして庭。上品な庭は、ちょっとのスペースと洗練された美意識、少しの手間があればできるのではないかと思いました。いくつかの寺で見かけた「苔むす庭園」というのはなかなか難しいと思いますが、和風のガーデニングをそのうち実家の庭でやってみたいと思います。

 先に書いた通り、例えこれが最後の京都旅行となったとしても、悔いはありません。しかし、また15年、20年経った時、京都に行きたくなったら、今度はこんな無理はせず、ゆっくりとお茶を嗜みながら巡りたいものです。

 以上、平成23年11月11日、ウェブサイト上に公開。