平成25年9月16日〜18日 東京・茨城・千葉旅行記


 ここ最近、東京へは日帰りでしか行かなかったのですが、「2泊くらいして東京とその近郊で行きたい場所に行ってくるか」と考えたのです。ここで第一に考えてしまうのが神社仏閣巡りという、すっかり趣味が渋くなってしまった僕ですが、更に「皇居の一般参観もしてみたいなぁ」と考えてしまったわけであり。
 余った夏休みの取得・消化のため、いろいろ計画を練って、「多分これで大丈夫だろう」という予定を立てました。
 ・・・しかし、台風18号の直撃と皇居のあまりの広さ、そして僕自身の風邪気味のための体調不良により、今回は大幅に予定が狂うことになるのですが・・・。



■9月16日(月)明治神宮初参拝
 正月三が日における初詣客数は常に日本一。東京で「神宮」といえばこの明治神宮を指す場合が多いですね。この日、僕は初めて明治神宮に参拝しました。



★明治神宮(東京都渋谷区)
 旧官幣大社、勅祭社、別表神社。
 祭神は明治天皇・昭憲皇太后。



JR原宿駅直近の南参道入口の鳥居
 この時点で東京は嵐です。あまりの風雨に参道の途中にあった文化館・宝物展示室に避難し、宝物拝観や買い物をしました。

 少し風雨が弱まったので、参拝再開です。



楼門



拝殿


 正直、僕はあまりパワースポットに対して「パワーを貰いに行きたい!」と思うタイプではありませんし、行ったところでパワーを感じないタイプなのですが、清正井は有名なので、「無視するわけには行くまい」と思って行ってみました。入苑料を払って御苑に入り、かなり歩いた奥にあります。
 この日は悪天候だったためか、有名なパワースポットにもかかわらず、警備員2名以外には誰もいませんでした。警備員さんに話を聞くと、多い時は2千人から3千人くらいの行列ができることもあるのだとか。この時は僕一人。独占状態で写真を撮っていました。



清正井(きよまさのいど)
 戦国武将加藤清正が掘ったと伝えられる名水です。ただし、現在飲むことは禁止されていますし、警備員さんに「水に触らないでください」とも言われました。


 本当ならばこの日は赤穂浪士の墓がある泉岳寺、雷門で有名な浅草寺、徳川将軍家の菩提寺の一つである増上寺にも行きたかったのですが、悪天候とそれに伴う撮影疲れ(傘を持ちながらの撮影はさすがに疲労の蓄積がアップする)、更に風邪気味のため、ここで観光は終了し、原宿・竹下通りと新宿で買い物をしてさっさと休みました。










■9月17日(火)東国三社参り

 神社参りの一つの知識として、「東国三社参り」というものがあります。これは鹿島神宮・息栖神社・香取神宮を参拝することで、それぞれに祭られる武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、天乃鳥船(あめのとりふね)、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の三柱の神が、天照大御神に天界から派遣されて、地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しているそうで、江戸時代には「お伊勢参りの禊ぎの東国三社参り」として人気があったそうです。
 神社仏閣巡りが趣味の僕にとっては行くべき場所だとも思っていたのですが、もう一つ、僕は平成25年夏に空手の道着を新調したのです。新調した道着には日本三大軍神を示す「鹿島 香取 諏訪」の文字を刺繍で縫い込んでもらいました。そう、このうちの鹿島神宮と香取神宮で武道上達の御祈祷をしてもらおうと考えたのです(「諏訪」である諏訪大社には平成25年10月ころ行く予定があります)。
 そんなわけで、かさばる道着をわざわざ持って、東京駅を午前6時30分発の高速バスに乗り込み、まずは鹿島神宮まで行きました。




★鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
 常陸国一の宮、名神大社、勅祭社、旧官幣大社、別表神社、四方拝で天皇陛下が拝される一社、東国三社の一社、明治以前「神宮」を名乗れた三社のうちの一社。
 祭神は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」。古事記では「建御雷神」と表記される雷神・武神・軍神である。
 ※ 鹿島神宮と表記されるのが正式だが、授与品には「鹿嶋神宮」と表記される場合がある。所在地の市の名前は「鹿嶋市」。



一之鳥居
 平成24年12月までは陸上にあったが、老朽化のため立て直しとなり、昭和50年代まで北浦湖の水上にあったことを踏まえ、平成25年6月に再度北浦湖の水上に建設したものです。湖底からの高さは約18メートルで、厳島神社の鳥居(高さ約16メートル)を上回る国内最大の水上鳥居です。なお、この画像の撮影自体は鹿島神宮参拝直後に行いました。



大鳥居跡
 平成23年3月11日の東日本大震災の際、地震で大鳥居は倒壊してしまいました。平成26年に再建されるそうです。



楼門(重要文化財)
 寛永11年(1634年)、水戸藩初代藩主徳川頼房による奉納で、日本三大楼門の一つと言われます。



拝殿・幣殿・本殿
 残念ながら修復工事中で、拝殿の周囲には白い壁が設置され、本殿自体には全体に工事用のシートが張り巡らされています。



奥宮(重要文化財)
 元は本殿として徳川家康が奉納したものですが、現在の本殿が造営された際に移築されて奥宮としたものだそうです。個人的にはこの奥宮がすごく神々しいように感じました。



大鯰の碑
 祭神である武甕槌大神が、地震を起こす大鯰を押さえ込んでいるというものです。



要石
 地震を起こす大鯰の頭を押さえていると言われています。地上に露出している部分は僅かですが、地下の部分は非常に巨大で、香取神宮の要石(後述)と地中でつながっているという伝説もあります。凹型をしているそうです。ちなみに黄門様こと徳川光圀が家来に掘らせてみたところ、七日七晩掘っても掘りきれなかったとのことです。



御手洗池(みたらしのいけ)
 古くから神職や参拝者の潔斎の池として知られています。非常にきれいな水が豊富に湧き出しており、僕も近くの売店で水の持ち帰り用のペットボトル(1リットル)を買って、持ち帰りました。昨日の台風のためか僅かに落ち葉が浮いていますが、奉仕の方が丁寧に網で掬ってくれていました。


 このあと、宝物館で国宝の直刀(日本最古最大と言われている)などを拝観し、いよいよメインイベントとして御祈祷をお願いしました。新調した空手道着を神前に出し、武道上達を祈願して祝詞をあげてもらいました。ちなみに僕の他にも子供連れの女性が安産祈願で御祈祷をしてもらっていました。

 鹿島神宮を後にして、タクシーで茨城県神栖市にある息栖神社へ向かいます。途中、鹿島神社一之鳥居(前述)にも立ち寄りました。










★息栖神社(いきすじんじゃ・茨城県神栖市)
 旧県社、東国三社の一社。
 祭神は「岐神(くなどのかみ)」、「天之鳥船(あめのとりふね)」、「住吉三神」。古事記によると、天之鳥船は日本神話の国譲りの際、建御雷神の副使となった神。


息栖神社一の鳥居
 分かりにくいのですが、大きな鳥居の右脇に中鳥居、左脇に小鳥居があります。中鳥居の下には男瓶、小鳥居の下には女瓶と呼ばれる泉があり、男瓶・女瓶を併せて忍潮井(おしおい)と呼ばれています。この付近一帯が海だった頃から海水を押し分けて真水が出てきているそうで、日本三霊泉の一つだそうです。ただし、現在柵に囲まれており近づけませんし、聞いたところ水を飲むのは遠慮して欲しいとのことです。



二の鳥居



神門



社殿(拝殿・幣殿・本殿)
 現在の社殿は昭和38年に建て替えられたものです。


 鹿島神宮に比べれば、境内は比較的小規模です。タクシーを待たせて参拝し、同じタクシーに乗って香取神宮に向かいました。










★香取神宮(千葉県香取市)
 下総国一の宮、名神大社、勅祭社、旧官幣大社、別表神社、四方拝で天皇陛下が拝される一社、東国三社の一社、明治以前「神宮」を名乗れた三社のうちの一社。
 祭神は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」。古事記にはその名前はないが、日本書紀では武甕槌大神とともに国譲りを迫った神とされている。武神・軍神としても有名。



一の鳥居
 津宮鳥居河岸(つのみやとりいがし)と呼ばれる場所に立っています。香取神宮境内からはちょっと離れた所にあります。この鳥居は香取神宮参拝後にタクシーで行って撮影しました。



 この鳥居も香取神宮参拝後にタクシーの運転手さんが連れて行ってくれたのですが、「○の鳥居」などという名前が付いているのかどうか現時点ではわかっていません。



香取神宮の参道とその脇に並ぶ土産屋・飲食店



二の鳥居



石の鳥居と総門




楼門



拝殿・本殿
 残念ながら修復工事中のため全く見ることができませんでした。


 鹿島神宮の時は境内を一回りしてから御祈祷をお願いしましたが、今回はすぐに御祈祷をお願いしました。やはり空手の道着を神前にお出しして武道上達の祈願をしたわけです。香取神宮の御祈祷では、玉串を捧げる時以外は神前に正対せず横向きで座って待機しました。また、祝詞は香取神宮の方がいろいろと詳しいことを読み上げてくださっていました。
 御祈祷が終わると、宝物館を見学し、国宝で日本三名鏡の一つである海獣葡萄鏡などを見ました。



要石
 地震を起こす大鯰の尾を押さえていると言われています。地上に露出している部分は僅かですが、地下の部分は非常に巨大で、鹿島神宮の要石(前述)と地中でつながっているという伝説もあります。凸型をしているそうです。ちなみにこちらの要石も黄門様こと徳川光圀が家来に掘らせてみたところ掘っても掘りきれなかったとのことです。



奥宮入口
 香取神宮の奥宮はちょっと離れたわかりづらい所にありますが、ここも何か神聖さを感じる不思議な場所でした。



奥宮


 参拝を終え、改めてタクシーをお願いし、香取神宮の境内からは離れたところにある鳥居を撮影して、東国三社参りを終了しました。
 ちなみに、東国三社参りの順番は、何かで「鹿島神宮→息栖神社→香取神宮」と書いてあったのを見た気がするのですが、今回は一応その通りにしてみました。ただし、うろ覚えなのでこの順番が本当に正しいとは断言できません。そもそも参拝の順番に正しい・正しくないがあるのかさえ分かりませんが。










■9月18日(水)皇居一般参観
 皇居一般参観と言っても、そんなに敷居の高いものではありません。事前にインターネットで宮内庁に申請を出しておいたので、参観を許可されたというものです。
 そうは言っても、皇居に来るのは小学校の修学旅行以来24年ぶり(もちろんこの時は皇居内ではなく、二重橋の手前に来ただけ)。やはり「皇居」という特別な場所、しかもある程度その中に入ることが出来るというスペシャルな体験ができる期待に心が躍りました。この日も素晴らしい晴天です。
 午前10時からの参観でしたが、ちょっと早めに行って午前9時ころには正門石橋の前に到着していました。



皇居 正門石橋
 いわゆる二重橋というのは、正門石橋の奥にある正門鉄橋のことです。


 ひとしきり周囲の写真を撮影して、一般参観の集合場所である皇居桔梗門に行きます。
 午前9時50分には集まるように事前に通知されていましたが、午前9時30分ころにはかなりの数の人たちが集まっており、すぐに桔梗門を通って休憩所である窓明館という場所で待機になりました。この窓明館の中にはロッカーや売店があり、参観者は参観出発までの短い間に売店で皇居グッズを買い漁ることになります。参観後は閉店していますので皇居グッズをこの売店で買うことはできなくなります。
 この日の午前の参観は約170人ほどが参加していたようです。




富士見櫓
 明暦3年(1657年)、江戸城の天守閣が焼失したあと、天守閣の代用として使われていた建物だそうです。



宮内庁庁舎



宮殿のうち長和殿 及び宮殿東庭
 残念ながら工事中で、白い工事用の目隠し壁が設置されていたり、トラックなどがあります。



 宮殿のうち長和殿 南車寄せ部分



 正門鉄橋から臨む伏見櫓


 皇居一般参観自体は富士見櫓・宮内庁庁舎・宮殿・正門鉄橋などを見学して終了になります。それでも結構歩くことになるので、歩きづらい靴などは控えるべきでしょう。
 以上で皇居一般参観は終了し、あとは希望者が集まって案内の人に皇居東御苑の入口まで連れて行ってもらいました。皇居東御苑は手続きなどは不要の公開スペースで、比較的自由に散策できます。三の丸尚蔵館を見学した後、天守閣跡や諏訪の茶屋、二の丸庭園などを回りました。



皇居東御苑 天守閣跡


 まあ、皇居は広いですね。本当に歩き疲れました。この日は予定では徳川将軍家の菩提寺の一つである寛永寺と東京国立博物館も行く予定でしたが、予想以上に皇居で時間を使ってしまったため中止としました。





 以上が、今回の東京・茨城・千葉旅行の様子です。
 正直、8月に西日本旅行に行ったばかりなのに、それから1ヶ月でこんな旅行をするのはかなりハードでした。今回の旅行は満足しましたが、しばらく旅行は控えようと思います。