令和4年9月 近畿旅行記 其の四(23日〜25日)
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「令和4年9月 近畿旅行記 其の参(21日〜22日)」の続きとなります。
●9月23日(金・祝)
4時台に目覚める。ベッド上でウダウダと過ごす。
04:55 目覚ましのアラームが鳴ったため、活動開始
外は本降りの雨。
05:30 朝食(コンビニのおにぎり2つ)
昨日感じた疲労はかなり軽減されていた。
07:32 ホテルをチェックアウト
07:36 ホテル駐車場 出発
07:43 興味本位で雄琴温泉の歓楽街を通ってみる
いかにもという店が多く、圧倒される。
07:58 日吉大社駐車場 到着
しかし、日吉大社が開くのは9時からだと知り、先に園城寺(三井寺)に行くことを思いつく。
08:07 日吉大社駐車場 出発
08:21 園城寺(三井寺)有料駐車場 到着(500円)
【園城寺(三井寺)】(おんじょうじ(みいでら))
所在地・・・滋賀県大津市
正式名称・・・長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ)
宗派・寺格等・・・天台寺門宗 総本山
平安時代等の古典文学で、何も注釈なしで「寺」と書かれていれば、この園城寺を指すと解釈されるほどの大名刹(対して、延暦寺は「山」と呼ばれていた)。
正しくは園城寺であるが、既に園城寺自体も「三井寺」という名称を一般的に使用しているので、以降、このページでも「三井寺」と記載する。

三井寺 大門(仁王門)
雨は時折小康状態になるが、基本的には降りっぱなし。

三井寺 釈迦堂(食堂)
本尊・釈迦如来

三井寺 金堂
本尊・弥勒菩薩
金堂の写真を撮っていたところ、老夫婦に話しかけられ「西国〇〇の御朱印はどこでもらえるんですか?」と訊ねられたが、正直よくわからなかったので、「分かりません」としか答えられなかった。
鐘楼脇の納経所で「鐘みくじ」をやってみる。いただいた鐘の形の紙を御籤鉢(水盤)に浮かべると紙に数字が浮かび上がるので、再度納経所へ行き紙を持って行くと、その番号に対応したおみくじと三井寺百景の絵札がもらえるというもの。

三井寺 納経所横 御籤鉢(水盤)

三井寺 鐘楼
近江八景の一つ「三井晩鐘(みいのばんしょう)」として知られ、また、日本三名鐘(神護寺、平等院、三井寺)の一つとしても名高い。
※ 日本三名鐘・・・「銘の神護寺(鐘に刻まれた銘文が素晴らしいことから)」、「姿の平等院(形が素晴らしいことから)」、「声の三井寺(音が素晴らしいことから)」。日本三大梵鐘(知恩院、東大寺、方広寺)とは別。
有料で鐘を撞くことができるので、撞かせてもらった。

三井寺 鐘楼 出入口
有料で入って撞くことができる。通常は閉められている。

三井寺 梵鐘

三井寺 一切経蔵
もとは山口市内の禅宗寺院「国清寺」の経蔵だったが、1602年に毛利輝元によって移築されたもの。

三井寺 一切経蔵内 八角輪蔵
回転式。高麗版一切経が納められている。

三井寺 霊鐘堂

三井寺 霊鐘堂内 弁慶の引き摺り鐘
三井寺の初代梵鐘。その昔、延暦寺と三井寺が争った際、弁慶がこの鐘を奪って延暦寺へ引き摺り上げたが、鐘を撞くと「イノー、イノー」(関西弁で「帰りたい」)と響いたことから、弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨てたと言われている。

三井寺 一切経蔵前 石橋
映画「るろうに剣心(2012年公開の実写映画)」で緋村剣心と鵜堂刃衛が出会うシーンで使われた場所。

三井寺 唐院 三重塔

三井寺別所 微妙寺
本尊・十一面観世音菩薩
別所とは「別院」の意味。本尊十一面観世音菩薩の他、国宝で日本三不動の一つである金色不動明王(黄不動尊)などで有名。

三井寺 観音堂
本尊・如意輪観世音菩薩
法要か何かがあったらしく、沢山の人が堂内にいた。

三井寺別所 水観寺
本尊・薬師如来
後で知ったが、三井寺には「三井の霊泉」と呼ばれる有名な泉があるらしい。完全に見落としていた。痛恨のミス。
10:30 園城寺(三井寺)有料駐車場 出発
10:45 日吉大社B駐車場 到着
雨、かなりの勢い。
【日吉大社】(ひよしたいしゃ)
所在地・・・滋賀県大津市
社格等・・・式内社、近江国二之宮、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・西本宮・大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主神(おおくにぬしのかみ)、東本宮・大山咋神(おおやまくいのかみ)
通称・・・山王権現
全国にある日吉神社・日枝神社・山王神社の総本社。「日吉」は第二次世界大戦前は「ひえ」と読んでいた。比叡山の地主神とされる。猿を神の使いの「神猿(まさる)」としている。
織田信長の比叡山焼き討ちでこの日吉大社も全て焼失したが、豊臣秀吉と徳川家康が復興に尽力した。特に豊臣秀吉は幼名が「日吉丸」であり、あだ名が「猿」と言われていたことからこの神社を特別視していたらしい。
まずはB駐車場から最も近い東本宮へ。

日吉大社 東本宮楼門

日吉大社 東本宮本殿
国宝。
徒歩で境内の外を回って西本宮方向へ。

日吉大社 赤鳥居

日吉大社 山王鳥居

日吉大社 西本宮楼門
東本宮楼門よりも少し豪華に造られているという。

日吉大社 西本宮本殿
日吉大社で最も格式高い建物。国宝。
11:47 日吉大社B駐車場 戻り
参拝を終え駐車場に戻ると、駐車場にパトカーが来ていて、僕の隣に駐車されていた車の運転手と何か話していた。
自分の車を後退させた時、ロープに接触した。
11:54 日吉大社B駐車場 出発
12:03 近江神宮駐車場 到着
【近江神宮】(おうみじんぐう)
所在地・・・滋賀県大津市
社格等・・・勅祭社、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・天智天皇
皇紀2600年(西暦1940年)を記念して創建された比較的新しい神社。667年、天智天皇が飛鳥からこの地に遷って近江大津宮を作ったことが由来。
天智天皇は「日本で初めて漏刻(水時計)を設置した天皇」、「小倉百人一首の第一首目の歌の作者」ということから、近江神宮は時計と競技かるたについて関係が深い場所でもある。

近江神宮 一の鳥居

近江神宮 楼門

近江神宮 外拝殿

近江神宮 内拝殿

近江神宮 時計館・宝物館

近江神宮 古代火時計
古代中国で使われていたとされる、火を使った時計。龍の背に等間隔で14個の銅球が吊り下げられ、糸の下を燃えながら進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下する。その下に設置された銅鑼が鳴ることで時を告げるという仕組み。昭和54年、ロレックス社から奉納されたもの。

近江神宮 漏刻
天智天皇御創始の漏刻が再現されたもの。昭和39年、オメガ社から奉納されたもの。

近江神宮 精密日時計

近江神宮 矢橋式日時計
ここで、ここまでこの旅行で使ってきたビニール傘(車の中に常備しているもの)が壊れてきたことに気づく。傘の親骨が1本折れてしまっていた。
参拝の終盤、雨が止む。
12:59 近江神宮駐車場 戻り
13:02 近江神宮駐車場 出発
再び雨が降ってくる。
びわこボートレース場、滋賀県警察本部、大津警察署などの前を通過。
13:34 石山寺駐車場 到着
【石山寺】(いしやまでら)
所在地・・・滋賀県大津市
正式名称・・・石光山 石山寺
宗派・寺格等・・・東寺真言宗 大本山
天然記念物の珪灰石(石山寺硅灰石)という巨大な岩盤の上に本堂が建っていることから「石山寺」という寺名がつけられたと言われる。紫式部が石山寺に参篭の際、源氏物語の着想を得たという伝承がある。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」としても知られる。

石山寺 東大門
石山寺の正門。

石山寺 本堂
本尊・如意輪観世音菩薩

石山寺 本堂内 源氏の間
紫式部が参籠し、源氏物語を起筆したと伝わる場所。

石山寺 多宝塔
本尊・金剛界大日如来
国宝。日本で最も古く最も美しい多宝塔と言われている。源頼朝建立と伝わる。

石山寺 硅灰石
石山寺という名前の由来となったもので、石灰岩と花崗岩が接触してその熱作用で変質した岩石。ここまで大規模になっているのは珍しいらしく、国の天然記念物になっている。奥に見えるのは多宝塔。
14:45 石山寺駐車場 戻り
14:47 石山寺駐車場 出発
次の目的地「瀬田唐橋」へ向かう途中、少しだけ道に迷い、引き返した。
14:52 瀬田唐橋西詰付近のスペース 到着
【瀬田唐橋】(せたのからはし)
所在地・・・滋賀県大津市
日本三名橋・日本三大橋・日本三古橋の一つとされる。近江八景の一つ「瀬田(勢田)夕照(せたのせきしょう)」として知られる。
別に橋にそこまでの興味があったわけではないが、有名な橋だということで一応立ち寄り。

瀬田唐橋
14:56 瀬田唐橋西詰付近のスペース 出発
14:59 建部大社駐車場 到着
雨がかなり降っている。
【建部大社】(たけべたいしゃ)
所在地・・・滋賀県大津市
社格等・・・式内社、近江国一之宮、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・日本武尊(やまとたけるのみこと)、大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主神(おおくにぬしのかみ)
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆に流される途中、この神社で源氏の再興を祈願し、後にそれが成し遂げられたことから出世開運の神として有名になった。昭和20年(1945年)日本で初めて作られた千円紙幣の図柄にこの神社の本殿が使用されている。

建部大社 一之鳥居

建部大社 神門

建部大社 拝殿

建部大社 拝殿奥

建部大社 本殿(左奥)・権殿(右手前)

建部大社 御神水
「源頼朝公出世の水」とも言われる。

建部大社 御神水

建部大社 水琴窟

建部大社内の看板
15:45 建部大社駐車場 出発
次の目的地は、神社仏閣巡りが主目的となっているこの旅行にしては毛色が違う場所となる。それは、JRA栗東トレーニングセンター。JRA(日本中央競馬会)の競走馬用トレーニング施設である。
令和4年現在、スマートフォンアプリゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」が人気となっている。まあ、それに少し触発されたのは否めないが、見ておきたいものがあったのだ。それは「シンザン像」。
16:18 JRA栗東トレーニングセンター シンザン像前 到着
雨は僅かに降っていた。
【シンザン号】
日本の競走馬、種牡馬(サラブレッド)
生誕・・・昭和36年(1961年)4月2日
死没・・・平成8年(1996年)7月13日
生涯成績・・・19戦15勝(2着4回)
幼名・・・松風
昭和39年(1964年)・昭和40年(1965年)啓衆社賞年度代表馬
昭和39年(1964年)最優秀4歳牡馬
昭和40年(1965年)最優秀5歳以上牡馬
顕彰馬(昭和59年(1984年・顕彰馬制度制定初年)選出)
19戦連続連対記録保持・連対率100%(令和4年(2022年)現在でも日本中央競馬の最高記録)
平成7年(1995年)11月19日・サラブレッド日本最長寿記録更新(2014年8月26日に破られる)
平成8年(1996年)5月3日・軽種馬日本最長寿記録更新(2011年6月28日に破られる)
GT級競争勝利馬としては現在もなお最長寿記録を保持している
生誕地・・・北海道浦河郡浦河町・松橋吉松牧場
埋葬地・・・北海道浦河郡浦河町・谷川牧場
銅像所在地・・・北海道浦河郡浦河町「谷川牧場」、神奈川県横浜市「馬の博物館」、滋賀県栗東市「JRA栗東トレーニングセンター」、京都府京都市「京都競馬場」
日本競馬史上2頭目の三冠馬(戦後では初)。1964年の三冠(皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞)の他、1965年の天皇賞(秋)と有馬記念を制して日本競馬史上初の「五冠馬」となり、競走馬として事実上上限に達した伝説の名馬。長く日本競馬界に与えた影響の大きさから「神馬」と呼ばれる。シンボリルドルフが現れるまで、日本中央競馬会のキャッチフレーズは「シンザンを超えろ」だった。
シンザンが活躍した当時と現在とでは競馬のシステムもレースに対する関係者の考え方すらも違うので比較が難しいという前提があるが、どう考えても日本競馬史上最高クラスの実績を残した競走馬であることはゆるぎない。
GVレース「シンザン記念(1967年創設)」、京都競馬場「シンザンゲート」、「シンザンストレート」(中山競馬場・外ラチギリギリの直線。第10回有馬記念でシンザンがこの直線を通って勝利したことから。)など、シンザンの名をつけられたものは多い。
名前の「シンザン」は、漢字にすると「伸山」であるとされるが、諸説ある。現在は「神賛」「神讃」と書かれることが多い。
1984年にGT、GU、GVといったグレード制が導入される以前は、日本競馬界においては「桜花賞・皐月賞・優駿牝馬(オークス)・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞」の五大クラシック(3歳馬(旧4歳馬)限定レース)に、天皇賞(春)・天皇賞(秋)・有馬記念の古馬が出走可能な3レースを加えて「八大競走」と呼んでいたが、このうち桜花賞と優駿牝馬(オークス)は牝馬(ひんば。メスの馬)限定のレースであり、牡馬(ぼば。オスの馬)が出走できるのは皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞・天皇賞・有馬記念であった。しかもシンザンが活躍していた当時、天皇賞は勝ち抜け制であり、一度天皇賞で勝った馬は二度と天皇賞には出走できないという決まりがあったため、八大競走のうち牡馬が勝ち取れる栄冠は五つが限界という状態であった。その栄冠五つ全てを初めて勝ち取った馬がシンザンである。ちなみに、現在大レースとなっているジャパンカップや秋華賞はこのころまだ創設されていない。宝塚記念は大レース扱いではなかった(なおシンザンは宝塚記念も勝っている)。
早い話が、シンザンは日本競馬史上唯一「出走可能な大レースを全て制した競走馬」なのである。これは、シンボリルドルフ(1984年ジャパンカップ3着、1985年天皇賞(秋)2着、1986年サンルイレイハンデキャップ6着)、ディープインパクト(2005年有馬記念2着、2006年凱旋門賞3着(のち失格))も成し遂げられていない偉業である。
競馬で2位以内に入ることを「連対」と言うが、中央競馬における19戦連続連対は令和4年現在もなお破られていない中央競馬最高記録となる(なお、次点はビワハヤヒデの15連続連対。連対率100%で限定すればダイワスカーレットの12連続連対が次点。)。
なお、2着となった4戦のうち3戦はオープン戦で、シンザンが調教で走らない為、調教代わりに小規模のレースを使っていたという。シンザン陣営の関係者も「シンザンは金のかかっていないレースじゃ本気で走らない」と承知の上だったらしいし、そもそもこの時代は勝率にはあまりこだわらず「大レース本番で勝てばいい」という認識だったらしい。2着となったもう1戦は京都杯(現・京都新聞杯)で、これも重賞(毎年決まって行われるパターンレース)ではあるが八大競走ほど重要視されるレースではなかった。
シンザンという馬自身が非常に頭が良く、主戦騎手であった栗田勝も「ハナ差でも勝ちは勝ち」という信条の持ち主だったことから、大差をつけて勝つということがなく、必要最小限の力で勝ち無駄な走りをしないというスタンスだった。これが馬体に無理をかけなかったということで長寿につながったのかもしれない。
脚の力が異常に強く、前脚と後脚の蹄が当たってしまうため、特別の蹄鉄(シンザン鉄と呼ばれ、重量が通常の蹄鉄の2倍以上ある)が作られたという逸話がある。
騎手を乗せたまま後脚だけで立ち上がり、そのまま50メートルほど歩いてしまうほど腰の力が強かった(普通の馬は立ち上がっても重さに耐えられずすぐに前脚を下ろしてしまう)。
引退後は種牡馬として、内国産種牡馬が冷遇されていた時代でも奮闘し、ミナガワマンナ(1981年菊花賞、1982年・1983年アルゼンチン共和国杯連覇)、ミホシンザン(1985年皐月賞・菊花賞、1987年天皇賞(春))などの産駒を残す。1969年から1992年まで産駒24年連続勝利の記録を打ち立てている。これは後に大種牡馬ノーザンテーストが更新するまで日本記録だった。
僕が生まれたころには、シンザンはとっくの昔に引退していたが、なぜこんなにシンザンに思いを寄せているかというと、昔、日本テレビで偉人などを取り上げる「知ってるつもり?!」という番組がやっていたのだが、1996年にシンザンが死没した後の1998年11月1日、この「知ってるつもり?!」で「名馬シンザンと武田文吾調教師」を取り上げた内容を放送したのである。それを見た時に「なんてすごい馬なんだ!」と衝撃を受けてしまったのがキッカケである。
今回の旅行で、直前までこのシンザン像の存在は知らなかったが、滋賀県東部に「栗東市」があることを知り、「あれ、ここってもしかしてJRAの栗東トレセンがある所か?ウマ娘の中で「栗東寮」なんて施設が出てくるけど、ここがそのモチーフとなった場所か・・・」と思い、何気なく調べてみたらシンザンの銅像があることが判明。急遽、ここに来ることを計画に入れた次第である。
ちなみに、僕自身は競馬をやったことも、競馬場に入ったこともない。アプリゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」も3日で飽きた(ただしウマ娘のコンテンツ自体は楽しんでいる)。

JRA栗東トレーニングセンター シンザン像

JRA栗東トレーニングセンター シンザン像

JRA栗東トレーニングセンター シンザン像
16:32 JRA栗東トレーニングセンター シンザン像前 出発
この日の観光は終了とし、入浴施設に向かう予定であったが、ふと「琵琶湖大橋を渡ってみようか」と思い付き、琵琶湖大橋に向かう。
17:06 琵琶湖大橋東詰 料金所通過
琵琶湖南部にかかる「琵琶湖大橋」を車で渡る。
17:09 琵琶湖大橋西詰付近 道の駅 びわ湖大橋米プラザ 到着

道の駅 びわ湖大橋米プラザ
道の駅の販売所をふらついてみたが、特に買い物などはせず、駐車場で近江牛の焼肉が食べられる店を検索。さすがに日本四大和牛(松阪牛、神戸牛、近江牛、米沢牛)の一つは現地で焼肉として食べておきたかった。
17:31 道の駅 びわ湖大橋米プラザ 出発
再度、琵琶湖大橋を渡る。
17:33 琵琶湖大橋東詰に戻る
17:44 守山市のエネオス守山SSで、この旅行中3回目の給油(52リットル)
17:56 守山市 「純近江牛焼肉 茜」 到着

純近江牛焼肉 茜
前々からここに来る計画があったわけではなく、直前に検索してここが目に入ったため来た。

近江牛焼肉
上タン塩1人前、5種類おまかせ盛り合わせ(1部位2切れずつ。マルシン・リブシンロース・ササバラ・クリ・三角バラ)、シャトーブリアン1人前、小ライス、ウーロン茶。近江牛のあまりの美味しさに驚く。量はそこそこだったが、そもそも食事量があまり多くない人間なので満足できた。会計9380円。この旅行中最大の贅沢。
19:02 「純近江牛焼肉 茜」 出発
19:07 守山天然温泉ほたるの湯 到着
スーパー銭湯的場所で、かなり来客がいた。
高濃度炭酸泉がぬるくて入りやすく、一度出てから休憩後もう一度入った。
休憩所でマッサージチェアを利用。床に寝転がって休む。休憩所に黒いボディコンスーツのようなタイトな服を着た若い女性がいて驚く。
軽食処で「オロポかき氷(オロナミンC+ポカリスエット)」を食べる。
22:04 守山天然温泉ほたるの湯 出発
22:20 ファミリーマート野洲大篠原店 到着
買い物。アイスクリーム、パン、飲料、つまみなど。
コンビニ内はガンダムのプラモデルの他、ミニ四駆やそのモーターまで販売されていて驚く。
22:43 道の駅 竜王かがみの里 到着
ここで車中泊の予定だったが、最初入口を間違えてしまい、再度引き返して駐車場に入った。
既に営業は終わっていたが、10台程度の車が駐車されていた。
ここまでの総移動距離1407.7キロメートル。
23:49 やんでいた雨がまた降ってくる。
この日の教訓
・ 三井寺は予想以上に広大で観るべきものが沢山ある。
・ 近江神宮では時計は売っていない。
・ シンザンこそ至高の名馬。
・ 近江牛、めちゃくちゃ美味い。
・ 風呂はやはり重要。車中泊する場合は入浴施設も探しておくべき。
・ オロナミンC+ポカリスエットの味は不思議な味だが美味しい。
●9月24日(土)
01:54 車中泊中、足でクラクションを鳴らしてしまう
05:55 起床
活動開始。

道の駅 竜王かがみの里
道の駅の写真を撮っていたところ、ここが源義経ゆかりの地であることを看板で知る。
荷物整理などを実施。朝食はコンビニで買ったチョコツイストパン。
晴れる。
06:58 徒歩で道の駅の周辺散策
【源義経 元服池】

源義経 元服池
現在も綺麗な水をたたえた池。牛若丸(のちの源義経)は元服前、京都の鞍馬を抜け出して兄である源頼朝を訪ねようとしていたが、途中この地で宿泊していた際、稚児姿の者を追っている者達がいるという噂を聞き、「このままでは見つかってしまう」と思った牛若丸は大人の姿になるために急いで元服し、この池の水を鏡代わりにして前髪を切り落としたという。
【源義経 烏帽子掛け松】

源義経 烏帽子掛け松
鏡神社参道脇にある。明治6年に台風で倒れてしまい、現在は幹株を残すのみ。
【鏡神社】(かがみじんじゃ)
所在地・・・滋賀県蒲生郡竜王町
社格等・・・不明
主祭神・・・天日槍尊(あめのひぼこのみこと)

鏡神社 本殿
07:23 道の駅 竜王かがみの里 戻り
07:28 道の駅 竜王かがみの里 出発
ある小学校の前を通過した際、「近江兄弟社小学校」と書かれていて、「近江兄弟社って幅を利かせているんだなあ」と感心する。
07:51 安土城跡駐車場 到着
開門時間にはまだ早かったみたいなので、駐車場で仮眠。
安土城関連施設としては、三重県伊勢市のテーマパーク「ともいきの国 伊勢忍者キングダム」に模擬天主があるほか、近江八幡市内「安土城郭資料館」に20分の1で復元された天主模型、同じく近江八幡市内「安土城天主 信長の館」に安土城天主5・6階部分の原寸大復元があるが、調べたところ、信長の館は改修工事のため臨時休業とのこと。原寸大復元なら観たいと思ったが、仕方なく諦める。
08:51 徒歩で安土城跡へ
【安土城跡】(あづちじょうせき)
所在地・・・滋賀県近江八幡市
築城・・・1576年
廃城・・・1585年
織田信長が築城した豪華絢爛な山城。1582年ころ、何らかの理由(放火・落雷など諸説あるらしい)により天守(現地では「天主」)などを焼失。
前述のとおり、安土城は天守のことを「天主」と呼ぶので、安土城跡の記事に限り天守を「天主」と称す。
安土城跡にハ見寺という寺院があることをここで初めて知る。念のため御朱印帳を持ってきていたので、安土城跡受付で御朱印をお願いした。中には御朱印帳を駐車場に置いてきて困っている人もいた。受付の所に貸し出し用の杖が置かれていたので、1本借りる。

安土城跡 受付脇 杖立て
「杖は必要です!ご自由にお使い下さい」という説明板がついている。

安土城跡 伝羽柴秀吉邸跡付近
素晴らしい石垣だが、これでも安土城の一番下のあたり。

安土城跡 石段
9月19日に登った神倉神社の石段に比べれば、はるかに登りやすく安全。ただし、この石段が長く続く。
安土城跡の石段を登り始めるとすぐにハ見寺仮本堂への入口が脇にある。
【ハ見寺】(そうけんじ)
所在地・・・滋賀県近江八幡市(安土城跡内)
正式名称・・・遠景山 ハ見禪寺
宗派・寺格等・・・臨済宗妙心寺派
本尊・十一面観世音菩薩
天正年間に織田信長によって安土城内に創建された寺院。1854年に二王門と三重塔以外を焼失。現在の本堂(仮本堂)は徳川家康邸跡に建てられている(昭和4年に宮内庁から京都御所の一部を賜り、昭和8年に完成)。
安土城跡受付で特別拝観券を購入したので、仮本堂内部で参拝ができ、茶室で抹茶と菓子も御馳走になった。

ハ見寺 本堂(仮本堂)
茶室以外は内部撮影禁止。

ハ見寺 茶室
ハ見寺を出て、再度安土城跡を登る。急な階段で、杖が無ければちょっときつかったかもしれない。「城の防御面でこういう造りにするというのは充分分かるんだけど、・・・それでも、なんでこんな急な石段にするんだよ(怒)。」と心の中で織田信長に文句を言っていた。
二の丸跡には織田信長公本廟がある。

安土城跡 二の丸跡 織田信長公本廟

安土城跡 二の丸跡 織田信長公本廟 内部
1583年、羽柴秀吉によって建立。織田信長の太刀や烏帽子、直垂などの遺品を埋葬したとのこと。

安土城跡 天主跡

安土城跡 天主跡から望む琵琶湖
右ひじ部分を蚊に刺された。
下っている最中、石段で右足首をひねる。幸い、大事には至らなかった。
下っている最中強烈な腹部の違和感に悩まされる。安土城跡内はトイレが無いので、受付を出るまで我慢するしかなかった。

ハ見寺 三重塔
安土山中腹にある。1454年建立。

ハ見寺 二王門
受付に戻ると、御朱印帳を渡されたが、御朱印の見本を見ると「特別朱印」なるものがあった。訊ねたところ、「安土城跡オリジナルの御朱印帳を購入した人にのみ書いている」と言われ納得する。
10:33 安土城跡駐車場 戻り
車の中で、好きなロックバンド「BUCK-TICK」のメジャーデビュー35周年記念コンサート長野公演のチケットをスマートフォンを使って予約する(この日の9:30がチケット予約解禁だった)。
10:45 安土城跡駐車場 出発
多賀大社から少し離れたところで縁日をやっていた。
11:24 多賀大社近く 有料駐車場 到着
【多賀大社】(たがたいしゃ)
所在地・・・滋賀県犬上郡多賀町
社格等・・・式内社、近江国三之宮、旧官幣大社、別表神社
主祭神・・・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)
「お多賀さん」と呼ばれて親しまれる大社。縁起物のしゃもじが有名。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と言われる(伊勢神宮内宮の主祭神天照大神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子神)。

多賀大社 入口

多賀大社 太閤橋と御神門
太閤橋は渡ることが可能だが、足腰の弱い人には辛い。

多賀大社 拝殿
青空と木々の緑と社殿屋根の茶色と石畳の白が映える。
授与所で御朱印をいただく際、カウンターに誰かの忘れ物の御守が置かれていたので神職の方に渡す。
境内のそば処「寿命そば」で昼食。長寿海苔そばを食す。

多賀大社境内 そば処「寿命そば」 長寿海苔そば
関西だから薄味かと予想していたが、しっかり濃い目のつゆで美味しかった。

多賀大社 神輿庫

多賀大社 神輿庫内
左・御神輿(おみこし)
右・御鳳輦(ごほうれん)
境内を出て、鳥居前「多賀や」にて名物の糸切餅(2個140円)を店内で食す。

多賀や 店内 糸切餅
12:48 多賀大社近く 有料駐車場 出発
次の目的地「彦根城」へ。
彦根市内、大渋滞。
彦根城の駐車場はほとんど満車状態。一旦周囲を回って様子を見る。
13:24 彦根城京橋口有料駐車場 到着
入口でしばらく列を作って待ち、少し経ってから車を入れることができた。
【彦根城】(ひこねじょう)
所在地・・・滋賀県彦根市
築城・・・1622年
別名・・・金亀城
国宝五天守(姫路城、松本城、彦根城、犬山城、松江城)の一つ。彦根藩35万石、徳川幕府譜代大名筆頭井伊家の居城。ゆるキャラ「ひこにゃん」で有名。

彦根城 天秤櫓下

彦根城 太鼓門櫓
一部の櫓は内部見学可能だった。

彦根城 天守
知らずに来たが、今年で築城400年だった。
城内は観光客で混雑しており、天守内部に入るための行列はかなり長くなっていた。
行列に並んでいた時、僕の直前に外国人の男性と日本人の女性、その子供と思われる小さな男の子の3人組がいたが、男の子が大変美しい顔をしていて、別の観光客がざわめくほどだった。

彦根城 ゆるキャラ「ひこにゃん」
別に目当てだったわけではないが、天守の広場に人だかりができており、何だと思ったらちょうどひこにゃんの出現時間だった。
天守内部見学後、天守近くの売店で絵葉書や家紋ストラップを購入し、記念メダルを作製する。

彦根城 天守
天守を後にして下っていく。
黒門付近で、アルファードか何かの大きな車でバックするのに困っていた女性ドライバーがいたので、誘導してあげた。
彦根城内の庭園「玄宮園」は観ずにスルーしてしまったが、この玄宮園から観る天守も素晴らしいということを後で知った。痛恨・・・とまではいかないが、結構なミス。
15:32 彦根城京橋口有料駐車場 戻り
15:36 彦根城京橋口有料駐車場 出発
途中、かなりの渋滞にハマる。
次の目的地は長浜城だったが、急遽、営業終了時間が迫っていた「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館」へ行き先を変更する。
16:16 有料駐車場「タイムズ長浜黒壁スクエア前」 到着
徒歩で海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館へ。
【海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館】(かいようどうふぃぎゅあみゅーじあむくろかべ りゅうゆうかん)
所在地・・・滋賀県長浜市
フィギュア制作の老舗メーカー「海洋堂」のフィギュア博物館。
当初、ここに来る計画は立てていなかったが、この旅行をするにあたり購入した旅行雑誌の裏表紙にこのミュージアムが広告を載せていて、初めてその存在を知り、旅行計画に組み入れた。

海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館
まず初めにミュージアムショップでエヴァンゲリオングッズを購入。次いで奥のミュージアムに入る。受付でガチャ用のメダルを貰い、何種類かあるミュージアム入館者専用ガチャのうち、エヴァンゲリオンのガチャをやって缶バッジを貰う。
ミュージアム自体は時間をかけずサッと観て退出し、再度ミュージアムショップでエヴァンゲリオングッズを追加購入。
16:48 有料駐車場「タイムズ長浜黒壁スクエア前」 出発
この旅行の最終目的地「長浜城」へ。
16:57 長浜城近く 琵琶湖畔に一旦到着
しばらく周囲を車でうろつき、駐車場を探す。
17:06 長浜市 豊公園駐車場 到着
ここまでの総移動距離1470.5キロメートル。
【長浜城】(ながはまじょう)
所在地・・・滋賀県長浜市
築城・・・1573年
廃城・・・1615年(資材の大半は彦根城築城に流用)
現在の模擬天守・・・1983年再建
羽柴秀吉が築城した城の一つ。現在の模擬天守は犬山城や伏見城をモデルにしたもので、市立長浜城歴史博物館として運営されている。
豊公園から天守を一周する形で散策。猫が何匹も集まっている場所があり、取り囲むように人も集まっていた。
琵琶湖畔は夕日が綺麗で、家族連れやカップルで賑わっていた。

豊公園 琵琶湖畔

長浜城 模擬天守

長浜城 模擬天守・長浜城歴史博物館
長浜城歴史博物館には入らず。
東方に岩肌が見える目立つ山があり気になった。調べたところ、確証は持てないが「霊仙山」とかいう山がそれにあたるらしい。

豊公園から東の方に見える山(霊仙山?)
駐車場に戻ると、「1・2・3・4・アルソック」とALSOKのCMの歌を歌っている女性がいた。多分ALSOKの車が近くにあったからだと思うが、不思議な物を見るような目で見てしまった。
18:40 長浜市 豊公園駐車場 出発
ようやく帰路に就く。
長浜インターチェンジを目指すが、途中で「近江ちゃんぽん」と書かれた大きな看板が目につく。
18:55 ローソン長浜山階町店 到着
買い物。つまみや飲み物を購入。
19:07 ローソン長浜山階町店 出発
来た道を引き返し、先ほど見た「近江ちゃんぽん」の看板の店に行くことにする。
19:09 近江ちゃんぽん長浜店 到着
近江ちゃんぽん、肉汁餃子を注文。近江ちゃんぽんはあっさりしていて美味だった。

近江ちゃんぽん
19:38 近江ちゃんぽん長浜店 出発
19:41 長浜インターチェンジから高速道路に流入
20:11 養老サービスエリア 到着
外はかなりの強風。
桑名名物「安永餅」という看板が目に入り、「一度食べたらやめられない」という売り文句に心惹かれ食べてみようかと思ったが、売り切れだった。
羽二重餅の小パック1個、彦根銘菓(皇室献上菓)「埋れ木」6個入り1パックを購入。
フードコートで夜食。「飛騨牛うどん」なるものを食したが、玉ねぎ多めで肉少なめ。苦笑い。
車内で仮眠。
23:53 養老サービスエリア 出発
この日の教訓
・ 安土城跡は受付から先にトイレが無いので、必ずトイレは済ませておくこと(僕はトイレを済ませたにもかかわらずおなかが痛くなったが)。
・ 安土城跡の石段はかなりキツいので、貸し出し用の杖は借りた方がよい。
・ 多賀大社の名物「糸切餅」は美味しい。白い餅に綺麗な色の線が入っていて、見た目も美しい。
・ 彦根城の庭園「玄宮園」は天守を望む景色が素晴らしいらしいので、行っておくべき。
・ 近江ちゃんぽんは日本人好みの味で美味。
・ 帰宅後食べた彦根銘菓「埋れ木」は大変美味。取り寄せで定期購入を考えてもいいくらいである。
●9月25日(日)
(この日は帰るためだけに使っており、観光地や神社仏閣には立ち寄っていないため、写真はありません。)
00:57 恵那峡サービスエリア 到着
即、仮眠。
04:50 起床
05:00過ぎ 空が白み始める
05:15 恵那峡サービスエリア 出発
05:36 長野県入り
06:01 駒ケ岳サービスエリア 到着
フードコートで朝食。もつ煮定食を食す。ホッとする味。変な御当地名物よりもよっぽど美味しい。
06:34 駒ケ岳サービスエリア 出発
07:03 岡谷インターチェンジで高速道路を下りる
事情により、自宅近くの勤務統括拠点へ。
07:52 勤務統括拠点(現在自分が常時勤務している場所ではないが、小さな営業所をまとめている拠点) 到着
お土産を置いたり、仕事に必要な資材を受け取る。
08:19 勤務統括拠点 出発
08:30 自宅 到着
あとはひたすら休養。
この日の教訓
・ 最終日は帰るために使う&体力回復のために早めに寝るで大正解。
・ ドライブインやサービスエリアのフードコートでは、御当地名物よりも定番の定食の方が美味しい。
・・・と、こんな感じで今回の旅行は無事終わりました。
総移動距離、1769.1キロメートル。
車の燃料、残り4分の1。
収集した御朱印 95(神社34、寺院61)。
後日届いたETCの利用金額 28899円。
今回の旅行で予定していたが行けなかった場所(不可抗力で行けなかった場所)
・ 高野山 奥之院 一の橋〜御廟橋ルート
・ 玉置神社
・ 熊野本宮大社 末社 真名井社
・ 桑ノ木の滝
今回の旅行で見るのを忘れた場所
・ 高野山 壇上伽藍 西塔
・ 三井寺 三井の霊泉
旅行時は見る気が無かったが、後で「見ればよかった」と後悔した場所
・ 彦根城庭園 玄宮園
おそらく、今後の人生でもここまでの長い旅行を計画することは、そうそうないでしょう。
8泊、しかもその半分は車中泊というのは半端なく疲れます。しかも、台風が二つも直撃したのは大誤算。傘を差しながら歩き回って写真撮影するというのは思っている以上に体力を消耗します。
そもそも、行き先も今回は詰め込み過ぎました。21日の満月寺なんてギリギリでしたし、24日の海洋堂フィギュアミュージアムも長浜城と入れ替えなければアウトでした。
今考えれば、4泊5日で大阪・高野山・熊野三山、別の4泊5日で天橋立・琵琶湖周辺と分けて旅行しても良かったかも知れません。
まあ、人生の大きな目標の一つ「高野山へ行く」「熊野三山へ行く」「比叡山へ行く」がこれでクリアできてしまいましたから、達成感もひとしおです。
しかし、正直、四天王寺、高野山、熊野三山、比叡山は10年後、20年後とかにまた行きたいと思っています。また、玉置神社は今回行くことができなかったので、日を改めて行こうかと思っています。
もしかしたら、10年なんて言わず、数年内にどこかで6連休位取れれば「伊勢神宮、熊野三山、高野山の旅」を計画して、玉置神社再参拝、ということもあり得ます。
今年はまだ11月に新潟旅行を控えていますが、まあ、新潟は「定期的に第二の故郷へ帰省しているだけ」みたいな扱いなので「見知らぬ土地へ行く」という意味での旅行にはカウントしていません。
次の旅行先は、・・・本当のことを言えば東北(仙台・松島・平泉・山形・出羽三山)に行きたいのですが、今年から3年間は北に旅行に行くのは避けた方がいいという年回りらしいのですよ(新潟は北だけど帰省扱いなのでノーカウント(笑))。
一応、3年以内に行きたい旅行先候補としては、
3連休ならば福井県、又は愛知県(どちらも平成24年以来)
4連休ならば伊勢神宮のみ(平成28年以来)
5連休ならば厳島神社&出雲大社&松江城(平成25年以来)
3年以上先ならば、5連休以上で東北(仙台・松島・平泉・山形・出羽三山)
・・・といった感じですかね。
それと、今回、思い知らされたことがあります。
「行きたい所があるなら、体力があるうちに行け」
ということです。
今回、四天王寺、高野山、熊野那智大社(青岸渡寺、飛瀧神社含む)、成相寺、延暦寺、西教寺、園城寺(三井寺)、彦根城では広大な敷地を歩くのに体力を使いました。
神倉神社、安土城跡では、急な石段を目の前にして正直絶望に近いものがありました。10年後に来ていたら、もしかしたら登るのを諦めていたかもしれません。
「年を取ったら」、「時間ができたら」では間に合わない、「体力があるうちに」というのも考慮に入れなくてはいけないと、今回の旅行でまざまざと思い知らされました。
今回の旅行で得た教訓
・ 入浴すると、翌日に持ち越す疲労が段違いに減る。
・ 車で移動するなら、靴と傘は予備を持っていけ。
・ 御朱印帳はビニール袋で外を覆え(雨に濡れるとヤバい)。
・ カメラの充電池の予備は必要。
・ カメラマンベスト(またはタクティカルベスト)は旅行の最良の友。
・ 旅行もモチベーションを維持するのは大変。4泊くらいまでがちょうどいい。
・ 旅行先の神社仏閣ではお願い事をするな。「縁あって参拝させていただくことができました。ありがとうございます。」で充分。
・ 出発時間・到着時間などを詳細に記録するのは面倒だが、とても良い記録になる。
・ 旅行は体力のあるうちに行っておけ。
※ このページは令和4年11月5日にアップしました。旅行から帰って1カ月半経って、やっと最後のページをアップすることができましたが、今回の旅行に関しての旅行記は、もしかしたら今後折を見て写真を増やしたりする可能性がありますので御承知ください。