徒然なるままに 人物論           
     (寺田寅彦、ロザリンド・フランクリン、木村資生、太田朋子)

                         遠藤英實 作 0 はじめに 1 寺田寅彦 2 ロザリンド・フランクリン 3 分子進化論(木村資生、太田朋子) 4 終わりに 0 はじめに 寺田寅彦の名前は誰でも知っているけれど、単なる随筆家と思われているのではないか。 そして、ノーベル賞級の学者であったことは殆ど知られていない。 (これは漱石が自分の小説に、寺田寅彦を喜劇的に登場させているからではあるまいか?) そしてロザリンド・フランクリンが、寺田寅彦の研究成果を用いて DNA画像(20世紀この1枚!の画像) を世に残したことは全くと云って良い程知られていない。 ワトソン、クリック、もう一人、がノーベル賞を得たことは大抵の人が知っている。 フランクリンのDNA画像を簒奪して(2,3ページの論文らしい?)ノーベル賞を得たわけだ。 この時、フランクリンは亡くなっていた。(ガンで) 委員会は、フランクリンが亡くなったのを確認してから、 連中にノーベル賞を与えたのではなかろうか? つまり委員会も初めから“問題あり”と思っていたのだ。 新コロナのせいで外出できなかったので、読書をしていた。 中に、チェ・ゲバラの伝記もあった。 ゲバラは、実に開放的な性格だったらしい。 学生時代、南米、中米旅行をしたが、誰とでもすぐ友達になった(なれた)。 例えば旅の途中、共産主義者の乞食夫婦と知り合いになった。 夫婦にとっては希望のない死出の旅だったろうけれど、 それでもゲバラ(と友人)を友達と思ってくれたそうだ。 こういう経験が、彼を不屈の革命家にしたわけだ。 詮無き空想をしてみた。 フランクリンももう少し開放的で誰とでも友達になれる性格だったら、 種々情報を得て、また違った世界が開かれていたろうに! ノーベル賞メダルを競売に出すような輩(ワトソン)に侮られることもなかったのだ! 今さら私が繰り言を云ってもしょうがないけれど・・ 木村資生、太田朋子両先生の業績に触れる。 前段とは全く関係はないし、私も両先生の業績を何も知らない。 (知っているのは、中立説、ほぼ中立説 の用語だけ) ただ、数学を駆使している(ような)ので興味をひかれたのである。 1 寺田寅彦(1878年- 1935年) 夏目漱石は明治29年、四国の松山中学校から第五高等学校(現熊本大学)に赴任する。 つまり、松山中学にはたった1年しかいなかったわけだ。 (それにしては盛大に松山市の悪口を書いていたな!) そしてこの年、寺田寅彦は第五高等学校に入学するのである。 だから寺田は、少年時代から死ぬ迄文学に浸っていたわけだ。 とはいっても、単なる随筆家ではない。 東大に入って物理学を専攻し、正しくノーベル賞級の業績を挙げたのである。 寺田のこの業績「X線結晶解析」については例えば以下を参照されたし。 (私でも、その研究の雰囲気は分かる。) https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1994/37/11/37_11_949/_pdf 勿論、寺田は他にも多くの研究をしている。 ノーベル賞級であってもノーベル賞ではないのは、 他にブラッグ親子等も研究していたからである。 1914年はドイツのマックス・フォン・ラウエが、 1915年はイギリスの親子、ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグが、 「X線回折の研究」でノーベル賞を受賞した。 後者が、寺田とほぼ同じ研究だったらしい。 寺田の方が発表は早かったようだが、“数式表現が不十分”ということで受賞しなかったとのこと。 ただ当時、白人(就中、英仏独)の東洋人蔑視は凄まじかったから いずれにしろ受賞できなかったのではないか。 当時日本の大数学者(高木貞二博士?)がドイツに留学した頃、 ドイツの大数学者(名前は忘れた)が、ドイツ数学を自慢して “今や、ドイツには世界中から数学者が勉強にくる。  驚いたことに、日本人もやってきた。そのうち猿も来るだろう。” と云ったらしい。 なお、ブラッグ親子の親子喧嘩はノーベル賞史上有名だが、本稿には関係ないので省略。 そして、寺田も以後この分野の研究から完全に手を引いた。 勿論その後も種々物理学の研究はしたらしいが(その後、日本物理学会会長になっている)、 周りの期待する人々から見れば、“若干期待外れ”と映ったらしい。 また、漱石の『吾輩は猫である』に出てくる科学者 水島寒月や, 『三四郎』の野々宮宗八は、寺田をモデルにしている。 寺田崇拝者には、ふざけているようで気に食わないようだが、 確かに、私もそう思わないでもない。 寺田寅彦の人物切手がある。 私は最初、例えば文化勲章受章時の記念写真の一部かと思っていたが、違う。 三人のお嬢さん方に囲まれて草原で食事をしてご満悦の先生の、にやけた御尊顔である。 一人、屈強な若者も映っている。多分、荷物運び兼用心棒だろう。 先生とお嬢さん方はカメラの方を見ているが、若者は俯いている。 廻りから、“お前はアッチを向いていろ!”と云われたのだろう。気の毒だ!  写真は、例えば、「波紋と螺旋とフィボナッチ」 近藤滋 秀潤社 サイトにもある。 2 ロザリンド・フランクリン ロザリンド・フランクリンをテーマにした、云わば学問を巡る悲劇は 「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一 講談社 と各種サイトを参考にした。 福岡先生の著書は格段に面白い。 オズワルド・エイブリー (1877年- 1955年) カナダ生まれのアメリカ人の医学研究者。 1944年の「エイブリー、マクロード、マッカーティの実験)」で、 DNAこそが遺伝子の実体(=形質転換の原因物資)であることを示した。 それまでは、蛋白質こそが遺伝子の実体、生命の源と思われていて、 研究もその方向で進められていたから、これは画期的な成果であった。 福岡氏の著書では、同僚(同じ部屋?)が執拗にエイブリーを攻撃していたらしい。 この同僚、その後どうしたのだろう? エルヴィン・シャルガフ 1949年頃、「シャルガフ比」を発見した。 「生物の持つDNAにおいては,アデニンの数とチミンの数が等しく,シトシンの数とグアニンの数が等しい」 というものである。(後、もう一つの発見) この意味は後、素人にも分かるようになった。 もし彼が、フランクリンのDNA画像を見ていれば世紀の大発見をしたかも知れない。 或るサイトによれば、シャルガフはワトソン、クリックのあまりの無知ぶりに吃驚して “もっと勉強しろ!”と叱ったらしい。 ハーシーとチェイス 1952年、「ハーシー、チェイスの実験」によって DNAこそが遺伝子そのものであることを示した。 (エイブリーの研究は未だ間接的な証明であった。) とは云っても、エイブリーの研究によって世界の俊英は死に物狂いで DNAを追いかけ始めたたわけだ。そしてハーシー、チェイスも然り。 ロザリンド・フランクリン及び3人組(ワトソン、クリック、ウィルキンズ) ロザリンド・フランクリンは英国のユダヤ人。1920年- 1958年 1950年、ロンドン大学に研究職を得て、X線結晶学の研究をした。(<―寺田博士の理論) 1953年、DNAの二重らせん構造の解明につながるX線回折写真を撮影し、 その散乱パターンを数学的に解析した。 (福岡氏によれば、この時点でフランクリンのノーベル賞はすぐそこ迄!) 一方、ワトソンとクリックはその頃ケンブリッジ大学にいた。 福岡氏によれば、彼らのアプローチは演繹的だったらしい。 つまり(私に云わせれば)、口が先行するということだったらしい。 二人が模型を組み立てている写真を見たことがあるが、 最初から(つまりフランクリンの画像を見る前から)自分たちは構想を練っていた といいたいらしい。嘘だと思う。 あのフランクリンのDNA画像は単に、 「例えばテーブルの汚れを写真に撮る」といったような安直な写真ではなかろう。 フランクリンは、最初の汚れのような意味不明の画像を、 フーリエ解析等の凄まじい高等数学を駆使して、リファインしていったのではなかろうか? 命と引き換えに! 本人よりも、家族の無念察するに余りあり! もう一人の男、ウィルキンズはロンドン大学でフランクリンの役職上の上司であった。 ウィルキンズ自身はフランクリンの研究上の上司の積りでもあったが、 フランクリンは、彼の無能の故にそれを認めず悉く対立したらしい。 より詳しくは、福岡氏、或いは関連サイトを読んで欲しい。 そこで、無能のウィルキンズと実績0のワトソン、クリックとの3人敗者同盟が成立する。 (後、勝者同盟になった。 最後にみっともない結末を迎えた。) ワトソン、クリックはラッキーを超えてインチキだと思う。 フェミニストではなくても、彼らの手口を見れば“それはないだろう”と思うのだ。 マックス・ベルーツ ワトソン、クリックの受賞と同じ年に、ノーベル化学賞を受賞したベルーツも陰謀に加担したらしい。 つまり、こっそりクリックにフランクリンの資料をみせたらしい。 後に、“あの頃の私は未熟で事務手続きに無頓着だった。”だって!(<――福岡氏より) 良く云うよ!!自分の権益を侵されたら怒り狂うくせに! アン・セイヤー フランクリンの友人にして作家。 1975年にフランクリンの伝記 『ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光』 を書き、ワトソンらを窃盗者であると非難した。 批判が過激だったので、フェミニズムの本とされ、 ワトソンのフランクリンに対する中傷(ダーク・レデイ=暗い女)を撥ね返せなかったようだ。 彼女の著作は“贔屓の引き倒し”といわれそうだが、相当腹が立ったのだろうな・・ まとめ 優秀な研究者であっても生きていくことが不得手な女性を よってたかってペテンにかけて、その成果を簒奪し、 あまつさえ死後も(死後だったから)ダーク・レデイなどと罵るのは、 言語道断の所業にして、まさに鉄槌を下すべきであった。 実際ワトソンはその後経済的に破綻して、 メダルを売りに出すという情けない所業を人目に晒し、 正しく鉄槌を下されたのであった。(メダル売り出し第1号) 天網恢恢疎にして漏らさず もっとも、ワトソンはその後中国に安住の地を得たらしい。 中国も、全くなりふりを構わないからなぁ〜 それにしても、日本の野党が中国(の独裁者)を批判しないのはどういうわけだ? 桜だの忖度だので、延々と税金を食い潰してきた。 今度は、日本学術会議の問題 だって!!!! 大体、私は(多分多くの国民も)、学者とやらにそんな権利を与えた積りはないのである。 誰がどういうプロセスを経て選ばれ、何をやっているのかなんぞ、私は知らない。 勝手に好きなことをやっていれば良いではないか!税金も権限も使わないで! 何たらの署名活動をしていた(インチキ論文の)某教授がいたけれど、 彼も今また、学問の自由!を、呼号しているのだろうな! 世も末だ! クリックも後、メダルを売りに出してその金をどこかに寄付したらしい。 やはりクリックには、心に曇りのあるメダルだったのだろう。 そもそも貰わなければ良かった?? 3 分子進化論(木村資生、太田朋子) 前回、進化生物学関連の勉強で、 木村資生、太田朋子両先生が登場した。 難しい高等数学を駆使しているようだったが、ちっとも分からないので改めて勉強した。 (というわけで、数学のところだけ紹介。) 参考文献は以下。 @「生物進化を考える」 木村資生 岩波新書 A「分子進化のほぼ中立説」 太田朋子 講談社 B「遺伝子進化と確率過程」太田朋子 国立遺伝学研究所 「中立説」、「ほぼ中立説」等の一般論は、@、Aを読んで貰うとして ここではお二人の拡散モデルについて勉強する。 @を読むと、フィッシャー、ホールディン、ライトの後を受けて勉強したとなっている。 (フィッシャーは古典的な統計学の基礎を築いた人物として、私も知っていたが、 拡散モデルも研究していたとは知らなかった。 拡散モデルを研究していたのは他に、確率論の大物コルモゴロフとかフェラーもいるが、 両グループはどういう関係だったのだろう?) フィッシャー、ライトの研究を踏まえて、お二人は、拡散モデルの理論を発展させたという。 Bを読むと、両先生は拡散モデルの、コルモゴロフの後ろ向き偏微分方程式を使っている。 (Bの式は本サイトでは表示しにくいので、直接Bの(3)式を参照のこと。) この式から、究極的固定確率(即ち有限集団中に突然変異遺伝子が固定する確率)は、 2階の常微分方程式(<――Bの(4)式を参照のこと)を満足する(らしい)。 そして解 Bの(5)式を導いている。  (Bの(5)式の後段、Vδx、Mdeltaxとは何ぞや?) 小生、雰囲気は漠然とは理解できるが、何といっても進化生物学の素養がないから 隔靴掻痒の心地がする。 例えば、 Nsとは何ぞや?N*sの意味か? sとは何ぞや? 自然淘汰にsだけ有利とは何ぞや?? sは淘汰係数??? この計算から両氏は、例えば サメ、コイ、イモリ、カンガルー、ウマ、ヒトについて ヘモグロビンαの分子進化の速度を計算している。 つまり、分子時計を計算したのである。 表現型(=見た目)では全く違っているが、分子時計は同じという結論が 廻りにインパクトを与えたらしい。 以後も論文は続くが、疲労困憊なので勉強は中止。 (前段の解説も自信なし!) それにしても、ご両所は 京都大学理学部植物学科、東京大学農学部出身で、数学科絡みではない。 何がお二人をして、この難解な挑戦に駆り立てたのだろうか? 数学上の問題なら、幾ら難問であろうと所詮遊びである。 例えば、ポアンカレー予想で、“ロケットで宇宙に飛び出せば云々”という“解説”があるが もともとこれは、ポアンカレー等が構築した位相幾何学上の難問であり、 位相幾何学は勿論、厳密に定義、定理で組み立てられている。 だから、ポアンカレー予想が解決されたとて、それはロジック上の解決であり、 現実世界の宇宙開発には何の役にも立たないと思う。 リーマン予想とても同じ。 「リーマン予想が肯定的に解決されれば、素数の構造が分かり、従って今の暗号理論は ドラスティックに崩壊する」 なる解説があるが全くの嘘。 リーマン予想は、天才リーマンの思想の産物であり、リーマンは暗号理論なんぞ考えていなかった (と私は思う)。 しかし、木村、太田両先生の研究は数学と違って、空理空論ではなかろうと思う。 だから数学の天才連とは違った苦闘があったに違いない。 それにしても植物学者が、どうしてコルモゴロフの偏微分方程式を勉強したのだ!!! 両氏の研究は、 もっと大昔(生命の起源が海に漂いだした40億年前?)の研究は無理だろう。 また、「鶏が先か、卵が先か?」の現時点の研究も無理だろう。 その他諸々の制約のもとで、困難を乗り越えライバルと闘ってきたのは大層凄いと思う。 そう云えば、木村先生は、著書で今西錦司氏を批判していた。論外という調子で!! (今西氏にしたって、威張らずに学説を淡々と披露していれば それなりに面白いと私には思えるのだが・・ 可児藤吉先生だって研究していた。) 今西氏はさぞや威張り腐っていたのだろうなぁ! ご両所は文化勲章を授与されている。 多分、外国の著名な学者、団体が評価したからではないか? 日本人は、今も昔も、そして老いも若きも外国に弱いのである。 4 終わりに 福岡先生の著書はいろいろ拝読しているが、いつも分かりやすい。 先生はダーウィン的旅行を目論んでいると何かに書かれていた。 ダーウィンみたいにシャーガス病に罹らないで、 面白い紀行文を書いて下さい。 ティータイム(その1) 「不思議なシマヘビの物語 (野川で出会った“お島”)」
ティータイム(その2) 「ミノムシ 《皇居外苑北の丸公園の蓑虫》」
ティータイム(その3) 「ゴイシシジミ賛歌」
ティータイム(その4) 「空飛ぶルビー、紅小灰蝶(ベニシジミ)」
ティータイム(その5) 「ヒメウラナミジャノメの半生(写真集)」
ティータイム(その6) 「蝶の占有行動と関連話題」
ティータイム(その7) 「ヒメアカタテハの占有行動」
ティータイム(その8) 「オオウラギンヒョウモン考」
ティータイム(その9) 「ヒメウラナミジャノメの謎」
ティータイム(その10) 「コムラサキ賛歌」
ティータイム(その11) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ」
ティータイム(その12) 「”お島”ふたたび」
ティータイム(その13) 「オオウラギンヒョウモン考(再び)」
ティータイム(その14) 「謎の蝶 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その15) 「我が隣人 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その16) 「オオウラギンヒョウモン考(三たび)」
ティータイム(その17) 「姿を顕さない凡種、クロヒカゲ」
ティータイム(その18) 「微かに姿を顕したクロヒカゲ」
ティータイム(その19) 「不可解な普通種 ヒメジャノメ」
ティータイム(その20) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ ― 蝶の知的生活―」
ティータイム(その21) 「オオルリシジミを勉強する」
ティータイム(その22) 「集結時期のヒメアカタテハを総括する」
ティータイム(その23) 「毒蛇列伝」
ティータイム(その24) 「東京ヘビ紀行(付記 お島追想)」
ティータイム(その25) 「ヒメアカタテハやクロヒカゲの占有行動は交尾の為ではない(序でに、蝶界への疑問)」
ティータイム(その26) 「ヒメアカタテハの越冬と発生回数」
ティータイム(その27) 「鳩山邦夫さんの『環境党宣言』を読む」
ティータイム(その28) 「蝶の山登り」
ティータイム(その29) 「蝶の交尾を考える」
ティータイム(その30) 「今年(2019年)のヒメアカタテハ」
ティータイム(その31) 「今年(2019年)のクロヒカゲ」
ティータイム(その32) 「蝶、稀種と凡種と台風と」
ティータイム(その33) 「ルリタテハとクロヒカゲ」
ティータイム(その34) 「ヒメアカタテハ、台風で分かったこと」
ティータイム(その35) 「「蝶道」を勉強する」
ティータイム(その36) 「「蝶道」を勉強する 続き」
ティータイム(その37) 「ミツバチを勉強する」
ティータイム(その38) 「「蝶道」を勉強する  続き其の2」
ティータイム(その39) 「里山の蝶」
ティータイム(その40) 「岩手の蝶 ≒ 里山の蝶か?」
ティータイム(その41) 「遺伝子解析、進化生物学etc」
ティータイム(その42) 「今年(2020年)の報告」

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