鳩山邦夫さんの「環境党宣言」を読む
        ― 生き急ぐ ということ ―
                        遠藤英實 作 0 初めに 1 「環境党宣言」とは 2 蝶愛好家としての読後感  @ 昔の採集地  A 今の採集地  B あらためて、蝶を追いかけてみた  C 展望(或いは総括)  D 問題点 3 一般的読者としての読後感  @ 佐藤栄作さんのこと  A 殺虫剤・環境ホルモン  B エントロピー 4 終わりに 0 初めに 「生き急ぐ」という言葉がある。 その意味は、 「リーダーシップを執って、人よりも先へ先へと進み  そして旅立つこと」 である。 感銘を受けるけれど、そのために人よりも早く死んではなるまい。 一層長生きして貰わなければならぬ。 鳩山さんが亡くなったニュースを聞いて不思議に思った。 あんなに元気そうだったのに? 自己流の健康法に拘った とか 体調を崩しても医者の云う事をきかなかった とか 無責任な噂が流れた。 著書2冊を読んだ。   環境党宣言     河出書房新社   チョウを飼う日々  講談社 著書「環境党宣言」には、将来同志が集まって結党した時の 鳩山さんの決意表明が述べられている。 これを読んで、何となく分かったような気がした。 鳩山さんは生き急いだのである。 1 「環境党宣言」とは 読んで理解する分には決して難しくない。 しかし、これを自らの問題として或いは自らに課せられた使命として読むと 気が遠くなる程に難解であることを実感する。   テーマを絞れば良かったのに!   同志が集まっているのなら分担すれば良かったのに! と思うが、 鳩山さんの性格から、それは取らざるところだったのだろう。 「チョウを飼う日々」での鳩山さんの仕事ぶりを思うと そういう気がしてくるのだ。 著書について、思いつくままの感想を述べる。 先ず、50億年前の地球誕生から、生命の誕生・変遷、人類の登場を綴っている。 物理法則によれば、いずれにしろ30億年後には地球は消滅するらしい。 つまり地球にとって人間などは、取るに足らない存在なわけだ。 それでいて、“地球に優しい”なる標語が乱発されている。 下心が透けて見えて、鳩山さんは腹を立てている。 その言葉の重みと使う人間の軽薄さとのアンバランスに我慢がならなかったようだ。 (これは、後段の人物評価でも述べる。) 昔は、人間はそのような生意気なことは云わず、  W人間は人間にとっての住みやすい環境を作っていけば良い” と云うわけで、ずっと人間の独り勝ち路線を追求してきた。 それにしても、本当に「独り勝ち」であった。 例えば(私の感慨だが)、  ・アフリカのヌーは、   (多分)何十万年もアフリカを大移動してきたが、   遂に橋を作ることは出来なかった。   それに反し、人間は“叡智”によって   橋どころか月へも行けるようになった。  ・サファリパークで虎が焼肉を与えられて、   銜えながら狂ったように走り回っている映像を見たことがある。   彼らにも想像を絶する程に旨いのである。   それでも、今に至る迄火を利用出来なかった。   火の利用は多分人間だけだろう。  ・年をとって不器用になった。それでも手は何とか使える。   手を使えない不便さは想像を絶する。   二足歩行の有難さを実感する。 ところが独り勝ちは永続しない。 それどころか、あらゆる生物を道連れにしての滅びの道を突き進んでいることに 人間はようやく気がつき始めた。しかも、益々速度を上げて・・ 然らば、人間は一致団結してこの難局を乗り越えられるか? 各国の利害、日本国内の利害が対立して 絶望的な程に難しいのは、日々のニュースでもすぐ分かる。 政治的課題としては、鳩山さんは   ・炭素税導入   ・日本のODAの使途の明確化   ・殺虫剤・環境ホルモン、要するに毒物の規制   ・農林漁業の再生   ・緑・水の保全、   ・エコファンドの創設 等を挙げている。 しかし、これらはどれも超難題である。 国内にあっては、“総論賛成、各論反対”、 国外に目を向けると、“他国にやらせる、自国はやらない”、 鳩山さんは、 これら難問を自らの問題としてひたすら考え抜き、実践しようとし、 その結果命を縮めたのだと思う。 「生き急ぐ」という表現を用いた所以である。 2 蝶愛好家としての読後感 鳩山さんと私では、蝶愛好家以外の共通点は全くないので、 先ずそれに関連する話題に触れてみたい。 @ 昔の採集地 子どもの頃の私の採集地であった山田線沿線を回顧する。 盛岡市と三陸海岸の宮古・釜石とを結ぶ線が山田線である。 沿線に沿って田畑が連なり、近く或いは遠く離れた森林へと繋がっていく。 つまり、     里 :人々の住まい、田畑     山 ;森林     里山:その間の緑地(=自然環境に包まれた生活の場) というのが、私の素朴なイメージである。 蝶の好適地と云えば、普通はこの里山であり人口に膾炙されているが 山も重要である。ここでは山について記す。 山といっても、深山幽谷ではない。手近な所にある森である。 森は、頻繁に出入りする場所ではないが、 それでも山菜採りや薪採りに人々は出入りしていた。 それによって、山道は確保・保全される。 重要なのは、林業である。 材木の管理・搬出などで山は大がかりに手入れされる。 蝶屋にとって有難いのは、山道の確保・保全もさることながら 大がかりな作業によって、山の各所に日光が入ることである。 この日光が、里山の蝶も呼び寄せる。    ・緑は深ければ深い程良い。    ・日光は、燦燦と降り注げば降り注ぐ程良い。    ・広ければ広い程、蝶は自由に飛び回れる。    ・風は穏やかであれば良い。 これが私の子どもの頃の採集地の姿であった。 だから、汽車に乗り、気が向いた駅で降りて採集したのである。 楽しかった!! A 今の採集地 然らば今はどうか? 山田線は今もあるけれど、途中の駅は殆ど止まらないのである。 午前、午後、1本位の無人駅なのである。 乗客の弁によれば、  “途中は、もはや人間の住処ではない” だって!! それでは、蝶に自然を返したのだから、 蝶は、我が世の春を謳歌しているか? 全く違う。 汽車の代わりに車が四六時中、砂埃や排気ガスを撒き散らしそれらは里山や森を覆う。 人間の私でさえ二度と足を踏み入れたくないのだから 況や 蝶に於いておや。 里山や森の手入れをしないから、藪で覆われ巨木が林立しひたすら暗い。 クヌギやハンノキも巨木になれば蝶には(多分)無用の長物で、 林業が不振だから、スギ、ヒノキも手入れされずひたすら巨木になる。 ニセアカシアの巨木が延々と連なっているのを見ると涙がでてくる。 というわけで、蝶の未来は明るくない。 どころか、死屍累々か! 車の問題について、鳩山さんは意見を述べている。 ドイツを参考にしたアウトバーン化、トンネル化の推進である。 確かに砂埃や排気ガスは減るであろうが、 あのドイツが、我々が思い浮かべる里山の復活に共感を示すであろうか? ひたすら戦争に明けくれてきたヨーロッパ(ドイツも)にとって 里山の復活など慮外の果てではなかろうか? そもそも、ドイツに里山的自然はあったのか?あるのか? やはり日本は、日本流でやった方良いと思う。 B あらためて、蝶を追いかけてみた お盆には盛岡に帰省する。帰省すると森に入って歩き回る。 (里山は排気ガスまみれになるから敬遠する。) 森は大抵ヒカゲチョウ類のみで、大したものはいない。 ところが或る日、思いがけない(望外の)発見をした。 林道沿いに小屋と空き地1ヶ所(多分旧養蜂場)、菜園3か所が固まって位置していた。 (もうその時点では全て放棄されていたけれど) 周囲を回るだけなら5分もかからない極狭い範囲だった。 廻りは高木と藪の鬱蒼とした森だが、そこだけは緑が広がっている。 林道の東側は崖で、そこから日光が燦燦と降り注ぐ。 風も穏やかである。 菜園は高木のない場所を選んでいたようだ。 それでも、チェーンソーで伐採された切株が幾つかあった。 プロに頼んだのか、自作業かは分からない。 そこには、蝶が集まっていたのである。 菜園の野菜類にではない。広々とした周囲の空間に集まっていたのである。 まとめてみると、         同じ時期に、もう少し探索範囲を拡げると更に    なお5月、一度帰省したことがある。その時は     結局、僅かな期間と極狭いエリアで計54種を確認したことになる。   上記は、2011〜2016年の記録である。 上記の家庭菜園は、2011年には後継者がいないので既に放棄されていたらしい。 要するにそれまで、年寄りが暇つぶしにやっていたわけだ。 少しずつヤブ化し、2015年には殆どヤブになってしまった。 その頃は、蝶は林道に沿って僅かに飛んでいるだけだった。 なお、盛岡市の隣に滝沢村がある。 チョウセンアカシジミの産地として或いは蝶の多産地として全国に知られている。 滝沢村では、2006年に102種が報告されている。 私のこの狭いエリアで1年かけて探索すると、 シジミチョウやタテハチョウが増えて70〜80種に達したかも知れない。  C 展望(或いは総括) この一帯の蝶は滅びつつある(或いは滅びた)と思っていたけれど、 そうでもないことが分かった。とは云っても油断は出来ぬ。 滅びの前の一瞬の閃光かも知れないのだ。 というのも、私は大分以前別の場所で、ヒメシロチョウの大乱舞を目撃したことがある。 蝶などには全く関心がなさそうな住人達も吃驚していた。 それでもこの光景は、ヒメシロチョウの最後の輝きであったようだ。 その後何年か経ってこの場所に行ったが、全くいなかった。 そして、近隣にも・・ 今やれることを考えた。 広大な森(緑の魔境)の中に“光のオアシス”を作ることである。 前述の家庭菜園のような環境を、 全国各地に(なるべくならもっと広い面積で)作ることである。 これなら金も手間もそれ程掛からない筈だ。 (爺さん、婆さんが暇つぶしにやって、これ程の蝶を集めたのだから!) 日本の総面積は約37万7923平方km、ゴルフ場はその0.7% というデータがある。吃驚した。 ゴルフ場が、里山を全部潰してしまったのか! そして、ゴルファーは厚かましいことを云う。 「ゴルフ場の芝生は環境保全に役立っている。」だって!! 鳩山さんもゴルフを辞めたが、更に 環境保全税を、ゴルフ場のオーナーや利用者から取り立てる法律を作って欲しかった。 もっとも、これはこれで難しいらしい。 「ゴルフ場は、大規模災害時の被災者の集結場所になる」 と反論されるのだそうだ。あぁ云えばこう云う! それなら単純に、ゴルフ場の半分を自然に返す運動はどうだろう? 鳩山さんの著書にもあるが、四大文明は今では完全な砂漠地帯になっている。 徹底的に緑と土を虐待したからだ。 そう云えばギリシャ文化の源、パルテノン神殿付近も今は砂漠、 私は子どもの頃、文明は砂漠から生まれたと思っていたけれど。 これは逆、人間は緑豊かな土地に住み着いて そこを徹底的に収奪した結果だった。 “だから、歴史に思いを致し、環境保全税を!”と云いたいのである。 D 問題点 然らばこのような、 「緑の魔境に“光のオアシス”を刻印していく仕事」 は誰がするのか? 鳩山さんに指揮して貰いたかった。 「チョウを飼う日々」に登場する猛者連と林業関係者と役人を糾合して!! これは規模にもよるけれど、それ程難事業ではないような気がする。 とは云っても、  昔を今に為すよしもがな・・ また、別の問題もある。 即ち、光のオアシスを刻印すれば蝶は安泰か? そうではないような気がする。 例えば(私の経験の範囲では)、 ヒメシロチョウ、ゴマシジミ、クロシジミ、ヒョウモンチョウ、キマダラモドキ、 チャマダラセセリ、ホシチャバネセセリ、そしてオオムラサキ これらは、 “光のオアシスの刻印” では復活しないような気がする。 理屈ではなく、野山を散策してきた者の雰囲気レベルの印象である。 例えばオオムラサキを取り上げてみる。 私が今盛岡市で追跡しているわけではないが、 盛岡の通によれば、めっきり減っているらしい。 「殆どいなくなった。極まれに樹上高く黒い大きな影を見かけるけれど、  あれはオオムラサキかも知れない。」 東京でも盛岡でも、エノキは至るところ生えている。 東京で良く散歩する道端の、高さ1m位の樹に、アカボシゴマダラが産卵していた。 初めてエノキであることに気がついた。 かくの如くエノキは、東京でも盛岡でもあちこちに生えているのである。 然らば、エノキが生えていればオオムラサキは発生するか? どうも、そうではないのである。余程気難しい蝶であるらしい。 サイト http://kawaguchitengou.sakura.ne.jp/oomura.htmでは、 4,5mのエノキへの産卵例を紹介している。 エノキというと巨木をイメージするが、それには産卵しないようだ。 このサイトでは、アカボシゴマダラとの共生の記事が面白い。 サイト https://www.sankei.com/west/news/140803/wst1408030027-n1.html     https://imidas.jp/satoyama/?article_id=l-77-014-18-08-g686 も、著者らの飼育を楽しんでいる様子が良く分かる。 幼虫は乾燥に弱いとある。 都市部はどんどん乾燥しているらしいから、都市部で減っているのはそれも原因か? 嘗て皇居にオオムラサキを放したことがあるらしい。 すぐに姿を消したそうだ。 彼らはダイナミックに飛び回りたいのだ。 何とかしてあちこちに復活させたいものだ。 そして、ヒメシロチョウにも郷愁を感ずる。 そこで対策。 広大な蝶公園を作る。 (例えば、トキに於ける佐渡島のような。) そこに、難しい蝶を集める。 そしてこの費用の為に、エコファンドを作り、鳩山さんに指揮して貰う。 腕に覚えの猛者連が集まって来ただろうに。 残念だ。 3 一般的読者としての読後感 蝶以外についての感想を述べる。 @ 佐藤栄作さんのこと 鳩山さんは、佐藤栄作首相を尊敬しておられた。 即ち、 「一気に環境関連の法整備が進んだのは、佐藤首相が本気で公害対策に取り組んだから」 これを読んで多くの人は首を傾げたのではなかろうか? 「あの財界の代弁者が!」と。 私は、或る山小屋の主人の思い出話を読んだことがある。  主人の父親は大石武一さんと親交があった。  大石さんは初代の環境庁長官である。  (成り手がなくて初代は代理だったから、大石さんが実質初代である。)  硬骨漢の大石さんは佐藤首相に、最初、啖呵を切ったそうだ。  「やれと云われればやりますが、その代わり自由にやらせてもらいますよ!」  てっきり 「出ていけ!」  と怒鳴られるのかと思ったら、  佐藤首相は  「君の好きなようにやり給え!」  と云って、プイと横を向いたそうだ。  「話は済んだ。出ていけ!」ということだ。  実際大石さんは、(当時で出来る最大限)好きなようにやったらしい。  財界や通産省が音を上げて佐藤首相に直訴すると、  「大石君と良く話し合いたまえ!」といって、プイと横を向いたそうだ。  大石さんは、「あの人こそ宰相だ!」と絶賛していたらしい。 佐藤首相がノーベル平和賞を受賞した時も不評だった。 「あの戦争屋が!」と。 私もそう思っていたけれど、或る知り合いの役人に説教された。   欧米人の感覚では、   「戦争で取られた物は戦争で取り返す」   「相手を見張っていて、弱った頃に恫喝・脅迫で取り返す」   「お互い嘘八百の交渉を繰り返し、手練手管で取り返す。(大抵は失敗するが)」   が普通であるらしい。   この欧米人の感覚が、即ち歴史を動かしてきたルールであったわけだ。   だから、戦争に負けて取られた物を交渉(=外交)で取り戻したことに   彼らは感銘を受けたのである(もっとも、この考えは、元々吉田茂さん由来らしいが。)   その日本国の代表として、佐藤首相が受賞したわけだ。   「あんたも少しは歴史を勉強しなさいよ!」   と笑われた。 鳩山さんも勿論、 佐藤首相のこういう政治的手腕をじっと観察していたのだと思う。 鳩山さんは、小泉首相はあまり評価していなかったようだ。 彼の云う「改革の痛み」の後に何がくるのか? そう云えば、最近の「原発零発言」でも、小泉氏の主張は、  ・郵政や道路公団の民営化は不可能だと皆云っていたが、俺はやった。  ・戦後零から此処まできた日本人は、やれば出来る! だけ。 ロゴスだけも困るけれど、パトスだけも困るのではなかろうか? 少なくとも、鳩山さんの取らざる所だったと思う。 A 殺虫剤・環境ホルモン 本二冊「沈黙の春」「奪われし未来」が取り上げられている。 (私も前者は流石にずっと以前に読んでいた。) 「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンは農場主の娘で、後、経済的に困窮したらしい。 経歴は、生物学の学徒―>役人―>ジャーナリスト・作家だが、 子どもの頃から作家になりたかったらしく、 流石に文章は華麗で、カーソン以外の人が同じ“研究発表”をしても、 これ程世間の耳目を集めなかったのではないか。 (もっとも、私が読んだのは日本語訳ではあるが。) 1964年、癌にて死去、享年57歳。 (何となく、ロザリンド・フランクリンを連想するが、  フランクリンは無念の死、カーソンの死はどう考えたら良いのだろう?) 著者カーソンの、子どもの頃の農場での体験(=生き物との触れ合い)が、 この本のベースであるらしい。 私も虫屋だったから、生き物との触れ合いは多かったけれど。 どういうわけか負の思い出の方が強かった。 蚊、ブユ、ヌカカ(酷かった)、アブ、ヒル(山、池)、虱 山小屋に入ると、無数のノミがピョンピョンと跳んできて襲い掛かった。 また、(私自身の経験ではないが)ヨーロッパの戦争では、 捕虜一人に1万匹以上の虱がたかっていたという記事を読んだことがある。 あのノミの群れを思い出した。 60、70年前、廻りは一面田んぼだった。 イナゴやウンカが稲の大害虫で、農家の人は 「半分以上、奴らに喰われる!」 と怒っていた。 私はしょっちゅうイナゴを大量に取って来ては、飼っていた鶏に食べさせていた。 “当時は人間の貴重な蛋白源”などと、今、本には書かれているが、 (ほんの偶には私も食べたけれど)ウンザリしていたから、あんなもの本当は喰う気もしなかった。 鶏の方が貴重な蛋白源だったのである。 私もDDTを頭や背中に掛けられて、あのヒンヤリ感は心地良かったとさえ思っていた。 1962年、「沈黙の春」(Silent Spring)は上梓された。 化学物質による環境汚染の重大性に関して最初に警告を発した本である。 日本はと云えば、例えば  ・1956年  熊本水俣病が知れ渡る  ・1960年代〜1970年代前半 例えば、静岡県富士市田子の浦港でのヘドロ公害              (ついでに大昭和製紙の社長がゴッホを買って云々、               世界中の物笑いになった・・)  ・1960年代後半、水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそくといった四大公害訴訟  ・1970年代の公害国会  ・1990年代 環境基本法 環境アセスメント法 と続くが、 後半の日本や世界の動きは、カーソンの「沈黙の春」が嚆矢となったのである。 (意外にも日本は、DDTに関しては世界の中でも先陣を切って、   1969年に稲作への使用禁止、   1971年には全面的な販売停止、 とした。) 私の場合は、1980年代に前述の蝶群が姿を消し始めたことに気づいて、 やっと「沈黙の春」を読んだのである。 (何か具体的な契機がなければ何も感じないというのは、我ながら情けない。) 一般にこのようなスケールの大きい問題に関して論争する場合、必ず  ・被害の程度(毒性の程度、即効性か遅効性か )  ・被害の範囲(時間的、空間的)  ・功罪半ばする場合の対処法(例えばDDTは、環境は汚染するがハマダラカの駆除には役立つ)  ・使用法の限定の仕方(使用する時期・場所) 斯くの如き問題で激論が展開される。 例えば、DDTの場合、 化学・薬品メーカーは、学者、政治家を動員して 「マラリアによる死者に対して、カーソンは責任がある。」 と反撃し、カーソンも苦しかったらしい。 が、学問的誠実さ、粘り強さ、文章能力で戦い抜いたわけだ。 こういう大企業・大組織のやり口に対しては、懲罰的損害賠償という対抗策があるが、 日本では認められていない。 (認められていたら、今度は変な訴訟が乱発されるのだろうか?それはそれで嫌だ。) 「奪われし未来」を買った。 初端に、元米副大統領アル・ゴアの序文を持ち出しているので嫌になった。 どう見てもこの男は、環境ビジネスのタフなセールスマンなのである。 口が達者、筆も達者(もっとも、自分で書いているのかな?)、金への嗅覚も達者、 ウェブサイトには、彼が大金持ちなっていく過程が書かれている。 大金持ちになるには、環境を盛大に汚染しなければならないのは 今や子どもでも分かっているではないか!!! 自分の家で盛大に電気を使用しているのを攻撃されて “我が家の電気は、クリーンエネルギーだ。専門家の団体も保証してくれている。” だって! カーソンとは大違いなのである。 結局、本の中身は全く読まなかった。 (本の中身に責任があるわけではないが、ゴアを引っ張り出したのは、いかにも志が低い。) B エントロピー 環境党宣言に、或る学者の「エントロピー=汚染」というフレーズが紹介されている。 このフレーズには、私は疑義がある。 まだ分子・原子の概念も明確ではなかった時代に、熱力学、統計力学の基礎を固め されど当時にあっては衆寡敵せず、自殺によりこの世から姿を消していった ボルツマンの悲劇・偉業が、これでは全く分からないではないか。 ボルツマンの業績(の一部を)簡単に云えば、   熱の発生・移動を分子・原子・電子レベルで捉え、   個々の分子・原子・電子レベルでは多すぎて追跡のしようもないから、   マクロな統計事象として捉えた ということらしい。(中身はちっともわからないけれど雰囲気レベルでは多少は分かる。) これに、当時の学界保守派が?みついた。 「物理現象は可逆でなければならない。  一部を加熱しても断熱化の状態では、やがて全体は均一になっていくのなら  全体均一の状態から、やがて一部が熱くなっていく現象も観察されねばならぬ。  見せてくれ!」 ボルツマン(他の学者も)は、奮戦したけれど やがて自らこの世から姿を消したわけだ。 勿論ボルツマンは、今では物理学界の巨星である。 然らば、シャノンの「情報理論」におけるエントロピーの導入は何故か? これには諸説あって、例えば、    a 偶々自分の理論(情報理論)に便利だったから。     (状態の数が多く、その確率も等しくなっていけばエントロピーも増大する。)    b 当時から自分の理論の方が、統計力学よりも深い理論であると思っていたから。    c フォン・ノイマンがコーチしてくれたから。     (もっとも、フォン・ノイマンの関与をシャノンは否定していたらしい。) どうも、本当のところは誰も分からないのではないか? 然らば後世は何故、ゴミ問題にシャノン流を適用しようとしたか? 私の考えを述べると、    d 人間は、個々のゴミを管理出来なくなった(再生も転用も殆ど出来なくなった)    e 自然界もゴミを吸収出来なくなった。      昔のように、人間が自然を簡単に利用しているのではない。      天才連が知恵(悪知恵か)の限りを尽くして絞り出した結果がゴミとなって現れるのである。    f だから放置せざるを得ず、種類・量・悪質さは増える一方である。 ということではなかろうか? そして、f がエントロピーにマッチするというだけで、 それ以上の意味は無いのではないか? エントロピーという概念を用いたとて、 新しい地平が切り開かれるというわけではないし、 ましてや、ボルツマンがゴミ問題を研究したわけでもない。 むしろこういう論調では、エントロピー=厄介者のイメージが定着してしまう。 まるで、ボルツマンに責任があるようなニュアンスで語られるのは残念なことである。    4 終わりに 日本の里山復活運動の先頭に立って活躍すれば、 鳩山さんの方が(ゴア氏よりはずっと)ノーベル平和賞にふさわしいと思う。    (とは云っても前述のように、     “ノーベル平和賞がとてつもなく立派な賞かどうか?”は、大いに疑問と思うようになった。     平和賞や文学賞は廃止して、“三つだけにすれば良いのに”とさえ思っている。     実際、経済学賞は本来のノーベル賞ではない。ノーベルの子孫が認めないらしい。     ついでに、平和賞や文学賞も廃止したらどうだろう?) 鳩山さんは、高級官僚を批判している。 (鳩山さん達の運動を阻害する連中、理解出来ない連中として。) 実際その通りではあろうけれど、中には立派な官僚もおられたと思う。 高島俊男さんという文筆家・学者が書いておられた。 以下は環境問題とは関係がない。清廉・剛毅な官僚の例である。 (つまり、金・ポストに執着する役人ばかりではないということだ。) 高島俊男さんは、学生時代、高島益郎家に下宿していた。 同じ「高島」でも親戚でも何でもない。偶然である。 どこかの役人と聞いていたけれど、詳しいことは分からない。 とにかく清廉を絵に描いたような人であった。 多分、俊男さんの下宿代を生活の足しにしていたのではなかろうか? ところが、後年、外務省条約局長として 日中国交正常化交渉にあたったのが、この人だったのである。 周恩来に法匪と罵られ、そして 「我が国にも、あのような役人が欲しい。」 と嘆息せしめた人物だったのである。 敏男さんも、その事実を知って驚愕したらしい。 それまでは、役人を専ら攻撃していたけれど ああいう清廉・剛毅な役人もいたんだなぁ・・と。 鳩山さんも、こういう役人を味方にして二人三脚で(或いは数人数脚で) 環境問題に取り組めば良かったのだ。 そうすれば(ノーベル平和賞はどうでも良いが)、 もっと長生きして環境問題を前進させられたのにと、 心底残念に思っている。 追記其の一 「データ自らに語らしめよ」 という言葉がある。    自分が捻くり出した“エエ加減な理論や仮説”の検証の為にデータがあるのではない。    況や、“自然界の法則をデッチアゲル”為にデータがあるのではない。 ということだ。 そう云えば、カーソンもナイチンゲールも統計学者と記述されていることがある。 どちらも疫学者ということらしい。 ナイチンゲールのデータはどういうものか分からないが、 集められた疫学データは、さぞや世界を震撼させるものだったのだろう。 まさに、データが自らを、そしてお二人の偉業を語っているのである。 突然ナイチンゲールを引用したけれど、 ナイチンゲールはクリミア戦争の現場で捕虜の悲惨な状況を告発し、自国英国の軍部と渡り合った。 カーソンはアメリカ資本主義と対決した。 英国の軍部は世界帝国主義の総司令部で、 ナイチンゲールはその英国の裕福な家庭の娘であったことを揶揄する向きもあるけれど、 現場で戦ったのだから、やはり凄いのである。 ムシ屋のプロの“論文”を読んで、つくづく、  “彼らは情けないなぁ〜” と思った。 例えば   庭に飛んできたヒメウラナミジャノメやヒメジャノメをチョコチョコと追いかけ、   交尾や睡眠を研究したと称してチョコチョコと表やグラフをものし、   引用文献と称して特に横文字を書き連ね、   念を入れて大物プロとの交流をひけらかす こういう“研究”は、  “自分の金と暇でやれ! と云いたい。 あの程度の“研究”は、高校生でも出来る。(器材と時間があれば) 中には、支離滅裂で理解不能のものもある。 これは大抵、先輩や先生の研究をそのまま“踏襲”したものと思う。 もっとも、大人のアマはそういう研究は出来ないかも知れない。 何故なら、先ず自分の食い扶ちを稼がねばならないから。 虫の研究は自費とし、後で審査して立派なものには賞状と賞金を与えれば良いのだ。 なるべくなら、外国人に審査して貰う。(その方が、しがらみも情実も少ないだろうから。) 下らないことをやっている連中に限って、 “ノーベル賞を貰うには、基礎研究が必要だ!” などと生意気なことを云う。 これは、物見遊山の連中の遊びに税金を使わせて、 “信玄の埋蔵金探し”を期待するようなものだ。 追記其の二 「経済の不都合な話」 ルデイー和子 日本経済新聞社 という本がある。      経済学は、自然科学と同じように一般的に通用する法則をつくることが出来ると思っている。      理論をつくり、それを社会に当てはめようとしている。 と経済学(及び経済学者)の分不相応ぶりを非難している。 生物学と比較してみる。 生物学には、野外生物学実験室内生物学とがあって、 後者は確かに自然科学の分野と云えて、実際自然科学的な研究結果が報告されている。 (経済学は、脳内経済学つまり一部の経済学者が自分の頭の中で“真理”を捻り出しているだけ。  データが語っているのではない。) 然らば、実験室内生物学が発展すれば野外生物学の謎を順次カバーしていけるのか? 例えば、モンシロチョウを取り上げてみる。 ・移動の態様を調べたい。   どこかの場所で観察することになるが、   結果は、“観察地の選定”によってドラスティックに変わるのである。   例えば、家庭菜園の配置状況、作物の選定によってドラスティックに変わるのは   駆けだしの蝶やでも分かる。   然らば、この問題を実験室内生物学の手法つまり遺伝子の発現機構の解明で解けるのか?   考えようもない。 ・モンシロチョウに記憶はあるか?   あるに決まっている。   食草をほぼ間違いなく選んでいるのだから。   つまり問題は、発現機構の解明であって、これは最初から実験室内生物学の範疇である。 ・モンシロチョウの個体数を研究したい。   当然野外であるから、最初から実験室内生物学の埒外である。   やるのなら統計学ということになろうが、   確率空間、見本集合、確率、ランダムサンプリングの設定なんぞ雲を掴むような話である。   かといって、適当に選んだら“科学”にはならない。   (科学なんぞ捨て去って“面白い”と思ってやるのが良さそうだ。) ティータイム(その1) 「不思議なシマヘビの物語 (野川で出会った“お島”)」
ティータイム(その2) 「ミノムシ 《皇居外苑北の丸公園の蓑虫》」
ティータイム(その3) 「ゴイシシジミ讃歌」
ティータイム(その4) 「空飛ぶルビー、紅小灰蝶(ベニシジミ)」
ティータイム(その5) 「ヒメウラナミジャノメの半生(写真集)」
ティータイム(その6) 「蝶の占有行動と関連話題」
ティータイム(その7) 「ヒメアカタテハの占有行動」
ティータイム(その8) 「オオウラギンヒョウモン考」
ティータイム(その9) 「ヒメウラナミジャノメの謎」
ティータイム(その10) 「コムラサキ賛歌」
ティータイム(その11) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ」
ティータイム(その12) 「”お島”ふたたび」
ティータイム(その13) 「オオウラギンヒョウモン考(再び)」
ティータイム(その14) 「謎の蝶 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その15) 「我が隣人 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その16) 「オオウラギンヒョウモン考(三たび)」
ティータイム(その17) 「姿を顕さない凡種、クロヒカゲ」
ティータイム(その18) 「微かに姿を顕したクロヒカゲ」
ティータイム(その19) 「不可解な普通種 ヒメジャノメ」
ティータイム(その20) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ ― 蝶の知的生活―」
ティータイム(その21) 「オオルリシジミを勉強する」
ティータイム(その22) 「集結時期のヒメアカタテハを総括する」
ティータイム(その23) 「毒蛇列伝」
ティータイム(その24) 「東京ヘビ紀行(付記 お島追想)」
ティータイム(その25) 「ヒメアカタテハやクロヒカゲの占有行動は交尾の為ではない(序でに、蝶界への疑問)」
ティータイム(その26) 「ヒメアカタテハの越冬と発生回数」
ティータイム(その28) 「蝶の山登り」
ティータイム(その29) 「蝶の交尾を考える」
ティータイム(その30) 「今年(2019年)のヒメアカタテハ」
ティータイム(その31) 「今年(2019年)のクロヒカゲ」
ティータイム(その32) 「蝶、稀種と凡種と台風と」
ティータイム(その33) 「ルリタテハとクロヒカゲ」
ティータイム(その34) 「ヒメアカタテハ、台風で分かったこと」
ティータイム(その35) 「「蝶道」を勉強する」
ティータイム(その36) 「「蝶道」を勉強する 続き」
ティータイム(その37) 「ミツバチを勉強する」
ティータイム(その38) 「「蝶道」を勉強する  続き其の2」
ティータイム(その39) 「里山の蝶」
ティータイム(その40) 「岩手の蝶 ≒ 里山の蝶か?」
ティータイム(その41) 「遺伝子解析、進化生物学etc」
ティータイム(その42) 「今年(2020年)の報告」
ティータイム(その43) 「徒然なるままに 人物論(寺田寅彦、ロザリンド・フランクリン、木村資生、太田朋子)」


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