岩手の蝶 ≒ 里山の蝶か?
                         遠藤英實 作 0 はじめに 1 「盛岡」の里山の定義 2 「盛岡」里山の蝶一覧 3 終わりに 0 はじめに 前編で、東京中心部の近辺の緑地の蝶について、他人様の調査を元に駄文を書いた。 この駄文を書いたモチベーションは何かと云うに、  A “里山”を、蝶の方から勉強したい  B 国木田独歩が、武蔵野を散策して目に入った蝶は何だったのだろうか? である。 Aについて 森林を解説した本に、  一次林=原生林、二次林=一次林が消滅してその後自然に生えてきた森林 とある。 或る蝶屋の研究に、  里山の蝶=二次林の蝶(特に面積が・・以下の二次林の蝶) とあった。 甚だ恣意的(つまりエエ加減)な気もするが、 こうしなければ先に進まないだろうからしようがない。 ところが酷いのは、  「里山の蝶3種(ヒカゲチョウ、・・だったか)を選んで里山間移動を調べた」 だって! 私も嘗て、ヒメウラナミジャノメやヒメジャノメで移動問題にトライしたけれど 直ちに断念した。まともな移動データなんぞ採れるわけがないのである。 実際、この著者も全くデータなしで、あれこれ駄文を弄していた。 里山の蝶を調べたいのではない、“論文”を書きたいのである。 Bについて 国木田独歩の頃は、武蔵野はもう十分に開けていたようだ、 つまり、もう既に私が前編で知ったかぶりをした 里山の定義(水田云々・・)に適っていたようなのである。 江戸時代から武蔵野はそれなりに開発されていたわけだ。 とはいって前編で私が示したような蝶(例えば皇居の蝶)が、 国木田独歩の目にも入っていたわけではなかろう。 国木田独歩は蝶屋ではなかったけれど、蝶屋の私にしたって、 あれでリストアップされた蝶を眺めたとて、何の感慨も湧かないのである。 それなら、我が故郷盛岡を追想した方が良い! ここで、私流に改めて「里山の蝶」を定義すると、  ・里山の蝶とは、子どもでも家の周囲を(徒歩で、自転車で、汽車でも1時間程度)   駆け巡って巡り合える蝶である。  ・稀種であってはならぬ。熱心な子どもなら年数回は巡り会って欲しい。 というわけで、私の「盛岡での里山」を ① 滝沢村 ② 山田線の幾つかの駅 ⓷ 盛岡市内 の3カ所に分割してみる。 その理由は、 ・滝沢村(当時は滝沢村であった)に2006年までの蝶データがあったこと ・この蝶データは、1960年以前(東京オリンピックの前)の  私の記憶にあるデータ(要するに子どもの頃のデータ)と殆ど一致すること。 ・上記3カ所が往時歩き回った地域であること による。 滝沢村の上記102種データは、1960年以前の私の記憶と良く一致する。 (但し、稀少度は大いに変わった。) よって、この102種を、私の故郷盛岡の「里山の蝶」と見做したい。 とは云っても、例えばモンシロチョウなども含めると印象が希薄になるので これらは除く。71種となった。これらの蝶について、往時の思い出を語る。   1 「盛岡」の里山の定義 私が盛岡市で採集遊びをしていたのは、東京オリンピックの頃迄である。 それ以降は東京にいたから、故郷の蝶に会えたのは、時々の帰省時のみである。 そして、今の盛岡市は、当時(60年前)よりは合併で断然大きくなっている。 だから、盛岡市と書くよりは、「盛岡」と書く方が当時の雰囲気を表している。 何といっても昔(子どもの頃)の標本だから乱雑・散逸で 情けない状態なので郷土の資料を探してみた。 幸い、滝沢村の資料があった。 盛岡市は御託ばっかり多くて資料がないのである。 岩手県の司令塔をきどっているのかな? というわけで先ず、以下の3か所の概要を併記する。 ① 滝沢村(当時は滝沢村であった) 盛岡市の北西側隣の滝沢市に蝶報告書があった。 滝沢村に分布するチョウ類 1980年以降の増減既存資料本調査 「滝沢村野生生物分布調査報告書 平成18年3月 滝沢村教育委員会」を基に作成 である。(平成18年=2006年) 盛岡市(私の家)の北西側に滝沢村がある。 村の西側には岩手山があったが、平坦な山で高山蝶もいない。 岩手山の東側に自衛隊の基地があったが、更にその東側(盛岡市側)が 我々の採集範囲であった。休みの日は自転車で1日走り回った。 この報告書では、計102種となっている。(岩手県全体では130種位か。) 確かにこの102種の殆どは、①、及び以下の②,③のどこかで私も採った。 つまり、岩手の蝶の殆どは子どもでも楽しめる里山の蝶だった。 滝沢村には自衛隊基地がある。つまり裕福なのだ。 だから、盛岡市の合併要請も撥ね退けて悠々と蝶の調査も出来たのである。 ② 山田線の幾つかの駅 盛岡市から三陸海岸に向かって山田線が走っていた。 (行こうと思えば)早池峰山までも行けるのだが、 大体四つ、五つの駅で降りて走り回った。 当時は典型的な里山であった。沢山の蝶に巡り合った。 今では延々と荒れ果てた廃村になったから、 汽車も止まらない。(人が住んでいないから!)  そしてここも今では盛岡市である。但し、滝沢市と反対に金がない! ⓷ 盛岡市内 市内にも、それなりの採集地はあった。 オオウラギンヒョウモンやオオルリシジミも、この地に居たことになっている。 が、私と同じくらいの年代の蝶友でも誰も知らない! 以上、3か所を「盛岡」の里山としよう。 確かに十分里山であった。 それに、岩手県の蝶130種も殆どこの地に網羅されているのである。 (3カ所で多分110種位か?) 網羅されていないのは、 ベニヒカゲ、キマダラルリツバメ、オオルリシジミ、クロヒカゲモドキ、ギンボシヒョウモン、 ヒメシジミ等、珍蝶揃いである。 里山の蝶は珍奇種であってはならぬ。 蝶の趣味は昔から、 ロスチャイルドやフルニエ夫人のような大金持ちの趣味かと思っていたが、 日本(岩手県か?)の場合は違うということをあらためて実感した。 貧乏人でも十分楽しめる!! 2 「盛岡」里山の蝶一覧 上記3カ所の蝶を纏めてコメントを記す。 なるべく普通種を除く。(やはり普通種が交ざると、思い出も拡散して希薄になっていく。) 3 終わりに 岩手県の蝶は、普通種も含めて130種位らしい。 だから岩手県の蝶の殆どは、私の育った「盛岡の里山の蝶」だったと云える。 つまり、岩手の蝶 ≒ 里山の蝶 どの地でも大体そうだったのではなかろうか?つまり、 日本の蝶 ≒ 里山の蝶 では? (南国、北国の別はあろうが。) トピックス1 既に紹介した 「皇居・吹上御苑の生き物」世界文化社 2001年初版発行 に次のような記事がある。 「美智子皇后はオオミズアオを最近見ることが出来ないことを心配され・・」 人は(特に女性は)一般に蛾が嫌いである。特にオオミズアオのような大型のヤママユガは 嫌悪されるのだからこの記事は不思議に思った。 ところが、続いて 「御養蚕所でカイコや野蚕を飼育しておられ・・」 とあり、何となく納得した。 爾来、私も野山を散策する時は、(何となく気にかかって)この蛾に注意するようになった。 この方面に造詣が深いわけでもないからやむを得ないが、発見はたったの2例であった。   2011・06・04 生田緑地 1例目 2015・08・09 多摩川 2例目 そしてやっと北の丸公園で3例目に巡り会えた。これは皇居在住と考えても良いだろう。 棲み続けていたのである! 2018・08・14 北の丸公園 3例目 図鑑によれば、「普通種であり」「オナガミズアオと間違えやすい」とあった。 私が苦労して目にした生き物は大体普通種である。 そう云えばプロのN氏も普通種好きのようだ。 氏の、“ヤマトシジミの採集500匹/日”という記録を読んだことがある。 私も、“ヒメウラナミジャノメの目撃700回/日”という記録があるが、 “採集”と“目撃”とでは比較にならない! 氏には何か蝶哲学があるようであるが、私にはわからない? トピックス2 発見した時私が稀種と思っても、図鑑で調べると普通種となっていることが多い。 (多少はガッカリする。) 皇居東御苑には、ベニイトトンボが散見される。 普通種かと思ったら稀種らしい。 世田谷区緑道で、幻想的なイトトンボを生まれて初めて目撃した。 これぞ珍稀種と思ったら、普通種であった。――>キイトトンボ そして、この日以降目撃したことはない。 多分、 「その方面の通に時期と場所を教えられれば割と簡単に目撃出来る」 というのが普通種なのだろう。情報もなく彷徨っているのであれば彼らも相手にしてくれない。        2015・08・08 皇居東御苑    2016・08・18 世田谷区緑道  ベニイトトンボ        キイトトンボ         幻想的!! トピックス3 亡くなられたが、古い蝶友O氏がおられた。 氏曰く、“昔のキアゲハは赤い!”              昭和30年 O氏 確かに赤い気がする。他のキアゲハは多分後年採集されたものだろう。 爾来、キアゲハを目撃するたびに東京でも盛岡でも撮るのだが、皆まともだ トピックス4 東京と偶に帰る盛岡とで、蝶の撮影を始めた。最初の頃の盛岡での写真である。 小さい蝶のデジカメ写真は難しい! サイトで調べてみる。 ヘリグロチャバネセセリか? スジグロチャバネセセリ? はたまた別種か? 前掲資料には、スジグロチャバネセセリは準絶滅危惧種とある。 この蝶が然りならラッキーであるが、私は、今までそれ程ラッキーであったことはなかった。 2010・8・18 盛岡  ? ティータイム(その1) 「不思議なシマヘビの物語 (野川で出会った“お島”)」
ティータイム(その2) 「ミノムシ 《皇居外苑北の丸公園の蓑虫》」
ティータイム(その3) 「ゴイシシジミ讃歌」
ティータイム(その4) 「空飛ぶルビー、紅小灰蝶(ベニシジミ)」
ティータイム(その5) 「ヒメウラナミジャノメの半生(写真集)」
ティータイム(その6) 「蝶の占有行動と関連話題」
ティータイム(その7) 「ヒメアカタテハの占有行動」
ティータイム(その8) 「オオウラギンヒョウモン考」
ティータイム(その9) 「ヒメウラナミジャノメの謎」
ティータイム(その10) 「コムラサキ賛歌」
ティータイム(その11) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ」
ティータイム(その12) 「”お島”ふたたび」
ティータイム(その13) 「オオウラギンヒョウモン考(再び)」
ティータイム(その14) 「謎の蝶 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その15) 「我が隣人 ヒメアカタテハ」
ティータイム(その16) 「オオウラギンヒョウモン考(三たび)」
ティータイム(その17) 「姿を顕さない凡種、クロヒカゲ」
ティータイム(その18) 「微かに姿を顕したクロヒカゲ」
ティータイム(その19) 「不可解な普通種 ヒメジャノメ」
ティータイム(その20) 「散歩しながら動物行動学を学ぶ ― 蝶の知的生活―」
ティータイム(その21) 「オオルリシジミを勉強する」
ティータイム(その22) 「集結時期のヒメアカタテハを総括する」
ティータイム(その23) 「毒蛇列伝」
ティータイム(その24) 「東京ヘビ紀行(付記 お島追想)」
ティータイム(その25) 「ヒメアカタテハやクロヒカゲの占有行動は交尾の為ではない(序でに、蝶界への疑問)」
ティータイム(その26) 「ヒメアカタテハの越冬と発生回数」
ティータイム(その27) 「鳩山邦夫さんの『環境党宣言』を読む」
ティータイム(その28) 「蝶の山登り」
ティータイム(その29) 「蝶の交尾を考える」
ティータイム(その30) 「今年(2019年)のヒメアカタテハ」
ティータイム(その31) 「今年(2019年)のクロヒカゲ」
ティータイム(その32) 「蝶、稀種と凡種と台風と」
ティータイム(その33) 「ルリタテハとクロヒカゲ」
ティータイム(その34) 「ヒメアカタテハ、台風で分かったこと」
ティータイム(その35) 「「蝶道」を勉強する」
ティータイム(その36) 「「蝶道」を勉強する 続き」
ティータイム(その37) 「ミツバチを勉強する」
ティータイム(その38) 「「蝶道」を勉強する  続き其の2」
ティータイム(その39) 「里山の蝶」
ティータイム(その41) 「遺伝子解析、進化生物学etc」
ティータイム(その42) 「今年(2020年)の報告」
ティータイム(その43) 「徒然なるままに 人物論(寺田寅彦、ロザリンド・フランクリン、木村資生、太田朋子)」


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