遺伝子工学と進化論と宗教

 中世から自然科学は、宗教と相容れない事が多くあったと歴史に残っています。
 有名なコペルニクスに発する地動説に関する歴史が多くの事を語っています。

 現在の先端科学は、電子工学と遺伝子工学と言われる事がありますが、それを取り巻く環境はしばしば中世の哲学・宗教論的な議論になる事があります。
 電子工学は、それでも実用的に進歩・実用されてきた歴史があります。
 それに比較とすると、遺伝子工学は数々の成果が期待がされていますがどこかで、哲学・宗教論的なブレーキがかかるのではないかという問題を抱えています。

 ひとつは、人間に適用したときの倫理問題です。これは早くから指摘されていますし、現実的な問題として近づいています。たぶん、最大の問題は世界標準的なある種の合意が得にくい事と思えます。そして、独裁的ともテロリズム的ともいえる状況が存在する所で研究が進む可能性があるという危険もあります。
 そもそも、生物に関しては宗教色の弱い日本では初等教育レベルの常識的な進化論が、いくつかの、世界の先進国でもまだ否定的に扱われている事が指摘されています。
 旧約聖書の創世記の記述を信じている意見から、色々な段階があるとされていますがダーウィンの進化論を受け入れていない社会と教育が存在するとされています。
 日本では知らない人も多いですが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は、同一です。ただそれが人間界に使わすという救世主が誰かの解釈が異なるのです。ユダヤ教はまだ現れておらず待っています。キリスト教は、イエスを救世主とします。イスラム教はそれがマホメットであるとします。
 旧約聖書と、救世主とその言葉を集めた書物が宗教の中心となっています。日本人の考えるより多くの人が、旧約聖書の創世記を信じているのです。

 日本では、ダーウィンの進化論はもとより分子レベルの進化論まで進んでおり、その中で木村資生の遺伝子中立説が登場して広く議論されています。
 そこには、倫理観からの問題指摘はありますが、哲学的・宗教的な指摘と科学的・統計的なアプローチを分ける風土があるようです。この研究という面では、遺伝子工学は日本では進む土壌はあると言えます。
 しかし、捕鯨問題・ワシントン条約問題をはじめとする生物保護と自然破壊に関する外国の風土からの日本への批判(正確には特定の国・組織からの特定の国への批判)問題に見られるように、世界中の色々な文化・風土と共に倫理観・宗教観・哲学思想が大きな力となって来る可能性は否定出来ません。

 日本は宗教問題に鈍感な国ですが、世界的には宗教は大きな力を持っています。ダーウィンの進化論の前で止まっている社会に、遺伝子工学とその成果の実用を持ち込む事の難しさは非常に高い壁と予想されます。
 文化革命は、教育の改革からだとすると未だにダーウィンの進化論に否定的な教育を行っている所を分子レベルの進化論まで変えて、その社会の風土まで変える事に要する時間的・思想的・技術的な難易度は推測すら出来ません。

 成果・利益は受け入れられる所で分かちあえば良いとの考え方の問題点は、既に上記で述べました。生物・環境保護問題でさえ外圧を無視できないのです。
 自然科学と社会科学とのバランスがとれない時代になった時の対応が可能かと聞かれると否定的な見方にならざるを得ないのが実状と思えます。
 そして、同時に危険な事はレベルの異なる所からのブレーキを避ける事の為に、公表されずに遺伝子工学の研究が一方的に進められる事です。

 ことなる倫理観を世界的に整理して、指針を作成する過程が難しくても行う必要があります。個人が勝手に何でも行うという事を避ける動きは早急に求められます。色々の所からの反対や圧力は予想ではなく具体的に表面化させてゆく事が、解決に向かう一歩と思われるからです。

 (2010/8/18)

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