青色ダイオード訴訟雑感

N教授の青色ダイオード訴訟の判決が話題になっています。

判決文を読むとかなりまともに感じますが、経営者側の新聞コメントを読むと意味が分かっていない食い違いを感じます。

私には、少し前にでたH社の光デイスク関係の判決の方が驚きました。

マスコミの一部に、発明がお金になる主旨の発言が見られるが、これは間違いであくまでもその技術を使用して得た儲け(売上にあらず)に対しての対価です。

従って、発明に対価を払う必要がなく、あくまでも儲けにたいしての対価です。

リスクが大きいとか赤字になるとかは間違っています。

勿論、意味のない高額の場合は別です。

アメリカでは、技術者やアイデアを持った者が自らまたは複数の仲間で事業を起こし成功して多額の対価を得るばあいがあります。

これと日本の文化は異なると言う意見もまた間違っています。

日本でも、京都のK社やN社の例があります。創始者が技術者で事業も成功させています。

一方H社の光デイスク関係は詳しい事情は分かりませんが、もともと会社に風土と基礎技術があったことは推測できます。

また、入社後に数々の知識や発明のヒントを得るきっかけが、人・物・技術の蓄積であったと推測できます。

その場合は、経営側の主張、「会社はチームプレイで役割分担を行っている。

発明者のみに対価を払うのはおかしい。」という意見が重要になってきます。

発明者の儲けに対する貢献度は非常に低くなり、それの算定は技術的に難しいですが、発明環境からみて高額の対価は発生しにくいと推測します。

青色ダイオードの発明に関しては、判決でも述べられているように極めて特殊な事情にあります。

それは、全く何もない環境から出発して発明があり、そして中心になって莫大な儲けにつなげた事です。

私はこれを、アメリカでの共同創始者の新事業と同じ考え方で見ています。

この時の共同創始者とは、費用と場を提供した経営者と発明者です。

一般的な見方をすれば、儲けは公平に分けるべきであり、経営者が独占できるものではないと思います。

どこに違いがあるかと言うと、無から有を生み出したか、有からプラスアルファを生み出したかの違いです。

今回は前者ですが、このケースでは経営者側に不満はない筈です。

後者の場合を同様に考えると、はなはだ不都合なことになります。

元々、研究者はプラスアルファの新技術を開発するために入社したわけですから、その目的を果たしただけでは発明者の果たした事への対価は僅かな比率にしかならないと思います。

無から有を生み出すことは、きわめて稀であり、経営的にもきわめて大きな成果をあげる可能性にあります。

そのときの経営者の果たした役割は、発明者と同等に分けることが必要と思います。

ただしここで、共同創始者と同じ考え方と仮定していますが、実際はリスクは異なります。

雇用者と経営者はリスクが異なるのです。

従って、判決の50%の貢献度は同等のリスクと考えた場合で、通常はもっと少なくなると考えます。

実際の判決は1200億円の利益の約1/6の200億円でしたが、細部は分かりませんがこの程度ではないかと推察します。

上記はあくまでも、特別な場合です。通常は、有からプラスアルファの改良ですので、個人の成果は極めて小さいものとなります。

もともと自然科学の法則は特許にならず、共用されるものです。

この上にたち、所属する企業の先行知識・ノウハウ・資源を合わせて使用するのが普通です。

技術者としては、最終的には成功して当然(途中経過は別です)の環境で、経営的リスクも少なく研究を行った結果ですので、個人の貢献度は非常に少ないと言えます。

詳しい内容は企業秘密の中ですので分かりにくいですが、昔の年功序列は現行では技術者には不平等ですが、成果主義になっても成果報酬の額は最近出ている判決程は多いとは考えられません。

成果に対しての報酬であること、その対価の評価が正しければ、経営者にとっても好ましい事であり、否定的な発言は理解が不十分と言えます。

対価の正当な評価は非常に難しく、これの技術的な決定方法が確立すれば、両者にとって有益になると考えます。

最大の問題は正当な評価が機密を含むことから難しいことにあります。

通常は技術に詳しくない裁判所では、現行は能力的に疑問です。

通常の企業で多額の成果報酬の判決が続けてでるのは異常としか考えられません。

アメリカン・ドリームは、極少数でリスクも高いからドリームであって、低リスク化のどこでもあるようなケースが同じ様に扱われるのは、技術者の地位向上とは別の話です。

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