省エネルギーと電子化

電力会社の管理室やコンビナートのシステムをみると、その電子化・コンピュータ化に驚く。

使わないではなく、必要最低限しか使わないの考え方である。

現在ではこの考え方が民生にも応用され、空調・車を始めにマイコン制御を使用していない方が珍しいぐらいになっている。

エネルギーの使用と、省エネルギーとの併行した技術の戦いが我々の知らないところで行われている。

従って増大一方のエネルギー消費にたいしての電子化による対策は、使用者や恩恵をこうむっている立場の人々には期待をもってしまいがちである。

しかし技術だけに頼っていて充分な省エネルギー化が進むのかは疑問というよりも不可能である。

まず電子技術自体が非常に多くのエネルギーを消費することである。

分かりやすい例として、いつも説明に使用されるのが太陽電池である。

復習すると、太陽電池自体は太陽エネルギーという我々が制御しきれていない残されたエネルギーを使い見かけ上は無尽蔵で無償でエネルギーを得るように見える。

しかしこれは錯覚で太陽電池製造コストが、その後に得るエネルギーより多くのエネルギーを必要としていることである。

ほかのことも同様であり、熱力学の法則からも技術的にだけで省エネルギーは不可能と考えるべきである。

結論として、技術だけではなく我々の生活を我々全員で省エネルギー化に変えてゆく必要がある。

これは古い時代に戻れと言うような退廃的な意味ではなく、積極的に新技術のもとで有効に利用して、無駄を省いてゆこうと言うことである。

現在をいきる我々には自分達が得た多くの技術の恩恵を未来の人々から取り上げる事は許されない。

また、我々の世代が使い安いエネルギーを消費尽くし、次の世代に何も残さない事は許されない。

しばしば論議はピントがはずれたところでなされる事がある。

ここでは私が感じるいくつかの問題を提起したいと思う。

原子力エネルギーは、いつも偏見の固まりでみられる事が多い。

曰く、これほど効率のよいエネルギーはほかにない、曰く原子力エネルギーは危険である・事故が多い。

どちらも極端過ぎて、結果として原子力アレルギーが生まれ・エネルギー問題は避けられ進歩がない。

今一番進歩が遅れているのは原子力エネルギーの安全使用問題ではないかとも思える。

危険な事故が起きる事は重大であり無視はできない、しかし現在の技術や設備が不十分である事は明白であり、技術が進んだ時にどうかは別の問題である。

充分な安全性を持った設備から得たエネルギーが安く効率が良いかどうかは簡単には結論が出せない。

現在は単なる反対が多く技術の進歩が停滞しているように見える。

これではいつまでもまともな結論がでず、エネルギー問題上危機状態と言える。

情報の電子化は、紙等の無駄を省くと考えられて大きな改革と期待されていた。

しかし、いざその時代に一歩足を踏み込むと意味を理解できる人の方が少なく、逆に紙の消費は増大して、コピー機普及の時の再来となった。

一度電子化されたものをわざわざ印刷しないと読まない・読む気がしない、データベースができたから必要の有無にかかわらず印刷してみよう、このような人が極めて多いことに愕然とするが過去の生活様式から抜け出すには世代の交代を待たねばならないのであろうか。

電子化にエネルギーを使い、データベース作成に時間とエネルギーを使い、その上でわざわざ不要なものまで印刷し余分に紙や資源とエネルギーを使う。

最悪の状態である。

暑いから空調を使用する、落ちついたところで煙草を吸う、煙がこもるので窓をあける、空調の効果が弱くなるので強くする。

これほどエネルギーの無駄はない。

現在は新しいエネルギー源を入手していない。

しかし、問題点は多い。古い時代には戻れない。

しからば、個人個人が問題の重要性を理解して、技術開発と省エネルギーの推進に理解と実施をを払うべき時である。

他人まかせでは解決はできない時に現在はある。

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