「シュレジンガーの猫」はパラドックスか?
「シュレジンガーの猫」の話をご存じですか。
量子論の世界では絶えず確率が取り扱われます。
放射性物質には放射能を放出する平均時間が存在します。
実際にどの時間に放出されるかは確率であらわされます。
もしこの時間が長い場合(例えば1年とか)に放射能に当たると死ぬ猫が放射性物質と共に置かれていた場合に猫は生きているか死んでいるかのパラドックスです。
例えば、ある時間までの放射能の放出確率の合計が50%とします。
その場合は、猫ははたして50%は死んでいて、50%は生きているのかという話です。
半分だけ生きている猫と言うパラドックスです。
はじめて聞く人には十分に悩む内容になると思います。
しかし、これはパラドックスでも何でもなく、素直に受け止めればよい問題です。
時間を含めた物質のスケールは量子論の世界では多くの場合は、短い・小さい範囲に限られます。
この時に基準にしているのは、私たち人間の時間・スケールです。
たまたま、私たちのスケールで小さいといえない領域に入ってきたときに、不思議な現象が起こったと感じてしまうのです。
SF的な話ですが、我々よりも、スケールが長い・大きい生物?の世界が有ったとします。
その世界からみれば、我々が量子の世界と思っているものも、年等のスケールでの話も同じように、我々にとっての量子論の世界になってしまいます。
すなわち、自然界の出来事を人間の時間で判断する必然性は何の根拠もないのです。
量子論が確率の世界で、たまたまスケールが年等になった場合も全く同じに扱うしか方法は有りませんし、それで矛盾は有りません。
人間に取ってたまたま不思議に思うだけです。