文化としての遊びと科学技術

       (C)1995 財団法人 ニューテクノロジー振興財団 
<本文>

(1)

まず初めに、「科学技術」と「遊び」の定義が必要である。
正確な定義はそれ事態が非常に難しいが、本論でのみ以下の定義を用いる。
正確さは不問にしても、一つの考え方と思う。本論では、全て以下の定義に従って進める。
「遊び」とは、なにであろうか?。娯楽または、生活必需品以外の全てを指すのであろうか?。難しいがここでは、大多数の人々にとっては生活必需品ではない物を対象にしよう。勿論、時間がたてば変わるし、「遊び」とは言えないものも多い。しかし、娯楽と全く無関係な事でも、無関心な人にとっては「遊び」と言える。単なる趣味でもある人には「遊び」を越えた重要な場合もある。個人によって異なるので、かなり曖昧ともいえるが大局的に割り切るのは、やむを得ないと判断する。

「科学技術」も内容的に広い。ここでは、情報・コンピュータ関連と、バイオ・遺伝子制御関連の二つに絞って考える。

これもやはり難しいが、具体的に考察でき、多くの人が認める対象で、しかも現在注目されているものを選ぶとすればこの二つに絞っても許される範囲と思う。

特に「遊び」と言う言葉と関連があり、やがて生活と必然的につながっていくものとして考える場合としては、二つに絞るのも簡略化のために妥当と考えていただける人は多いと思う。

(2)

「科学技術」による新製品・新技術が研究レベルを終え実用レベルに達し、成長しピークを迎え、そして次第により新しい技術によってとって代わられ、次第に衰退してゆく過程は成長曲線としてよく知られている。

この曲線の立ち上がりの部分、まだ普及が始まった部分の用途・成長したピークの用途を見る事により普及の仕方を知ることができ、「遊び」がいかにかかわっているか考察することができる。

情報・コンピュータ関連は、一部は普及期にさしかかり、一部は実用に入った所である。一方、バイオ・遺伝子制御関連はこれから普及期にさしかかる分野と、これから実用化に入る分野とがある。

(3)

電子産業はトランジスタの発明からはじまり実用化が始まり、大型コンピュータの歴史もそれに続く。

しかし、現在一般に言われているところの情報・コンピュータ関連はマイコンの普及と個人レベルの小型コンピュータの普及からはじまったと考えても良いであろう。情報産業自体は従ってこれよりも、より広い。

現時点でみると小型コンピュータは実用レベルに近ずき、急激にひろまりつつある。しかし、コンピュータ自身が、あるいは人類の開発品としてはじめて目的なく技術成長して発達し、その後使用方法が考えられるという、普通とは異なる過程をへた製品である。その為に最終目標も最終仕様も現時点でもまだ不確定であり、こののちどのような成長をしめすかも見きわめるのが難しく、当然ながらその普及度を考える事も難しい、すなわち正確に新技術から、成長がピークに達した技術への移行を判断できない。そのため判断が、独善的になるのを防ぐことは難しく、この点は了解していただきたい。

一方、目的が先にある用途としてはゲーム機や制御機がある。これらも成長中であるが、可能性が先行して成長している小型コンピュータよりは、判断は個人差は少ないと思う。

マイコンが学習用のボードコンピュータから出発し、性能が向上したときも、学術用・産業用よりも個人対象が先に進み、この人たちのなかから次第に学術用・産業用へ展開する動きがでてきたのも一方の事実である。すでに高価な中型・大型コンピュータが存在しており、採算があう部分では使用されているので、これらを使用していた人からマイコン使用の動きがすぐに生じなかったのも偶然ではないであろう。

さて個人で小型コンピュータを使用しはじめた人の多くがゲームを作成したのもひとつの事実である。そして、そこを出発点としてゲーム専用機が開発され、非常な勢いで普及したのも事実である。まさしく「遊び」が出発点にあったことは疑いない事実である。ところでゲームという分野は、技術的には非常に高度な技術が必要である。

(1)グラフィックしかも動画を取り扱う。
(2)リアルタイムの入出力を取り扱う。
(3)画面の動きと同時に音楽を取り扱う。
(4)装置が普及しやすい、低価格である必要がある。
(5)全くの未経験者でも使用できる。

これらの目標と達成はコンピュータの技術と普及の上で重要であった。新技術を積極的にしかも戦略的に取り入れる必要があった。そして、より高度な用途に進むための、ステップにもなりえるものであった。

もう一つはワープロと、表計算などのソフトまたは専用機である。特に難度の高い日本語変換対応技術の進歩は著しい。

しかし、これらが一般的になったのは最近であるし、公的文書として使用が認められつつあるところである。これらは、実務に使用されつつあるが、実用的な時間と内容で使いこなせる人はまだ一部である。これらは、「遊び」から実用への移行段階といえる。これらは色々な分野に影響を及ぼすものであり、注目していく必要がある。しかし、「科学技術」としてみれば、これ以上の発展が必要かどうかは難しく、技術的にピークかどうか微妙である。すなわち、現在以上の高機能(ほとんどの人が一度も使う事がない機能)が必要かどうかが、はなはだ疑問になっている。

一部の人が使用してきた長い潜伏期間すなわち「遊び」の時を過ぎ、目的をほぼ達成した製品であるが、一方ではまだ開発しようとしている。すでに少数の開発者に限られ、「遊び」で取り組む人はすでにいない。いるとすれば、全く違う技術との統合の道である。従って、実用的にピークを迎えた技術であると考える。

現在進行中の技術は、携帯端末である。これの原点は電卓と、室内電話の親子機とおもわれる。しかし、それぞれはすでにピークを過ぎている。

携帯端末としては、最終的にどの様な製品になるのか予想はつけがたい。現在は、色々な組み合わせと機能が提案されている段階である。目的があって、使用している一部の人をのぞけば使い方が分かったころには新製品があり、新技術がある。一般的には、この状態は、「遊び」の段階である。

携帯電話の普及は激しい。しかし、安全性・コスト・使用範囲・標準化など未整備点が多く、普及はしているがどの程度技術の裏つけがあるか疑問である。営業的にも収益性がまだなく、将来性に期待している段階である。使用者は実用的でも、営業的には前段階であろう。企業的には「遊び」ですまされないが、行き先がいまだ見えず手探り状態である。定義からいえば実用化と言えなくもないが、私はまだ「遊び」段階と考える。

一方、情報技術については、日本の遅れが目だつ。ハードでは進んでいる部分もあるが、ソフトでは特に遅れている。電話とファクシミリ以外の電信が注目されはじめたのは、きわめて最近である。

普及段階を跳びこえて、いきなり実用化に入ろうとしている。アメリカでは元々は軍事用途から始まり、学術的に「遊び」の要素を含んで進んで来た「科学技術」が、日本ではいきなり、助走なしにあたかも実用的に使用しようとしているかに見える。

日本では、銀行・JRなどでの専用回線でのみ実用されていたものが、インターネットでは「遊び」と実用が、あたかも同時に進行しようとしていると見える。一度は大きく伸び、そして停滞し、周辺技術や法律などが整備されて、本当の実用化に進むと予想する。 電子メールなど実用化が先行するものもあるが、有効な使用法を理解している人は非常に少なく実用化とは名ばかりで、「遊び」的使用が目だつ。

ましてやその他の「科学技術」については、いまから「遊び」の段階に入ると言ってよいであろう。ホームページ・電子新聞・電子取引・電子まねーなどすべてが、そのように思う。なぜならば利用者のニーズを十分に理解せずにスタートしているものばかりであるからである。実用化にはまだまだ大きな壁がある。しかし、多くのひとが「遊び」に参加しており、急激に進歩する事を期待できる状況は存在する。

そして、電子制御の分野である。電子産業の進歩が各種機器の電子制御に与えた影響は大きい。

この分野でも、はじめはおもちゃであった。そして実用製品(民生・産業)の電子化がはじまった。いまや、電子化されていないものをさがすのが困難になっている。

しかし、大丈夫であろうか。現在主流の樹脂封止部品はどの程度の寿命が保証されているのであろうか。集積回路の高密度化は大きな発熱をもたらす、加速試験は行われていても正確な寿命はわかっていない。機械部を持たない電子制御は故障が少ないといわれたこともあるが、残念ながら楽観すぎる。現状は電子制御部の寿命で、使用製品の寿命が決まる事が少なくない。これは大きな問題である。「遊び」から実用化へのおおきな課題である。いやむしろ、しらない間に「遊び」が終わってしまっているといえる。しかし、その段階で有用性をのみ学び、欠点を学ばなかったのではないかと危惧する。あるいは、使い捨てという社会革命が行われたのであろうか。

情報・コンピュータ関連では長い「遊び」の期間の後で、実用化されたものが多く、まず「遊び」段階で技術進歩して、実用製品に進んだ物がおおい。実用製品に要求される性能を知りそれをクリアする上で一般に好ましい。

しかし、急激な進歩は「遊び」の部分を少なくしつつあり、たとえ実用レベルにみえてもかなりの問題点をかかえている場合が多く、まだまだ解決すべきことが多い。

現在は大型コンピュータと小型コンピュータの差が少なくなり、学術的成果が小型コンピュータ関連にも利用可能になりつつあり、地道な発展が期待される。

(4)

バイオ・遺伝子制御関連技術は、マクロでは古いが、ここでは当然ミクロな技術を対象とする。

この分野でも、「遊び」の部分が出発点であった。そしてゆるやかに進歩してきた。

しかし電子技術と異なるのは、最終的に人間を対象とする事である。たとえ「遊び」的内容であっても、リスクは比較にならない程に大きい。「科学技術」の実用化は、技術のみが先に進んでも無理で、法律・倫理などの整備が必要である。この点、同じ「科学技術」でも情報技術と大きく異なる。勿論、電波障害など情報技術にも類似の問題はある、程度の差ともいえる。

バイオでも食料品の改良など実用化されつつあるものもある。細胞培養の研究も進んでいる。これから始まるであろう実用化を考えると、良く言えば学術的、統一されず個々に基礎研究を行っている内容を無責任に言えば「遊び」であろうか。

無理に「遊び」につなげた感が強く、この分野では技術のみの進歩だけでは真の実用化になり難く、「遊び」が「科学技術」の進歩に与える影響は少ないと考える。

この分野は先に、法律・倫理・規範などの整備を行い、「遊び」レベルの安易な取り組みを制限する必要がある。その必要がないものもあると思うが、これは制限から省くことを明白にすれば良い。

社会に受け入れられてこそ新しい「科学技術」であり、一般的な人を対象にしても十分な理解がえられないもの・危険性があるものは、「遊び」と言われても仕方がなく、「遊び」と「科学技術」の関係は、情報関連とは違った見方が必要である。

(5)

「科学技術」は、初めは目標も具体的実用化も不明確なものが多い。特にそれが画企的な物ほど強い。これに取り組む事を、学術的研究・基礎研究と呼ぶが、一般的には「遊び」と見えるであろう。特に一般企業の研究職にいるものは、たえず、ほかの担当部署からはずばり「遊び」と見られる。これは私個人の経験からも確かである。

次に成果をまず何かの形で実現するとしても、一般にどの様なかたちで受けとめられるか不明で、しかもリスクや使用するユーザーの立場からみれば、「遊び」といえるものが多く、しかもそのようなものが好ましい場合が多い。誰も危険やリスクをこのまない。「新技術」をいきなり大きなリスクのある市場・用途に投入するのは避けたいものであり、予測可能なレベルの情報を得てからにしたいと考える。「遊び」で情報が得られれば、非常に好ましい事である。

ここでは、情報関連分野と、バイオ関連を取り上げたが、二つの間で違いがあるという結論であった。いや、バイオ関連は今までになかった数少ない少数派と思う。一般的には情報関連と同じように、「遊び」から出発して次第に実用へ進むケースがほとんどで、少数の人々の間で使われる「遊び」の期間は、「科学技術」のその後の大きなステップにとって重要である。

「遊び」の期間は、わずかでも興味があるひとが具体的にその内容を知り、そしてその反応を、開発者が受けとめ、つぎのステップにすすむ。また、そこで開発された技術を別の用途に使用して、新しい用途を提案してゆく、このような段階である。これはきわめて重要で有意義と考える。

しかし、種々の理由からこれが困難になりつつあるのは事実であり、開発者の責任はより重くなっていくと思う。

「遊び」は我々の文化にとって、有意義な時間であった。しかし、次第に「遊び」の期間を持つことができない「科学技術」が登場しはじめた。これは「科学技術」の専門家にとって不幸で、責任がより強くなったことを意味する。

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